はてなキーワード: 脳卒中とは
もっともな疑問だと思うので、地方大学病院所属内科医の自分が分かる範囲で想像も交えて回答しようとおもう。
コロナの治療だけど、たいていは感染症科もしくは呼吸器内科が中心となってコロナ診療チームを作って行っていることが多い。
だから病院内にはコロナ診療チームともともとの通常診療に分かれて同時並行で行っている。
コロナ診療チームだけでは手が回らなくなってくると通常診療をしている医師・看護師が応援として診療に参加する。
それで首都圏の今の状況はコロナ診療は病床・医療従事者が足らなくなって医療崩壊状態。
通常診療はまだ何とか保っている様子。保っているといっても、予定手術の延期などの影響が出ている。
コロナ診療を立て直そうとすると病床・医療従事者をコロナ診療に参加させるから、通常診療が止まってこのままだと通常診療も崩壊する危険がある。
重症コロナ患者は陰圧室じゃなきゃダメだけど、陰圧室も簡単には増やせないから病床確保も簡単ではない。
うちの大学病院も病棟一つコロナ専用にして何個か確保したけど、あとはほかの通常診療している病棟に何個かある程度。それも通常診療で使うこともある。
まだコロナ診療に参加していない医療法人経営の病院が参加すれば良いじゃないかと思うかもしれないが、医療法人経営の病院てのは中小規模病院が多い。
この中小規模病院には感染症科がある所は珍しくて、呼吸器内科が無い所もある。しかも陰圧個室があるところも少ない。
全部そろっているところはたいてい大病院じゃないかな。だから既存のコロナ診療病院は大病院が多い。
軽中等症だけみて重症になったら大病院に送れば良いんだけど、大病院のコロナ診療が崩壊している首都圏で重症になってもすぐにとってくれない可能性が高い。
治療もできない・送り先もない重症患者なんか診たい病院はない(私も嫌だ)。
だからコロナ診療に参加する医療法人経営の病院は少ないと思う。
公立病院は嫌だと思っていても、立場的に拒否できないからどうしてもコロナ診療が公立病院に集中する。
医療法人経営の病院でがん治療や脳卒中の治療は受けられるからそこは心配する必要はない。
たださっきも言った通り医療法人経営の病院てのは中小規模病院が多いから、選択できる検査や治療が少ないことがある。
医者・医師会はこれまでコロナウイルスについて「正しく恐れる」ことが重要だとして、様々な啓蒙活動を行ってきた。
この「正しく恐れる」ための情報発信は、社会全体の感染抑制に資するものであり、重要な役割を果たしてきたと思う。
ただ、「医療崩壊」についても同様の明晰さと誠実さを兼ね備えた情報発信がなされているかというと、かなり怪しいと感じてしまう。
政府・経済側は「医療崩壊」の定義が曖昧だから良いように使う、といった批判があるけれど、同様のことは医療側にも言えるのではないか。
あいまいな定義で利益相反を無視して無駄に煽っているのは、お互い様なんじゃないか。
この辺りを整理すれば、もっと有益な議論や判断ができるのではないか。
論点を例示すると、
何かよく判らないけど「医療崩壊」とかするんですよ!
それが怖かったら愚民どもは俺たちお医者様の言うことを聞けよ!
と言うなら、それはコロナに関する無責任な情報発信と同様、利益相反の煽りでしか無い。
「正しく恐れる」ための情報発信を、それぞれの専門性のもとで貫いてほしい。
そうでなければ、専門家への信頼は地に落ち、誰も望まない混乱が今後も続いていくだろう。
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https://anond.hatelabo.jp/20210110030830
いくつか内容の理解に役立ちそうな情報をメモしておきます。...
https://anond.hatelabo.jp/20210110113704
いろいろ議論はあるけど、一つ重要な切り口は「公的病院」(公立病院、国公立大学病院等)と「民間病院」(医療法人経営の病院、開業医院)の性質の違いかな。...
一つの観点としての公的病院と民間病院の対比。どのあたりを変えると今後の効率化につながりそうか。
たくさん議論をいただいたけれど、定量的な全体の状況把握はやはり難しそうか。本当は厚生労働省あたりに頑張ってほしい。
「コロナウイルスとは」あたりまでは純粋なサイエンスコミュニケーションの問題であり、個人や行政から良質な情報提供があった。
あるいは、足りない部分は英語サイトを自分でたどれば議論もデータも豊富にあり、状況把握にも行動指針策定にも支障はなかった。
これが「医療制度とは」「医療崩壊とは」になると、やたらと強い言葉で根拠不明なことを言う人が増えて、よく判らなくなった。
しかも日本のことなので日本語の情報をたどるしかなく、もうちょっと何かないかと増田に書いた次第。
全体的なことは判らないままだけど、上記のようにもうちょっと効率的にできる要素はありそうということは判った。
煽るなと言いつつお前が煽ってるだろ、というのはそのとおりで、正直すまんかった。
が判らないと解釈できなくない?ということ。個別事象ではなく全体像を踏まえないと、状況や医療者の提言、また為政者の行為(あるいは行為しないこと)を評価できない。
日本国民は残念ながら上記のような定量的な考え方で意思決定を行う訓練を受けておらず、副作用かもしれないエピソードをニュースで見たからといってHPVワクチンを撲滅して喜ぶ人たちなので、あまり大きな期待はしていない。ただ、(あるいは左記のような国だから順接として、)個人的にはもう少し全体像を知りたいと思う。
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追記1・みなさんの反応
tobalno1 全身麻酔での手術後は数日間呼吸器管理になってICUに入室することも多いから、コロナで呼吸器や病床が埋まるとあらゆる科での重症の手術をストップしないといけなくなるんで全ての科で医療崩壊するよ。
これは公立病院については今ある脅威。一方で、コロナを受け入れていない医療法人経営の病院は大丈夫なのではないか。あるいはICUを持つような医療法人経営の病院はほとんどコロナ対応をしているということなのか。その辺の定量的な情報もあまり発信されていないように思う。
noho-sibe コロナ関係の対応が逼迫するだけでも十分医療崩壊だと思う、今コロナに感染するリスクが高くなっているわけだし
コロナに関してはそうだけど、それ以外の医療についても崩壊するというイメージ作りが行われているので、その確度が知りたい。「コロナが大変」と「コロナとその周辺が大変」と「もう何でも全部大変」はかなり違うのに、その辺りを混ぜて定性的に煽るのは不毛。
skgctom というか医療に限らず、自粛で仕事なくて死にそうな人とコロナで仕事増えまくって死にそうな人が同じ国の中で別々に苦しんでるのがほんとやるせない。中国みたいな共産国なら簡単に人員のやりくりが出来るんだろうか
一文目について同意。煽り合っている場合ではない。中国がどうなっているのかはよく判らないけれど、日本とは制度も規模も違いすぎるのであまり参考にはならないのではないか。
furseal コロナに割けるリソースが限界を超えることを医療崩壊と呼んでるのは明白。そうなると、高度医療から提供が難しくなる。医療者はそれを避けたいが、どの病院も機能しなくなるまで崩壊してないと言いたいならどうぞ
このコメントのように、「どの病院も機能しなくなる」ことまで示唆する人がいる一方、本文にも書いたようにそこにいたる機序があまり説明されていないのが問題。専門性の壁があるので全員コロナ医師・全部コロナ病院には出来ないなら、どの病院も機能しなくなるというのは単なる煽りではないか。
nmcli きのう都内では透析患者の病床が満床というニュースが出た。今日以降は透析を受けられずに死ぬ都民が出てくることになる。コロナ以外の死者が増えたらもうこれは医療崩壊だと思うが、その視点がないのはなぜ。
このニュースかな。
コロナ感染透析患者 都内は満床 https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210108/1000058672.html
基礎疾患のある人がコロナになると大変というのはよく知られているし、その近隣の医療機能が飽和するといった影響はあるだろう。ただ「どの病院も機能しなくなる」といった発言が散見されるので、もう少し粒度の高い情報発信が、建設的な議論のためには必要と考える。
yzkuma 「それは医療崩壊ですか?」そんなの今定義しても意味ないし議論してる暇もない。今どんどん「通常診療を切り崩して」コロナに充ててる。ベッドも人も資源も結構限界だって言ってる。とにかく外に出ないでください。
推奨行動指針としては「とにかく外に出ないでください」で良いのかもしれない。ただ市民としてはどのような根拠や予測の元にそうなっているのか知る必要がある。その議論や情報共有が無意味とするのは危険だし、現状の課題把握にも将来の改善にもつながらない。あなたは全知全能の独裁者か何かか?
a8888 今必要なのは公的病院の急性期病床とその人員で、私的病院の慢性期病床がいくらあっても意味がないからねぇ。そういう意味では、ずっと病床を削減してきたせいだという批判も的が外れているのよね。
このコメントのように、単なる病床数ではなく、病床の性質も踏まえた議論も必要、というのが、医療者が市民や為政者に発信できる重要な情報。これを踏まえて今後の制度改善が行われれば良い。煽りは不毛。
医療崩壊がバズワードなので、それを「否定しようとする」とか言われてもよく判りません🦁
soratansu 第1波時よりも少ない病床数で乗りきれると思っていた医療体制側は非難されて然るべき https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG041BM0U1A100C2000000
本文と少し視点は違うけど、この辺もしっかりしてほしいと思う。
世の中ではコロナ患者の病床がひっ迫していると話題ですが、現場では通常診療への影響が問題となっています。
コロナ病棟をつくるために、一般病棟も重症患者をみる病棟も縮小されています。
普段ならICU(集中治療室)でみるレベルの患者を一般病棟で管理せざるを得なくなっています。一般病棟では普段みない重症患者や該当科以外の病棟へ割り振られてしまった患者を診療するため、過剰なストレスがかかっています。
ICUも患者を普段より早い回転でさばかなくてはいけないので入退室の件数が多くなっています。残るのは最重症の患者ばかりです。人工呼吸器や体外循環の管理、褥瘡を予防するための体交は当然増えますし、薬の種類も普段より多くなっているのでダブルチェックや点滴交換の回数が段違いに増えます。作業過程が増えれば、使う神経もさらに増えます。
転院や入院を断ることも増えています。とくに緊急入院は全例コロナを想定しなくてはいけないので個室に入れざるを得ませんが、その個室がなくて入院できません。
冬は一般的に心筋梗塞、脳卒中、肺炎など緊急入院が増える季節ですが、断るしかないのです。
医療従事者はどのスタッフも特殊性が高いので、自分がコロナにかかって周囲を濃厚接触者にしてしまったら、その部署が機能しなくなることを意味します。
超音波検査ができる技師、重症患者をみることのできる看護師、体外循環を管理できる臨床工学技士。
コロナが流行すればするほど、通勤中にコロナにかかるリスクが高まります。コロナ診療に直接関わっていなくても、自分がコロナにかかることを恐れています。ちょっと体調が悪くなると、コロナなのかと不安に思っています。
コロナ病棟へは偉い人たちが激励に来ますが、そうでない病棟には誰もきません。外からの偉い人だけでなく、中の偉い人すら来ません。
コロナを見ている人たちだけが頑張っているように注目されますが、コロナ以外の患者とそれを診療する医療従事者に負担がかかっています。コロナ患者を診療している人には精神科の診察などのサポートもありますが、そうでないスタッフは放置です。
コロナ患者は誰かが診療しなくてはいけないし、コロナを診療しているスタッフは頑張っていると思います。でも、テレビをつけて出てくるのは、直接診療していない専門家でもない時間がある人たちです。
テレビに映らないしわ寄せを受けている部署で頑張っている人たちは限界を超えています。コロナで浮かれるのもいいけれど、コロナじゃない患者のほうが数が多いんです。
https://www.healthcare.omron.co.jp/resource/column/qa/146.html
また、「突発性めまい」といわれる突然生じるめまいについて、CTスキャンなどの詳細な検査で調べたところ、多くは耳鼻科系疾患でしたが、約1割は脳梗塞が原因でした。脳の病気のために突然めまいが生じることは多くありませんが、起きる場合には、ほぼ例外なく小脳や脳幹の脳卒中によるものといわれます。気をつけなければならないのは、突然めまいが生じるとともに、うまく話すことができなくなったり、激しい頭痛が伴ったりする場合です。その際は脳卒中の可能性がありますから、躊躇せずに救急車を呼ぶなどして、迅速に対処するようにしましょう。
ここ数年脂肪肝ということもあり、コロナでの自宅勤務を契機に1日2食にして、朝食はヨーグルトだけ、昼食抜き、夕食は栄養士がデザインした宅配食にしていた
おかげで体重は10kg減。脂肪肝も徐々に改善中だ。ただこれのいけないところは体の抵抗力が弱ることと、クソがあまりでなくなることだ。本当にちょっとしか出なくなる。なんだろう完全に消化されているといえば聞こえはいいが普段どうみても栄養とは思えないクソのような要素も体の中に取り込まれているかと思うといい気分でもない。
ここ2日ほどちょっと気分を変えてカレーを食べた。普段の食事では出ないものだ。量は特に大盛でもないが、ひさびさに人並みのものを食べて少しいい気分だった。そして今日は仕事で少しいい結果を出すことができたので、ご褒美としてラーメンを食べた。
そして帰宅。自宅に帰ったことでリラックスしたのか便意を催してきた。おなかが痛いわけでもなく自然な便意。そして感動の時間が始まった。
最初は強く抵抗するクソの感覚だ。普段よりも太いクソが無理やり肛門を広げる感覚。そして直腸越しに感じる確かな重量感。直感で分かったこれはすげえのが来る!思いっきりキバる。年を取ってからキバると脳卒中になる可能性があるらしいが。ともあれ脱糞に集中する。溜まりにたまって別格のようになったクソがじわじわと体外に排出される。肛門と直腸からわきあがるさざ波のような快感。そして1本目が排出され・・・クソが切れない!すでに意識の制御を離れつつある肛門をねじ伏せるように収縮させて千切るようにひり出す。
・・・ヤバい奴が出た・・・。体に広がる問答無用の充実感。便器をのぞき込むと完璧な一本グソだ。密度が高く、ガチガチに固まってもなく柔らかくもなく完璧な硬度。大蛇のようにふてぶてしく便鉢のなかに横たわる極太のフォルム。こんなクソは1年に1回出せるかどうか。素晴らしいプロダクトを生成した自分の体に感激した。
しかし感動はまだ続く。1本目で出来らなかったやつが直腸をじわじわと降下する感覚。そうだこれだ。早く出したいとわななく肛門。出せるものなら出してみろお前のチンケな力でな、と嗜虐的な気持ち。必死にひり出す直腸と肛門。そして2本目排出。快感で体がブルブル震える。1本目と同じペースと品質で、そして1本目とは比較にならないほど短い2本目。強烈な快感。ああ・・・出た・・・。猛烈な達成感。脳からセロトニンがジョバジョバ放出される感覚がわかる。本当にいい脱糞をすると問答無用でわかる。快楽にまかせて「あひぃ~」と言ってみたりダブルピースするのもいいかもと一瞬思ったが、自分の感覚をマンガ的に茶化していて自分に誠実ではないような気もしてやる気になれなかった。外から見たら単に無言のままブルブル震えている中年だ。
もう直腸にはクソはほとんど残っていない。しかしあの快楽を味わっていたいのか自意識とは無関係に肛門が必死に脱糞するような動作を行う。ククク・・・ワガママボデーめ。気持ちのいいことというのは欲しい時には得られないものなんだよ間欠的不規則報酬を理解できていないらしいな。しかしあの快楽に未練がある体は必死に残りわずかなクソをひり出そうと蠢動する。まあそういう過去の栄光に必死にすがり付く姿も俗っぽくて嫌いではない。
いいクソの時は脱糞そのものの気持ちよさもそうだが事後の余韻もまた格別だ。大きな達成感と体の中から何かが引きずり出されてしまった喪失感が混ざったような感覚。フロー状態にも似ているようにも思う。体内に意識を向けるとなんとなく脱糞後小腸大腸などが再配置しているような蠢動を感じる気もする。しばし時間を忘れて身をゆだねる。
そろそろ体もあきらめたころにウォシュレットだ。む、ちょっと肛門が切れちゃったみたい少し痛い。まあでもいいやと思える。丁寧に洗って事後処理。
しかし改めてクソを見るとその存在感よ。堂々としている。かつて電気グルーヴが「我々は!太く!末永くいきたい!」と言っていたな。40を超えていまだこのようなクソが出せる自分が誇らしい。流すには惜しい。しかし残しておいても特に何のメリットもない。次このレベルのクソにいつ会えるだろうか。自分を高めていきたいと思いつつ流す。さらばマイベストオブクソ!
9月12日(土)、俺は、全身麻酔下で行われる精索静脈瘤(グレード3)の手術を断ることにした。
精索静脈瘤のことは、男性不妊を受診した人なら良く知っていると思う。
精巣の周りの血の流れが滞ることで、玉袋の排熱がうまく機能しなくなり、
精子の運動力が弱ってしまうというものだ。ご存じの通り精子は熱に弱い。
精巣のエコーと触診の後、俺はこう告知された。
左:3.6mm。右:拡張が見られる。自覚症状は全くなかった。
完治を望める治療法は外科手術しかない。保険適用で自己負担は4万円。
命に係わるリスクなんて全くない、腹腔鏡による低侵襲な手術で、
盲腸切るよりもはるかにイージーだ。ひと眠りする間に治っている。
それで、俺の精子が元気になるなら、しない選択肢は無いと、理性ではそう感じている。
†
5chとTwitterで全身麻酔の体験談を読んでいて、本当に気が滅入ってしまった。
過呼吸とパニック気味になり、みっともなく妻の前で何度も泣いた。
「あっという間に落ちる」
「10数えようとして最後まで数え切らずに落ちた」
「一瞬で落ちて、次の瞬間ベッドの上に居る」
これを、苦痛の全くない素晴らしい治療と捉えるか、それとも……
俺は、これはとても怖いと感じた。
手術を受けている間の、無意識下の自分はどこに行ってしまったのか?
目覚めた後の自分は、本当に、目覚める前の自分と同一なのだろうか?
突然プツンと意識が途切れるのは一時的な遮断ではなく、死そのものでないか?
今ここにいる自分は死に、同じ意識をバックアップした他人が目を覚ましているのでは?
そういった、途方もないものを想像した時と同種の、金玉が縮こまる感覚が、ある
手術に対する恐怖心は、弟が大病をしたこともあり、子供の頃から人一倍あって、
手術になったらどうしようと夜一人でベッドで震えて眠れないこともあった。
幸いにして、大怪我一つもせずにこの歳まで生きてきた。
だから、この問いに対する結論は先延ばしにしていればよかった。
その先送りのツケを、今払わされている。
いまどき、ガン告知だって、もう少しあっけらかんとしているだろう。
いい歳して、そのくらい動揺してしまった。精神的に堪えられそうになかった。
精液検査の結果は悪いものではなかった。運動率は少々低かったが。
放置したところで、ガン化したり、命に別状のある病気でもない。
男性不妊以外では、積極的に治療されることは稀という事実も存在する。
言い訳だけはどんどん出てくる。
結局、手術は受けないことに決めた。
†
手術が怖いと訴える若者の存在自体は珍しくもないかもしれない。
幼い時から、気を失う、失神することへの恐怖が半端無く強い。
30年余りにわたり肥大し続けた認知の歪みは、ちょっとやそっとで打ち砕けるものじゃない。
そうはいうが、お前は毎日キッチリ5時間寝てるじゃないかといわれるかも知れない。
正直に答えよう。俺は、睡眠を取ることさえ、怖くなってしまうことが、よくある。
実際俺は、イヤホンでASMR音声を聞き続けていないと、不安のために寝落ちすることができない。
耳から入ってくる音声を頼りに、眠りにつく前の自分と、目覚めた後の自分の自意識が
ひとつながりになっていることを、毎日自分に言い聞かせ、それで漸く、おっかなびっくり
落ちていくことができるようになったのだ。全身麻酔ではそれができない。
手術室でもASMRを流してくれたら、それも可能かもしれない。
先日は、それすら堪えられなくなった。中間過程――睡眠によって4時間も5時間も、
途絶えてしまった自分の意識の屍――を想像してしまい、そのことがとてつもなく、恐ろしく
感じられたのだ。それは、死の時間そのものだ。横たわるベッドはさながら棺だ。
自分という存在が消滅してしまう恐怖を抱えて、どうして、赤子のように、
最近は、睡眠中1時間おきにアラームを鳴らすことで、これに対処するようにしている。
1時間の睡眠ならまだ「こちら」へ戻って来られるという感覚的なものが、自分の中にはある。
ウトウトしたかと思ったタイミングで、アラームが鳴る。現在の時刻をチェックする。
これを繰り返すことで、無意識を回避しつつ、朝までの時間をやり過ごす。
論理ではないのだ。
結局自分が納得できるかどうかが、恐怖を乗り越えるのに一番大事だと思わされる。
全身麻酔ではそれができない。
手術室でも1時間おきに覚醒させてもらえれば、それも可能かもしれない。
(思考実験をしてみたが、30分で完了する手術なら、躊躇なく受けていたと思う)
昏睡への恐怖を訴える患者に対して、麻酔科のWebページではこう説明されている。
今まで麻酔から目覚めなかった患者は存在しない。必ず覚醒している。だから大丈夫だ。
真っ当な説明だ、こちとら原理まで散々調べたからそれは承知している。
そう、それでも、絶対安全な「作り物の死」であっても堪えられないのだ。
思い出したが、俺はジェットコースターも楽しめない人間だが、それと同根な気もする。
ビビリの俺は、カリブの海賊からスモールステップで難易度を上げていかなければならない。
幸いにして精索静脈瘤には、自費負担にはなるが、日帰り局所麻酔による治療も
存在する(ナガオメソッドは良さげだがとても高額で、貯金を溜めておかないと払えそうにないが)。
どうしても自然な受精が困難であればこちらも選択肢に入れることにしよう。
†
これから20年30年生きていれば、体中にガタがどんどん見つかるはずだ。
脳ドッグを受ければ、脳動脈瘤が必ず1個や2個は見つかるだろう。
祖母は心臓が弱かった。心臓にカテーテルを挿入しないといけないかもしれない。
そのたびに、泣きわめいて何とか全身麻酔を回避する方法を探し求めるのか。
きっと俺みたいな臆病者がガン告知で取り乱し、代替療法にハマった挙句、
治るはずのステージをみすみす悪化させて、全身転移の末苦しんで死んだりするのだろう。
いや、それよりも何よりも、人生の終焉に待ち構えている大関門――死――、
死こそ、人知の及ばぬ、理性の制御できない最たる存在ではないか。
妻や、まだ見ぬ子と、どれだけ輝かしい日々を送ったとしても、それはいつか終わるのだ。
偽りの喜びでしかないのだ。
俺と、その家族が暮らしていた記憶は、いつの日かこの世界から消え去ってしまうのだ。
それに何の意味がある?
運よく在宅勤務で顔を見られることもない。
まさに今この時も、数秒後に脳卒中で誰にも気づかれず突然死してしまう妄念が頭から離れない。
大人になれば、こんなくだらない恐怖は薄れていくものと信じていた。それがどうか。成人して以降不安は強まるばかりだ。
まだ若いから、と一笑に付してきた最悪の可能性が、日に日に、無視できないほど大きくなっていく。
幼少期からの不安感が全く緩和されていないことに、絶望しか感じない。
死の数か月、数日、数時間前、俺は更に激しく動揺し、どれだけの絶望で染められているのだろうか。
どうして自分のことしか考えられない人間になってしまったのだろう。
誰よりも出産を希望していた妻に対して、本当に申し訳が立たない。
それとも、こんなにも死に怯え、生まれてこなければとさえ思っている男が、新たな命の親になろうだなんて、烏滸がましいということなのだろうか?
ボディビルダーの筋肉が実戦的であるか否かという論議があるが、左様な些細な事はどちらでも結構だ。私が主張したいのは、ボディビルダーの精神や生き様の軟弱さだ。金になる訳でも無しに、心疾患や脳卒中など健康を害する危険を負ってまでして肉体に過負荷を掛けて常に筋肉痛で体を弱らせている。其の上普段の生活では、米飯や菓子の類は炭水化物が多いから食えないだの、氷水は体を冷やすから飲めないだの、酒も煙草も健康に悪いから呑めないだのと、できないこと尽くしだ。何らかの宗教的信仰心を持っている訳でもないのに、身体の見栄えを良くしたいというナルシシズム的な自己陶酔で、人生を棒に振っている。これが軟弱でなくて一体何が軟弱と言えようか。別段健康の為の体操や趣味のスポーツを否定する訳ではないし、体力仕事によって自然と付いた筋肉ならば寧ろ良いとさえ思っている。ただただ、人生の貴重な時間をボディビルディングに空費する軟弱者が増加していることに私は辟易としているだけだ。
ボディビルダーなどに比べて、大阪市西成区の西成公園に屯している男共の方がよっぽど精神的に頑強であると言いたい。人目を憚ることなくその場で食って飲んで寝てと欲望の赴くままにバンカラな人生を歩んでいる。金が無ければ日雇いの仕事へ出向き、稼いだ金は酒・パチンコ・飛田新地でパーっと豪勢に使う。飲む・打つ・買うの三拍子揃った男らしい男だ。外見を気にしている女々しいボディビルダーなどとは真逆の精神を持っている。ボディビルダーよ、筋肉を鍛えることなどもう止めよ。貴君が鍛えるべきは筋肉ではなく精神だ。西成公園の男共が持つバンカラ精神を見習うべきだ。