はてなキーワード: 湿度とは
先日、加古川の肥料メーカー多木化学がバカマツタケ(Tricholoma bakamatsutake)の完全人工栽培成功を発表した。それを森林ジャーナリストの田中淳夫氏がyahoo!ニュースで取り上げた記事は、多数のブクマを集め話題をさらった。
ただ記事の内容には不正確な情報や、やや解説が不十分と感じる点があったので補足したいと思う。なお増田は単なるきのこ愛好家に過ぎず本稿は信憑性に乏しいが、ブクマカのきのこへの興味と深い理解の一助となれば幸いだ。
冗長になってしまったので、概要だけ知りたい方や長文が苦手な方は、先に下部の【まとめ】を読まれることを推奨する。
バカマツタケはマツタケの近縁種。名前が名前だけに、マツタケより劣るように思いがちだが、実は姿もよく似ているうえに味と香りはこちらの方が美味しくて強いと言われるキノコである。
マツタケよりも香りが強いというのは一般に言われるが、マツタケよりも美味しいという話は聞いたことがない。野生下ではマツタケよりも相当に貧弱で、発生時期が早く暖かいこと、一般に湿度の高い広葉樹林に生えることから、マツタケよりも柔く品質の劣化がはやい(一般的にきのこは寒冷地・痩せ地に生えるほど日持ちが良く高品質なものを得やすい)ことが関係すると思われる。近縁で姿がよく似ているというのは本当で、素人目には見分けがつかない。増田にも発生場所の情報なしに個体だけで同定できる自信はない。
バカマツタケをサマツと呼ぶ地域は確かにあるらしい。しかし必ずしもサマツ=バカマツタケではない。きのこの地方名は極めて多様で曖昧な世界だ。その証拠に「サマツ」といっても梅雨時期に少量発生するマツタケを指すこともあれば、モミタケやオオモミタケ等を指す地域もあるようだ。
マツタケの人工栽培がなかなか成功しない中、バカマツタケの方が環境に適応しやすいから栽培もしやすいのではないかと注目する研究者はいた。実は昨年には奈良県森林技術センターが、人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて発生させることに成功している。
『人工培養の菌を自然にある樹木に植え付けて』という表現は正確ではない。菌に感染した苗木を人工的に作り出し植樹することで自然下で発生させた、とするのが正しい。既に自然化で定着している樹木に植菌を施すのと、無菌状態の苗木に植菌するのとでは似て非なる技術だ。(ところで同様の研究はマツタケでも行われており、無菌培養の松苗木の感染には成功しているものの、植樹後のマツタケ発生については再現性に乏しい。理由としては自然環境化においてマツタケ菌が他の害菌に負けてしまうこと、マツタケの発生にはまとまった菌糸量とそれを支える大きさの松が必要なことが挙げられる。例えば自然下でマツタケが生えるためには一般に20年生程度の松が必要とされる。)補足になるが、奈良県森林技術センターのバカマツタケ栽培研究は農水省の委託事業で、2015年より森林総合研究所(国立)との協働で進めている。要するに国策が3年の歳月を経て文字通り実を結んだかたちだ。今年の2月頃に、はてブでも話題にのぼった。しかし本件とは全く関係のない別個の案件であり、おそらく情報の共有などもされていなかっただろう。奈良県森林技術センターが松の苗木を利用するのに対し、多木化学は菌床を用いた完全人工栽培に取り組んだ。研究テーマもアプローチも全く異なり、時期も多木化学のほうが先行している。
これがバカマツタケ栽培の第1号で、今年も継続発生させて実用化に一歩近づけた。ところが多木化学は(中略)木クズなどによる人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結させたのだ。これは画期的なことで、キノコ栽培の常識を覆す大発明かもしれない。
菌根菌(樹木との共生関係を結ぶ集団)とされるバカマツタケで『人工培地(菌床)で培養から生育までを室内環境で完結』、つまり”完全人工栽培"に成功したというのは実に画期的なことである。この成果は偉業と言っても差し支えないものであると思う。三重大学の菌学者、白水先生も、
「原基から子実体への形態変化を促すための各種シグナルを試し続けました」
さらっと書いているけど,ここにどれほどの試行錯誤があったことだろう…— 白水 貴 (@Takashirouzu) 2018年10月5日
とその成果を讃えている。
しかし本文にある『キノコ栽培の常識を覆す大発明』というのは誇張にあたる可能性が極めて高い。なぜなら「菌根菌の完全人工栽培に成功」という点においては既に先行研究があり、実はとうに商品化もされているのだから。例えばホンシメジの人工栽培がこれにあたる。
とくにマツタケ類は、植物との共生が必須と考えられてきた。これまでマツタケ菌糸の培養に成功した例はいくつかある(私もその度取材に行って、いよいよマツタケ栽培に成功か、と期待していたのだが……)が、子実体(傘のある姿のキノコ)を出すことに成功していなかった。だが多木化学は、とうとう菌糸から子実体を出させるシグナルを見つけたのである。この研究成果は、これまでの定説を破るものであり、学術上も大きな成果だろう。
繰り返しになるが、多木化学の成果が学術上も大きな意味を持つ可能性は高い。しかし、その成果がどのレベルかという点については当該記事では説明不十分なので、詳しく補足する必要がある。一般にきのこの栽培はざっくり以下の工程をたどる。
b. 菌糸の培養
c. 原基形成
d. 原基の成長肥大
ごく簡単に一連の流れを説明する。はじめに野生のきのこをたくさん採ってきて、それらの中から有望そうな株の組織(胞子ではない)を切り取って培養する。具体的には寒天培地というデンプンなどの栄養素を添加し固めたものを使う。きのこは組織を切り取り培地に置くだけで(コンタミを防ぐ必要はあるものの)、比較的容易にクローンである「菌糸体」を得ることができる。無事目的の菌糸体が得られたら、それらを培養して増やす必要がある。従来は木くずの他に、米ぬか、フスマなどを添加し水を加え固めたもの(=菌床)を用いる。菌糸体は、適切な温度、水分、光などある条件が重なると原基(きのこの基)を形成する。原基は一般に、低温、水分供給、切断などの刺激により成長をはじめ、十分な菌糸体の量と栄養供給を伴って肥大し、きのこの発生に至る。
ここで問題になるのは、b. 菌糸の培養、c. 原基形成、d. 原基の成長肥大という三つの工程それぞれに、全く違ったメカニズムが存在することである。マツタケを例にとると、これまで少なくとも半世紀以上もの研究蓄積(野外での観察研究の記録を遡ると実に70年以上)がある中で、c,dについては再現性に乏しく、bについてもまともな成果はあがっていない。マツタケ栽培の難しさにして最大の課題は実はここ《b. 菌糸の培養》にある。とにかく菌糸の成長が遅い上に、どのようなメカニズムで菌糸が栄養素を取り入れ増殖するのかということがほとんど未解明なままなのである。
理由は当該記事にあるとおり、マツタケが樹木と共生関係を結ぶ「菌根菌」であることが大きい。マツタケ菌糸の生育には生きている樹木が必要で、実験室での再現はほとんど不可能といっていい。それではなぜバカマツタケは完全人工栽培は可能だったのか。
マツタケなどの樹木と共生する菌根菌に対し、シイタケ、ナメコなど、倒木や落ち葉などを分解し、栄養源とする菌類は「腐生菌」と呼ばれる。腐生菌の多くは菌床による栽培が可能で、多くが一般に出回っているのは既知のとおりである。実は菌根菌は、腐生菌が進化の過程で樹木と共生する力を獲得し、腐生的な能力を失った集団だと考えられている。ところが菌根菌の中には、完全に腐生的な能力を失っておらず、腐生と共生、いわば両刀使いが存在するのである。その代表がホンシメジである。ホンシメジは「香り松茸、味しめじ」と言われるように、我が国における代表的な食用菌である。菌根菌とされるホンシメジの栽培は、マツタケ同様に長らく不可能と考えられてきた。しかし系統により極めて強力な腐生的な能力を備えるものが発見された(研究により、これまで同種と考えられてきた本種が実は様々な系統もしくは別種に分けられることがわかってきた)。1999年にタカラバイオなどにより菌床による完全人工栽培法が確立され、その後商品化もされており、少量ながら現在も一般に流通している。
多木化学のバカマツタケ栽培は菌床を用いた完全栽培なので、上記のホンシメジ栽培の成功と同様である。つまり、本件はバカマツタケの中から腐生的な能力を持つ系統を選定し、培養から子実体を発生させるまで成功したということだ。リリースにあるとおり、今後は栽培の安定化と供給体制の構築が図られ、数年後にバカマツタケが食卓に並ぶことの実現性は極めて高い。それではマツタケ栽培への応用についてはどうか。
勘の良い方には察しがつくと思うが、前述のc〜eの工程については応用が効く可能性が高い。他のきのこ栽培でも成功しているように、十分な菌糸体と栄養を確保することさえできれば、原基形成〜子実体に至るまで管理が可能なことを初めてマツタケ類においても示したことは大きい。ただし、最大の課題である《b. 菌糸の培養》については、ほとんど応用が効かない可能性が高い。なぜならマツタケにおいては既に膨大な先行研究があり、当然ホンシメジやバカマツタケ同様に”両刀使い”が存在する可能性も、その系統選びも、菌糸培養を促進する成分や菌糸の栄養源についても、少なくともバカマツタケよりは遥かに詳しく調べられているからである。それをもってしてもまともな菌糸培養に至っていないのが現状なのだ。
つまるところ、多木化学による本研究の主な成果は以下の二点にまとめられる。
繰り返すがこれらが偉大な成果であことに疑いの余地はない。一方でマツタケや他の菌根菌の人工栽培を実現するには、それぞれの種類において腐生菌的能力をもつ系統の発掘と培養法の確立が必須となる。その意味において本研究の応用範囲は限定的となる。田中淳夫氏は今回の研究結果により、さも菌根菌の栄養吸収のメカニズムが明らかにされ、あらゆる菌根菌の人工栽培が可能になるかのような書き方をしているが(あるいは本当にそう思っているのかもしれない)、残念ながらそうではないことはここまで読んでくださった聡明なブクマカ殿にはご理解いただけたかと思う。
菌床栽培なら、植物と共生させないので培養期間が短く、室内の環境を調整することで季節を問わず生産できる。また室内栽培だから虫の被害にあわず収穫時も混入の心配がない、収穫も簡単……などのメリットがある。
逆にデメリットを挙げるとすれば、野生のものとは全く異なる味わいと食感になることである。つまるところ、野生の品と菌床栽培のものとでは全く別物と考えるべきである。養殖ブリと天然ブリの味わいが全く異なるように(それでも近年の養殖技術の進化は素晴らしく、季節によっては天然物を凌駕するものさえある)、それぞれの美味しさと楽しみ方があると増田は考える。今回の成果によりバカマツタケが普通に食べられるようになったら嬉しいし、美味しければ普及すると思う。ただし、仮にマツタケの完全人工栽培が確立されたところで、天然松茸の価値そのものは今後も揺るぎのないものである(消費者がどう捉えるかはさておき)。
菌根菌のキノコの中には、マツタケ類だけでなく、トリュフやポルチーニ、ホンシメジ、タマゴタケなど高級キノコが多い。今回の成功が、これらの人工栽培技術にもつながるかもしれない。
トリュフやポルチーニは、日本におけるマツタケ同様にヨーロッパで盛んに研究がなされているが、今のところ菌床での栽培に成功したという話は聞かない。ホンシメジは前述のとおり既に栽培法が確立されており既に商品化もされている。
これらの菌根菌の人工栽培を可能にするには、ひとえに”両刀使い”の系統を発見と、それらの培養方法の確立である。ちなみに本家マツタケにも、実は”両刀使い”の存在が示唆されており、引き続き研究が進められている。また、マツタケ類は世界中に似たような種が多数存在しており、マツタケ(Tricholoma matsutake)の中にも、例えば中国の山奥には広葉樹と共生する系統があり、更にはそれらが日本のナラやカシと共生関係を結ぶことがわかっていたりもする。種の中にも多様性があり、それらをしらみつぶしに調べていけば、そのうち栽培可能なものに出くわさないとも限らない。その点はトリュフだろうがポルチーニだろうが同様である。ただし、その研究がどれほど途方もなく根気のいる仕事なのは間違いない(ちなみにトリュフもポルチーニも国産種が知られており、積極的に狙うマニアが相当数いる)。ところで、遺伝子組み換え技術により、これらの菌根菌に腐生菌的能力を付加することも可能とする研究者もおり、そのうち遺伝子組み換えマツタケの完全人工栽培が実験レベルで成功する日も来るかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20181006-00099530/
http://fs.magicalir.net/tdnet/2018/4025/20181003413938.pdf
http://www.kinokkusu.co.jp/etc/09zatugaku/mame/mame04-3.html
https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/bulletin/424/documents/424-1.pdf
http://www.jsmrs.jp/journal/No31_2/No31_2_167.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjom/50/2/50_jjom.H20-07/_pdf/-char/ja
見た目 味も 香りも 同等以上なら 偉業
あくまで野生産同士の比較なら、やや下位互換という感じではないでしょうかね。栽培バカマツタケは食べてないのでわかりませんが、うまくすればそこそこ美味しいものができる可能性はあるかなと。ただ、マツタケって単体で食ってそんなにうまいものじゃないと思うので、一般家庭での調理には手を焼く気がします。炊き込みご飯するにも炊飯器臭くなるしね。料亭とかでマツタケの代用品として普及する可能性はあるかもしれない。<
上のアパートの一階に住むかもしれないってやつを書いた増田です。
まずコメントで言われてたデメリット点について思ったこといろいろ。
・湿気は言うほどひどくない
ものがカビたりとか、そういうのは全くない。ただ部屋に湿度も測れる時計とか置いとくと、80%超えてる時もあるんだけど、壁とかものとかそういうのはカビてないですね。
・虫はほとんど出てこない
ちっちゃーいクモぐらいですかね、虫らしい虫が部屋に入ってきたの。クモなら触れるので外に出してあげられるし、ゴキブリはお目にかかったことない。他の虫も同様。何か対策してたわけでもないけど、いませんでした。
・洗濯物は取られない
ベランダがあるので、バリバリ外干ししてるけど今の所一回も取られたことない。まあまだ半年ってのもあるけど。流石に下着は干してないけど、服・布団・バスタオルは普通に干すよ。
SECOMに入ってるのでそのあたりもあるのかなあとは思うけど、そういう被害もないですねえ。
・上の音はそんなにうるさくない
たまーに足音がどんどん聞こえるけど、イライラして気が狂いそうになるほどじゃない。いるんだなあぐらい。
逆にここはちょっとというところもあげておく
・陽の光が入りづらい
ベランダまでは陽の光が入るんだけど、部屋の中には入って来にくいから、よっぽど晴れてる日とかじゃないと薄暗い部屋になりがち。
ぐらいですね…
<総括>
・一階に住むの、悪くない
やっぱり一階に住むの悪くない、というかそんなに他の階変わらない気がする。気になる人は気になるんだろうけど、自分は全然だった。部屋の広さも立地も値段も何もかもがパーフェクトだったし、一階だからというマイナスポイントも今はほぼないのでサイコーの物件に巡り会えたという気持ちですね。
今日は朝起きてから何となく片付けと洗濯から始まった。片付けといっても自分の場合は部屋が恐ろしく汚いのでここ数日は部屋に散らばっている服なんかを集めてゴミ袋に入れてばかりだ。最近、買った本によると片付けが苦手な人はスペースで片付けようとするよりもジャンルで片付けをした方がいいらしい。
埃をふんだんに溜め込んでいた布団もなんとか捨てた。まずは、布団が寝るよりも他人を家に呼べるようにする環境づくりの方が優先される。
そうそう。昨日の夜に、洗濯槽洗剤(酸素系)を洗濯機に溶かして仕込んでいたんだけど、全然汚れが取れていなかった。ちゃんとぬるま湯を貯めてとかしたんだけどなぁ。。そんなに汚れがたまっていなかったという事で納得しておこう。
幾分か、石鹸の香りが残ったままの洗濯機でそのまま洗濯をして、その間に自分の洗濯もシャワーで済ませた。髭抜きを使うようになって、わりと大金をはたいて買ったパナソニックの5枚刃シェーバーの出番が無いが、どうしたものか。まぁ、どうでもいいか。
それから、ビタミン剤やら鉄剤、亜鉛、コンサータを飲んでYouTubeで動画を見ていたら、洗濯も終わったので干した。
バスタオル用の幅広のハンガーにTシャツを二つ折りで干すやり方を最近導入したんだが、なかなかいい。
今日は小雨も降ってるし湿度も高いので、衣類乾燥用除湿機も動かしておこう。
さて、あとは壁と洗濯機の間に挟んでいるダンボールもそろそろ捨てておかねば。ダンボールを適当にまとめ、地域指定の物置がある場所へ。小雨が降っていたので、発展途上国の女性が壺を持つ時そうするように、ダンボールを自分の頭の上に置いて持って行ったんだが日頃の運動不足のせいなのか100mくらいの距離で腕の筋肉が悲鳴を上げてしまった。手を上に上げてるだけでこんなに疲れるとは。
それから、映画を見たかったので地下鉄に乗り近くの映画館へ。今現在、映画館に入ったところだ。気分が乗ったら感想を書くかもしれないが、とりあえず今はこのへんで。
生活が怠惰すぎて、洗濯をサボりはけるパンツがない→ノーパンで家を出るということがよくあった。その時の記憶
・股間が蒸れる
家庭科の授業でこんな実験をしたことがある。右手にビニール袋をかぶせ、手首のところで輪ゴムで止める。左手には布切れを巻き、同様にビニール袋をかぶせてゴムで止める。五分後、右手は湿って気持ち悪くなるが、布で巻いた左手はサラサラのまま。人体と衣服の効用を学ぶというものだった。
湿度の高い股間部でも同じことが起こる。パンツを履かないとめちゃくちゃ蒸れる。何なら謎の液体がズボンについててクソ気持ち悪い。パンツを履いていたときにはそんな液体はなかったのに、だ。きっと湿気を吸収してくれていたのだろう。ノーパンはよくない。
・ズボンが臭くなる
股間部の湿気は臭いせいか、ズボンの股間周辺が臭くなる。歩いているぶんには気にならないが、電車で座ってすっと足を開き、床においた荷物から何かを取るなど
少し顔を下げると臭い。ヤバイ。これは洗濯しても微妙に残っていて、酵素系洗剤とか熱湯でつけ置きしないといけないハメになる。よくない
・寒い
たかが布一枚。しかしその保温効果は想像以上にある。とにかくパンツを履かないと想像以上に冷える。風呂に入ったりトイレするなどで服を脱いだとき、想像以上にケツが冷えてびっくりする。冷たい。夏でも普通に冷えて、もともとお腹弱いと簡単に腹下すと思うし風邪にもつながると思う。よくない。
膝をついて座るなどすると、普段はボクサーパンツのゴム部分が見える。カルバンクラインなどはジャスティンビーバー使った広告で、このゴムをチラ見せするおしゃれを提唱している(ように思う)。しかしノーパンだとそこにあるのは肉である。割れ目の先も見えてしまう。自尊心を砕かれる。よくない。
人生いつ何が起こるかわからない。救急搬送され、たまたまズボンを脱がす必要があったとき、ズボンを脱がすとボロンはあまりに恥ずかしい。しかも前述のとおり臭いし。女性スタッフには変態だと思われ、男性スタッフにはこいつ頭おかしいなと思われる。よくない。つらい。
最近はツイッターにあるマシュマロなんかで気軽に感想が送れる。
それが楽しくて毎日送ったりもしていた。
けれども書いても書いても送っても送っても「感想が欲しい」「感想が来ない」「匿名は寂しい」。
書き手、描き手は大変なことだと思う。読んで欲しい、見て欲しい、感想が欲しい。それは当たり前の欲求だと思う。けれども私はなんだか疲れてしまった。
先日、イベントに行ってたくさん本を買ってきて漸く読み終わった。
あそこも良いし、此処も良い。この表情は素敵だし、こんなセリフが思いつくなんて。
文章は気に入った部分を何度も何度も読んだ。私では逆立ちしたって出てこないような表現ばかりだ。
でもこの読んだ感情を、高揚を、勢いのまま絵を漫画を小説を写真をグッズを生み出した人に伝えようという気がまったく起きなくなってしまった。
それを少し、自分で悲しく思ってしまった。でも此処で無理に書いてもきっとまた同じことの繰り返しだと思ったのでやめておく。
本当に、自分は何かを伝えることに疲れてしまってるんだと改めて思った。
それでも。感想を今まで何百と伝えてきて良い思い出もたくさんあったので忘れないように此処に書いておこうかなって思う。その思い出話。
自己満足をだらだら書くので暇なら読んで。
まだ随分と昔、私がまだ交通費も捻出できず地元のイベントにしか参加出来なかった頃、支部の凄く好きな字書きさんがわざわざこちらにいらしてくれるとあった。
本当に好き過ぎて、いつか感想はお手紙で伝えたいとメッセージも送ってなかった人だった。
私は慌てて便箋を買いにいった。どの便箋もその人の作風には合わない気がして、文具屋で随分と悩んだ。
どれがあの人の作品に合うだろう、どれがこどもっぽく思われないだろう。
散々悩んで私が選んだのはなんの変哲もないクラフト便箋。そして蝋引きの封筒にした。
家に帰ってもの凄く時間を掛けて手紙を書いた。お話が文章が、凄く凄く好きだと手紙を書いた。何度も作品を読み返して、そのたびに泣きそうになって、そのことも書いた。
あまりにも汚い自分の字に嫌気がさしながらも、それでも手紙を書ききり、封をした。相手のお名前を書いた時、やっぱり字が汚いなと思ってしまった。
そして、当日、緊張してお手紙を渡した。
そう言うとその人は私の書いた名前をなぞりながら
「全然汚くないですよ」
と言ってくれた。それだけで嬉しくて嬉しくて、そのまま本を買って帰ろうとしたら多分サークルの方に渡す用のお菓子まで頂いてしまった。
そして私は逃げるようにそこをあとにした。
その時に買った本も凄く良くて、感想をすぐにでも伝えたいと思ったけど、この人は手紙を書きたいと思った。
そこから暫くタイミングが合わずにその人のサークルに行くことが出来なかった。本は通販。
イベントで暫く、となると軽く数年経ったりする。その人はジャンルも変わってしまった。
そんなある日。
「以前そこへ行った時はご飯も美味しくて感想の手紙も貰って良いイメージしかない」
と。これが自分のことだとは思わなかったが、私の地元に良いイメージを持ってくれて、また来てくれるといってくれて私は嬉しかった。
改めて前に買った本の感想を手紙に書いた。以前、手紙を渡した時もとても良くして貰ったと書いた。
そしてイベント当日、別ジャンルへと行って書き手の方に手紙を渡した。
前ジャンルの時に出された本の感想で申し訳ないんですけど。と云って渡すと私の書いた手紙を見て「あっ!」と云った。
そう訊かれて頷いた。その人は私の手を取って。
「気持ち悪くて申し訳ないです。私、貴方から貰った手紙、嬉しくて嬉しくて何回も読み返してもう筆跡を覚えてしまってて」
そう云われた。
私は感想を書くことが好きだけれどもそれは一方的なコミュニケーションだと思っていて、自分が書きたいことを書いて渡してしまったら基本其処で完結してしまっていた。相手がそれを読んだことを気にしたこともなかった。
基本的に私はウェブ媒体以外では小説や漫画の二次創作を手にすることが多い。なので、必然的に感想もその辺りになる。
けれどもある日、表紙の子と目があってしまった。本当に偶然通り掛かったサークルのイラスト本。一度通り過ぎて、気になって手にしてしまった。薄い本は一期一会だ。
結論、大当たりだった。
私はすぐに感想を書いた。表紙の子と目があってしまったことや、中のイラストの湿度や温度を感じるような情報量。そして、描き手の熱量。とにかく圧倒されたと書いた。
イラスト集で感想なんて書いたことがなかったけど、気付いたら便箋4枚にみっちりと書いていた。
そして次のイベントにもそのサークルさんが参加されるとあったので、お手紙を渡してまた新しい本を購入させて貰った。
まぁ、勿論素敵だったので感想を書きますよねー!! 感想書くの楽しいー!!! みたいな感じで書いて、また次のイベントへ。
すると、また手紙を渡した瞬間にサークル主さんから「あ、あの、此間もお手紙下さいましたよね!」と云われる。
「あ、はい、迷惑でしたか???」と、焦って新刊を買って逃げようとしたらいきなりその人が泣き出したので、泣くほど酷いことを書いてしまっただろうかと私は焦った。
謝ろうかと思ったが、何を謝って良いかわからなかった。思い当たる節が多過ぎる。もしかしたら手紙や感想が嫌な方だったのかもしれない。そう云う方も少なくない。どうしようどうしようと思っていると。
「貰ったお手紙が凄く嬉しくて。私、漫画上手くないからいっつもイラストばっかりで、あんな風な感想貰ったことなくって」
いやいや、でもあんなに素敵な絵ならSNS場でいっぱいコメント貰ってるんじゃなかろうか???そう思った。
そういうと。お手紙がどれだけ嬉しかったか、時間を掛けて書いてくれて本当に有り難かった。また絵を描いて本を出したいと思った。そんなことを言われた。そして。
「手紙を貰ったのが嬉しくて。手紙が大好きになって、自分も手紙を書くようになりました」
どんなことでも、些細なことでも一筆書くようになったと。それを聞いて手紙を書くのが好きな私も嬉しくなった。
SNSのメッセージでも良く感想を送る。手紙が一番好きだけど、メッセージはやっぱり手軽で便利。
上でも書いた通り基本的に相手からのリアクションは求めてないので、送ったら一度自分の中では完結してしまう。
けれども丁寧な人はお返事をくれたりする。
そして、その中には初めて感想を貰いましたという人も少なくなかった。
また、筆を折ろうとしていた。けれども私の感想でまた描こうと思った。そんな人も結構いた。
たかが私の感想で描き手の方を大きく動かせるなんて思ってもいないし社交辞令だって分かってる。それでもこうしてわざわざメッセージが届いていることを伝えてくれている気持ちが嬉しかった。
私は何も書けないし、生み出せないし、作れない。
それが出来る人たちが凄いと思う。
ここに書いたこと以外にも感想を伝えていて楽しい思い出はたくさんあった。
勿論、差し入れを放り投げられたことも手紙を捨てられたことも、感想が迷惑と言われたことも、感想を送った相手にブロックされたこともある。
けれどもそれは私が相手を不快にする何かがあっただけかもしれない。何か粗相をしたのかもしれない。良くない言葉選びをしてしまったのかもしれない。気持ち悪かったのかも知れない。
何百と感想を書いてたらそういうこともある。
次は気を付けよう。反省をすることはあっても、感想を送るのを辞めようと思ったことはなかった。
便箋を選ぶのが好きだった。ペンのインクを補充するのが好きだった。パソコンを前に本を読み返しながら言葉を選ぶのが好きだった。どう伝えるか、どうしたら伝わるか。そんなことを考えながら感想を送った。
素晴らしい作品を読んで興奮する気持ちは未だにあるのに。もう相手に伝えたいと思う気持ちがなくなってしまった。
ただ、それを楽だと感じてる自分もいて、それがなんだか凄く寂しい。
少しだけ感想を書いていた時の思い出をここに書けて良かった。