はてなキーワード: 18世紀とは
ネットスラングだけど例えば「ガンジーでも助走つけて殴るレベル」とかは諺に追加されてもいいと思う。数十年後には認められているのだろうか?
後は、
犬も歩けば棒に当たるも最初は全然定着しなくて、数十年後に認められたのかな。
調べてみるとTBSラジオで放送されている伊集院光とらじおと内のコーナー「伊集院光とらじおとこどもでんわそうだんしつと」のページがヒットした。
TBSラジオで長年親しまれた名物企画「全国こども電話相談室」(1964年~2008年)のコンセプトを受け継いだコーナーです。伊集院光が「電話のお兄さん」となって、毎回、様々な質問に合わせた頼もしい先生をお呼びしています。今回の質問は・・・
という内容に対して金田氏はこう答えている。
金田一先生 すごいなあ。「起きて半畳、寝て一畳」とか「猿も木から落ちる」ということわざは昔から・・・、昔といっても江戸時代ぐらいだろうけれども、昔から言われていることなんですね。もちろんもっと古いことわざもあります。でも、新しいことわざもあるんだよ。例えば「時は金なり」というのは、アメリカのフランクリンという人が作った言葉なんです(ベンジャミン・フランクリンは「アメリカ建国の父」と呼ばれる18世紀の政治家です)。それを明治時代の日本人がことわざにしちゃったんです。だからそんなに古くないんだよね。みんなが聞いて「いいこと言うなあ、うまいこと言うな、偉いなあ」と思うような短い言葉がことわざになるんです。だから今でも作れるんですよ。あみのくんが何かことわざを作って、みんなが感心してくれたら、それが日本中に広がります。そしていつか辞書に載ります(笑)。
え。そんな感じなの。
スマホ全盛期で情報が更新され続ける今、新しい諺が定着するのは難しい様な気がするが、その中でもガンジーでも助走つけて殴るレベルは群を抜いていると思うんだけど、増田さんやブクマカさん達が生まれてから出来た諺っぽい言葉ある?
「性表現に接しない自由」や「公共空間で不快な表現に接しない自由」が話題のようですが、平成30年司法試験論文式試験(憲法)では、「不快」感を覚える「卑猥な」図書等に触れない利益の保護が重要な立法目的といえるかなどが出題されました
https://twitter.com/YusukeTaira/status/1471869799236247554
これを見て唖然とした。いち弁護士の意見ならともかく、司法試験を出題する側までこのような「女性の人権」「不快にならない権利」を無視した感覚を引きずっているのだとしたら日本の法曹会は世紀単位で時代遅れなのではないか。
立憲民主党や共産党は是非とも、政権を取った暁には島岡まな先生をはじめとする女性の権利も含めた21世紀の人権を考えられる人をを最高裁判所の長官や判事に指名し、
これは神学命題。プロテスタンティズムと決定論に対して言及がないので不完全。
アメリカの歴史の初期においてピューリタンが重要な役割を果たした。彼らの思想の一部は今も残ってる。
フス戦争やカルヴァン主義やその前史にまで言及すると長くなりすぎるので省くが、重要な要素が【予定説】(神学的決定論)である。カンタンにいえば「全知全能の神。神は全知全能なのですべて予定済でお前の自由意志なんかねーよ!なので善行した"から" 天国に行けるとかあるわけねーじゃん。俺が "善行する" と思うことまで神は予定済なの!」
というのがあった。
こうなると、「えーじゃあ善行しようと思うこと意味なくね?」ってなって人々は悪事を働きそうなものであるが、実際にはそうはならなかった。
人々は「私は神によって救済される(=天国に行く)ことが予定済の人間なので、そうあるべくふるまう(=善行を行うしより良くなるため努力する)」となった。
因果が逆転してるというかなんというか。
この因果の逆転によって、ダラダラ働いてシエスタするようなカトリック圏と異なり、プロテスタンティズム圏では修道院のように禁欲的に働き、禁欲的に自己研鑽し、禁欲的に金儲けをしその利潤を禁欲的に再投資する…ことによって世の中を良くする。なぜなら私達は神に選ばれているので!それができる!
となっていった。
(※ 禁欲的に慎ましく暮らすタイプのプロテスタントもあります)
「世俗社会の修道院化」によって、日常生活の全てを信仰と労働に捧げる。
節制と禁欲のために複式簿記を導入…。合理的精神で禁欲的に社会を発展させる(なお奴隷制ry)。。
この辺の時期の代表例としては、ベンジャミン・フランクリン(アメリカ建国の父にして実業家であり学者であり外交官。そして偉大な政治家。今も100ドル札に顔がある)など。
勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像の象徴。
…というあたりで、発展しすぎた禁欲的資本主義は本来の宗教性を失い、資本主義になり、「内なる光=神との対話」みたいなあたりが「自由意志」に変わっていく。
自己研鑽しない者たちに対する憎悪や侮蔑は、従来の「つまり予定説におけるアイツラは地獄行きになる怠け者」から、「侮蔑すべき怠け者」だけが残った。
・・・というあたりはマックス・ヴェーバーが"プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神"という本とかで書いてたこと。
今のアメリカ人は直接プロテスタントというわけではないが、連綿とこの思想を引きずっているのである。
(なぜならそのほうが発展に有利だからね)
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補足すると、こんだけ「プロテスタンティズムがー!」と書いておきながら、実は西海岸のカリフォルニア州は全米でももっともカトリックが多い地域である。なぜならもともとあそこはメキシコであり、今でもスペイン語圏からのカトリック移民が多いからです。
ただ、思想的な主流派は?というと難しい。モルモン系やユダヤ教徒(思想的原理は異なるが同様に資本の蓄積が宗教的にOK)もスゴイ多いし、西海岸を語るなら中華系の人々に言及を避けることが出来ない。
そして何より、【西海岸のリベラリズム】と対極っぽそうな南部のバイブル・ベルト。
この地域は基本的にプロテスタントだ。そしてめちゃめちゃ保守的。
ただまぁ、この辺はそもそもバプテスト派なので同じプロテスタントと言ってもなというのと、更には南北戦争で負けたエリアっていうのと、そもそも南北戦争以前から移民が少なかったため思想が固定化されたっていうのとかありそう。
陶器のようにすべすべで白い肌、大きすぎる目、解剖学を無視したプロポーション。
彼の持つ美的センスはあまりに異質で、当時誰も理解することができなかった。
彼の名はドミニク・アングル。女性の"シワを描かない"ことに異常にこだわり、しばしば解剖学を無視した絵を制作した。
それが公開されると批判と称賛を同時に浴びた。
「椎骨が3つ多い」
批判派には解剖学的間違いが指摘されたが、後にそれは「故意にやったのだ」と理解されるようになる。
美術の歴史は自由の歴史と言える。常識を打ち破りより自由な表現へと進化を続けてきた。アングルは「美の追求のためなら解剖学を無視しても良い」と教えたのだ。
彼の描く女性像は当時の人に違和感を与えたらしいが・・・残念ながら我々はそれを窺い知ることはできない。つやつやの肌も、大きすぎる目も、解剖学を無視したプロポーションも、我々にとってはあまりにも普通だからだ。でもそれは逆に、アングルが伝えたかった美を我々は純粋な目で鑑賞できるということなのかもしれないな
https://ja.wikipedia.org/wiki/グランド・オダリスク
全ての萌えオタは見ると良い。そして讃えると良い。これが巨匠アングルのグランド・オダリスクである。
女性のシワが出ないようにポージングや構図をめっちゃくちゃ工夫して頑張っているのでその辺もよくみてください。お願いします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/泉_(絵画)
76歳にして完成させた『泉』は熱狂をもって迎え入れられました。陶器のような肌、理想化された肉体、古代ギリシャ彫刻に端を発するコントラポスト。新古典主義の傑作として後世に影響を与えました。
まあつまりさ、「お前の描く人間は腰が細すぎる 解剖学的に間違っている」みたいなことを言われたら「それは18世紀にすでに通った道である」みたいな返しすればええんよ。芸術ってやつは自由でいいんよ。好きなもの追求してください。
なんか飽きたからここでやめる
わからなかったので調べてみました!
元は「手紙の封蝋」のことを指し、遡ると「小さな印」という意味で「sign」と同語源のようである。そこから封蝋に限らず手紙や包装などを封じる「封緘紙」のこともシールと呼ぶようになった。
「糊付きの紙片」全般をシールと呼ぶのは英語では稀な用法ということで、実際に辞書にも載っていない。ほとんど和製英語と言っていいようである。
日本では1960年代に子どもたちのあいだでお菓子のおまけシールが大流行したが、その草分けである1963年の「鉄腕アトムシール」は明治製菓の社員が「手紙の封印シールをヒントに考案した」というので、図柄が印刷された糊付きの紙片を広く「シール」と呼ぶようになったのはその頃か。
元は「stick」は「突き刺す」という意味で、そこから突き刺すための道具である「棒」という意味にもなった。
さらに「突き刺してその場に留める」ことから「固定する」という意味になり、また「付着する」「粘着する」という意味が派生した。
つまり「sticker」は「粘着するもの」という意味となり、粘着性のラベルやデカールのことを「ステッカー」と呼ぶようになった。
元は「細い帯状の布」という意味で、リボンやフリンジのようなものを指していた。
そこから17世紀ごろに「(そのものの内容を示すために付けられる)細い帯状の紙片」を指すようになったという。
ラベルは必ずしも貼るタイプだけではないが、紐で吊り下げるタイプのラベルは「タグ」と呼ばれることが多いので、ラベルといえば貼るものだという印象が強いのかもしれない。
元は「decalcomania」の略であり、さらに遡るとフランス語で「複写する」「描き写す」を意味する「décalquer」が語源となる。
デカルコマニアは「転写印刷」「転写技法」などと訳される。18世紀に発明されたもので、特殊な糊を塗った紙に図柄を描き、陶器やガラスなどの直に印刷ができないものの表面に転写する技法のことである。
成り立ちとしては他と毛色が違う感じがするが、「糊を使って図柄を貼り付けるもの」という広い括りで「シール」「ステッカー」の一種だとみなされているのだろう。
シール:「(図柄が印刷された)糊付きの紙片」のこと。和製英語。
ステッカー:シールとほぼ同じ意味。「粘着性」であることがアイデンティティ。
ラベル:内容を示すために貼るシール/ステッカーのこと。「内容を示す」ことがアイデンティティ。
デカール:転写式のシール/ステッカーのこと。「転写式」であることがアイデンティティ。
ぶっちゃけ英語圏でも「ステッカーとデカールの違いってなに?」みたいなブログがたくさん引っかかるので、たぶん実生活ではそんなに厳密に区別されてないんだと思うよ。
おまけ。
元は「細長い布」という意味。さらに遡ると「引き裂く」という語からの派生らしく、布を引き裂いて細長くするようなイメージか。語源としては「ラベル」と似ているが、あちらは「ちぎれる」「ぼろぼろ」みたいなところから来ているようなので、テープはもっとしっかり「長い」イメージなのだろう。
19世紀後半の粘着テープの発明以来、「テープ」といえば粘着テープを指すことも多いが、まだまだ「ビデオテープ」「ゴールテープ」など非粘着性のテープも残っているので、まるきり「貼る」だけでもない。
語義的には「セロハンテープやダクトテープのような普通の粘着テープ」もステッカーの一種と言えそうな気もするが、「tape sticker」で検索してみると、やはり柄付きのマステ的なアイテムしか出てこないので、そのあたりは日本でも粘着テープのことを「シール」とは呼ばないような感覚と同じなのだろう。
予想以上に凄惨だった
いまのウイグル人みたいなことされてんな
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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Erromango, Dillon's Bay. July 8th 1858. John Williams, Missionary, killed 1840 by Thomas Bent.jpg
座標 南緯18度48分50秒 東経169度7分22秒
州 Flag of Tafea Province.svg タフェア州
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エロマンガ島(エロマンガとう; 英: Erromango)は、南太平洋、バヌアツのタフェア州最大の島。ニューヘブリディーズ諸島の一つ。「エロマンゴ島」、あるいは「イロマンゴ島」とも表記される。そのエロ漫画を連想させる名称から、日本では特に珍地名の一つとして紹介されることがある。
目次
1 地理
2 歴史
3 行政
4 交通
5 言語
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
島の中心部に標高 837 mの火山がある小島で、周囲は珊瑚礁に覆われている。面積 887 km2、人口は2016年の国勢調査では2,109人[1]。主要な産業は牧畜業・農業で、肉牛を飼う大きな牧場が広がっている。西側のディロン湾に好錨地を持つ[2]。かつては全体が密林に覆われ上質な白檀が取れたが、乱伐によって現在はほとんど森がなくなり、白檀も取れなくなった。
18世紀にはイギリスとフランスの旧共同統治領になっていたが、実質上は無政府状態に近かった。ポリネシア系の住民が大昔から住み着いており最盛期には10,000人に達していた。
1830年代から各国が宣教師を送り込み教化を試みたが、送られてから数年以内に原住民の人間狩りに遭って虐殺されて食べられるという事件が頻発していた。犠牲者の中にはロンドン宣教師協会のジョン・ウィリアムズも含まれていた[3]。
1840年代から、宣教師や白檀目当ての商人たちが持ち込んだ赤痢やはしかなどの伝染病が、島中に蔓延するようになり、人口の減少が始まる。商人たちによる住民の虐殺なども頻発するようになった。1860年代には白檀の大半が伐採され森林は荒れ果ててしまった。これ以降は奴隷狩りによる人身売買が島を訪れる商人たちの主目的になっていく。1884年にフランス人宣教師が人間狩りに遭い、殺されて食べられるという事件が起きると、フランス軍が上陸し報復を行った。しかし、イギリスとの領有権問題から、イギリス側の抗議を受けたため、フランス軍は村をひとつ焼き払っただけで撤退した。
1887年に共同海軍委員会を設立して島の治安維持に当たることになった。しかし、住民を保護する法律もなければ行政機関もなく、住民が白人に危害を加えたときに報復するためだけの組織としてしか機能せず、実質的には無政府状態のままだった。
1906年にイギリスとフランスの間で共同統治領とする条約が調印され、各種の法律整備も進められ、行政機関が設置されて無政府状態が解消した。原住民に対してもキリスト教の布教を行い食人文化を禁止し、文明化をすすめたため、20世紀初頭には食人は完全になくなったといわれている。
最盛期には人口1万人に達した繁栄した島であったが19世紀から激減する。住民は現在でもキリスト教の宣教師を殺した神罰により衰退したと信じているが、実際の人口激減の理由はヨーロッパ人がもたらした伝染病による大量死、略奪、オーストラリア開拓のための奴隷狩り(ブラックバーディング)である。このため、島の社会は崩壊し、キリスト教化された住民の間にポリネシアの伝統文化などはほとんど残っていない。
進次郎風に言うなら、“プーシキン”という単語がおぼろげながら浮かんできたんです。
早速ググってみると「アレクサンドル・プーシキン」という18世紀のロシアの芸術家が出てきた。
間違いない。
絶対に違う。
だがページをめくれどもめくれども、アレクサンドル・プーシキンしか出てこない。
なんてこった。
こんな有名な奴なのかよ!
もしかしたら知らない間でどこかでこのプーシキンのことを耳にして、それを思い出したのか?
そう、例えば映画とか。
これだ!
やったぜ! これで心置きなく仕事を続けることができる。
ちなみに、イコライザーに出てくるプーシキンはロシアのマフィアのトップ。
作中では「プーシキンさん」として非常に恐れられている存在として描かれるが
最終盤まで姿を現さない。
最近、「人権感覚のアップデート」とか言われることが多い。しかし、人権思想は短く見積もっても200年~300年以上の歴史があるので、過去もアップデートがあったのは間違いない。
人権思想の走りと言うべきもの。いわゆるマグナ・カルタや権利の章典などで人権思想の基本となる考えが整備されていった。
いわゆる「国家からの自由」と平等。政府が令状なしに逮捕したり、法律の規定や裁判なしに刑罰を与えたり、特権階級をもうけたりすることを禁じた。
いわゆる「国家への自由」。要するに参政権。必然的にこれもついてきた。
人権における画期的なアップデートである「国家による自由」が実装された。19世紀末~20世紀前半に成立し、これにより近代的な人権制度が一応の完成を見たといってよいだろう。
単に自由なだけでは恵まれない人が割を食うばかりになるので、生存権、教育を受ける権利などのように最低限保障すべき権利を規定し、政府が施策により実現することを義務とした。もちろん、これが特権であり平等性に反するという主張もあったが、現実に劣位に置かれている人を、平等な水準にするということで理論的な解決を見た。
「かわいそうな人」の権利を守るために、そうではない人の権利を制約しようと言う思想。
アンチファによるヘイトスピーチ規制の主張や、フェミニストによる表現規制の主張、性犯罪に対する要件の緩和や厳罰化などが人権3.0。
しかし、これは当然に、権利の制約になるので、人権1.0と真っ向からぶつかることになる。
もちろん、人権1.0でも、他人の人権を侵害する行為は禁止する(=政府が処罰する)ことはできる。殺人を行う自由という人権は認められない。
しかし、これは同時に、他人の人権を侵害したことが明確に立証できないことは禁止(=処罰)できない、ということと等価である。これを問題視する向きが人権3.0を主張し、人権1.0を攻撃している。
今日の、立憲民主党本多議員の離党騒動はまさに、この人権1.0vs人権3.0という問題である。人権1.0の立場に立てば、明白な権利侵害があることに対して「のみ」規制されるべきと考える。だから、様々な限界事例を例示して、規制の問題点を指摘する。対して、人権3.0の立場に立てば、明白な権利侵害があるかどうかはっきりしない事例でも、加害者の処罰が漏れることが到底許し難い。これに対して人権1.0の立場からは「十人の真犯人を逃すとも 一人の無辜を罰する勿れ」「刑法典はならず者の権利章典である」といった原則が掲げられ、被害者やその周辺の感情に寄り添わないことが美徳とされる。
増田は、この人権3.0へのアップデートを、バグが多く、危険なものだと考えている。罪刑法定主義や法の適正手続きといった手法、権利の衝突の解決手段としての公共の福祉、明白かつ現在の危険、こういったさまざまな近代的な人権と法制度に基づく道具立てとコンフリクトをする思想は、最早、人権とは呼べないだろう。単なる魔女狩り裁判を正当化し、フォークデビルを火あぶりにする、俗情との結託である。こんなものは、全く「立憲主義」などではない。
これは神学命題。プロテスタンティズムと決定論に対して言及がないので不完全。
アメリカの歴史の初期においてピューリタンが重要な役割を果たした。彼らの思想の一部は今も残ってる。
フス戦争やカルヴァン主義やその前史にまで言及すると長くなりすぎるので省くが、重要な要素が【予定説】(神学的決定論)である。カンタンにいえば「全知全能の神。神は全知全能なのですべて予定済でお前の自由意志なんかねーよ!なので善行した"から" 天国に行けるとかあるわけねーじゃん。俺が "善行する" と思うことまで神は予定済なの!」
というのがあった。
こうなると、「えーじゃあ善行しようと思うこと意味なくね?」ってなって人々は悪事を働きそうなものであるが、実際にはそうはならなかった。
人々は「私は神によって救済される(=天国に行く)ことが予定済の人間なので、そうあるべくふるまう(=善行を行うしより良くなるため努力する)」となった。
因果が逆転してるというかなんというか。
この因果の逆転によって、ダラダラ働いてシエスタするようなカトリック圏と異なり、プロテスタンティズム圏では修道院のように禁欲的に働き、禁欲的に自己研鑽し、禁欲的に金儲けをしその利潤を禁欲的に再投資する…ことによって世の中を良くする。なぜなら私達は神に選ばれているので!それができる!
となっていった。
(※ 禁欲的に慎ましく暮らすタイプのプロテスタントもあります)
「世俗社会の修道院化」によって、日常生活の全てを信仰と労働に捧げる。
節制と禁欲のために複式簿記を導入…。合理的精神で禁欲的に社会を発展させる(なお奴隷制ry)。。
この辺の時期の代表例としては、ベンジャミン・フランクリン(アメリカ建国の父にして実業家であり学者であり外交官。そして偉大な政治家。今も100ドル札に顔がある)など。
勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像の象徴。
…というあたりで、発展しすぎた禁欲的資本主義は本来の宗教性を失い、資本主義になり、「内なる光=神との対話」みたいなあたりが「自由意志」に変わっていく。
自己研鑽しない者たちに対する憎悪や侮蔑は、従来の「つまり予定説におけるアイツラは地獄行きになる怠け者」から、「侮蔑すべき怠け者」だけが残った。
・・・というあたりはマックス・ヴェーバーが"プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神"という本とかで書いてたこと。
今のアメリカ人は直接プロテスタントというわけではないが、連綿とこの思想を引きずっているのである。
(なぜならそのほうが発展に有利だからね)
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補足すると、こんだけ「プロテスタンティズムがー!」と書いておきながら、実は西海岸のカリフォルニア州は全米でももっともカトリックが多い地域である。なぜならもともとあそこはメキシコであり、今でもスペイン語圏からのカトリック移民が多いからです。
ただ、思想的な主流派は?というと難しい。モルモン系やユダヤ教徒(思想的原理は異なるが同様に資本の蓄積が宗教的にOK)もスゴイ多いし、西海岸を語るなら中華系の人々に言及を避けることが出来ない。
そして何より、【西海岸のリベラリズム】と対極っぽそうな南部のバイブル・ベルト。
この地域は基本的にプロテスタントだ。そしてめちゃめちゃ保守的。
ただまぁ、この辺はそもそもバプテスト派なので同じプロテスタントと言ってもなというのと、更には南北戦争で負けたエリアっていうのと、そもそも南北戦争以前から移民が少なかったため思想が固定化されたっていうのとかありそう。