はてなキーワード: 震災とは
こちとら生まれたときから親の借金だ、心中に道連れ食らって体に不自由が出来て、生活に不便があるが、障害者ではなく健康な人として生きてる。東日本震災で家を失ったし、大事なものもなくなってしまった。
ここの所だと、ようやくまともに生活できるようになったなと思ったら、コロナのせいで仕事を無くした。
だからといってナマポなんかに頼らんし仕事は選ばんでサクッと探した。毎日きついけど、安くても今生きるのが重要と考え死ぬ気で働いてる。
震災のときも財産が消えたし友人も失った。今は誰にも頼れないし、親しい友人もおらんから楽しい会話もできないけど生きてるから、コロナが落ち着くのを待ち遠しく頑張ってるとこ。
自分の生き方を不幸とは思わない。海外じゃもっと辛い人はいるし。
だけど、テレビ見たりツイッターなんかを見てると、この世の終わりみたいな呟きとかしてる人が目立つんだ。
なんかそういえば慰めてもらえると思ってる感じばっかりで、同情できないんだよね。
なんかみんなメンタルがね、本当に弱すぎ。
死ぬ前に泥水すすっても生きるみたいな気持ちで本気でもがいてみようよ。
弱音を吐いちゃいけなくはないよ。でも弱音を吐くだけで解決しないじゃない?
それをぐるぐる国民の税収で回していると勘違いしているようだ。
だから一律給付によってツケを払うのは若者という理屈になるし、無駄遣いに感じるんだろうな。
とはいえ、一律給付に対しての思慮が浅すぎて反論にもなっていない。。
おそらく東日本震災時における復興特別税のトラウマからそう思い込んでるのだろうけど、
決まってもいない未来を根拠に、一律給付金を反対するのは思慮が足りない。
復興特別税は結局、復興に直接関係ないような事業者へも流用されてしまったことが問題になっていた。
何より、今回は一部の国民だけでなく全国民が影響を受けていて、
なおかつ日本経済が過去にないほど大打撃を受けて低迷している中で、税金を上げれば国民からどういう反発に合うか想像に難くない。
水際対策のように生活保護制度の運用に難があるなら、むしろその運用を早急に是正するべきだろう...だいたい今10万貰えないと困るようなレベルの人間が10万もらったところで一か月後には結局生活保護が必要になるんだから全然解決になってないだろ。
ただ、ケースワーカーといった専門的な職員の体制や各自治体の財政状況も関わってくるし、
水際対策といった自治体の消極的な態度も含め、簡単に是正できるほど単純な話ではない。
それよりは前回、国民全員に給付金を配布していてすでに仕組みがあるのだから、
引き続きそれを利用して登録口座に振り込めばいいだけの話。
足りないなら毎月給付金出せば良いだけ。給付金のほうが簡単だ。
よくわからん理屈だが、生活困窮者がスーパーで食品を買うことも経済活動の1つだぞ(笑)
何より、この先どうなるのかわからないという不安を抱えている点ついては、生活困窮者でなくても国民全員に共通していること。
安心感があれば、余力のある企業でも個人でもこのコロナ禍を見据えた投資を行ったり、
そしてそれは誰かの所得になり消費されて投資につながりの繰り返しで経済は回っていくことになる。
何もエンタメや外食産業だけが経済ではない。コロナ以前から日本はデフレ景気だったことをお忘れなく。
最後に蛇足だが、実現可能性はさておき「全国民から一律10万円づつ徴収して、困窮者への分配に充てる」ということができれば、困窮者は助かってハッピーだし、相対的に高齢者から若者世代への所得移転を実現できる、という点は付け加えておきたい。
”全国民から一律10万円徴収”って、困窮者からも取るつもりなのかな?
それだと消費税10%よりも重い税金を取るということになるのだが、、
約15年ほどIT土方で働いていて、有難いことか分からないけどコロナ禍でも全く仕事が減る様子がない。
むしろテレワーク用のPCのスペックが悪く何をするにも時間がかかり残業が増えた。
上場を先延ばしにする取引先、閉まる商店、必死で弁当を売る飲食店。
知り合いにも、就業時間が短くなった、テレワークになったけどほとんどやる事がなく寝ていたなどの話を聞く。
本が読み進んだ、DVD一気に見た・または動画サービス漬けだった、久々にゲームをやったなどの話を聞いてふと気づく。
たまたまコロナ禍で期間限定無料配信の古い漫画を見て、こんなに面白い漫画だったのに何で今まで見なかったんだろうと思ってしまった。
そもそもゆっくりクリエイティブなものに触れ合う時間があまりなかった。
今までも終業後ライブに行った、映画を見た、イルミネーションを見に行った、そんな話を周りから聞きつつ羨ましいな、でも時間ないから結局行動しなかった。
趣味で音楽をやる人、絵を描く人、写真を極める人、いいな凄いなと横目で見つつ残業疲れで何も行動しなかった。
本当に行動力がある人なら寝る間も惜しんで趣味に没頭するのかもしれないけど、
そこまで行動力のある人間じゃない場合、疲れてるとそこまで入り込めない。
自分はIT系だが、デザイナーやエンジニアなどその道を極めようと考える仕事イコール趣味(そもそもデザインやプログラミング好きな人)みたいな人もたくさん出会っている。
学生時代は割と本も読んでいたのだが、働いてからは電車内では疲れてほとんど寝ていて本も読まず。
アフターファイブとは程遠い生活をしていてすっかり引き出しの少ない年寄りになってしまった。
人との触れ合いが会社しなかく、そもそもコミュ障なので会社でも人と仲良くなれない。
震災以降テレワーク環境を整えることになり社員には会社用携帯が配られ会社の電話に出ることもなくすっかりコミュ障が悪化し語彙力も低下した。
学生時代の友人とは疎遠になり、社会人になってからの友人は片手の指もいない。
結局この15年残業以外の事をしておらず何もない人間になってしまったのだ。
最近分かったことは、親よりバラエティに疎い、新しいミュージシャンや芸人を知らない。
若い頃に色々ハマっておけばよかった、人生やり直したい、今生きてても死んでも何の意味もないんだろうなと何度も考える。
同時期に始めた人は平日も練習してどんどん課題を進め、平日何も出来ない自分はついて行けずやめた。
余談だが知り合いに30歳を超えてからコスプレを始めた人がいる。
失礼ながら自分以上にKYで無神経でトラブルをよく抱える人だけど、正直その行動力に感服するし羨ましい。
今までにあった同業者は、あまりのキツさに倒れたり病んだりして辞めていったが、
無駄に健康でメンタルが強い(悪く言えば無神経)な自分はずるずる続けて15年経過してしまった。
この15年で得たものは残業代だけだけど20代の頃はブラック会社にいたので貯金も特別多いわけではない。
コミュ障の自分はもう結婚は諦めた。親は相談所に行けとうるさい。
もう結構な年齢だけど、やりたい事をやろうと思った。
自分はあまり裕福な家庭でなかったので専門学校で2年学んで就職したけど、通信で学士を取ろうと思う。
資格なんて意味ないという人もいるが、割と劣等感の強いコミュ障にとって資格持ちというラベルはお守りくらいの安心感がある。
結局学士ないと他職種への転職難しい(以前転職エージェントの人に言われた)と言われ小心者の自分はずっとITで働いてきたけど、
だったら学士とればいいという事に今更気づいた。遅い。遅いけどそれで行動しなかたらもっと遅くなるので行動する。
早口の自分語りのようになったけど、こんな匿名ブログでケジメつけるのも情けないかもしれないけど、遅くても良いから変わろうと思っている。
コンビニは社会のインフラみたいな言い方をされることがあるけれど、当店のオーナーにはそういう意識は全くない。当店は幸か不幸か立地が物凄く良くて儲けがあるらしい。オーナー夫婦はコンビニ経営で得たお金で子供達全員を育て上げて良い職に就けて全員結婚させることに成功。もはや惰性と道楽で店を開けている。なのでこれ以上頑張る気がないので、夜勤の求人をしても人が集まらなくなったら、あっさりと夜の営業をやめた。
夜間営業のないことでお客様達からのブーイングを喰らったのは、私みたいな閉店の直前まで働いているバイトだった。
お客様の訴えでちょっと気の毒だなと思ったのは、近くにある総合病院のお医者さんからのもので、当店のある一帯は近くに民家がほとんどない為に、道路に照明が一つもないのだけど、そういう場所でも夜勤の看護師さんなどが自転車や車で通勤をしていたりする。真っ暗な長い道程の途中、当店が営業しているのは、看護師さん達本人にとっても共に働くお医者さんにとっても安心感がすごくあったらしい。
そして、道路に面し、高速道路の乗り降り口も遠くない所にある当店は当然、トラック運転手達に休憩所替わりにされていたが、夜勤を辞めてからは駐車場も閉店と同時に利用を禁止してしまった。トラック運転手の人達は適応が速くて、あまり文句は行って来ず、別の店で休むことにしたようだけれど、最近の世論に後押しをされて夜間営業を辞めるコンビニが相次いだら、彼らの行き場はなくなるだろう。そして、当店の近隣地域は夜勤労働者の確保が無理という理由が最大で、夜間営業を辞めたがっている店舗が多い模様。
当店は昼間の売上の良さと長く経営してきた実績から、本部に対して強気で出られるらしく、地域でも早いうちに夜間営業を辞める権利をもぎ取ったらしいが、売上的にはダメージがでかくないことを証明できたということなので、他店でも要望すれば夜間営業を辞める申請が通りやすくなったかもしれない。
夜間営業を辞めたのと同時に、オーナーは売れ残りを出さない為に、深夜早朝ぶんの米飯とサンドイッチの仕入れ数を少なく絞るようになった。惣菜パンはといえば、主に深夜に入荷するものだったのが、午前の入荷に頼るようになったから、夜8時頃にはほぼ売り切れて無くなるように塩梅されるようになった。
えっじゃあ早朝のぶんどうするの!? って話だ。深夜営業をしていた時は、売上のピークが午前5時頃にあって、次のピークが7時頃だった。昼間に比べたら少ないかもしれないが、夕方のピークと匹敵するかそれ以上らしい。その時間帯の売上も、オーナーは切ることにしてしまったのだ。夜勤バイトの人が知る限りはすごく軽食の売れる時間帯だったそこを「どうせ売れない」とデータも見ずに切ってしまった。よって、朝の通勤途中に急いで朝御飯にサンドイッチを買っていくようなお客様達は無駄足を運ぶことになったはずだ。
でもまあ、忙しい人達の適応力は凄まじく速いので、二、三日棚がガラガラになっている所を見れば寄り付かなくなるわけで、オーナーが言った通り、朝は「売れない」時間帯となる。
夕方も、もちろん閉店間際に売れ残りがあると損だからということで、午後6時くらいには棚がだいぶ空いている感じで、7時半頃には大体空っぽになる。近頃はコロナの影響で来店時間をずらす人がいる。外食難民になったのかこれまで見かけたことのない人が来たりもする。そんなとき、棚に弁当は一つもない。お客様は空っぽの棚を見て怒って帰ってしまう。
去年のレジ袋有料化もすごい悪影響があったけど、深夜営業の終了やそれに伴う朝夕の納品絞まで合わさり、お客様の空気感がなんか殺伐としてきたなと私は思う。店内だけでなく世の中全体がコロナ禍にかかわる不便で膿んでいるし。
この際だからゆっくり休もう! というのはわかるんだけれども、みんな便利であることを当たり前だと思ってるんだな。不便になるとたちまち世の中はギスギスしてくるものなんだ。震災みたいな分かりやすい困難じゃなくても、人心を十分に荒ませる。
穏やかな日本人というのは幻想だって、東日本大震災の時によく言われていた。だが、その幻想を作り出した、というより、本当に日本人を穏やかなにしていたのは何だったのか? ということが語られているのは、あまり見たことがない。それは私が思うに、些細な便利の集積だ。チリみたいな便利が積もり積もって住みやすい国を作り人々を穏やかにしていたのではないか。
気軽に、もうやめよう! と言えるほどの小さな便利を諦めることによって、私達の地盤は削られていく。しかも、少しではなくけっこう一気に地盤沈下が起こる。小さいものは大事にされないからだ。我も我もと、皆が一度に小さな便利を手離していく。
ぶっちゃけメディア、特にテレビ局が頑張れば新型コロナの感染者数が減って全て解決するのでは? と思っている
馬鹿を減らせば感染者は減るわけだから、偏差値40にもわかるようなCMを流しているテレビ番組が活躍すれば良い
テレビ見ない奴でも話題になれば切り抜き画像・動画がネット上に出回るので、結果的に見ることになる
感染者数減る → 旅行や外食業等の売り上げが改善する → スポンサー復活する、でテレビ局にも良いことだと思うが、何故できないのか