はてなキーワード: 浮浪者とは
ちなみに、大阪在住です。いわゆる氷河期世代です。ちょっと身バレ防止のため年代とかおかしくいじってるけど、
自分はIT系というかネット系の仕事してたので、勉強会やセミナーも東京しかなく、
求人情報もWebデザイナー・ディレクターで探すと、当時は大阪:10件、 東京:200件 みたいな感じ。
その大阪5件も、ずっと同じ企業が出てた。常時5件、たまに8件、みたいなそんな感じだった。(記憶だから全然違うかもだけど)
もう大阪にいても無理でしょ。って事で出て行った。
初めていった東京は凄かったし、大阪が東京にはりあってるのがあほらしくなるくらいにレベルが違いすぎた。
戻った理由は、大阪が昔より良くなった。活気が戻った。子育てしやすくなった。と身内や友人にめちゃ言われたから。
そして5年くらい前に戻ってきた。
出て行く前のあの大阪の負の空気感が凄く嫌で嫌で仕方が無かったから。
でもあるときからみんな大阪よーなったで。と言うようになった。
そんなタイミングで子どもも産まれたし、関西良くなったんなら実家近い方がいいねって、
何度か家族で相談し、何度か帰省して調査して話聞いたりしてほんまに良さそうやなってなって帰ってきた。
色々前提が長くなったけど、
東京、大阪である程度を過ごして、今大阪にいる人間からしてみると、表題のことを凄く実感する。
なんなら選挙の時に他の候補とか見てない(都構想の時とかはちゃんと読んでたけど)
でも、ポイントは、維新「が」ではなく、維新「で」良いというところだと思う。維新「が」良いじゃないんだよね。
テレビを牛耳ってるだ、なんだと言われるし、実際そういう面も強くあるかもしれないけど、そういうところじゃないんだよね。
大阪の人は、自分が大阪もう無理だわ。って思って出ていったあの時を知ってるんだよね。
公務員大天国であり大正義、なにしても基本は罰せられない。注意だけ、コネあれば入れちゃうとかね。
そもそも自民党と共産党が共闘するとかって大阪以外でありえるか?って話だしね。
え?公務員めざさんの?なんでなん?あほちゃうん?親戚にいないん?と言われたのは今でも覚えてる。
それくらいに腐ってた。
自分の知人とかは大阪地下鉄に入りたい。と死ぬほど願ってた。入れてなかったけど。今どうしてるのかな。
もっと腐ってたんちゃうかと思うくらいに腐ってた(自分の記憶だとそういうイメージ)
今ほどネットが進んでないから、出てない腐ってたことなんてもっとあったんじゃないかと思うくらい。
そういう時に維新がきた。
色々問題もあるし、自分も維新が絶対良いなんて事は全く思ってないけど、
結果として、はしもとさんになって、大阪が劇的に変わったというのは、大阪に住んでる人は、間違い無く実感してるはずなんだよ。
あの天王寺動物園が、家族連れで普通に行きたい場所になるなんて思ってもみなかった。
遠足で行くとかになったら、まじで?ふざけんなよ。だれやねんこれ決めたヤツ。と言われるくらいに天王寺動物園は糞動物園の代名詞だった。
まさか自分が子どもを連れていくようになるなんて思ってもみなかった。
てんしば公園のあるあの辺なんて、昔は変な謎なカラオケとか家族でいくような場所じゃなかった。
地下鉄で絶体絶命の緊急時以外にトイレ行くという選択肢をとるなんて思ってもみなかったし、
新今宮界隈があんなに歩きやすくなるなんて思ってもみなかった。
新今宮から地下鉄へ乗り換えのために、パチンコ屋の前で寝てる浮浪者の横を通り、
交差点で変な布教活動するおっちゃんに声かけられ無視して逃げながら
恐怖心を抑えて移動してたのが、今は普通に歩けるようになってるなんて驚きでしかない。
そして逆に、維新以前に政治やってたやつらは、本当に糞オブ糞だったという思いが強烈にある。
この辺は維新がうまくやったというのもあるとは思う。裏では色々あったのかもしれない。
けど、結果として、本当に結果としては、そうなってる。
大阪は昔と違ってよーなったなーというのは本当に実感してる。
でも多分これは大阪、もしくは関西じゃない人からしたら疑問でしかないんだろうなと。
コロナで吉村知事や松井市長が度々やらかしたりしてるのを見て、
なんでそんなに支持率高いねんって思うんだろうけど、背景はこういうのがあるからだと思う。
それくらいに、維新以前、維新以後って大阪は変わってるんだよ。
平松大田時代から進めてきたってのもあるのは間違いないんだろうし、
その目が出たのが、維新の時だったとかってのもあるんだろうし
それを維新がうまく利用したりPRしてるってのはあるんだろうけど、
それでも一般人から見たら、維新の時に見るからに圧倒的な結果が出た。
で、これ最近、自民が腐るに腐ってるのに、他が全然支持されない状況になって、
特に立憲民主を見てると、この大阪の逆パターンなんだろうなと思う。
大阪は、維新になって、劇的に良く変わったという成功体験が強烈に残ってる。
大阪都構想が負けたのは、負けても都構想をやらないだけで、維新じゃなくなるわけではないからだと個人的には思ってる。
あれが、もし仮に、勝てば維新で都構想。
負ければ、維新じゃなく自民・共産などの維新以外で大阪府市の運営となかだったら、
維新以前?それは論外。って感じが多いと思う。
あれは、維新が人気というのもあるけれど、それ以外の、維新以外の時代の負が強すぎて、
維新以外は強烈なNOという結果なんだと思うんだよ。
だから最初に書いたように維新「が」じゃなくて、維新「で」いい。になってるんだと思う。
色々維新がやらかそうとも、維新が根強く支持されるのはそういうことがある。
それこそテレビとかメディア牛耳って世論を誘導してる結果だろと言われるかもしれないけども。
で、国政を見ると、これの逆が立憲民主なんだろうなと。
民主党時代、それが良かったか悪かったかというのはおいておいて、
世間一般的な評論としては、(それを自民が誘導したとか色々あるのかもしれないけど)
強烈に負の体験が残ってるんだろうなと。
2番じゃダメなんですかの話なんて、実際にそれをよく読みこめば、
言ってることは全くもって正しいってのはわかるけど多分そういうのはほとんどの人知らないんだと思うし。
で、これ、
大阪は、維新=大成功、維新以外=負の時代を作り上げた となっている。
みたいな印象になってる。
世論というかイメージというか、実際がどうとかじゃなく、そういう印象って残ってるんだと思う。
大阪で、何をしようとも維新が強いってのはこの成功した「体験」をモロに自らしてるからで、
民主の時、政権交代して強烈にダメだったという「体験」をしてる。(実際ダメだったかどうかの是非などはどうでも良い)
実際、大阪にいると、最近の維新での特にコロナ関連における学校関連とかはほんとひどいとは思う。
先生とか学校の関係者はめっちゃ疲弊してるしね。先生に差し入れとかしたいと思うくらい。
でもじゃぁ維新以外でやらせて、維新に危機感もっと持たせろよとなると、
自分もあの当時の大阪はもう無理だ。出て行こうと思うくらいの負のイメージがあるのであんな暗黒に戻るのは無理でしょ。となる。
維新以外にお願いしたいかと言われると、やっぱ無理。ってなっちゃう。
維新、最近おかしいけど、もうちょいがんばってくれ。頼むよって気持ちになってしまう。
時が経てば経つほどそういうのってより強くなってしまうとも思う。
これを払拭しないと、
国政はずっと自民のままだろうなと思う。
Wikipediaによると、DaiGoは幼少期にいじめられていたらしい。
彼はお金=社会的承認に飢えている一方で(あるいは飢えているがゆえに)、既存の倫理観に対してかなり挑戦的だ。
彼のこうした人格には、当時の経験がかなり尾を引いているのではないかな、と思っている。
いじめられるに至った経緯は不明だが、興味は無い。いじめの経緯なんていつも些細なことだし、どうでもいい。
道徳の授業で、暴力はいけない、揉めたらよく話し合おうと教えられる。相手の人格に問題があったとしても、暴言や暴力を向けていい道理は無い。いじめは許されない。法に触れていれば犯罪だ。
しかし、建前がどうあれ、学校というコミュニティにおいては往々にしていじめが発生してしまう。学校には何故か警察は介入してくれない。彼の場合、頼みの綱の先生も助けてくれなかったようだ。
社会に適応的な人間からすれば、虐められた原因を正して社会と和解すればいいだけのことかもしれない。
しかしいじめられっ子は、たまたま生贄に選ばれてしまっただけだ。仮にいじめられる側に原因があったとしても、どこを正せばよいのか伝えられないまま、突然暴力によって存在を否定される。いじめられっ子からしてみれば、理由はどうあれただ理不尽に暴力を向けられただけである。気に入らない奴に暴力を振るい、尊厳を踏み躙り、見て見ぬふりをするという社会の悪性を一身に向けられたいじめられっ子は、果たしてそんな社会の仲間でありたいと思うだろうか?
ひとたび社会の強烈な不正義に晒された人間からしてみれば、適応は不正義への降伏に過ぎない。
彼がナタを投げるという脅迫によっていじめを克服し、しかも本人がそれを成功体験としているのも悲しい話である。
周りの大人や先生が助けてくれたなら、まだ世の中捨てたもんじゃない、正義だってある、自分には味方もいると思えたのだろう。そうした経験を欠いた彼の世界には、おそらく未だに愛も正義もない。自分の行動によって世界は変えられるという本人の言は、承認は行動によって勝ち取るしかないという不安の裏返しではないだろうか。
無条件の承認も社会への帰属意識も身につけられなかった人間は、自分に居場所があることを確認するため、社会的承認をかき集め続けなければならない。
これこそ彼が、目に見える成果が出るまで時間のかかる心理学研究でなく、すぐにお金を稼いで世間に自分の非凡さを思い知らせられる、うさんくさいパフォーマーとしての生き方を選んだ理由ではないだろうか。
私は、彼の信じられないほど酷薄な発言も幼少期のいじめに由来するのではないかと考えている。
非納税者を蔑視する発言は、相手にされないことへの不安から来たスタンドプレーという一面もあるが、既存の倫理観への不信からくる本音でもあるのだろう。暴力はいけないという一般論を教育されつつ暴力を振るわれた過去故に「口でいくらヒューマニズムを謳っても、本心は違うに違いない」と思っているのではないだろうか。
別に私はDaiGoも被害者だから哀れむべきと言いたいわけではない。理由はどうあれ、非納税者への福祉に関して無理解なまま、倫理にもとる発言をしたことは批判されてしかるべきである。
しかし「悪い奴だから懲らしめてやる!」と義憤に燃えている人は、自身が正義などではなく、気に入らない人間を積極的に排除しようとする側、いじめっ子気質の人間であることを認識した方がいい。
自分の非を認めていない人間に数の暴力でサンクションを与えたところで、暴力によって従わされたという心の傷が残るだけではないだろうか。
DaiGoの件に関して言えば、浮浪者への差別発言の問題点を大して理解していなそうな人まで「レイシズム=ナチス=悪」という借り物の価値観で脊髄反射敵に叩いているのも気持ち悪かった。Twitterで支配的な反レイシズムという規範に沿わないという理由で叩くのなら、クラスの空気に沿わない人間を吊るすいじめと大して変わらない。
DaiGoのように成功者になって世間を見返すのに躍起になり、果たしてそれが上手くいったとて、こんな風に問題行動を起こしてしまう。
逆に完全にいじけて人生を放り投げれば、黒子のバスケ事件の犯人のように社会の敵になる。
これらは元いじめられっ子の中でも極端な例である。しかし私には、帰属意識の喪失や社会の正しさへの不信、自尊心の低さ、自分の影響力を確認することへの執着といった、いじめによってもたらされる人格の歪みが遠因になっていると思えてならない。
手立ては色々ある筈だ。
これまでの話は全部私の臆測であり、一から十までこじつけである。どこかに論文があるわけでもないし、私は何の専門家でもない。
しかしDaiGo本人がオリジンとして語っている以上、暴力による自力救済でいじめを克服するしかなかった経験は、彼にとって大きな意味を持っていたのだろう。
DaiGoをいじめたりそれを傍観したりしていた同級生、彼を救えなかった教師、もしかすると「やっぱアイツ変だったしな〜」などと考えていないだろうか。
お前らが歪めたんだ。
:
この人の「2度目の」謝罪会見動画についての、SNSにずらりと並んだ反応は、見た限り大きく3種類に分けられる。
1つは
「これも計算なんでしょ?」
的なもので、
2つめが
「ここまで追い込んでるやつらも同類」
「みんな内心ではホームレスを汚いと思ってるはずだ」
みたいな、つまり「本心」「本音」に即していないはずだから駄目だ、というもの。
加えるなら、
「そういう綺麗事なあなたたちは、一体ホームレスのためにいくら寄付をしたんですかw」
みたいなのが、この2と3の間に入るのかもしれない。
:
1つ目の、つまり、この謝罪を、心からのものとして信じない、という表明、これが驚くほど多い。
なので、このDaiGoという人のこの(とくに二度目の)謝罪は、多くの人が指摘するように計算なのかもしれないし、
あるいは意外と、真実の、心からの反省に基づいて、あの涙だって流しているのかもしれない。
でも、もしあれが心から涙だったとしても、大勢の人が、それを信じようとしていない。
( https://twitter.com/umiuminemui/status/1426891746487586817 )
を含め、彼が繰り返しあちこちの動画とかサロンとかで示してきた、態度や言動の積み重ねによるものが原因であるらしく、
まるで寓話の狼少年そのままに、自分がしてきた行動や言葉の負債が、いまそのまま自分に跳ね返ってきている。
計算なのか本心なのかわからないが、筆者は、むしろ、この謝罪は「計算」であってほしいと思っている。
そうであれば、彼の内面は、「ちくしょう、うまくいかないなあ」といった悔しさで済むが、もし、彼が真実の反省からあの動画を投稿したのだとしたら……。
これがフィクションであれば、一種の痛快さとともに、一人の悪役の凋落の物語として消化できるのかもしれないけれど、
現実の出来事としては、教訓劇としたってあまりに陰惨すぎる。目も当てられない。
:
そもそもの発端になった、ホームレスや生活保護受給者に対する発言の時点から、
このDaiGoという人の「本心」なり「真意」なりは、なぜこれが問題になったのかとは、何も関係がない。
……少なくとも筆者はそう思っている。
「本心」や「真意」を気にする人は、例えば最初の問題の発言についても「DaiGoさんはそんな意図で言ったんじゃない」的な擁護をする。
しかし、繰り返すが、彼の「本心」も「真意」も、これが大きな問題となって「炎上」した理由とは関係がない。
■こういう場において(拡散され大勢に届きうる、つまり"公"につながる場所で)、
■こういう態度で(僕はこんな"辛口"な本音を言い放てるほど自分に正直でいられるんですよ、というアピールを"エンタメ"とする認識。なおこれは彼の「1度目の」謝罪で発言されているので、もはや「内面」の類推ではない)、
世に向けて放つこと。
それが、ホームレスや生活保護受給者の人たちに対する社会の視線を、どんなふうに「操作」(メンタリストを肩書とする人のようだから、そのことに無自覚だったとも思えないのだけれど)することになるか。
……問題はそこに集約される。
「この発言の底にある、叩いている人間によって捻じ曲げられたせいで語られることのない真意」のようなものは、
どこにも入り込む余地はない。
:
「彼の放った言動、彼の内側ではなく外側で記録されている言動という事実、それについて彼は責任をとるべきだ。」
これが、DaiGoという人に向けられた糾弾の内実である。……少なくとも筆者にとってはそうである。
もちろん、炎上してるとみて一緒になって石を投げてるような手合いだっているんだろう。
しかし、そういうイナゴめいた連中を、「糾弾している人たち」の「代表」に一方的に仕立てて、
「ここまで追い込んでるやつらも同類」
また、
これを書いてる筆者だって、家の前で不当に浮浪者に居座られたら迷惑なのでどいてもらいたいと思う。
そういうことと、
■「こういう言動を公にすることがどんなふうに社会の視線を歪ませるか、セーフティネットというものの存在意義をどんなふうに誤ったイメージにすり替えるか」
批判している人が「本心」でホームレスをどう思っていようが、また寄付をしたことがあろうがなかろうが、何一つ関係がない。
:
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もうちょっとだけ。
本当のところ、
「特にDaiGoが好きなわけじゃないが、この綺麗事を主張しているやつを"どっちもどっち"で相対化してやろう。そんなことができる自分はなんて冴えてるんだろう」
という満足を得たいがための投稿、というのについては、
「炎上しているところに行って一緒に石を投げてやろう」
の手合いと同様、この件に限らず常にどこにでも発生するものなので、言及してもあまり意味はないような気がする。
そういう「冴えてる私アピール」は、確かにお手軽な娯楽であるが、しかし、何一つ、
それこそ"お花畑な理想論の綺麗事"を言い募るよりもはるかに、世の中の役に立っていない。
要は「言葉で言い負かして痛いところを突いてしまえる私はなんてすごいんだ」という満足感は、
それこそ当人の「内側」から外へ出て、何かのエネルギーになったりすることのないものだから。
そして言うまでもなく、
あんまり意識してこなかったが、よく考えたら立派に登校拒否かまして自殺未遂かまして同窓会ガン無視して仕事放り出して立派に無敵の人やってた
やってることはやってるが今更うまく説明するのが面倒ないびつな職歴を面接に通すためのタテマエを構築する熱意もなく
もう30代といういい大人であることを期待される年齢の男が夢も目標も伴わないフリーターをやってる
そうか、その頃までは、まだ正常な時を刻んでいたのだったっけ
孤独を舐めていたのだろうか
もっと甲斐性のある男であったなら、まともな経歴で、まともな収入を得て、まともな交友を保って、誰かが隣にいたのだろうか
自分のみならず、こんな自分の隣にいたはずであろう人の人生をも棄損しているのではないか
いや、周りには代わりがいるのだろう
その頃、新宿で働いていて、
職場に向かう道すがら、
段ボールを敷いて寝てる人がたくさんいた。
決して気分がいいものではなくて、
なるべく視界から外すように、
動く歩道を歩き出勤した。
「そーだ!そーだ!!」と思った。
しばらくしたある日、新宿西口で、
3.4人で立ち話をしてる浮浪者がいた。
時に、
改札をくぐると同時に
誰かが追いかけてきて、
振り返ると、
電車に乗り込んだ。
なんで私が追いかけられるんだろう。
追いかけられる要素もないし、
私はそんなに相手を怒らせる目で見てたのだろうか。
今でもたまに思い出すけど、証拠もないし、
きっと悪い夢でも見たんだろうって事にしてる。
しばらく眠れなかった。今も思い出すけど。
今からちょうど2週間前。
「なんだか空いてるな。」と思って乗り込んだ。
乗り込んだ直後にだいぶ遅れて降りてくる人がいて、
ちらっと視界に入った光景は、
大きなゴミ袋二つを両手に持って、
電車を降りていった。
もし、私が乗ってる時にあの人が乗車してきたら私はどうしてただろう。
さっと席を移動できたのかな。それとも固まって動けなかったか。」
そんな事を考えてた。
何年かぶりになんとも言えない思いをした。
でも、昨年からコロナ禍で「生活困窮者のための~」と言う支援を
している。クラウドファンディングですごく少額だけど、
ちまちまと手助けになればと。
それだけで始めたのだけど。
テレビで観る「外見からはわからない生活困窮者」だけではないのだろうな。
かつての私みたいな臆病田舎の若い人のトラウマにならないように、
困ってる人と対面できるかって言うと、私はできない。
けど支援はしたい。
今でもずと視界から外してたり、
ある場所にA君という子がいた
A君はプロ野球選手になる夢を持っていた
当時A君は池沼グループと付き合っていて、おとなしいA君は池沼達にバカにされていた
それでもA君は誰にも文句を言われないように、いつも隠れて野球の練習をしていた
その甲斐があって、小さいころからの夢が叶いA君はプロ野球チームに入団できた
ある日池沼達は口元を歪めながらA君に「自分達もプロ野球に入れるか?」と聞いてきた
A君は池沼を怒らせないように「俺にもできたんだからきっとやれる、頑張れ!」と言った
彼としては頑張れば誰でも夢が叶う事を伝えたつもりだったが、池沼達はそうではなかった
池沼達はA君の球団に押しかけ「自分はAより優れた人間だからこの球団に入れて当然だ」と球団関係者に詰め寄った
A君の事を舐めきっていた池沼達はA君を入れたチーム丸ごと舐めきっていたのである
しかし陰で血のにじむ努力を重ねたA君と、おとなしいA君を物差しにして自分を推し量っていた池沼には雲泥の差があった
球団関係者は無謀な池沼達に呆れかえって、つい嫌そうな顔をしてしまった
その様子にキレたプライドの高い池沼はその担当者を見下しながら
「Aはこんなチーム楽勝で入れたと言っていたぞ!」とA君をダシにして球団をバカにした
この事がA君のチームの先輩たちに伝わると、新人だったA君はイジメを受けるようになった
そんな事はつゆ知らず、A君をコネとして手放したくなかった池沼は
「俺は駄目だったけどあいつは入れるか?」と別の池沼をA君に薦めたが、
もうA君は二度と利用されてはいけないと思って「無理だ」と言わざるをえなかった
池沼グループはそれを言質に「あいつはうぬぼれている!」とA君を非難した
球団と地元でいじめられ、公私にわたって仲間外れになったA君は自暴自棄になった
池沼集団を「バカ、死ね!」と口汚くののしり、殴りつけ、やがて野球への情熱を失った