はてなキーワード: 一言とは
「ネカマおつ」「ネナベおつ」みたいに一言トラバやブコメを付けて元増田を腐す行動は理解できるけど、「絶対!女!根拠は私の認知プロファイリング!」から始まって女前提で長々と女はクソだと長文を書き続ける気持ちは分からないのよな。
クレカの支払いを2ヶ月滞納してて、まあこれは自分がマジで全部悪いんだけど、木曜に一括で払った
延滞金含めて21万円ぐらい
督促状が届いてたから、そこに書いてあった指定の口座に振り込む形で払った
午前中だけで3回
(用件が用件だから向こうはかなり強気の態度だった、そりゃそう)
あ、連絡しなきゃ駄目だったんだ〜すみませんって一瞬納得しかけたけど、そんなこと督促状には一切書いてなかったじゃん!
えっ事前連絡とか要るんすか?って聞いたら、
普通は連絡します。皆さんはされてますね。〇〇さんはしてないです。
って早口で言われてさ
はあ?って思った
まあでも全額払ったし別にええやろ!って思って適当に話切り上げて電話切ったらその日の夜にも電話かかってきて、受けられなかったけど
かけ直したほうがよかったのかな
なんの権限も持たない一消費者としての戯言なんで、世のクリエイターや業界関係者の人は「無責任なアホだなあ」と思ってくれていいよ。
俺は漫画版のチート付与魔術が大好きだが、コイツが原作改変なのは間違いない。
原作改変がこの世になかったら俺はこの漫画を読めなかったので、原作改変を俺は支持することにした。
漫画版チート付与魔術師はナーロッパが舞台なのにドラゴンがUZIを隠し持ち、半グレを倒すために黒塗りの乗用車が押し寄せる脅威の原作改変漫画だ。
中世風の世界だったはずなのにパチンコが存在し、文明の利器を使うと魔力がなくなるから使ってないだけで電気は街中に通っていることが明かされる。
現代と中世が交差する異様な空間として漫画版チー付与はインターネットで大人気だが、これは紛れもない原作改変の産物だ。
この様子に原作者はどういう心情なんだろうか?
文筆家である本人でさえその内情を正確に吐露することが不可能なほどに混沌とした言語化不可能な心理状態と察せられる。
本人の知覚さえ不可能な無意識下でどれほどの愛憎が渦巻いているかなぞ無産階級の匹夫には想像する資格さえあるまい。
20年前とあるラノベのアニメ版で発せられ、今も語り継がれるセリフに「メディアの違いを理解せよ!」というものがある。
貴重なスタートダッシュの第一話であろうことかこの言葉を皮切りとして映像化に向けた会議が生徒会室で繰り広げられていたのを覚えている(その1話しか見てないので、他に覚えているのは聞き流してゲームのWIKIを更新しているキャラが居たことぐらいだが……あと主人公の髪がピンク……いや白……黒?あれ?髪の色も思い出せない。PSPをやっていたことは覚えている。DSだったかな……あれ……当時まだDSはない……アレ?セリフ以外に覚えてるものある?)
そもそもあってたまるだろうか?ラノベで初っ端アニメ化の台本を書いてくる作品なんて。
これは絶対だ。
キャラクターが一言目を発した瞬間からそれぞれの読者がイメージしていた声との差異について誰かがSNSで語りだす。
部屋の作り、主人公の佇まい、あらゆる所作と小道具が原作と比較される。
似せることは出来るし、再現しようとすることは出来るが同じものにはならない。
良くも悪くも。
原作改変の善悪を決める権利が原作者にあるというなら、権利者としての力を存分に振るってくれて構わない。
だが消費者からすれば、個人的な好き嫌いや楽しめたかどうかだけが、原作改変の良し悪しになる。
面白くなるならいくらでも原作改変して欲しいし、メディアの違いを理解せずに必死に原作を維持しようとして駄作が産まれたなら単に見ないだけだ。
好きにして欲しい。
小学生:
(これ以外思い出せん)
中学生:
悲しい予感(吉本ばなな) 模試か何かの試験問題になっていて、何故だか刺さった。小説っていいなと初めて思った。
高校生:
大学生:
グラスホッパー(伊坂幸太郎) 講義室の忘れ物を勝手に読んだ。面白かった。
室井佑月の何か
田口ランディの何か
森博嗣のS&Mシリーズ、四季シリーズ、Gシリーズの一部
人間失格 (太宰治) 見栄を張って、全集借りてきてここだけ読んだ
龍は眠る、レベル7 (宮部みゆき) 嫌いな小説がある、というのを宮部みゆきで初めて経験した。
慟哭(作者思い出せん)
思い出トランプ(同上)
社会人:
伊坂幸太郎の色々(ゴールデンスランバー、モダンタイムス、チルドレン、サブマリン、マイクロスパイアンサンブル、アイネクライネナハトムジーク、砂漠、ラッシュライフ、オーデュボンの祈り)
吉田修一の色々(太陽は眠らない、森は生きている、怒り、悪人、横道世之介、静かな爆弾)
原田マハの色々(楽園のカンヴァス、暗幕のゲルニカ、たゆたえども沈まず、キネマの神様、本日はお日柄もよく)
赤い竪琴 その他色々 (津原ヤスミ) 図書館で赤い装丁の本が気になって手に取ったのがきっかけ
グレッグイーガンの何か ここで薦められた奴
命も要らず、名も要らず(作者思い出せん)
博士の愛した数式(同上)
花戦(同上)
老人と海、武器よさらば(ヘミングウェイ) 上司がなんか言ってたから読んだ奴
サリンジャーの何か(バナナフィッシュ云々が収録されてるヤツ) 漫画のバナナフィッシュを昔読んだのをふと思い出して読んでみた
もっと読んでるはずだけど、なかなか思い出せんな。
漫画とゲームとエロ動画にはもっと時間割いているけど、結構読書家じゃろ?
会社の飲み会でそんな話になったものの、皆「えーなんだろなーわかんねーなハハハ」と日和っていたので生を飲み干して「エロ動画のブクマ」と堂々と告白したら「お、おう、おおおそうだよそうだよ」「俺もエロ動画のブクマ!」「俺も俺も!」と一揆を起こす前の決起集会みたいな雰囲気になった。
脚本家の立場からしたら、ドラマ制作中は怒り心頭だったと思うんだよね。
脚本家として仕事の依頼を受けて、それなりの作品に仕上げてあげたのに、
原作者が我儘ばかり言ってきて、最後の最後には自分で書くと言い出した挙句、
最終2話は不出来な状態で終わった。
それを脚本家のせいにされたら、一言くらいSNSで文句も言いたくなるもんでしょ。
脚本家側としては、
プロデューサーもテレビ局も小学館も、あのキチガイをどうにか抑えられなかったの?って思ってたはず。
原作者は困り苦しんでいて、プロデューサーとテレビ局と小学館がグルになって、脚本家と原作者を騙していたことがバレた。
あれ?
悪いのは私ってことになっちゃうの?
そりゃ頭が真っ白になるのも無理もないわ。
はてなのサービスでも、一般ユーザーがはてなアイデアで言っても何の反応もないのに
有名人が一言言っただけですぐ反応する、ってことがかつてあったね
>要望窓口サービス「はてなアイデア」は2013年7月31日(水)をもちまして終了いたしました。8年にわたる試験運用にご協力いただき、ありがとうございました。
よく可愛い女の子の友達は可愛い子しかいないだとか聞くけれど、確かにその通りだと思う。
これは所謂友達だから可愛いと言っているのではなくて、他人から見ても可愛いと思われるような友達ばかりである。
最近その中の一人の友達と水商売を始めたが、まず時給が違う。(しかも1000円も)
スカウトには、入った時期が違うから〜などと説明されたけど、本当は私がブサイクだからだと思うとスカウトに気を使わせて申し訳なさやらなんやらで泣きそうになった。
私はスペ120で身長もそこそこあるため、スタイルは褒められる方ではある。(お世辞かもだけど)
けど顔はまぁ褒められないし、客含む男性と話していても如実にわかるくらいに友達の方にしか興味が無さそうでいつもいたたまれなくなる。
こういう積み重ねがあって、もう20超えてるのに未だに恋愛も未経験だ。
私みたいなブサイクに好かれる人間が可哀想と思うと人を好きになれず、いつまでもアイドルオタクをしている。アイドルはお金を払って好きでいれる権利が買えるから有難い。
こんなブサイクにお金払わせてすみません・・・と思いながら水商売してるけど、絶対向いてないなーと思ってる。
可愛い友達を厳選したわけじゃないけど、たまたま私の周りには可愛い友達が集まってしまって、自己肯定感が下がる毎日で辛い。
可愛いってなんだろう、朝起きてブスで憂鬱になって、化粧してもブスで憂鬱になって、ブスだから整形しないとなのに、どこを直せば可愛くなれるのかもわからない。
可愛い友達に整形しなよ!とか言われて、その通りすぎて、憂鬱になって、その日一日笑えなくなって、本当に元から可愛いってずるいよなー。
自己肯定感が低いから卑屈になってるから、友達の軽い一言が受け入れられずに傷ついちゃうのも辛い。
どうか皆様、2人組で仮に可愛い子にしか興味がなくても、可愛い子の隣のブサイクにも話しかけてあげてくださいね。
私みたいな卑屈なブサイクがこれ以上生まれないためにも、よろしくお願いします。
あー!起きたら橋本環奈の顔になってればなー!!
日本人いない環境に留学して24時間言語勉強してたけど、3ヶ月目でようやく映画の中の一言が聞き取れたよ。
知能の差は置いとくけど、生後半年の子が大人のようにペラペラ喋れないのと同じで、半年でそんなにできるようにならないのが普通だから「半年続けた自分マジですごい」を支えにがんばってほしい。応援してる。
私には時間が無いと思い込んでいるだけかも知れないそれなんて不思議の国のアリス?って何か不可解な不思議なことが起こったらアリス!って叫んでおけば
あなたはイナズマのように~ってもうそれは青いイナズマの林田健司さんのSMAPさんが歌っていない方の人が歌っているバージョンの、
そんな私は本も読みたいシーズンの季節が到来中なの!
そんでさー
電子書籍は便利でいろんな本を何冊でも入れても1冊データ1グラム増えるぐらいでそんなに100冊入っていても100グラム増えるだけじゃない?
でも電子書籍出てない本だと、
リアルでフィジカルな本を持ち歩いて街中を歩かなくちゃいけないの。
なんか利口なお嬢さんっぽく見えて可愛くない?って違う違うそうじゃないの!ってマーチンも言いそうなぐらい、
私は本を抱えてお昼休みのランチの時間に日替わり定食冒険家としての活動もしつつ平らげたら本を読むの。
そうよ!
枕元で寝ている時に読める!って思いきや
それも寝る前の悪習慣で良くない理由の一つになっているの。
そして私はゲームに録画したテレビにラジオに本に恋に大忙しの中、
そうよ!
野球選手みたいに寝るのも仕事なの!って言いたいぐらい大谷翔平選手!
あー!
私忘れていたわ。
また確定申告の季節到来!
結局よく複雑極まりない税制度の改革なのかそれなんてインボイス制度って思うほどにそのこともよく分かっていない山脈に向かってヤッホー!って叫びたいところ。
マジで。
これはちゃんと真面目に取り組まないと日中のパフォーマンスが影響をおよぼす可能性がある真面目さなので、
夜更かし気味が多かった今日この頃、
ちゃんと取り組まなくてはならない第一優先第一安全三大第一のあとひとつは?って思い出せないぐらい大事なことをついつい忘れがちなのよね。
昨日はなので早く早々に寝付けて、
メールチェックとかしていたらついつい他のアプリも開いちゃいまくりまくりすてぃーその悪習慣を断ち切って舘ひろし!タッチしないタブレットを克服したわ。
でも起きたとき頭が痛いの何でだろう何でだろう?ってテツアンドトモの節で歌いたいほどそんな寝起きよ。
1回言いスコアを叩き出すと、
ついつい続けたくなっちゃうんだけど、
睡眠測定デバイスも私はなんとなく睡眠得点より睡眠時間の質のグラフを見る方が納得がいくタチなので、
あれ?良く寝たのに60点!とか
オリンピック競技でもすごい睡眠スコアをだして入賞したい勢いの、
でもリアルに考えて睡眠をオリンピック競技にしたら面白くない?
だれしもプロのアスリート眠リーナになれるじゃん!って今思ったわ。
睡眠時間を質が良くなって総合的に日常のパフォーマンスが上がって
審判も大変じゃない?
ラグビー方式にしてみんな性善説で選手はプレイするってスタイルで審判なしでも
ある意味成立しうるのかもしれないわ。
たまに私の計っている睡眠デバイスでよい記録を叩き出したときは思わずヒーローインタビューを1人で行いたいけれど
良く寝た!って気持ちいいだけで、
競技を真っ当した良いプレイですね!って実感はないと思うのよ。
だからヒーローインタビューされても
はて?よく寝れて良かったです!って
お相撲さんの力士に立ち会いが終わった後直後にまだ息も整ってないままインタビューするあれハアハア言ってるのが臨場感あると思っているかも知れないけれど、
全然力士はしゃべれてなくて頑張るだけです!って言いがちじゃない。
そのぐらいのレヴェルで
ヒーローインタビューはなんて答えたら良いのかしら?って思うわ。
あとさー
チーム全体のスコアを総合得点としてチームで取り組めば皆よく寝れると思うわ。
基本的な競技時間のルール作りに整いを作らないとゲームとして成立しないかも知れないわ!
例えば日の入りから日の出までを競技時間の一応のルールとしてそこで競うって
観客も大変じゃない?
常に無観客試合なのかしら?
そうなるってーと
なかなか睡眠を競技化してオリンピックに出場するのは難しいのかしら?
まあとにかく
昨日の睡眠スコアのグラフはなかなか良かった実感がある私の競技睡眠の個人戦は勝てると思うので、
うふふ。
信じ合える喜びの方!
思いのほかボリュームがある食べ応えがあると思ったけど、
もうちょっとベーコンレタストマトサンドには食べ応えを求めている私が信じ合える喜びを得られなかった感は否めないわ。
でも美味しかったのには信じて良かったと思うの。
朝飲んでも夜飲んでも嬉しいホッツウォーラーの1つとして、
最近全然果物を買っていないことをつい思い出しちゃってしまう。
熱々なのもたまにはいいわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
共有したい話題はあり、日常で面白いことに出会い感動したりもする。
ネタツイのような笑わせる文章を思いつき、ニヤつきながらメモしたりもする。
勿体ない気がするのだ。
他人に見せるほど価値あるアイデアならば、どうせなら自分の評価に繋がる場所で披露したくはないか?
もしそのアイデアが評価されたとして、自分が何一つ褒めてもらえないならメモ用紙を破って捨てるのと変わらないではないか。SNSでは「これ面白いなー誰が書いたんだろう」とはなっても「その誰かはどんな人物なのかな?」とはならない。アカウントという私の代弁者はいても私ではない。
だからそのアカウントが評価されても私は何一つとして満たされないままなのだ。
一言で言ってしまえば"顔を出したい"。顔を出したうえで評価されたい。
私のX(旧Twitter)アカウントのフォロワーは200人。殆どは業者、フォロバ垢。
何もツイートしてないのでこの少なさは当然だ。
しかし、こんなアカウントでさえ自撮りを載せたいのに載せられない悔しさで悶々としている。
顔を出したら無限の引き出しを開けられるからである。絶対に面白いって言わせられるのに。
そうまさに、この“顔出し“という行為こそが「自分が評価されたい」気持ちの発露である気がしている。
絵師や実況者やら歌い手やら才能を評価された人間が、評価された後で顔を出す理由もこれで説明できる。
皆が憧れ敬意を抱く存在が「それ自分っす(照)」と公表するのが顔出しなのだ。
あわよくば顔も褒めてもらえたら嬉しいしな。
よーーーーく分かるよ気持ちは。
最近はネタツイッタラーも自撮りを載せるしな、みんな承認欲求に飢えているんだろう。
さて、こんなことを書いてはいるが本当は顔を出さずとも自己表現がしたいのだ。
処女作が名作になる人物はいない。だからいつか咲ける場所で咲くためにも、匿名で誰にも認識されない空間でも七転八起の精神で自分を磨くべきなのだ。アウトプットは大事なので、それは絶対に正しい。
けれどもイケア効果のように自分から生み出された発想、才能の断片が余りに美しく素晴らしすぎて、
それが、誰かに真似されて自分のものではなくなってしまうのを酷く恐れている。公共のものになることを酷く恐れている。今もスマホのメモ帳にルーズリーフに、無数のネタツイと小説のアイデアが窮屈そうに眠っている。
今すぐ、こいつらを解放してやりたいけどできない、何度も書いたように自分が評価されないので。
自己表現はむつかしい。自縄自縛なので頑張れば払拭できるくらいの難しさだが、むつかしい。
この文章を登録するときも指を押さえつけ歯を食いしばりながら悶々として5分、なんとか公開できた。
何かブログに書くべきだったか、そんなもの持ってないが、匿名で消費するには惜しすぎるな。
そんな価値がないなんてのは薄々知っていて、誰にも読まれなかった時に確信するのだが、
久しぶりに明晰夢見れた
気持ちよかった
この感覚は忘れないと思ってたけど起きてからあっという間に消えてしまった
おねえさんはずっとにこにこしてて一言もしゃべらなかった
ただ調子のってるとやばい雰囲気なってくるからまたリセットしてもっかいやろうと思って最初の地点まで戻ったんだけど二回目やる前に目が覚めてしまった
クラスで完全に陰キャゴミ空気だった俺だが楽器が出来たので1軍男からは密かに一目置かれていた
1軍男が1軍女に一言、実はあいつ結構凄いからって言った瞬間、