2018-04-27

ロジカルからといってうまくいく訳ではないのが現実

 忙しい方向けに結論を先出しすると、

・「『正しい前提』でないと、いくらそこから説明ロジカルでも誤った結論しかでないのが上手くいかない原因」

人間論理の誤りを検出するのは得意だが、自分の見てきたものしか世界を把握できないために前提の正しさの検証が苦手

場合によっては、論理整合性を保つために現実バイアスをかけたり自分に嘘をついたりして前提をでっちあげてしまうこともある。

いくらロジカルで筋がよくても、なんかもやっとするときは前提を疑おうね。

という話です。

数学論理学をベースとした理論では論理的であれば必ず正しくなります。そこで、世間では理論に限らず様々な場所論理性を活用して物事を上手く回しているように見受けられます

しかしながら私は、とりわけBtoCの現場では論理であるからといって必ずしもうまくいくわけではないことに気付きました。そして何かを考えたり作ったりする上でロジックに全幅の信頼を置くのをやめました。

最初はこの気づきを上手く言語化出来ず、ロジックを信奉している方々になぜそうなのか説明してもなかなかうなずいてもらえなかったのですが

この度何故自分がそう考えるかの「ロジカルな」説明がおおよそ形になりました。

(尚、ここで言うロジカルとは、AでA⇒BならBだよねとかAでBだからA∧Bは真だよねなど、何かしらの真なる前提の元にそこから言えることを組み立てるという方法論をさします)

理論では、究極的な大元になる前提(公理)が存在し、それを前提に論理を組み立てることで様々なことを言っていきます

要するに「前提が正しい、論理が正しい、だからそこから言えることは正しい」なわけです。

逆にいえば、論理が正しくとも前提が誤っていればその結果は誤りうるわけで、標題の主張の根本はここにあります

現実で何か提案問題解決を行う際にも、何か前提があり、そこに論理を入れることで、結論を出すわけですが、ここで正しい前提を設定しないといくら論理の筋がよくても結論が誤ったものになります

 では正しい前提とは何でしょうか。多くの場合、主張する当人が正しいと思い、その場で意思決定をする人間がそれを否定することが出来ないことが正しい前提として扱われるのではないでしょうか。

論理学や数学における公理のようにそれ自体地球上の何億人という人間によって否定できないならまだしも、実際の現場ではたかだか数人が否定出来ないことによってそれが正しいように扱われます

言ってしまえば、その場で意思決定する人間全員が否定できなければいくら誤った前提でも通ってしまうのです。

 じゃあもっと広い人にその前提を検証するためにユーザーテスト市場調査を十分に行えば問題いかと言えばそういうわけでもありません。現実問題として潜在的ユーザー全員を調査することは困難でありますし、例え全員を調査できたからといっても、調査した人それぞれが自分感覚を正直に言葉にできるわけではありません。時には真逆のことを言ってしまうこともあります

 そういった制約のなかで、本当にその前提が正しいのかを検証することは困難です。説明論理的かどうかは多少勉強をすればわかります論理的でないことを捉えるのも簡単ですが、自分が立った前提が正しいかどうかは「少なくとも自分世界や調べた範囲では当てはまらないものがない」ということでしか検証できないため、広い世界で本当に現実に即しているかを把握することは非常に困難になります

 また、これは仕事で成果を出さなければならないという状況下で顕著ですが、筋が通っていなければ提案否定されるということを理解している人が、筋の通った説明をするために自分バイアスをかけて真実を歪める場合があります。たちが悪いのが、成果を出すこと=意見を通すこととなってしまった場合自分自身そのバイアスに本当に気づかない、または気づかないフリをすることがあるのです。

 要するに、前提が間違ってていいならロジカルであることなんて簡単で何にでもロジックをつけてしまえるということでして、本当に難しいのは正しい前提を見つけることなんです。

 だからこそ、本当に成功したいのであれば他人の「ロジカルな」説明を聞いて「ロジカルから大丈夫だろう」などと考えてはいけません。貴方が話を聞いて正しそうに感じるけど何か引っかかるのであれば、それはおそらくこねくり回された理屈の都合の悪い部分が前提に隠されているのを感覚で感じているからです。前提を疑いましょう。きっとなにか隙があります

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