はてなキーワード: ゴッホとは
かつて親の金でニューヨークに旅行した時、みんなのうたの「メトロポリタン美術館」の聖地巡礼としてメトロポリタン美術館に行った
お目当てはあの「大好きな絵の中に閉じ込められた」の絵(エドガー・ドガ『踊りのレッスン』)だったけど、他にもいろいろすごくてそこは霞んでしまった
まず入館料のシステムが面白かった 最近普通になったというニュースを見た気がするが、俺が行った段階では払いたい額を払うってシステムだった とはいえ目安の金額は書いてあるし、俺もさすがに1ドルだけ払って入る勇気はなかったからちゃんと学生料金の12ドルくらいを払って入った
館内はマジでメチャクチャデカくて、一つの展示品に5秒とかしかかけなくても全部見て回ったら2時間くらいはかかるんじゃなかろうか
特筆すべきは美術館って名前の割に展示品の幅が広いこと 絵、彫刻、陶芸品に加えて鎧兜、剣、民芸品、家具、食器、はては神殿の再現なんかもあって本当になんでもある
なかでも感動したのは巨大なベッドがある部屋の展示 近代くらいの雰囲気の家具が並べられたひと部屋があって、そこに梯子がないと登れない大きさのベッドが鎮座している いったいあれがなんだったのかはよくわかっていないが、とにかくインパクトがあった
武具の類も充実していて、ゲームで見るようなフルプレートアーマーとかヴァイキングの剣とか馬鎧とか日本刀とか、中二心をくすぐるものが大量 いかにもアメリカ人ぽいオッさんが刀の写真をとるのを妻っぽい人が見守ってて良かった
もちろん絵画もすごくて、ゴッホとかの絵がその辺にゴロゴロしてる 俺は美術の素養がないけど、さすがにあれだけ物量があるといいなと思う絵もそれなりにあって楽しめた 知識があれば本当に楽しいだろう
メトロポリタン美術館は最高 また行きたい
咳ごんごんおじさん→ゴッホゴッホォ!と激しく咳き込んだあとなんちゃって!と笑う。周囲ドン引き。
うさぎを連れて来る人→うさぎが犬に匂い嗅がれても気にしないから見ていて心配になる。それ、うさちゃんにとってストレスなのでは…?
おもちゃの犬2匹と散歩してるおじさん→小型犬と思ってよく見るとおもちゃ。しばらくしたらバッグにしまいベンチでぼーっとしていた。
ワイはその時32歳で、28歳の女子とアムステルダムでスパスパ喫煙しながら年を越した。
直行便だったので11時間以上のフライトでだったけど疲れもなく、
荷物取って税関に行き、そこでなんて声かけられたか忘れちゃったけど、
「あちらの方でお話をお伺いしたく」みたいな優しい感じだった。
僕は、机と対面に置かれた椅子がある個室に連れてかれて、
奥側の椅子に座らされても、まだ「麻薬密輸容疑の取り調べ」と気付かなかった。
ちなみに僕は、バックパッカーではないけど、香港中国タイカンボジアに住んだり、
ヨーロッパもアメリカも行く、旅慣れてるとは違うけど、国内行くのも海外行くのも違いない感じ。
それも最後の最後に気付いた。まあ日本の成田に帰ってきてるんだから、
一人でも家には帰れるし。その時何を思っていたかと言えば、
何も思ってなかった。親が死んだとか、隣りに座ってた外国人について聞きたいとか、
自分のことなら知ってるけど、それ以外の自分の知らないことで呼ばれてると思ってた。
んで、狭い部屋部4、5人の男性職員が居たかな。正面の椅子に座る干高圧的な眼鏡のおじさん。
と、僕の横に若いお兄さん。
「荷物見せて下さい」
「どうぞー」
「財布もいいですか」
「どうぞー」
財布は若いお兄さんが調べたのだけど、風俗店の割引券を見つけられたのがちょっと恥ずかしかった。
「じゃあ、あの、服脱いでもらえますか」
「ええ」
「ズボンも」
「はあ」
ホテルに泊まって買い物して、コーヒーショップ(スパスパするお店ね)に3、4回行きました。と答えて。
まあ、自分は持ち込んでないこと知ってるからのほほんとしてたけど、
突然眼鏡おじさんが声を張って
「もう、ちゃんと白黒はっきりさせましょう!」
「はあ」
「はい」
レントゲン撮影して、白黒のフィルムを白く光るのに張り付けて、
ロートルのお医者さんが「これは便がつまってますね」とか説明して。
その時は女子も居たかな。ここぐらいで(あー飲み込んで密輸かー。そんなことするわけないじゃん!!)とムカついたくらい。
もしかして、確たる証拠も無いからレントゲン撮影は強制できなくて、
でも僕の同意を得なければ飲み込んでるかもしれない麻薬を見つけられないしで、
そこで「ン拒否するゥ」人も居るんだろうけど、拒否する理由が無いので。
それまで取り調べ的な口調と態度で言葉数少なく真摯に仕事に向かう表情(眉間にシワ寄せたり怒って怖いのではない)だったけど、
途端に優しく申し訳なさそうな口調になって、僕が聞いてもないのに。
「私も若いときに妻と旅行に行って、花が綺麗でしたねー」みたいな世間話をし始めて。
「外国でする分にはいいんですけど、国内ではダメですからねえ」「はい。はい」。
若いお兄さんは「僕は最初から何もしてないと思ってました。だって色々調べてるときにも、
全然普通でしたもん」とか言ってきたから、「でも知らないうちに鞄に入ってるかも、とかは考えました」って言ったらなんか
周りが「ざわっ」として、「いや、自分も知らなくて、かけらが落ちて入ってることもあるかもとか」と説明。
最後は「ご協力頂きありがとうございました!」と頭を下げられるようだったけど、
それはみんな知ってる正しく普通な職務だし、恐縮することじゃ無いと思うけど、
ここで「俺は悪いことしてなかったじゃないか!委託もない腹を探られて、
人を疑ってことは云々」と怒り出す人も居るんだろうな。
自分は潔白だと知ってて、相手がそれを調べて潔白だと結論出したのに、
京成線にのって帰るとき「オランダで買ったパイプを没収されましたよ!
未使用なら良いけど、使ってちょっとカスが付いてるからって!」って怒ってた。
身に覚えがあるなら必死に頑張るべきだけど、
ないなら協力しましょう。
これで「軽症」と言うのか。新型コロナ感染で入院中、渡辺一誠さんの手記
https://forbesjapan.com/articles/detail/33415
部屋の中にトイレやシャワーもついているので、基本的な洗面用具。
洗濯できる回数も限られていて、出している間何もなくなってしまうので。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)記録 - ぱんだ日記
https://dokokano-panda.hatenablog.com/entry/2020/04/04/193043
38度付近の熱と全身のだるさ、筋肉痛や関節痛に似たような不快感が特に下半身に多くあらわれました。 このタイミングで一緒に暮らしている母と妹にも同じ症状が出ます。家族全員一気にダウン。
自分の場合は発熱が強くなってからとにかく異常なほどお腹が空くようになりました。薬のせいで食べると気持ち悪くはなるんですが、それでも空腹感がずっと続く。
また、新型コロナの初期症状として、味覚・嗅覚が感じにくくなるという例が言われていますが、自分の場合はそういうことはなく、むしろ塩分についてはきつく感じるほど味はしっかりと感じられました。
続・ 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)記録(入院確定編) - ぱんだ日記
https://dokokano-panda.hatenablog.com/entry/2020/04/06/222629
0403「NY感染体験記(未確定)」
https://note.com/qantasmz/n/na170878156cc
たとえば、匂いがしなくなってからすぐに、3/21あたりに、妻が洗面所のハンドソープを新しいものに変えたのだが、私はそのハンドソープをずっと無臭だと思っていた。3/26の夜中に、「なんかハンドソープの匂いがした!」というメモが書き記されていて、つまり1週間くらい、匂いを感じることができない状態が続いた。
ヨーロッパでコロナに感染して入院した話
http://nyanyannyan.hatenablog.com/entry/2020/04/05/233420
隣のおっさんと話しながら飯を食う。
モロッコ系ベルギー人のおっさんで熱と咳が10日続いてここ3日は眠れなかったそうだ。
「奥さんはポーランド人のクリスチャンで自分はムスリムだけど問題はない、というのも我々の信じている聖典は3つあってそのうちのゴッホゴッホエッホ!!」と話の最中に急にむせ始めそのままどこかへ連れて行かれた。
おっさんは帰ってきた頃にはすっかり寝ていた。
「寝ているのもつらい」コロナ感染の60代男性
https://www.nikkansports.com/general/news/202003170000991.html
新型コロナ重症患者の訴え「本当に痛い。互いに距離をとって敬意を払い、感染者の1人にならないで」
https://times.abema.tv/posts/7048559
肺の中でウイルスとの戦いが……新型ウイルスから回復した3人の体験談
https://www.bbc.com/japanese/52131569
「どんなリスクも冒さないで」重症化した人達の訴え
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000180713.html
リアルタイムでバズらなかった情報、例えばブログ記事などが、日数が経ってからバズる、ということは先ずない。
そして、あまり人の目に触れず、そうした記事はネットの中で眠りにつく。
言いたいのは、注目を浴びるというチャンスに恵まれないと、愛してくれないということ。
どどどどどー、ってTwitterなんかでインフルエンサーに捕まって拡散されていく情報と
この違いは、もちろんその情報の質の高さは、確度としてはインフルエンサーの広めたものは質の高さは確からしいであろう
でも、見捨てられられ・気づかれなかったものは、ネットでバズることはおそらくほぼ永久にない。
ゴッホが死後評価されたようなことは、ネットではあり得ないのである。
「だから、何だ?」って?
私が言いたいのは、私も愛されたいというだけだ。
失恋をした。誕生日に貰ったピンクゴールドの腕時計は、わたしにはちょっと不釣り合いに大人すぎたのかもしれない。
あなたにとって腕時計とは?という問いをご存知だろうか。合コンとかで使うような、お遊びの心理テストだ。
……この問いに対する答えは、そのまま「あなたにとって恋人とは?」の答えに置き換えられます、というのがこの心理テストだ。
話は変わるが、わたしにはずっと恋人がいなかった。イコール年齢の21歳だった。大変。ついでに高校のときからずっと腕時計も持っていなかった。恋人も、腕時計も、ぼんやり欲しいなあとは思いつつも、それを得るための努力をしなかった。たぶんそれは、「まだ必要でないもの」だったのだ、わたしにとって。
それがなんの因果か、夢みたいな恋をして、突然奇跡が降ってきて、わたしはピンクゴールドの華奢な腕時計を手にした。
人の輪の中心にいて、きらきらして、それでいてわたしに笑いかけてくれるような人だった。優先順位をつけるのが下手で、馬鹿で優しい人。はしっこで憧れを丁寧に育てていたら、突然全部を掬いとって恋人にしてくれた。なにがなんだかわからなくて、全部がチカチカ眩しくて、冗談でなく直視もままならなかった。
そんなキャパオーバーのしあわせにあっぷあっぷする日々から、少しだけ上手に泳げるようになると、見えることが増えてきた。たべものをまずいっていうこと、ゴッホのひまわりを知らないこと、環境に恵まれてなお人生はずっと楽しくないと言い切ってしまうこと。そういうしようもないかなしいことがチクチクした。誰もが嫌がることじゃない、わたしだったから嫌だと感じてしまったこと。
そうしていくつもすれちがってしまった結末は冒頭のとおりだ。
誰も悪くないけれど、こうなることは避けられなかっただろうという確かな予感があった。
まだ、好きだけど、君がわたしを好きじゃないならもういいよ。素敵な経験をありがとう、たのしかったよ、なんて軽やかに強がって笑って、模範解答みたいなお別れをして、家に帰って少し泣いた。ああ、好きだったなあ、たぶん今もちょっと。わたし、夢みたいな恋をした。なんて。
そうしてピンクゴールドの腕時計を外して、軽い左手首をさする。この腕はこんなに自由だったか。こんなに、さみしかったか。
腕時計が欲しくなった。もっとかわいくてときめくような、子供っぽくていいから自分の好きな時計が。わたしにとって腕時計が、「ないと落ち着かないもの」になっていた。或いは、「いまほしいもの」かもしれない。いずれにせよ、このさみしさを持て余して「まだ必要でないもの」だなんて思えなかった。
彼の彼女になれる人は、きっとしあわせだけれど、わたしがもうそうなりたいとは思わない。腕時計は、ピンクゴールドでなくたっていい。わたしは、わたしの腕時計を探そうと思う。はやく買いに行こう。ついでに合コンにでもいこうかな。
価値観の変化を、こうも感じることがあるとは思わなかった。まとまりがないけれど、この腕時計に感じたメタファーとわたしの失恋の整理を兼ねて言語化したかった。だけ。です。ありがとう。
あーあ、好きだったなあ。
結局、そこんところに大衆が理解できるようなまともな答えを出したアート関係者はいないからな
アートの最先端は歴史的に見ても、常に大衆には理解が得られなかった
まあアート界隈のポリティカルコレクトと言っても良いが、
そもそも、なんで最先端アートを公金で保護してあげないといけないの?
というと誰も答えられない
ついでに、確かにピカソとかゴッホとか発表当時は大衆に理解されなかった芸術家はいっぱいいるけど、
その陰には、当時も今も箸にも棒にもかからないかからない3流アーティストが山のようにいるわけだが、
そういう人にはお金出してあげなきゃならんのなんで?という問題にも答えられない
表現の不自由展騒動がきっかけなのか、最近「アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。
とりあえずポリティカルなことや特定の展覧会や人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違いを淡々と正してみる。
文章が読めない人向けに繰り返すが、別に「表現の不自由展」など特定の展覧会や作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート・芸術」に対する先入観について語っている。
前史時代から近現代に至るまで、金銭や作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれた芸術作品や芸術家はいない。
「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。
バッハ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族や王族の庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品がメディチ家の庇護のもと、もしくは依頼で作られている。
モーツァルトのようにフリーの音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。
現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。
こちらは王政・封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。
-
政治思想とは一定の距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位でアーティストを雇い、パブリックアートの制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である。
因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックやベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動がバンバン興った。
それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代の前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界のアート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本の美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。
-
一方、プロパガンダ芸術で有名なのは、ソ連やナチスなど。政府の意向や政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品は政府の思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。
上述した政治思想とは一定の距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。
ただ、これらの政府の体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。
あくまで個人的な見解だが、プロパガンダ芸術はその性質上大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。
なお、これらの国では、現代アート・前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧の対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストがアメリカに渡り、祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。
上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。
だが「20世紀を代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。
現代であれば例えばバンクシーは思いっきり政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。
文学・音楽・映画にだって、政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。
「政治色をもつ作品はアートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。
むしろ、現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。
バッハ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族や王族むけに作品を作っていた。そもそもが一般大衆向けの芸術ではない。
同時代の大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人が酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎やケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術のほとんどは淘汰されている。
-
今現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキーやジョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったことだってある。
これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆の感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展の花形だし、ストラヴィンスキーはバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさんは美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆の感覚はあてにならなくなる。自分の感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。
かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ。
この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドとキッチュ」っていう論文が分かりやすい。
この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆の感覚と芸術作品の価値の乖離について論じている。要するに、「大衆に迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。
80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。
作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話や聖書の出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。
実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実の女性の裸を描くなんて、淫猥である!不道徳極まりない!下品なメスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。
しかし、どちらの作品も今やマネの代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代の芸術家からはオマージュの対象とされるような絵画として扱われている。
一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象は枚挙に遑がない。
簡単にいえば、写真が実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真と絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。
で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌやピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法は写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画だからこそできる表現」というものが重視されていくようになった。
そして「じゃあ絵画の価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート。特に後者の現代美術への影響は色濃い。
もちろん、写真のようにリアルな作品に価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアル」であるかどうかとは別の土俵で表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。
分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。
文章中でも少し触れたが、アメリカや中国、欧州と比較すると日本の美術市場はかなりちっぽけだ。国内でアートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府が美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在のアメリカの立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。
アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。