はてなキーワード: 初詣とは
今年の年明けは神田明神で初詣をしてきた。なんで神田明神かというと、なんとなくである。
ラブライブは観ていないが神田明神はラブライバーの聖地であるとは知っていたので、ラブライバーだらけの新年になるんだろうかなどと思っていたが、見るからにラブライバーだとわかる若者は少なかった。
ちなみに、見るからにラブライバーだとわかる若者はラブライブキャラがプリントされたポンチョやひざ掛けを体に巻いていた。
流石にあれだけ人が多いと、オタクはあくまでも少数派だということなのか、それとも皆紳士なのか、どちらかなのだと思っていた。
が、神田明神でお参りをした帰り、男坂のほうから帰ったのだが、そこにラブライブグッズの直販をやっているコーナーがあった。しかし、コミケのごとく並んでいるというほどでもない。
皆紳士であったというわけではなく、単純に少なかったという線の方が正しそうだ。
人と関わりたくなかった。
人付き合いがつらい。
生きることの全てがめんどくさい。
人としてろくでもない自分だと思う。
早く死ねたら本望だ。
寿命がくるまではとりあえず生きてたほうが無難そうなので生きてきた。
そんな私に、色々あって彼氏ができて、色々あって妊娠してしまい、色々あったけど結局はデキ婚をした。
でもやっぱだめだった。
人として、とても全うには生きていけそうにないくらい、私はダメなやつだった。
結婚をしたくないことも伝えた。
しかし彼は別れてくれなかった。
中絶もさせてくれなかった。
理由は、彼を嫌いになったのではないから、別れる理由にならない、とのこと。
私からすれば、好きだからって結婚する理由にはならないと思うが。
なぜ断りきれないのか。
気が弱いからだ。
避妊のことだって、はっきり頼めなかったから失敗してしまった。
それを本当に悔やむ。
あの時ピルを知っていたら…
生まれてくる子供がかわいそうでかわいそうで、ただそれだけだった。
夫の両親との同居。
おまけに共働き。
結婚以降の私のがまんと努力は、勝手に産み落とされた我が子への懺悔だ。
「生まれてきたくなかった」ろくでなしの自分が、どうやったら子供を幸せな人間に育てられるのか。
全然わからないまま、とにかく私にできる限りの努力はしてきた。
そういう私の気持ちを、夫はどこまで理解してくれているのだろう。
結婚前と同じように、仕事へ行って、帰ってテレビ見て寝るだけ。
私が風邪や仕事で家事を休むと、同居の母ちゃんに任せて自分は出かける。
夫は家事を一切しない。
なぜだ。他人の私には家事をさせるのに、なぜ自分の息子にはなにもさせないのだ。
もはや夫だけでなく、夫の両親さえ憎い。
「結婚するなら独り暮らしして、自分のことくらい自分でできるようになってからしろ」と言ってやってほしかった。
せめてもっと普通に家族と過ごせないのかと言ったら、「ずっと家にいるとイライラする、ひとりになりたい」とか言う。
いつまでも親に頼ってる夫が憎い。
子供になにも教えようとしない夫が憎い。
子供を持つことに、私と同じだけの責任を感じてくれない夫が憎い。
私をこんな生き地獄に引きずり込んだ夫が憎い。
そろそろ子供も大きくなってきた。
結局私のように人生をめんどくさがっている。
しかし私にできることはもうなにもない。
初詣に行ったら、夫の横でこっそりと拝もう。
夫が後のことを全て、ひとりでやってくれますように。
その理由を考えてみると、どうも信仰を持つ(⇔無宗教)ということのイメージが、こうしたことを言う人との間のそれと違うからではないかと思い始めた。
私はプロテスタントなのだが、信仰を持つということは、自分の罪を自覚し、それを贖ってくれたキリストを受け容れることだ。それに伴い、聖書に書かれた道徳に従った生活を送ることをも意味する。
何か問題にぶつかれば聖書を参照し、解決策を探る。それが自分にとってつらいこともあれば、救いになることもある。
他方、クリスマス・初詣・葬式しかやらない人にこうした要素は見出しにくい。
神を受け容れるという点について、初詣のときには神を受け容れる人が多いかもしれないが、その時限りのものだ。クリスマスや葬式は言わずもがな。
また、日常生活において宗教の教義を意識するなどということはないだろう。そもそも神道については教義があるのかどうかもあいまいだ。
広島の糞田舎じゃポケモンそんないないだろうなぁと思ってたけど、地元の幾つかある神社やお寺にナゾノクサとかいてゲットしてみた。
なかなかかわいい。。
初詣で大勢賑わう大きめの神社にはレアポケモンのロコンがいた。
そのためちらほらとポケモンプレイヤーと思われる人が集まっていたんだけど、そのうちの1人から声をかけられた。
ちょっと戸惑いながら返事をするとニコッと笑って今まで集めたポケモンを見せてくれたりした。
LINE聞けなかったけど、またあそこの神社行けば会えるかな。。
帰りに可愛いハムスターが道をトコトコと歩いていたので手にとってみたら
「ぴかぁぴかぴかぁ」
と奇妙な鳴き声を出した、、
驚き慌てて手を放すと怒ったらしく
「びかあああああああああ」
と唸り声をあげたところまでは覚えている。
気づいたら病院にいた、、、
家族の話だと全身感電ショックで倒れていて、救急車で運ばれたらしい。
あのハムスターはなんだったんだろう。。。。
アニメや漫画で仕入れたオカルトの知識は非オタクの人より豊富だと自負している。が、非オタクの人よりもそれらはフィクションでしかないと痛切に知っている。お化けや神様が「現実だったら楽しいだろうに」と考えていた。我が身に降りかかるまでは。
私が現在進行形で体験しているオカルトの話をしたい最大の理由は、後続者がオカルト体験に直面した際、何かの足しになれば良いと考えたからだ。困ったときに検索してもらえたらと思う。あるいは漫画、小説、脚本などを書く参考でも構わない。胡散臭い情報の1つとして有意義に活用してほしい。
冒頭の通り、私は単なるオタクで、オカルト事象に関してはド素人である。だから事実誤認や妄想が過分に含まれているだろうが、どうか許してほしい。誤字脱字、読み辛さもしょせんは素人と見逃していただきたい。統合失調症などの精神錯乱を含め、思いつく限りを一生懸命調べたけれど、確かめようのない、分からないことばかりだ。
判断は読者にお任せする。体験した出来事に対する主観と、憶測を記す。
我が身へ最初に起きたのは、奇妙な夢を頻繁に見ることだった。神社や神託めいた助言の夢。
そんなある日、神社で狐に驚かされる夢を見て起きた瞬間、某稲荷神社の映像が写真のように鮮明に見えた。もちろん、漫画の読み過ぎだと思った。けれど、本当にその稲荷神社の狐が夢に出ているなら驚かせないでくれ、偽物なら困っているから退治してほしい、と稲荷神社へ直談判してみようと思った。春先の出来事だ。
いきなり稲荷神社へ行くのは恐ろしく、ちょうど厄年だから厄払いをしようと思いついたのと人に相談できればと考えて、まずはいつも初詣で行く地元の神社へ参拝することにした。社務所は無人で、厄払いは電話で申し込むようにと書いてあった。仕方なく参拝だけをして、願掛けしながらおみくじを引いた。
私にはちょっとした特技があり、願掛けして手ずからおみくじを引くと、まさに神様がアドバイスしてくれたかのような文章を含む結果を引き当てることが出来た。今回もそれにあやかるつもりだった。結果は『生きて居らるる親に仕える心持ちで神様を拝み嬉しい時にも、悲しい時にも御話申して御祭りする』だった。親なら話せば分かるだろうと思った。御話申してと書いてあるし。
その足で稲荷神社へ。神社本社に参拝してから、すみっこの稲荷神社へ向かう。狛犬代わりの狐像がこちらを見ている気がした。二礼二拍手を正しく出来たかどうか記憶にない。手を合わせ、困っている助けてほしいと祈った。もちろん何も起こらない。が、何もしないより気が済んだだけましだ。他の参拝者がやって来たから退散しようと「いつもありがとうございます」と呟いて、外へ出ようと鳥居をくぐった。
その瞬間、何かのスイッチが入った気配があり、背中に2つ、重たい何かが飛び乗った。逃げるように本社へ戻り、これは何だと問いを念じながらおみくじを引く。結果は地元で引いたおみくじと全く同じだった。
『親心をもって常に側去らず』『そして常にぴったり御一体になって居る事が肝要だ』などと書いてある。「憑かれた」と思った。
帰りの電車で、狐らしき気配が混雑した電車に驚いている様子を感じた。銀色の狼みたいな大きいのと、漫画に出そうな小さい白狐が居るような気がしていた。それらの幻覚は日中に鮮明で、夕方に日が沈むと消えた。
私はとりあえず「マジかよ」と笑った。
誤解を恐れずにいえば、もともと「宗教」に疑問を抱いている立場でした。
ただでさえ触れる機会が少ない上に、
「TVで知った、ちょっといい話」説教を連続して聞く体験に遭遇しました。
残念を通り越して、
「大切な人の死の前で、何をこんな話に有り難がるのか。」
という完全な不信感でした。
「オウム事件で日本人と宗教の関係は50年分後進した」と言われている通り、
事件をきっかけに、多くの日本人は「宗教」を忌避するようになったと感じます。
しかし、世界では宗教に帰依していない人の割合は半分以下、すなわちマイノリティなのです。
宗教について知らないままで、いいのだろうか。
例えば、ISのテロの問題、宗教法人税、トランプ氏の排他的発言…
知らないでは済まないのではないだろうかという思い。
例えば、以前TEDで京都のお坊さんが「日本人の宗教観」について話された際、
『クリスマスを祝い、除夜の鐘を聞き、神社へ初詣をする日本人の宗教観は、
宗教上の問題で争いが絶えない世界に対し、我々の宗教観を発信していく必要性がある』
これらを通して、
車座で三者が談笑してもらいながら相違点を理解したい、と思い、
「へぇ!そうだったのかぁ!?」とトリビア的喜びを感じて欲しい。
先の収録ではお墓に関する相談に対して、
葬儀を盛大に、は元々やらなかった事。
宗教によって違う事や、宗教は違えど同じ事に驚き…楽しかった。
そんな話を、お悩みのお答えと共に繰り広げる…。
https://www.youtube.com/watch?v=8zCMrao66EY
そんなプログラム…是非お楽しみあれ。
初詣の起源についての一考察(http://anond.hatelabo.jp/20160225024404)はなかなか面白かったです。
興味をもって、思い立ち調べたのですが、「賽銭」についてのWikiペディアの記事がなかなか参考になるっぽいです。
そもそも、神仏に供える銭を「投げる」という行為に大変違和感があったのですが、発端が「散米」といって神に供えるのに米を投げるという行為が源流であったかもという説はなかなか興味深く、なんとなくこれが賽銭を投げ入れるという行為につながっているという説には説得力がありました。アジア各地で神社仏閣等にお金を供える箱はあっても、「上から放り込む」式の箱はないのだとか。一般人が賽銭をまつる風習は室町にさかのぼり、記録上最初の賽銭箱は1540年鶴岡八幡宮におかれたとか、そういった記述を見ると、なるほど増田さんのおっしゃるように、戦国期には、今日の我々の行動につながる神社参詣のひとつの形が生まれているのかもしれません。
ただ、そういった神への感謝の独特な表し方の一端が初詣につながっているとしても、「お正月に着飾って物詣にまいりましょう。これが日本のよき風俗です」とやらかしてうまうまと伝統の衣をかぶせやがったのが明治末期の鉄道屋連中であることはハッキリしておるわけで、嘘を吐くときに何かもっともらしい由縁を持ち出してくるのは、その手の広告屋のやり口ですから、上記のようなことがあるとしても、それでそのまま「初詣が日本の伝統」とはならないわけです。婚約指輪とか、あるいは近い例では恵方巻とか。いくら由緒があろうが、それらが商業的な都合によるキャンペーンなどで「作られた伝統」であることはゆるぎないわけですね。たとえば、新興宗教が既存の神様を祀ったところで、その宗教が伝統ある宗教ということにはならない。それと同じです。
ただ、もちろん「作られた伝統」の中にも、定着するもの/しないものが歴然とあるのは事実です。それらは、単に「よい風習だと感じられたから残った」ものもあれば、どこかで伝統とリンクする部分があって定着するための下地があった場合もあると思います。上のたとえを使うなら、ある新興宗教が成功したとしたら、それが「新興宗教」であることはゆるぎないとしても、どこかで合理性、あるいは伝統との関連性を持ち得ているという可能性はある。
ですから、「下地があった」ことからすぐに「作られた伝統ではない!」という発想に飛びつくのではなく、「定着した」という事実があったとき、それをもとに理由を調べてみるという態度が大切です。文化というのがどのような関連をもちうるものか、それ自体が定かではないわけですから、由来や起源を事細かに言い立てて変に権威化を図るより、素直に目の前のことを分析することの方に理があると思います。
いつまでにここまでの関係にならなかったら、この人と良い関係を築いていくのは難しいと判断してもう諦めようっていうやつ。
そのいつまでっていうのが今月末なんですが。
一緒に初詣行って以来、相手の仕事が忙しくて会えないままその日を迎えそう。
まあ仕事で忙しくて疲れてるだろうし、会えてもご飯おいしいねまたねーみたいな、気楽なデートにしようと思う。
ってそれって月2でしてきた今までのデートと一緒だったわーー。何もかわらないわーー。つらい。
こっちから会いに行く提案したりホテル誘ってみたり自分はこういうことしたいなあとか伝えたりとかしてみたんだけどなんか上手くいかなかった。既婚者ではないし浮気してるわけではなさそうなのにダメならもう合わないのかな。
あとちょっとどう過ごそう。
それぞれ通ってみた。
人が声かけてくれる順
神秘的順
風貌
・とにかく優しい人が多い
・風変わりの人の率が普段生活してる時に関わる割合より少しだけ多い
まあ数ある教会の中で10にも満たない所に通って何が分かるかってところだろうけど。
■追記
初回参加時に挨拶を求められる
カトリック(4つの教会に行きました)については出席の時に、記名を求められないので、一番入りやすいです。
大きめの教会でしたら、さらっと入って何事もなく帰ることができます。
大きめのカトリック教会は規模の大きさを活かしてクリスマスミサを複数回開催していたり、
初詣のような年明けミサがあるので忙しい日本人の生活リズムにあわせやすいと思います。
仕事で教会のミサや礼拝に参加できないという状態にはカトリックが一番陥りにくいと思います。
また、バチカンをトップとする階層構造であるのと引き換えに、所属教会概念には縛られづらい印象があります。
一方で日本キリスト教団は日本の家族的な温かさの雰囲気があります。
http://anond.hatelabo.jp/20160125135604
いろいろあった。
廃仏毀釈はいろいろ言われているが、理由の一つに明治政府が戸籍管理を寺社から奪いたかったいうのがある。
これと王政復古を背景とした天皇の権威向上もあって、神仏分離令から国家神道の成立となる。
国家神道は大日本帝国の実質的な国教だったわけだが、建前として、神道は宗教ではない、ということにされた。
これまたいろいろな理由があるのだが、外国との通商条約を改正するにあたり、キリスト教の排斥をしていると交渉の場に立つことすらできなかったとかがある。
初詣などが宗教行事ではなく、日本の慣習・習俗であるなどの論法はこのころに広まった。
GHQにより国家神道は解体された。昭和天皇の人間宣言が象徴的やね。教育勅語も墨塗りされた。
ただでさえ、宗教行事が単なる慣習に過ぎないとされていたうえで、宗教的な教義は完全に破壊された。
地縁から切り離された人間の拠り所として、本来なら宗教に大事な役割があったはずなのだが、前述のとおり破壊されてなにもない。
こういう拠り所を求める人間を鴨として新興宗教が猛威を振るったわけで。そうかそうか。
あらゆる宗教的な儀式は、外装だけを奪われて、商業的なマーケティング材料になっている。
心の拠り所を求める人は、多いが、それを宗教に求めることは少ない。
世界では未だに宗教が原因で戦争やいがみ合いが絶えないのに、日本ってすごい。
何がすごいって誰もが信仰を全くといっていいほど意識していないこと。
それなのに初詣は行くし盆と彼岸にはお墓参りに行くし、お賽銭は投げるしお葬式にはお焼香するし。
かといってクリスマスを祝うこともウェディングドレス着て神前で永遠の愛を誓うことも咎められない。
しかもその上で、新興宗教に対して一定の自浄作用も機能してて、外国からの宗教がほとんどはいってこないわけじゃない。
それなのにほとんどの人が信仰を意識してないってことが本当にすごい。
追記2
1/3 SHIROBAKO一挙放送をみる、新世界よりの一挙放送を見る
1/4 初詣と墓参りにって帰ってから白猫やってた、新世界よりの一挙放送を見る
ここまでほぼ予定通り、ここから昨日まで飲み歩く日々が続いた
1/6 二日酔はないけどオールしたので夕方まで寝ててごろごろしてた
1/7 すっかり生活が夜型になって、白猫のデイリーミッションリセットの16時から起きるのが当たり前になる
1/8 友達と飲む、4時くらいまで飲むが途中で記憶がなく、聞いたら寝てしまっていたとのこと
1/9 二日酔いではないけどまた夕方まで寝ててごろごろしてた、録画してあった新アニメをとりあえず一気見
これから
1/10 ガンダムが始まる前に起きた、ガンダム見たあとやっとシュタゲやる予定
お守り、お札、破魔矢とか、ああいうたぐいのグッズをもってくるひとなんなの。
正直迷惑。
ゴミ箱に捨てられないし。
1年に1回しか捨てる機会がないって物ってひどすぎでしょ。
埋立ゴミでも月2回は捨てられるのに。
あーあ、仕事始めね。
私は行ったわよ、
特に取り分けお願い事があるわけじゃないんだけど
ちょっと、お願いとは違うわね。
でも、あれってお参りするときって、
みんな何お祈りしてるのかしらね?
自分のお願い事をするの?
ちょっと、急にそんなことを思いました。
まあ、人が多いけど、
あとさ、実家に帰ったら
みかん持って帰れ
みかん持って帰れってうるさいんだけど、
私が欲しいのは
まったく!
今朝の朝ご飯は
お雑煮です!
察しの通りみかんがいっぱいあるので
って言ったところかしら?
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう!
きっと初詣のついでに神様仏様に問えば「シングルマザーも救われるべきだし、あなたも救われるべき」とでも答えるんじゃないかな。
ちなみに、フェミ と ルッキズムを嫌う層 ってけっこう被ってると思うけど。
あなたの分析したとおりだし、さらにはあなたが想定してる「守る」主体である国家の理屈が少子化対策とかそっちに向いてるからね。
特に醜さによる不幸とかには関心がないんだよ。
ところで、要はシングルマザーとかどうでもよくて、あなたが救われないといけない。
> 容姿が醜い「有能な人間」はおそらく納める税や生産物が愛されるだけだろう。
> 父親は普通の人間よりも稼いで自分は豪勢な生活を送っているが、自分も家族も父親の稼いだ金しか愛していない。
自分の父親に対する態度が鏡のように自分を苦しめてるんじゃない?
初等教育時から容姿を馬鹿にされ続けたブサメン先輩として上から目線でヒントとアドバイスをやろう。
がんばってね。
テレビを見ながら「この子は歳のわりには老けてるわね」とか「この人の子供障害あるんでしょ?」とかどうでもいいdisを延々と続ける両親たち。
初詣に行くにも、混雑している道のど真ん中で何度も何度も急に立ち止まって談笑し始める両親たち。
杖をついて歩いている他人のおじいさんを指差して笑いながら「私もあと数年後にはあーなっちゃうわぁ」とケラケラ笑う母親。
「今の人見た!?歳いってるのに凄い若作りな格好!!」と本人に聞こえるような大声で笑う父親。
どこに行くにも、何をするにも他人を下げることから始まるコミュニケーション。
育ててくれた両親には感謝はしている。
はっきり言って仲良くしたくない。距離を置きたい。
転職して実家と職場が近くなったので一人暮らしをやめて戻ってきなさいと言われているけれど、性格の不一致が目について決断できないでいる。