はてなキーワード: 麻酔薬とは
この子は命日が決まってるんだな。
安楽死を決めた時、私はそう思った。
疲労と虚しさMAXだった若かりし頃、実家の犬を恋しがる私に知人が囁いた。
「猫なら手がかからないよ」
あれこれ言い返したと思う。それでも知人は言葉巧みに猫の良さを吹き込み続けた。
結果、私は一度でいいから飼ってみたい、とメインクーンを選んだ。
いい子が安く買えるかも、と安易な思いつきでネットを検索し、ブリーダーからそれはそれはかわいいブラウンクラシックタビーの男の子を譲ってもらった。
買い手がつかず生後半年のその子は、7万円で我が家にやってきた。
残念なことに重度の食物アレルギーを持っていたその子は、メインクーンとしてはあまり大きくなれなかった。
メインクーンの成長が止まるまで三年ほど。その間、血便を伴う下痢を何度もくり返し、体質に合う処方食が見つかるまで一年かかった。
ベスト体重は6.4kgの、男の子にしては小さなメインクーンになった。
ただ、私の猫はとても朗らかだった。
と積極的に会いに来てくれる人もいた。
7歳の時にアレルギーが改善したのは幸いだったと思う。アレルゲンの除去療法に成功したのだと思うけれど、詳細は医学系の情報をあたっていただきたい。
10年生きればいい、と言われた猫は、13歳になった。免疫力が落ちてきたのか、鼻炎で鼻水を垂らすようになったけれど、月に一回の通院で点鼻治療を続けた。獣医が言うには加齢によるものだから、対症療法しかないとのことだった。
13歳になったある夜のこと、帰宅すると猫が倒れていた。体温が下がり、呼吸は荒く、今にもしんでしまいそうな様子だった。
近所のかかりつけ医に連れて行くか、救急病院に連れて行くか、それとも家でこのまま看取るか、悩んだのは10分くらいのことだった。
私は猫をキャリーバッグに詰め込んで、タクシーに飛び乗っていた。
朝まで元気だった。食事を少し残したことが気になったけれど、それだけだ。わけもわからず失いたくなかった。
向かったのは、夜間診療もしている以前のかかりつけ医だった。引っ越しして何年も経つが、カルテが残っていた。
タクシーの中から電話をしたので、急患として即座に処置を行ってくれた。電話を聞いて急いでくれたタクシーの運転手さんにも、病院スタッフの皆さんにも、その間待ってくださった他の患畜の皆さんにも、感謝している。
原因はわからないが肺に水が溜まっている、無気肺を起こしている、心臓が肥大している、明日はないかもしれない、そのようなことを言われた。
今夜が峠ですってやつだな、と頭のどこかで考えていた。原因がわからない以上、治療のしようもなく、とにかく今晩頼んで帰宅した。
妹猫が、不安そうに待っていた。抱きしめて泣いた。
ほとんど眠ることができず、翌朝病院が開くのと同時に向かった。酸素ハウスの中で猫は、ぐったりと寝ていた。声をかけて触ると、目だけでこちらを見た。
猫は三日間何も口にせず、病院に許可を取って自宅からフードを持参した。四日目の朝だ。朝ごはんを完食したとうれしそうに看護師さんが教えてくれた。猫は酸素ハウスの中で座って、帰りたいと鳴いた。
どこかで見た記憶を頼りに、ペット用の酸素ハウスをレンタルして、自宅で看取ると連れて帰った。猫はなかなか酸素ハウスに入ってくれなかったけれど、その間は酸素マスクをそばに置いた。明日にもしぬかもしれない猫を、無理矢理ハウスに入れるつもりはなかった。
毎日好きなものを食べさせた。後にいうちゅ~る食べ放題まつりだ。
内服薬だけはと飲ませながら、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月。酸素ハウスを返却した。猫は普通に歩いていた。
猫の中で何がおこっているんだろうと、もう一度病院へ連れて行った。色々と再検査をし、二回目のCTを撮った。前回の入院で右の肺は半分ほど潰れてしまっており、心臓が肥大していた。
「あのあと他の先生たちにも聞いてみたんです。猫ちゃんは重症喘息による無気肺です。あの時は肺炎が合併してああなったんでしょう。また繰り返す可能性はあります」
うちの猫が喘息だったなんて、全く気づかなかった。鼻水を垂らしてくしゃみをしている、と思ったのは咳だった。それと知ってから注意して見ると、くしゃみをする時と、咳をする時があった。喘息の治療をすべきだったのに放置していたことを、深く後悔した。
近所のかかりつけ医は信用できないと、遠くの病院まで月に一回ほど通うことになった。そんな生活を7ヶ月ほど続けた。
ある時、帰りのタクシーの中で猫が粗相をしてしまった。ペットシーツのおかげで大事には至らなかったが、粗相するほど我慢させたことが申し訳なくて、近所に開院した別の病院に連れて行った。
その頃猫はまた鼻水を垂らすようになっていた。それから右目だけ瞬膜が出るようになっていた。年を取ると瞬膜が出っぱなしになりやすいというが、右目だけ? と少し気になっていた。
これまでの経過を聞いた先生も、それが気になると言っていた。ひとまず二週間分の喘息の薬をもらって、信頼できそうな先生だと安心した。
二週間後、先生が言った。
「顔の右側が腫れてきている。鼻の悪性リンパ腫の可能性があります」
そうか、と思った。ショックもあったが、もしかしたら、と思っていたからだ。
「すごく腫れます。ぼこぉって変形してくると思います。最後は悪液質で亡くなることになります」
私の猫は片肺の13歳だ。抗がん剤の治療には耐えられないと判断して、ステロイドによる治療を選択した。
けれど腫瘍を抑えることはできなかった。ステロイドを増やしても、どんどん腫れるばかりだった。
25mg/日を10日間内服させて、それでも腫れが進行していた。鼻血と浸出液で、可愛かった顔は汚れるばかり。けれど拭かせてくれなかった。
ステロイド25mgは5錠になる。朝3錠、夜2錠。追加して抗生剤が半錠ずつ。
苦しみながら飲む猫に、私は治療の中止を選択した。自己満足にしか思えなかった。
薬剤性の高血糖で血糖測定やインスリンもしていたが、全てやめた。
ごはんを食べて、寝る。そんな穏やかな生活は、5日しか続かなかった。
鼻からは鼻血、口からはよだれが大量に出るようになり、ペットシーツが欠かせなくなった。それでも気を抜けば部屋のどこかが血だらけになっていた。
カリカリを食べなくなった。ウェットなら食べてくれたのも2日ほどだった。それからはちゅ~るしか受け付けなくなり、ちゅ~るさえ食べない日もあった。
視神経が圧迫されたのか、目が見えなくなった。突然の全盲であちこちぶつかりながら、恐恐歩くのが可哀想でベッドの上を区切ったらそこで眠るようになった。
トイレにいけなくなった。連れて行くとおしっこはするときもあったが、どんなに踏ん張ってもうんちは出せないようだった。
2週間が経った。
ちゅ~るも食べなくなった。食べられなくなった。
最初は食べようとしたけれど、ひどくむせて鼻からも口からも出血する。鼻と口が繋がってしまったようだった。そのうち猫は食べることを諦めた。
当然水も受け付けない。脱水がひどくなり、あれほど出ていた鼻血も浸出液もピタリと止まった。
このまま家で見ていても、数日で亡くなるだろうと思った。
けれど、体の置き場がないとフラフラになりながら寝返りする姿や、一箇所でぐるぐると回る姿、とうとうベッドの上でおもらしして自分でショックを受けている姿を見て、安楽死を考えるようになった。
別れたくない。悲しい。寂しい。
それと同じくらい、楽にしてあげたい。
戻れないことはわかっていた。朗らかで、やんちゃで、甘えて鳴いてばかりのあの子はもう戻ってこない。
自分だったらどうだろう。ガンの痛みに苛まれて、目が見えなくなって、鼻からも口からも色々な体液が出て、お腹が空いても食べることができなくて、そして今は脱水症状に苦しんでいる。
動物病院に状況を報告した。安楽死も選択のひとつだと思うと先生は言った。
苦しみの合間、眠っている猫を見て思った。
この子は命日が決まってるんだな。
苦しんで鳴く猫を撫でて、体をトントンして、そうすると猫は15分くらい寝る。それからまた起きて苦しむ。
愛しさと諦めが交互にやってきた。
行きたくないと言って泣いた。ずっと一緒にいたい。家で最期まで看取りたい。
猫は眠る時間が少し長くなったように思った。昏睡に近かったのだと思う。
やっぱりやめようか、と言ったのは予約時間5分前だ。
猫は起きて、苦しそうに叫んだ。
看取りたいというのは自分のエゴだと思った。泣きながら猫をキャリーに入れて、病院へ連れて行った。
病院は昼休みだった。着いたときから先生も看護師さんも泣いていた。おとなしい猫のことを、かわいいかわいいと言って撫でてくれた人たち。
点滴の針を刺す。処置室へ移動する。気が済むまで二人で、と先生たちは出て行った。たくさん話しかけてあげて、と。
けれど、声を出したら号泣してしまいそうで、やっぱりやめると言ってしまいそうで、囁くように「いいこ」「ありがとう」とくり返していた。
猫はぐったり寝ていたけれど、起きて、また鳴いた。苦しい、と。
顔を出した先生に、私は言った。
「お願いします」
病院がきらいな子ではなかったけれど、一番好きなのは家に決まっている。
最初に繋がれたのは麻酔薬だった。プロポフォールだと思う。しみる薬剤だから、薬が入る時、猫は苦しそうに泣いた。前投薬をお願いしなかった私のミスだ。
数十秒で猫は眠って、呼吸が浅くなった。
そのあとに二種類入ったけれど、そちらが何だったのかはわからない。猫は呼吸が止まり、心拍が止まった。
二人とも号泣しながら、とりとめもなく話をした。
先生は、前は安楽死に反対していたけれど、自分の猫の時に限界まで頑張らせてしまって、後悔してからは賛成していると言っていた。
「やさしい選択をなさいましたね。いいおねえちゃんでよかったね」
先生は私も、猫も褒めてくれた。
帰ったらお風呂に入れてあげるといいと言われて、本当はもう何も本人の嫌なことはしたくなかったけれど、少し悩んで体を洗った。
たっぷりとシャンプー、リンスを使って、血の塊やこびりついていたおしっこを全部洗い流した。
体を拭いて一番涼しい部屋に連れて行くと、留守番していた妹猫が不安そうにしていた。
帰ってきた兄猫、もう呼吸の止まっている兄猫、私を見て、鳴いた。
「どうして」
体を乾かして、耳や口に脱脂綿を詰める姿を妹猫はじっと見ていた。
すべての処置が終わって、ダンボールに入った兄猫のところにもう一度行って、悲しそうに見ていた。
猫が"死"を理解しているのかはわからないけれど、どんどん具合が悪くなる兄猫が妹猫の相手をしなくなって、苦しそうにしている姿をずっと見ていた。
「もう大丈夫だよ」
妹猫を撫でて、一緒に寝た。兄猫のように朝まで一緒にはいてくれなかった。
猫が生きている間に葬儀社を見繕ったり、アイスノンの用意をしたり、体が収まるサイズのダンボール箱を用意したりするのはつらかった。
でも、しておいてよかったと思う。きちんと見送ってあげることができたから。
鼻血や浸出液の塊を洗い落とした猫の顔は、やっぱり私にとって世界一かわいかったけれど、同時に諦めがつくほどに哀れだった。
大きくなった腫瘍が鼻の穴を塞ぎ、裂いて、口の中まで入り込んでいた。
処置をしなくてもあと2~3日だっただろう。
けれど、その2~3日あとには更に腫瘍が広がっていただろう。
どれほど頑張ってくれたのかわかって、うれしかったし、ありがたかった。
姉が言った。
「いっぱい愛してもらったね」
そう。猫に愛されていたのは、私だった。
安楽死を悩んだ時、はてな匿名ダイアリーの記事がとても参考になった。
自分のペットに対して安楽死を選択したことは、あまり口にできないことだと思う。
それから、鼻腔内腫瘍、鼻の悪性リンパ腫の転機についても可能な限り詳細に記した。
目に見える病気はつらい。これからどうなるんだろう、最後はどうなるんだろう。調べてもわからなかった。
もちろん、早期から悪液質になり、眠るように息を引き取る子もいるとは思う。
ただ、私にはそういう例が見つけられなかった。
ペットロスに関しても、亡くなる前の方がキツかった。
対処法を調べても亡くなったあとのことばかりで、毎日毎分生きてるか不安に思いながら涙する感情に対処する方法は見つからなかった。
結論から言うと、どうにもならない。だからどこにも書いていないのかもしれない。
とりあえずいつでも仕事をやめられるように貯蓄に励むといいと思う。かけられる人は不労保険とかもかけたらいいんじゃないかな。
自分に関して言えば、家で付き添うようになってからの方が不安は少なかった。
4日間の入院で15万円ほどかかった。
薬代が月に1.5万円~3.5万円。
CTが4万円。
もっともこれはミニマムな治療だった。良心的な動物病院だった。
抗がん剤を使っていたら、入院が長期に渡っていたら、考えるとキリがない。
これはもう、べきとか、なるべくとかではなく、事実として。
最低賃金上がればいいのに。
いつかどこかの誰かと猫の、役に立ちますように。
「twitterで感想を見かけたよ」と友達が教えてくれたので、検索して全部読んだ。
自己満足と、もし検索に引っかかればって気持ちで書いた乱文に、たくさんの言葉をありがとう。とてもうれしかった。
今でも歩いている時に何の前触れもなく涙が出たりするけれど、愛の量だと思ってる。
安心してるんだ。もう苦しんでいないって。
でも、私の帰りを待っていることはないって、それがどうしようもなく悲しいんだ。
話が複雑になるので詳細は省いたけれど、妹猫の話を少ししようと思う。
今回記事に書いたメインクーンが超絶寂しがり屋で、一頭飼いしてたら精神的におかしくなってしまったので、保護猫だった年上の女の子に来てもらったのが最初(便宜上姉猫)。
姉猫は10歳で先立ってしまった。その時も色々あったけれど、今回は触れない。
姉猫が亡くなってしばらくはメインクーン一頭飼いだったけど、やっぱり寂しかったみたいで、妹猫に来てもらった。
飼いたくてメインクーンを選んだけれど、飼ってみたらあんまりに愛しくて、猫のことを色々調べるようになって、保護猫問題やペットショップの不適切販売を知ったんだよね。
私は安易に猫を飼いはじめてしまったけれど、だからこそ2匹目は保護猫って決めてた。
妹猫は兄としてメインクーンを慕ってくれて、本当に仲が良くて、その姿は癒やしだった。
その時に弟猫だったメインクーンは、兄猫になったんだ。
妹猫は寂しそうだし、悲しそうにしてる。人間と同じように、悲しみを抱いて生きてくんだと思う。
「別れがつらいから二度と飼えない」って人に伝えたいことがあるんだ。
姉猫が逝った時、もういいかなって私も思った。兄猫が寂しがらなかったら、妹猫は来てなかった。
それは、亡くなったあとも、思い出が増えていくってこと。
妹猫を見て、姉猫はああだったな、こうだったな、って思い出すことが増えた。
最初はちょっとつらかったり、姉猫と妹猫を比べるようで申し訳なくなったりしたんだけど、すぐに違うなって気付いた。
妹猫を通じて、姉猫の思い出がどんどんやさしいものに変わっていった。当たり前だった記憶のひとつひとつが、キラキラ色づくようだった。
亡くなったあとも姉猫を愛しく思う気持ちはずっと続いていた。
兄猫がさみしがらなければ、妹猫が来てくれなければ、知らなかったこと。
きっとこれは、新しい子を迎えるつもりはなかったのに迎えることになったから気付けたことだったので、共有しとく。
別れはつらいけれど、悲しいし寂しいけれど、次の出会いを恐れる必要はないと思うよ。
いつかあなたが、愛し愛される家族とまた暮らすことができますように。
世界一をひとつしか持っちゃいけないって誰が決めたんだ。少なくとも私の辞書にはないな。
生きててくれるだけでよかった。逝ってしまっても愛してる。
あとな、創作って言ってた人な。
創作だったらいいな。
そしたらきっと今頃、どの子もうちで伸び伸び寝てて、パソコンに向かってる私のところに兄猫あたりが飛び込んでくる。
ずっとずっと愛してるよ。
ところでなんで増田なのか(あとでぐぐっとく)
(追記2月4日: https://anond.hatelabo.jp/20180204023951 レースクイーン業界闇深4にて詳しい写真付きの記事をうpしました )
何万人もの前でランウェイしたりお話ししたり撮影したり、笑顔で立ち続けるているのにやはりど緊張します。
緊張を解くため、そしてとにかく痩せる為です!
サーキット場の女子トイレの個室、VIPルーム、待機するワゴン車の中、宿泊先の部屋で、、、
・ケタミン→一番人気。象の麻酔薬で嘔吐の作用があり痩せるに最適。
・大麻→太っちゃうから食べてはひたすら吐く。過食拒食持ちの子が良くやる。匂いもきついし、見た目も明らかに変わるためサーキット場ではご法度。
・赤玉→以前処方薬だったエリミン錠。ケタミンの次に人気。気分が高揚し最高の笑顔を提供できる。
・処方薬→メンヘラに出されるデパス等をフリスクケースに入れ替えてラムネ感覚でぽりぽり食べる。
・覚せい剤→とにかく痩せるため、苦みがあるため服用はできません。手を出した子は大体疎遠になっていく。
私もサーキットのガラス部屋で過去に同僚のレースクイーンとスニッてしまったことがあります。
ショーのバックヤードで同僚と赤玉飲んでにこやかに、ヘアメイクをしてもらったことがあります。
パキパキノリノリか精神安定剤を大量に服用し夢心地でステージに立つわけです。
一番私がサーキット場でコイツパキパキやん?て思ったコは、関西出身で美人さんの子。
デビュー当初からタトゥーが腕に入ってて(ご法度)、デリヘルで働いてたのがバレて業界全体から後ろ指を刺されていました。
後に覚せい剤所持使用でニュースになっていてあーやっぱ様子おかしかったもんな〜って納得。
https://allabout.co.jp/gm/gc/201487/
https://ameblo.jp/growuplife319/entry-11092177522.html
有名どころで高島玲子の元旦那高知東生と一緒に捕まったアツコさん(五十川敦子さん)。
彼女はF1のレースクイーンでした。着ているコスチュームをみて貰えればお察しいただけますよね。
http://secrettalk.me/talk/2303
私はゲートウェイが芸能プロダクションの社長と、お付き合いしていた男性でした。
スポンサー接待のお食事の前に事務所の女の子たちが大体5人から10人を集めた席から始まります。
まず、全員立たされてて一列に並びます。
社長お前はOK、お前は太めだから今日は一口も食うなど精査されていきます。
最初のうちはサノレックス、ゼニカルなどの食欲抑制剤を渡されていつのまにか、千円札筒状に丸めて鼻から吸引するものになっていたパターンです。
スポンサーのほかにも政治家や編集部、記者、音楽メーカーの接待があります。
盛り上げるためにいろんな芸能人も呼ばれるんですね。
これは第3弾で書きたいと思います。
問題は「何の為に生きるのか」ではなく、「死ぬまでに何をしたいのか」だよ。
私達はゆるやかに滑落している。にも関わらず、その事実をまったく見ないふり。
明日突然転げ落ちるかもしれないのに、その時に惜しいと思ったって遅いのに。
「何の為に生きるのか」だって? 笑えちゃう。何もかもから目を逸らすに足るおためごかしを探す為だろう、まったく。何なんだおまえらは! 私もだけど。
何を成したら満足に死ねるの? 教えて、お爺さんお婆さん。いま満足してる?
痴呆とかいう自然の麻酔薬が過不足なく働いてくれることを願うとともに、そんなのはまっぴら御免だね。
明晰さを失うために毎日鏡を見ながらぶりっ子めいた振り付けで、「うーんこ」とか「ちーんちん☆」とか猫撫で声あげればいいのか? 自己を変革していくということ。現実を現実と思わない暮らしを実現するということ。
最近のスマホゲーム(美少女ゲー?)はサービス終了したのちもアプリを開きゃあ往時の記録だったり、かつて入手したキャラクターを閲覧できるらしいね。
まったく思いもしないところから、完璧な死のあり方が提示されたなって思ったよ。
どうだ? 何かを成し遂げたとして、死んだあと、ちょっと大きくなった子供が宝物の石を愛で愛で撫でさするように楽しみ返せるとすれば、「死ぬまでに何をしたいのか」の問いに各々答えが出せるだろうよ。
死後の世界で話の種にしたいね。社会に働きかけたやつもいれば、ほんの自分の周りにだけ関わって、それで終わりってやつもいるだろう。でも誰だってそいつなりに時間を重ねてきた、比べようのない価値がある。いや、しかし殺人者はどうすればいい? あの世にも法と正義が敷設されていることを祈るか、または祈らない人達もいるだろうな。
はーーーーー。アホらし。アホらし。
結局人間的価値観。死後の世界が人間だけのものでないのなら、動物は人間に苦痛を与える権利を得て然るべきよ。そしてどんな人間法も適用されない人間地獄であるべき。
世に憚る宗教幻想、死後幻想の救いがたき愚かさ。そしてそれらをフィクションとして寛容に受け止められない私の愚かさ。
オラ死にたくねえ。人間の文化、価値観、七割がた大好きだ。もっともっと人間の先行きを眺めていたい。そうでなけりゃ馬鹿になりてえ。
自分の周りってピアスホール開けてる人半分以下なんだけど、半年くらい前にあけてみた。
開けてよかった!!の一言に尽きる
・痛くないの?
→自分は皮膚科に行って塗るタイプの麻酔薬使って開けてもらった。開ける瞬間はほとんど痛くない。むしろ、開ける前にピアッサーを固定されてるときの圧迫の方が痛かった。その日の夕方少しだけ耳が痛かったけど、イヤリング一日中つけてた日の夜の痛みと同じ程度の痛み。それ以降全くなし。
・イヤリングでよくない?
→いろんなタイプのイヤリングとかイヤーカフとか色々試してみたけど、もれなく夕方になると耳の痛み+頭痛に襲われていたのがなくなった。これ最高。
イヤリング使ってた時代は、痛くなることを考えるとなんでもない日につけるなんてとんでもない!って感じだったけど、今では毎日色々付け替えて楽しんでる。ピアス選び楽しい。
・金かからない?
→自分は前述の通り皮膚科で開けてもらったのだけど、両耳麻酔つきで6000円だった。耳の痛みから解放されることを考えたら安すぎる。ただし、頻繁にいろんなピアスをつけるようになったので結果として支出が増えた。
まあ自分の研究の立場を肯定したいってそういう特殊な場合はあるかもだけど。
そういう、自分が一切関わらないレベルでの議論みたいなのをやったことが無い人は、感情論がまったく入らない議論ってのを理解できないんだろうかってフト思った。
そういう話の仕方って学んでない人には本当に無理なんだろうなって思う。
だからこそ、「事実と意見をわける」みたいなまともな話したことあれば当たり前にしか思えないことでも徹底的に仕込まれる人種がいる。
増田とか2chを見ていると、そういう感情抜きの話ができないというか。
そういう人種が多いんだなってなる。
どうしてそういう人種になるのかが理解できないけど、多分そうなんだろうな。
(二つ略)
例の女子医大事件で、朝日新聞の記事に「プロポフォールは小児の死亡例が海外で報告され、代わりの麻酔薬を使うのが一般的とされる。」とあったのだが、そうだったっけか?と思って調べてみた。
結果としては、3歳以上への麻酔導入・2ヶ月以上への麻酔維持はよいが、アメリカでもICUでの小児への長期投与は推奨されていなかった。
勉強になりました。
ここは分けて考えるべきだと思われる。そして今回の事件はICUでの長期投与だから、やはりダメなケースだと考えられる。
ただ、「これまで63人に投与し・・・」については、もちろん日本の行政上は禁止行為なわけだけれど、純粋に医療として考えた場合、それが世界的には適切な麻酔維持・導入への使用だったのか、それとも今回の件のように危険なICUでの維持使用であったのかはわけて考えたほうが良いように思った。