はてなキーワード: あんとは
急いでるから、困っているからって催促する割りにこっちからの連絡を放置するやつの気持ちがわからない
あんたが困っているっていうから優先度上げたのに、こっちからの連絡は無視ですか?
昨年も8月22日に帰省したため、今年も、今日あたりに帰省したらどうかというシムランカの横の熊谷の暗黙の電波が入る。帰省したらどうかも以前にそういう命令に従った時点で負けだと
思う。主、実は自分で帰省するスキルのないため、帰省することになると荷物も自分の費用で送付しないといけないし、新幹線に間に合うように東京駅に行かないといけない。旅費の26100円は
親が出すかどうかも分からない状態で帰るという設定になるという。 そういう話になると警察も何も巧妙にスルーするということ。宮崎に帰ったら何をするのか、デイズナビに色々な女性が上がっているので
何もいつもの人でなくてもいいがそこに掲載の女性は出て来ることはないという。8時間もかけて帰ること自体が無駄で新幹線内でもすることはないという。また、帰省するとなると弱体化術など様々な
術策が働くので、自分が夜中に河川敷に運動に行っているときはほとんど何らの術策も働かないが、爺の催眠で、自転車のすべりはよくなるという。広島駅に行った際にそこに何らの機材も術策も存在
しないことに驚愕、 小島良二→ 来院されたことを支持 かかわった時点でまけであり自宅で寝ているにしくはない、行動すると無意味でくだらん装置が働く。デリバリーヘルスも使えない
状態。 実質上使えるのはソフト日向だけでそこでしか遊ばないという。残りの金額は、53万円くらいであると、 主はいう。 主が通院するときは予め、装置がしかけてあって、採血なんかするんですか
作家側の「女の自由・解放」「強い女」に対するだいぶ攻撃的ですらある固定観念や強迫的なこうだろ?感が透けすぎててつらい、という話だったらよくわかる
ハイスペ男になぜか愛される系健気な私スカッと作品とあんまり違いがないくらいもうど定番中のど定番展開になってるから不自由に感じるんだと思う
女性向けのエンパワメント作品にも類型や定型ができてしまって、しかもそれは共感がベースになっているのでその型から外れない、外れてはいけない、女性だったらきっとわかるしわからなくてはならないでしょ?という感じが現実と作中のキャラクタと二重構造になってこちらに迫るのでそこに苦しさをおぼえるのだという気がする
みんなバービーやジェーンスーさんのラジオを聞いているのだろうかしら…みたいな作品に通底した匂いや感触みたいなさ
こういうものも多分話売りとか商業的な媒体であればあるほどある程度はトレンドがあるもので、仕方ない気もするけどね
最近ラジオで流れてたキンチョーの朗読ドラマ仕立てのCMで、意思も人格もしっかりありそうな女性の描写なのに「男と別れて髪を切る」の類型を結局まだやらせていてうへっとなったものだけど、要するに「女には思いを込めて断ち切るものや変化するステップとしての行為があるのだ」という類型がだいぶ強い思いこみに感じるし押しつけがましくて、変化のスタイルや本人の感情や動機のベクトルがどの向きであれ「キャラクタにこの思想をやらせよう」が隠しきれてない場合にはどれもあんまり根っこが変わんないよな……って嫌さがあるのかな
同一パターン外の物語が見つけづらいだけであるにはあるのだと思う
入江喜和とかわりとそうかな
他トラバの凪のお暇もそうかも
(結局テーマ作りや演出の巧い作品では類型もそのキャラクタの行動の一部として不自然とは感じられず、類型を描くことそのものが目的になっていることがはっきりしている拙い作品では目や鼻についてしまうだけの話かな…とも思う)
漫画じゃないんだけどインド映画「マダムインニューヨーク」はこの「一歩踏み出し、冒険をして自分を認めて、自分が欲しいものはただ敬意なのだと表に出せるようになる」ことへの変化をとてもすっきり美しく清々しくスカッとでもなく描いていてとてもすばらしいと思ったものだった
打ち負かすか逃走か、自己の獲得において常にその二つの道しかないわけではない、という広がりが気持ちを楽にさせてくれた
追記2
ともすれば髪型を「強く」変えることが積極的な自由選択からではない虚勢や逃避に見える場合があることも苦しさの一因かもしれない
そんな小さな変化にしか我々には自由が許されてないのか……みたいな、あるいは増田が書くようにこれまでの自己を捨て去って獲得する自由の道しかないみたいな、そんな現実にも確実にある抑圧の強さをよりわかりやすく感じさせる痛々しい、息苦しい描きかたの漫画もあるしね(読み手としてそれに触れたときつらくて苦しいことがあり、その感情の正体を元増田を足がかりに考えてみたい…というだけのことで、こちらの思うとおり描けとかやめろとか納得できないとはまったく書いていないので、そこを曲解されると非常に困ります)
基本的にそういう作品世界のキャラクタは自分を追い詰める敵と闘争(なのでトーンが攻撃的になるのは当然と言えるかも)してるわけで、その動機から本来理由がなくともカジュアルに、自分の好きにしていいはずの髪型の変化自体が武器化武装化手段化してしまうのを目の当たりにしなきゃならない苦しさもあるかなあ……
そのもがきや闘争はつまりスタイルの獲得のためで、それ以前は自己のスタイルがない状態として物語に規定されている上に、変化後のパターンすら概ね決まってしまっているのならば、結果その一本道しかないその状況や環境に苦しさを見出すのは当然かもな…という気もする
追記3
誰もが菱沼聖子さんのように生きられるといいのに
ITがおもしろくなくなったのはビジネスに乗っ取られたせいだ。
ぶっちゃけビジネスはつまらない。ビジネスおもろいとかいうのは儲かっている数字がおもろいだけだ。あんな一次関数や二次関数が伸びているだけで幸福物質が脳から出るなどおめでたい。
もともとITは儲からなかった。儲からない割に世界を動かしていた。カオス。
翻って今お前らはどうか。儲かろうとしている。そしてクソくだらない消費生活に勤しんで「おーこっちの方が楽しいじゃないか」と堕落してしまったことによるのだ。
おもしろいものは元来儲からないものだ。だがおもしろいから人が集まってくる。人が集まるからビジネスゴキブリが集まる。そしておもしろくなくなる。こういう仕組みだ。
まあつまるところお前らはビジネスゴキブリにわざわざケツを差し出してファックしてもらっているというわけだな。今まで見向きもされないケツだったから、ファックファーーックされて喜んでるわけだ。
そんなのおもしろくないに決まっている。効率化効率化効率化。そらまあ同じことばっかりリピートリピートしていれば置換されるに決まっている。
プログラミング!ビジネスビジネスビジネスビジネース!ビジネスのためにプログラミングがある!!!!
はあ。アホか。
そういうのが嫌だったから最初からビジネスじゃなくてプログラミングやり始めたんだろう。
見ろよお前。俺の文章はすでにおもしろいだろう。ケツに金の棒が突き刺さっているITビジネスマンとは根本から思考が違う。
もっと牙を向け。やめちまえ仕事なんか。なんとかなるなんとかなる。どうでもいいIT仕事はAIとかぺーぺーにやらせておけ。
たまに配信見に行ったり、主催してるイベントもよく見てるんだけど、あれは不快になる人いるだろうなって思ったよ。
(婚活うまくいっていないみたいなのちょいちょい言ってた気がするんで、据えかねてるものはあるんだろうけど)
案の定批判が来て、それに対してさらに悪対応して(おそらくこれが致命的)、結局は燃えてしまった。
走者の人にも苦言を呈されたのに変わらんし残念だわ。
規模小さめのイベントならともかく、あんな数万人規模のイベントでああやって擦るのはちょっとね。
小さめなら良いわけでもないんだけども。
ともあれ走者さんはマジでお疲れさまです…
人口が減少していく局面で地方が衰退するのはしゃあないとは思うんよ。
ただあんまりにも東京に人集めすぎて効率悪くなってないか? って気もするんだよな。
人、物、金が循環することで経済って回っていくはずなのに、一方的に東京が吸い上げる構図がそのまま放置されてる。
いい加減こんなマトモにものを考えられないガキが「いっちょデカイ事すっか」みたいな考えでする置き石みてえな事を止めろ
「やめよう、サイバー攻撃!」って言って理解できるわけねえだろ
つーか置き石ですら死刑が規定されてるけどやるやつ居るってのに3年ごときで終わるなら止まんねえよただでさえ追跡と検挙も難しいのに
人が死なないからオッケーじゃねえんだぞ
今そんな仕事もやってんだーというのと。
麻宮騎亜名義だと漫画家なのだが、アニメーター、キャラデザとかもやり、何本かまあ知ってると思う。
自分はサイレントメビウスからだが、絵柄を古いというよりは、違うジャンルの絵柄だと思ってほしい。が、まあ古いか。でも古いってより、アニメ塗り傾向が強いって感じだと思うんだがなあ・・・・・・
何故か機動戦艦ナデシコの~の名前が上がるが、キャラクター原案はそうだが、基本後藤圭二である。
「サイレントメビウス」、「Compiler」、「Assembler 0X」、「快傑蒸気探偵団」、「コレクター・ユイ」、とかが漫画で有名、アニメのキャラデザとかなら「超音戦士ボーグマン」はオレ見てないんだけど2000年より前のアニメでキャラデザとか確かにやってる。ただまあ私はあんまアニメは見れてないんだけど。
てかまあ、大御所なんだよあんま言われないけど。描き方は年代によって変わる。
イラストレーターって思われてんの草。
先日幼馴染の友人宅にお邪魔したら、お母様から「〇〇ちゃんも御夕飯、御一緒に如何かしら。」とおっしゃられるものですから、「ええ、喜んで」などと応えてそわそわしながらリビングの大きなテーブルに腰をかけておりますと、まあ美味しそうな料理が運ばれてくるのです。
その日のメニューは、ホッケの焼き物をメインとして、厚揚げの筑前煮風とほうれん草のおひたしに、じゃがいもの入った濃いめのお味噌汁。とても素晴らしいのですが、塩気が気になって、これは帰ったら水一升デトックスコースですわねなどと思いつつ、雑談しながら箸を運んでいたわけですが…
そうすると、友人(きよとと言います)に向かってお母様がやにわに「そういえば今日ちょっとひいてみたのよ。きよともどう。」といい、少々使い古して黄色くなったタッパーをテーブルの下から取り出してきました。
きよとは「お、いいね、くれや」とご飯の入ったお茶碗を差し出します。
一体何が始まるのやらと些か不審に思いながら観ておりますと、なんとタッパーから出てきたのはきな粉。そして、それをたんまりときよとのご飯の入ったお茶碗に振りかけたのです。
いや、きな粉って普通餅とか牛乳に入れるお菓子みたいな扱いじゃないですか。なんで夕飯、しかも塩気の強いメニューの時にそういうことをするんですかね。塩気には無地の白飯が一番合うしちょうど良いんですよ。この家庭おかしすぎるだろ、ちょっと距離置きてえな。
などと思考を巡らせていると、じっと観ていた私に気づいたお母様は、やおらこちらを向いておっしゃいますことには「あら、〇〇ちゃんも食べてみる?うちのきな粉は美味しいのよ。今日は奮発して琉球黒糖を入れてみたんだから」と。
もうブチギレ寸前です。マジでこの女、頭おかしすぎるだろ。味覚障害で手帳取れるわ。菓子用にカスタマイズしたあまあまきな粉を夕飯の飯にぶっかけて食わせる?白米にレ○プされたんか。その結果きよとが生まれたんか。もう御飯時にお邪魔することはないでしょうね。
きよとの親父もウンウン頷きながらにこやかにあまあまきな粉塗れのご飯にホッケの切り身を乗せて頬張っています。
今すぐにでもめちゃイケ加藤よろしくテーブルをひっくり返して一家全員ジャイアントスイングぶちかましたい衝動に駆られてしまい、思わずテーブルの縁をつかんでいました。
しかし、世間体を保ちたい、人間関係は誰とでもなるべく良くしておきたいという自分の中の見栄っ張りな悪い癖がその衝動を抑えます。無理やりにっこり微笑んで「ええ、では少し頂きまふね(原文ママ)」と、怒りで震える手を押さえながら半分近くからになったご飯茶碗を差し出します。
「あら、ご飯少ないわね。おかわりもいいのよ。」そう言うとあの女、茶碗を私の手から取り、炊飯器の蓋を開け、高安の妾の如き蛮行を以て茶碗の上に山の様な白米を盛りつけてきました。これに箸さえ突き刺せば、仏前に備えられそうな山盛りご飯。そこに黒糖で若干暗い色をしたきな粉が降りかかります。
山盛りの白米の、上から三分の一を浅黒く変色させた自家製きな粉。さながらそれは、世紀末の富士山の様相でありました。
漸く一言「ありがとうございます」と絞り出し、手をつけました、このきな粉のついたご飯に。
口に入れた途端、熱々の蒸気に誘われてねっとり広がる黒糖の甘さ。それに続いてきな粉の香ばしさとご飯の素朴な甘味が跡を追いますが、黒糖がタッパーの下に沈んでいたせいか、後ろの二者を琉球の風が吹き飛ばします。かける前に攪拌しておけよ。
きな粉おはぎを食べた彼岸を回想してみます。近所の婆さまがうちに持ち寄ったあのおはぎは、砂糖が入っているものの、甘すぎず、少し混ざった塩がきな粉の良さを全面に引き立てていて、おこわの真ん中に入った金時の粒あんとベストなコンビを成していました。和菓子に抵抗のあった私を魅了したのです。
その回想をぶち壊すかの如く、目の前に立ちはだかる呪物。徒に砂糖の量を増やして、薄っぺらいスイート感を厚塗りされたきな粉。そしてそれが山のように盛られた熱々の白米。これをどう片付けるかに全知全能をフルコミットする事を決めました。
まずは他のおかずと食べてみます。ホッケの切り身を一口分取り、すかさずきな粉ご飯を食べてみます。ホッケのジューシーな脂と香ばしい焼き魚の香りが、黒糖感強めのあまあまきな粉と絡むと一体どのような化学反応を起こすのだろう…緊張しながら口に運びます。
実験は大失敗。塩味と甘味は互いに旨さを補填しあうのはスイカに塩を振りかけるのでお馴染みですが、それにも限度がある。黒糖と焼き魚のどちらもフルスロットルでぶつかり合い、混ざり合いません。調和せず口の中に混在する様はさながら吐瀉物。ゆっくりと時間をかけて咀嚼して飲み込みます。
ほうれん草のおひたしや味噌汁も塩気が多いし、味噌の強い風味やおひたしの甘味が黒糖と混ざった時の反応は想像するだけで悍ましかった。
逆に筑前煮は味が薄すぎて各自醤油を足したりして食べていたので、これときな粉ご飯では負けてしまいそう。つまり、もう打つ手なしなわけです。
覚悟を決めた私は、きな粉ご飯だけを先に片付けることにしました。幸い米の山の上だけきな粉なので、この部分だけ風邪ひいた婆さまが作ったおはぎなのだと強く自己暗示をかけて食べます。
しかし、食べても食べても、きな粉の山がいなくなっても、ずっと甘味が続きます。ご飯も気持ちネバネバしています。そこでふと悟りました。ご飯の熱で若干黒糖が溶けて、茶碗底の飯まで浸透しているのだと。
これに気づいた時、ふと一筋の涙が目からこぼれ落ちました。
「ちょっとコンタクトが…」とそれっぽい言い訳をして洗面所に向かいます。ウンウンと悩んでいた時、ふと閃きました。お餅を食べる時に砂糖を混ぜた醤油に付けて食べることがあるじゃん!、と。
早速テーブルに戻ると、ご飯におひたしの鰹節をのせて、醤油をざっとかけます。そして、パック入りの温泉卵を勝手に拝借。ご飯にぶっかけて混ぜて食べます…ああ、美味しい。卵かけご飯をこんなにも甘美に味わったのは人生で初めてでした。醤油と砂糖がこれほどよく合うとは。さらにこの卵が味の濃い砂糖醤油を中和し、優しい味わいに…
かくして、無事に出されたご飯を完食し「ごちそうさまでした」と手を合わせ、対戦終了。
「〇〇ちゃんの食べっぷりが良くて嬉しかったわ、また夜に遊びにいらして」と、お母様もご満悦です。「いや、きな粉ご飯は初めて食べましたよ。あんな感じなんですね!」否定の色を見え隠れするレベルで薄めて笑顔で答えます
と言うわけで、相手の善意を断れない私の体験談でした。「好きなものは好きと言える気持ち」は持ちがちですけど、「嫌いなものを嫌いと言える勇気」も持ちたいものです。以上、チラ裏乙でした!
そうなんだ 知らなんだ
自分の中で素材にうるさい男と言えばインセプションの渡辺謙(「ポリエステェ~ル」のセリフが印象的)なんだけど、
足裏だけであんな感じでわかるように頑張って欲しい
こちらを見下す対応を取ってきたり、タメ口であったり、あれで依頼しようとする人はいるんだろうか?同席するほかの弁護士には媚びた態度を取っていて、ニコニコと話を聴いていたが毎回あんな感じで2人の弁護士で依頼者?相談者に舐めた態度を取るスタンスなんだろうか?結局のところ、当然ながら他の弁護士に依頼したんだけれどああいう機会を設けることで双方とも時間が無駄になるのではなかろうか?
治ったと思っても、今度こそあんなに苦しい思いしないさせないと思っても、再発するから。
もう脳の不可逆的な癖なんだろうな。いくら認知行動療法とかやって考え方を改めたってあの特有の頭のもやが突然やってくるんだ。本当に突然。
軽い軽いストレスでもすぐに脳はもとの癖に直ろうとしやがるから、必死に、いろんなものを失わないように押しとどめなくちゃいけないの、それがずっと続くと思うと眩暈がする。押しとどめるための気力だって病前ほどには戻らないから、押しとどめきれなくて動けなくなってしまうときがある。こんなのが一生?勘弁してくれ。
増田がうつになったのはよくある話で、新卒で配属された部署が合わなかったのと、生来の強すぎる自責思考(まあこれは来歴とかいろんな要因があると思うから詳しくは書かない)が最低の絡み合い方をして、どんどん自分を追い詰めていった結果なんだろうなと自分では思ってる。悪化は緩やかだったけど、重症のときは会社から飛ぼうとした(迷惑)。本当に希死念慮に押しつぶされると他のこと何も考えられなくなるからな。理由もなく急に来るんだよ、便意と同じだ。
幸い、今は毎日泣いて早退するような状態でもぼくの意思を尊重して会社に居場所を作り続けてもらえたから、一進一退だけどなんとか勤め続けられているけど、ずっと頭にもやがかかりつづけてずっと悲しいんだ。こんなに恵まれた環境で自分のやりたい仕事をやらせてもらえてるのに、喜びも楽しみも病前に比べればほとんど感じられないし、頭だってまったく働かない。こんなはずじゃないのに。もっとできるはずなのに。感情も不安定だから、不調な時に無理な業務をすると涙が止まらなくなる。それでもなんとか手は動かすけど、成果物なんて人に見せられないほどひどいことがほとんどで、またダメだったが積み重なっていく。上司が手を止めて話を聞いてくれるのも申し訳ないから、自分でコントロールしたいのにコントロールする気力すら残されてない。どうにかして抜け出したいのに、全然治らない。治ったと思っても、いとも簡単に再発する。増田は一回目のときにもう大丈夫だと思って自己判断で通院を辞めて、より重症化した形で再発したからうつの再発率の高さに関する研究の信憑性は高いと思ってる。
頭の良かった病前の自分に戻りたい。ずっと動いてる自分に戻りたい。意欲や喜びを感じられる自分に戻りたい。感情の安定した自分に戻りたい。体力のある自分に戻りたい。頭の靄を取っ払いたい。
いくら望んだって戻れない。うつ病が完治じゃなくて寛解だって言われるのもこういうことなんだろうな、と最近は思う。治ったって思ったって、最大HPもMPも減ったままだし、引き金があればまた真っ逆さまだ。
希死念慮は死にたいな~くらいのものじゃなくて、急き立てられるように死ななきゃいけないって観念から逃れられなくて、いてもたってもいられなくなっちまうんだよ。そこに理由はない、というか理由なんてなんでもいいんだよ。上で便意みてえな希死念慮って書いたが、便意を覚えたときにああ肉を食ったからか、じゃあ肉を食わないようにすれば間隔を伸ばせるかなとかそんなこと考えないだろ、それと似たようなもんだと思えばいい。生死を左右する行動観念が理由なくやってくるってのはなかなか恐ろしいぞ。
うつ病で失ったものも戻ってこない。増田は幸い周りに本当に恵まれて仕事は失わずにいられているけど、精神病者の枷から逃れられる日は来ない。
調子が良くなったと思ったって病前と同じくらい元気になれたと思えた日なんて一度もない。ずっと心のどこかが悲しいんだ。
自分はなるわけないと思ってるやつ、それでいい。その性格でいい。ただ、一度でも病識を得てその恐ろしさ、避け方を覚えておけ。なるわけないと思われてた人がうつ病になって地位を失った例なんていくらでもある。
なるかもしれないと思ってるやつ、全力で回避しろ。うつ病は不可逆な病気で一度かかったら普段の落ち込みなんて比にならない、まさに"精神病"としか形容できない日々が待っている。大切な人にも心配&迷惑をかけることになるぞ。
なりたいと思ってるやつ。やめとけ。お前が想像するようなメンヘラちゃんじゃない。精神病の世界に足を踏み入れるな。本音ではそんな奴にはなってみろよ、って言いたいところだが人類みんな幸せがいいからな、言わないよ。みんな笑顔で生きようぜ。
まだまだうつ病界隈ではひよっこだから、この後に何が待ってるかなんてわからんけど、界隈を見てると10年、20年なんて人間もいるから基本的には完治しねえんだろうな。
にわか乙。
地元民(といっても桑名市ではなく隣の愛知県弥富市)だけどナガシマとは言わない。
ナガシマだけじゃ単に長島町という地名としか認識しないからな。
それに、長島スポーツランドというナガシマリゾートではないレジャー施設と混合して紛らわしくなるから、ナガシマ・ナガスパ・ナガスポなどといった言葉は使わない。
長島スポーツランドは単にスポーツランドと言うし、実質ゴルフ場だから長島ゴルフと言うこともある。
遠くからくる人は分からんが、地元民はスパーランドとなばなの里を同時に楽しむことはないから、それぞれの施設名で呼ぶよ。
俺は三重県民ではないけど、文化的には愛知と三重の両方を併せ持つ地域に住むから(弥富市から桑名市や四日市市に通勤する人もけっこういる)地元を馬鹿にされたも同然に感じたから、ついモノ申しちまったよ。
それどころか東海地方住みですらないはずだ。
女→男に言う「あんたのことなんて別に好きじゃなかった。いい男に振られたから付き合ってただけ。」
とか
とか
女の文化な気がする
男→女で「お前なんてただのセフレだよ。」も女に対してダメージがあると思われてるから使われてる印象
中学の頃は弱小柔道部だったんだが、弱小で人数も少ないんで同じく少数の女子柔道部と合同で稽古することが多かった
で、その流れでたまに男女合同で乱取りやることもあったんだよな。
まあ当然男女で体格も違うしそもそも同学年だから気を遣うし少なくとも男子はやりたくない空気だったが顧問に言われる以上はやるしかなかった。
で、その時に同じクラスのあんま話したことない女の子(いかにもスポーツやってます系の細身の子)と乱取りすることになり、どういう流れか忘れたが相手が亀っていううずくまる形になったんだよな。
そこで俺は亀の相手に対する対処としてまあひっくり返して後ろを取る事をして、結果成功して座ってる相手の後ろから抱き着くみたいな形になったんだ。
で、そのあとは裸締めっていう要はチョークスリーパーを仕掛けるのが定番の流れなんだが当時MMA好きなのもあって練習してたので「ちょっとかけてみるか」と思ってその女の子の首に俺の腕を巻いたらスルっと入って割としっかりチョークの形が入ってしまった。
俺は「お、これで見込み一本的な感じでこの子がタップして仕切り直しかな」と思ってたんだが女の子は叩くこともなく俺の腕を外そうとしてくる。元々負けず嫌いなところがあったがそこまで関わりのない俺との乱取りでそんなムキになるわけないと俺は思っていたので意外だった。
とはいえここで解除したら変な空気なるかもしれない、と思った俺は若干腕に力を入れて「これでチョーク入ったってことにして仕切り直しさせてくれ」と内心思った。が、それでもそこ子はタップしないしなんなら暴れて無理やり外そうとしてくる。
今思えばそこで外して「外されてしまった!」ってことで離れればよかったが俺も俺で女の子相手に遅れ取りたくない心理が働いてしまい、血迷った結果かなり力を入れてその女の子の首を締めあげてしまった。
するとその子は「ぐぅ」みたいな声上げて俺の腕をバンバン叩いた。「やべっ」っと思った俺はすぐすぐ離したんだがその瞬間、一瞬だがその子はぐたっと脱力して俺にもたれかかり、でもすぐパっと起き上がった。そこで俺たちは「大丈夫?」「うん大丈夫、仕切り直しだね」みたいな会話してまた時間まで乱取りをした。別に顧問に怒られることもなく無難にその日の部活は終わった。
でも実はその瞬間、つまりその子が心折れて俺の腕を叩き、さらに脱力した瞬間、俺の背筋にゾゾゾっとした感覚が走ったのが今でも忘れられない。
多分だけど女の子を屈服させたことに対する快感みたいなものだったと思う。勃起するとかそういう事ではないが、感覚的には間違いなく性欲的な部類の快感だったと思う。
その後部活やその子とは関係ないとこで恋愛したりセックスしたりしたが、あの瞬間のゾクっとした感覚まで辿り着く経験は未だにしていない。このことは誰にも話してないし、SMに目覚めたとか女の子に危害加えたいとかそういう願望はないが、今でもたまにあの時の感覚を思い出すことがある。
いちいち止めながらググって見てたからね、そもそも公安って何だよ警察と違うのかよとか
しかしアクションのかっこよさ、キャラのかっこよさ、難しいテーマ、どれもこれもぶっ刺さった
考えてみたら14歳でエヴァで、18歳で攻殻機動隊は恵まれ過ぎだな(※調べたらエヴァは再放送だった模様)
SFなんだけど、時代的にはあり得なくはないくらいの設定だった
何より社会問題がテーマの一つになってたから、実際の未来でもこういうのは残ってるんだろうなっていう
SSSの頃は大学院だったと思うが、あそこまで行って全部見返してようやく話が理解できた気がする
ν速と+に入り浸ってたおかげだわ
ああいう作品もっと出ていいと思うんだけど案外出ないよね、硬派っていうか
パトレイバーがよく話に上がるけどそのうち見てみたい
Origaも亡くなってるんだよな
悲しいよ