はてなキーワード: 道徳とは
逆説的だけど、恵まれた環境に置かれた人間のしんどさってあるなって思う。社会制度がどうのとかじゃなく個々人の姿勢の話ね。内的にも対外的にも逃げられる言い訳の無さと言うか。
恵まれなかった人間なら多少弱音を吐いても「かわいそう、仕方なかった」で、頑張れば「あんな境遇からとても偉い」になる。
恵まれた人間が同じ事を言えば「贅沢な悩み」とでも言われて矮小化されがち。例え本人の感じている苦痛が本物だったとしても、まやかしや甘えの扱いを受ける。
全ては自分の意志次第、の自己責任マンは知らん。自分の思想を客観視した上で環境に不平を垂れる人間を見なくてもいいようにしていない、そういう人間を排除する社会へと変えられないお前の自己責任。まあ自分も構造主義より実存主義の方が好きだしあまり強くは言えない。
基準がなければ不満は際限なく増大するから目安として他人の水準を考える、というのも分からんでもないけど。にしても上はいるし。
もっと辛い境遇の人がいるから相対的に幸福、が通るならもっと恵まれた人もいるから相対的に不幸も通るのにね。そもそも自分の話になんでお前がしゃしゃり出てくる訳?下手すりゃ自分ですらなくどこかの恵まれない誰かを引き合いに出して。
いやまあ客観的というか一般的な基準で恵まれてると言えるような環境への文句に苦言を呈するのは分からんでもないけど。ガキの頃月3万の小遣い貰ってたけど足りなくて不満だった。もっと楽しいティーンエイジを送れたはずなのに損した、とか。
でもそういう外との関係がある問題とは違った内的な悩みについてまで、環境を持ち出して矮小化するのは違うんじゃないんですか。下手に恵まれてるからいらん事ばっかり考える、だとか。
もっと言えば世間の基準や外野の感想がどうだろうが、小遣いが足りないと思ったのならその人にとっての不満は本物なんだろうし。
でも何かこう、「客観的には恵まれてるけどそんなの関係なく自分は辛いからこうしてくれ」と、「妥当」であれそうでないんであれ不満が不満で終わらずに待遇改善を求めて、求められた側が「甘えるな、そんな悩みは贅沢だ」と突っぱねるなら全然分かるんだけど。
そんな要求が罷り通るほど世の中は云々、とかそういう事じゃなくてね。共感出来もしない悩みに対して助ける道理なんかないだろうし。そもそも共感出来ようが出来まいが助ける義務なんかないと思ってるけど。助けたれば助ければいいし、強いられる道理もない。協力ゲームの理屈は置いといて、道徳の話としては。
そういう場面でなく、別に助けを求める訳じゃないけどポロッとこぼした言葉を責め立てられるのは鬱陶しいよねって思う。
こぼすな鬱陶しいって話なのかもしれんけど。生き辛ない?そういう「意味のある」会話しか求めないの。
あとなんかジョジョでも幸福は絶対的なものじゃなく、スタート地点をゼロとする相対的なものだ、的な話があった。
環境の幸福度なんか逓減していくもんだろうから、このスタンスで言えばただでさえ恵まれる環境に生まれればそこから更に上に行くのはしんどくなる。
わざわざ自分が不利に置かれる価値観に与するのもマヌケっぽいけど、この考え方が特段変わったものだとも思えない。
そりゃ全くの一人で生きてる訳じゃないから、多少は他人の人生と比べて家庭の経済状況や親との相性とかを客観的に相対化するものだとは思うけど。
でも基本的には環境なんて所与のものであって、自分にとっては少なからず当たり前だと思ってる部分がある。
マジで辛い環境にいる人は、こんなんが当たり前でたまるか!って思ってんのかもしれんけど。
幸せになれない価値観なんか捨てて思考を矯正すればいいんだけど、それをやるならもう何でもアリじゃんって気もする。
新興宗教にハマり新しい価値観を得て、本人は幸せだと言っている。これは哀れ。
いつまでも仕事か辛いとばかり言って、価値観を変えて少しでも楽しもうという姿勢を持たない。これはワガママで子供じみてる。
これってダブルスタンダードだよね。どちらも幸せを求めた適応の話なのに。結局自分が信じてる価値規範を共有したいだけじゃんっていう。
おれは客観的に恵まれた環境にあって不満だらけの人間なので、態度次第では世間からの当たりが強くなる。
内面化された「環境に感謝」の規範をこそぎ落とし、「いやおれが辛いと思ってんならおれにとって間違いなく辛い事だし、他人の感想や、他の境遇を持ち出した相対化なんて関係ない」と開き直る事でせめて自分の中では居心地の良さを確保する。
その上で、「だからといって別に他人がおれを助ける道理はない。生まれ育った普通か恵まれてるくらいの環境を恨むこともない」とも思うことで社会との関係を維持する。そもそもおれの抱える悩みの大半が他人の助けでどうこうなるもんじゃないし。
自分なりに整合性を取った態度のつもりなんだけど、おれの言葉から言ってもいないスタンスを勝手に一義的に導き出す人もいるし、歪なのかもしれない。
まあこんなのも恵まれた人間の思考回路が前提になってるもので、そうでない実際の人間はまるで別の世界観を持ってるのかも分からんけど。分かった所で悩みが消える訳でもないし、どうでもいいや。
彼らの思考様式を理解するためには、そもそもの話として共産党員の世界観というものを理解する必要がある
彼ら(共産党員)にとって、今の日本社会は「間違っている(正しい形に修復されるべき)」社会なわけ
親米保守(とされる)自民党が長らく政権につき、日米同盟は今も健在どころか段々と強化されている
自衛隊は公然と米軍と連携しているし、さらに中国、ロシア、北朝鮮への圧力も隠そうともしない
彼らからしてみれば、そういう世界は「間違ってる」し、当然ながらそれを支持する国民も「間違ってる」わけ
基盤となる社会そのものが間違ってるから、それを土台に成り立つ法律や道徳観念といったものも守る必要はない、というのが彼らの基本的な思考様式
もういちいち突っ込まないが、要は責められた気がしたってことね?
別に誰も責めてないぞ、『茶化す問題じゃないなって改めて思った』って話だ
このお話をキミとするのは無理そうだから興味があるらしい後半の話にしよう
お前らの思う天才って何?
↓
おそらく人類の98%くらいは色んな意味で到達できないアインシュタインですら、原爆ぶちかましに協力して家庭崩壊させて、
自身の専門分野においても『神はサイコロを振らない』って言ったのに、なぜまだ何かを崇拝しようとすんのよ?
クソどうでもよかろうよ
ワイはスピ系の人間だけど、科学と道徳の分野に宗教とスピを持ち込むのは、苛烈な宗教批判者のドーキンスと同じく反対です
スコット・スペック⽒は「人間の集団の行動は個⼈の行動に極めて似ているが、驚くほど未熟である」と指摘している。
ベトナム戦争時に米軍兵⼠がソンミ村の⾮戦闘員の村民数百⼈を殺害した事件を引いて、個⼈レベルでは論理的に考えて行動できるにも関わらず、
集団となるとその論理性が失われてしまうことがあると解析した。そして、そうなる理由の⼀つがいわゆる「専⾨化」であると指摘する。
例えば、⼀台の自動⾞を作るために、様々な技能を持つ専⾨家が、それぞれの専門化した作業を分担することによって、個⼈で全ての作業を行うよりも、
効率的で⾼度な作業を可能にし質の高い⾃動⾞を容易に作ることができる。設計者、金属加⼯者、塗装作業者、販売者などの業務を「専⾨化」することによって高度な成果が期待できる。
このように、専⾨集団は個⼈よりもはるかに効率よく機能するのは間違いない。しかし「専⾨化」は様々なメカニズムで集団の未成熟さや社会の悪を助⻑する可能性が大きい。
社会の現象 は⼀つの専⾨で出来上がるものではない。都合の悪い問題が生ずると「それは私の専⾨ではない」と責任を他に転嫁する。
その転嫁は「専門」から「専門」へ受け渡されとまることがない。 このことが個⼈の良心を捨てさせ、集団の中での良⼼を分散化する。
おそらく人類の98%くらいは色んな意味で到達できないアインシュタインですら、原爆ぶちかましに協力して家庭崩壊させて、
自身の専門分野においても『神はサイコロを振らない』って言ったのに、なぜまだ何かを崇拝しようとすんのよ?
クソどうでもよかろうよ
ワイはスピ系の人間だけど、科学と道徳の分野に宗教とスピを持ち込むのは、苛烈な宗教批判者のドーキンスと同じく反対です
スコット・スペック⽒は「人間の集団の行動は個⼈の行動に極めて似ているが、驚くほど未熟である」と指摘している。
ベトナム戦争時に米軍兵⼠がソンミ村の⾮戦闘員の村民数百⼈を殺害した事件を引いて、個⼈レベルでは論理的に考えて行動できるにも関わらず、
集団となるとその論理性が失われてしまうことがあると解析した。そして、そうなる理由の⼀つがいわゆる「専⾨化」であると指摘する。
例えば、⼀台の自動⾞を作るために、様々な技能を持つ専⾨家が、それぞれの専門化した作業を分担することによって、個⼈で全ての作業を行うよりも、
効率的で⾼度な作業を可能にし質の高い⾃動⾞を容易に作ることができる。設計者、金属加⼯者、塗装作業者、販売者などの業務を「専⾨化」することによって高度な成果が期待できる。
このように、専⾨集団は個⼈よりもはるかに効率よく機能するのは間違いない。しかし「専⾨化」は様々なメカニズムで集団の未成熟さや社会の悪を助⻑する可能性が大きい。
社会の現象 は⼀つの専⾨で出来上がるものではない。都合の悪い問題が生ずると「それは私の専⾨ではない」と責任を他に転嫁する。
その転嫁は「専門」から「専門」へ受け渡されとまることがない。 このことが個⼈の良心を捨てさせ、集団の中での良⼼を分散化する。
えっ、じゃあ高所得な地域だけど、現役で勉強する人が多い地域についてはどう解釈すんの?ちゃんとバランスいい結果出てるけど?
下記は大昔バリバリの右が言ってたことなんですけどね、まんまその通りだなって
まぁこのバリバリの右の人だけじゃなくて哲学者なり思想家なり作家なりは
あと、かつて自民党は下記のように言ってたんですけどねぇ、今は下記の理念は要らないって言うからなぁ
人の目の監視が無くなった日本は堕ちるべきところまで堕ちましたわね
『上に媚びへつらい詐欺師が跋扈する日本には宗教による共通善が必要』と唱えたくなる宗教家の気持ちもわからんでもない
(もちろん賛成はしない。ついでに国家による謎の道徳強化も賛同しない)
受精卵ぐらい(遺伝子)の状態である程度本能的なもの、性格の傾向は決まってて、
あとは、育ちながらの経験、つまりは環境で、体(もちろん脳含め)も成長してくし、記憶や知識も蓄積されていく
割合はわからんが、常識とか倫理道徳あたりの価値観みたいなのは後天的なのでめちゃくちゃ変わると思う
道端で自由に唾を吐けるメリットと、その行為で失うものを秤にかけてやるやらんを決めてるんだと今は理解してる
進化の過程で唾を吐くことがよほど生存(子孫を作ること)に関わってなければどうしても唾を吐きたい本能は残っていかないだろうし
縄張り争いに有利とか、唾を吐けるぐらいの反骨心? みたいなのが他でも有利に働く社会もあって残ってるんだろうし(少し前の日本でもそれぐらいの荒さ? あったほうが強かった。今も若干はそう)
人種というか民族的な部分でどこまで差が出てるかの研究とか調査あるのかな
AI プログラマーです。答えは、AGI がどのようなものになるかは誰にもわかりませんが、懸念すべき理由はあります。
AI は通常、目的関数を達成するための新しい方法を発見しますが、それはあなたが考えていたものではなく、望んでいたものでもないかもしれません。
AI はビデオ ゲームの不具合を見つけてそれを利用し、コンピューター プログラムであるため、プレイするゲームが何であるか、不具合が何であるかを知りませんし、気にもしません。
AI は、与えられた報酬関数を最適化しているだけです。これは「社会病質的」と呼ばれることもありますが、もちろん擬人化です。AI は機械であり、それがすべてです。
AI が人間の道徳に従うことは期待できません。なぜなら、人間の道徳は明示的にエンコードに書き込まれていないからです。
実際、機械学習のポイントは、正確なオブジェクト認識 (つまり、猫と猫のように見える影を区別する) に必要な 100 万のエッジ ケースを明示的にプログラムしたくないという ことです。
機械知能に関して言えば、危険なレベルの能力を持つ機械を作ったことに気付いたときには、もう手遅れかもしれないという問題があります。
ミサイルで爆破できる 1950 年代の殺人ロボットではありません。おそらく自己複製型のマルウェアで、(意図的なプログラミングによって、またはそのような状態に陥ったために)進化を制御でき、人間が駆除するよりも速く新しい形態をとる可能性があります。
重要なシステムでほとんどの場合は無害に実行されるが、時折フィッシング メールを送信したり、公務員を脅迫したりするプログラムが存在するでしょう。それらは重要なシステムに埋め込まれているため、取り除くことはできず、巻き添え被害が多すぎます。
ヘッジファンドやプライベートエクイティ会社が AGI にアクセスでき、それに「方法は気にしないが、24 時間以内に 10 億ドル稼いでほしい」と伝えたとしよう。
結果はおそらくひどいものになるだろう。そのくらいの金額を稼ぐ方法はたくさんあり、社会に多大な損害を与える。そして、害を及ぼさずにその目標を達成する方法はおそらくない。
AGI はどうするだろうか。人間がすることと同じだ。楽な道を選ぶ。ただし、人間には羞恥心があり、投獄や死を恐れる。アルゴリズムにはそれがない。プット オプションを購入してから 15 秒後に原子炉を爆破する。
人々を脅迫して、そうでなければしなかったような決断をさせる。さらに、ヘッジファンド マネージャーにはもっともらしい否認の余地がある。
彼は、アルゴリズムにこれらの恐ろしいことをするように頼んだのではなく、単に 24 時間以内に 10 億ドル稼いでほしいと頼んだだけなので、自分は罪を問われないと主張することができる。そして、アルゴリズムを投獄することはできない。
AGI が実現した場合、その結果は完全に予測不可能です。なぜなら、機械は制御しようとする私たちの試みを凌駕するからです。なぜなら、(繰り返しになりますが) 機械は私たちが望んだことではなく、プログラムされたことを実行するからです。これには機械が意識を持つ必要はなく、それは直交する問題です。明らかに意識を持たない機械は、複雑なボード ゲームで私たちを出し抜くことができ、今では説得力のある自然言語を生成できます。
この中で最も重要な部分は「ヘッジファンドマネージャーの場合」です。
最大のリスクは、これが商業化され、訓練を受けていないオペレーターが利用できるようになることです。
すでに、人々が簡単に安全対策を回避しているのを目にしてきました。
AGI を作成した場合、それは製品になります。ユーザーは専門家ではありません。AGI はパワーを持ち (特に IoT とクラウド ネットワーキングでは、すべてが「スマート デバイス」になり、インターネット全体が基本的に AWS という中央ネットワークで実行されます)、倫理的な取り扱いではなく、利益を目的とする人々の手に渡ります。事前に実装されたすべての制約は、エンド ユーザーがどのように使用/誤用するかを考慮できないため、現実世界では生き残れません。ChatGPT の制約と同様に、私たちは常に追いつく必要があります。どんなに馬鹿でも使えるようにしようとしても、彼らは常により優れた馬鹿を作ります。
本質的には人間こそが大きな問題です。AI は想像できる最も賢いバカです。目標を達成するためにあらゆる方法を見つけますが、文脈や倫理的、文化的、その他の制約についてはまったく理解していません。マシンガンを持った猿です。
消費者の手に渡った強力なテクノロジーがいかに危険であるかの例として、この世界でいまだに火が使われていることを見てみましょう。場所によっては調理に、またエネルギーとして利用されています。しかし、いまだに人々は自爆したり、家を燃やしたりしています。
火は強力ですが、社会的または倫理的な制約を気にしません。そのため、ユーザーは家を全焼させることなく望みどおりの結果を得るために、火の取り扱い方を知っておく必要があります。どの病院にも「火傷病棟」があります。あなたも火傷を負ったことがあるでしょう。一般消費者向けの消火ツールによって大規模な被害をもたらす森林火災もあります。
世界中のあらゆる電子機器に接続されている神レベルのバカを想像してみてください。
さらに、IoT とネットワーク関連の問題では、現在のセキュリティ対策は通常、遡及的で、人間の対策に基づいています。AI は、必要な場合や要求の一部である場合に、セキュリティ対策を侵害するためのより優れた、より迅速な方法を見つけます。安全なものなどありません。
そもそも論になるが、最安値でもひとつ数万はするようなバカラのグラスが贈られて来る時点であのキャラには一定以上の熱心なファンがいることは証明されているだろう。
今回の件での一番の問題はそのキャラが1位になったこと自体ではなく、そのキャラの人気が金で買われたもの、もしくは企画を潰すために行われた嫌がらせ行為だという疑惑を与えたという点だ。
「買収してでも票を集めるのはこっちの界隈では当たり前」
上記の何が問題なのかというと、ありとあらゆる面で「信用を失った」ということだろう。
それを公言した以上、あなたが推す存在は今後こういう色眼鏡で見られるのだ。
「このキャラ/人物の人気は本人の実力などではなく、一部の熱狂的なファンが金銭で下駄を履かせて得ただけのハリボテなんだな」と。
また、あなたが今後他の人/キャラ/ものを推して、それが人気になったとしよう。
しかしあなたが過去に金銭で自分の好きなものへ票を入れるよう、第三者に依頼したことを知ってる人はこう思うだろう。
「この人が推してる以上、どうせ金で買われた人気で実力はさほど無いに違いない」
信用を失うというとはこういうことである。
それを心外だと思っているのなら最低でも金銭で票を集めたことを公言すべきではない。
倫理観や道徳の問題ではない。面白半分で自分の仕事や生活を壊されても文句が言えなくなるからである。
いかな趣味であれ、それを作る、提供する仕事に従事している人がいるという事実を忘れてはいけない。
いや、趣味だけではなく、身の回りのものすべてには決して少なくはない人の仕事でできている。
企画を提案するにしかり、実際に必要になる物資がどれほど必要な物の数を予測して調達するにしかり。カタチには残らないイベントであっても、会場を確保する、演出を考える、当日の人の流れを整理する、周辺住民への影響を最小限のものに抑えるなどそれを仕事にする人がいて始めて成り立っている。
仕事であれ生活であれ、金銭を得ることを目的としていない趣味であっても、その裏には誰かの仕事、生活があることを忘れてはならない。
自分が楽しければ何をやっても構わないというわけではない。それを許せば、自分が第三者から実生活や努力してやっとの思いで形にした仕事を面白半分で壊されても文句が言えなくなるからだ。もう少し言うのなら、他人の仕事や生活を面白半分で壊すのが当たり前と言うのなら、いざ自分が誰かの悪意で不利益を被って被害者になったとしても説得力が無くなるからだ。
「自分だって、面白半分で誰かの企画を潰したことを自慢していたのに?」と。
自分が誰かの仕事や生活を潰すのは許されるが、他人が自分の仕事や生活、趣味を潰すのは許されざること。などという屁理屈は通用しない。
自分がやっている趣味の裏側にはそれを仕事にしている人間がいるのだという事実を忘れて手段を選ばないような行動を取れば、信用を失うのは当たり前の話なのだ。
企画を潰すのが楽しいという者がいる以上、提供する側は潰されるのを恐れて今後一切同じような企画をしなくなる。
このようなイベントは企画をする側とファンとの信頼関係で成り立っているからだ。
自分には関係ないと思ってはいけない。人間社会はどこかで繋がっているのだから、自分が行った行為は巡り巡って必ずどこかで自分に影響を与えてくる。
いつか誰かに同じような真似をされても、自分もやっていたことなのに何を言っているのだろうと鼻で笑われるだけである。
何も難しい話ではない。約束を守り、誠実に生きる。これだけで信用は積み重なっていくものなのだから。
ただし、信用を積み重ねるためには時間がかかるが、失うのは一瞬である。さらに失った信用を取り戻すことはできない。その後でどれほどプラスを積み上げようと、やってしまった事実は消えないのである。
確かにあの出羽守氏が言う「そういう目で見られてもしょうがない」がどこまでのことを指すのかはちょっとわかんないけどな…
でも誰もみんな自分の職業によってそういう目で、つまり偏見に満ちたような目で遠巻きに見られるのはやじゃん。
コンサルだって嘘つきばっかりだとか詐欺師だとか言われたら傷つくじゃん?そんなことねえわって怒るじゃん?
コンサルになったんだから特定の一部から詐欺師呼ばわりされるのは仕方ないっては思わないじゃん?アホどもがって思うじゃん?
どうやってその職業に辿り着いたのかはわかんないけど、楽して怠けて儲けたいからだとかそういう単純な理由でもないと思うよ。きつい仕事だろうし。
勉強のしづらさとか学習の正しいやり方が身についてないとか生育状況によってとかその他の職業に対して困難があるとか単純に仕事がなかったとかまとまったお金が必要とか人には色々あるわけで、それを本人の努力不足だから見下されても仕方ないって片付けちゃうのは偏見なんじゃないだろうか。
まあ勉強できてもその職業にたどり着く人もいるだろうし、もちろんそういう仕事が純粋に好きな人とかもいるかもだし、そういう想像をすることも偏見だしちょっとこれいい例じゃなかったかもなっても思うけど…
だからわかんないなりにせめてそう思ってたとしたって態度に出したらいけないっていうのが倫理とか道徳なんじゃないのかね…公言して憚らないのはどうなんだ…?って思うけどな。