>私は、たゞ一個の不安定だ。私はたゞ探してゐる。女でも、真理でも、なんでも、よろしい。御想像にお任せする。私はただ、たしかに探してゐるのだ。
>然し、真理といふものは実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。
>真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間は人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。
幸せの背景は不幸とは、何の事を言っていたのか
CARNIVALにおける幸福、馬の鼻先にぶら下げられた人参の意味とは
マズローやロジャースにおける自己実現には、自己欺瞞は存在しないのか
攻撃性を発揮できず、自分を守ることなく、死ぬ事を自己実現として定め、それを幸福とし、自分の生に後ろめたさや罪悪感を感じ、自分への攻撃性を肯定する
「自分なんか、壊れてしまえ」というメッセージが、死の欲動が、涅槃原則がそこには伝わってきて、読んでる者を誘ってしまう
蠍の炎、よだかの星、グスコーブドリ、雨にも負けずのデクノボー
人は、死を含むものに惹かれて、それを喰らおうとする
まさに人参であり、「探されることによつて実在」するものである
つまり、そこには真理がある、真理が幸福であると考えられている、救いがあるのだと考えられている
死とは何だろう
生きて居る限り、死を体験することはない
死によってもたらされる幸福もまた、ない
死は実在するけれども、生きて居る限り、人間の人生には実在しない
その攻撃性を自分に向けるか、相手に向けるか
ある人はそれを他人に向ける
ある人はそれを自分に向ける
ある人は、両方に向ける
そして、またある人は何にも向けず、その攻撃性を変質させていく