はてなキーワード: 文字とは
誰かの不満や愚痴を人前で言えなくなった。
不満で溢れているのに、世間体を考えたり他人の印象を考えて言えなくなった。
SNSで誰かへの不満を書いてもカドが立ったり、エゴサする芸能人が突撃してくる。
だからこうして匿名のネットで言うしかなくなった。それすら特定されないように慎重に特徴をぼかして書くしかない。共感されたい気持ちや吐き出して慰めてほしい気持ちがあるのに、ネットの文字情報だとそれもできない。
だからさ、私に愚痴言ってくる奴とか、動画やライブのコメントで誰かに慰めてほしいがために愚痴書いたりする奴大嫌いだわ。だってそれは私がしないように我慢して我慢してやっていないことだから。
俺はエロ漫画家だ。
と言っても専業ではない。所謂兼業作家で、エロ漫画やイラストを描いている。
アカウントがバレたら本当に生きる糧を失うため割合はボカすが、本業と作家業で去年は1300万円程度稼いでいた。それくらいの規模のアマチュアだ。
増田に投稿しようと思ったのは、自分の感情や思考を吐き出せる場所をどこも作っていなかったからだ。俺の過失なのに、本当に申し訳なく思う。
女々しく、醜く、気持ちが悪いと自分でも理解しているが、感情を吐露したくてこの日記を書いている。
正確に言うと、女であることを武器にしている女創作者とそれに群がる男たちが許せない。
それは作家業に限らず、配信者やVtuberなど全てにおいてだ。
執筆の休憩がてらX(旧:Twitter)を覗いていると、ひとつのR18系の創作アカウントの投稿が目に留まった。所謂ちょっと攻めた性嗜好の開示イラストだった。
その投稿からアカウント本体のページに飛んでみると、本格始動から三カ月程度で、フォロワー数は三桁台。先ほどの投稿はフォロワー数からすれば十分に伸びていた。
俺はメディア欄を漁り、そのほとんどが一次創作であることに驚いた。
いまどき、一次創作にこだわる奴は馬鹿だ。名を上げたければ二次創作をやったほうが遥かに効率がいい。YouTubeで有名な某絵師もそれを認めているし、推奨している。
昔、一桁イイねがザラだった時代に数百のイイねがついたときを思い出した。その時はフォロワー数のエグい有名作家がたまたま俺の投稿をリポストしてくれた影響が殆どだったが、それでも、俺の絵が認められたような気がして本当に嬉しかった。今では数百数千のイイねなんて当たり前だ。
だから、二次創作で勝負しないなんて骨のあるやつだと。俺は勝手にシンパシーを覚え、応援の気持ちを込めて、フォローしてリポストもした。
それから1か月後、件のアカウントが気になり、メディア欄を確認した。
まぁ、分かっていた。描き文字の癖や画面の構成的に、女だろうとは予想していた。
俺は人じゃなくて、作品を観て評価しているのだから、こんな投稿は別にどうだっていいはずだった。
不意に、自分の指を見た。ごつごつとした男の指。幼いころの習い事で出来た傷痕。冬場だったからか、少しささくれが目立つ。
俺が同じ投稿をしたらどれくらいの反応が貰える?
俺の中でこと切れたのは、そこからまた1か月後のことだった。
そのとき、俺は1時間くらいかけたカラーラフのイラストを投稿していた。
少し手心を加えたカラーラフは労力の割に結構伸びる。フォロワーが勝手に完成形を想像、補完し、期待を膨らませる。
すぐさまイイねがつく。いつも通りの伸びだ。いまだに通知欄に溜まる数字を見ると心が高鳴る。この数字は俺の努力に対する報酬だ。
作品が売れるのも嬉しいが、拡散され、俺を知る人間が増えるのはもっと嬉しい。
肯定でも否定でも、コメントがつけば心が躍る。それがアンチでも、無視されるよりよっぽどいい。
通知欄を眺めていると件のアカウントもイイねをつけてくれていた。この前のネイル投稿以来、考えないようにしていたのだが、久々にアカウントを覗いた。
フォロワー数は四桁に達していた。ファンボックスなんかも始めている。いつも通りメディア欄を確認した。
そこには、セーターとスカート姿の首から下の自撮り写真があった。
300イイねくらいついていたか?
俺が、それくらいのアカウント規模の時は、300イイねも貰えなかった。
俺は、その300イイねを貰うために、様々な努力を重ねた。
休みが多く経営の安定している大手メーカーの内定を何とか勝ち取った。
二次創作はしてはならない。
消費者は作品を求めるのであって作者を求めていないと考えていたから。
それなのに、コイツは生まれ持った性別だけでこんなにも注目されているように思え、心底妬ましくなった。
そして、コイツにとって創作とは人生の一側面に過ぎず、それ以外は幸せで満たされ、煌びやかで充実しているとさえ思えた。
瞬間、今までの人生で抱いた不満や違和感の連鎖が始まり、俺の狭い世界は毒で溢れた。
女を強調したコンテンツばかりが伸びている。
卵子に群がる精子が如く、釣られた馬鹿な男たちが挙って金と時間を注ぐ。
俺のような男は才能があっても誰も見向きもしない。
結局は男の配下となり生きていくのに、どうしてそんな無慈悲なことをするのか?
大人しくしていろ。
俺は、世界は常に公正で秩序があり、自身は報われるべき存在の一つであると錯覚していた。
自身を正当化するため、自分の置かれた現実さえ捻じ曲げながら生きていた。
時間にして数分だったと思う。何か夢を見ていたような気がした。
そして、今までの人生がとんでもなく惨めに思えた。
エロ漫画家になりたいと思ったのは、学生時代の寮生活で貸してもらったペンギンクラブというにエロ漫画雑誌に心を動かされたからだ。
エロ漫画家に憧れるなんて変な話かと思うかもしれないが、モテない男たちが漫画雑誌を片手に賑やかに談笑する様を見て、もし俺の描いた漫画でこんなに楽しいひと時を作れたらどれだけ幸せだろうと思えた。本当に当時はそう思った。
できない、やらない理由を創作に押し付け、自分の人生を犠牲にして皆を笑顔にしているのだと本気で思っていた。
結果、エロ漫画を利用してチヤホヤされたいだけの、小さな世界に閉じこもった醜く浅ましいミソジニストに成り果てていた。
疲れても苦しくても、ネームを描き、作品を仕上げていたのは読者のためではなく、肥大化した自己愛をどうにかして慰めたかったからに他ならない。
俺はただ、誰かに認められ、愛されたい人間であることにようやく気がついた。
俺は今でも創作を続けている。もう習慣になってしまっているから。
何万回、何十万回と読み継がれた本があり、何万回、何十万回と読まれたページがある。
レイチェルは考える。
何百万回読まれた本の中で、何十万回しか読まれていないページとは、すなわち十回に一回は読み飛ばされているということである。もしくは、何十万回目かに突如として読まれなくなるような、そんなページである。
そんなページにはおそらく、こんなことが書いてあるのだろう。
、おばあさんは深呼吸をした。
ここを読んでも読まなくても物語にさした影響がないような文。もしくは、
であった。
とか。
他には、
Supercalifragilisticexpialidocious
など、もうすっかり覚えてしまって読む価値もないと思えるような文とか。
いずれにせよこんなページは、ある日突然書き換えられていたって誰も気付きはしないのだ。
例えばー
、おばあさんが深呼吸をすると目の前のおじいさんにドロップキックを食らわせた。
とか。
であったかのように見えたが、実際におばあさんは竹から生まれて来たのだ。
とか。
Supercauliflowerilisticexpialiboorish
とか。
修正されても読者は気づかない。
同じ本ならばいつ読んでもどれを読んでも同じことが書かれていると信じているからだ。
何百万回何千万回と読まれた本ですら、みなが同じ文字を読んだのだと期待する。
誰にも読まれないのだから、理屈なんか全く通っていなくたっていい。
レイチェルの本にはどれもこのような仕掛けが施されているのだが、未だにそれに気づいたと思われるような報告はない。
レイチェルはおおむね普通のおばあさんだった。百回に一回は普通でないおばあさんになるとしても。
おじいさんの方も、百回に一回くらいドロップキックを食らってみることはやぶさかではなかった。
おじいさん、ほら起きて。起きないなら、
おばあさんが深呼吸をすると、
手が汚れる、描いたものが見えない、止めハネが無茶振り。鏡文字を書いてたレオナルド・ダ・ヴィンチの気持ちがよくわかる。
たぶん一番の強敵。現状有効な対策が思いつかない。逆手で使う作戦も丸い方を使う作戦も右手で使う作戦も、どれも一定確率でお漏らしする。
逆手で淹れてるけど、湯呑みが見えないのでたまに落下地点を見誤ってテーブルを水浸しにする。
片方尖ってるのなんでかなって長年思ってた。さしたりこそいだり便利なやつだったとは。その恩恵左利きにも欲しい。
せっかく手を濡らしてくるくるして、さあ留めるぞってときに留め具が裏返っているとがっかりする。
帯も紐も全部右手で引っ張るときれいに締まるようになってる。すなわち左手で引っ張るわけにはいかない。死装束はたぶん綺麗に着付けられる。
ピッの距離が遠い。荷物が多くて腕がクロスしにくいときなど特に不便。ただ自分の場合はモバイルSuicaで解決した。スマホは右手で持つのだ。
数年前、育休中の不規則な空白時間を虚無ってた時に、書き溜めたものだ
話の元は、小学生の頃に妄想していたファンタジー世界の話で、暇な時間を使いに使って設定は練りに練っており、それを記憶から掘り起こして文章に書き起こしたわけだ。
何度も頭の中で反芻した話を文字に起こし、細かな不足は整えて読める内容にしたそれの存在を、復職してからずーーーっと忘れてた。
めちゃめちゃ面白い話だった。
個性的なキャラクター、テンポの良い会話、随所にちりばめられた伏線、こまかに練られた世界観設定、散らばっていた個々のエピソードが繋がっていく爽快感
これ、キャラ設定とかまとまってないの??
って片っ端から探したけどない。
どうやら当時は別の話を考え出してそちらに注力してしまったようだ。
えぇ〜気になるぅー!先生続きまだですかぁ!
ってどんだけ面白い話書いてんのか気になるかもですが、これが他人が見たら面白くないんだわ。(他一次創作はピクシブとかに投稿経験アリで立証済み)
あぁこれの続きかけるの私しかいないなんて
仕方ないから書いてやるか!
私先生の続編にご期待ください!
不破の投稿自体が炎上したのか、やす子が「悲しい」って投稿したのか引き金だったのか。
2.やす子が上手く返していたら
「悲しい」じゃなくて、「なんだのこのー!そんなフワちゃんも生きてるから優勝だー!」とか返していたらどうだったか。
3.文字じゃなかったら
テレビ番組で同様のやり取りがあったらどうだったのか。さすがに「悲しい…」っていう返しにはならないだろうけど。
「しね!」っていう突っ込みが、今でも場合によっては許容されるならば、それは良くて文章はダメという理由は何?
空気を読めみたいのは大嫌いだしよくわからないので、きっちり決めて欲しいのよ。何がダメで何がOKなのか。自分自身は匙加減なんてわからないので、「しね」なんて絶対書かないし言わない。
でも他人と距離を取るので友達なんて一人もいない。利害関係者はいるけど、そういうの抜きの友人なんてゼロよ。
「これがダメなのは当たり前でしょ」っていうのは全て排除したい。当たり前なのはお前の中でだけ。何故ダメなのか説明できないならお前の好みの問題で一般化してはならない。
アルバイト面接で「8時半」って言われたから行ったら誰もいなくてパニックになってたら「20時半です」って言われて辛い→様々な意見が集まる
これ見て思い出したのよ。
パニックになってドア叩くのはどうかと思うがこういう指示で混乱する気持ち自体はわかる。
コミュ障の自信の無さから程度低いところからバイト始めたんだよね。宅配便の仕分けとかさ。
搬入用のシャッターを閉めててって言われて全部閉めたらなんでここも閉めるんだみたいなこと言われたり
俺がわかってないっぽい空気になることがしょっちゅうあって、自分は仕事が出来ないと感じてたんだけど。
意味不明な曖昧な指示をしてこないし、誤解が生じそうなところもきちんと潰して指示を出す。
俺も指示出す立場になってやっぱり明快で誤解の余地がない指示を出してるし
必要に応じて指示の分割したりもする。手順を文字にまとめたりもする。
つまり、俺がバイト時代にあかんかったのって指示出してた奴等の能力が低かったからなのよ。
これ自分で言ってて漫画に出てくるやべー奴みたいだなって思うけどマジでこうとしか言えない。
宅配便の仕分けなんか何年もやってるのは能力も意欲も低いカス人材なわけで
そんなやつが短期バイトに指示を出してるから当然ハチャメチャなんだよね。
自分が分かってる情報と他人が分かってる情報の区別もつかないし思考力も予測力もない。
単純に頭が悪いのか発達ナントカなのかわからんしまあ特定属性をdisっちゃいけないけどさ。
俺が学生時代に体験したていどひくいバイトの数々はほぼ全部従事者がカスだった。
仲良くしてた人も居たし仕事できます風に職場で頼られてる風の人も居たけど
それら含めてほぼ全員人格的にも能力的にも社会的にもゴミだった。
今にして思えば本当に効率悪いことやってるだけで
そういうガバガバフローなうえに言葉にも出来ないから人なんか使えなくて
いまにして思えば生活の話も趣味の話も終わってたなあいつら、っていう。
そういえば別に俺以外にも指示が理解出来なくて戸惑ってる学生いたなあって思い出したりね。
よくしてくれた人も居たし自分が仕事できないってこと以外に不満はなかったんよ。
中学生の頃から、はてな、なろう、Twitter、個人ブログ、note、某ゲームのファンサイトなどを渡り歩いて、エッセイからファンタジー小説に至るまで思いつく限りほとんどのジャンルの文章を書いてきた。主戦場を匿名はてなとXにして、小説を紡ぐことよりも自分の考えを言語化することのほうが増えたという違いはあるが、今でもこうして文章を書いている。
このような過去から察せられる通り、自分は文章を書くことが好きだ。ただ、好きかどうかと得意かどうかは別だというのは世の常で、好きではあるのだがいつも途中で投げ出してしまう。長編小説には幾度となくトライしてきたが、結局一本も書ききることはできなかった。短編小説やはてなダイアリーなどの比較的短い文章であっても、さらに言えば140文字制限があって小学生の作文用紙の半分以下しか書けないXの投稿であっても、ブラウザの戻るボタンを押して、途中まで書いた文章を、途中まで書いたという事実ごと消し飛ばしたことが多々ある。
最後まで書ききれないということに自分はある種のコンプレックスを感じる。「あいつ途中で辞めたな」とか思われたくないからやめるときはサービスのアカウントごと消すこともあるし、リアルでの知り合いにははじめから絶対に見せない。
このコンプレックスを解消するのはとても簡単で、ただ単にとりあえず最後まで書けばいいのである。こんな性分であっても、繰り返すようだが自分は文章を書くのが好きなので小説家になるための本みたいなのを読んで自分の本が八重洲ブックセンターの目立つ棚に置いてあるイメージを膨らませたりもしていた。その本を執筆したプロの小説家先生も「はじめはとにかく一作品書いてみよう」と仰っているのである。その本によれば、最後まで書くというのはストーリーの矛盾やほころびには完全に目を瞑り、書きたかったラストまでを勢いで書き通して「めでたしめでたし」で締めくくるということだった。文章を書いている中で一番迷い、投げ出したくなるポイントはストーリーの構成がしっかりしていて、論理的に妥当であるかどうかを黙考するところであるのでそれを無視していいのなら時間と道具さえあれば誰だってできる。
しかし、この誰にでもできそうなことが思ったようにできないのである。「難しいことはいったん無視していいよ」とどんなに高名な先生が仰ったところで、ほかならぬ自分自身がそれを許さないのである。とりあえず最後まで書く、ということが三日坊主の自己嫌悪を解く鍵であって、その上で作品を主観的、客観的に分析する初めの一歩であることは理解しているが、それよりも今目の前にあるプロットに悩むのである。
このような事実について考えてみたが、結局文章を書くということは必然的に苦しみを伴うのだと思う。小説を書く場合でも、自分の意見を表明する場合でも、脳内にある自分のアイデアはパソコンのディスプレイ上に映っているときにはすでに元の形を残していない。言語化ができなくて自分の脳内と外の世界の間にある壁を越えられないアイデアがあるし、脳内からうまく取り出した言葉の塊を読むに堪える文章にするためにつなぎが必要になる。要するに、自分の脳内にあるものと自分が書いたものの間には共通項もあるが、脳内にしかないもの、書いたものにしかないものも無視できない量存在するのだ。しかも、文章化には自分が現時点でもっているありあわせの知識しか使えない。ところで『もしもピアノが弾けたなら』という西田敏行の名曲があるが、この曲の中では「もしもピアノが弾けたなら思いのすべてを歌にしてきみに伝えることだろう」から「だけどぼくにはピアノがない きみと夢みることもない」と続く。文章を書くのも同様で伝えたい思いがあっても、それを媒介する道具がなければ伝えることができない。それは当然の事実ではあるがとても辛いことである。ありあわせの知識、というのは青を表すのに群青、藍、瑠璃色、スカイブルーなどがあるみたいな表現するための単語としての知識だけでなく、物語に転機が訪れるのを天気の移り変わりに描写する、賛否両論あることについて自分の意見を述べるときにはたしかに~と言われているが私は~と思うという議論の流れにする、みたいな文章の書き方の知識も含まれる。
そうすると言いたいことを言語化するとその瞬間、自分がもともと言いたかったことと一般常識が混濁するのだ。言語化するまでは、よしこれを文章にしてみんなに教えてあげよう、と思っていることが明確な仕切りをもって脳内にあるが、文章にする段階でありあわせの知識という不純物が入り、ボーダーラインが薄れていく。これは辛いことであるだけでなく、不気味なことでもある。自分の言いたいことを言っていたはずが、自分は普段そんなこと考えないけど、知ってはいるような言葉が混ざっている。自分の書いた文章を読むと離人症のような恐怖に襲われる。この恐怖を避ける方法は3つしかない。1つ目は自分が書いたものを100%他人のものであると断じてしまうことである。中学生の頃の日記が掘り起こされたときに、「あれは黒歴史だ。」と言うのは暗に今の自分はそんなこと考えないし、そんなこと言わないと表明しているのであり、過去の自分と現在の自分の間を壁で分断することで自己防衛を試みている。2つ目は繰り返し考えていた自分の文章をまるごと消すという方法である。つい最近書いたものを見て、あれを書いたころの自分と今の自分は違う、と断言するのは無理があるので怖いものを見えなくするのは当然の反応だ。文章を途中で投げ出さないためには一番手っ取り早い恐怖の取り除き方を乗り越えて恐怖と向き合う必要がある。そのうえで自分自身と目の前の文章の間に壁を作らない方法で折り合う必要がある。つまり、3つ目の方法は文章を100%自分のものにすることである。もちろん、自分が書いた文章とにらめっこするだけでは、ただ嫌気がさしてさらなる自己嫌悪に陥るだけであるし、バックスペースを押してすべてを無に帰すまでの時間を延ばすに過ぎない。まず自分が書いた文章を読んだときに感じる恥ずかしさやもどかしさを我慢する必要がある。そのうえで文章を丁寧に精査して、自分の意見と異なるものに関して、別のありあわせの知識と置き換えるか、反芻することによって自分の意見の中に吸収する。それを繰り返していくことでいつか自分の脳内と文章が一致する。
根本的に言葉というのは他者と、お互いの内面を交換するためのメディアであるから自分の意見が初めから脳内に整然とした文章で存在していることはあり得ない。そう考えると文章化というのはなにか義務のような行いで、自分の意見は言語化せずに完全な状態のまま保っておくのが良いように感じるが、恐怖に向き合って自分の考えを文章にすることに意義はあると思う。先ほど文章を100%自分のものにする方法の最後で、自分の意見と異なるものを反芻して吸収すると言った。これによって自分の意見を言語化するあいだに自分の意見をより大きくすることができるのだ。だから文章を書くことは苦しいが、何度失敗してもやめられないのだろう。
三角形を二つ合わせると四角形になるって言う理屈の説明の仕方が最悪だったぞ!
三角形と三角形を合わせたら砂時計みたいな形になって三角形を組み合わせて六角形になるだろ!?⌛
それか三角形をこういう風に並べてみろ!◁▷
オラァどうしたどうしたぁ!
だからな、俺はクラスの頭のいい大仏(※おさらぎってよむ)ってやつに聞いたんだよ!
そしたら
大仏「食パンを斜めにきってみ、三角形ふたつになるから。こうなるから÷2が必要なんだ」
俺「sugeeeeeeeeeeeee」
すごい!まじしゅごい!こういう教え方だよお前!
大仏「あと台形は逆さにしてくっつけてみ」
げぇっ!これ平行四角形じゃねーか!なんだよお前!大仏!
ほら、お前らこれだよこれ!
パズルゲームだろこんなの!
三角形を二つ並べたり、四角形をぶったぎったり!
俺が数学苦手なのはこういうイメージ力が無いとだめなところだぞ!
知恵の輪すらとけねー俺に出来るわけねえだろ!
じゃあ次は連立方程式な!
3x+2y=10
6x-2y=8
6 かける エックス ひく 2かけるワイ は 8
これだー!こうやってかけー!
んでxとかyとか意味わかんねーからこれも大仏に聞いたんだよ!
大仏「xとかyはスーファミのボタンって思えばいいよ。小文字なのはパクったからだと思えばいい」
で、そこで意識改革した俺がいたわけ
3x+2y=10
6x-2y=8
これでxは青のボタン、Yは緑のボタンって言う認識にうつったわけ
出も解き方がよくわからんねーだろ?
大仏「一番楽そうなのは出来るだけ小さい数字を2つみつけるとこからかな」
俺「なんでそんなもんわざわざ探さないといけないんだよ!」
おさらぎーーーーー!お前はマジでピンポイントでわかりやすいこというじゃん!
で、だ。連立方程式ってのは結局のところよー!
なんでかっこつけてんだバカヤロー!
連立方程式じゃなくてダブルドラゴンみたいな名前なら覚えやすかっただろ
バアアアアアアアアアアカ!
んで俺は気づいたわけ
①3x+2y=10
②6x-2y=8
9x = 18
9に謎の数値xをかければ18になる!
ここで一次方程式の時に使った移項とかいう糞みたいなもんがでてきやがる
大仏思考で行くとドラクエ3の転職とかFF5のジョブチェンジを意識できた!
x = 18 ÷ 9 でxの答えは2だ!
そんで①3x+2y=10は 3かける2 ぷらす 2ワイは10
2y = 10 - 6
2y = 4
y = 4 ÷2
y=2
これでx=2とy=2
クソゲーじゃねえか!こんな時間かけてといても誰もほめてくれねーし!
はーすっきりした
ティッシュのあの、変な気持ち悪さスイッチを逆なでされる感覚、共感できる人おらん……?
増田は独身。いい歳でパートナーも居らず、アラフィフに達しようとしているので結婚に関しては既に諦観している。
この歳になると友達付き合いもほぼなくなり、これといってお金の掛かる趣味もないのでそれなりに財産はある。
どうやら子供を設けるのは難しく、このままでは自分がこの世に生まれた証というか、意味を見出せないんじゃないか?とある夜ひとりでお酒を嗜んでいる際にふと、そんなことを思った。
これまでの自分の人生を振り替えると、他人に誇れるような趣味はSFぐらいで、学生の頃からSFを熟読してきた。文字から広がり浮かび上がるセンスオブワンダーの世界に幾度となく心が躍り、退屈で平凡な日常をいつも鮮やかに彩ってくれたのはSFの名作の数々だった。
そうだ。自分に出来るのは、この素晴らしい世界をより広めることかもしれない。酔っぱらいが半ば夢想状態で考えたことは翌日にも覚えていて、だから実行することにした。
私は自分が好きだったSF小説、影響を受けたSF小説、名作であると思っているSF小説をAmazonで次々に購入し、週末に近場で行われるフリーマーケットに申し込んだ。
フリーマーケットを見に行ったことは当然あるものの出店側となるのは記憶に乏しく、そのためフリーマーケットの日が近づくと私は緊張し、前日の夜などはドキドキしてなかなか眠れないほどだった。
当日は幸いにも晴天で、私はこの日のために用意したSF小説を売りに出した。
どの小説も一冊200円で、中には価値を知る人が見れば驚愕するような作品も混じっている。当然、儲けは度外視だ。そんなものはどうでもいい。私は、良いSFをただ多くの人に読んでほしい、知ってほしいと思い、出店しているのだから。
初日は思いの外よく売れた。自分にとって思い入れの深い作品が売れると非常に嬉しく、小学生ほどの男の子が『幼年期の終わり』を興味を示して買っていったときには何やらとても感慨深い思いになった。あのワクワクしている表情、あれは子供の頃の自分を見ているような、そんな気がしたのかもしれない。その日の晩酌は、いつもと少し違って感じられた。気づけば自然と笑っているような。そんな心地の良い酩酊感があった。久しく忘れていた感情のような、暖かいものを感じられたんだ。
今もこの活動を続けている。
私は、これといって世に何かを遺すことは出来なかったかもしれないが、少しでもSFに恩返しをしたい。だから私は、今後もこの活動を続けていこうと思っている。
ざ、とか、ぺちとか、びっくりとか、やもち、といったように、ひらがなの形式1文字から数文字しかいいところが残っていないという事実自体が裁決固有の瑕疵を構成するものと解される。
原処分の実体的違法というのは、行政処分の瑕疵、すなわち、具体的事案に適合せず、妥当性がないことを言うが、お前の存在自体が、処分の実体的違法である。
追記したぞ!
だからぁ!!
俺は数学苦手なんだけどお前ら教え方クソなんだよ!
例えばな!
縦×横×高さ÷2
これはなんなんだよ!
だけどな
三角形を2つ組み合わせると四角形になる!
だから÷2が入るんだ!
って教えないじゃねーか!
四角形半分こですっていえよ!
言わねーじゃねーな!
謎かけじゃねーか!
バカやろー!
三角形を二つ合わせると四角形になるって言う理屈の説明の仕方が最悪だったぞ!
三角形と三角形を合わせたら砂時計みたいな形になって三角形を組み合わせて六角形になるだろ!?⌛
それか三角形をこういう風に並べてみろ!◁▷
オラァどうしたどうしたぁ!
だからな、俺はクラスの頭のいい大仏(※おさらぎってよむ)ってやつに聞いたんだよ!
そしたら
大仏「食パンを斜めにきってみ、三角形ふたつになるから。こうなるから÷2が必要なんだ」
俺「sugeeeeeeeeeeeee」
すごい!まじしゅごい!こういう教え方だよお前!
大仏「あと台形は逆さにしてくっつけてみ」
げぇっ!これ平行四角形じゃねーか!なんだよお前!大仏!
ほら、お前らこれだよこれ!
パズルゲームだろこんなの!
三角形を二つ並べたり、四角形をぶったぎったり!
俺が数学苦手なのはこういうイメージ力が無いとだめなところだぞ!
知恵の輪すらとけねー俺に出来るわけねえだろ!
じゃあ次は連立方程式な!
3x+2y=10
6x-2y=8
6 かける エックス ひく 2かけるワイ は 8
これだー!こうやってかけー!
んでxとかyとか意味わかんねーからこれも大仏に聞いたんだよ!
大仏「xとかyはスーファミのボタンって思えばいいよ。小文字なのはパクったからだと思えばいい」
で、そこで意識改革した俺がいたわけ
3x+2y=10
6x-2y=8
これでxは青のボタン、Yは緑のボタンって言う認識にうつったわけ
出も解き方がよくわからんねーだろ?
大仏「一番楽そうなのは出来るだけ小さい数字を2つみつけるとこからかな」
俺「なんでそんなもんわざわざ探さないといけないんだよ!」
おさらぎーーーーー!お前はマジでピンポイントでわかりやすいこというじゃん!
で、だ。連立方程式ってのは結局のところよー!
なんでかっこつけてんだバカヤロー!
連立方程式じゃなくてダブルドラゴンみたいな名前なら覚えやすかっただろ
バアアアアアアアアアアカ!
んで俺は気づいたわけ
①3x+2y=10
②6x-2y=8
9x = 18
9に謎の数値xをかければ18になる!
ここで一次方程式の時に使った移項とかいう糞みたいなもんがでてきやがる
大仏思考で行くとドラクエ3の転職とかFF5のジョブチェンジを意識できた!
x = 18 ÷ 9 でxの答えは2だ!
そんで①3x+2y=10は 3かける2 ぷらす 2ワイは10
2y = 10 - 6
2y = 4
y = 4 ÷2
y=2
これでx=2とy=2
クソゲーじゃねえか!こんな時間かけてといても誰もほめてくれねーし!
はーすっきりした