はてなキーワード: 知的障害者とは
健常者向けの中学と底辺高校に通い どこでもバカ扱いを受けてきたとか
彼氏は出来るが しばらく付き合うと"バカがばれてしまう"から捨てられる
男はバカな女が好きだというけどそれは違うんだと彼女は言っていた
その通りだと思う 男は"賢さをアピールして勝利宣言する女"が嫌いなのであって バカが好きなわけでは決して無い
容姿は低身長で童顔のかわいい系 水商売や風俗ではかわいいかわいいとチヤホヤされたそうだ
しかし身を守るという発想ができない だから繰り返し妊娠し堕胎する
堕胎は殺人であり そんなことをする人間は人でなしだと そう思って生きてきた
しかし彼女と話していると 生来の「想像力の欠如」が繰り返される堕胎の原因になっていたのかと ただただ悲しく思った
彼女に子供の養育が可能だとは思わない 彼女を孕ませた男も「責任を取って愛そう」などとは思わないだろう
彼女の知的障害は重度ではない だから28歳までバカっぽい健常者として扱われてきたのだ
バカなのは障害だからではなく怠惰が招いたことであり 自業自得と思われてきた だから侮蔑的な扱いを受けてきたのだろう
そして怖さを感じたのは彼女はフィクションと体験談の区別がついていなかった
レディースコミックの内容と知人の体験談がごっちゃになっているのだ
物語と現実の区別はつくと主張している方々 もちろんあなたはつくのだろう
ただそれはあなたが健常者で あなたの脳が高次の情報処理を行えるからだ
軽度知的の彼女に無避妊で中田氏した男たちの方は、大多数が歴とした「健常者」である事実の方が遥かに恐ろしいと感じた。初めから欠如した障害者の想像力よりも、なぜか遥かに劣った健常者の想像力。
福祉作業所指導員の実習に行ったとき、軽度クラスは並のコミュ障よりコミュ力あるちょっと無邪気な人ばかりだった。私は保護者の方に通所者と間違われた。土地に国境がないのと似て明確なラインはないと感じました。
こういうコメントがつくことをありがたいと思う
いえ、これは投票世代の格差の是正にもなるし、子供を持った親の政治的強さを一時的に持てるようにもなる(子供や若い世代の代弁者と言う枠組みで)し、
子供を持った親の政治的強さを強くしちゃったら、投票権の平等性は担保されないじゃん?
根本的な道徳的な心があるはずだかよ。それに何十時間も問いかけてみると良い。
人々が本当に不平等でいいのかと。実は罪悪感を感じているのかもしれませんよ。
そうすれば自然と、私の言っていることは正しいんだなぁと分かるようになるはずです。
「説教」はじまっちゃったw
君が「宗教家」だったとは思わなかったよ。
20と言うのはきりの良い数字ですし、幅の広い個性の中で1歳きざみで決めた所で何も意味が無いので、
えいや、と20で決めたわけですね?
そこからはずれたら今度は権利ももってやって言ってください、ということです。
これを15歳とかにしてしまうと15歳から自分で生きて行きなさい、責任を全部持ちなさい、と言われると大変でしょう?
本来、社会に余裕がなければ他の成人と同様に責任を持つべきでしょう。
ただし、社会に余裕があってそのような弱者を守っても良い、というのが皆の共通認識です。
ですので、知的障害者に対しては、特別な措置の上、特別な権利を与えています。
「ASD診断基準変更、の報に、これからアスペルガー症候群じゃなくなりそうな一自閉症者が思うこと」(ここまでタイトル)
DSM改定で「アスペルガー症候群」の診断名がなくなったらしい。「社会コミュニケーションの障害」「限定した興味や反復行動」に絞った結果、有病率は1/4程度に減ることが見込まれるとか。自分は大学時代に診断を受けた「アスペルガー症候群」の人間になるのだけれど、まっさきに思ったことは、「なんだかなあ」だった。Twitterで呟こうと思ったらひどく長くなってしまったので、匿名ダイアリに投稿してみることにした。昨今いわれる「一記事800字ルール」から大きく逸脱していて読みにくいと思うのだけれど、勘弁願いたい。
アスペの本質は「心の理論」の障害じゃなくて、感覚の取得機能の異常(異常というか、「社会適応に必要な情報だけを拾えない)だ、という風に、(旧診断基準では「アスペルガー症候群」と診断されていた)自分は考えている。考えている、だけだとアレなので、一応つけくわえると、以前、お世話になった先生に確認したところ、「その考えは間違っていない」というような事を言われたので、おそらく間違えてはいない(一応、そんなような研究結果もあったと記憶している。まあ、私は学究者ではなく一当事者なので、エビデンスが若干いいかげんなのは許してもらいたいのだけれど。
人間の感覚には、いまどきのカメラのように「オートフォーカス」機能がついている。それも、大変高性能な。これが、オートマじゃなくってすべてマニュアルなのが自閉症(=アスペルガースペクトラムだ。たとえば、誰かが「それ」と言って何かを指差したとする。定形発達の子供は、「指示の対象に目線を向け、そ話者が何かしらの指示または主張を行うに備える」という一連の処理を、ごく自然に身につける。しかし、自閉症者の視界は、蟻の視界だ。「特定の範囲の、限られた情報」だけを拾うことができない。まず、「人間の輪郭」を意識するのが難しい。うごき、を俯瞰してみることができない。そして、「手振りの意味」を理解するのには、もっと時間がかかる。
指差した先を意識すればよい、と学んだとしても、その後がまた大変だ。自閉症者のせまい視界は、「それ」として指し示された物体「以外のもの」を意識できない。あたかも同化するように自閉症者の意識は「それ」とひとつになってしまう。指示、という行為の先にある意図へ辿り着けない。本人の記憶にも残らないような小さい自分に、こんな小さな「ロス」をくりかえして、自閉症者の社会能力は定形発達者のそれからどんどん遅れてゆく。
自閉症者は往々にして、「世界と自分とのあいだに、一方通行の分厚い硝子の壁がある」という表現をする。入ってくるものは、ときに自分たちに害を与えるけれど、こちらがわから触れることはできない。氾濫した感覚世界に、ドナ・ウィリアムズが自著のタイトルとして記したように、「何者でもなく。どこでもいない」自分だけが残される。興味が限定されるのは、何かしらア・プリオリな原因があるわけではない。単純に、あまりに「細かすぎ、多すぎる」情報の波に晒されていることの裏返しだ。自閉症者は、その複雑すぎる世界を規則化するために自らひねりだしたルールにより所を求める。あるいは、数字や言葉などの「より強固で、確実な」曖昧さの無い世界に逃避し、没入していく。
さて、ここで重要なことがある。成長が遅い、ということは、「いずれ追いつく可能性がある」ということだ。IQが高い場合は年齢が上がればコミュニケーション能力は(或る程度は)向上する。限られた環境であれば適応できるようにもなる。IQが低いと、成長速度が社会が要求する適応レベルに追いつかないので、わかりやすい「知恵遅れ」になる。旧DSM水準においては、診断の多軸性、「コミュニケーション能力の障害」以外の細かい部分こそに、自閉性の障害の本質があったように思う。高機能な自閉症者(これまでの診断基準でいう「アスペルガー症候群」、言語機能に遅れがあるものは「高機能自閉症」)は、往々にして、その能力と努力によってコミュニケーション能力が向上させ、また、社会の中で自分が受容されるポジションを獲得し、
あたかも「社会に適応した」かのように振舞うことができるようになることもある。けれど、知覚過敏や感覚から来る負担の大きさ、ある種のデリケートさ(適応しても処理量は変わらないせいで疲れやすい)、過集中傾向、カクテルパーティ効果への適応不可能などは歳を重ねてもあまり改善しない。二次障害との複合で、ひどくなる場合もある。そして二次障害。我らが最大の敵である二次障害だ。慢性的に感覚的に、また社会的にストレスを受ける環境による鬱や神経症、PTSD様の症状(瑣細な感覚刺激からフラッシュバックを起こし、日常生活に支障が出る)なども、かなり改善させづらい。というより、社会に出ている多くの自閉症者は、コミュニケーション能力の障害以上にこれらに苦しめられることとなる。これらの人間に、「アスペルガースペクトラム」の診断基準から外れたとき、医学はどのように対応するのだろうか?
私事になるけれど、自分は二次障害への対応に、かなり苦労した。「病気になる原因」というのが感覚的な特性と、それによって経てきた生育環境に大きく拠っているために、一般的な治療方針やアドヴァイスがあまり役に立たないためだ。普通の人間は、ごくふつうの家庭で(母親は多少厳しくて神経質だったけれど)そこそこ健康に育ったにも関わらず、重篤なフラッシュバック症状(いわゆる「自閉症パニック」の主原因になるもの)を抱えたりしない。精神科、に行って自分が求めた治療を受けられたケースはとても稀だった。最初の二件くらいは適当に薬を出されて、経済的に継続困難なカウンセリングを勧められて終わり。結局、これではらちがあかない、と感じて(また、「はっきりさせるために」)実家に帰って診断を受けてきた、知的障害者向けの施設の外来の先生、そして、某k橋先生(統合失調の大家である)との出会いが、自分にとっては得がたかったけれど、必要な治療を受けられないままの人は未だ多いと思う。数年前にアルバイトを探していたとき、2ヶ月ほど支援センターにお世話になる機会があった。自分の大学時代と比べてこの数年、随分とサポート体制が整ったのだな、と感じて感心した(そして、その実現に走り回ったであろう人々に敬意を覚えた)、それからしばらくしての今回の報だった。
未だに「心の理論」ありきの「アスペルガー症候群とは」みたいな文章はよく見る。精神医学の世界って当事者も臨床も置いてけぼりなんだな、遅れてんなあ、というのはずっと思っていたけれど、今回の改編でよりその印象は強くなった。二次障害が軽くなって、今の生活が忙しくなるにつれ、自閉症を取り巻くもろもろの社会的状況に興味を向ける機会が減ってしまったので、偉そうに論じる権利は無いのだけれど、「まだこんなに遅れているの?」と、失望にも似た気持ちになったことは否めない。
私は診断をうけたとき、その時点で、もともと積極奇異タイプだったこともあり、社会能力自体はかなり改善していた。コミュニケーション能力に重きを置く診断基準だと、今はそのように診断されるかかなり怪しい。当時は、二次障害が今より重かったのに加えて、義務教育期間を終えたことで、それまでの細かな「不便(大学でお世話になった先生曰く『目に見えない腕の欠如』」がいちどに明らかになり、社会的な困難が顕著になっていた時期だったため、「診断が下っている」ことに、自分は自己分析の面で、そしてひとから助けを得る上で、随分と助けられた。この障害がときに致命的なのは、コミュニケーションの障害よりもっと前のステップ、感覚すること、世界に。社会に働きかけること、「関わる」ことそのものに困難を抱えるからだ。「コミュニケーション能力」だけに重きをおいて、障害の本質をばっさり切ってしまった新基準に、本来の意味で自閉性の障害を抱えた人間たち(ここ数年で顕著になったように、世間においてけして少なくない)を、フォローできるとは思えない。
自由業で不安定な生活なので、定期的に、「障碍者手帳を得るべきか」に迷うのだけれど、この機会に行動すべきかなあ、と、また、少しだけ迷っている。職種的に実感する機会は少ないのだけれど、「診断を持っている」というのは、「障碍者の枠に入れられる」ということであると同時、「自分の特異性がア・プリオリなものとして理解され、社会的に許される」手続きでもある。<そして、負担の多い日常に対してシステム的なバックアップを受けられる、というのはとんでもなく大きい。
以前は、手帳を取るなんて甘えだ、と思っていた。実際、生活しはじめると、やるべきことをやるために、使えるものを使わないことこそ甘えなのではないか、と思う。今のうちに診断書もう一回出してもらって、支援センターに相談に行くべきかなあ。けれど、ここまで「診断されない人間が出る」ことに異を唱えておきながら、自分はいつも立ち止まってしまうのだ。生きることに混乱を抱えるのが、自閉症者特有の事象であるはずはない。そんなことは重々承知していて、その上で、おそらく定形発達であれば経験しなかったであろう経験を、自分は重ねてきている。そして、思ってしまうのだ。自分のこれは、この、抱えた差異と、それによって生じる無数の困難は、自分が経験し・乗り越えてきた沢山のことは、果たして「障害」なのだろうか、と。無論、この逡巡が、社会的に「障害」とみなされるか、サポートを必要とし、サポートを得ることで社会の構成員としての生活を送ることへの困難が軽減される人間が存在するか(そして、自分がそのサポートを必要としているか)、という観点とは、デリケートながら別の問題だ、ということも重々承知しているのだけれど。
この年齢だったら「分かってる」とかこの年齢以下だったら「分かってない」
えーとね、そこを、完全に理解してるかどうかで区別してるわけではないわけ。
これをどこかで区別しなくては行けない。すべての事柄にというわけではないけど、
どこかで権利を線引すべきだ、ということ自体はあなたも同意してくれますよね?
もし、そのような区別を全てなくしなさい、という理論であれば別の話ですが。そこんところどうでしょう?
社会を作る以上、区別はしなくてはいけない、ということを前提で。
実際子供がなんで俺らは出来ないんだー、って文句言いますよね?(あなたが言ってるのはそのレベルなんですけども)
ただ、すべての子供が自分勝手にすることを許可されたら大変な事になることはわかりますよね?
この時に、最も公平な線引の仕方が年齢、というだけです。
年齢によっておおまかに能力の差を測る事が出来る。
ある程度の能力を見込むことが出来る。
ただ、そこに個人的な要素は入れない。
個人的な要素を入れてしまえばどうしたって誰かの恣意的なものになる。
年令による制限は勿論知的にどうか、ということを含みますが、絶対ではありません。
ただ、最も差別的でなく、公平に区別しようと思えばそれが一番やりやすい、というわけです。
私の立場の問題なので、あえていいました。
なんお立場の話をしてるのでしょうか?
あなたが女性で女性の差別を撤廃しろ、ということを言いたい、ということ?
恐ろしい?女の人しか子供を産めないのは生物的な事実ですけど。
人間社会が発展して今、家事も子供の面倒も楽になったし、産後の回復も早くなったし、女性が男性と同じレベルで働ける様になって来ましたね?
ただ、過去には同じレベルで、と言うのは結婚して子供を産む以上は不可能だったわけですね?
ここまで言うと、子供を産まない女性への差別だ、というかもしれませんが、
まず、生きてく上で、大多数の人が快適に生きていく社会を作るのは当然のことです。
基本的にすべての人は自分が良くなる為に社会に貢献し、社会のルールを守ってるわけで。
その中で、豊かになって来て、余裕が出てきたら、マイノリティーに対しても、他に危害を加えない、害にならないものであればどんどん認めていく、と言う風潮なわけです。
逆に、そうでなければ、女も男と同じだけの力仕事を行い、残業をし、産休なんてものもホントに産む瞬間くらいしか許されない様な生活を強いられるのですが、
それで良いのでしょうか?
「平等」とは一体何なのでしょう?
貴方の言ってることは、単に、自分の都合の良いとこだけの「良いとこ取り」でしかありません。
勿論、社会が対応出来る限りの事は対応すべきだし、今や、職業よっては、元々男が多い職場などでは、女性を優先して取るあまり、
同じ能力で合ったら女性の方を取る様に、といった逆差別のようなことすら起こっています。
それについてはどう考えますか?
また、客観的とはどういう点でしょうか。
単に、個人的な差によらない、という意味です。
どこの出身でも誰から生まれても、どんな教育を受けてきても10年生きた、ただそれだけです。
なんでそこ、理解しようとしないかね?
ですから、その部分、どう判断するんですか?
年齢による、というのは、ある程度の割合が一定の程度に達するのがこれくらいだ、という基準だ、というのは良いですよね?
勿論、全ての人がそれに達する、というわけではありませんが、その基準は全ての人に平等な基準です。
いいですか?これが平等です。
一定期間は保護下に置く代わりに権利を制限する。その期間というものを平等にするというのがもっとも重要なことだとおもいますがね?
テストに落ちたから自分は恋愛できない、あいつは受かったから恋愛できる、なんですかその世の中は?
だからぁ、その知的障害者に対して認めてる投票権を認めないのは、弾圧だつってんの。
それと同じこと。
知的障害者に関しては特別な処置が取られてるだけだって言ってるの。
そうですよ?だから、難しい話なんですよ。
子供のIQテストなんかで測る、なんてことをしたら、それこそやりたい放題ですよ。
また知的障害者が認められている*(つまり知的には認めてよい水準)であるならば、
当然児童にも、その程度には認められて然るべきという話ですよ。
ですから、知的障害者については、現在の社会が成熟してそのような特別な場合に関して別途対処できる余裕があるから
利便を与えてるにすぎません。
別途、保護を与えてるだけです。
後は、貴方の言う、「子供を性的対象に見るけど、性行為には及ばない」という人に対する対処についての問題ですよね?
あなたの言ってることでは「保護者の範囲」なんてものは存在しないじゃないですか?
その1つには、「区別」なんてものは簡単に出来ない、と言う前提があります。
芸術とはなんでしょう?
子供が実際自分でやりたいと言ったかどうか、ということも分かりません。
例えば、貧乏な家に生まれて、それでお金がもらえる、というのであれば喜んでやるでしょう。
IQテストで周りの子を凌駕するような子でも、むしろ逆に、その時点で一番金が稼げる方法、ということを
理解して敢えて行うでしょう。
ただ、子供の時点でそれを初めてしまえば、一生そういった方向でしか生きていけないでしょう。
実際、そのように金だけで買われていった過去があるので、それらを制限しよう、となってきたのですが?
恐ろしい思想の持ち主ですね、相変わらず。
たとえば、ある成人が自分の子供の頃に変態的な行為を行い、それを写真や動画で残していたとしましょう。
逆に、なんとなくヌードをやってみた、と言う子が居て、その写真を小児性愛者が持っていたとして、
その子がどうしたって消したい、とあとで思った時、誰が被害者でしょうか?
この様な自体を事前に防ぐため、多少厳し目の法律を作ることはあっても仕方がない、と思考実験によってすぐに分かります。
という風潮が有ります。
その、子供の頃に変態行為を行ってることは害でしかありませんので、むしろ規制すべき対象です。
では、それで良いのでは?
小児性愛者、と言うのは、少なくとも「子供を性的対象とする」人だ、ということは良いわけですよね?
貴方の中では、その中で、実際に子供に性的行為を行う人と、それを我慢出来る人、に分けたい様ですが、
それはどう区別したら良いのでしょうか?
えーと、基本的に知的障害者に対して、「保護」はしますが、権利の搾取等を行うわけではありません。
既に述べたように、本人の決定を覆すのは、余程本人のためにならない場合だとか、
また、多くは後に本人がやっぱり間違えた、嫌だ、等と主張した場合です。
通常成人が一度契約した後に正規の手続きで認められない場合、決定を覆すことが不可能な事柄でも、
また、それら重要な決定事項に関しては、事前にそのような危険性を回避するため、後見人の様な制度があるわけです。
ただし、勿論明らかにカネ目当てで寄ってきた異性が居たり、知的障害者に害があると感じれば後見人の判断で避ける事はあるでしょう。
被害者というのは合意に基づかない行為を行われた場合、すなわち強姦の場合に適応されると思います。
その時点で思想を産めつけられてしまうことが何よりも危険なこと。
まだ分からないかな?
主体性を否定する根拠には一切なりません。
理解できない?
人に害を与えないような「主体性」については、歴史的にドンドン認められてきたし、今も世間的な倫理感としてもどんどん認められる方向にある。
逆に、人に害を与える「主体性」については、その可能性が小さいものでもどんどん禁止されている傾向にある。
そこ、理解できない?日本語難しいかな?
それは、お前みたいな屑ですら、まだ十分な経験、知識を持っていない子供の意識を変える事は十分に可能なわけだ。
それは子供の可能性を潰し、デメリットでしか無い。それを超えるデメリットはない。
十分な知識を持っているかどうか、結局あなたは何も客観的な基準を示せないので問題外。
えーと、動作性知能って何のことを言ってるの?「知的障害者においても自由恋愛を認められる数値」って何?何その数値?
うーん、例えば、知的障害者が自由恋愛してそれを周りが勝手に否定できる、とでも解釈しちゃったかな?
相続の件でもなんでも、個人の意思として道理が通ってればそれを後見人であろうと否定することは法的にも難しい。
最終的には裁判所判断になるが、現在の日本の常識と照らしあわせ、まず第一に本人に取って得なのか、明らかに騙されて損をする形なのか、
その部分を判断されることになる。
子供に関して言えば、どの様な形であれ、まだ十分な経験を積んでいない状態での小児性愛者との恋愛は害にしかならないと言うのが常識であり事実。
"客観的"と言う意味分かるかな?客観的な基準というには、誰がどうみても絶対的に決まる基準を言うわけね?
その基準そのものの良し悪しについては勿論議論があるでしょうが、
まず、社会としてのルール作りにおいて、曖昧な主観的な基準ではなく、何らかの客観的な基準が必要なのは理解できますよね?
これは、「客観的」な基準です。
(ハーフだとかが曖昧になる、とかはこの場合無視してますが、基準を作るなら、父系が黒人なら、とかできちんと客観的な基準を作ることは出来ます)
これを区別するのをよしとするかどうか、それはまた別の問題ですが、
一方、知的能力により区別しようとした場合、それはどのような基準になるのでしょう?
勿論、現在でも、入試と言う制度で行ける学校が変わったりします。
ただし、進学校に行こうが底辺学校に行こうが、人としての基本的な権利は全て平等です。
どこへ行きたい、働きたい、恋愛したい、そのどれも、学校により区別されることはありません。
勿論、入試同様、「競争」により、働きたい職業につけない、好きになった相手と付き合えない、ということはありますが、
それを知的能力による区別、とは言いませんよね?そこはいいですよね?
あなたの言ってる事は非常に恐ろしいことです。
誰かが勝手に決めた主体的な基準により、この子はこれをして良い、この子はこれをしては駄目、と差別するわけです。
生活保護者に関して言えば、例えば、生活保護者がヤミ金に手を出して一発逆転ギャンブルする、とか言い出したら
それをたしなめ、やめさせる、というのが、
子供が大人と付き合いたい、といった時に辞めなさい、というのと同じこと。
ヤミ金業者を国が罰するのと同じように、
国が小児性愛者を罰する、とういこと。
わかりますか?
えーと、その辺、きちんと理解してます?
別に、知的障害者の主体的決定権を剥奪してるわけではありませんよ?
次に、「客観的」に見て明らかにおかしい状況の場合、彼/彼女が損をするような場合、
その決定を覆し、彼/彼女の有利になるように変更することが出来る、ということ。
子供についても一緒ね?散々、あなたは子供の主体性を重んじろ、とか言ってるけど、誰もそれを奪え、なんて言ってません。
ただし、子供の主体的な決定により後に不幸になる、害になることが明らかな場合、
その、「明らか」というのは勿論100%ではない。
100%なんてものは世の中にほとんど存在しないし、人間の意思決定なんてものは実際どうなるかはわからないことのが多い。
だけど、歴史的に、現在の日本では、子供が無駄に小児性愛者と仲良くなって良いことなんて有り得ない、としてるわけだ。
分かる?
だから、小児性愛者がそれを実行に移して、実際どの様な害があるか、どの様な利点があるか、そこをきっちり説明してよ。
あんたの言う、「子供の主体性を確保できる」は全く意味ないから。
どこまで制限するかは議論のあるところだけども、その、小児性愛者との恋愛を許可した場合、何の利点があるか教えてくれ。
デメリットとしては、
など。
彼らは年齢によって不当に分けられている。同じ判断、価値観、
それらをもちながら、何故年をとっていないと言う理由だけで片方だけが禁じられなければならないのか。
年齢ってのは、誰がどうみても客観的に測定する確実な要素な?
で、その年齢による区別っていうのは、むしろ、制限よりも保護の方が圧倒的に大きいこと解ってる?
子供が罪を犯しても成人と同様には認められません。
保護者により保護される権利もあるし、教育を受ける権利もあります。
あんたが言ってることは、それらの保護をまず外すことから始まるんだけど、いいかな?
で、それ、どうやって基準決めるん?
何を基準にするん?
一定の学力テストをクリアしたら成人と認める、と言う制度を作るん?
へー、すごいな。それこそ、金持ちの子供で教育をさっさと受けて試験に受かれば成人して選挙にも参加?
で、一方、勉強が出来ない人間はいつまでたっても一人前として認められず子供扱いされ続け、自由恋愛もできない、と。
すげーな、お前の考える世界。
その、お前の考える正しい基準、示してくれません?
「社会」において、全ての個の特徴に対するルールを作ることは不可能です。
個の尊重は、集団でのルールを守った上で成り立つものです。そこ、さっさと理解できない?
だから、あんたは集団行動できない、1人で生きていくんならどっかの無人島にでも言ってさ、1人で国王として君臨すれば?
あのね、それはもう責任を認められない、というレベルだから「障害」なの。
分かる?それが「障害」なの。そうでなければ、ただ少し理解が悪い人、になるだけなの。
そこは今の社会が決めてるんだけど、その基準も勝手に決められておかしいと思います?思うなら国に文句言ってください。
あなたの何百倍も人権問題に詳しく、あなたの何百倍もそういった人達について考えてきた人達の考えもそこに入ってるんだけどね。
だから、子供の恋愛に主体性は認められてないよ?無いよ?いい加減りかいしろよ?
ほんとにそう思ってるの?あなたも保護する必要あるレベルなの?
てか、ホントにこれ思ってるなら、保護されるべきレベルなんだけど。
危険すぎるだろ、小児愛を本気で正しいと思い込んでるなんて。
えーとさ、大前提としてさ、おまえ、誰と恋愛できると思ってるの?
でもお前は襲っちゃうでしょ?
もしかすると子供はお前に興味持つかもしれない。パズドラでもゲームでもおもちゃでもお菓子でも
子供相手ならお前でも今までに経験したことのない楽しいことを与えられる。
それで、子供がお前のことを「好き」になるかもしれない。
分かる?その危険性?
そんなこと成人した女でもありえるけど、それをどこまでも規制してたら「社会」が成り立たない。
よって、成人、未成年と言う明確な区切りをつけて、ここまでは保護対象、ここからは対象外、としてるわけ。
ね?分かる?
社会を作っていく上で、個を考えた完璧なルールなんて出きっこないの。
その中で、明確で分かりやすく、かつ、大多数が納得するルールで運用してくのが民主主義ね?
理解しようね?
今度は民主主義の批判にまで来るかな?
だから、お前の言ってる「主体性」ってのが、「主体性」じゃなくて、責任と権利全てを持つ、と言う意味になってるんだよ。
お前は子供が罪をおかしても、その子が「主体性」を持ってれば罰するべき、等といってるが、
その差別はどうやって行うんだ?
被害者を脅迫して、「合意しました」と言わせておけばOK、ってこと?殺してしまえば合意してなかったって言い訳できないからそれならOKってこと?
だから、こちらは現在の日本の倫理観にもとづき線を引いています。
一方、あんたは自分理論で線を引いています。それは倫理とは言いません。
それに何らかの論拠があるなら別ですが、全くありません。俺がこう思うからこうだ、以外に1つも意味を出してきません。
上の「合意」が唯一あなたの根拠にしたいところだと思いますが、
宗教による洗脳も、洗脳してしまえば勝ち、ということになります。
さて、それはあなたの考えでは正しいのですか?
小児性愛者が子供に同意させることは、子供の意思ではなく、単なる洗脳、強制とみなされます。
実際に、思考能力が低いため、その時点で自分のための判断が出来ないのは事実です。
従って、同様に思考能力が低いとされる知的障害者には成人になっても後見人制度などがありますし、
老人になって知的障害が出てきた場合にも、本人の合意による契約等が、判断能力がなかった、として後で取り消される事もあります。
具体的にちょっと出してもらっていいですか。
その判断は何を基準にどのように行われたものなんでしょうねー。
なるほど、具体的に何年ですかねぇ。
おっ、こっちへのケチ付けに入って来たね。
IQで判断できる根拠はどうしたの? ねえねえどうしたの?
これ以上分かりやすく言えないよ。“判断力”の定義ならまだ分かるけど。
こっちにとってはそれだけでは判断しえないものだったんだけど。
人間の成長に平均値を出すのは、人の成長が個人差がありつつ同じ方向に向かうからでしょ?
背が伸びる、体重が増える、というように。
障害はどうなの? どこに障害があってどのような症状が出、何が発達して何が発達不十分か、
人の成長のように傾向性があって同じ方向に向かうもんだと思ってんの?
あるなら平均値もあるだろうね。あると思うの?
ていうか君さっきからこっちがいくら比較対象になりえないと指摘しても知的障害者出してくるけど
まあなんつうか性の自己決定でぐぐってください。
それならもう一定の知能と+性教育における最低限の知識程度で問題ないのではといってる。
その分かりやすい基準として知的障害者のIQとの単純な比較において、子供はそれと差はないか、高知能であればより高いIQを持っているということを言ってる。
何度でも言うがIQは精神発達、機能発達、感情発達等は考慮されてないよ。
君がなぜそこまでIQ信者なのか理解に苦しむ。IQで恋愛するわけでもIQでセックスするわけでもないのに。
それしか数値で判断できるものを知らないから、以外に理由がわからない。
誰がそんなこと言ったんだ? それを錦の御旗のように言ってるけど、現場の苦悩をどれだけ知ってて言ってんの?
べき論でくくれるような単純な問題じゃないんだが、何か調べたうえで発言してる?
「個別具体のケースによる」としかこちらはずっと言ってないよ。
それに反対すると君が言うから、じゃ具体的にどうやって判断すんの、って聞いてんの
繰り返し。その「域」とやらとIQが関連すると君が信じてる理由はなに。
あ、ちなみにめんどくさいから先言っとくけど、年齢との発達平均は既に出てるから「平均値から見る年齢区切り」しかできないってのがこっちの意見ね。
周囲には変質者ばかりじゃないと思うけど?(つまりゆがんだ価値観を持ち、それを子供に刷り込むような人物ばかりではないということ)
ここがもう最悪に最悪だ。「ばかりではない」から大丈夫ってどういう理屈だよ。
「何らかの問題が問われた時」ってどういう問題を想定してんだよ。
「ゆがんだ価値観の人間が刷り込んだ」とき、「何らかの問題」が起こったとき、
そのときダメージはどちらが受けると思ってんだ。その補填がどうやってできると思ってんだ。
大人と子どもが同じだと思ってんの?
力も人生経験も将来を展望する力も全く違う子どもに対し、大人が「何らかの問題」を起こしたとして
それは引き離せばそれで済むとでも思ってんの?
それをIQとやらで補えるもんだと思ってんの?
まあ君がよしんば「ボクだってつらい!」というのなら、