はてなキーワード: 対症療法とは
じゃあ対症療法として最悪じゃん
地球は回っている。
そして太陽のまわりを周っている。
いわゆる自転と公転ってやつだ。
これらが巡り巡って、太陽が地球を照りつける箇所が変わってくる。
それによって気温が上がったり下がったり、明るい時間も増えたり減ったりするんだ。
その変化を俺たちの世界では“四季”だなんて表現するけれど、この言葉を最初に考えた人はきっとロマンチストだろう。
または底抜けのポジティブシンキングだと思う。
だって客観的に考えて、季節が変わったら面倒くさいことの方がずっと多い。
それを良い事のように解釈する人もいるけれど、実際は煩わしいことだらけだ。
夏は海で遊べるけど、それは暑いことの裏返し。
秋の公園は紅葉が綺麗だなんて言うけどさ、むしろ銀杏臭くて最悪だよ。
暑いんだか寒いんだかハッキリしてなくて、優柔不断なところもダサいし。
冬は雪が積もって特有の遊び場になるけど、そのせいで交通は不便になるし、家の雪かきとか手伝わされる。
その時にできた泥と混ざった雪の塊を見て、白銀の世界なんていう奴がいたら俺は笑うね。
だけど俺たちに惑星の動きなんてどうこうできるわけもないし、グチグチ言ってばかりいられないのも確かだ。
だったら多少は前向きに考えるくらいが生きていくには丁度いいんだろう。
でも、変にこじつけるのはどうかと思うけれど。
恋愛漫画を読んでる時のタオナケを見てると、つくづくそう思う。
“恋に恋してる”っていうのは、正にああいう感じなのかもしれない。
「はあ~、今週の『君に読むトワサガ』だけど、ちょーエモーショナルよぉ~」
彼女の植物プラントを維持するためには、恋愛漫画は必要不可欠なんだ。
「マジたっとい、感じ入るわ……」
「それ先週も言ってなかった?」
「言ったかもしれないけど、それは今週言わない理由にはならないの!」
これも、いつも通りだ。
だって俺たちには、こういう恋愛モノの良さがイマイチ分からない。
惚れた腫れたで口ケンカするのが、切った張ったのケンカよりエキサイティングとは思えない。
「はあ……この良さが分からないなんて、あんた達はガキね。少しはシップー君を見習ったらどう?」
“シップー君”っていうのは、タオナケが読んでる漫画の主要人物だ。
常に主人公を気にかけて理解と共感の言葉を投げかけ、爽やかなスマイルを無料で提供してくれる。
そんな実在の人物や団体とは関係のないものを持て囃し、挙句に見習えと要求するのは俺たちよりガキっぽくないか。
それに、もし言われたとおりシップー君の真似をしても、それはそれで「あんたらキモいわ」って言ってくるだろう。
だから俺たちはこういう時に、タオナケの粗熱がとれるまで放置するしかないんだ。
倫理を捨てて何でもやっていいならまぁ人間を使い捨てにする勢いで研究すれば治療法は見つかると思うよ
昔は死刑囚とか使って人体実験やってたし何なら脳に電極差しての研究もやってたしな
医者というか、研究医達は専門的に治療法を見つけようと研究しているし
臨床医も最新の論文あさったり対症療法の中で改善したとかの論文を出したりとかしていることもある
日本の場合、健保で認められていない治療は病院の持ち出しになるか患者の全額自己負担になるので基本的には新規の治療はなされない
今までコロナウイルスについて考えをまとめるために記す。匿名ダイアリーを用いるのは、所属する組織に何らかの影響を与えることを懸念して(別に過激な思想ではないと思うけれども)。
中堅小児科医。専門医取得済み。いわゆる第一波の時は院内に小児患者はいなかった。東京でも都立総合に3,4人程度、いずれも家庭内の感染だったそうだ。成人の救急の先生が重症患者にECMOを回し忙しそうにしているのを横目に眺め、ガラガラの外来・病棟で暇を持て余していた。全国のPICUのネットワークでも、重症患者はおらず、基礎疾患のある児が関西地方で入院しているのみと聞いた。山梨大学の乳児のCPAの例ではコロナウイルスPCR検査が陽性とのことだったが、続報がなく、個人的には偽陽性であったのではないかと考えている。事前確率が低ければ、検査陽性でも陽性適中率が低くなるからだ。
第二波では、小児の患者も何人か。いずれも症状はほとんどなく、あっても鼻汁程度。成人のCOVIDでは鼻汁やくしゃみは少ないという話ではあったが。家族が陽性→保健所からの要請でPCR検査を行い、二類感染症として入院という流れ。入院中もほとんど診察はせず、full PPEの看護師さんがバイタルをチェックし、両親に様子を伺い、退院していく。医者がやることは電子カルテ上のオーダーくらい。ホテルもすでに準備され、軽症者は順次ホテルに移っていくだろう。
第一波の時は未知のウイルスであり、 影響が測りきれない部分もあった。緊急事態宣言は、小児医療に関わるものとしては、適切なタイミング・適切な程度で出されたのではないかと考えている。
今回、患者数が再び増え、医療と経済とのバランスの中で、どのように今後の方針を決めていくかについて、様々な意見があると感じている。小児科医として、何点か述べたい。
緊急事態宣言後、公園の遊具はロープで縛られ、動物園や水族館、テーマパークなども軒並み休業した。学校も休校となり、大学などは現在でもオンライン授業が続いていると聞く。甲子園も開催されなくなった。スポーツ大会などでは、開催されないことで将来が大きく変化する児童も多くいることだろう。子供の1年、若者の1年の重みは、成人の1年とは異なる。小児がコロナウイルス感染に対して、vulnerableと考えるのであれば、学校の休校やスポーツ大会の休止は子供を守るためにやむを得ないが、重症化のリスクが低いと見積もれるのであれば、果たして必要な措置なのだろうか。重症化リスクが高い層を守るのが目的であれば、外出自粛すべきなのは子供や大学生ではなく、高齢者になるのではないか。そういった意味では、「旅行は良いが、里帰りは控える」といった経済担当相の発言は、色々叩かれているが、一つの真理を含有している気がする。なお、自粛により家庭に閉じ込められた小児に対して、家庭内暴力や望まない妊娠が増えていることは世界的な事実であることを付け加えておく。
・適切な免疫を獲得する機会を奪っていないのか
静岡厚生病院小児科の田中医師がidatenメーリングリストで述べていたことの受け売りではあるが。小児は感染を繰り返しながら、免疫を獲得していく。手足口病や伝染性単核症などは、両親や同世代の間で不顕感染や軽症状を経て、獲得免疫が形成される。vaccine preventableでないこれらの疾患は成人発症の場合、重症化する可能性が高い。「新しい生活様式」を真面目に守れば守るほど、将来プール熱やりんご病で思いも寄らない合併症に苦しむ患者を産む結果につながらないのだろうか。
感染症、特にウイルス感染症は「100%絶対にかからないこと」を目標としてはならない。インフルエンザワクチンの効果についても然り。接種することで、重篤な合併症が防げれば、それは見えづらいが大きな成果である。感染 = 悪というデジタルな二元論ではなく、ウイルスがそこにある状態で、どうやって生活していくのかを考える必要がある。
新型コロナウイルス感染症については、そもそも感染しても、あるいはワクチンができてそれを接種したとしても、終生免疫が獲得されるのかどうか、という問題もあるが。
昨年、RSウイルスが大流行した。小児で心肺停止に至る症例もあった。集約施設では毎日のようにハイフローネーザルカニューレが必要な症例が入院してきたし、気管挿管例も多くいた。
また、インフルエンザによる脳症で、後遺症を残す例も毎年いる。米国では毎年それこそ数万人といった単位でインフルエンザによる死亡が見られる。ウイルス感染症は一定の確率で重篤な後遺症を残しうるし、成人でも命を失う方はたくさんいる。このことは、自分の知りうる限り大きくは報道されていないし、「乳児へのRSウイルス感染を防ぐためにマスクの着用を」「インフルエンザが流行しているから外出を控え自粛をしましょう」という議論にはならなかった。
RSウイルス感染症は、現時点で有効なワクチンは存在せず(パリビズマブはワクチンではなく、適応にはいくつか条件がある)、治療薬も存在しない。乳児では重症化のリスクも高いにも関わらず、成人では重症化しないという点で、放置された訳だ。
「インフルエンザは治療薬もあり、新型コロナウイルスとは違う」という発言も頻繁に目にするが、オセルタミビルですらWHOの必須薬ではない。本邦での使用が大半だと考えられるラニナミビルについては、欧米での治験が中止されるくらい、有効性についてのエビデンスは乏しい。ノイラミニダーゼ阻害薬について、エビデンスがあるのは、一部の薬において、発熱期間を有意に短縮するという点のみだ。
ワクチン接種云々によらず、ウイルス感染症で重症化した患者に対して、できることはとても少ない。抗ウイルス薬を投与した場合でも、重症の肺炎や脳炎、髄膜炎などは、急激に回復が望めるわけではない。それこそ今新型コロナウイルス感染症に対して現在行われているように、ステロイドや免疫グロブリン投与など、感染に対して過剰に活発化した免疫を抑えるよりほかない。
恐怖を煽り、RSウイルスやインフルエンザに対応しろと言っているのではない。新型コロナウイルスはただの風邪とも言わない。新型コロナウイルスについて、「何もわからない」状態から少しずつ情報が集まり、データに基づいた議論が可能になりつつある。軽症や無症状も多く含まれる感染者数を毎日発表しつづけることは、果たして有意義なことなのか、発表が徒に恐怖を煽っているだけではないのか、現時点でも封じ込みを目的としてPCR検査を行い、二類感染症として隔離入院を続けるべきなのか。立ち止まって考える時期ではないか。
子供の権利の話ともつながるが、新型コロナウイルスに関して、「自分が死ぬかもしれない中高齢者」の恐怖が、議論を歪め、RSウイルスやインフルエンザ感染症などその他ウイルス感染症への対応と比べた時、歪な方針となっていないか。
一般臨床医にとって、ウイルス検査とはあくまで実臨床上補助となるものでしかない。発熱、咽頭痛、眼球結膜充血を主訴に来院し、周囲で咽頭結膜熱の流行があり、飲水ができず入院が必要そう。その場合、あくまで診断の裏付けとしてアデノウイルス迅速検査を提出する。出さなくても方針には変わりない。インフルエンザ迅速検査にしろ、迅速が陰性であっても病歴から事前確率が十分に高いと判断できれば、ノイラミニダーゼ阻害薬の使用を考慮する(必ず投与するわけではない)。医者がインフルエンザと診断し、病名をつければ、その患者はインフルエンザなのだ。
PCR検査陽性の場合、ただ一つ正しい言明とは、「咽頭にウイルスが存在する」ことのみだ。インフルエンザ迅速検査陽性で、発熱があっても、咽頭発赤がまったくなく、結果として尿路感染症であった小児などいくらでもいる。主訴がまずあり、病歴・身体所見に矛盾しない。そのうえで検査が陽性である場合、治療が正しいものである可能性が高くなる。
検査結果が出るのに月単位で時間がかかる感染症もある。例えば猫ひっかき病の原因であるBartonella henselaeは国外でしか検査を行えず、結果が帰ってくるまでに患者の症状が消失していることも多い。それでも、臨床的に病名をつけて、治療を行うしかない場面も多々ある。逆に、検査結果がすぐ出て、感染が証明されても、何も行わない場面もある。アデノウイルス感染症もそうだが、対症療法しかない感染症もいくらでもある。症状の強弱はあれど、世の中治せる病気ばかりではない。自然に治っていくものの方が多い。
無症状の接触者に対しても積極的にPCR検査を行い、診断・隔離を行うという政策(これはもはや医療ではなく、「政策」であろう)は、臨床医として、完全に間違っていると考えている。一部の県では軽症者が増えすぎ、ベッド数が逼迫しており、無症状のものには検査を行わないことにしたそうだ。今後、広がっていくことだろう。
・報道のあり方
ティッシュペーパーの買い占め、マスクの転売、赤の他人に自粛を強要する一般市民。これらの事象において、報道の影響は看過できない。不安や恐怖を煽り、一体何がしたいのだろうか。最低だと思っていた機関の、より最低な姿を見せつけられ、もはや残念とすら思えない。
コロナウイルスの完全な消失、あるいは治療薬・ワクチンの完成を望んでいるとしたら、おそらくそれを実現するのには途方も無い時間を要するだろう。経済活動、あるいはこどもの権利(もちろん病気で亡くならない権利も含めて)を守るためには、ウイルス根絶を目指すのではなく、我々自身の考え方を変えるよりほかない。
揉め事の結構な割合が、関係者が過去の出来事の心理ダメージを引きずってることに由来してると思うんだよね。
いじめられ経験で引きこもるとか、それで無職とか、性被害でミソジニーやミサンドリーや性嫌悪になるとか、毒親育ちで社会に適応できず殺人に至るとか、孤独から薬やギャンブルやセックス依存症になるとか、ヤバいカルトにハマるとか。
そういうのは対症療法として精神科が投薬しつつ、克服はカウンセリングがやる範疇だと思うんだけど、カウンセリングの効果薄すぎない?
ブコメでも「精神科行け、カウンセリング行け」みたいなの多いけど、カウンセリング受けてるにもかかわらず揉め事起こしてるパターンが結構ある。
効果ゼロとは言わんけど、「信頼できる専門家に任せましょう」として推奨されるものとして、あまりにもアテにならなすぎるわよカウンセリング。
https://anond.hatelabo.jp/20200503011104
実は言われるまでもなく安倍首相のことを応援している。しかし政治家としての安倍晋三、ついでに自由民主党は全く支持しない。どういうことか。
おれは安倍首相と同じく潰瘍性大腸炎を患っている。第1次安倍政権が潰瘍性大腸炎の悪化によって幕引きとなったとき、幼稚でバカだった俺は世の他の人たちと一緒に「下痢してやめた」などと揶揄していたものだが、いざ自分がなってみると安倍首相には尊敬の念しか無い。この病気は完治せず、下痢、血便からの大腸全摘ぐらいまではトントン拍子に進行してしまうリスクを常に抱えた病気である。消化に悪いものを食べず、体に負担をかけず、ストレス下に置かないことが大事だ。そんな中でも重圧に耐え、上記の通り病気を揶揄する声がありながらも総理で居続けられるのは並大抵のことではない。
もっと尊敬できるところは、決して病気を言い訳にしないことだ。この病気、根本治療はできないが対症療法は日々ものすごく進化している。そのおかげでおれはドクターストップからの退職寸前までいきながらも、今も定職について生活ができている。安倍首相は10代で発症したらしいが、そのころは今からすると治療法に乏しく、内視鏡検査もかなり苦痛を伴うものだったろう。だからそれだけに、そんな苦労を経てでも総理大臣に上り詰めた彼のことを、どれだけ世間から叩かれようとおれは憎みきれない。おれにとってはとてつもなく偉大なヒーローだし、尊敬の念を抱かずにはいられない。
でも、だからといってやってはいけないことはある。消費税の増税と統計不正からこっち、政治家、総理大臣としての安倍晋三は全く支持しない。なぜって、ハンディキャップを抱えているからこそ、真っ当な政治をして成功してほしかったからだ。れいわ新撰組の人たちとは違うとはいえ、おれの経験からすると潰瘍性大腸炎だってすごく大きなハンディキャップだ。だからこそ、そんな弱さを抱えてなお邁進する新時代のリーダーになりうる可能性は決してゼロではなかったと思う。強く断言する場面を吟味し、真摯に学び、専門家の意見を尊重する。アベノミクスが成功し、黒田総裁含め専門家への注目も集まり、景気は回復してみんなが豊かになる可能性はあったはずだ。でも財政政策と成長戦略は実行されることなく、なぜか消費税の増税だけには固執して、景気は悪化した。ついでに公文書偽造、統計不正、公職選挙法もろもろ不祥事ばかり起こしている。なんでそんなことになってるのよ。そんなどうでもいいことやってなければ景気回復の立役者になれて、どさくさで憲法改正だってできたかもよ?後者は良いかは別として(草案は当然だめすぎるが、それは別として)、目的に対してどうしてそんな迂遠な道を選ぶんだろう。なんで虚偽の答弁して地位にしがみついて、おれはえらいと虚勢を張り続けるんだろう。こうしてみると、病気を持ち出さないのも彼の考える「古き良き日本の強いリーダー像」なのかもしれないと思えてがっかりしてしまう。
上にも書いたとおり、おれは安倍首相を応援している。それは変わらない。でもだからこそ、すぐにでも彼には辞任してほしい。もろもろしらばっくれてしまえばみんな忘れると踏んでいるのかもしれないが、後世に彼が良い評価を受けることって、もう絶対にないだろ。今でも遅すぎるとはいえ、自分に足りないものを認めることができれば、それなりに浮かぶ瀬もあろうよ。というかそんな社会をおれたちは望んでいる。こんな小さい声は届かないものとは思うけれど、それでもひとり、おれは安倍晋三を応援しているし尊敬している。ベストとはいかないまでも今よりもベターな社会の中で、同じ病気を持つ仲間として安倍さんと生きていきたいと思っている。だからこそ言わせてほしい。安倍辞めろ。
皮膚科と歯医者と精神科と眼科と不動産屋に行かなきゃいけないのにコロナが怖くていけない。
でもはやく行かないと確実にやばい。
うつ状態でもう半年近く寝たきり状態が続いてるので、37歳だけどフレイルティになってる気がする。寝たきりになる前は人並み以上には体力があったので落差が激しくてしんどい。
だいぶ前に高齢の大家さんから今年いっぱいで賃貸契約おしまいと言われてるので引っ越し先を探さなきゃいけない。こんな時期にこんな状態でどうやって引っ越し先を探すんだよ。
それに家がゴミ屋敷だから引っ越し準備だってできる自信がない。
契約終了日は6月末だ。それまでに引っ越しできてる自信はゼロだ。
ヘタしたら違法状態で住み続けることになりそう。
もう大大大ピンチでどうしようもない。
顔の皮膚も数ヶ月前から真っ赤に腫れてて皮膚科行かないとすごいやばい。自己判断でステロイド塗りまくって対症療法やってるから絶対やばい。
ステロイドを自己判断で塗っていいのは2週間までと言われてるので2週間塗って少しマシになったら放置して、しばらくしたらまた赤く腫れてきての繰り返し。さすがにもう皮膚科専門医に診てもらわなきゃダメだろう。
やらなきゃいけないことが山積みなのになにひとつできてないし、それで困るのは自分自身なのに動けない。
もう終わりだ。