はてなキーワード: 震災とは
加えて自分が普段している対応をプライベートでされた時に許してるとも思えないし
公 務 員 「震災でXXが故障しました。特別無償対応すると聞いたのですが」
公務員「では買い直そうと思います。取り扱い店教えてください」
公務員「せめて目安だけでも教えて貰えませんか?」
対応員「さぁ?」
まぁ絶対許さんでしょ
立つ鳥跡を汚さずだろうね
平時から精神状態悪くて抵抗力なさそうなのはコロナで入院か死んだんだろうな
震災で何人死んだかカウントするコピペを311以降一切見なくなって東北民は人間性に問題があると確信して以降の3度目の核心だった
社会人に一応なって1ヶ月が経ったいま考えていること。
この記録を残すのはまず、歴史の教科書に載るような大変化がいま起っているのが確実であり、その変化の渦中にいた自分の考え、当時の生活を、あとから振り返ることができる手がかりを残したいと思ったから。この背景には、東日本大震災の時に、自分が日記などをつけていなかったせいで当時の自分と自分を取り巻く状況についての主観的な情報を確認する手段が、曖昧な記憶を辿る以外になく、勿体無かったと感じたことがある。東日本に関しては、震災を機に自分の中の価値観が大きく変わったという人をこれまでに少なく無い数見てきたが、自分にはそうした変化は見られなかった。直接の被害を受けていない地域に住んでいたこと、当時まだ高校生と若かったこともあるが、社会の状況が自分の核になる部分に影響を与えるということのイメージ自体がうまくわかなかった。そしてそれは今も変わっていない。
コロナウイルスの起こした混乱で、2020/5/5の現在は多くの人が不安を抱えている状況で、
緊急事態宣言の期間が延長されたこともあって、不安が絶望に変わった人も少なく無いと思う。
自分が就職した会社ももちろんダメージがあるが、ここ数ヶ月のうちに会社がつぶれたり解雇される社員が出たりという状況にはならない。
接触を8割減らせ命令に従っていることもあり、自分の部署はだいたい週一出社くらいになっている。
当初予定されていた集合研修は中止になったし、歓迎会も一度も開かれていない。というか同じ部署の人ですらまだ全員に全然会えていない。
業務内容の説明なども大して受けないまま、部署に配属されたり、研修やその後の飲み会で同期や先輩たちと仲を深めることができていない状況をさして、社内で会う人会う人に「大変だったね」「かわいそうだ」などと言われるけど、自分にとってはこの状況は幸運以外のなにものでもない。
嫌なんてものじゃなく、恐怖だった。
社交不安障害を抱えている自分にとって、人が多く集まるようないわゆる普通のオフィスでの仕事は苦痛そのものだから。
うつ状態が加速すること、体調が悪化することがほぼ確だと思っていたし、そうした思いの中、入社までのカウントダウンの日々を過ごしていた自分には
絶望しかなかった。自分に明らかに合っていない会社で働くこと、そして現状の日本の会社のほとんどが自分に合ってないことそうした確実な未来から目を背けてモラトリアムの終わりをかみしめていた。
街を歩くと三密業態の店は軒並みシャッターを下ろしているし、身の回りでも明らかにダメージを受けてる人が多くてみんな本当にきついと思うんだけど、自分にとっては今回のコロナ禍は本当ありえないレベルの僥倖だ。人生最大の絶望が、歴史的感染症流行によって救われている。執行猶予を与えられている。
この状況が続けば、というかもうすでに大不況確定だろうし自分の給料も前予想していたみたいには上がらないんだろうけど、そうでなくても自分はどうせ社会人として長く持たないだろうという諦めを持っていたから社会がパニックに陥ってもそれと連動して自分も不安や恐怖を感じたりしない。ある意味、社会から切り離された無敵の人に近い状態だ。
自分は就職が本当に嫌だった。大学生という時間に余裕のある身分でなくなることもかなりきついが、なにより自分個人が抱えている問題によるところが大きい。
じぶんは恐らく社交不安障害だ。人が多く集まる場に長時間拘束されることや、たとえ一対一でも他人と長時間一緒にいることがきつい。
不自由さが精神的にきついということもあるが体に症状が出てしまう。具体的にはお腹が張ったり鳴ったり、下痢が止まらなくなったりだ。
他にも症状の出方はいろいろある。声が震えたりとか。体臭が気になるとか。
どれか一つだけでもQOLは大きく低下するけどそれらのダブルパンチどころかトリプル以上のパンチを食らっている。
こうした症状が出やすい場面を避けることでなんとか生活できているけど、逆に言えば苦しみを回避するために行動の幅が、人生の幅が大きく狭まっている。
大学の横並びの長机の真ん中の席なんかは座れない。教授から、そこ詰めるように、なんて言われた日には結局すぐに耐えられなくなって
症状それぞれに一応対処法はあって、具体的には病院でもらった薬を飲んだり、生活上気をつけるように言われていることをきちんと実行して、その効果の様子を見て一喜一憂している。
でも確実なのは、人目を気にしてしまうことが症状の根本的な原因になっているということだ。
匂いを完全に吸収して外に出さないパンツを履いたり、最高に合う薬を見つけても根本解決にはならない。
こうした社交不安障害の症状にはさまざまなものがあるけど、すでにこの障害を抱えている者にとって不都合な現実として存在するのが、一度こうした症状を抱えると、ほかの分野にもそれが飛び火してしまう可能性が高いということだ。いまは大丈夫でも、自分もいつか他の人が苦しんでいるような症状で新たに苦しむようになる可能性はゼロではない。実際、自分も思春期に発症して以来、この手の厄介な症状はその発生分野が広くなっている。中にはほとんど気にならないようになたものもあるけど、逆に前は平気でできていたことができなくなったりもする。
自分のこの問題を考えれば、就活の段階で明らかにいわゆる三密の職場は避けるべきだった。
でも大企業のホワイトカラーの多くは結局一部を除いて三密のオフィスで働いている状況で、時差出勤とかリモートが定着している会社は意識の高い人が多く、それはそれで自分に合わなかった。
就活の時期に精神的に萎えていた自分は結局普通に良さげな大きな会社をいくつかうけて、受かってしまうとそこが自分に向いてないと分かっていながら就活をやめてしまった。
早いうちに買っとけという情報はもらってたけど甘く見ていたら手遅れだった。
おかげで注文後一月待ちで割高の通販マスクを買う羽目になった。まあ来たからいいけど。
・体温計買っとかなかったこと。
まあそのうち流通しだすと思うけど今はなかなか手に入らない。
なんせこんなにうちにいる想定はないからな。10万給付のうちの一部は私服代に飛んでいくだろう。
マスクで痛い目にあったときに次はこれだとなってたので慌てて通販で2セット追加購入した。
今は並んでるし別に無理して買わなくても多分足りたがあそこで買っといたので足りない心配は全くなく気は楽だった。
割とぎりぎりのタイミングだった。そのあとテレワーク特需で値上がりしだした。
コロナ離婚はないし給料が低いだの残業代なくなり給料減ってるだので責められないのほんと楽。
今は混乱時ほど身軽が一番と思う。ぶっちゃけ震災時も思ったことだけど。
・マスクせずに走ってるやつとかマスクせずに大声で話してるバカップルバカ親子とかむかつく。コロナ移す気かよと。
・偏食気味なのは全く否定できない。野菜納豆魚は高くても買って食べているけども間食が多くなる。運動不足気味なのも否定できない。
普段買ってねえくせにこういう時だけ買うなよとここ数年毎日常に納豆食ってる人間として思う。あれ買いだめもしづらいし。
・たまに事情で通勤することがあるがむしろそこで心が休まること。
通勤すること自体も(今は時間外せば人がほぼいないため満員電車がないこともあり気楽)そうだが、
会社のほうが近くに弁当屋や外食屋の弁当販売たくさんあって昼飯いろいろ選べていい気晴らしになるんだわ…。
・仕事の納期はおそらくそのままであること。(完成はするが肝心の客先がほぼコロナで止まってて準備できてねえのにまじでリリースすんのか)
・金銭的には数年はどうにかなるとはいえ、状況自体今後どうなるかわからないし読めないから不安はある。(まあそれがわかる奴なんていないだろうけど)
そうなんだよ。
SMAPがいた頃、各分野のトップクラスで活躍する5人がソフトバンクのCMとSMAPXSMAPで集結すると、なんとも言えないゴージャス感があった。
子供からお爺さんお婆さんまで知っている。あらゆる層への訴求力持っているのなんて彼らぐらいしかいなかったもの。
まあ今の10代とかはSMAPとかいっても「誰、このおじさん」て感じだろうけど。
でも嵐だとやっぱ弱いかなあ。
この世界的な災厄の時に、今またSMAPが集結してテレビの前に立ってくれたら。
キムタクがサーファーに自粛を呼びかけて、慎吾がアーティストや美術館を応援して、吾郎が家飲みにオススメのワインや映画を紹介して。
剛のぷっすまもみたい。家でできる楽しくてくだらないことをユースケと江頭と紹介してほしい。
頑張って乗り越えていけそうな気がするんだ。
マッキー、頑張って欲しい。
槇原ファンです。
東日本大震災のときは、こう言うと被災地の人には悪いんだけど、何もなきゃ一生知られずに終わっていったような町が、震災である意味注目されたし、ゼロベースでまちづくりができるというポジティブな点があった。
さびれた商店街は終わり、新しい商業施設が誕生して町の経済は生まれ変わった。しかも有名な建築家付き。
マイナスもあったけど考えようによってはプラスとも言える訳だよね。
でもコロナは何を齎すか?
上がり目がない。
東日本大震災を見るとわかるように、完全に崩壊すれば再構築がしやすい。
テレワークも進んだようで進んでいない。コロナがおさまれば元どおりに戻る感がすごい。
コロナで町が潰れるか?
衛生意識が上がるだけで終わりそう。
マスクなんていう、なんの応用も効かない物品の市場が大きくなるだけだ。
震災の後は、被災地の再建・復興が盛り上がるってワクワク感があったよね。
俺だ俺だとみんなが名乗りを上げた。
コロナはなあ。
でもそれってすでに市場にあるものに付加価値も付けずに再販売してるだけだから、発展性がないんだよね。
国家公務員だから普段使ってるSNSで言えないけど、このような気配をムンムン感じる
やはり全般的に事業仕分けに代表されるように、口やパフォーマンスだけで実行力に欠けてたのがやばかったな。政権なのに政治が実行できない
日本の政権は支持者でない人にとって常に悪夢だし史上最低の内閣とされるからな
野田首相の時は調整役というか前任者や震災の尻拭いを上手いことしてたように思うかな
菅直人の時はコロナで大騒ぎになってる今みたいなもので、災害の問題だったのか政治の問題だったのかいまいち判断できないな
鳩山首相は思いのほか早く首相退任した事で能力は察せるし、それより政界引退後の奇行で人としてやばい印象しか皆持ってないだろ
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、緊急事態宣言が全国に発令されてから2週間が経ちます。
宣言を受け、世の中の動きが変わったのは言うまでもありませんが、感染拡大が懸念され市場から一気にマスクが消えはじめたのは1月下旬頃でした。
僕たちは随分と長くこの事態と戦っているのです。
現在、東京都に比べると、宮城県の感染者は圧倒的に少ないですが、油断はできない状況です。
「自分が感染して、家族や恋人、友人など身近な人にうつしてしまったらどうしよう。」
「マスクが手に入らないのに、マスクを付けずに出かけたら村八分になるのではないか」
たとえ、居住の地域に感染者が少なかったとしても、多くの人が不安を募らせ、平穏な生活を奪われています。
みんなの命を守るため、一人ひとりが活動を自粛し、社会を維持することは大切なことなんだと思います。
ただ少し、息苦しいですよね。
心が強い人は自分に大丈夫って言い聞かせてて、平気そうに見えるかもしれないけど、
それでもどこかで、きっと息苦しさを感じているんです。
そもそも、世の中、強い人ばかりじゃない。社会を構成しているのは圧倒的に弱い人たちです。
ときは遡って、原始時代。そこでは、僕たちの祖先は肉食獣に捕食される“弱者”でした。
しかし実は、その逆境こそが、仲間と協力する集団の力を生み、人類を進化させました。
そんな僕たちは今、命を守るために「Stay Home」の掛け声で様々な行動が制限されています。
先にも書いた通り、人の本質は集団の力であり、人と人とのつながりです。
それぞれが活動を自粛し、命を守ることと同じくらい、人と人とのつながりを断ってはいけないのです。
スタッフの皆さん、これまで、対面してきた相手が今、どんな状況になっているか想像してみましょう。
今回のウイルスは、目に見えにくいかもしれないけれど、あの日の震災と同じくらい、僕たちから多くのものを奪っています。
中には、震災よりつらいって感じている人もいるかもしれません。彼らが今、どんな息苦しさを感じていて、どんな願いを持っているのか、小さな声を拾いましょう。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、緊急事態宣言が全国に発令されてから2週間が経ちます。
宣言を受け、世の中の動きが変わったのは言うまでもありませんが、感染拡大が懸念され市場から一気にマスクが消えはじめたのは1月下旬頃でした。
僕たちは随分と長くこの事態と戦っているのです。
現在、東京都に比べると、宮城県の感染者は圧倒的に少ないですが、油断はできない状況です。
「自分が感染して、家族や恋人、友人など身近な人にうつしてしまったらどうしよう。」
「マスクが手に入らないのに、マスクを付けずに出かけたら村八分になるのではないか」
たとえ、居住の地域に感染者が少なかったとしても、多くの人が不安を募らせ、平穏な生活を奪われています。
みんなの命を守るため、一人ひとりが活動を自粛し、社会を維持することは大切なことなんだと思います。
ただ少し、息苦しいですよね。
心が強い人は自分に大丈夫って言い聞かせてて、平気に見えるかもしれないけど、それでもどこかで、きっと息苦しさを感じているんです。
そもそも、世の中、強い人ばかりじゃない。社会を構成しているのは圧倒的に弱い人たちです。
ときは遡って、原始時代。そこでは、僕たちの祖先は肉食獣に捕食される“弱者”でした。
しかし実は、その逆境こそが、仲間と協力する集団の力を生み、人類を進化させました。
そんな僕たちは今、命を守るために「Stay Home」の掛け声で様々な行動が制限されています。
先にも書いた通り、人の本質は集団の力であり、人と人とのつながりです。
それぞれが活動を自粛し、命を守ることと同じくらい、人と人とのつながりを断ってはいけないのです。
【スタッフへ】
これまで、対面してきた相手が今、どんな状況になっているか想像してみましょう。
今回のウイルスは、目に見えにくいかもしれないけれど、あの日の震災と同じくらい、僕たちから多くのものを奪っています。
中には、震災よりつらいって感じている人もいるかもしれません。彼らが今、どんな息苦しさを感じていて、どんな願いを持っているのか、小さな声を拾いましょう。
なんか震災の時も、今回も、絆だの一致団結だの、国民の皆様のご協力をいただいてだの、
なんで俺がアンタらにご協力を差し上げなきゃならねーんだよ。
俺は野党に投票したんであって、アンタらを支持してねーんだよ。
まあ選挙の結果は結果であって、国民の皆々様の多大なる支援によってアンタらに政権ゆだねる事になったんだから、法律に基づく施政は好きにすりゃいいが、
自主的な行動なんてアテにすんじゃねえ。俺はアンタらを支持してないし、支持すると意思表示した覚えもない。
支持しないという意思表示ならした。
最近の岡村隆史の発言に関する記事へのブコメから”例え”や”言い換え”を文脈から切り離して掲載しています。
語感と使われ方との違和感が大きいなって感じてる。
自粛っていったら、自分から進んで行うことで、社会的な問題に対することでも行動を決定するのは自分の判断によるものだという意思を感じる言葉。
だから自粛要請とか言われたら、要請している側の気持ちを察して行動せよという圧力を感じる言葉になる。
自粛だとあくまで自分の問題だから、社会的な協力体制とは遠い語感になる。
中止協力とか言ったほうがまだ語感が近い。協力は相互的なもので、政治システムとしても、ご近所さんとのつながり的にも、いかにお互いに生き延びていくのかを全摘に考えやすい言葉になると思う。
地震に対する震災のように、関連する影響を踏まえた言い方なのだと思う。訓読みでは「災」は災い」(わざわい)と、「禍」は禍々しい(まがまがしい)と読める。訓読みで読んだ場合、禍のほうが生理的な嫌悪感が強い対象に向けるような言葉に感じる。禍という文字を普段ほとんど使わないから、訓読みの印象に引きづられやすい。
こういう言い方って、誰が言い出して、どうやって定着したんだろうかと気になる。
人に伝わる言い方をしようとしたら人が使っている言い方をすることが必要なんだけれど、その言い方に違和感が残されてるときに困る。
15km/hは自転車くらいの速さで、自転車で2時間かかる距離は30kmくらいある。30kmを2時間かけて来たって言われたら30km/2h、約分して15km/hだから自転車で来たのかな、と思う。地図を見て30kmくらいの道のりであれば自転車で2時間くらいで着くだろう、12時に目的地に着くことを考えて10時に出るのがいいかな、とかそういうことを考える。
または大体の歩行の時速は4km/hだから、徒歩15分で1kmくらいの計算になる。徒歩15分は駅近とは言わない。7.5分くらい、つまり500m圏内であれば駅近と言ったりその分家賃が高かったりする。自分の家から駅までの距離を測るのは面倒だが、大体の速度と時間で距離が分かる。そう計算してると好きな子が最寄駅から徒歩何分かで住んでる範囲が割り出せたりする。または震災等で交通機関がストップした際に会社から家まで何kmあるか知っていれば、例えば10kmであれば
=5×1h÷2
=5h÷2
=2.5h
つまり2時間半で帰れることが分かる。現実は途中で休んだりするからもっとかかるかも知れないけど。
終電逃してタクシー使うのであれば10km÷40km/hで15分くらいで帰れるかも知れない。
他にも歩く速さ4km/hと車の速さ40km/hで速さに10倍の違いがあるから、遅刻しそうな時は徒歩10分かかるところを1分に短縮できるかも知れない、とか(できないけど)。9分を金で買う。
速度は単位にパーという割り算の記号があるからややこしいけど、あるがまま単位ごと一緒くたに計算してしまえばいいんだって私の小学校の先生は言っていた。速度は暗算できる程度の簡単なものでも予定の見通しがつきやすくなるし、距離でなく作業量を分子にしたら仕事の速さとしても使えるし、暗算結果次第では別の手段に切り替えようって判断基準にもなるのでコレハイイモノダ。頑張って身につくといいなと思う。