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2021-08-05

小山田圭吾いじめ問題月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)の記事の一部書き起こし

クイック・ジャパン』『ロッキンオンジャパン』以外で、小山田いじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、

メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、

案の定これを利用して、拡散元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事外山恒一氏のnote記事反論している。

また変な扇動しかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。

なお、カドカワ記事フリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士世界塔」の発売直後に刊行されたもので、

アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。

月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352

きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。

幼稚園ときに、巨人土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初記憶ですかね(笑)土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビ土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。

すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。

普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。

小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校身体障害者の人が多いんだけど、特別クラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校ときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。

小学校ときは成績は良かった。運動会リーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣消しゴム流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲消しゴム流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャカプセルを出すと効率悪いのね。

ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分スーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)

小学校ときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいタイトルで作文書かれてね(笑)別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいついかにして迫害たかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃん印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)

運動会リーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。

音楽幼稚園からアニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのときイナズマン』のLPサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)

テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメ再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャート信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方チャートだとフリッパーズ・ギター四国全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。

あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆ジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフ志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。

中学になると、人当たりが悪くなって。クラス友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達クラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としかさなくなった。

Kはね、体がでかくて、小学校ときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。

同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子テープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマンブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときクイーンかな。

その頃、初めてエルヴィス・コステロインペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌グラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテックカメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチシングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面音楽にどっぷりいった。

そういうふうにして中学生のとき洋楽を聴いてると、みんな馬鹿自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。

ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテックカメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コード名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。

高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスなっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)クラスにいるときは、Kとしかさなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドル写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外小説を読みながら歩いていたという話をきいた。

ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校友達かいたから。

変な高校でさ。普通レベッカとかBOØWYコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンクニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスコピーやって出てた。授業中はウォークマンヘッドホンコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。

小沢中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水ジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったか一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)

※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソードアルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめ関係する箇所は上記だけなので以降は省略。



読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。

そして問題記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、

自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。

小山田圭吾問題の最終的解決|外山恒一|noteより

まず第一に、これは小山田氏が、自分いかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。

ーーー(省略)

それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりエスカレート過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的ことなのではないかと思うのです。このことはむしろ世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身イジメ加害経験真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそも最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオンジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。



また、件のブログの反論としては、”自分判断で「障害者虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、

フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。

下手したら、「障害者虐待アピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。

2021-06-29

anond:20210629144156

三月十七日に倦怠感が出て、三月二十九日に亡くなったもんね。

緊急事態宣言も出る前だったし。

 

夜遊びする割に結構から死にかけたりしてて、今度もどうせなんとかなるだろと思ってたらあっという間に亡くなられてしまって

こんな時期に遊んでるからだぜジジイざまぁみやがれとか言える間も無いほどのスピード感で亡くなられたよね。

恐ろしすぎるよ。

 

まぁ閑古鳥が鳴いてたとは言え、志村ヘルプを頼んだ夜の店側が悪いのか

その言葉に男らしさを発揮してお店に行っちゃった志村が悪いのか

結局そのお店達は今でもあるのか、わかんないんだけどね

まぁ一番悪いのは新型コロナなんだけどさ

 

そういう面も含めて、恐ろしいまでの反面教師だよ

anond:20210629142201

そのころはそもそも自粛ムードなんてなかったからね

しろ志村の死でようやく「あれこれもしかしてヤバい?」ってみんな思い始めた

2021-06-01

いよいよ芸能人・誰が生きてるの死んでるのか全然わからんくなってきたGPも佳境に入ってきた。

志村田村は死んだんだな。これは多分忘れないと思う。

ほかは微妙北の国からはどうだったっけ?全然わからんくなってきてるぞ。

2021-05-10

人生で一度は声に出していってみたい言葉

志村ぁ!うしろぉ!」

2021-05-08

anond:20210508150412

志村という人を考えるとき、この部分は外せないんだよな。

2021-04-25

志村けんコロナで死んだの未だ納得できないが

志村あいつなら流行り病で死んだよ…」と描くと、死因の虚構性が高まって芸人らしい死に方だと思う

2021-04-24

anond:20210424085115

志村逆ー逆ー。

死すべき組織なのに人がしがみついて生きながらえてしまっているけど、本質的には死すべきだったり死んでるだけなんだ

anond:20210423094416

あれは緊急事態宣言機能させるための布石だったんだと思ってるけど...

あのころ日本は正直危機意識ほとんどなかったよね。

マスコミだってアクリル板もなく、マスクもせず、みんな密集して報道するのが当たり前だった。

安倍総理学級閉鎖策は権力乱用をいとわない首相によるひどい政策という扱いだっただろ?でも、欧米でも普通に実施してるよな。

このウィルスのやばさを理解し、外出を控えていたのは中国人との交流がある人たちだけだった。

あの頃、正直、コロナ自体対岸の火事という認識だった。

志村さんという有名人の死はそれを自分たち問題認識させるものだったと思ってる。

あれを見て震え上がった同年代高齢者はそれなりにいるんじゃないか

まだまだ若いと思っていても、コロナにかかったら死ぬってみんな理解した。

その2週間後、緊急事態宣言が出されたとき学級閉鎖したときのような批判が起きず、粛々と受け入れたのは志村さんの死があったからだと思う。

2021-04-23

anond:20210423171257

志村けんに憧れてお笑い芸人になった岡村隆史が、

とあるごとに志村のまね をして“アイーンポーズを見せたのが復活のきっかけと言われてますね。

実は、志村自体は、全員集合時代にはアイーンポーズはするものの「アイーン」とは言ってなかったんです。

そこに、岡村が 音声としてのアイーンという叫びを付け加えたことで、ギャグとして復活したと言われています

anond:20210423170653

当時ニュースで「志村さんはお客が来ないお店を助けるために云々」みたいなの聞いて、とりあえず金だけやってコロナ落ち着いてから店行ったらよかったんとちゃうんかと思ったわ

2021-04-12

いっぽうで昭和時代比較し「人殺し認定される基準は厳しくなっている

anond:20210412000942

政府与党コロナ放置して志村を死なせても人殺し政権呼ばわりされないし

警察官だったら誤認逮捕で数人で押さえつけて被疑者を殺しても人殺し呼ばわりされない

役人貧困者への生活保護を止めても殺人にならない

昭和の半ば日本が勝つための作戦実施しただけで、直接も間接も仲間を殺さないのに人殺し扱いされている牟田口さんが哀れ

昭和は令和の価値観では不当な時代だった

2021-04-09

GWに向けてコロナは相当ヤバいことになる

みんな気付いてると思うけど変異種のせいで日本コロナ状況はだいぶやばくなる

これまでの自粛はなんだったんだっていうレベルでやばくなることが目に見えてる

大阪今日にでも1000人突破、来週も増加ペース下がらないだろうことは確定

変異種の恐ろしいところは若年層での重症化率が高いってところ

広がるペースは一緒かもしれないけど、これまで無症状者としてカウントされてなかった若年層が

一気に病院殺到して病床圧迫することが予想できる

というか大阪ではすでに起きてる

さら学校が今週始まったか子供を起点にして家庭内感染で爆発的に広まることが容易に想像できる

東京他人事じゃない

大阪が先陣切ってしまったせいで東京変異種増えてるのに危機感全然ない

この2週間ぐらいで潜伏してる変異種が山程いると想定

始業式とも合わせて山場は来週の木曜から金曜かな

年末年始の状況を見ると1万人は軽く越えると思われる

まぁそもそもそんな数の検査ができたらの話だけど

そして完全にヤバいのはこの1ヶ月ほどで海外でのワクチン接種効果が見えてくるという現実

イスラエルなんかの状況を見てると摂取が進んでる国は5月頃に平常に戻っている可能性が高い

そしてコロナ反動イベントなんかもわんさか再開

反動VIP層の交流が増える・蓄えていた技術等が放出される・経済損失を取り戻すために投資が増える などなど

オリンピックなんてどうでもよくなるぐらい盛り上がっていくんだろう

そんな状況で日本だけは逆にコロナが盛り上がるっていうね

おまけに学校職場は未だにロックダウン対策全然取られてないから下手したら7月ぐらいまで引っ張るだろうし

ワクチングダグダ10月ぐらいまでまともに進まないだろうね

この状況下で厚労省飲み会批判報道かいうクソみたいな足の引っ張り合い

そもそも官僚も悪けりゃ自民党も悪いけどそんなことやってる場合なんかな

マスコミはじめとして危機感なさすぎない?志村がもう一人死なないとダメなのか?

2021-04-03

志村動物園はいつまで

志村けん遺産で食いつなぐの?

亡くなったすぐの頃ならまだしも、そろそろ事あるごとに志村さんの過去映像流すの減らしたら?

志村さんというコンテンツを上回る企画を作るのは確かに大変だろうけど、そういうの作ろうとしてる姿勢が見えないと、ただ故人の遺産で食いつないでるように見える。

甲府市幹部ちょっと方向を間違えた

男性にお願いだけど頑張って女の子誘って遊ぼ?」と発言した甲府市幹部が「不適切発言」として叩かれた。ニュースはすぐリンク切れするだろうから下にコピーを載せておく(魚拓は取得禁止にだった。不適切なら削除する)。

個人領域に関することを公の立場にある人が言及したというのがマズい、という趣旨は確かにそうだが、下記のようなデータを見て、そもそもこれは決して「個人」に帰着すべき問題ではないという認識もできれば増田諸氏と共有したいと思う。下記にあげるのは、国立社会保障・人口問題研究所http://www.ipss.go.jp/掲載資料から作成した、「生涯未婚率」の推移の表である

性別生涯未婚率(%)

 年男性女性
1960 1.26 1.88
1970 1.70 3.34
1980 2.60 4.45
1990 5.57 4.33
200012.57 5.82
201020.1410.61

今日、ちょうどKKO議論の行く末も地獄、という論考もブクマに上がっていた(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/81804)けれど、それらの問題は全て上の表に集約されているのではないか。つまり*失われた20年で最も失われたのは男性結婚機会であったという単純な事実だ。生涯結婚できない男性の数は50年で実に20倍に増えた。これは、2010年の若年男性が、50年前の若年男性に比べて20倍も努力していないことを意味するのだろうか? そんなわけがない。

やれ「草食化」だの「非婚化」だの、いい加減、若者自身責任があるような議論を止めて、国はまともにこの数字と向き合うべきだ。「(さまざまな事情で未婚に追い込まれている)若年者に手厚い政治」をしてこなかったことが、ヒステリックにも見える今日社会問題の根源となっている。仮に1990年を参考に、経済的問題がなければ未婚を選ぶ率は人口の5%程度、と仮定するなら、2010年時点で実に男性人口の15%、女性人口の5%、つまり均して人口10%が「金がないか非婚(KNH)」民だということになる。はっきり言って立憲民主党の支持者より多い現在陰謀論、狂ったミソジニーミサンドリー過激排外主義的主張、根拠のない伝統主義ネットイナゴ…………などに食い荒らされているこのKNH民を、正しく政治的に救いとる方法が求められているのではないか

山梨県甲府市で行われた中小企業の合同入社式の中で、甲府市産業部長が「なるべく異性と遊んでほしい。そうすれば少子化は少しでも解消する」などと発言しました。

部長は、「発言不適切だった」として謝罪し、撤回しました。

合同入社式来賓として出席した甲府市産業部の志村一彦部長は、仕事だけでなくプライベートも充実させてほしいという趣旨あいつの中で「なるべく遊んでいただきたい。遊ぶのも男性同士、女性同士じゃなくて、楽なんですけどね、気持ちとしてはなるべく異性と遊んでいただければと思います。そうすることで少子化が少しでも解消されると思いますので」と発言しました。さらに「男性のほうにはお願いなんですけど、ジェンダーフリーとか、男女共同参画とか言われていますけど、遊びに行くときには男性のほうから誘っていただければと思いますので」と続けました。

個人自由である交友関係出産、それにジェンダーへの理解を欠いた発言ともとれます

志村部長は式の後、UTYの取材に対し「結婚意識してほしいという趣旨だったが、不適切だった。

不快に思われた方にはお詫びし、発言については撤回したい」としています

この発言について山梨英和大学近藤教授は「交友関係出産などは、個人領域に関するもので、公の場で言及することは適切とは言えない。

固定的な男女観にとらわれず、多様性配慮して発言することが重要」と話していて、男女共同参画ジェンダーについて正しく理解してほしいとしています

[UTYテレビ山梨]https://news.yahoo.co.jp/articles/9138c85984db13fe89923800938e6e4417b61c3f より引用

*……女性生涯未婚率が6倍以上上昇していることも、決してなおざりにはできない問題ではある。だが、50年前の数字女性社会進出がそれほど進んでおらず、今ほど選択の自由がなかった時代のものである(つまり結婚「したくない」のに「させられて」いた女性も多い)ということも踏まえれば、男性とは事情が異なるだろう。思うに、男女ともそこのバランスがとれていたのが「生涯未婚率5%前後」の1990年頃であって、まさにバブル崩壊によってそれがガタガタになって回復できない状況に突入していったのではないだろうか。

2021-02-25

anond:20210225195551

国民が何人コロナで死のうが関係ない

自分選手は死に物狂いで練習してきたんだから五輪価値志村含む国民全員の命より重いんだと五輪選手の全員が思ってる

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