はてなキーワード: 数字とは
エレキギターが単に弦の音を拾って大きくするんじゃなく、ギターを電気信号の入力端子として使うのって尋常じゃない発想だと思う。
アコギと弾いてる姿も最終的な目的(演奏というデカい括りでは)も同じなんだけど、その意味が根本的に違う。
タイプライターとか電卓がパソコンに進化したのは何となく分かる気がする。なんというか扱うのが数字や文字だし、文章書くのとかただ計算するのだけじゃもったいなくね?色んな命令を出来るんじゃね?みたいな事は普通の人でも頑張れば思いつけそう。地道な進歩の中の寄り道でゲームとかインターネットとかに目的が拡大したのも何となく理解出来る。
でもギターはいくら形を変えても、演奏のための楽器という機能は変わらない。
ずっと演奏という同じ方向を向いていながら、弦の発するものを音ではなく電気の発生源として捉えて、コイルを置いて発電してそれをごちゃごちゃいじくってアンプに出力すればいいんじゃね?って発想が出てくるのは天啓でも受けたんじゃないかって思う。
[B! SNS] X「返信・リポスト・いいね」の数を非表示に マスクが宣言 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
これ。
結論から言うとタイトルはミスリードなのだが、現在の注目コメトップを始めブコメの半分ぐらいは「数字が一切確認できなくなる」と誤読しているようだ。
たかだか2ページの記事もまともに読めない皆さんのために強調して引用しよう。
なんと1ページ目から3回も書いてある!
さらに2ページ目にはハッキリと
仕様変更後には、タイムラインに出てきた投稿の背景情報や返信・リポスト・いいねのデータを確認するためには、その投稿をクリックしなければならなくなる。
とも書いてある。
タイムラインから見えなくなるだけであって投稿についての数字が一切確認できなくなるだとかそういう話ではない。
ちゃんと理解できているブクマカからは好意的な反応もあるし、記事も「パッと見でわかりにくくなること」を批判しているだけだ。
今回のように、イーロンマスクがTwitterを買収して以来はてブでは仕様変更にまつわる記事が度々ホッテントリトップに上がっている。
しかし内容はただの憶測やデマ混じりのゴシップ記事だったり後に否定されたものも少なくない。
メディアからすればイーロンマスクを叩きたい人をうまく利用することが格好のアクセス稼ぎのネタになっており、フォーブスのこのタイトルも明らかにミスリードを狙ったものだろう。
はてブのガイドラインには「元記事を読んでからブコメをして下さい」と書いてある。
私はいつこれを犯すかについて這います。そして、私は生きることができません。
(2) 2つの(ちょっとこの問題の前のログイン・コミュニケーション(法律第5条第3節)の適切さ関連の「侵害関連のコミュニケーション」)[被告の主張]写真を出してください、それは私がこの物質の使用にもの(被告がこの物質貢献の送り主によって自分によって自身の上体の写真を撮った被告)の写真を撮ることに同意した10のものに関してでなくてそこで認められます。
カメラの方へ鋸で切る自身の数字この問題を掛けている被告が正しい頬からあごの近くで写真を撮る間、そして、被告の右の手のひらを露出させることは、斜めに前の権利からわずかにカメラを右方向に傾けます;
それをとって、そして、それと発明の考えが構成のような選択においてされる試みをしました、そして、カメラマンの個性が現れると言われるかもしれません。
したがって、この物質写真が思案を表したものまたは創造15のためのカメラマンである被告の感情としての本であると言われるかもしれません、そして、被告にはこの物質写真の作成者として著作権があると認められます。
そのうえ、市民がこの物質写真の画像データを送ったので、私が被告の著作権(公衆送信の権利)を侵害すると認められます、そして、この物質貢献は著作権者である被告の同意をしません、そして、他の正当化理由の存在は示されません。
したがって、20は、この物質貢献によって冒涜されていた被告の右に明らかです。
2つの問題2(ログイン・コミュニケーション(法律第5条第3節)の「侵害関連のコミュニケーション」によるこの問題がこの物質貢献に関して建物事実(3)を適切さ関連させる直前に(thの時点のコミュニケーションに関しての午後10時03分の条例金額8月31日、4
↓のは自民党だから割り引いて考えるにしても、犯罪率は増加している気がする。
(引用)---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
http://kc-jimin.gr.jp/wp-content/uploads/2023/06/b1c5eccde5ce476b70e17dc3f6ce01b0.pdf
ここで、もう1つの統計をご紹介します。警察庁が出している「犯罪統計」の中に、「来日外国人による刑法犯・特別法犯 検挙件数・検挙人員 対前年比較」という資料があります。こちらの資料を見ますと、来日外国人の埼玉県内における令和3年の刑法犯・検挙人数は457人、令和4年の刑法犯・検挙人数は426人とのこと。川口市内における外国人の検挙数が令和3年は156人、令和4年は136人とのことですので、単純計算すると、埼玉県内での来日外国人・検挙数のおおよそ3分の1が、川口市ということになります。この数字を見ても、川口市内における外国人犯罪の多さを感じざるを得ません。
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なお、ビザは切れたが、難民申請を繰り返すことで日本に非正規在留を続けるものを「送還忌避者」という。
送還忌避者の国籍で一番多いのは、トルコで、次にイラン、スリランカと続く(R2年時のデータ)
送還忌避者の有罪率は、約三分の一で非常に高く、治安悪化要因にならないと断言するのはやや無理がある。
(引用)--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
https://www.moj.go.jp/isa/content/001361884.pdf
>> ○令和2年12月末時点(速報値)の送還忌避者3,103人のうち,994人が有罪判決を受けている。○罪種別内訳は,主なものとして①薬物関係法令違反:630件,②入管法違反:418件,③窃盗・詐欺:293件,④交通関係法令違反:249件,⑤傷害・暴行・恐喝等:141件,⑥住居等侵入:89件,⑦強盗・強盗致傷:58件,⑧性犯罪(強制性交等):34件,⑨殺人7件(既遂5件,未遂2件)※同一人が複数の罪名に当たる犯罪をした場合にはそれぞれ計上※罪種別の分類には未遂を含む。○また,前科・刑期別の内訳は,①懲役7年以上:88人,②懲役5年以上~7年未満:87人,③懲役3年以上~5年未満(実刑):137人,④懲役1年超~3年未満(実刑):180人,⑤懲役1年以下(実刑):42人,⑥執行猶予判決:404人,⑦罰金:56人(注)懲役1年超(実刑):①~④計492人懲役3年以上(実刑):①~③計312人<<
論文になってる研究にケチをつける癖に、統計の罠で偏見を助長するのはありなのか。
これが反知性主義ですよ。
反社会的な行動を誘発する心理学の実験では、男女間の行動に差はなかったんだよなぁ。
男の方が自殺しまくってるのと同じ、男の方が社会的に追い詰められやすいから、犯罪率も高くなるってだけ。
そういう表の数字だけ見て判断するなら、「男の方が自殺しやすく、メンタルが弱いから、福祉による保護も手厚くしないといけない」ってことになるんだけど。
反社会的な行動を誘発する心理学の実験では、男女間の行動に差はなかったんだよなぁ。
男の方が自殺しまくってるのと同じ、男の方が社会的に追い詰められやすいから、犯罪率も高くなるってだけ。
そういう表の数字だけ見て判断するなら、「男の方が自殺しやすく、メンタルが弱いから、福祉による保護も手厚くしないといけない」ってことになるんだけど。
まあ物心ついたころには数字の羅列で10桁ずつ覚えてたから自分自身はつかってなかったのと
昭和生まれの父親から教わったうろ覚えの語呂で「に」いれてた気がしてすまんね
2.236067977と覚えてたけどまだあってるかな
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
周囲を威嚇しまくってるガタイ良い兄ちゃんとか、ベロベロの酔っぱらい老人とか
クルド人は2000人程度というのはたぶんそのとおりだと思う
とはいえ、たまに外国人を見たと思ったら、電車内で電話してたりするので、目立つ存在ではある
犯罪率が低下しているのはその通りなのかもしれない
でも、路上タバコとか路上集会とかの迷惑行為は、厳密には法令(条例?)違反なんだろうけど
警察呼んでも注意されておしまいなので、犯罪率には寄与していない
こういうのが「体感治安」なのかもしれないが、まあ数字ならない話なのでなんとでも言えるよね