なんか嫌なやつに嫌なことをされた時に、寺の坊主から「そいつは可哀そうなやつだと思いましょう」と説法を受けるのはたぶんセーフ。
でもその説法をライフハックとしてSNSに流すのはなんかアウトな気がする。
嫌なやつ=可哀そうなやつ、という等式を嫌なやつから嫌なことをされる前に得るのは、まだ見ぬ嫌なやつに対する差別ではないか、みたいな。
結局坊主の説法は対処療法であって予防にしてはいけないのでは、みたいな。
Permalink | 記事への反応(3) | 06:27
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×対処療法 ○対症療法
嫌なことをされる前に、嫌な奴を避けるのは差別ということですね。 被害を受けてからじゃないと警察は動けないんですよね。 民事不介入は民主主義を守るために必要ですよね。 被害...
でもキモくて金のないおっさんは存在自体が嫌なことだけど可哀そうとは思わないんですよねわかります