はてなキーワード: 論理学とは
タイトルの通りです。
忙しい方向けに結論を先出しすると、
・「『正しい前提』でないと、いくらそこからの説明がロジカルでも誤った結論しかでないのが上手くいかない原因」
・人間は論理の誤りを検出するのは得意だが、自分の見てきたものでしか世界を把握できないために前提の正しさの検証が苦手
・場合によっては、論理的整合性を保つために現実にバイアスをかけたり自分に嘘をついたりして前提をでっちあげてしまうこともある。
・いくらロジカルで筋がよくても、なんかもやっとするときは前提を疑おうね。
という話です。
数学や論理学をベースとした理論では論理的であれば必ず正しくなります。そこで、世間では理論に限らず様々な場所で論理性を活用して物事を上手く回しているように見受けられます。
しかしながら私は、とりわけBtoCの現場では論理的であるからといって必ずしもうまくいくわけではないことに気付きました。そして何かを考えたり作ったりする上でロジックに全幅の信頼を置くのをやめました。
最初はこの気づきを上手く言語化出来ず、ロジックを信奉している方々になぜそうなのか説明してもなかなかうなずいてもらえなかったのですが
この度何故自分がそう考えるかの「ロジカルな」説明がおおよそ形になりました。
(尚、ここで言うロジカルとは、AでA⇒BならBだよねとかAでBだからA∧Bは真だよねなど、何かしらの真なる前提の元にそこから言えることを組み立てるという方法論をさします)
理論では、究極的な大元になる前提(公理)が存在し、それを前提に論理を組み立てることで様々なことを言っていきます。
要するに「前提が正しい、論理が正しい、だからそこから言えることは正しい」なわけです。
逆にいえば、論理が正しくとも前提が誤っていればその結果は誤りうるわけで、標題の主張の根本はここにあります。
現実で何か提案や問題解決を行う際にも、何か前提があり、そこに論理を入れることで、結論を出すわけですが、ここで正しい前提を設定しないといくら論理の筋がよくても結論が誤ったものになります。
では正しい前提とは何でしょうか。多くの場合、主張する当人が正しいと思い、その場で意思決定をする人間がそれを否定することが出来ないことが正しい前提として扱われるのではないでしょうか。
論理学や数学における公理のようにそれ自体が地球上の何億人という人間によって否定できないならまだしも、実際の現場ではたかだか数人が否定出来ないことによってそれが正しいように扱われます。
言ってしまえば、その場で意思決定する人間全員が否定できなければいくら誤った前提でも通ってしまうのです。
じゃあもっと広い人にその前提を検証するためにユーザーテストや市場調査を十分に行えば問題ないかと言えばそういうわけでもありません。現実問題として潜在的なユーザー全員を調査することは困難でありますし、例え全員を調査できたからといっても、調査した人それぞれが自分の感覚を正直に言葉にできるわけではありません。時には真逆のことを言ってしまうこともあります。
そういった制約のなかで、本当にその前提が正しいのかを検証することは困難です。説明が論理的かどうかは多少勉強をすればわかりますし論理的でないことを捉えるのも簡単ですが、自分が立った前提が正しいかどうかは「少なくとも自分の世界や調べた範囲では当てはまらないものがない」ということでしか検証できないため、広い世界で本当に現実に即しているかを把握することは非常に困難になります。
また、これは仕事で成果を出さなければならないという状況下で顕著ですが、筋が通っていなければ提案が否定されるということを理解している人が、筋の通った説明をするために自分にバイアスをかけて真実を歪める場合があります。たちが悪いのが、成果を出すこと=意見を通すこととなってしまった場合に自分自身そのバイアスに本当に気づかない、または気づかないフリをすることがあるのです。
要するに、前提が間違ってていいならロジカルであることなんて簡単で何にでもロジックをつけてしまえるということでして、本当に難しいのは正しい前提を見つけることなんです。
だからこそ、本当に成功したいのであれば他人の「ロジカルな」説明を聞いて「ロジカルだから大丈夫だろう」などと考えてはいけません。貴方が話を聞いて正しそうに感じるけど何か引っかかるのであれば、それはおそらくこねくり回された理屈の都合の悪い部分が前提に隠されているのを感覚で感じているからです。前提を疑いましょう。きっとなにか隙があります。
鍵垢になってしまった(さすがに上場企業相手だとキツいか?)ので、ここに残しておく
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hizumiのFX迷走録
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FXのアカウント(・∀・) 大学生 /薬学部 / 趣味:読書、統計学、経済学、哲学、論理学、FX、個別、日先、ダウ先、ETF、商品、暗号通貨、AI、(競馬)、麻雀、将棋、TeX、Python (2018/2/22大井トリプル馬単で億総取り。)
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私は今まで、自分自身のことを冷静な人間であると思っていた。大学は理系学部を修士まで出たし、論理学も好きで趣味として教科書を読んだりしてきた。幼い頃の兄弟喧嘩を除いて、喧嘩なんてしたことなかったし、周囲の人間からの評価も「大人しそう」「キレたら怖いタイプ」といったところだった。キレたことがないのでキレたら怖いのかどうかは分からない。
しかしアラサーになり、自分は冷静な人間ではないのではないかと思い始めた。
最近転職をしたのだけれど、転職先で毎日のように上司から叱咤されている。
もちろん原因は私にあるので、叱咤された内容については反省し次に生かそうと思うのだが、偶に、「それは私に言ってもしようがないのでは」といったことや、「そもそも叱咤されるようなことではないのでは」といったことでも一方的に注意を受ける。例えば、別の上司の方にアドバイスをいただいた後に「あの上司は出来が悪いから、話を聞かないように」と言われたり、要領が悪いと指摘していただいた後に「女なんだから、業務時間内に仕事を終わらせて(ここまでは分かる)、家で料理とかして旦那さんを喜ばせたらどうか(そこまで言われるのはおかしいのでは?)」と言われたり、特に関係のない第三者の批判を聞かされたり(自分のことではないのは分かっていても、何故か私は、他人への批判も自分のことのように感じてしまい冷静に聞くことができない)。
そんな時、心の中ではそれは違う、と思っても、口から出るのは「申し訳ありません、はい、すみませんでした、気をつけます、仰る通りです」といった言葉ばかり。それどころか叱責が続くうちに、無意識のうちに涙が出そうになって、堪えるのに必死になって、余計何も言えなくなる。
落ち着いて冷静にと必死に自分に言い聞かせるが、そのうちにある定点を越えると、パニックに陥ったかのように自責の感情が溢れてどうしようもなくなってしまう。
表面上は神妙な顔なり、相手に合わせるための笑顔なりを作りつつ、その場をやりすごすが、そのあとは変な疲労感でぐったりしてしまう。
早く仕事に慣れたい。
そして、冷静に叱責を受け止め、言うべきことはしっかりと言えるようになりたい。
追記しようと思ったが、微妙に長くなったので新しく書いた。
中には怒っている様な人が居たが、俺としては怒らせるために書いた文章では無いから、その辺は申し訳なく思っている。だから、この文章は出来るだけ整理して客観的に書いていきたいと思う。
まず、「彼女と結婚したくない」のブコメやトラバは読めるもの全部目を通した。
色々突き刺さったものがあったが、特に突き刺さったのが次のものだった。
女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する証明
0.前提
ここでいう健全とは、犯罪者に育まないこと、意志力(『意志力の科学』より)を有効活用できることなどを指す。
この根拠はWikipediaの「離婚」の記事の「離婚が子供に与える影響」という項目に論文がまとまって脚注されていますので、そちらを参照してください。
2.上記の1より、離婚が起こりにくいパートナーを選択した方が結婚の目的にかなう
3.ここで離婚が起こりにくいパートナーは、「処女・非処女」の区分だと、処女になる
それは浮気確率について、処女に比べて、婚前経験人数1-3人は4倍、経験人数4人以上は8.5倍であるという(加藤司 『離婚の心理学』p110)データがあるため。
これは婚前経験人数なので、強姦された人は含まれません。自身を強姦した人と自発的に結婚する人はかなり珍しいので。
4.結論
上記の0-3までで、「女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する」と判断できます。
ソース・『下半身の論理学』(https://www.amazon.co.jp/dp/B00R73R7CM/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)のレビューより
勝手な言い分や感想とは異なったものだった。書店に行って確認までしたが、論破はできそうにないものだった。
そしてそのまま彼女のところに行って、話し合いをして、別れることになった。
彼女は泣いていた。そして俺も泣いていた。だが、別れることが二人のためであるという側面もある。もちろん、そうでない側面もある。ちょっとした騒ぎにもなって、特定されたくないので期待している人には悪いが、詳細は控えさせてもらおうと思う。
ここで終わらせてもいいのだが、処女を追求することについて、いくつか発見があったので紹介したい。
女性側に排卵隠蔽があるために男性はそれへの適応を迫られた.このため純潔性と婚姻後の性的貞操への選好が生じる.これは文脈に大きく依存し文化間で大きな差がある.
・若さへの好みについて
(改訂版追加項目)若さへの好みについて:男性が繁殖力を求めるのだとすると非常に若い男性は自分より少し年上の女性を好むと予測される.実際のリサーチでは15際の男性は17~18歳の女性を好むという結果が出ている.しかしその年の女性は自分より若い男性には全く興味を示さない.これは「男性の若い女性への好み」を「報酬強化」や「男性が権力とコントロールを求めること」で説明しようとする主張が成り立たないことを示している.
多くの動物と異なりヒトにおいては男性側が配偶相手の身体的な魅力をより追求する.また若さの追求は霊長類の中で独自の特徴だ.これは(長期的な配偶相手においては)選択時以降の生涯にわたる潜在的な繁殖力が重要であるからだ.若さや美しさの追求は西洋文化から来ているのではなくユニバーサルな特徴だ.女性に対する美・魅力の基準は決して恣意的ではない.ただし純潔への選好には文化が大きな影響を与えている.しかし結婚後の貞操を求める心は強くユニバーサルだ.
ブコメで叩かれるであろうことはわかっていたが、「呪いにかかっている」どころか「精神病」や「強迫性障害」まで出てきたことについては、はっきりいって今のはてなは異常だ。男性が処女を求めるのは、正常だ。
by-king誰とは言わんが、普段は価値観の多様性の大切さを説いてるのに、自分と合わない価値観に対しては真っ向から否定したり、精神病扱いして矯正しようとする頭悪い人が居るよな
ChieOsanai ふだん多様性万歳と言ってるはてなーも、男らしくない男は徹底的に叩く。それがはてな村のジャスティス。
ここでいう男らしさは、フェミフィルター(?)を通過できた都合の良い男らしさになるんだと思う。
ちょっと前に増田で話題になった「アナと雪の女王」のクリストフみたいな感じだ。
はてな村の多くの人は、ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー(SJW)なのだと思う。
東たちの言ってる「クリストフの扱いが可哀想」っていうのが今回盛大に馬鹿にされてるけれども、かつて同じことを書いてたブログがそっちは大賛同だったんだよね。
http://semimaruclimb.hatenablog.com/entry/2015/05/13/221216
どうしてこんなに違いが出たのかっていうと、
クリストフを「男」ではなく「被差別民族サーミ人」として申し立てたから。
「甘えるな」「まだヒーローを求めている」「ミソジニー」と罵倒だらけになるのに、
「その通り!」「見事な指摘!」「鋭い洞察!」と大絶賛になる。
アホくさ。
こういったことが起きる。
はてな村が偏っていることは、「はてなユーザーの性格分類統計」(http://fuyu.hatenablog.com/entry/2015/10/17/025450)でも言われていて、16タイプ中上位3タイプ(INTP,INFP,INTJ)で全体の半分の割合を占める。内向型8タイプで全体の81%を占める。日本人の標準MBTIタイプテーブル(日本版MBTIマニュアル P.80)だと、上位3タイプはESFJ,ESTJ,ENFPで全体の内34%を占めて、外向型8タイプで全体の62%を占める。
はてな村の人達は、自分の立ち位置の特殊性は理解した方がいいのだと思う。
そして、はてなを利用する人は、その偏ったブコメを安易に鵜呑みにしないほうがいい。5chの言葉を鵜呑みにしないがいいのと同じ事で、それはあまりにも当たり前のことだけど。
俺が勤めている職場には今年の春から、高校を卒業したばかりの女の子が入社してくる。
耳障りが悪かろうが、政治的に正しくなかろうが、自然主義の誤謬と言われようが、身分違いで失敗しようが、女性が上昇婚をやめられないように、俺も繁殖力(若さ・健康・くびれ・美)のある処女(排卵隠蔽対策)を求めることをやめられないのである。
そして、社会はそうした多くの人で埋め尽くされており、そうした人が投票や政治活動でそうした社会をまた形作っていく。俺はその社会の中で、処女に関することがふと頭に浮かび、扁桃体神経回路の情報処理の結果が視床下部へ伝えられ、自律神経反応を引き起こして心臓の拍動が早くなり、胃腸の動きの変化を体感しながら生きていくのは、結婚生活における日常生活を営むレベルでも困難になると、その経験から判断した。
これを読んでいる人も、色々な言葉を取り入れつつ、最終的には自分の頭で物事を判断してほしいと思う。
上昇婚に関しては
この話の大前提になるのは、「女性は自分より年収の高い男性としか結婚したがらない」という現在の風潮です。これは結婚に対する意識調査で性格・容姿の重要度が男女共通であるのに対して女性のみ経済力や学歴を求めるとする調査1、実際の女性の婚姻の双方で観測されており2、ほぼ揺るがない事実とみていいでしょう。女性は社会的地位が不安定だから自分より年収の高い男性と結婚したがるのだという意見もありますが、そういったものに縛られない医師、テニュア持ちの研究者、士業の女性でも自分より年収の高い男性としか結婚したがらず“パワーカップル”と名付けられた高年収夫婦が統計的に明瞭に観測されるので、その指摘はほぼ無視して良いでしょう。
女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する証明
0.前提
ここでいう健全とは、犯罪者に育まないこと、意志力(『意志力の科学』より)を有効活用できることなどを指す。
この根拠はWikipediaの「離婚」の記事の「離婚が子供に与える影響」という項目に論文がまとまって脚注されていますので、そちらを参照してください。
2.上記の1より、離婚が起こりにくいパートナーを選択した方が結婚の目的にかなう
3.ここで離婚が起こりにくいパートナーは、「処女・非処女」の区分だと、処女になる
それは浮気確率について、処女に比べて、婚前経験人数1-3人は4倍、経験人数4人以上は8.5倍であるという(加藤司 『離婚の心理学』p110)データがあるため。
これは婚前経験人数なので、強姦された人は含まれません。自身を強姦した人と自発的に結婚する人はかなり珍しいので。
4.結論
上記の0-3までで、「女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する」と判断できます。
ソース・『下半身の論理学』(https://www.amazon.co.jp/dp/B00R73R7CM/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)のレビューより
0.前提
ここでいう健全とは、犯罪者に育まないこと、意志力(『意志力の科学』より)を有効活用できることなどを指す。
この根拠はWikipediaの「離婚」の記事の「離婚が子供に与える影響」という項目に論文がまとまって脚注されていますので、そちらを参照してください。
2.上記の1より、離婚が起こりにくいパートナーを選択した方が結婚の目的にかなう
3.ここで離婚が起こりにくいパートナーは、「処女・非処女」の区分だと、処女になる
それは浮気確率について、処女に比べて、婚前経験人数1-3人は4倍、経験人数4人以上は8.5倍であるという(加藤司 『離婚の心理学』p110)データがあるため。
これは婚前経験人数なので、強姦された人は含まれません。自身を強姦した人と自発的に結婚する人はかなり珍しいので。
4.結論
上記の0-3までで、「女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する」と判断できます。
ソース・『下半身の論理学』(https://www.amazon.co.jp/dp/B00R73R7CM/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)のレビューより
0.前提
ここでいう健全とは、犯罪者に育まないこと、意志力(『意志力の科学』より)を有効活用できることなどを指す。
この根拠はWikipediaの「離婚」の記事の「離婚が子供に与える影響」という項目に論文がまとまって脚注されていますので、そちらを参照してください。
2.上記の1より、離婚が起こりにくいパートナーを選択した方が結婚の目的にかなう
3.ここで離婚が起こりにくいパートナーは、「処女・非処女」の区分だと、処女になる
それは浮気確率について、処女に比べて、婚前経験人数1-3人は4倍、経験人数4人以上は8.5倍であるという(加藤司 『離婚の心理学』p110)データがあるため。
これは婚前経験人数なので、強姦された人は含まれません。自身を強姦した人と自発的に結婚する人はかなり珍しいので。
4.結論
上記の0-3までで、「女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する」と判断できます。
ソース・『下半身の論理学』(https://www.amazon.co.jp/dp/B00R73R7CM/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)のレビューより
0.前提
ここでいう健全とは、犯罪者に育まないこと、意志力(『意志力の科学』より)を有効活用できることなどを指す。
この根拠はWikipediaの「離婚」の記事の「離婚が子供に与える影響」という項目に論文がまとまって脚注されていますので、そちらを参照してください。
2.上記の1より、離婚が起こりにくいパートナーを選択した方が結婚の目的にかなう
3.ここで離婚が起こりにくいパートナーは、「処女・非処女」の区分だと、処女になる
それは浮気確率について、処女に比べて、婚前経験人数1-3人は4倍、経験人数4人以上は8.5倍であるという(加藤司 『離婚の心理学』p110)データがあるため。
これは婚前経験人数なので、強姦された人は含まれません。自身を強姦した人と自発的に結婚する人はかなり珍しいので。
4.結論
上記の0-3までで、「女性配偶者と結婚するにあたって、処女を追求するのは結婚の目的に適する」と判断できます。
ソース・『下半身の論理学』(https://www.amazon.co.jp/dp/B00R73R7CM/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)のレビューより
古書店の雑に積まれた本の中で存在感を放っていた「虚構世界の存在論」を手に取ってから20年くらいになるか。
一般向けの論理学入門でありながら理屈がハードで手応えのある二見書房の「論理パラドクス」シリーズは好評
のようだが、増田の好みではないので買ってない。
「サウンド・オブ・サンダー」として近年映画化されたブラッドベリのタイムパラドクスもの「雷のような音」を
「虚構世界の存在論」で取り上げていたこともあり、SFに強い哲学者として認識している。小説の方は合わなかった。
三浦俊彦の得意分野は、「可能世界」を用いたフィクション論、「人間原理」を用いた意識論。とサプリメント。
可能世界論、とは何かはwikipediaでも読んで欲しいが、もし暴走トロッコの先にドラッカーが居たら、とか
プロレスラー専用列車があれば、とか現実ではない仮定について、論理的に扱う仕組み。
そのハードコア一派に様相実在論というのがあり、そういう可能世界は仮定の存在や記述上の論理ではなくってな
全部実在してっから、いやマジで、と主張して、急にそんなこと言われてもいやソレはないわー、と異端視されてる。
その実在している他の可能世界と、我々が唯一認識している現実とを区別するものは、我々が居るという
真空のゆらぎからビッグバンが生じ、宇宙の各定数には様々なあり方が有り得たはずなのに、なんでこんなに人間が
存在するに都合よくできているのか。それはね、人間が見ているからだよ。
人間が宇宙を観察する時には、人間が存在できるような宇宙でなければならない。
こういう理屈は判るんだが理由を説明しきれない自己撞着的な話が人間原理。
宇宙は様々な形でありえた、また実際にある、というマルチヴァース、多世界解釈、サイクリック宇宙論、物理学の話。
それと様相実在論をつなげ虚構実在論にも踏み込み、フィクションをも真面目に哲学的に語る。
なろうもカクヨムも在るんだよ。
既に使うほうが間抜けなワードに成り下がってるから気をつけなよ。
- 法律用語で、所有権の証明が困難であることをいうための比喩。なぜ困難かは由来を参照。
- 法律用語で、困難な証明全般を比喩的に表す言葉。消極的事実の証明を指すこともあるが、消極的事実の証明だから立証責任を免れるというわけではなく、立証責任の配分において考慮すべき一要素でしかない。また消極的事実の証明だからといって、必ずしも困難とはみなされていない。
- (ここから先は、本来の意味を誤用したものである)2から「消極的事実の証明は一般に困難である」という誤解が広まり、議論のルールとして広く使われるようになってしまったもの。科学や論理学とは関係がないし、一般論として用いるのは誤りであるが、科学者はエッセイやブログで疑似科学を否定する際などにわりと使ってしまうようだ。論理学者は、このような曖昧な概念を嫌う。
- 3から「あると証明できないなら、(悪魔の証明は無理なのだから)無いと決めつけていい」と主張するために用いられることもある。これは「無知に訴える論証」(根拠無く新しい主張をすること)で、誤りである。ただし一般的に無いと思われているものの場合は、「無い」説は新しい主張でないので論理は通っているが、紛らわしい。
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E
うん、その何を間違いとするのかに段階があるよね。という話。
詩人(天文学者)はすべての、物理学者は一つの、数学者は少なくとも一面が、哲学者はそれは羊なのか。
それぞれに求められる段階の厳密さで話をしてる。
中学校の国語と、大学の論理学で求められる厳密さは同じなのだろうか?
「書いていないことはないものとする」という公理(その段階が浅いかどうかは別にして)を前提にした正当な論理はあるのではないか?
例えば、大学入試で三角形の内角の和を問う問題で、曲率0(ユークリッド空間)であることを明記している問題を見たことはないよ。
それを書いていないことを慮る忖度と言っても間違いではないし、前提を疑える可能性はあるけれど、その厳密さは国語に限らずどの教科でも求められてはいないよね。
すべての問に対して、「回答できるほど厳密でないので不定」という答えは誰も望んでない。
と答えないのと同様に