はてなキーワード: 中南米とは
排外主義排外主義うるさいんだよ。緊縮やめたらどう?インフレになるって言うけど、中東にミサイル送り込んで原油価格を無理矢理にでも下げればいいだろ。軍拡の費用は中国に関税で払わせる。tppはなし。epaはなし。ギリシャに緊縮させんのやめて団結したらどう。先進国みんなでにくいムスリム共を空爆すればいいんじゃね。なんであいつら野蛮人とおんなじ生活水準じゃないといけないんだよ。消費税なんてしらねーし。消費税と中間層減税やれ。予算削減もとりあえず全部凍結しろ。移民?しらねーし。人手不足ていうなら東南アジアの国にもの作らせろ。国内の労働者は補助金じゃぶじゃぶで。アフリカとか中南米もう一回負債地獄にすれば原油価格下がるんじゃね。世界的に食糧不足って言うなら新興国の通貨暴落させて新興国の中間層の購買力(需要を減らせば)いいってことだろ。ロバート・ルービンみたいなおっさんが必要だよ。先進国は組もう。北アイルランド問題もbrexitもトランプも中国とムスリムのせいにしていっしょに爆撃すれば解決さ。韓国とか興味ないし関税でもかければ?通貨高と関税の組み合わせで収奪せよ。先進国の中間層、団結せよ。ファシズムバンザイ。そしてナショナリズムは役に立たん。
ジャーナリストや中学生についてはいろんな意見があるだろう。彼ら個人の資質として反発を買ってしまう要素が多いのも理解できる。
でも「外国に行った国民一人ひとりの安全を保証するのが全体の義務」(左翼のみの問題ではなく、右にもなぜかこういう時だけ左の意見を取り入れて発言してしまう人が多い)なる言葉が一人歩きし過ぎてないだろうか。(本来は大使館に駆け込んだ自国民を無視したり、現地警察の横暴による不当逮捕に目を瞑ったりしてはいけない程度の義務だと考えられる)
その論理を使うと、最近の日本人は「危険だから」という理由でアフリカや中南米の数十カ国が渡航禁止になっても何の文句も言わない気がする。
Gレコは他ならぬ冨野自身が「地球vs宇宙植民地」図式に飽きてる証左と思った
宇宙時代にカースト制度による差別(マスクの出身種族)とか、さすが御大、考えることが違う。ちゃんと、一見古くさいようで人類史的に変わらん(現代でも有効な)部分が分かっとる。
そーいう発想が見たいんだよ、福井晴敏みたいに律儀に大真面目にファースト以来のニュータイプ論なんかやらなくていいから。
その意味で鉄血が「ニュータイプ的なもの」を、少年兵をこき使うための違法改造という生臭いレベルに引き下げた(実際、現代の中東、アフリカ、中南米とかの子ども兵士問題はあんな感じ)のは皮肉な小気味よさがあった。
少子高齢化のせい
年寄りばっかで健康があ老後があ空き家が遺産がお墓が介護が子供が公務員に就職して勝ち組だとか話題が保守的で暗いんだよ
バックパッカーで自分探しして少数民族と触れ合うみたいな意識高い系を真っ向から否定するのは大人になったんじゃなくて老化
アジアでも中南米でも外国いったら街を歩く若者の割合の多さとそこらじゅうに溢れるあたりまえの活気にびっくりする
赤字国債は赤ん坊がたくさん生まれるニュースが流れればこの子たちが未来に問題解決してくれると信じて耐えられる
現状、不安定覚悟でようやく20代で400万~を超えるようになるような就労環境がザラで
かつ、あわせて4万も5万も毎月年金と健康保険と所得税(雇用保険はまぁ700円くらいだし全然問題ないが)分捕られて
物買うたびに8%も税金がついたら、若者なんて500万600万かせいでても毎月家賃とかかんがえたらオケラだよ
健全な男女がデートするだけで、お互い財布と相談するのが当たり前ってくらいの時代に何が結婚しろだ子供産めだよボケ
何とかしてほしけりゃ、社会に迷惑しかかけないジジババを姥捨て山に政治家が決めて警察と自衛隊で捨てて来い、子供とすら疎遠になったようなのは、それだけで「自己責任」だろボケ
俺らは散々自己責任だの努力不足だの言われて、こんなウンコ製造機かつ二酸化炭素変換機でカネゴンで、あらゆる場所で電車は遅らせるわ迷惑かけるわとナメクジよりも迷惑な不快害虫の飯食わせるために、どんだけ税金納めてると思ってんだよ
してもらって当然なんて考えてる老害はとっとと死ねや、日本がもし中南米と同じような国だったら、死の部隊が夜な夜なジジババ狩りしてて人権すら認められないくらい恵まれてる癖に、偉そうなツラしやがってよ
技適があるからガラパゴスみたいなクッソ頭悪いコメが散見されるが、ワールドワイド製品で技適通すの、ほとんど誤差みたいなものなので、
大体BVやTUVやSGSといった認証機関で通すので、どこまでカバーしたいか指定すればどのように認証スケジュール・テスト設計するかはソリューションに含まれてる。
どの製品もKCC(韓国)他NCC(台湾)、ANATEL(ブラジル)他の認証を通しているが、
実のところそれらよりBVやSGSでの認証取得ならMRAでちょっとした追加試験で済む技適の方がずっと楽に通る。
中南米より技適取得時の方が書類少ないよ。おそらく日本よりも小さい市場の面倒な認証も通してる時点でそういう問題じゃない。
Pixelに関しては、LTEバンドの時点で明確に日本をスルーしている。というよりカバーする気が無い。
逆に言えばGoogleのハードウェア事業としては日本の位置づけはその程度のものだと言うだけだろう。
毎回本当に頭悪いコメントにうんざりなのでさらに言っておくが、
大体の世界中で使えるIEEE規格は地域毎のパラメーターについては規定しない。各国規制に従えってなってる。だから各国の認証を前提とする。日本向けの11jみたい例外を除いて。
5GHzなんかは共存前提なので地域毎にCh設定自体が違う(EUとUS、JP、その他も違う)。電波は陸上通信だけのものじゃないので、そうなる。
大麻の野生種は栽培に手間がかからないからといって、栽培品種の商品価値がなくなるわけではない。日本ならタケノコ(孟宗竹)がいい例。
そして野生種と品種改良を繰り返された現行の栽培品種とでは、特性が大きく違っている。販売店(消費者ニーズ)では有効成分を多く含む品種改良された大麻が主流。野生種の大麻は有効成分の割合が低いため、わざわざお金を出して買う人はいない。これは生産性や生産量の問題ではない。付加価値が低いからだ。現在の先進的な大麻栽培では、屋内で大規模に人工照明を用いて行われているため、莫大な初期投資と運用コストが必要。それも価格に転嫁されるので無料にはならない。
しかし大麻ビジネスに投資家や起業家の参入が相次ぎ、競争が激化し栽培量が増えた結果、価格は今のところ下落傾向にあるらしい。コモディティ化されつつあると表現されていた。コモディティ化するってことと、ビジネスにならない、税収にならない、市場が崩壊するってことはイコールではない。コモディティ化した商品なんていくらでもある。そしてコモディティ化した商品をわざわざ違法組織が扱うメリットはない。
別の視点からもう一つ。大麻合法化の問題は、対違法組織、対ギャング、治安、健康だけの問題ではない。大麻を吸うことは個人の幸福追求、愚行権、人権に関わってくる問題なのである。
なので大麻が合法化へ向かってる国・州は、治安が悪い、麻薬がはびこってる地域とは限らない。リベラルな国や州ほど合法化に積極的なのである。だから左翼の間でトピックにあがりやすい。違法組織や麻薬犯罪が多そうな中南米、東南アジア、中東はそれほど大麻解放路線をとってない。先進国でこそ大麻解放が進められている。
ポルノ、酒タバコ、ギャンブル、同性愛、安楽死と同列に語られる個人の権利。大麻が健康に悪かろうと、個人の選択の問題であって、国家が介入し犯罪者として取り締まる理由にはならない。
健康に悪いことは犯罪?気持ちがよくなることは犯罪?取り締まる法的な根拠がそもそも存在しない。違法組織が絡みだしたのは違法になってから。人の作ったシステムが悲劇を生んでいる。
「メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディア「スポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。
The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News
ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。
MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。
近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年にドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。
1920年、ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。
1900年にアメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンなイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。
カージナルスやドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。
1966年、エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。
スポーツ用品のSpalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボールの標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。
シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグの創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。
黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年にニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。
野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。
元はブルワーズのオーナー。MLB選手会とオーナーの対立が激化していく中で、1998年(実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。
ドジャースのオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。
1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。
1974年、ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。
ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である。
ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。
野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的なルールの策定に貢献した。遊撃手のポジションの創始者とも言われる。
(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)
ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。
肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年、ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。
「シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。
最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。
走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。
1901年にアスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である。
上院議員、ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナー。ランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラーは進歩的であり、1947年にドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。
連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。
1900年にパイレーツのオーナーとなった。その後のナ・リーグとア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。
スコットランド出身のビジネスマン。1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアがアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。
レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である。1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。
大学で統計を学び、1969年にスポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーやバスケットボールの百科事典も編纂している。
ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックス、アスレチックス、カージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。
MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。
アストロズのオーナー。1965年、世界初のドーム球場・アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝は70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。
MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。
1998年のサミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年のストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。
1969年、カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。
日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。
1977年のワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。
1920年、カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。
2002年、レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブスの球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。