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【松戸VTuber騒動】全国フェミ議連代表・増田かおる議員、抗議殺到に開き直り「まさか地方議員が警察に圧力かけて動画削除?できるはずないでしょう」と無責任発言→さらに抗議殺到。 - Togetter https://togetter.com/li/1777093
Twitter、はてブ、togetterと、隅から隅まで「擁護」を探してたんだ。どういう感じになるかなーって?でも、ま、重箱の隅(嫌な言葉だけ青文字なのひどい)か、得意のクレイジー非文くらいだったなあ。しかも少ない。もっと愉快なのか、すげえスジの通ったのがみたかったなあ。
VTuberら、戸定梨香さん交通安全動画へ抗議の「フェミ議連」に謝罪要求―AlisCoop全配信協 | Adect(アデクト) https://www.adect.net/archives/2362
この記事で賛同しているひとが前の記事でどのようなことをいってるのか興味があるので、だれか照らし合わせてくれん?こういうのだるくてできないんだよな。
肛門がクソ垂れ流すみてーな、見る気が失せる駄文書くんじゃねえ。
元増田が言及してる、乳揺れに対する違和感ってのは、言うなれば銃を少しでも齧ったことがある人にとっての「ちょろいもんだぜ」を見た感覚に近いだろうな。
でも、これが公共の広告に使われるとなれば…取り上げ方次第では元増田みたくお気持ちするかも。
公共の広告って、その性格上「嫌でも目に入る」ようにできてるというか、それが目的なわけよ。
言い換えれば「嫌なら見るな」で済まないようなってる。
だから「広告」とか「宣伝」は、マスが大きくなればなるほど"not for you"という言い逃れができなくなる意味で、表現が難しくなる。
結果、たとえ法規制をクリアしたとしても「表現として不適切」からのボツは十分起こりうるんだよね。
というかね、
「じゃあお前、法的に問題なかったら何やってもいいのかよ」
って話で。
それに百歩譲って「何を表現しても問題ない」なら「表現されたものをどう批判しても問題ない」でしょ?
で、問題の「乳揺れ」の違和感とそれに依った不快感を、一人二人どころか、少なくとも「女性」という属性を持つ人間のうちの、かなりの割合が感じる可能性が高いとしたら?
「公共の広告で用いられる表現としては不適切」って判断になるでしょ。
ぶっちゃけ大失敗でしょう。
あ、勘違いしないでほしいけどVtuberじゃなくて、松戸の警察署の担当者と決済者の失敗って意味ね。
これについては一部のフェミに屈したというより、フェミの抗議によって不適切性に気づいた松戸の警察署が、判断を翻しただけじゃねーのって思うけど。
それに、世の半数近くの同意が取れていない可能性が高い代物が「不特定多数の人間の目に留まる」のは、公共の福祉に反している(=法的に自由が認められない)恐れもワンチャンありそうだしな。
しらんけど。
一方で、乳揺れなくしたらノープロブレムという判断も全然アリっちゃあり。
こういうの「わけがわからないよ」って思う?
それはつまり、表現は自由だけど、表現したものを引っ提げて「出るとこ出る」場合は簡単じゃねーぞってこと。
しかも明文化されていて、かつ根拠のある基準もないとくればなおさら難しい。
だから基準が明確になるまでは、泥臭くて面倒なすり合わせが必須で、たまにこういう事故も起きる。
というか「基準ないからわかりません」とか、なんでも明文化された法だのルールだの結び付けないと善悪の判断も出来ないとか、その幼稚さが悪って言いたくなるわ。
現実はそんなに甘くねーっての。
そしてすり合わせの際は、当事者の話くらい適切に聞けよってことになる。
そんなの当たり前じゃんか。不特定多数の目にさらされるんだぞ?一人二人のクレーマー風情ならともかく、炎上レベルのツッコミが来るかもしれないんだぞ?
乳揺れだったら部下や同僚の婦人警官に確認取るくらいでは、権力勾配の観点から言って恐らく不十分(もし婦警にも確認取ってないなら論外)。
正直迂闊すぎるし、そういうテメーのゆるふわでアホなセンスを棚に上げて「抑圧」とか、臍で茶が沸かせそうだ。
そんなことばっか言ってると女がブルカ被る前に、キモオタの存在が「公共の福祉に反している」とみなされる流れになってもおかしくないわ。
憲法の恣意的解釈は今の政府のお家芸だから、自衛隊がどうこうなるよりも、お前らの生存性が脅かされるのを心配したほうがいいと思うぞ。
bilanciaa 人の嫌がることをしちゃダメ、ってそんな難しいことかねえ
ふと思ったんだけど、ここでフェミ議連に賛同している人は、子どもを海水浴場やプールに連れていくことはどう思ってるんだろう。
ブコメ元の増田ははっきり言っていないけど、戸定梨香のPR動画の件であろうことは察しがつく。
Vチューバー起用は「女性蔑視」? フェミニスト議連が抗議の啓発動画、松戸警察が削除
「セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かす度に大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています」
上記の抗議にあるような乳揺れやへそ出しはもちろんだし、下はミニスカってレベルじゃない。
この国では水着は指定のものしか認めないというアナウンスもしていない。
別に彼女の有無が人としての上下決めるとは全く思わんけどさ、絶対的に女性の気持ちわからんだろうからもう無理せず黙っとけよ。
例えばお前がスマホとかで松戸のVTuberが胸揺らしてる交通PR動画を再生してて、それを彼女、もしくは彼女の父親母親に見られたとしたら、お前は言い訳もせず平然としていられるか?「いや、これは今ネットで炎上してる件の動画で・・・」と説明しないか?説明が必要と思わんか?
松戸警察署の動画にvtuberの戸定梨香が起用された件についても「乳揺れをそこまで強調する必要がありますか?」とだけ言っておけばいいのに
「議員」の人達が「性犯罪誘発の懸念すら感じさせる」「謝罪、ならびに動画の使用中止、削除を求めます」とまで働きかけてしまった
ここまでのアクションをしてしまうと乳揺れについて疑問を呈しただけなんてとてもじゃないけど言ってられない
未だに乳揺れの事だけ取り上げてる馬鹿がはてブに何人もいるし増田でも長文使って言い訳してる奴いて呆れるけど
(このタイミングでvtuberには触れず偶然乳揺れが必要かだけ問いかける https://anond.hatelabo.jp/20210920015426 みたいな例もあってウケる)
そういう段階じゃ済まされないって事に気付いてないのがホント馬鹿だよね
繰り返し言うけど乳揺れの事だけ「質問するだけ」にしておけば良かったんだよ
全国フェミニスト議員連盟、認識を聞いただけと千葉県警のせいにしたhttps://t.co/es2qMTq64Q
千葉県警等に提出した抗議ならびに公開質問状にご関心をお寄せいただいた皆さまへ
提出した文書は、公的機関としての認識を問うたものです。
当該動画の掲載も、削除も、ともに千葉県警によるものです。 pic.twitter.com/zq9Bdin4fn— 大田区議会議員おぎの稔(無所属)💉議員系Vtuber🛫🏭 (@ogino_otaku) September 19, 2021
結局フェミニスト議員連盟は自分達のお気持ちを表明しただけで、動画についての対応はあずかり知らないという回答。
【①全国フェミニスト議員連盟が警察、市長等に提出した公開質問状の一部の書き起こし】
私たち全国フェミニスト議員連盟は、女性議員が圧倒的に少ない日本社会の政治風土を改革し、女性議員を増やして、男女平等社会を実現しようと活動している市民と議員の団体です。
私達は、啓発動画に「松戸市ご当地Vtuberの戸定梨香」を採用した千葉県警・松戸東警察署に強く抗議し、当局の謝罪、ならびに動画の使用中止、削除を求めます。
本動画は、女児を性的な対象として描いており、女性の定型化された役割に基づく偏見及び慣習を助長しています。
続きはこちらでhttps://twitter.com/ogino_otaku/status/1437332071546953729
千葉県警等に提出した抗議ならびに公開質問状にご関心をお寄せいただいた皆様へ
現在、多数のメール等が多種の内容で寄せられており、個別に回答は致しかねます。
悪しからずご了承ください。
以上
空いた口が塞がらない。
全国フェミニスト議員連盟に所属している議員、関係者は自分達の回答が世間の反感を買うことに気が付いていないのか?
②分かった上でのあの回答
③あの回答で世論味方についてくれると思った
個人的には①と③な気がしている。
尾瀬ガイド協会の謝罪文※とまではいわないが、せめてVtuberという文化への理解※や、
今回自分達の対応がなぜ反感を買っているのかという分析があれば、全国フェミニスト議員連盟の考えももしかしたら共感、理解されたかもしれないのに。
今回の回答はあまりも傲慢で、これではフェミニストという存在の印象をより悪くしているだけに過ぎない。
表現の自由戦士の人達を批判するはてサの人達が山田太郎と統一教会の繋がりを主張するのは結構だけど
そんな事やってもはてサの人達が支持するような議員に入る票が増えたりはしないんだよな
だってその支持するような議員が直近の表現規制事案を批判したりしてないんだから
(松戸警察にvtuberが協力するのをフェミニスト議連がストップかけた件の事ね)
ちなみにvtuberの動画を取り下げたのは警察だから警察批判しろよってのはすっとぼけにしかならねえんだわ
警察は今後もvtuberとの協力体制を継続するって言ってんだから、動画は一時的に削除されただけなの
枝野が表現規制に反対してきたとか言うのは結構だが彼はこういうのを批判したりしないんだから
そりゃ反対する人にオタクは票を入れるんだわ
というのは釣り餌で本題に入るけど
ちゃんとその枝野のいる立憲民主党の議員だってこの件について反対してるんだよね
こういう人が注目される世の中になって欲しい
https://twitter.com/t_yabuhara
アメリカでショートパンツ(ホットパンツ)履いてたら娼婦に間違われると警告されたという話を聞く
たしかに画像を見るとストリートで尻が半分見えてるショートパンツ履いた娼婦がずらりと並んでたりする
日本で風俗女子と非風俗女子は見分けがつくだろうか?熟練者なら見分けつくかもしれないけど、外れる可能性高いんじゃないかな?
「セーラー服のような上衣で、丈はきわめて短く、腹やへそを露出しています。体を動かす度に大きな胸が揺れます。下衣は極端なミニスカートで、女子中高生であることを印象づけたうえで、性的対象物として描写し、かつ強調しています」
アメリカだと「性的対象物」となるような女性の服装のステレオタイプがあって、一般女性は少なくとも公的な空間ではそういう格好をするのは稀だけど、日本ではその境界がかなり曖昧ってのがあるかもね。
松戸警察とVTuberがコラボしたらフェミ団体から公開質問状が来て削除した件、何回目だよVTuberに謝まれとしか思えねえな。
削除した動画は見てねえし、他の動画も特段肉感的には見えないけど、オタじゃない世の母親にとってみたら少女マンガ顔の女の子キャラが優しい言葉で交通安全啓発動画アップしてるのみたらプリキュアみたいな女児向け動画かと思うし、そこで乳揺らしたりお気に入りのぬいぐるみ抱いた幼女スタイルをエロい目で見てるの見たらそらショック受けるだろ。
とはいえ、気をつけろったってバ美肉はタダじゃねえんだからさ。
こういうの、どうせ公共機関がコラボするんならコンプラ整備して打ち合わせて露出少ないし変な線も入ってない婦警衣装作らせたらフェミもオタも満足だろ。その予算はみんな警察が持つし、コンプラに従ってオーダー通り作っても問題が生じたらクライアントが責任取るのが筋だわな。
それくらいやってコラボしてくれないと、いつレスバしたくてうずうずしてる連中の炎上祭りの面白ネタとして消費されてポイされるかわからんすぎて怖いわ。
あと公文書形式で出された「なぜこのコラボ先を選んだのか」「なぜ少女キャラの胸を揺らすのか」程度の質問にも答えず削除させた松戸警察はちゃんとギャラ払って菓子折り持ってVに謝れよ。
俺は生まれも育ちも職場も松戸市である生粋の松戸市民で、Vtuberも好きだから、戸定梨香のことは去年からずっと見てるんだよね。
見てる上で言うけど、あの人が今後VTuberを続けたところで何の功績も残せないままだと思う。
普段のライブ配信の同接は100人ちょっとで、二桁の日すらあるという状況。
そんなのを1年半もダラダラと続けているわけ。
あの企画が発表された時点で、登録者数はだいたい3500人ぐらいだったと記憶しているんだけど、
1年以上企業勢として活動してその程度って、もうちょっと活動内容を考え直すべきだろ。
でも、危機感を持って何かしらの工夫をしているようには外から見る限りは思えない人なんだよ。
実際、チャンネル登録者数や視聴者数という形では結果は全然出ていないわけだからね。
あんなのと一緒に動画作って発表したところで何の影響力も期待できないのは考えなくても分かるでしょ。
私企業が道楽で発注した仕事とかだったら別に何の文句もないけどさ、あれ俺達の税金で作られてるんだろ?
彼女以外に子どもに影響ありそうな人材が全くいないほど松戸はどうしようもない場所でもないわけよ。
キックボクサーの那須川天心だっているし、金メダリストの須崎優衣もいるし、今年は日ハムの上沢直之だってがんばってる。
大して努力や工夫をしているようにも見えない、ロクな結果も残していないような人を使ったことに対するモヤモヤはあった。
影響力のあるインフルエンサーに警察の仕事を助けてもらうというのが求められているのに、これじゃ完全に税金使ってこの人の活動を宣伝してる状態じゃん。
そんな中でフェミさんがシャカリキになって潰してくれてスカッとしたね。
まさかVTuberオタクである俺とフェミさんの利害が一致する瞬間が来るとは思わなかったし、人生何があるか分からないよな。
ただ、動画が完成して公開された時点で報酬は支払われているだろうし、どうせやるなら表に出る前に嗅ぎつけて潰してほしかったかなという気持ち。
フェミさんが騒がなかったら全然話題にならなかっただろうし、今度からはフェミさんと一緒に仕事すれば?
少なくとも登録者数3000人ちょっとの無名VTuberよりは影響力あるでしょ。
強烈に思い出すのが、当時首相夫人だった安倍昭恵氏が即位の礼に出席した際、スカートの丈が短いとかで物議を醸したんだよね。
フェミニスト、てっきり女性の自由意志を擁護するのかと思いきや、
大半が「TPOにそぐわない」と…
ああ、宇崎ちゃんやラブライブ!批判も、そこに実在女性の主体的意思があるかないかはダミーの議論で、
結局ただのはしたない警察、ふしだら警察なんだなって思ったよ。
確かに、茜さやも松戸のVtuberも、現実女性の意思は無視され、
端的に言って「女性のイメージを汚した」というかどで批判されるんだものな。
フェミニズムはどこまでも、「はしたない」と「女性の人権」の区別が付いてない。
なぜそこを間違うかというと、男性の目線の有無を判断材料としてしまうからだ。
「自分たちは提案しただけで、実際に削除したのは松戸警察なんだから責任は松戸警察にある」みたいなこと言ってるのだから、一般的にフェミニストの功績とされる女性参政権なんかも提案しただけのフェミニストには何の功績もないと言うべきだよね。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
Twitter上で議論が錯綜している、自分の気持ちの理解のためにも、論点を整理してみたい。とにかくめちゃくちゃムカついてるし、フェミニズムを失墜させる最悪な出来事だと思う。
1. フェミニスト議連(地元の市議を含む)という団体が女性を表象した表現に対しどこからOKかという線引きをし、削除を求めることをしていいのか?
自分としては、これはダメだと思う。女性表象云々の問題ではなく、表現規制に対する権力の濫用には反対する立場だからだ。民間から「これはさすがにエロいんじゃない?」とか、市民や県民の多くが異議を唱えるならいいが、議連という県警が忖度する可能性のある立場から、表現の線引きを行うことは非常に危険なことだと考える。表現をどう感じるかは自由だが、議員という立場から物を言うということの重大性を認識するべき。
実際のところ、千葉県警は議連だから忖度したんじゃなくて、「やべ、なんか燃えそうだ。燃える前に消そう!」とか、偉い人から「これ燃えそうだから消しといて」的な話があって消しちゃったという、消すほど燃えるという昨今のデジタル広報の基本を理解してなかっただけだと思うけど。公的な権力からの抗議→取り下げという前例を作ったことは悲しい出来事。
2. 警察という公機関のポスターに、ヘソだしルックの少女を起用すべきなのか否か
→公機関の制作物はどのようなチェック基準でつくられるべきかという問題
個人的には今回のVTuberのデザインはかわいいと思う程度で、女児向けコンテンツに多い表現方法で性的に過度に強調されているとは思えません。
ただ思う人もいるかもしれない。何を公共の場にはふさわしくないとするかは、年齢や住む地域、所属するコミュニティ、時代、そしてそのキャラや個人と地元の関係性によってもだいぶ違う。だからこそ大事なのはガイドラインを定め、市民のコンセンサスを得ながら定期的にアップデートするということなのかもしれない。警察の動画は税金でつくっているのだから。松戸の方々が同意している基準があれば尊重すべきだし、この話は民間での表現や女性自身の表現の自由(ミニスカでヘソだしで街を歩いていいか)とは関係がない。
今回のVTuberさんは地元応援系の方でもあり、良い関係を地元の方と築いてきていた可能性もあるので、それをあまり理解せずに議連が質問状を出したのは市民を置いていきすぎじゃないの?とは感じる(実際はどうかわかりませんが、社長や本人の釈明からはそう感じる)。やはりフェミニスト議連はやりすぎである。
目線を変えて、マーケティング的な観点からすれば今回の動画は若年層向けで、プリキュアやアイカツを見て育ったり、見慣れたりしている世大に向けられたものだと思う。Vtuberというジャンルのタレント起用も、議論になっている見た目も、自分たち向けのものと感じてもらうに機能するものになっていると思う。ターゲットの価値観を無視しているということになれば、フェミニスト議連は相当ナンセンスというか、アップデートが必要な人たちにはなってしまう。
3. 社長も女性、VTuberの中の人も女性、女性の自由な活動をフェミニストが奪っていいのか。
まず社長やVtuber本人が女性かどうかは、あまり重要なイシューではない。ポイントは、フェミニスト議連の"スタンス"にある。スタンスによっては、フェミニストであれ女性を批判することはできる。歴史的に見れば、今回の主張で、フェミニスト議連は、(かなり極端なラディカル)フェミニスト議連ということになる。これは、たとえ女性が自分の意志で着てようが、女性の隷属制などを感じさせるものならば、家父長的な価値観を内在化させていて本当の自分の意思とはいえないから規制してもいいいのだというスタンス。
フェミニスト議連がどれほどフェミニズムに詳しいかは疑問だが、表現規制を推進するラディカルフェミニズムの対象はポルノだ。その際のポルノはただエロいとかそういうことではなく、特定の集団(女性とか女児)が、隷属的だったり性差別的に描かれ、その集団が実被害を被るものということ。今回の質問状から見ても、フェミニスト議連は戸定さんというVtuberの衣装をラディカルフェミニズムの立場からポルノと見ていることが明らか。性犯罪誘発の懸念って言ってるのだから。
この議論はフェミニズムの歴史から見てもあまりスタンダードではない。第二波フェミニズム、1970年代のフェミニストセックス論争でも、表現規制派のラディカルフェミニストと、あくまで実被害のみを批判するリベラルフェミニストで意見が割れた話。なにをポルノにするかは個人の見方だよねという意見が主流になった第三波フェミニズム以降で、局所戦的にラディカルフェミニストが起こしたゲーマーゲート論争でも、売春婦の表現だったり、男性に従属的な露骨な表現が批判されたにすぎない。(その程度でもゲームにポリコレ持ち込むな!と超炎上した)
児童ポルノの規制は実被害の観点から多くの国で採用されているが、キャラクター等創作物に関しては規制しないというのが各国対応の主流なはず。ヘソだしミニスカで若干胸が揺れる程度の女子アニメ的デザインをポルノと認定し、規制をかけに行くのは、ラディカルフェミニズムの立場からしてもかなりかなりかなり極端と言わざるを得ない。この点から「プリキュアやアイカツも似たようなものだろ!」「セーラムーンの方が性的だ!」という疑問はもっともである。戸定さんをポルノと認めたら、世の中のそこら中のキャラクター表現はポルノになる。
もはやフェミニズムは第四波とも言われ、よりヒューマニズム的な側面が強くり、インターセクショナルな視点を取り入れて進化している。バトラー的な女って立場を拠り所にフェミニズムを語ること自体、性の固着化につながってるという議論にもフェミニズムは影響を受けながら、よりさまざまなジェンダーとの連帯も模索しながら進んでいる。
その中で、未だに第二波フェミニズムの残滓のようなフェミニストたちが、「フェミニスト議連」と名乗って、フェミニストの代表かのように振る舞っているのは、日本のフェミニズムの遅れを改めて感じさせる。本物のフェミニストなんてものはいないのだろうが、少なくともかなり古臭く、世界的に見ても相当に極端なラディカルフェミニストたちではある。
「ミニスカはフェミニストが獲得したものだろう!」という批判にはあんまり意味はない。貞淑をよしとする女性的な服装へのカウンターとして誕生したファッションであり、新しい女性の自由なあり方を示す手段のひとつがミニスカというだけであって、公機関の制作物に好ましいかは別の話。また、そのカウンターとしての効力が陳腐化している日本では、ミニスカが性表現の固着化につながっているという議論自体は成立すると思う。だから、スカートを伸ばせという議論だったら完全にバックラッシュで笑っちゃうが。
●結論●
今回の件、フェミニストもフェミニズムも関係ないから、目的語を大きくした、批判はやめよう。
ただひたすらにフェミニスト議連のスタンスが時代的に遅れていて、キモいだけ。ラディカルフェミニズムのスタンダードですらない。(性犯罪誘発って言ったのが戸定さんをポルノ認定してて一番ヤバいとこ)
あと、千葉県警はそんな極端な団体の意見なんて聞かずに堂々と動画を復活させてほしい。その上で松戸市議会や千葉県議会で公的機関の表現のあり方を議論した方がいい。
松戸警察署Vtuber問題について、アンチフェミニストに腹が立ったのでここに書く。
警察署の玄関に水着女性のポスターが貼ってあったら、「女性の裸を公共の広告に用いるのはTPOに反しているし、女性差別的ではないか」という批判には、ほとんどの人が共有するだろう。同じように、萌え絵も水着のポスターと同じカテゴリーで公共広告に相応しくないのではないか、という違和感に基づく意見や感性の人は一定数存在する。そしてその違和感を公共的な声にして、政治を通じてを変えていこうとする運動が起こることはのまったく正当な権利であり、まさに日本が自由で民主的な社会であることの証である。
いうまでもなく、自由で民主的な社会である以上、フェミニストの抗議を「誤解」「無理解」として批判する声は当然あってしかるべきである。しかし批判者はなぜか、公共広告に対する批判を「表現の自由の否定」などと批判してしまうので、根本的に議論が間違った方向に進んでしまう。しかも「価値観が古い」とか、「古い」ことがただちに間違っているかのような、その人の主観を無根拠に絶対化した論法を多用している。どうやら批判者たちは、「古い価値観」なるものは尊重に値せず、みんなで否定して嘲笑し合うような社会がいいと思っているようだ。百歩譲ってそうした主張を認めるとして、そんな社会が自由で民主的な社会であるとは到底思えない。
公共的な表象として国旗という分かりやすい例を出せば、「日の丸は日本の国旗に相応しくない、変えるべき」という主張があってはならない、という人は(一部の極右以外は)いないだろう。それは表現・言論の自由である。ところが、なぜか批判の対象が「萌え絵」になった途端に、この原則が完全に無視されて、同様の性質を持つ主張が逆に「表現の自由の否定」と批判されている。そして、表現の自由を行使しているフェミニストたちを、表現の自由を否定する人々として批判し、SNSで大炎上させている。これはとんでもないことであると思う。公共的な広告物や表現に対する批判を萎縮させる効果を持つものであり、表現の自由を毀損するものに他ならない。