はてなキーワード: 知的障害者とは
主語と動詞と目的語がねじれています。不必要な修飾の重なりにより文意が通りづらくなっています。
もうちょっと日本語ガンバレ。一貫性というならば「性的同意年齢」でぐぐればいいじゃん。
だ、か、ら、言ってるじゃん、「児童の成長には“平均”がある」って。
“平均”のない知的障害者の恋愛に関する問題は比較にならないよ、って。読めよ。頼むから。
で、だ。性的同意年齢を13歳であるとするのは確かに“恣意的”だろうね、
医学・発達心理学双方から導き出した“平均”を適用する行為だ。
じゃあ君はどうしたいの?
「主体的」かどうか、どう判断する気なの?
子供にとって、小児性愛者が植え付けた自分に都合のいいだけの性愛観とどのように区別できるの?
個別ケースだって言ってんじゃねえか聞け。お前のIQが心配だよ。
そして性的欲求、精神発達、機能発達、感情発達、それらはIQで表現されない。
IQだけ見てOKだと思うのは愚かな知能指数一元主義だよ。90年代くらいにはいたけどまだいたんだね。
あと、なんでトラバしないの?
結局は恣意的な線の引き方の問題なのではないかと言う話をしているわけですね。
そうだね。で? では「恣意的に」線を引かないでオールオッケーにしようぜ、というのが君の主張?
しっとるわ。ぐぐれば分かる程度のことを反射で貼ってないで論旨を読め。
知的障害は色々な形があるんだよ。
保護者監督がない状態で「恋愛」できる知的障害者もいる。監督のあるなかでだけ彼女と会える人もいる。
全く許されない人もいる。それは個別発達のケースに応じて現場が考えるしかないことだ、って話をしてんの。
他者との性的接触への欲求は第二次性徴に伴うホルモン分泌によって刺激される。
したがって第二次性徴前の人間が性的接触を自主的に望むことはない。
(幼児期の性器への興味などを性的接触を望むのだと曲解するのは大人の願望によるものである)
ここでいう「支配」とは、本人の抵抗の有無に左右されない。
→知的障害の程度による。感情面が十分に発達している人にとっては恋愛が必要かもしれない。
そこに保護責任者の監督が必要か不必要か、それは本人の様子を見て考えなければならない。
障害の程度は小児の成長曲線と異なり「平均」が出せない。比較対象として不適当である。
→全然一緒じゃない。
いや、現状法律で平等でないんだけど、それ、理解してないの?保護者って別にただの習慣じゃなくて法律的な意味あるよ?
ええ、だから身体障害者等だと保護される場面は多々ありますよ?
少なくとも、知的能力的に身体障害者の場合は問題ない、と考えれば、ダマされる事はないので、保護者がつくことはないが、
知的障害者であれば成人していても後見人がつくことがありますがご存知ありません?
そうかもしれませんね、過去には貴族が下民を殺しても罪に問われない時代がありましたし。
あなたの言ってることはそのレベルの話だ、と言うことは理解してもらいたいですけどね。
同性愛と一緒にして逃げたいみたいだけど、同性愛とは別。殺人、強盗などの罪と同じこと。
論破したいなら、殺人や強盗した人間をなんで罪に問うのか、そのような事を仕様としてる人を差別してはいけないのか、そこんところ、お願いします。
してはいけない、と周りが決めつけてしまうのは良くないかもしれないけど、
それを差別と言ってしまっても間違いではないと思うけど、周りとしての騙されたりしないよう、見守らないといけない、と言う気持ちがわからないでもない。
ただ、知的障害者でも、成人して以降は個人の判断と周りの判断でどちらが尊重されるか、難しい所だろう。
恋愛についてだとおかしいと思うかもしれないが、例えば、莫大な財団を得る場合などに、その様な個人の判断が(実は騙されてたんだとみなされ)後に覆される事があることはあるわけで。
少なくとも、未成年に関しては保護者が監視する役割を持ち、それに対し、おかしな行動を行うことは法律的に制限されています。
これを同等とみなし、それを養護しようとする貴方の姿勢が意味がわかりません。
あなたは、周りに、毎日人を殺したい殺したい、とつぶやき続ける人間が居て、その人を普通に受け入れられますか?
毎日の様に、スプラッターな映像を見て快楽を感じる様な人間を正常だと思い、それはただの1つの性的嗜好だから仕方ないと思い、受け入れられますか?
そのような人を、法律的にその時点で排除することは難しいですが(場合によっては精神的な病気を理由に隔離することもありえますが)
身近に居たら、少なくとも友だちにはなれないし、近くに居てほしくありません。
異性愛で同じことを言うならば、誰かを好きだ、等と言っているのではなく、
襲いたい、レイプをしたい、犯したい、と言う思考を常に持っている人間になります。
そのような人間であれば、例え、成人異性を対象としていても、区別する対象になります。
そこんとこ、理解できますか?
人権団体が抗議して消えたかのように書いてるアフィブログがいくつか見られるが、消えてねーから!
そりゃあかつての勢いこそ無くなってるけど、別に消えたわけじゃねーから!
サンリオのホームページに行けば2013年にも新しいけろっぴのグッズが出てるの確認できるし!
消えてもいなければ、人権団体が抗議した事実もない、悪質な二重のデマだ。
同じスレにはたあ坊も知的障害者を連想させるから、抗議が来て消えたとか書かれてるけど、
いやこっちも普通に本とかグッズが出てるし。
あー、でも危なかったなあ。
「それ本当?」と思って調べたけど、もしこれが全く興味ない話題だったら
「そうなんだ」と素直に納得してしまっていただろう。
気をつけなければ。
なにあれマジでいらないだろ。
特殊な技能があるわけでもない薄っぺらい笑顔浮かべるだけの行動派バカがあたかも特殊な部署に務めているかのように企業やビジネスの実態からかけ離れた採用業務やってる。得意分野があるとすれば上役へのゴマすりと採用担当した社員への先輩面。特に最悪なのが「入社して1年以内に人事部採用付けになった自社の業務をほとんどやったことのないつら構えとハキハキしたお喋りを買われた女」でこういうカボチャ頭が面接なぞ担当した日にゃ自分は山といる新卒を選別する選ばれた人間なのだというサイコ臭い選民意識を植え付けられてて超ウザい。
てか何ほんと若いちゃんねー人事に据えるの流行ってんの???女性蔑視なの?ヘテロ的男性何とかなの??セックスマシンガンズなの???意味分かんないなんか「採用活動ちょっと見てくださいよ」とかうちの年増カボチャが言うからグループ増設する部署の部長としてちょっと合同説明会とか覗きに行ったらカボチャ・カボチャ・カボチャ見渡すかぎりのカボチャが幼稚園のお遊戯みたいな口調で「みなさんしってますか~~~?」とか「そうなんですよ~~~」とかなんだこりゃあああああああああああああああああああああああああああああああ死ね。
大体新卒採用のエントリーだの第一面接なんぞ齢22を数えんとする知的障害者を除去するだけの単調作業なんだからさっさとアウトソース出来る仕組みを作れよ。池沼除去作業の前に業界研究だの企業説明会だのやってるから自社で上記のようなゴミ部門にコストかけなきゃならんしゴミ部門だから定着率下がるし定着率下がるからゴミ部門にコストかけざるを得ないとか言って新卒池沼を採用担当にするからゴミ部門が池沼拡大再生産装置と化すんだよやる気あんのか。
あれだろ新卒採用の時期がなんか遅くなんだろ?就活サポート企業とやらは学生からカネとって1月までに面接代行して一次選別済ませとけやそんで優良な奴らに面接パス渡しとけ。パス貰った奴らはそこから企業説明でもなんでもやりゃあいいんだよそんで志望理由と専門分野だけカチッと来た企業があれば即実務レベルの人間と面接。個別企業にとっては超コストダウンだし学生にとっても間口広がってハッピー就活サポート企業もビジネスの裾の広がって万々歳。オナニー集団人事部採用は死滅しろ。
彼女に嫌われてから、もう何ヶ月も苦しくて毎晩のように布団の中へ泣き叫んでしまう。
彼女はぼくに対して惜しげなく好意を与えてくれた。一人の人に好かれるということを知った。ぼくも同じように好意を見せたつもりである。そのひとひらひとひらを思い起こしては切なくなる。
舞台は大学の工学系学科。その学科では、彼女とぼくは多分優秀と呼ばれる方に属している。ふとしたきっかけで仲良くなって、ごく当たり前のように惹かれ合った。そして遠ざけられてしまった。
どうしてそんな風になってしまったのか、色々なことを考える。
例えば、少し前まで所属していたサークルのことを思い出す。そのサークルは特に嫌という訳では無かったし、学祭まではそこそこ通って活動していたのだけど、学祭を過ぎるとパタリとやる気が無くなってしまった。結果的に新入生扱いされる期間中タダ飯食らいをしに行っていたことになるのだが、それが本質的な理由というわけではなくて(数万円くらい置きに行っても構わないのだがそれはそれで気味悪かろう)、そのサークルで消費する対象となるものによって成立するコミュニティ、そういうものに浸りきれなかったのだと思う。あるいは自分のコミュ力不足で単に人と馴染めなかったのかもしれない。確かにおごってもらえなくなるのがきっかけにあったのもかもしれない。今となっては良く分からないが、とにかく何かコミットしようとする気は消え失せてしまった。刹那の恋愛感情はそんな風にして失われるのかもしれない。
あるいは、ちょっと学問分野において優秀であることを格下の人に対して暗にアピールし、それによる承認感を糧としている人たち。そういう風に見える人は何となく警戒しているが、ともすると自分がそうなってしまっていて、彼女に悪い印象を与えているのではないだろうか、そんなことを考える。
はたまた、あそこでもっと自分の気持ちを率直に伝えていれば良かったとか、あんな言い方をしたせいで誤解を招いただろうかとか、延々と反省を繰り返す。彼女はやや特殊な面があるが、そのことによって迷いがあったのだろうか、仮に迷いがあったとしてその迷いをもっとはっきりした形で伝えれば良かっただろうか、むしろ彼女のそういった面を都合の良い存在としていたのではないだろうか、そんなことで延々とループする。
それとも単純に、こういう言い方をするのは決して良くないと思いつつ書くが、知的障害者のように妙に馴れ馴れしくてぼくが気持ち悪いだけなのかもしれない、という風に自分を蔑んでみたりもする。多分自分はアスペか何かであるとは思っている。
正しいものもあって、間違っているものもあって、でも全部引っくるめたところで、彼女の思いに届くことは無いのだろう。人に人の思いは分からない。少なくとも、ぼくにとって、人の気持ちはあまりに理解に遠い。彼女だって徐々に入っていたヒビを表すサインを出していたはずで、それに気づけなかったことに後悔し、だけどどうしようも無かったのだと思う。
しかしその自己分析と諦念だけならまだ良い。それだけに留まらず、ぼくは今後も彼女と仲良くすべきだと考える。色々な理由をこじつけて。
純粋に学問的な部分にしたってそうだ。まともな助言をぼくに示してくれるのは彼女くらいだ。あるいは、そうでない部分にしても、ぼくのことを正確に観察した上で的確な言葉を与えてくれる。それは間違いない。もちろん、彼女はぼく以外の誰にだってそうした力添えをすることができて、ぼくが独占する権利などどこにも無い。
こちらから彼女のことを見ると、明らかに本人が望んでいる以上に苦しいことを抱え込んでいるように見えて、少しでも力添えになりたいと思う。人間は協力し合うべきだと、声高に独善を主張したくなる。
ぼくがつまらない人間のように見えるのかもしれないが、そんな十把一絡げな学生と一緒ではなくて、自分はもっと自分自身を、あるいはこの世界を、深く考えているのだと、そんなありふれた自意識によって彼女の傍にいる権利を正当化しようとする。
こうしたこじつけは数あれど、そもそもぼくは基本的に人に関心が薄い。ではなぜ彼女に対して関心を抱くのか。結局のところ、たまたま好きになったからか。性的な欲求なのか。たまたま出会った人を愛するものだということは認めるし、それなりに性欲はある。「主たる要因」をまるで分析せずに、まともそうな理由をでっちあげて彼女と親しくあることが正しいと主張しようとする。
そう、ぼくは非論理的な態度を平気で取る。「それとこれとは違う」なんてことを考えず、自分の感情のために全てを一緒くたに主張する。そんな何もかもが混ぜこぜになった主張を一々論駁しないと気がすまない性質なのに、そんなことはお構いなしだ。いくらでも偽善ぶる。想いが先にあって、言葉なんていくらでもでっち上げられる。「恋人」という関係、近代的な恋愛感情といったものが一つの制度とするならば、自分は骨の髄から制度に侵されきっているのだろう。
別の恋をするべきなのかもしれない。そこでもまた同じように相手の気持ちを大切にできなくて同じようなことになるのもかしれない。あるいは精神科にでも行くべきなのかもしれない。もっと気楽に物事を考えるべきなのかもしれない。
これらは全てある程度正しい主張に感じられる。だけど自分にとってより正しい主張というものは、「せめて彼女と親しい友人として普通に接することができるようになりたい」というその一点であると、自信を持って言おう。
そもそも秋田や岐阜などの山奥や田園地帯が舞台であることが大半で何故か老人や地元の人全員が知ってるという設定。
にも関わらずそれがどの村の人を指してるか明確ではなく、〇〇県で実際に…という前提が多いために妙に信憑性が出てくる。
いわゆるコピペの類なのだが、何故か妙な信者が付いている事がこの手の話の特徴だ。
ついでながら、この手の精神障害モノは結局、暗に知的障害者を差別してるだけだと言える。
見た瞬間、最後は精神がおかしくなる系の締めで終わってる事からも明白だ。
差別してることは否定しないけど実害を天秤にかけてるっていうのはある。
同性愛者だったら自殺率が高いことを心配するし、性同一性障害ならホルモン薬代くらいなら出すが性転換手術は自腹で成人してからやればって話だけど、
知的障害者だったら超高収入の家庭以外の母親は人生捨てろって社会が言ってるじゃん。
こういうこと言ってるのがいつか「昔の人間はこういう野蛮な考えを持っていたんですよ」って言われるような社会になってほしいけどさ。
http://anond.hatelabo.jp/20130618231456
レズが蔑称かどうかなんてどうでもいいよ。それ以前のことが多すぎる。
増田はまず
・ガイジ(障碍児)だったらどうしよう
・変なやつに迷惑かけられたらどうしよう
・知恵おくれ(知的障害者)だったらどうしよう
ときて
・レズだったらどうしよう
と言ってる訳。
その時点で同性愛者に差別的な、欠点であるという意思を持ってるのは明白でしょ。
レズって言葉だけならただの認識不足かもしれないけど、文脈上明らかに差別してるのに「レズって言葉尻とらえて噛み付いてるバカ共」は無いわ。
文章でIQの低さや教養の無さやLGBTに関して「よくわかんないけどおかしい」程度の放射脳レベルの認識しか無いこともよーくわかるし。
知恵おくれとかあえて使ったのは、今時そういう使い方をする人=差別意識のある人、と思ったでしょう?
あと「同性愛者だったら生活や法律的に不利だったりと苦労が多い」のは事実だけど
「だから同性愛者にならないことを願っても悪くない」はおかしいでしょ。
それに「世の中では差別されるから」って自分を棚に上げてる人ほど、ただ単に自分が差別してるだけだからね。
あなたが許容しようとしまいと同性愛者はどの世の中でも確実に一定数います。
私は異性愛者だけど、こういう頭の悪い人、自分で何かを知ろうともしない人、人を見ず条件を見て差別する人が嫌いなので、こういう人が親だと軽蔑します。
臭かろうが、仕事が肉体労働者だろうが、掃除夫(婦)をしてようが、誰に対しても存在を許容(というか、干渉しない、できたら仲良くする)人のほうが、よっぽど尊敬に値する人だと思う。
それに増田の子供は大人になっても増田に似たような教養、IQだろうから、「パッと見カッコ悪い」「フツーじゃない」人を軽蔑すると思うけどね。
増田の文章はとにかく自分さえ良ければ良い、子供は全部の「フツーのハードル」をクリアするギャンブルで、「自分のフツーさ」を担保する物だって読める。
増田よりもっと最悪な親なんかいくらでもいるし親になる資格が無いほどではないと思うが私ならこの人の元には絶対に生まれたくない。それに頭の悪いのがうつりそうだからママ友()にもなりたくない。
こういう完璧な子供しか欲しくない人のために、もっと子供を簡単に捨てられて、捨てられた子供が全員大学まで行けられればいいのに。
親が殺さない限り子供は勝手に大きくなるし自我だって持ってる。
障碍児だったら嫌っていうのはわかる。それは私も障碍者を差別してるからだし、実際に世話がすごく大変そうだと聞くことがあるから。
親であれば子のために人生捨てなきゃいけないみたいな体のいい「親=聖者論」で責任を放棄する社会のほうがよほど間違ってると思うし、羊水検査などで危険はできるだけ回避したいと思う。
そもそも差別をしてない人なんていない。私の感覚として同性愛者は差別される対象でないってだけで、その価値観が増田と合わないだけだから。
それに「同性愛者を差別する人=出る杭を叩くタイプの人、凡人、他人を大したこと無い(自分に害もない)特徴で叩く人」だと思うから増田のような人を差別、判断しているだけ。
しかも「心に欠陥がある」って要するに「鬱病になったり精神の病(今ほとんどがただの脳の病気、脳内物質の分泌異常だと思われてるんだけどね。)になったら困る」
と書いてある訳で、それって要するに子供が仕事でがんばりすぎて、もしくは環境が悪く体を壊したりしても「ハズレ」だと思うってことだよね。対応はどうあれ。こんな親絶対嫌だわ。
生活に支障が出るほどの障害で無ければ子供が成人すれば増田が「ハズレ」だと思っても追い出せる、もしくは勝手に生きていくんだからあんまり気にすんなや。
むしろ子供に捨てられないようにずっと仲良くするためには、同性愛者だったとしても協力的だったり、体と心の性別が違ってもどうということはないとおおらかに接し、精神病になったら優しくして(自分が壊れそうになったら社会福祉にほっぽるのも別に悪いことじゃない)
やればいいかもね。
闇雲に不安がるより「子供の心を自分が折ってしまうのはこわいから、それをしないためにどうしたらいいか」を考えるべきだと思う。
モンスターなんちゃらに遭わないことよりも、もしそうなっても自分には何が出来るかを考えるとか。
反抗期なんかどんながんばってもどうせ来るし(来ないのは偶然か、成人後にもっと爆発するかもしれないし)、生まれたときから自分とは違う人間の自我の暴走なんてどうにもならないし。
あと明らかに「あんたも親になったら気持ちがわかる」と親の気持ちを一方的に押し付ける親に自分がなろうとしてることへの不安が微塵も無いことも気になったな。
前提として程度にも依るけど
身体障害者なら職場のスペースなどのハード面を考えてやれば問題なく仕事ができると思う
精神障害なら負担のない働き方などのソフト面を考えてやれば何とかなると思う
発達障害も仕事の順序ややり方などのソフト面で対応できるだろう
もちろん環境は発展途上だからまだまだ問題も多いけど少しずつ前進してきていると思う
ただ、知的障害はどうやって社会に貢献させてやるかというところで未だに行き詰まっている
授産施設などで働かせるという方法が昔から行われているけれどビジネスにはなっていない
「知的障害者も人間なのだから社会に参加する権利がある」、というところでみんな止まってしまっている