はてなキーワード: フェイスブックとは
トモダチコレクションとかにハマってた人は割と楽しめると思う。
例にも漏れず私もトモコレハマってた人なので登録したところなかなか楽しい。
なので、友達を増やそうとミートモやっている友達にQRコードを書き出す機能があったので、書き出してLINEで送付。
どうやらこれはMii作るのが苦手な友達のためにMiiを作ってあげて、それを送るためのものらしい。
アホか!!Miiなんて自分で作るから愛着が湧いて楽しいんじゃないか!!!
これは自分と相手がどちらもフェイスブック連携していて、かつ友達登録されていないとダメな模様。
うーん、フェイスブックあまり使っていないし、何よりフェイスブックはそんなに親しくない人も登録されてるのでミートモになりたくない人もいる。却下。
ツイッターは割と活用している方だが、フェイスブックと同じく相互フォロワーかつ相手もミートモと連携している必要がある。
メインアカウントはリア友や趣味友いろいろ混ざっているから、あまり同じに使いたくない。
リア友とならこれが一番なんだろうけども、社会人ともなると友達に会うのは一ヶ月に2回くらいだ。
今、繋がりたいのに!という欲求はみたされない。
結局自分や私の友人はツイッターの捨て垢作ってミートモ専用のアカウントにして、連携することにした。
しかしこれも、
ツイッターでアカウント作る→友人同士で捨て垢フォローしあう→ミートモ連携→フレンド申請
と割と手間がかかる。
リアルとネットの人付き合いをきりわけずに考える人はフェイスブック連携してそれで終わりなのかもしれない。
けど、わりと一緒にはしたくないというユーザーは多いと思う。
ネットサービスごとに人付き合いを切り分けてる人も多いだろう。
そもそもそういうキモヲタはこのゲームの想定ユーザーではないのかもしれないが、新規友達登録のハードルが高い。
ID教えてフレンド申請、ができれば楽なのだけどその機能がない。
出会い系に使われるかもしれないから、ということなのだろうけどMiiの会話はサーバー通してするものなので、通信内容に規制かけられるはず。
むしろ今の状態だとツイッター捨て垢で友達募集掲示版などに書き込み、ミートモで仲良くなり、実際の会うところの交渉は通信に制限かからないツイッターのDMでやる、という人が多く出るのではなかろうか。
何言ってんだ…。
出会える人間は社会人サークル、mixi、フェイスブック、ツイッター何でも出会えるんだ。
インスタに限ったことでは無い。
「すしに異物」とフェイスブックに投稿 25歳無職男を名誉毀損で逮捕 - 産経WEST(2016.3.14 21:27)
高松南署は14日、名誉毀損の疑いで、高松市円座町、無職の男(25)を逮捕した。
逮捕容疑は1月21日深夜、高松市の「無添くら寿司高松上天神店」で食べたすしの中に異物が混入していたとの書き込みをフェイスブックに写真付きで載せ、不特定多数が閲覧可能な状態にした疑い。
高松南署によると、男から「すしを食べて口の中が切れた」との連絡を受けた家族が投稿した。投稿の掲載には、フェイスブック上の自分のページに引用して表示する機能を使ったとみられるが「記憶がない」と容疑を否認している。
男は当時、同署にも通報し、署員が確認したのは直径約1センチ、厚さ約2ミリのプラスチック製の円形。男は医療機関で診察を受けたが口内に切り傷はなく、店側の調査でも破損した備品はなかった。同署は異物が混入されたものかどうかも慎重に調べる。
同店を運営する「くらコーポレーション」(堺市)は1月、経緯をホームページで公開し、3月に同署に相談していた。
お守りの紙袋廃棄、ホテルを恐喝容疑 千葉 - 産経ニュース(2015.2.5 07:08)
浦安市内のホテルに因縁をつけてカネを取ったとして、浦安署は4日、恐喝容疑で高松市円座町、自称自営業、納田裕也容疑者(24)ら男女3人を逮捕・送検したと発表した。同署によると、納田容疑者は容疑を認めているという。
逮捕容疑は、昨年12月31日から今年1月2日まで宿泊した浦安市内のホテルで、客室清掃員の女性が誤ってお守りが入った紙袋を廃棄したとして「神社で おはらいまでしてもらったのに、どう補償するんだ」などと責任者の40代の男性従業員2人に因縁をつけて現金24万4500円を恐喝した上、タクシー代な ど約3万7500円を不法に請求したとしている。
保育園デモ参加者の抱っこ紐がブランド品だって叩いて炎上した奴がいたらしいな
俺はイオンに行くためにバカ丁寧に髪をセットするようなそれなりの田舎で育って、
1人っ子だからうちの親はこの先孫を抱くことはないんだろう
元旦になると性懲りもなく昔の友達から家族写真入りの年賀状が届く
祝日が呪日になりそうな勢いだ
豪華客船クルーズの客が船酔いしたってクレームつけてるようなもんだ
参加者やその一味は年賀状やらフェイスブックやらを利用した、幸せのおすそ分けと言う名の無差別テロの前科持ちだ
でも響かない
全然響かない
俺はもう今がすでに死んでるようなもんなんだ
こんなことを書くと、家庭を持った奴らは憐れみと侮蔑の目で俺を見るんだろうな
俺みたいな奴は普段目に入らないかもしれないが
お前らの子供が育ってく社会でかなりのボリュームを占めてるんだ
そんで、お前らの子供のうち何割かは俺みたい大人になるんだ
最近アニメ業界の巨匠達が揃って青というか青空のイメージを使っている気がする
風たちぬも空の青がイメージカラーだし
バケモノの子のポスターも青空に入道雲でタイトルの色にも青を使っている
実写だが押井守のパトレイバー首都決戦では青空をバックにゲートブリッジの上に立つイングラムが印象的だし
Gのレコンギスタも青空を背景にしてラインダンスを踊っているEDだし、Gセルフは歴代の主役機に比べ青い部分が強調されたデザインだ
ついでにガルパンなんかも青空の下のイメージが強いし艦これは青い海のイメージだし
ラブライブは青い制服……というのはムリがあるがサンシャインではやはり青い空と青い海がメインビジュアルである
売れたきゃ青を使えと言っても良さそうな勢いである
思えばツイッターも青、フェイスブックも青、そしてこのはてな匿名ダイアリーも青である
そんなに人々は青を求めているのだろうか?
それはよっぽどちゃんとした文章じゃないと
「狂った奴の1を10に膨らませた妄想」って言い逃れられてしまうから
贅沢を言えば読み進めたくなるぐらい興味を惹けるのがベストだけど。
理想的な流れとしては
あなたのそのいじめの体験をまず全部イニシャルや仮名で書いて、
それで人の耳目と言うかアクセスをたくさん稼げるような作品にして、
と勝手に2chやまとめサイトから見物人が来て調べたくなるぐらいの状況にしておいてから、
満を辞して登場人物それぞれを「こいつこいつこいつです」と実在フェイスブックアカウントに紐付ける、
こういう流れならネットにずっと残るよね。
頑張ってね。
自慢野郎にやたら厳しい。めためた厳しい。
冷ややかな目線というのは分かる。分かる。つまらないし、自分が下げられた感じが出るから。
こいつ子供だなーという冷ややかな目線は悪くない。その通りだ。
だが
しかし社会の敵扱いする感があるよね。調子に乗っていた堀江貴文に対する憎悪のような。
あいつぶっ殺さないと気がすまない恐ろしさのような何か.......
存在自体許せない。外敵を見つけた蟻や蜂状態。臨戦態勢になるよ。
モロ直球な自慢野郎を許容出来る余裕が無いよ。
だからそういうのを皆過敏に反応しているから、自分アピールが物凄く宮廷作法的な雅さだよ。
この前のオリエンタルラジオのパーフェクトヒューマンのあっちゃんとしんごの自己PR方法は流石だと思った。
優れたダンスが出来たと自慢する代わりに、「スタッフの皆のお陰で素晴らしいダンスが出来ました」とPRと来たもんだ。
流石高学歴の人たちは自慢の方法も、素晴らしいとおもったものだ。
フェイスブックを見れば俺は私はリア充です。ツイッターを見れば自分はとても素晴らしい人生を送っているかを
謙りながらアピールに専念している。その点を突っ込んでも、自慢をしている気はないという。
でもUPする写真の内容や行動そのものが自慢だよね。発言は謙りながら、写真の内容はリア充で謙っていない。
自慢感を消すために、言葉では自己否定に走る。自分はこんなに馬鹿なんっすよーって言ったりね。
本音をいう人が少ない。
この辺りの宮廷的な振る舞いがとても、滑稽だし結局のところ自慢したいだろーって見え透いていて
それは許容されているのか、気が付かれていないのか、攻撃されることはまずない。
もっと素直に自慢すればいいし、それを許容すればいいのにと思う。
日本人ここがへんだよ。でした。
元増田は、大学院に来たら学部時代には見かけなかった人が多かったこと、
しかも、それが理科大出身者が多かったので驚愕したのだろう、よくわかる。
本題。
少なくとも「出身大学は知られたくない。」と言う心理を表してるのが、SNSのプロフィール。
フェイスブックにしろ、ツイッターにしろ、プロフィールが大学院修了から始まってるケースは学歴ロンダリングの確率が高い。
そもそもSNSにプロフィールに出すような自己顕示欲ある人が、大学院から書き始めるなんて不自然極まりない。
日本古来の伝統書類の履歴書なんて、高校から書くことが大半なのだ。
新卒入社した会社からの経歴だけならまだしも、出身大学院だけだと香ばしさが増す。
最近多く見かけるのは社歴ロンダリングで、マッキンゼーがその代表だ。
Up or outの会社で、1年持たずに出て行くことすら珍しくないこの会社に1度入ってしまえば、たとえ1年持たずにやめてもマッキンゼーの名前で本を書いたり、講演したりして生計が立てられる。
当然、プロフィールにも、他の経歴は曖昧でも「マッキンゼー アンド カンパニーを経て」としっかり書き足されている。
例えば、マッキンゼー流 入社1年目シリーズを出してる下の著者は、
1年も在籍していないので入社1年目以降のノウハウはなく、入社1年目シリーズしか刊行されていない。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00M939Y0S/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ちなみになんちゃってマッキンゼー出身かどうかを見分けるのは、マッキンゼーでの経歴が詳細に書かれているかどうかは言うまでもない。
概して、マッキンゼー流が全面に出てくる際は注意が必要だ。(当然、例外もある。)
このエントリーでも学歴と使ったが、日本は学歴社会ではなくて学校名社会が本当の姿。
仕事するのにブラウザ起動してて、ついでだからとツイッターとかフェイスブックとか増田とかmixiとか開いてた。
タスクが終わったり、大小かかわらず壁にぶちあたったり、気が進まなかったり、何か割り込みがあるたびにそれらを巡回してた。
とくにツイッターやフェイスブックなんかは、新着があるとタブに未読数が表示され、それが溜まっていると消化したくなる。
そのせいで仕事が進まず、よくないから改善しようと思い立ち、ある日からこれらをブラウザから常駐させることをやめた。常駐してないだけで、気が向けばチラ見はするけれど。
するとどうだろう、集中力が断然違う。今までよりも数倍はタスクに入れ込めるようになった。
とくに未読があっても常駐させないからどこから読んでいないかは気にならないし、そもそも未読があったからといって自分に重要な話など5%にも満たないのだ。うすうす感づいてはいたけど。
続いて通勤電車内でSNSを貪るように読んでいたが、それもやめた。
車内でのネットワークの遅さにイライラしながら、話題のブログなんかにアクセスして、それがしょうもない話だったりして、さらにストレスをためていたことに気づく。
通勤車内では、片手をあげられるスペースがある程度なら、文庫本を読むことにした。有名な芥川賞や直木賞受賞作家の作品だと、好みはあろうが大きなはずれはない。
つまり、くだらない今はやりのブログなんかを読むより、精読するのにストレスがたまらない。むしろ安心して読書にふけることができる。
これで通勤中に得られる情報はいつもよりも数倍になったことに気づく。
意識高いとか言われる気がするけど、今のSNSの質が良くないってだけで、またネットワークが向上したり、質の良いコンテンツが生まれたときにはそっちを使えばいいと思ってる。
今現状は自分のつかっているSNSは少なくとも朝から晩までひっついてる価値があるものではなかった。1日に3回ぐらいアクセスしたら十分。軽い情報取得ぐらいがストレスたまらない。
仕事がストレスなのはもちろんなのだが、実際はSNSにへばりついてるのもストレスだったのだ。俺は今ストレスの根源に気づき、解放された。すがすがしい。
私には好きな人がいた。それは中学と高校という多感な時期を一緒に過ごした同級生だった。
私と彼女は中高一貫の女子校で出会った。こう書くと百合だと思われるだろうが、あくまで私の性癖はヘテロであり、好きの感情は友情の域を超えないのだが、確かに私は彼女に憧れていたし、好きだった。
初めて彼女に出会ったのは中学一年で、彼女は隣のクラスだった。同じ部活動の子を経て知り合った。彼女はすらりとした身長で、絵と文章が上手な少女だった。文科系の遊びが好きだった私はすぐに友達になりたいと思った。しかし、人見知りで内気な彼女は話しかけてもろくに反応がなく、あまり接する機会もないまま学年が一つ上がった。
中学2年になって、私は彼女と同じクラスになった。驚いた。まさかこんな奇跡が起こるなんて思ってもみなかった。しかも、彼女と仲のよかった子は全員別のクラスで、彼女は一人で昼食を食べていた。
チャンスだと思った。
私も親しい友人が全員別のクラスになってしまったため、一人で昼食を食べていた。私は彼女に声をかけようか悩んだ。中学一年の時一度話しかけた時にすげない反応をされたことが怖くてなかなか声をかけることができなかったのだ。それでも私はある日勇気を振り絞って言った。一緒にお昼を食べませんか、と。震える声で言った。私の不安をよそに、彼女はあっさり承諾してくれた。それから彼女と一緒に昼食を食べるようになり、どんどん彼女と親しくなり、ついには放課後の習い事まで一緒に通うようになった。
彼女は演劇部の花形で先輩後輩問わず大勢からファンレターをたくさんもらっていた。そのころ流行っていた文章投稿サイトでは常にランキングの上位にいた。出会い系に電話してのこのこやってきた男を眺めるといった衝撃的な遊びをやったりもしていた。まさに、私にできないことを平然とやってのけるッ、そこにシビれるあこがれるゥ!といった感じだった。
それに反して私は実に平凡だった。何のとりえもない、誰にも顧みられることのない地味な存在。満たされない承認欲求を持て余した私には彼女はあまりにも私の欲しいものをすべて持っていた。純粋に彼女が羨ましかった。彼女は常に求められていた。輝いていた。本当に平凡だった私はそんな彼女に一番近しい存在になれたようで有頂天になった。
しかし、だんだん私は物足りなくなっていった。私の彼女に対する感情と、彼女の私に対する感情がイコールでないことに気付いてしまったのだ。
というのも彼女は常に孤独感に苛まれており、さびしい、とか、どうせ私は一人なんだ、とかそんなことばかりを言い、私からしてみれば一緒にいる私はなんなんだ!?という思いにならざるを得なかったのだ。私からみれば彼女の周りは常に彼女を気にする人で溢れていたし彼女は確かに私を含め大勢の人から愛されていた。しかし孤独感なんてものはとどのつまり本人の感じ方次第で、客観視にはなんの価値もないということを解するには当時の私はあまりにも幼く、彼女の状況に寄り添ってあげられず彼女に対する感情をどんどんこじらせていってしまった。
とにかくネガティブな発言をし続ける彼女を否定し、私の望む彼女を彼女に押し付けた。押し付け続けた。まるで彼女の管理者であるかのように傍若無人に振舞った。さびしいだと言えば、何を馬鹿なことをあなたの周りにはこんなに人がいるのに甘えるなと言い、孤独だと言えば、あなたより孤独な人なんていくらでもいる被害者ぶるなと言った。ある時などは、彼女がひどく品のない替え歌を歌ったことがあった。私はそんな歌を彼女に歌ってほしくなかった。再三歌うのを止めてくれと彼女に言ったが彼女はやめなかった。私はついに彼女を平手打ちした。彼女の眼鏡が飛んだ。その後どうして関係を修復したのかまったく記憶にない。だが、飛んで行った眼鏡のことは今でも鮮烈に覚えている。
高校に進学し彼女が学校を嫌がり登校日数ぎりぎりになった時も、私は彼女にとにかく頑張れと言い続けた。あなたには才能があるのだからもっと努力すべきだと。気の持ちようだと。疎外感なんてものは気のせいだ、無力感なんて欺瞞だ、あなたは恵まれているのだからと。
私の言葉が届かないのは彼女のなかで私の価値が低いからだと思った。なんとか私の中の彼女の存在くらいに、彼女の中での私の存在感を持たせたかった。彼女に私を認めて欲しかった。私がいるということを認めてほしかった。しかし中身のないハリボテをいくら繕おうとも全くの無駄で、結局私の想いは報われることはなくそのまま高校卒業となり私と彼女は別々の県に進学した。
遠い地に離れ離れになったが彼女と疎遠になるのが嫌で、私はなんとか彼女との接点を持ち続けようとした。そのころはまだSNSなどはなく、当時彼女がやっていたHPサイトの掲示板に時折書き込んだりメールしたりするだけだったが、とにかく頑張った。連絡すれば無視されることはなく返事はあった。一年に一度会うか会わないかだったが何とか連絡がつく状態を保ち続けた。彼女の住んでいるところの近くに住んでいた友人を紹介してより彼女の情報が入ってくる状況を作ったりもした。なりふりなど構っていられなかった。
そうしているうちにSNSが台頭してきた。もともと熱心にHPの更新を行っていた彼女はSNSでは非常に饒舌で、SNSさえあれば彼女の日々の暮らしや考えていることなどが詳細に知ることができた。
しかしSNSでの彼女はあくまでも昔のままで、いつも自分の不幸を嘆いていた。世間に毒を吐いていた。だんだん周りが結婚し、子供ができ始めた。彼女はずっと結婚願望があり、何人も彼氏が変わったが結婚には至らなかった。
そんなある日彼女がフェイスブックで幸せそうな同級生の投稿に嘲笑われている気がして辛いと言った。日々の生活に行き詰まりを感じていた私はそんな彼女に自分を重ね、そんなに自分を追い込まなくてもいいじゃないかと言いたくなった。ずっと彼女に辛辣なことしか言えなかったが、いまこそ辛さを分かち合えるかもしれないと思ったのだ。
確かに彼女たちは幸せそうで、あなたの望む幸せを持っているかもしれない。私はあなたの欲しがる幸せを幸せとは思わないので彼女たちをなんとも思わないけど、私の望む幸せを彼女たちが持っていたら妬ましいと思うだろう。でも、私の望む幸せはあなたにとってはどうでもいいことだから私の妬みなんて的外れだと思うでしょう。それとおなじで、誰もあなたを馬鹿になんてしていないよ、元気を出して、と。
彼女は怒った。
励ましが欲しいんじゃない。こんなものはチラ裏なんだからいちいち構うな。放っておけと。
壊滅的なすれ違い。私の言葉は一切彼女に届かない、この関係はすでに手遅れだ。そう悟った。いや、ずっと気付いていたけど見ない振りをしていた。彼女の感情に寄り添えない自分勝手な私は彼女にとって彼女の大切な人ではないということに。挽回はもう不可能だった。
彼女はSNS上では他の人には会いたいと頻繁に言っているのに、私に会いたいと言ったことはない。連絡するのは常に私から。誕生日にメッセージを送るのは私だけ。
正直疲れたのだと思う。私の努力なしには継続しない関係に。あまりにも些細なつながりにしがみつき、これは友情だと妄信していた。しかし、こんな関係は友情とは言えない。友情ではないことをずっと認めたくなかったが、私はついに諦めた。
私は怒った彼女にごめんと一言だけ言って彼女をフォローすることを止めた。見ているとやっぱりなにか言いたくなってしまうから。彼女も翌日私がフォロー解除したことに気付き私のフォローを解除した。解除後私について一言だけ、もう会うこともないから別にいい、とのエアリプがあった。完全に彼女との18年にも渡る縁が断たれた瞬間だった。
長い、本当に長い片思いだった。震える指先でフォロー解除ボタンを押したとき、ちょっと私が泣いたなんてきっと彼女は思いもしないだろう。
ただ、いま久しぶりにフォロー解除前後のやり取りを見直そうと彼女のアカウントをのぞいたらなんとブロックされていた。
フォロー解除後はしばらくブロックされていなかったし(未練がましくちょっとの間フォロー外から眺めていた)、フォロー解除後も特に彼女に対するエアリプをしたわけでもないので、少なくともどこかのタイミングで私に対して何かを思うタイミングがありそしてアクションを起こしたのだ。どうでもいい存在であればブロックなんてする必要などないのだから、私という存在が彼女に何かしらの瑕疵を与えることができたのかもしれないことを少しだけ喜んでしまった私は、本当に救いようがない。
「アンタは人をイライラさせることはうまいね!!」と母に叱られた時は必ずセットで言われた一言。
当時の私は、「そんなネガティブなことにしか秀でてない人間だなんて…」と自らを辱めたものだが、増田ではその能力を生かせば様々な反応がもらえる。
その反応を自己承認だと思い込んでしまったがために、歪んだ関係が私と増田との間に生まれてしまったのだ。ツイッターフェイスブックはもうすでに埃がかぶってしまったようだ。日常生活では人をイライラさせる能力はネガティブな感情しか生まないので、封印している。人当たりよく生活している。帰宅した後、増田にて、この能力を解き放つ。ハアアアアアアアアアアア!
地元の会社で一般事務をしている短大卒の人たちだが、先日その知人が離婚をした。
離婚をして以降、その人は完全に短大の時もそうであったであろう、キャピキャピ具合に戻っていてほんとうに不思議。
その彼女はとあるミュージシャンやスポーツのファンなのだけど、いわゆる追っかけをしていて給与の殆どをそれに費やしているんだとか。
でも彼女だけでなく、彼女は友達も巻き込んでその活動をしているらしくて、フェイスブック自体はとても明るい投稿が多い。
僕は離れたところに暮らしているので直接しばらく彼女たちとは会っていないのだけど、フェイスブックを見るだけでもなんだか色々興味深い。
一つにアラフォーでの追っかけってスゲーなっていう事。こういうとアレなんだけどその彼女たちの外見は皆、ほぼ似たような外見をしていて、魅力的ではないとは言わないが、美人ではない。まぁ普通の歳相応のハンプティダンプティがいる感じなんだけど、追っかけして何がしたいのか、そういう気持ちが全く無い自分ではよくわからなかった。
次に金銭面。さすがに40で独身、バツイチ女性になるとよっぽどの資産家に生まれでもしないかぎり、そろそろ老後、終活、もしくは親の介護などに意識がいくと思うのだけど、彼女の遊び方のそれは20代のそれと全く同じ。