はてなキーワード: 法と正義とは
問題は「何の為に生きるのか」ではなく、「死ぬまでに何をしたいのか」だよ。
私達はゆるやかに滑落している。にも関わらず、その事実をまったく見ないふり。
明日突然転げ落ちるかもしれないのに、その時に惜しいと思ったって遅いのに。
「何の為に生きるのか」だって? 笑えちゃう。何もかもから目を逸らすに足るおためごかしを探す為だろう、まったく。何なんだおまえらは! 私もだけど。
何を成したら満足に死ねるの? 教えて、お爺さんお婆さん。いま満足してる?
痴呆とかいう自然の麻酔薬が過不足なく働いてくれることを願うとともに、そんなのはまっぴら御免だね。
明晰さを失うために毎日鏡を見ながらぶりっ子めいた振り付けで、「うーんこ」とか「ちーんちん☆」とか猫撫で声あげればいいのか? 自己を変革していくということ。現実を現実と思わない暮らしを実現するということ。
最近のスマホゲーム(美少女ゲー?)はサービス終了したのちもアプリを開きゃあ往時の記録だったり、かつて入手したキャラクターを閲覧できるらしいね。
まったく思いもしないところから、完璧な死のあり方が提示されたなって思ったよ。
どうだ? 何かを成し遂げたとして、死んだあと、ちょっと大きくなった子供が宝物の石を愛で愛で撫でさするように楽しみ返せるとすれば、「死ぬまでに何をしたいのか」の問いに各々答えが出せるだろうよ。
死後の世界で話の種にしたいね。社会に働きかけたやつもいれば、ほんの自分の周りにだけ関わって、それで終わりってやつもいるだろう。でも誰だってそいつなりに時間を重ねてきた、比べようのない価値がある。いや、しかし殺人者はどうすればいい? あの世にも法と正義が敷設されていることを祈るか、または祈らない人達もいるだろうな。
はーーーーー。アホらし。アホらし。
結局人間的価値観。死後の世界が人間だけのものでないのなら、動物は人間に苦痛を与える権利を得て然るべきよ。そしてどんな人間法も適用されない人間地獄であるべき。
世に憚る宗教幻想、死後幻想の救いがたき愚かさ。そしてそれらをフィクションとして寛容に受け止められない私の愚かさ。
オラ死にたくねえ。人間の文化、価値観、七割がた大好きだ。もっともっと人間の先行きを眺めていたい。そうでなけりゃ馬鹿になりてえ。