2018-12-19

anond:20181219033530

まず「価値観」が何故「価値感」とならないのかについて考えた方がいい。

価値観というのは感覚ではなく観点という事。英語で言うと“feel”ではなく“view”という事。

価値観観点を評するからには、自分観点を全体との相対関係において理解している必要がある。初歩的な数学と同じで、点Aの座標を確定するには少なくとも1軸以上の軸と原点(=自分の座標)が必要という事と同じだ。しか純粋に1軸でもって点Aの座標を確定するには自分(原点)から点Aに向かって直線を引かねばならない。

数学はその直線を引く難しさが省略されてしまうが、現実相手自分に直接交わる直線的な価値など引けるわけがない。だからまずは自分(原点)の既知の軸=価値判断基準にするしかない。ここまで書けば数学好きな人は判ると思うが、2軸では3次元空間にある点Aを確定する事は出来ない。少なくとも3軸が必要になる。

話を引き戻すと、ここで言う3次元空間というのは世界価値が3つのしか存在しないという事。しかしそんな事はあるはずもなく、我々の世界はおそらくn次元価値空間なのだ。nが仮に有限であったとしても当面の我々には到底定義しかねる領域なのは間違いない。だとするなら自分が持つ機知の軸を増やしておくに越したことはない。軸が多いほど沢山の観点価値観理解できるからだ。

翻って、普段の会話で「こう思う」とか「こう感じている」と表現する事で「価値観が合わない」とか「価値観がぴったり」などというコミュニケーションが多々あるが、これは価値観=座標の表明なのだから、そこで止まらずに自分の座標軸を駆使して相手の座標軸を理解できるチャンスなのだ

しかもその座標軸は自分が通らない座標軸であっても自分の座標軸との相対関係から間接的に価値観評価に利用できるようになる。これは単に理解の幅が広がるというだけでなく、自分価値観相対的他者価値観にとっても重要になるという事で、つまり自分自身の存在価値の向上につながる。端的に言うと、博識な人間や人脈が多い人間が何故重宝されるのかという事に近い。

私は常々こう考えるので、価値観が合わない事に本能ストレスは感じるが、探究心を掻き立てるものであるので、むしろそうした状況をどこかで望んでいる節もある。

記事への反応 -
  • 価値観の定義は「何に価値があると認めるかに関する考え方」らしいのだけど、価値観という判断基準ほどわかりにくいものはないかもしれないということを思う。 相手が自分の望み通...

    • まず「価値観」が何故「価値感」とならないのかについて考えた方がいい。 価値観というのは感覚ではなく観点という事。英語で言うと“feel”ではなく“view”という事。 価値観=観点...

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