2014-07-23

葬式ってよくできてると思った

親戚の葬式に急遽出てきた。

納棺から葬式まで、なるほどと関心したことがある。

儀式の中に織り込まれたさまざまな「作業」が、親族らの悼みの気持ちを緩和させていくところだ。

納棺前の遺体への処置、着替え、化粧、棺に収めて遺品や花での装飾。

こうした作業を通して、故人がどんどん目の前に存在するただの「遺体」そのものへと認知されていく。

特に花とかを飾る作業で集中していると、終わった頃には一種の満足感すら生まれてくる。

拾骨だってそうだ。焼けて崩れやすくなったいびつな骨を、わざわざ箸で箱に入れるとか普通に考えたら非効率すぎる。

それでも骨を崩さないように集中して繰り返し拾っていくうちに、人骨なんて普段絶対に目にしないショッキングもの普通に見ていられるようになる。

これもまた終える頃には一種の達成感が生まれる。

葬式っていうのは故人への弔いと同時に、遺された人を故人を通してアフターケアする機会でもあるみたいだ。

如何せん金が掛かり過ぎる気もするが、それなりに親しくしていた人なら参列したほうが自分のためにもなるだろう。

今回、そういうわけで割と葬式への忌避感がなくなった。

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