はてなキーワード: 掻き立てるとは
クセのあるキャラクターを動かし物語を進めるためにああいうツッコミ役のキャラが奮起しワーワー騒ぎ立てているシーンが辛い。
彼女らが煩いというよりも、彼女らを嘲笑し冷遇し自分のペースで事を運ぶ主人公や周囲にイライラしてしまう。
合唱の練習にまともに参加しない男子を怒る女子みたいな構図って言えば良いのか
勿論彼女らにも剣を盗んだり下心丸出し、そもそも勝手に異世界に召喚したってクセはあるのだが、
それは理由があったりサラッと描写して終わる設定やシナリオの一部分でしかないので別物だと思っている。
とにかくそういうフザケた奴らの振る舞いが最終的には正解だった、というようなツッコミ役が報われない正直者が馬鹿を見る構図が共感性羞恥のようなものを掻き立てる。
この手の構図はダラダラ尺を取る割に大して話も進まずダレる。毎話やられると飽きる。物語を無理矢理進めるための動機にしないで欲しい。
関係がないなら観測範囲外まで含むかのような言葉は慎むべきではないか?
そりゃあそうだよ。でも非モテであってもそこを打破した男は大勢いるんだよ。
それはこれこれこういう方法ですと明文化出来るものではないから、君も俺も一生救われないままかも知れないが、君の様な考え方のままではダメだろうとは言える。
社会を変革するのではなく自分を変革するしか非モテが救われる可能性はないよ。
まあそうかもな。
ところで君はどんな仕事をしてるの?あるいは学生?仕事上必要な手続き等で女と関わってもことごとく無視・排除されるのか?
だとしたら君には『非モテ』以上に大きな何かがあるとしか思えないんだが。
君の体験談に興味あるな。
ここ最近のシンデレラガール総選挙にみられる世論の流れは非常に興味深いものがある。
ニュージェネレーションで唯一シンデレラガールになっていない本田未央を今年こそ1位にすべく支持集団で投票が行われており、先日の中間発表で1位になったことは誰もが疑いようもなく、この事実は手放しで祝福されていることであろう。
その一方で非常に面白い現象も起きている。それはあの夢見りあむが3位に鎮座しているということである。そう、“あの”だ。
そもそも夢見りあむは平成31年2月7日に新しくシンデレラガールズの登場したキャラクターであり、特定のCVも実装されていない。
シンデレラガールズは人気のあるキャラクターから順番にCVが実装されるという資本主義に基づいた極めて合理的かつある種残酷的な傾向がある。
しかし、登場時からその鮮烈なキャラクターとオタクの原始的な“好き”を掻き立てるような特徴的かつ強烈なデザインで多くのプロデューサーの心を掴み、急激な人気をもって迎合された。
私の観測下では夢見りあむの参入とともにシンデレラガールズの門戸を叩いたものも決して少なくはない。
しかし、夢見りあむのパーソナリティーは既存のシンデレラキャラクターと比較して、決して手放しで称賛を得られるものではない。
人間のクズ性を煮詰めたようなキャラクターは自身の“推し”として公表し易いものではなく、支持していることを隠したくなるようなものであることもまた一つの事実なのかもしれない。
これはかのドナルド・トランプ氏の勝利した大統領選をどことなく彷彿させるようなものである。
サイレント・マジョリティの集団心理として根底に存在していた現体制への不満、怒りが彼を世界最大のリーダー国のトップへと押し上げる力学としてあった。
人間というものは集団としては非常に恐ろしい存在であり、獣である。
人間1人では大したことはできないが、集団となることで途端に爆発的な力を発揮し、世界を食らいつくし、そのまま世界を変える。
そうした革命が起きたことを私たちは知っている。そう、現在のシンデレラ選挙をとりまく状況にもそれと似た力学が存在していることを“夢見りあむ3位事件”は示した。
これは1つの革命なのだ。奇しくも4月で平成という一つの時代が終わるが、今回のシンデレラガール総選挙も結果が出る頃には令和の時代へと突入する。ポスト総選挙のシンデレラガールズは新時代の“シンデレラ元年”ともいえるだろう。
人々が心の中では何らかの変化を求めているのは至って自然なことなのかもしれない。
先ほどサイレント・マジョリティという言葉を使用したが、今回の力学の原動力になっている集団意識は何なのだろうか。
私はそれをあえて悪意と呼びたい。前述したようにシンデレラガールズの既存のキャラクターはアクが強かったり、非常に特徴的であったりはするが基本的には“いい子”である。
夢見りあむも“いい子”であるというエピソードは今後も増えてくることは予想される。
しかし、現時点ではー少なくとも登場時点で言っていることは私たちプロデューサー、ひいてはその担当アイドルを馬鹿にしたような、消費物としてみたような非常に純粋な悪意で形成されたようなものである。
ここでキーとなるのは夢見りあむ自身にアイドルに対する悪意があるかは全くわからないものであることだ。夢見りあむのアイドルへの好意は確かにあるだろう。一定のリスペクトを感じさせるような発言もある。
しかし、『アイドルは使い捨ての嗜好品』という純粋な冒涜は誤解を恐れずに言えば狂気的で原始的な悪意に満ちている。
それゆえに夢見りあむから紡がれるアイドル論は非常に興味深く、私たちプロデューサーを尖った刃で抉るように鋭い。アイドルというものは信仰されるものである。
大衆の信仰対象であり、彼女らは通常、神のように純粋に君臨するものだ。その神を純粋に否定すること、それは悪意以外の何物でもない。
神をも殺すような彼女の紡ぐアイドル論は純粋過ぎるが故に非常に冒涜的かつある種カルト的な魅力をもって私たちの目には映る。
そして、それらは最近のシンデレラガールズに反体制的な考えを持っていたようなサイレント・マジョリティの不満や怒りを鋭敏に反映させるのかもしれない。
先に夢見りあむのプロデューサーの本質として“秘密主義”を指摘したが、以上のような反体制的な考えも同様に秘匿されるべきものであろう。それは当たり前の事実である。
プロデューサーは通常コミュニティを成すものであり、人間が本来持つ協調性という意味では明らかに美徳とされない、全くもって迎合されない考えであるからである。
そのようなコミュニティでみられる田舎の村八分文化のようなものに息苦しさを感じていたプロデューサーもきっといたことであろう。
コミュニティというものは通常保守的な集団であり、それは人間が持つ協調性という美徳においては当たり前の機能であるからだ。人間は保守的な抑圧の中では必ずといっていいほど悪意を貯める生き物だ。
諸プロデューサーにおいても一度胸に手を当てて考えてみてもらいたい。
今までの環境に不満はなかっただろうか。
変化のない、いい子ちゃんごっこのような“幻想郷”は掛け値なしに素晴らしい居心地のよいものだっただろうか。
シンデレラガールズのメインストリームの中で心の中にどす黒い感情を抱いたことはないだろうか。
そうした経験の中で悪意を貯めていったプロデューサーは漠然と考えたことだろう、今回の“夢見りあむ3位事件”は変化のチャンスであると。
プロデューサーの隠された悪意は非常に醜いものだ。どす黒く、誰にも見られないように大切に大切に醸造されていった筆舌に尽くしがたいほどに汚いものだ。
上述のように夢見りあむは“人間のクズ性”を煮詰めたパーソナリティーであり、炎上をある種好ましく考えているという都合の良さもある。
この点でもそうした悪意との親和性が高いというのも挙げられるだろう。
結果として夢見りあむはサイレント・マジョリティの悪意の代弁者足りえ、“夢見りあむ3位事件”という事実として多くのプロデューサーに牙を剥いた。純粋な人気に加えて、悪意の力学が働いた夢見りあむは本当に強い。
このことを念頭に置かない限り、夢見りあむは強力な敵として立ちはだかり続けることを理解しなくてはいけない。
今、私は革命前夜に似た胸の高鳴りを感じている。
今、この瞬間アイドルマスターシンデレラガールズに変化が求められている状況だ。
心地よいけれども心のどこかでくだらないと思っている集団幻想の中に居続けるか、それとも変わっていくか。
これは呪詛だ。
見たくはないだろうか?破壊と再生を経て進化するアイドルマスターシンデレラガールズを。
今のシンデレラガールズに食傷して離れてしまったプロデューサーにこそ、この状況を楽しんでいただきたい。
ログインしなくなったシンデレラガールズとスターライトステージにログインすれば合計で2票を夢見りあむに投じることができる。
1人のアイドルに1人で入れられる票数など全体でみれば微々たるものだが、私たちが力を合わせればそれは巨大な力学になる。
きっと革命だって起こせる。ぜひ夢見りあむに投票していただきたい。
夢見りあむ、私に、いや私たちに新世界をみせてくれ。君ならできる。
最後にドナルド・トランプ氏が勝利したアメリカ合衆国大統領選を分析したイギリス独立党のナイジェル・ファラージ氏の発言でこの文章を締めたいと思う。
『負け犬たちが支配者層を打ち負かしたのだ』私たちクズの負け犬たちに幸あらんことを。ここまで読んでくださって本当にありがとう。
いや、結婚というよりは、一生付き合えるパートナーと静かに過ごす日々に憧れがあった。
男性と付き合うたびに「結婚するかも」と思って付き合ってきたので、婚活期間は10年くらいになるのでは?
そう、私はすでにアラサーを過ぎた、婚活真っ最中な女性である。というわけで今回は、特定の増田に求婚しているのではなく、ある思想を持った増田に広く呼びかけている。
当方、外見はふつう。たぶんブスではない。とある会社で、正社員として働いている。
正直今まで、男性にはそこそこモテてきた。というか今もそこそこモテる。
だがしかし、だ。
私は政治ヲタなのだ。しかも少し、いやちょっと、かなり、左に傾いている。
ちなみに年収は高くもないが、そんなに低くもない。
ただ子供には十分な教育をしたいと思っているのと、わたしが純粋に頭の良い人に惹かれることから、お付き合いするのは今まで高学歴の人が多かった。(もちろん全員ではない)
だがしかし、そこそこ年収の高いエリート男性は、政権批判が嫌いな殿方が多い。最初こそ寛容なものの、私がガチ批判を始めると苦い顔をする。
そんなこんなで、それが遠因となって結局破局する、というのを繰り返してきた。
そして驚いた。
これまで新聞やメディア、またメディアのコメントも、右寄りのものが多いと感じていた。
政権批判の記事がホッテントリし、人気コメントも唸るものや、新たな知見を得られるものが多い。
そこで、だ。私は思いついてしまった。
政権批判しても怒らない、むしろいっしょに怒ってくれる未婚の男性増田、私と結婚してくれ。
もちろん増田にも選ぶ権利がある。実際にメールしたり会ったりして、こいつ無理ってなったら振っていただきたい。
しかし同じような悩みをもった増田がいたら、ぜひ検討してみて欲しい。上でエリートは〜とか書いたけど、別に年収は三十代なら400前後くらいあればいいと思ってる。
当方、アラサー正社員、仕事を愛しているのでできれば共働き希望、ことあるごとに親父ギャグをかます、面倒臭いが明るさを持ったアニメヲタク女性だ。
左というより政権批判ができるリベラルな、知的な会話が好きなそこの増田殿。
お待ち申し上げております。
【追記 3/8】
あれ、ホッテントリしてる…なぜだ…
恐る恐るブコメぜんぶ読みました。
トラバしてくれた方もありがとうございます。
そうだよ本気で真面目に書いてるよ悪いか!
というわけで追記します。どんだけガチなんだよってドン引きされるくらいには長い。
>左なのはいいとして、もっともっと具体的に(原発は?/民主党政権時をどう見る?/フェミニズムについての考え方は?/財政は規律派か緩和派か/外交方針/その他諸々)書かないと家庭内セクト間抗争が起きそう。
しかしここで色々派閥を書く前に、なんで政権批判できるということを重視しているかを書きます。
この2点に尽きる。
特に最近の統計問題やロシア外交、森友問題、保育園対応などを見ていると、どう考えても社会的弱者を切り捨てる方向に動いている。
なのに、なぜか官僚や政治家(特に与党内閣)に対しては性善説で考える人が多いなーと。
皆さん、そんなもんって感覚なんかな?統計がないがしろにされ、貧富の格差が拡大する、本当に今が「そんなもん」な世の中でいいのかな…
私はむしろ、論破されるならされたい。その意見が、よりよい日本を導くって思えればむしろバッチコイです。
要は、「自分(政権)や今までの自分を守るために論破する」ではなく「よりよい日本を考えていくために論破する」人がいいのです。
よってここが同じならば、原発推進でも(私は反原発)、アナーキストでも、規律派でもいいなと思っています。そしてもし万が一、天文学的確率で共産党が政権とったとしても、私は性悪説をもって批判する。
上の通りです。
>マジレスだけど、子供が生まれたら自由に思想を選べる環境にしてやってくれよな。
>すげえ分かるw私が男だったら増田と結婚したいくらいに、増田と同じような結婚相手を求めているとこある。
やだ…すごい嬉しい…結婚してください…
> アァ〜〜、この女と議論して論破してぇ〜!!性欲を掻き立てる女は数いれど、こんなにも論破欲を掻き立てる女がいるだろうか?
ありがとうございます。論破してどうぞ。面白いネタ待ってます。
ほんとだ、すまん。わからない…俺は雰囲気で増田をやっている…!
以上です。
もう結構時間もたってしまったし、もうあまり見ている人いないと思うし、メールも恐らく全部返せないと思いますが、本気っぽい人にはなるべく返します。
ちなみに関東住みです。
こんなヤツでも興味ある方はぜひ。
まず「価値観」が何故「価値感」とならないのかについて考えた方がいい。
価値観というのは感覚ではなく観点という事。英語で言うと“feel”ではなく“view”という事。
価値観=観点を評するからには、自分の観点を全体との相対関係において理解している必要がある。初歩的な数学と同じで、点Aの座標を確定するには少なくとも1軸以上の軸と原点(=自分の座標)が必要という事と同じだ。しかも純粋に1軸でもって点Aの座標を確定するには自分(原点)から点Aに向かって直線を引かねばならない。
数学はその直線を引く難しさが省略されてしまうが、現実で相手と自分に直接交わる直線的な価値など引けるわけがない。だからまずは自分(原点)の既知の軸=価値を判断基準にするしかない。ここまで書けば数学が好きな人は判ると思うが、2軸では3次元空間にある点Aを確定する事は出来ない。少なくとも3軸が必要になる。
話を引き戻すと、ここで言う3次元空間というのは世界の価値が3つの軸しか存在しないという事。しかしそんな事はあるはずもなく、我々の世界はおそらくn次元の価値空間なのだ。nが仮に有限であったとしても当面の我々には到底定義しかねる領域なのは間違いない。だとするなら自分が持つ機知の軸を増やしておくに越したことはない。軸が多いほど沢山の観点=価値観を理解できるからだ。
翻って、普段の会話で「こう思う」とか「こう感じている」と表現する事で「価値観が合わない」とか「価値観がぴったり」などというコミュニケーションが多々あるが、これは価値観=座標の表明なのだから、そこで止まらずに自分の座標軸を駆使して相手の座標軸を理解できるチャンスなのだ。
しかもその座標軸は自分が通らない座標軸であっても自分の座標軸との相対関係から間接的に価値観の評価に利用できるようになる。これは単に理解の幅が広がるというだけでなく、自分の価値観が相対的に他者の価値観にとっても重要になるという事で、つまり自分自身の存在価値の向上につながる。端的に言うと、博識な人間や人脈が多い人間が何故重宝されるのかという事に近い。
私は常々こう考えるので、価値観が合わない事に本能的ストレスは感じるが、探究心を掻き立てるものであるので、むしろそうした状況をどこかで望んでいる節もある。
カーモンベイビーアメリカ!
アメリカ人の9割は90%!
という歌詞は
どっちかの夜は昼間ばりに並んでキャッチーさで優勝してもいいと思う!
アホっぽくもあり哲学的でもあり、
きっと国語言語学者の金田一ファミリーの方も認めざるを得ないわ。
インフルエンザ予防と言うより、
インフルエンザになったときの軽減税率措置がゴーンと来た感じよ。
あの高熱が出たときの辛さを思ったら
何が何でもワクチンをキメておいた方がいいと思ってね。
「痛てててて!」
「まだ打ってませんけど」
と看護師さん真顔で答えられても、
オープンカーに真顔で乗ってる感じの、
または
そんな1ボケでことごとく
そこで諦めたら試合終了ですよと
そのセリフは有名すぎるぐらい定番なその一人歩きしている安西先生のボケ1つで幕を下ろしてしまった。
まあ、
予防接種受けたからインフルエンザになりませんように!と願うわ。
うふふ。
秋も終わっちゃうと言うのにこの食欲の秋シーズンマックス感が食いしん坊を掻き立てるわ。
美味しいものは美味しい!
そう問いかけたい、
もぐもぐ食べるサンドイッチは美味しいわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!おー!
街中などでたまーに見かける、
「この水は飲めません」って蛇口の水!
そういう注意書きがされてるのがたまにあったりするんだけど、
逆に疑問で、
普通のスーパーヒトシ君とは違うんだよ、普通のスーパーヒトシ君とは!!!
飲めません!と書いてあると逆に飲んでみたくなるのが人の筋!
押すな押すなと言われると押したくなっちゃうパターンでお馴染みでしょ。
そう言う心理背景。
忘れちゃった。
まあ、
さすがにゴクゴクとは飲まないけど、
どんな味だろうと確かめてはみるわ。
ん?あんがい行けるんじゃないこの水。
飲めるんじゃね?って思っちゃうけどね。
ここ1週間ぐらいずっとお腹痛かったのは
きっとその水が原因ではないと思うけど、
なんかやっと腹痛が治ったわ。
あなたの街の「この水は飲めません」蛇口情報をお待ちしてるわっ!
うふふ。
そろそろレイコーも冷たいので来年までフォーエバーしたいけど、
なかなかホッツがまだ熱すぎる感じもするわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!