はてなキーワード: 千葉市とは
まずミニストップがコンビニ誌を排除したのは自主的な経営上の判断。
千葉市長の圧力とか言ってる奴の方がおかしい(たかが一自治体首長にイオンという日本最大の流通企業の経営方針を左右できる権限あるわけないだろ)
千葉市長については、企業判断なのに記者会見にまで同席した不自然さ、その関わりが十分説明されていないことに、個人的には強く疑問を抱きます。
ただの感情論かも知れませんが、もしBLが同じ立場だった場合を想像していただければ、多少は気分をご理解いただけるかと思います。
また、企業の自主判断だったとしても、本来一般図書であるコンビニ誌を、首長同席の記者会見で「成人向け」扱いし、18禁のレッテルを貼ったことは大きな問題です。
何より、元々コンビニでは成人向け図書を売ってはいけないのです。
成人向け表現の話を真面目に考えてもいない企業の姿勢が見て取れますし、他の青年誌や週刊誌などにレッテルを貼れる前列にもなったと思います。
イオンの書店でも成人誌は取り扱っていないと思われるので、テナントにあるアニメショップが狙いか?という意見や、最近規制の話題に上がりやすいBLが対象では?という見方もありました。(有害指定の6割がBLというのが現状ですので)
このように、大勢が協力して考えるべき件だったと思うのに、理解が得られなかったこと、誤解が解けないままなのが残念です。
以上のように、ミニストップとイオン問題についてはまだまだ気をつけて見ていかなければいけない話だと思っています。
うちの自治体は中身も読めるけど。
これは問題な可能性もありますが、事情がわからないと何とも言えないところです。
そもそも、コンビニ誌は出版社の自主努力で封をしている物なので、一部だけ封をしないというのがよくわかりません。
恐らく、自治体独自のルールかと思いますが、東京都の条例に従う多くの自治体、またはそれ以上に厳しい自治体では封がされます。
(コンビニ誌=類似図書に対する条例は各自治体で異なっていたりします)
これには反対したいです。
そもそも成人向けでないコンビニ誌を暖簾の向こうに置く=成人向け扱いするのは間違いだというのは書いてきた通りで、それと同程度の性描写なら、女性向けも当然一般のままであるべきだと思います。
そのために、法令に基づくべきだと思っていますが、上述のようにミニストップの件は法令に基づいていないため、問題だと考えているわけです。
また、前の返信記事にも書きましたが、賛成する人が多いにも関わらず女性向け商業誌の成人化があまり進んでいないのは、流通や販売などの問題があるためです。
つまり購入者が減ってしまうという業界判断なので、なかなか難しいことなのかもしれません。
水を差すようなことばかり書いていますが、自由に女性向け表現が楽しまれるためには、商業成人向けという分野が発展した方がいいとはもちろん思います。
今まで書いた通り、法令で問題ないと決められたコンビニ誌は、つまり食品と同じ扱いになるのではないでしょうか。
酒タバコについては、年齢制限のある嗜好品(コンビニ誌)を公共性の高いコンビニで売るのはどうなのか、という議論がよくあるために書きました。
法律でこどもに売れない酒タバコをコンビニに置いていいのならば、成人向け図書も置いていいのではないかという話もありますので。
まずミニストップがコンビニ誌を排除したのは自主的な経営上の判断。
千葉市長の圧力とか言ってる奴の方がおかしい(たかが一自治体首長にイオンという日本最大の流通企業の経営方針を左右できる権限あるわけないだろ)
それはセブンイレブンが最近雑誌を置かない傾向を進めていたり、アップルストアがエロアプリを置かないのと同じこと。
企業側に自社でどの商品を扱うか決める権利があるのは当たり前。
うちの自治体は中身も読めるけど。
それより遥かに性描写が薄く、一般青年誌と同程度でしかないのに
「女性向けだから・男性同士だから等の理由で隔離しなければならない」と言うのであれば差別だけど。
千葉市長の件は
「市長が表紙が見えないようフィルムをかける事を要望を出しただけで、イオンはそれをきっかけにグループ全てで全面撤去するという事にした」って話だよ。
要はイオンは最初からそうしたかったから、千葉市長の提案を体よく利用しただけ。
熊谷千葉市長は千葉市が行った、コンビニにおける成人向けコーナーについて、これの表紙にカバーをかけることを要請するという行政上の行いに対し、民主主義的プロセスによって決定されたものであり、この要請は正当なものであると主張している。
また、その要請を端緒として決定されたイオングループにおける成人誌等に関する流通規制について、これは民間が独自に行ったものであり、表現規制という批判は当たらないと主張している。
以上のことについて反論すべくつらつら書いたのが、書いたら満足してしまった部分があるので、増田にて放流することとした。
五千文字以上の乱文を読むことは骨が折れると思うので、主たる主張を始めに書く。
まず、民主的プロセスのみを根拠として表現規制を行うことは肯定することには大きな問題がある。
表現規制を行うのであれば、表現の自由の重大さから鑑みて、単に民主的プロセスの正当性のみではなくそれ相応の慎重さが求められると考えるが、千葉市が成人向けコーナーの雑誌に対しカバーをかけることについて民間に要請するにあたり、慎重に取り扱ったという証拠は今のところ提示されていない。
またイオングループの自主規制は、その前提となった千葉市の要請に基づくものであり、これと一体として論じるのが適当である。
このことは、ミニストップと熊谷千葉市長が共同して記者会見したことからも明らかなように、千葉市の要請とイオングループの規制は政治的にもセットで語るべき問題であることは明らかである。
よって、イオングループの決定についての政治的責任を、熊谷千葉市長は一定程度負わなければならない。
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ある表現物に対し、役所などの行政が規制を設けることは、これはすべて表現規制である。これは表現規制という単語を見れば明らかである。
よって、千葉市によって行われたコンビニに対する表紙の隠ぺいなどの要請は表現規制の要請である。
また、イオングループによる撤去について、これの端緒となったのは千葉市の要請であり、その因果関係があることは熊谷千葉市長も認めるところであり、また共同記者会見を行いイオンの発表として千葉市の要請を端緒としていることを明記しているのだから、千葉市の要請した表現規制の延長として捉えることは自然なことである。
このようなイオンの動きは「自主規制」と呼ぶべきものでもあるが、日本の表現規制の歴史においては行政による規制と自主規制は両輪の関係で不可分であり、特に本件はイオングループによる自主規制も行政による規制の要請とそれを受けての自主規制であることから、これを一体として論じることが適当である。
一度ここで確認したいことは、あらゆる表現が許容されるわけではないということだ。これは、一部の表現が法などによって規制されていることからも明らかであろう。例えば他者の人権を侵害するようなものは名誉棄損の罪などによって規制されているし、性器の露骨な描写についてはわいせつ物として規制が行われている。
すなわち、あらゆる表現のなかから、他者の人権などと比較し、規制されなければならないものについてこれを行っているのである。
したがって、今回の千葉市についてもその表現規制が妥当であるかどうかが検討されたかどうか、またそれが客観的に見て妥当であるのかどうかを見なければならない。
しかし、熊谷千葉市長のツイートを読む限り、民主的手続きの正当性を主張するのみであり、そのような妥当性の検討を行った形跡は確認できない。
また、表紙の隠ぺいについては自由競争市場に対する規制であることもここで指摘しておきたい。
「民意があり、議会が承認しそれを行政が実行したものであるから、この表現規制は正当なものだ」
とまとめることができるだろう。
しかし、これを以ってして表現規制を行うことの危うさについてここで指摘しなければならない。
なぜならば、民主主義は必ずしも正しさを担保するわけではないからである。
例えば、以下に例示したものは民意に基づき、民主的な手続きに基づき行われたものだが、果たして正当化しうる政策だろうか。
ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働党(NSDAP)は一応は民主的な選挙によって議席を獲得し、一応の手続きを経てユダヤ人に対する迫害を行った。
日本がアメリカとの戦争状態に入ったとき、アメリカは世論の後押しを受けて日系人を強制的に収容した。またこのときその財産も事実上簒奪された。これらの名誉回復は1980年以降にようやく行われた。
「黒人専用」「白人専用」といった人種差別政策が行われていた。これらは民意によって支持されていた。
オーストラリア政府によって行われていた一連の非白人への差別政策。
また、熊谷千葉市長の主張を言い換え、このようなものも導くことができるだろう。
『民意の代表たる議員が議会質問をもって提案し、関連予算が議会で承認され、並行して市民意見も聴取して改善を求める意見が多数と確認』
されたならば外国人や性的少数者に対する排斥などを行うことは正当である」と。
これらは不当に差別的なものであり、人権の侵害であることは論を待たないと思うが、熊谷千葉市長はこの理屈で表現規制は行えるものとしているとしているのだから、これについても是であるとこれまでのツイートからでは判断せざるを得ない。
そうではないのであれば、熊谷千葉市長はある特定の物事については単に民意や議会における手続きだけではなく、より広範な正義に基づいて判断するべきだと考えているのであり、そしてその特定の物事には、表現に対する規制は入っていない、ということになるだろう。
表現の自由も、単に手続き上満たしているからといって、これに制限を加えることを正当化することができるのだろうか。
私はそうは思わない。表現の自由は大切なものであり、表現の規制はこれを慎重にしなければならないと考える。
そしてそうであるならば、それは単に手続きを満たしているからと言ってそれを実行することを正当化することはできない。
表現の自由は基本的人権の一つであり、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利をいう。
また、ここには報道や出版の自由なども含まれる。民主主義において自由な討論は欠くべからずものである。政府などによって恣意的に表現を規制することは原則としてあってはならない。
日本における性的表現物に対して規制している法律は刑法175条で定義しているわいせつ物頒布等の罪である。
サンデー娯楽事件により、わいせつ物を構成する三要件が定義された。
すなわち、
.性欲の興奮、刺激を来すこと
その後チャタレー事件、悪徳の栄え事件などで判例を積み重ねている。
刑法175条の運用として、警察は局部が映っているかどうかで取り締まりを行った。このとき、陰毛も性器の一部として取り締まりの対象としていたが、1980年頃から徐々に変化し始め、陰毛が映っていても直ちにそれをわいせつ物とされなくなっていき、1990年に入ると事実上陰毛については刑法175条の規制の対象ではなくなった。「ヘアヌード解禁」とも呼ばれる。
このように、判例に拠らず行政側の恣意性によってわいせつ物の判断が変動していくのが我が国におけるわいせつ規制の特徴の一つである。
1950年のチャタレー事件をきっかけとして各地の地方自治体で青少年健全育成条例が制定されていき、それと同時に民間のPTAなどで悪書追放運動が起きる。特にマンガが標的とされ、各地で燃やされるなど過激化した。
1989年東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生、宮崎勤が逮捕され、大量のアダルトビデオを所持していたと報道されたことで、これらのメディアが人間に悪影響を及ぼすとしてメディア効果論が起こた。また、それに関連して朝日新聞が漫画本が子供に悪影響を与えると社説で論じたことをきっかけとして再びコミック追放運動が起きた。これらを受け、成年向けコミックでも激しい自主規制が行われた。
各地で制定されている青少年健全育成条例で定められており、過激な暴力や性表現のものを包括的、あるいは個別的に指定する。指定された書籍は18歳未満への販売が禁止され、区分陳列をしなければならないほか、業界団体が自主規制として指定を受けた図書の流通を制限している。
業界団体の出版倫理協議会が制定した、性描写が過激な成人向けコミックにつけられるマーク。
コンビニで定めている成人誌とは区分が異なる。これらはコンビニには原則として流通しない
-コンビニ向け成人誌
コンビニエンスストア側が成人向けとして区分し、成人向けコーナーなどに陳列する雑誌。
-春画の展示
春画は江戸時代に版画で刷られた性的表現物で、今日ではその美術性が評価されている。
しかし、日本国内でこれを自由に展示することはできない。なぜならば、性器に修正が施されておらず、わいせつ図画にあたるからである。数年前に実現した春画展も、主催者と警察など関係先がなんども折衝を重ねて半ば例外的に開催にこぎつけたと理解している。
その春画展に合わせて春画を掲載した週刊誌のいくつかがわいせつ図画を掲載したとして警察から指導を受けている。
このように、日本の性的表現物については行政側の規制の要請と民間団体の自主規制とが複雑に折り重なっており、民間側の自主規制についても含めて表現規制として論じられる。特に今回は熊谷千葉市長並びにイオングループが千葉市の要請をきっかけとしていることを認めており、千葉市の要請とイオングループの自主規制については一体として論じるのが適当である。
政治的にも、ミニストップと熊谷千葉市長が共同して記者会見したことなどから、この自主規制とそれによってもたらされる表現規制に対し、一定の政治上の責任を負っている判断される。
熊谷千葉市長はコンビニ成人誌に対して自主規制を行っていないかのように批判したが、コンビニ向け成人誌はコンビニで流通できるよう自主規制がすでに行われているし、その内容は青少年健全育成条例などによって規制を受けている。
表紙についても水着を着用するなどわいせつ性を抑えており、青年誌などと比較して規制しなければならないほど突出して過激であるとは言えない。言えるのであればその根拠を規制する側である行政は提示しなければならない。
また、表紙の卑猥さについて基準を設けての規制ではなく、区分陳列されていることによって一律で規制しようとしたことは、表紙の卑猥さとは無関係の規制である。これは当初の規制の目的のひとつである、成人向けコーナーの雑誌の過激さによってもたらされる不快さを低減するための措置としては不適当である。
以上より、私はコンビニにおいて成人誌と区分される雑誌に対して表紙をカバーするなど表現規制を行うことについては正当性を見出すことはできない。
また熊谷千葉市長のツイートを読む限り、これら比較検討を行い、それでもなお成人向けと区分される雑誌の表紙を隠さなければならないことの正当性を検討した過程が見えず、よって表現規制に対する慎重さを読み取ることはできない。
不快に思わされないことは人権の一部と言えるが、その人権を擁護するために他者の権利を侵害する場合、これを比較検討して結論を出さなければ公平ではない。
例えば、性的少数者に対する不快感はどうであろうか。近年、性的少数者についての認識が変化し、これを受容する方向に世論は形成されているが、これまでの歴史において性的少数者は迫害されてきた。性的少数者が迫害された理由はいろいろ考えられるが、そのうちのひとつは個々人が思う同性愛者に対する不快感によって、同性愛者を迫害することへの肯定的世論が構成されていたからだろう。
多数が不快に思っているのだから、性的少数者を迫害してもいいのだろうか。
もちろん、これは否である。性的少数者を不快に思う気持ちは内心の自由ではあるが、内心の不快によって性的少数者の人権を侵害していいわけではない。
表現の自由も同様である。単に不快であるというだけではそれを規制することは他者の表現の自由に対する侵害である。
また、個々人の趣味嗜好は多様であることから、単に不快さを理由としたとき、その範囲は無制限に拡大していき、実質的にすべてが不快であるから規制する、ということにもなりかねない。
よって、不快さを根拠として表現を規制することは適当ではない。
以上すべてより、千葉市が当初求めた成人向け雑誌にカバーをかける要請について、これ表現規制であり、またこの規制は適当ではない。
イオングループが発表した流通規制は千葉市が要請した表現規制と一体として論じられるべきものである。また、イオングループが実行した自主規制に対し、熊谷千葉市長は一定の政治的責任を負う。
これまで基本的にネット界隈(はてな界隈含む)からは好意的な目で見られることの多かった千葉市長であったが、今回のミニストップの件を機に評価が一転、地の底まで堕ちようかとしている。
30代の若き千葉市長はこれまで様々な施策をツイッター上で議論の題材に乗せてきた。市民と直接議論を交わすことでその内容はちょくちょくTogetter等にまとめられ、ネット上でも話題になることが多い。
自分が懸念しているのは、今回の件をターニングポイントに、ネット上では千葉市長のやることなすことが全てが「否定」されること前提で議論が始まることになってしまわないか、ということだ。
やまもといちろうに対するはてなの評価を見ても、基本的にはそれまでほとんどのケースで肯定的に見られた隊長が、あるタイミングを境から何を書いてもはてなユーザーからは否定前提で見られるようになってしまった。ある議論をする際に、発言の内容よりも誰の発言かという点でブコメの方向性が決まってしまうという傾向は、はてなユーザーならよく分かっているだろう。
まあ、やまもといちろうの場合はそのほとんどが内容的にはヨタ話の類なのでどうでもいいんだが、千葉市長の場合は市民の生活に関わる「政策」の話なので問題だ。
これは個人的な感想だが、これまで千葉市長絡みで議論になった政策については、千葉市長の言っていることに理があると思える事がほとんどだった(中には「ん?」と思うことがちょくちょくあったことは否定しない)。千葉市長にまつわるホッテントリのブコメとか見るに、同じ感覚の人は多いのだろうと想像するが、ネットのムードが一気に千葉市長否定に切り替わり、それが至極まっとうな内容でも「千葉市長が提言することなら反対」のような、議論に変なバイアスが発生してしまうことを懸念している。
いや、これまでも朝鮮学校補助金問題あたりを機に、一部のはてサからは千葉市長に関するホッテントリには否定的なことしか書かれないという状況を見てきたのだ。右翼とか左翼とか全然関係ない話題でも基本的には否定しかしない姿は議論もヘッタクレもなくて、正直「なんだかなー」と思っていた。こういうのも一部のはてサくらいなら微笑ましい話で済むが、それがネット全体のムードとして広がると、理性的であるべき議論も千葉市長否定の感情論や無意味な揚げ足取り等が目立ちはじめて議論も有らぬ方向に進んでしまうことも有り得て、こうなるとそれはちょっと怖いなと思っている。
これまで千葉市長はネット上にはファンが多かったので、「千葉市長のやることなすこと全部好意的な目」で見てきた人が、フラットな目で見る切っ掛けになったのならそれはそれで良いことだと思う。ただ、ネットのムードは怖いもので、フラットどころか反動で一気にマイナス前提ばかりの空気感になることは議論の場として健全とは到底思えないので、先に懸念として表明しておく。
※この記事を書いたのは、そもそも自分が千葉市長を最初に知ったのはいつだっけと考えて、そういや↓のTogetterだったっけなと思い出し、もしかしたらこの有意義な提言も今のタイミングの発言だったら市長側が必要以上に否定されてしまうような流れになることも有り得るのではないか、と思ってしまったのが切っ掛けです
有岡メアリ @gen_ROWDY
千葉市の中高生の性犯罪増えるぞ。はけ口ぐらいあったっていいだろ。これだからフェミナチは・・・。
ひなた @sunny_days365
親に隠れて買うならネットで簡単に買えるし 裏サイトなど余計な監視対象が増える
有害図書を排除した大人世代の子供が 嫌悪物排除主義になり 人として共存工夫が出来なくなる
憂フ夏 @udx
性犯罪の抑止力がなくなって被害者増えたりって議論はなかったのかな
ミニストップが成人向け雑誌販売停止とかこれは少子化が進みますね
邪帝 @VMAX07
ミニストップが成人雑誌販売無くす つまりミニストップは利益と風紀をとりに行くと
奈々エクスプレス@ナナクラ @rGe30J37ERSi1zW
女性客や子連れの客にはいいかもしれないけど、規制ばかりの風潮は逆に、性犯罪が増えるリスクにも繋がるんじゃないの?性に対する場面で実際に対処の仕方がない分からない人も増えてるのは事実だし。
©鍵山/Clave@愛宕愛してる @kagiyama1468013
こうやって日本から徐々に性教育が無くなって行く( ˘ω˘ )
オリンピックを見据えてクリーンな店をみたいなそれらしい事言ってるけど、ミニストップしか近隣に無い地域で、代替するツールが無くなった返りとして性犯罪が増えたらウケる。
もふりしゃす@なめおリゾート @keeponsleepingS
他社はニーズが高いからではなくビニール掛けのコストが高いから断った
ミニストップだけが、ビニール掛けはコスト高いから撤去・更に千葉市だけではなく全国で・ミニストップだけではなくイオングループ全体で、と言い出した
って話が何故そうなるのか
誰も得しないというかコンビニにとってはデメリットの方が大きいのが実情。
成年誌はそもそも売れない・万引き率が高い・客層が悪化する・返本処理に手間がかかる等々、むしろコンビニ側としては取り扱いたくない商品筆頭で、千葉市の一件以前から全国的に成年誌スペースは縮小傾向にあった。
千葉市が要請したのは「千葉市内のコンビニで、市が費用負担したうえでのカバーかけ」であったのに対し、実現したのは「全国のイオングループでの成年誌取扱停止」。千葉市長ひとりでどうこうできる範疇じゃない。
どうも「イオンは成年誌を売りたくて仕方がなかったのに、行政が圧力をかけて無理矢理やめさせた」構図にしたい人が多いみたいだが、実情は逆だろう。
イオンは以前から成年誌の取扱をやめたかったが、出版業界との兼ね合いや表現の自由戦士に炎上させられる等々懸念事項もあって踏み切れなかった。
そんな中千葉市の取り組みを知り、それに乗っかる形をとった。
ほかのコンビニチェーンにカバーかけを断られ成果を上げられずにいた熊谷市長に地場企業として恩を売り、
表現の自由戦士のヘイトは自社でなく千葉市に向けられる。イオンの担当者は非常に優秀だね。
戦士諸君の言い分に従うと、当のイオン経営層が成年誌を売りたがっていなくても、店頭に成年誌を並べ続けなければならないらしい。大多数は買いもしないのに。
本当に何と戦っているのかわからない。
「千葉市長が同席していなかったら報道される事はない」と言う仮定が真ならな
実際はイオンという日本を代表する流通・小売業のやる事が報道されないわけないんだが
「元々売れなくて返本だらけで邪魔なだけだけど慣習としがらみにより撤去出来なかっただけ」って説が正しいとすると
行政の圧力ガー達は「千葉市長は全コンビニに圧力をかけられる権力がある」と主張し始めるんだろうか
どんな独裁者やねんって事になるんだが
18禁のものは置かない、過激なものは置かない、コーナーを分ける、表紙も大人しくする、場合によってはビニールをかける、こういう努力をやってるのを無視して「18禁のものをゾーニングもせずにそのまま置いている」みたいのを規制の理由に挙げる人たちが大量にいるからそこが論点になるんでしょ。別に「ぜんぜんエロくないよ超健全だよ」つってるわけでもないし。
そのあたりを分かってない人の圧力で規制が進行したり、あるいは千葉市長のような行政側の「要請」を忖度して撤去するようなことは良くないと言ってるだけで、「小売りは嫌でもエロ本を置き続けなければいけないのだ」とか言ってる人なんていないでしょ。
そもそもの大前提として、千葉市長が求めたのはゾーニングであって販売規制じゃない。
千葉市長:「エロ本の表紙が子供の目に入るのまずいから表紙隠してよ」
ミニストップ:「んじゃいっそ売るの止めるね。千葉市内の店舗だけじゃなくて全国で止めるね。ついでにミニストップだけじゃなくてイオングループの店舗全部で止めるね」
ってな経緯だろ。
んじゃどうすれば良かったというのか。
「千葉市長が表紙を隠せと言い出したのが悪い」→ゾーニング論まで否定するのは規制反対派の中でも極端過ぎるが
「イオングループが取り扱い中止したのが悪い」→イオンが何売ろうがイオンの勝手だろ
で終わる話だが。
まさか千葉市長が「販売停止まで求めてない!それは表現の自由に反するから売るのは続けなさい!」と命令しろ、とでも?