はてなキーワード: 湿度とは
ツクヒは普段から不機嫌が服を歩いているような人間だったが、この日は特に虫の居所が悪かったようだ。
体調が完全に回復していないのだろうか。
それとも昨日は寝入りが悪かったのか、はたまた寝起きの低血圧か。
朝食を食べ損ねたからなのか、朝の占い番組の結果がダメだったのか、エレベーターが中々こなかったからなのか、通学路の信号で尽く足止めをくらったからなのか、気温がいつもより低めだったからなのか、湿度が高かったからなのか、変なところで足をつまづいたからなのか、苦手な先生が話しかけてきたからなのか。
結局のところ理由は分からないけれど、当の本人すらよく分かっていないんだから、俺に分かるはずもない。
でも分かっていることだってある。
何かを指摘して、それが結果的に合っていても間違っていても、火に油を注ぐ可能性がある。
「どうしたの? 随分とイライラしているね。食生活が偏っているんじゃない?」
対立は決定的となった。
「御託は結構」
ツクヒは、ペットボトルの飲み口部分を握り締め、既に臨戦態勢だ。
俺たちはそれを止めようとはしない。
いま、あの場にいるのはツクヒじゃなくて、俺たちの誰かだったかもしれないのだから。
「ブリー君。どうしても断る理由があるのならいいけど、ないのなら受けて立った方がいい」
「ブリー君には自覚がないようだけど、これは必然的な戦いなんだ」
「もう、分かったよ。やればいいんでしょ。でも、何でペットボトル……」
気圧されたブリー君は、渋々といった感じでペットボトルを握り締める。
このペットボトルを武器にして戦う慣習は、学校の生徒たちによって作られた。
なぜこんな方法が生まれたかというと、「怪我をしにくいため」。
そして何より「子供のケンカに大人がしゃしゃり出てこないようにするため」だ。
だけど、これは両方とも大人の言い分だ。
お年玉と一緒さ。
身勝手な大人は、その“お年玉”を子供たちが与り知らぬところで使う。
そんな状態で、もうどうにも止まらないことが起きた時、子供だけの社会で何ができる?
大人たちが毎日どこかでやっていることより、遥かに平和的なケンカだ。
なのに、出しゃばりな大人たちは大きく騒ぎ立てるんだからバカげている。
同じ人間として扱っているようで、内心では子供たちを見下しているんだ。
だから、違うレイヤーに平然と土足で入り込み、その干渉が正しいとすら思っている。
そんな大人たちに、俺たち子供の世界を侵略されるのはゴメンだ。
そうして当時の子供たちは、子供たちによる子供たちのためのルールを自然と作っていった。
それは時代によって形を変えつつも、今なお残り続けている。
このペットボトルによる戦いも、その一つってわけだ。
そして今、その火蓋は切られた。
「おい、ブリーどうした! 腰が入ってないぞ!」
「いや、だって、ぼくはこれ初めてだし」
「ビギナーであることを言い訳にするな。オレはこの容姿のせいで、10戦10敗だ」
「それ、きみが弱いだけじゃ……うっ、脇はやめて」
今回使われていたペットボトルは、エコタイプだったので柔らかめ。
しかも、二人とも運動神経がよくないから、勝負の内容は凄まじく泥臭かった。
「さっきからお前は、口だけか!」
「ぐっ……ぼくは間違ったことを言ってない」
「“間違ったことを言ってないだけ”だ! お前はそれをウィルスのようにバラ撒く! だからみんな近づきたくないのだ!」
それでも俺たちは見入った。
ツクヒがブリー君に投げかける言葉、振り下ろされるポリエチレンテレフタラートによる一撃。
それらは、いつか誰かが実行していたに違いない。
それがツクヒだったというだけだ。
「オレはまだまだギブアップしないぞ!」
「こっちだって!」
ブリー君も雰囲気にあてられて、ペットボトルの振りが本格的になってきた。
「いいぞーやれー!」
「チャイムが鳴るのはまだ先だ! 頑張れー!」
ドッジボールをしていたときよりもエキサイトする、とても自由で豊かな感覚だ。
「あなたたち! 今すぐにやめなさい!」
だけど、終わりは突然だった。
俺たちによる俺たちのための闘争は、より力のある人間によって簡単に介入され、無理やり組み伏せられる。
それをしたのがルビイ先生だとは思ってもみなかったけど。
ある学生寮での研究で、「マスク着用と手洗いの両方をした群」は「両方しない群」と比べ
インフルエンザ様症状の人が35~51%に低下したのですが、
https://www.asahi.com/articles/ASK1N65LBK1NUBQU00J.html
マスクの装着により吸った空気に湿気をあたえ、温度を上昇させる効果があります。冬になり環境中の湿度が低くなるとドライノーズの症状を訴える人々が増加してきます。わざわざ加湿器を購入しなくても、マスクが自家製加湿器の役割を果たしてくれます。また、ウィルスは、マスクを通過してしまいますが、気温が高く、湿度の高い環境ではウィルスの増殖が抑えられますので、マスクの装着によりインフルエンザ等の予防にもつながります。鼻や喉の粘膜に存在している免疫細胞や繊毛は、温かく湿った環境で機能を発揮します。マスクの装着により冬の冷たい乾燥した空気を暖め、加湿することができます。
創世記によれば 、神はまず天地(宇宙)を作り、そこに光をつくった。
そして2日目には空を、3日目には大地と植物を、4日目には太陽と月と星をつくった。
5日目、神は魚と鳥をつくられたあと、6日目には獣と家畜、そして神に似せた「ヒト」を作られた。
そして、神は7日目に何をつくったか。
サウナを暖めているサウナストーンに香りの入った水をかけることで湿度を高め、体感温度を高めながら香りを楽しむこの行為をフィンランドではそう呼んでいる。
そして今、夜更けのタクシーの室内球が点灯したかのごとく薄暗いサウナ室のドアを開け、1人の熱波の送り手「福永さん」は現れた。
サウナストーンに水がかけられると体感温度が急激に上がっていき、部屋中がアロマの香りで満たされていく。
俺の期待もまた高まってゆく。
子供時代にこっそり持ち出して遊んだライターのように、小さくて高いエネルギーと高揚が押し寄せてくる。
そして福永さんは手にしたバスタオルで発生した蒸気を室内に行き渡らせる。
福永さんはサウナストーンのある僕の左側から徐々に右側に熱波を送っているので、普通であればドライヤーに当てられるように一面だけが熱くなるはずだ
また暖かい空気は通常高いところに登って行くので、頭や耳は熱く、一方足はそれほど熱くないように感じられるはずだ。
だがおかしい
俺の右半身が温まってきている
福永さんが俺の正面に立つ
彼のタオルさばきから生み出される巧みな気流の流れはいっさい皮膚を焼かない。
自然に自分の肉体と精神が温められ、雑念が一枚また一枚と剥がされてゆくのだ。
どうしてこんな暑い部屋にいるのか?どうして自ら苦しい目に合う必要があるのか?
そのような雑念はすぐに消え去り、ただその恵みを受け入れることだけが己の心の中に残ってゆく。
ちなみに神が7日目につくったものがもう1つある。
水風呂だ。
刀鍛冶が湯入れの温度を繊細に見極めるように、まずは身体の汗をかけ水で流し、そして一気に全身を突き入れる。
水深170cm、熊本の土地で磨かれた天然水の水風呂はまるで羊水のように火照った身体を抱きしめる。
その水風呂にただいっぽん垂らされる荒縄を握りしめ、天から降り注ぐ天然水の滝を受け止める。
もはやなにかを考えることなどない。
釈迦如来に垂らされた蜘蛛の糸を見つけたカンダタのように、無心で水と自分だけの世界に没頭するのだ
身体が芯まで冷えたところで水風呂から出る。神がつくったこの星の隅っこへ置いてある、白いプラスチックの椅子に腰掛ける。
まぶたが重くなり、体の力が抜け、自然と息を吸いたくなる
そして昔の出来事や遠い宇宙のことなどが過去や未来とひとつになったかのようにとめどなく、無尽蔵に思い出されてゆく。
大学の時は木星の研究をしていたなぁ。新しい天体や事象を見つけてそれに名前をつけたかったなぁ。人はいつか死ぬし、死ぬまでの間に爪痕を残したかったなぁ。そういえばホスピスにいるばあちゃんは立てなくなっちゃってたなぁ。実家で着ながら家事をしてたセーターに着られてる小さくなったばあちゃん。母親は次は何日にどの親戚が来るか、毎日伝えてばあちゃんの気力を繋いでたなぁ。もしかして無理矢理頑張らせてるんじゃないかって不安になってた母親をデイケアのマネージャさんが励ましてたなぁ。頑張らせてるんじゃないんですよ。ばあちゃんは自分の力で頑張ってるんですよって。
俺の意識が肉体のことを忘れて飛び回る。
細胞と細胞を繋ぐシナプス。銀河を飛び回るニュートリノ線。主よ。人の喜びよ。
この浴場にさっきまでいたお腹の大きいおじさんも騒ぐ高校生も、店員すらもここにはいない。
自分の中心たるイデアがまっすぐ、自分を内包している世界とリンクするのだ。俺は今宇宙と1つになって、そこから何かを得ているのだ。
ありがとうばあちゃん、ありがとう木星、ありがとう芥川龍之介、ありがとう旧約聖書、ありがとうイソップ、ありがとう子供の落書き帳。100円ライター。ありがとうギリシアにアテネ。
この快感をサウナ愛好家たちは「ととのう」と呼び、また最高のトランス状態を求めて日夜研究を惜しまないのである。
全てを終え、服を着てサウナの外に出る。
全てが整理されて視界と考えがクリアになる。
さて。
死の臭いというものがあるとしても、きっかり一日前から漂うことはないだろうし、
雨や雪が降る前に、湿度から独特の臭いが漂うとしても、それが雨か雪かは判断できない(気温から判断することになる)。
論理的に考えても、
「雪が降る前には臭いがする」「女性の嗅覚は鋭いと言われている」「ある女性が性欲の臭いを感知できると主張している」がそれぞれ正しくとも、
そんなこと、よっぽどの緊急事態じゃ無きゃめったに無いだろうと思っていた。
ネタにするくらいだから、仕方の無いシチュエーションばかりだと。
正月、まさに1月1日の元日、初詣に出かけるために着替えていた。
目的の神社は参拝の列が日陰で寒そうなので、パンツの下にタイツを仕込んで着替え中。
でも、なぜかいつもと違い音が出ない。
生ぬるい感触。
でも、明らかに違う、たれた感じ。
そう、おなかが緩んでいるからだ。
水がこぼれた感じで、すぐにケツ筋をしめた。
漏れている…
真っ先に思い出したのは増田だ。
家の中であることが唯一のすくいだ。
急いで処理をしなければ。
トイレでパンツを下ろすときに、背中方面にもついていたらしく便座も汚れている。
ウォシュレットで洗うだけでは足りない。
尻じゅうを拭い、便座も拭く。
すぐ側にトイレマジックリンを置いていたのがこんなに役立つとは。
ウンチをトイレットペーパーで拭き取り、コンビニの小さな袋で二重にくるみ、ゴミ箱へ。
よし、清まった。
初詣にふさわしい、清らかなカラダだ。
今年も良い年でありますように。
すみません。私の小言に付き合っていただいて申し訳ありません。
でも、病院や施設の幹部の人は、話が分かる人じゃないとダメだなぁとつくづく思いましたよ。
看護部長という肩書の方とお話したんですけど、知能が知れててダメだこりゃって感じでした。
やはりまず相手の話を聞いてからですよね。そして理路整然と反論なりすればいいものをこちらに話させないんですもん。
昨日さんざん部下から報告を受けました。それからこちらの話を聞かずにほかの施設を探せだの言われても説得力がないんですよね。
直接、話している意味がない。
そして病院はどこも同じですよって言われたので確認してみたんですが、県立病院は温度設定できる空調でした。28℃は高過ぎますねと言われました。
でも、湿度の調節は出来ないということでした。そういうもんなんですね。
幸いにも加湿器を使って良いと許可を得たので早速置かせてもらってます。
置き場所が悪かったのか、直接冷たい湿気が顔に当たっていたということで風邪を引いてしまって39.5℃も熱がありました。
顔に当たらないように風をよけてもらったら良かったのにと言ったら話し合いで置き場所が決まりましたので動かしたらいけないと思って、
今日は律儀にエアコンを切ってもらっていたので25℃代でした。
ありがとうございますと礼を言って帰ってきました。
でも、日にちが経てばまた直ぐに逆戻りするんですよね。一時的に過剰反応したりして終わりなんです。いつもそうです。
あの看護部長と話しても何も前進しないことに気付いたからです。
逆に問題児扱いされてクレーマー呼ばわりされて居づらくなるのがオチでしょうね。
問題があっても何も言わないで、ただ頭を下げておけばいいんだということです。
それもひとつの方法ではありますが、私は言わなければ分からないっていうこともあると思うんですよね。
長くそこで働いていればいるほど、そういうもんだということになってしまっている作業がありますよね。
だからそうじゃないんだよっていうところを再認識してもらいたいんですよ。
大変な仕事だということは、理解しているつもりなんですけどね。
ボランティアじゃないんだから、最低限やるべきことはやってもらわないと。
長々となりました。
失礼します。
そしたら看護部長の女性が、いきなり感情的になってまともな話ができませんでした。
私たちはやることはやっているので、それ以上を望まれるのであれば他の施設を探してください。
というのが一貫した主張でした。
でも、やることをやってもらっていないから要望という形で看護主任さんと昨日お話をしていたところです。
エアコンがONOFFの機能しかないので部屋が28℃まで上がってしまって暑すぎるんですよね。
25℃の部屋もあれば、28℃の部屋もあるからそれぞれの部屋の室温を管理する必要があるのにやっていない。
やっていないのにやっていると嘘をつくんですよ。
どうして嘘だと分かるかというと、介護士さんや看護師さんに尋ねてもそれぞれの部屋のスイッチをONOFF出来ることすら知らなかったんですよ。
そしてそれを指摘しても母の部屋は28℃のままなんですよ。今の季節で室温28℃はとても暑く感じます。
それを言ったら県立病院だって国立病院だってそうですよと平気で言うんですね。
話しの途中で姉が到着したので、一緒にひとつずつ話し合っていこうと思っていたら、
その後は姉の独り舞台になってしまって話合いの場は崩れ去ってしまいました。
どういうことかというと、全面的に私が悪いことになってしまって、私の言動に注意して施設に謝って終わるというものでした。
母親を大切に思うあまり無理な要求をしているというのが姉の意見です。
施設側は、そうですよね~。お姉さまはよくわかっていらっしゃる。という反応で流れは一気に施設の楽勝ムードになりました。
姉は年に2回くらいしか施設に顔を出さないくせに知ったかぶって施設の肩を持つんですよ。
問題は山積してるのに、言うべきことを言えずに話し合いは終わってしまいました。
他にも毎日食事介助に来ている人が言ってました。「ここはなんにもしてくれないもんね。ほったらかしだもんね。」
そうなんですよ。毎日、来て見て観察してたら見えてくるんですよ。
誰だって満足して安心できる介助を受けてたら毎日介助に行きませんよ。
毎日介助に行ってたら自分の食事はスーパーの総菜なんですよね。作る暇がないので。
姉はそれを心配してくれてるんだと思うんですけど、自分のことより母のことが心配なんですよね。
施設側も食事介助はこちらでやりますから来なくて結構ですって言われました。
行かなかったら施設の思う壺ですよね。ますます手荒くグイグイ食べさせられて、急変されましたって夜中に電話があるんですよ。
現に隣で食べてた人が急に亡くなりましたもん。
運が悪かった。寿命だった。で済ましたくないんですよね。
手抜きや不注意で死なせたくないんですよ。いつか必ず死にますけど、納得できる死に方で逝ってほしい。
それが私のプライドです。
また、明日から行きます。来なくていいと言われても行きます。信用してません。
できるなら転院したいです。頑張ります。
在宅 → 有料老人ホーム → グループホーム → 病院の介護病棟 → 介護医療院
これからは、徐々に在宅でみることに重点を置くようにシフトしてきていると思います。
団塊の世代を親に持つ人は、まだ介護と言ってもピンと来ないでしょうね。
たぶん他人事でしょうね。自分もそうでした。ウチの親は認知症なんかにならないだろう、と。
でもその予想は見事に外れて今、重度のアルツハイマーで要介護5です。
在宅で、地域の人たちの協力を得て介護していきましょう、と言っても団塊ジュニアたちが自宅で親を介護できるでしょうか?
当然、親が要介護状態になったら施設に預けて面倒みてもらおうと考えている人がほとんどじゃないでしょうか?
毎日付きっ切りで自分の時間も持てません。それどころか睡眠時間を確保することも難しくなるでしょう。
ストレスは溜まるばかりです。
楽しいことがなく辛いことだけがいつまで続くか分からないままずっと肩にのしかかります。
だって生活の満足度が一番高いそうじゃないですか?今の30代、40代の人って。
笑っちゃいました。介護生活に入ったら生活の満足度なんて言ってる暇も余裕もありませんよ。
そういう世代の人たちが自宅で介護するんだから介護殺人が増えないはずがないんですよ。
覚悟しておいた方がいいでしょうね。もしかしたら自分が親を殺すことになるかもしれないって。
でも、気が狂うくらいに大変なんですよ。ホント。
で、もうひとつ。自分は、施設に預けるから全然大丈夫って思っているあなた。
全然大丈夫じゃありませんよ。
有料老人ホームで施設長が自信満々に言われました。「なにかありましたらこのボタンを押してくだされば、直ぐに職員がまいりますから。」と。
グループホームで職員のミスで顔面を床に強打したときに言われました。「こんなことは日常茶飯事ですよ。ご心配ならご自分で病院へ行ってください」と。
責任を追及して、治療費は出してもらいましたが、それから一気に状態が悪くなりましたが、なんの保証もないままです。
現在いる介護医療院は、今までで最低の施設です。エアコンの温度設定ができない。
全館冷暖房で温度調節はONOFFのみ。しかも湿度は26%という最悪の状況。
食事介助も手荒くてグイグイ押し込む感じ。
なにか要望でも言おうものなら、「それでは他の施設に移られた方がよろしいんじゃないでしょうか?」と強気で横柄な態度。