「ロスタイム」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ロスタイムとは

2022-01-30

35越えて消費活動キャラ作ってるやつは駄目

お前の生み出せるものキャラを形作れよ。

クラシック聞いてようが、ソシャゲに100万課金してようが、AKB全員言えようが、車がクッソ高くても、京都検定持ってようが、別に格好良くもねえし格好悪くもねえ。

消費活動がなにかであーだこーだ言っていいのは30までにしろ

ロスタイムで35だ。

35にもなって「俺、コーヒーの味めっちゃ分かるから。効きコーヒー出来るから」とか「俺、あのアイドルがまだ地下だった頃から追っかけてて顔と名前覚えられってっから」とか、全部どうでもいいんだよ。

マジでよぉ……ただ与えられたもの摂取してウンコにするだけのウンコ製造機の一種しかねえ行動によお……プライド持たないでくれねえかな。

どうでもいいんだよ。

お前が日曜日プリキュア見てようが、フランス映画字幕もなしに見てようが、どうでもいいんだよ。

それでダセーとかカッコイイとか別に考えねえから

マジくっそどうでもいいんですよ

2022-01-06

anond:20220106163126

ルパンカリトロの城のヒットとそのロスタイムがあっただけで

国民的ヒットって言えるほどは低年齢層に定着してない

2021-12-11

[]ノベンタ・イ・ラモス

スペイン語で91は「ノベンタ・イ・ウノ」、92は「ノベンタ・イ・ドス」…と続くので、それをもじっている。

「90分とラモス」「ラモス時間」などと訳される。

サッカーレアルマドリー選手であるセルヒオ・ラモス試合終了間際(サッカー試合時間は90分+ロスタイム)にしばしば得点を挙げることから

その最後ロスタイムのこと、あるいは「最後ロスタイムまで諦めない」という不屈の精神意味で使われる。

2021-10-09

ゲームを無理やり中断されられた子供がキレてゲーム怖いみたいな話あるけど、サッカーやってる子がゴール決めそうなときに入っていって無理やり邪魔して中断させてもキレると思うんだよなぁ。中断させる側の大人が、子供ゲームで今何をしているか理解しようとしていないことに問題がある気がする。


これ読んでて、こういうのが身体だけ大人になるからクソガキが産まれるんだなって。

時間から、止めろって言われてるのを止めないで続けるから中断させんでしょ。

要するに試合終了って言ってんのを勝手ロスタイム作ってやりたい放題やってるゴミじゃん。

理解していないのは、タイムアップと言われているのに続ける方の問題

屁理屈ばかり上手くなってるクズってホント世の中に不要ゴミだな。

2021-03-08

自分ゲームする体力にビビった

まだ二十代なんだけど、最近露骨ゲームする体力の限界を感じていた。

せっかく買ったゲームを、時間はあるのに30分くらいやったらもう今日はいいか〜と投げてしまう。最悪ストーリーの途中で触らなくなる。勿体無いことしてるなと思いながらも、本当にやる気が出なくなる。

魅力があるゲーム出会えてないとかそういう問題じゃない。ソシャゲに慣れすぎたせいで、敵に倒されたときにコンテニューもできずにキャラクターを鍛え直すのがもう面倒で面倒で仕方なくなった。シナリオが売りのゲームだと尚更そうで、この先が知りたいのにレベリングプレイ試行錯誤するのが面倒!飽きた!で投げてしまう。30分以上そういうことを強いられるともうダメYoutubeで実況見ればいいかな〜で終わってしまうようになった。

ストーリーがほぼなく、戦闘が数分で終わるスプラトゥーンや、ストーリーがすぐに終わってあとは好きにやり込みでいいポケモンが続けられているのがその証左で、ストーリーを読む/ゲームを進めるために同じ作業を繰り返すことが本当に楽しくなくなってしまった。もちろんソシャゲでも周回はあるけど、画面を見なくてもながら作業できるくらいには効率化できたりオートがあったり、移動時間にやるからむし操作してないと暇だったりするし、最悪強敵にはコンテすれば良いのでぎりっぎり続けられている。でもそれだってギリギリで、好きなキャライベントの時とかじゃないとしっかりはやれていない。

からウマ娘ダメだろうな〜と思っていた。ダメじゃなかった。できた。今日は三時間やっていた。ガチャゲーだから始めたての今は全然カードが揃っていなくて育成キャラと噛み合わなくて上手く勝てないし、コンテには制限があるし、一プレイに一時間前後かかるが、普通に続けられている。すごく楽しい自分、体力あるじゃ〜〜ん!!ってなっている。

もちろんウマ娘イラストキャラの作り込み、モデルの綺麗さが理由なのもひとつだが、それよりも「スマホゲームで育成のやり込み」っていうのがすごく自分に刺さったんだろうなと思う。案の定パワプロシャニマスも触ってみたらすごく楽しかった。昔の倒せない敵のために何時間も周回したり、動きを考えて試行錯誤する楽しさが一気に甦った。

理由はもう簡単で、移動時間とか待ち時間とかそういうロスタイムから周回を苦に感じないんだと思う。ゲームは好きでやっていること、やっていることなんだけど、空き時間、何をやってもいい自由時間を全部それに費やすのがたぶん自分は相当体力を使うというか、飽きやすくなってしまう。家でサブスク映画を見るとき、他のことはなにもせずに二時間映画に集中するのは難しいが、映画館で映画を見るとき、飽きたな、途中で何かしたいな、とは思わない感覚に近い。他にすることがない環境ならまだ楽しいんだな、こういうゲーム、としみじみしてしまった。まだ試行錯誤しながらゲームをする体力あったんだな。

そういうわけなので、自分みたいな据え置きゲーム投げちゃうマンにはスマホ試行錯誤ゲームが向いてると思いますソシャゲなので課金して多少ゴリ押せちゃったりするしね。これでリハビリして、またぽちぽち据え置きゲーにも戻れたらいいなと思うし、戻れる予感がする。

2021-01-17

エンドロールのその先

自分の整理のために記録として書いています

長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。




子供の頃からなんとなく漠然と、自分人生は二十歳で終わると思っていた。

高校受験学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。

憧れた高校入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。

受験が、入学が、私のゴールだった。

高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。

憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。

それで満足していたし、それ以上はなかった。

大学は行きたくなかった。

やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。

小学生の頃の昼休み友達に「絵が上手いか漫画家になればいいじゃん」と言われた。

その時からなんとなく漠然と、自分漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。

あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。

結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画3Dも学べる大学に入った。

入学から半年後、学部全体説明会で、学長に言われた。

「お前ら今すぐ全員大学辞めて専門学校行け」

新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画アニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。

実際、入学前に散々確認した3Dモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。

かろうじて漫画講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分ロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。

これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄時間を過ごしすぎる。

だって私の人生はあと数年で終わってしまうのだから

二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。

ぶっちゃけ漫画専門学校に通わなくても描ける。

それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。

まり、この時点で気づくべきだった。

私に漫画は向いてない。

専門学校では初めこそ有意義時間を過ごせた。

話の組み立て方、起承転結コマ割り…

授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代ほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。

入学特典として、時間外でも個別相談作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。

ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。

それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。

教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。

あなたネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから

今思うと、先生だってそりゃ家庭があるし、仕方ない話だ。

それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。

自分でなんとかしなきゃ。

とにかく、まずは一作。

そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。

せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。

5個の編集部に持ち込みに行った。

うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。

そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。

もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。

そりゃ、最初から傑作が描けるとは思わなかった。

まして、今回は誰にも見せてなかった。ダメ出しも覚悟の上だ。

でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。

帰り道の足取りは重かった。

初めての単身上京、知らない街。

憧れた新宿から半蔵門まで歩いた。

足を止めたら消えてなくなる気がしたから。

そんな作品だが、一応残りの2箇所では名刺をもらった。

うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。

でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。

社交辞令かもしれなかったけど、それが嬉しかった。

でも結局、編集部名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。

結果から話すと、うまく行かなかった。

私の実力と、担当さんの期待値が合わなかった。

その頃には大学卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部投稿した。

ついでに、同じ雑誌イラスト賞にも応募した。

持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。

カニを見ながら泣いた。嬉しかった。

漠然と、自分漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。

元々していたアルバイトフルタイムにして、漫画を描いていた。

しかバイトハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間事務所トーン貼りしたりしてた。

鬱になった。

正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。

ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。

話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。

当時の店長相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。

元々2年で辞めるつもりだったし、漫画バイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。

何社か受けて、履歴書を見て笑われたこともあった。

それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。

すごく嬉しかったが、断った。

私は、言葉呪いが効きやすタイプだ。

そして特に、親の言葉は。

雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。

両親はそれが心配だったらしい。

「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」

私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。

今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せ分岐だったのかもしれない。

面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。

当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者自分には不可能だった。

そんななか、本当に偶然、地元募集を見つけた。

から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。

早速応募して、面接

そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。

採用になり、週に四日、6時間勤務。

作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルーム作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。

お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。

その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。

あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)

そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。

その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しか担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいかからない状態だった。

そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。

展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…

初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。

アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。

相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当意味不明な事を言われながら、最後自分の好きなものを描いてみようと思った。

何を描いても、誰にも何も言われない。

好きなように、楽しく。

結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。

せっかく描いたし、SNSにあげてみた。

今まで私の漫画学校先生と、編集部の人くらいしかたことがないし、反応をもらえた事はない。

いいねが1万件ついた。

びっくりした。

たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想コメントもいっぱいついた。

しかった。

それから就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。

編集部酷評だったけど、SNSコメントは優しかった。

これで漫画最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。

SNSにあげた漫画を、編集部に送ってみた。

ジャンルが違うので、今までのところではなく新しい編集部だ。

ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。

そしてそこで、いきなり連載になった。

今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。

電子のみの連載だったが、書籍化もできる自信がなぜかあった。

そして実際単行本も出した。

これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。

当時の自分もそう思っていた。

でも実際は違う。

話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語ちょっと複雑な内容を追加した。

すると担当から言われた。

エロがあればいいから、余計な事はしないで」

私が描いていたのは、エロ系の漫画だった。

とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。

そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。

今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。

担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。

今でも配信サイトコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。

描けなかった。

今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。

単行本と、新作のネームを持って持ち込みに行った。

連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。

「よくこれで本が出ましたね」

持っていったネーム単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。

曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。

当たり前といえばそうかもしれない

過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。

一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。

もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」

1人で何度もネーム再考して、完成原稿を期日までに送る。

一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNS投稿漫画と同じ。

商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。

3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。

悔しいけど、やっぱり自分には描けない。

でも、今日まで頑張った事を無駄にするのも惜しい。

また、「最後」と言う名目で、好きな漫画を描いて本にした。

作画配信したりしたおかげで、完成前から応援の声は多かった。

そして初めて、オリジナル同人誌完売した。

その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。

初めて感想差し入れもたくさんもらえた。

その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。

あの時がたぶん、私の漫画人生ピークだった。

その後、持ち込んだ漫画を元に読み切りを描き、運良く掲載

SNS時代ファンの皆様の応援もあり、連載化が決まった。

描けなかった。

私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。

だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。

しばらく練り直して、やはり変わらなくて。

諦めて別の話を描くことにした。

そこからは真っ暗闇だった。

どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。

当然だ。「好きなもの」を描いてるから

下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。

そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。

結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。

そんな事が2年近く続いた。

別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。

足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。

それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。

初持ち込みから10年。

結局自分は、10年経っても何も変わらなかった。

そろそろ30になる。

二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。

友達は1人もいない。比喩表現ではなく、本当に誰もいない。

小学時代、一番仲が良かった子に、ある日突然いじめられた。

一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。

転校して、中学時代もそうだった。

突然クラス男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達相談していた。

男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。

「そう言う事するなら、あなたとはもう友達じゃいられない」

はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。

別にいいし」

友達を作るのが怖くなった。

どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。

お陰で高校の2年間はクラスで1人で過ごした。

ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。

触れてはいけない、祟り神みたいな扱いだった。

3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。

友達って難しいな。

中学時代、好きな男の子にはペットボトルを投げられた。

親には言えなかった。

高校時代、好きな子相談を親にした事があった。

友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。

あんなこ辞めときな。大学生になったら彼氏できるから!」

大学時代バイトと専門、学部女子が圧倒的に多い。

そのまま卒業した。

「いつかいい人が現れるから

そう言われ続けて卒業した。

卒業した瞬間、「いつになったら彼氏できるの」に変わった。

友達の作り方も分からないのに、彼氏ができるわけない。

一応婚活とか街コンには何度か行った。

まずは友達が欲しかった。

何人か連絡先を交換して話したりした。

仲良くなった人もいる。

その頃の私はマニキュアを塗るのが楽しかった。

ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。

ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。

100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。

オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。

ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。

趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達感覚だった。

自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。

かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。

そして、ボロボロの爪を見られた。

「オシャレだね」

怖くなった。

ボロボロハゲ公園遊具ペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。

しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。

メガネの奥の瞳と視線があって、二度と会わないことを決めた。

男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。

それがたまらなく怖かった。

その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。

そう言うのが怖くて続かなかった。

そのままもうすぐ30だ。

家を出る能力がないので実家暮らし毎日両親…特に母に怯えて生きている。

「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから

少ないながらに在宅でアシスタントはしている。

両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。

本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。

当然、その分給料は減る。

給料が少ないから、その分早く自分原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。

それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。

真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。

完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。

真っ暗な部屋の中で、Permalink | 記事への反応(1) | 16:44

2020-12-10

anond:20201210063813

そんな90分ロスタイム3分ごろにいい動きしてる惜しいとか言われたってね

あんたら26-4で負けてるじゃんこの試合って感じ。

2020-11-01

anond:20201101132606

元増田が、人生という試合が終わってるのに、「まだロスタイムだ」と言い続けてる話かと思ったら違った

2020-09-05

ミステリーサッカー

主人公探偵プロサッカー選手試合開始のホイッスルと共にエースが死亡。ゴール時にキーパーが死亡。ハーフタイム後に戻ってこない審判レッドカード級のファールでなぜかファールした方が死亡。ロスタイムに追い込みをかけるように3人くらい死亡。更衣室に戻ると控え選手が死んでいる。ミーティングに現れないコーチあとがきハットトリック叙述トリックをかけてくるウザい作者。

2020-08-13

少年サッカー指導者だった父が末期の胃がんを患った

春に行った自治体の定期健診で貧血が指摘され、再検査で大きな胃がんが見つかった。

自覚症状として胃の痛みはなく、便秘気味で便が黒かったがまさか胃がんとは思わなかったそうだ。

がんは肝臓転移していてステージVI、父の人生の終わりが見えてしまった。

父はずっと、おそらく40年は少年サッカー指導者をしていた。60歳くらいでアキレス腱を切っても辞めずに指導を続け、指導した子供は数知れず、教え子からJリーガーも輩出した。

葬式やったら弔問客が会場に入りきらないんじゃないかなと本気で思ってる。このコロナ禍でなければだけれど。

そんな父が検査結果に呆然とし、潔く開き直り抗がん剤による化学治療を開始した。

なんの問題もなく治療が進んでいると聞いていたけれど、それはやっぱり子供安心させるための嘘で。

抗がん剤の影響か若干のせん妄があるようで、様子を見に行った姉に話した言葉はだいぶ支離滅裂だったそうだ。

入院治療中に暴れて生理食塩水の点滴を引き抜いてしまい、針抜いちゃうと本当にやばい抗がん剤の点滴中は例外的家族の付き添いが許可された。

化学治療に用いる抗腫瘍薬は「認知症患者精神症状をきたしやすい」。

認知症患者に。

ということは、つまり

今まで考えないようにしてきたけれど、普段はしっかりしていてそんな心配はないと思っていたけれど。

強くて、怖くて、大きかった父が、弱っている。失われつつある。

父の人生は終わりが見えてしまった。ロスタイムに入ってしまった。今はアディショナルタイムっていうんだっけ。

スコアは勝っているだろうか。孫の小学校入学を見届けるため、あと1点くらい頑張ってくれるだろうか。

2020-08-09

プログラマー派遣でいいと思った。派遣されて3ヶ月働いて 次の職場 9ヶ月ぐらい働いて3ヶ月はロスタイム

しあわせじゃん

2020-07-17

anond:20090717010338

青春時代の傷を深く抉ってくるよな。

One more time, One more chance聴くだけで涙腺が緩むようになった。

カラオケで歌おうとするとぼろぼろ泣いて歌えない。

 

「僕はただ働き続け、気づけば日々弾力を失っていく心がひたすらつらかった」

見た当時、まさに主人公のように日々の仕事で失われる人間性自覚しつつ、行きずりで付き合っていた彼女と別れ、それでも身動きができず擦り減っていく自分傍観しながら生きていた。

山崎まさよしが歌い始めた途端に滂沱の涙を流し、過去の後悔やあり得た未来への羨望も、何もかもが綯い交ぜになりただただ泣いてすべてを忘れようとした。

秒速5センチメートル字面だけできつい俺ガイル

 

ついでに今も下り坂を転げ落ち続けセルフネグレクトを起こし人生ロスタイムをただ過ごす日々。

2020-06-25

今までYoutubeで低評価を押した動画を教えて!

Youtubeで低評価を押したことがない。

anond:20200624193035 で言う所の「わるいね」というやつをわざわざ使いたいと思ったことがない。

別にYoutube出会ったものがどれも素晴らしい動画ばかりだったと言う気はない。

質の悪いコンテンツに対して低評価というワンクリックすること自体が既に無駄だと感じてしまう。

クリックタップのものは大した動作じゃないんだけど、それほどの感情が動くことそのものロスタイムを感じるのである

からこそ低評価を押している人が、どんな気持ちで、どんな動画に低評価をつけるのかが知りたい。

どんなに有名なYoutuberでも、質のいい動画でも、殆ど必ずそこに低評価がある。彼らはなぜ、低評価を押すのだろう。

増田の皆さんが今まで低評価を押した動画と、どんな理由で低評価を押したのか知りたい。教えて!

2020-04-02

ADSL終了したのにまだ使えるんだけど

こういうののロスタイムって24時間じゃないんだね

2019-12-12

anond:20191212182315

しかしそれが効率的だとは思えません。

セクハラから女性を救う為に、加害者ではないオタクから反発を受けるロスタイムは省略するべきだと思いませんか。

2019-11-25

anond:20191125152519

近所のスーパーは、買い物かごから取り出して合計金額を出すところまでは店員がやって、

そのあとの支払だけ自動レジで行う方式になってた。

通常のレジでは、現金決済の時に小銭を数えて出すタイミングが一番のロスタイムなので、

その部分だけ自動レジで行えるようにすることで、結果として少ない人数で対応可能になってる気がする。

2019-10-28

anond:20191028143518

ほら吹きにしても、いつ死ぬ分からんロスタイムになってほら吹き始めるとかアカギ並みのリスク狂やん。

ギリギリ生きて「克服した」って言い切ったか勝ち組やけど、負けてたら何も得られんからな。そういう意味でも妖怪おじさんだわ。

2019-10-19

今日はほぼ社内に誰もいないので機器再起動バックアップバックアップなどが捗ります

何台かNASがあるのですが、NASHDDNASと1つのNASに対してそういうバックアップ構成をしていて二世代目のNASお下がりを使っており現状機器調子悪く動いてなくHDDNASバックアップが出来てなく非常に好ましくない状況です(これがうまく運用できていたらメインのNASが壊れても予備のNASに即切り替えたらOKなのでロスタイムはほぼゼロです)。

全部NASを新品にしてお下がりにしたいところですが、なかなか難しいです(予算的に)。新しいのを買ってもらえたら移行作業に2週間ぐらいかけて平日の通常業務稼働しつつデータも移し替える作業を並行して行うのですが(社内の誰にもそう言う作業業務中にやってることを気付かれずにするこの作業は好きw)なにせ新しいNASがしばらく買えそうにないです。それが悩みのタネだったりします。

いくつか増田を書きましたが一向にネタが尽きてしまった感ありです、またブクマトラバが付かず今日ダメでした。

今日はぼちぼち帰ります

また来週よろしくお願いします。

2019-10-10

語り部が途中で死ぬ話ってある?

そんで語り部の死と同時に物語が終わってもないのに終わるやつ。

語り部意識消失と同時にストーリー終了するやつね。

ファウストみたいに突然ロスタイム突入するのは駄目

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん