はてなキーワード: 初詣とは
http://anond.hatelabo.jp/20151223232520
に書いた続き。
年末は実家に帰省し友人たちとワイワイできて楽しかったのだけど、
家族と地元の神社に初詣に行ったら、期待してたほど楽しくなかった。
そして年を越すと
楽しみも無いしやらねばならないこと多いしでとても鬱な気分になった。
先日、何となく血圧を測ってみたら、高血圧で薬を処方されてる両親より高かったので
それから毎日血圧を測るようにしているが、今日も150-90ぐらい。
動脈硬化とか心筋梗塞なら交通事故みたいに人に危害を加えることなく人生を終えられそうだし、
自殺みたいに保険金が下りなくなるようなこともないんじゃないかな、とか考えている。
記憶を亡くす件に関しては、先日とあることで軽く電気ショックを受けたせいか、
少しマシになった気がする。
たまに「夜中に子供連れ回してる親なんなんだよ」っていう意見がSNSに踊る。
なんでそんなに怒るのだろう。
夜の街は俺たちだけのものって思ってるのかな。
その日がその家族にとって特別な、夜までお出かけの日なのかもしれない。
それともどこにも預ける場所がなくて、やむなく連れて出た日なのかもしれない。
夜の街は大人だけの特別な場所じゃないし、夜の家はすべての子どもにとって安全なわけじゃない。
いろんな事情があって、いろんな理由があって、それは誰にもわからない。
どうして夜中の親子は申し訳なさそうにしか街を歩けないのだろうか。
これが初詣の夜だったら、誰も何も言わないのかな。
夜中の親子は一緒にいる。
(だからこそ見えにくくなるこわいこともあるけれど)
夜中の親子の、その日がもし特別だったら、素敵な1日の終わりを祈る。
個人的には初詣なんて行きたくもないし死んだら葬式なんてせずに適当に野ざらしにでもしてくれればいいと思ってるけど社会がそれを許さないんだもの
ここ数年で日本のハロウィン事情は大きく変わった。街全体がハロウィンムードに包まれるまでにもなった。それに関して、個人的に言いたいことがある。
お祝い事(お祭り)としてキリスト教文化圏には古くから根付いているものだし、文化そのものに関しては全く否定しない。その文化が日本で受け入れられるようになったのは、グローバル化の中で自然の成り行きだと思う。
それぞれが衣装を着たり、お菓子の交換をしてようとそんなことは構ったことじゃない。やりたい人は自由にやればいい。
ただ、「やりたくない人を巻き込むな」と声を大にして言いたい。ハロウィンに関心も興味もない人間を、無理に個人の世界に連れ込まないでほしい。ここはあくまでも日本であって、ハロウィンは初詣のように国民的宗教行事じゃない。
具体的に言うと「〜くん女装したら?」と声をかけてきたり、音楽を大音量でかけて人の邪魔をしないでほしい。「一緒に楽しめばいいじゃないか」とかそういう話はしてない。
楽しむのは内内でやってもらって、関係ない人を巻き込まないでほしい。何をするにせよ、ある程度場所と程度をわきまえてほしい。
なぜなら、管理する側は明確でも、管理される側(つまり並ぶ人)は素人さんだから。
並ぶのを管理する方と、並ぶ方の、双方が訓練を経て、初めて管理が成功するようになる。
これは、切符の購入から店の限定販売、施設への入場に至るまで全て同じ。
例えば徹夜はしないでね、に対して、徹夜組200名です、だと、これを弾くのは難しい。
店側にボディーガードが100名詰めてます、とかなら行けるだろうけど。
例えばコンビニの列に横入りする人、みたいなのは店員が1人で注意してもなんとかなる。1対1だから。
これが、例えばプレステ5を買う列に20人が大量横入りする、だとシステムで対応しないと個別じゃ弾けない。
色んなお店が頭を悩ませて、整理券だとか抽選だとか事前申し込みだとかに対応するのが、システム。
頭に思い描いて欲しいのは、お正月に浅草寺に押し寄せる初詣客、ね。
捌く人数が1000人を超えると、列管理とは全く違う管理が必要になります。
ここに至ると、多少の順番の前後とか横入りとか細かいことは無視する必要がある。
滞り無く「部隊」を移動させることが最優先であって、大抵「強権」を持った人が必要になる。
安全を考えると、「実力行使するぞ」という実行力を持った警備員が居ないと無理です。
このパチ屋の話http://anond.hatelabo.jp/20150805120855は、すごい面白いし有能。
訓練された客がいるというおかげではあるものの、インセンティブの与え方もコントロールも上手い。
ただ、1000人を4人で捌くのは大したものだけど、単純に1万人を40人とはいかない。
報道を聞く限りでは、そこまで到達してないと思うなあ。もっと前で破綻してる。
炎天下の幕張メッセに5万5千人来場、誘導スタッフ50人。1500人あたり1人の「誘導員」。
86人救護室、11人救急搬送、2万人は入場できず、という状況だったらしい。
たぶんマトモなイベント屋が間に入ってない。これ、社員の仕切りだと思う。
無料のイベントってことで、カネかけたく無かったんじゃないかなあ。
フツーに考えて、保安要員(警備員ね)が居ないとかアリエナイもの。
1番がかの有名なコミケットで、群衆を整然とした列に落としこんで、キチンと管理してる。
2番は初詣の警察の誘導とかね。大量の警備員で気合で守らせる。バックアップも十分用意する。
状況を伝え聞く限りでは2万人規模のイベントやる体制じゃない。
辞めると思う。いや冗談だけどさ。
自分だったら、まずキャパを把握する、次にボトルネック(一番細い通路)を確認する。
そうすると、流量(入ってくる量)と、ハコ(入れる量)からの算数になる。
例えば、ざっくりこんなことが判る。
どんなに風呂桶がでかくても、蛇口からひねった水の勢いでしか溜まらない。
つまり、チョロチョロとしか水が入らないなら、満杯になるにはすごい時間がかかるのは判るだろ?
んで、50人総出で、一斉に列形成に走る。会場内に入れちゃえばあとは適当に捌いて貰えば良いんだから。
9時開場で、すんげえ溜まっちゃってたら、もう入口側から対処していくしか無い。
準備不足では絶対に群集管理は出来ない。無理矢理にでも列管理するしか無くなる。
個別の質問には極力答えずに「この位置の人達は、最低でも何時間待ち」というのを叫んで回る必要がある。
そして、キャパを超えた人数には、「この位置では入場制限になるので、入れません」とハッキリ言って追い返す必要があった。
「まず入れません。会場入りした人が出た場合のキャンセル列だと思って下さい」と伝える必要がある。
キャンセル待ちって言い方にすると、どうしても帰れない人(遠方から来たとか)以外は、大抵諦めてくれる。
徹底的に追い返して、管理できる列を管理する。こまめに広報する。
列管理は「ルール違反者を弾く」のがポイント。並んだ人はルールを守る人。
群衆管理は「歩兵の大移動」。ルールを守らせる人が居ないと並ばない。
例の幕張メッセのイベントは「後ろの群衆を追い返す決断が出来なかった」のが一番の悪手。
たぶん暴動が怖くなってほとんど表に出ないっていう作戦に出たんだろうけど、まあ近隣迷惑だよな。
「付き合っている人がいるんだ」
耳を疑った。
「えっ、そうなの…。知らなかった。ごめん」
今まで行った自分のアプローチがすべて空虚となり、恥ずかしさと同時に申し訳ない気分になった。
やさしく微笑むと、どんなヤツなんだと想像する隙もなく、聞いてもいないのに恋人について語り始める。
失恋直後の自分には残酷過ぎた。これ以上は詳しく聞けなかった。
今週末もデートするに違いない。先週末もデートだったに違いない。それどころか今までずっと週末はデート三昧だったに違いない。毎年クリスマスを一緒に過ごしていたに違いない。お正月は二人で初詣に行ったに違いない。家族ぐるみの付き合いをしているに違いない。ご両親も認める仲に違いない。「昔はここで一緒に遊んだっけねー」なんて言って、近所の公園でもデートしているに違いない。「あの先生はどうだった」「あのクラスメイトはどうだった」なんて話題が尽きないに違いない。修学旅行は一緒の班で回ったに違いない。運動会も同じチームで協力し合ったに違いない。体育のときはフォークダンスで手をつないだに違いない。バレンタインデーには机の中にチョコを仕込み合ったに違いない。席替えのとき、クラス替えのときは「一緒になれたらいいね」なんて言い合ったに違いない。同じ学校に進学するか話し合ったに違いない。受験勉強も励まし合ったに違いない。学校卒業するときは一緒に泣いたに違いない。卒業式の日、伝説の木の下で告白したに違いない。初めてのエッチは照れまくりだったに違いない。そして休みの日は猿のようにやりまくったに違いない。子どもの時から「結婚しようね」なんて約束しているに違いない。好きなこと嫌いなこと、すべてを知り尽くしている仲に違いない。今まで生きてきた分の、語り尽くせない思い出がいっぱいに違いない。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
勝てない…。
「恋人がいる人を好きになった」「略奪愛」「彼氏持ちを落とす方法」「彼女持ちを落とす方法」なんてキーワードを検索して出てきた恋愛指南の記事を要約すると、こうだ。
「諦めずに良好な関係を続けよう。そして、ケンカするときを待とう。不仲を相談している隙に心を奪おう。長期戦は覚悟だ!」
そもそも、幼なじみ同士が別れることなんてあるのだろうか。あまりに強すぎる絆。越えられない壁。どうやったって今から相手の幼なじみになることはできない。
ふと、自分には何故こんな素敵で仲の良い幼なじみがいないのか。いらだちを覚えた。
http://anond.hatelabo.jp/20150330001506
http://anond.hatelabo.jp/20150330162001
という反論を書いた増田がいるわけだが。うーん、なんかめんどくさい。僕は最初の記事に割と近い考えを持っている。反論の方は「真の無宗教とはなんぞや、本当に宗教や信仰を知れば選ぶのは難しくない」と言って批判してるわけだけど、それはどうだろう。
増田Aのような考えはそもそも宗教は人間の発明であるという前提がある。歴史上幾多の宗教があり、それらは神の性格も教義もバラバラである。つまり世界そのものや、人間の存在、理不尽な運命などを説明し、安心するために人が創りだしたものであろうと考える。もちろんそれこそ死の恐怖などに対しても多くの宗教は解決策、あるいは恐怖を幾らかでもやわらげる答えを出している。従ってそれらを「信仰」すれば死の恐怖を和らげることはできるだろうことは無宗教の人間にも理解できる。しかしそのためには、本当にその答えが正しいと信じなければならない。
「昔の人が考えた事で、なんの証拠もないけど死んだらあの世に行けるってよ」とか「昔の人が考えたことで何の証拠もないけど死んだら生まれ変われるってよ」と考えたとしてもそれは信仰たりえず、死の恐怖を和らげることもできないだろう。
もちろん、強い意志で「昔の人が考えた根拠ない仮説ではない!真実だ!」と思い込むことが可能なら真の信仰に辿り着けるのかもしれないが、それは増田Aにも僕にも無理だと思う。
初詣や冠婚葬祭で宗教の手を借りるのは、まるで信じていなくても別にできるし、例えば特定宗教の聖域でしてはいけないことなどは、信じてる人をいたずらに刺激しても何もいいことはないと思うのでやらない。盆に墓参りをするのは親や親戚に対して喧嘩売りたくはないからで、手を合わせている時も別に南無阿弥陀仏と唱えれば死者が成仏するともなんとも思ってはいない。こういうのはたとえ寺の檀家の人間であってもシンプルに無宗教と言ってもいいのではないだろうか。
無宗教者にとって死とは文字通り自分の消滅でしかないので、これを恐怖するかどうかはその人次第としか言い様がない。人が死を恐れるのは、自分の死というものが、思考上どこまで近づいても超えられない壁の向こうにあるからだ。必死に死について考えている自分、自分という存在、思考し行動するモノが、死というものをまたぐと永遠に存在しなくなる。考えれば考えるほど「永久に考えない状態」が怖くなるのだろう。
でも実は「見も聞きも考えもしない状態」を人間はほとんど毎日経験している。寝るとき人は意識を失う。眠りが深くなれば夢も見ない。その状態を恐れる人はあまりいない。睡眠中に突然死する人も結構いるが、そういう人も寝るときに恐怖に震えたわけではあるまい。ということは、死というのは当人にとって、眠りから目覚めないこととあんまし変わらないのだと思う。もちろん「永遠に目覚めない眠り」というのも怖いと思う気持ちはあるだろうが、「いつものアレと意識の有り様は変わらない」と思えばそう怖がる必要もないんじゃないかなあ。通常の眠りでも、眠ってしまった後は起きるか起きないか心配する「意識」「自我」は機能しなくなるわけだし。死ぬのも寝るのも似たようなものだと思う。
そう思うようになって、僕は「死ぬ前にエロ動画フォルダを処分しなければ」みたいなことも考えなくていいと思うようになった。死後それがバレて家族に軽蔑されたり、よしんば世間に公表されてより多くの人の笑いものになったりした所で、それが「僕にとって問題になる」ためには僕が存在していないといけない。恥じたり怒ったりする自分がその時もういないのなら、どーでもいいことだ。
目玉焼きにソースやケチャップかけるやつのことは馬鹿にしてきたし、寿司ネタでうにが好きなやつのことはほんとになんでそんなにってくらいに馬鹿にしてきた。カラオケでバラード熱唱しちゃうやつのことも当然馬鹿にしてきた。
電車でうんこもらすような大人のことはもちろん馬鹿にするし、20歳すぎて童貞のやつも当然馬鹿にするし、旧帝一工神未満の低学歴のことも馬鹿にするし、課金ゲーやってるやつのことも馬鹿にするし、任豚のことも馬鹿にするし、ウィンドウズ使ってるやつのことも馬鹿にする。
日本人のことを馬鹿にしてきたし、野球のことを馬鹿にしてきたし、テレビのことも馬鹿にしてきた。政治家で馬鹿にしなかったやつはいないし、コメンテーターを見てはこいつ馬鹿だと馬鹿にし、ネトウヨを見てはジャップと馬鹿にし、三色ボールペンを見てはそこは四色だろと馬鹿にしてきた。
プロパンガスのことも馬鹿にしてきたし、卓球の粒高ラバーのことも馬鹿にしてきたし、靴下の色が白のおっさんのことも馬鹿にしてきたし、白ブリーフも馬鹿にしてきた。
初詣に行かないのは馬鹿にしてるからだし、箱根駅伝だって馬鹿にしてる。
種ありぶどうは欠陥品だと馬鹿にするし、でかくて味の悪いバナナはつねに馬鹿にしてる。
広辞苑は言葉の用法がよくわからないから馬鹿にしてるし、41度という風呂の温度も若干低いから馬鹿にしてる。
CD買ってるやつのことも馬鹿にしてるし、BDでAV見てるやつのことも馬鹿にしてる。
魚の食べ方が汚いやつのことも馬鹿にしてるし、箸の持ち方が悪いやつのことも馬鹿にしてる。
それがなにか?
え、なにがそんなに問題なの?
馬鹿じゃないの?
ああ、おまえ、いま俺のこと馬鹿だと思っただろ。
そういうことだよ。
お前も何かを馬鹿にして生きてるんだ。
前々から真面目に書いてあったレポートを、当日に出すのを忘れてしまった。
4限が終わってから出そうとしたが、4限が良い講義だったものだから友達とその余韻に浸りながら帰ってしまった。家に着いてカバンの中にあるクリアファイルに残ったままのレポートを見て発狂した。
そのことを勢いでツイートしたら彼氏にふぁぼられた。ぶっ殺してやろうと思った。確かにはたから見たらたった1回のクソみたいなうっかりミスで単位を落とした奴がいるんだから面白いしふぁぼしたくなるだろう。でもその時はとても嫌な気持ちになった。私には何しても許されると思ってるんだろう。だからこんな言動ができるんだ。イライラしながら風呂に入ったら割と冷静になれたので寝た。明日ダメ元で出してみようと。
そして今日。朝イチで課に駆け込んだら、期限を1分でも過ぎたものは此方から受け取りはできないと断られた。先生に直接会って渡すしかないと言われたので、今日いらっしゃるか聞いたところ偶然5限に来るという。その時に賭けることにした。
一方、昨日のツイートで事情を知った友達が単位を供養してくれていた。
お焼香をしてくれていた。
もしかしたら今日出せるかもしれないと説明したら「これはワンチャンあるで!!!」とみんなで叫んだ。この時とても大学生らしいな自分と思った。1人はワンチャンだめだったらまた香典送るねと言い、もう1人は初詣のおみくじで大吉を引いたからその運をわけてあげると言ってくれた。なんかアンパンマンみたいだなと思った。
幸いにもレポートは受け取ってもらえた。
単位は息を吹き返した。
結婚1年目、とはいえ中学生の頃から付き合いのある友人宅でもあり、自分の実家とも車で10分ほどの距離。
友人の妹である妻と付き合っていることをオープンにした後は、年越しを妻の実家で迎えてから初詣に車で出掛けたり、
義父や友人を交えて麻雀だったりで年末年始にもよく遊びに行っていたので、
おっちゃんおばちゃんが義父と義母になっても特に何かが変わることもなく、
元日、おせちを囲む食卓に着いたところで、急に吐き気と頭痛に襲われた。
口の中に乗り物酔いの時と同じような嫌な味のツバが広がって、顔をしかめる。
世話焼きの義母が何を飲むか友人たちに聞きながら歩き回っていて、
円卓には義兄、義弟、妻、義父が座り、卓上には立派なおせち料理。煮物が美味しそう。でも吐きそう。
電気が眩しい。なんかクラクラする。吐きそう。頭が痛い。うるさい、というか人の気配が煩わしい。呼吸が乱れる。
「お餅1つの人ー?」手を挙げて「あれ?1つでいいの?」と言われながら1つだけ餅の入ったお雑煮を受け取る。
口の中の嫌な味を流したくて少しすすった。出汁と味噌の味が美味しい、優しい甘さ。
食欲がないわけじゃないのに吐き気で箸が進まない、胃は空腹を訴えているのに、どこか別のところが拒否しているような。
せりあがってくる胃液と口の中の嫌なツバを無理やり口に運んだお雑煮で押し込む。
何度か深めに呼吸してみるけど呼吸が落ち着かない。
電灯が眩しくて目を開けているのがツラい、ほぼ目を閉じたままお雑煮をちまちまと食べる。
目を閉じていても、みんなの食事している気配がまとわりついてきてまた胃液が上がってくる。
気を抜くとマーライオンになりそうだ。
このあたりでようやく、人ごみで人酔いした時や、
会社の食堂で人の気配に酔って気分が悪くなって以来、食堂で食事が出来なくなったのと同じパターンの不調だと気付く。
昔から人ごみは苦手だったし、年々苦手になっている傾向は感じていたけれど、
こんな少人数で、しかも気心の知れた相手でここまでの不調が起こったのは初めてだった。
その場を離れる以外の対処法を知らないので、正直に
「すみません、どうにも調子が悪いので別室で食べてきていいですか」と言って一人離れた別室に移動した。
電気を付けないままの部屋に入り、人の気配が感じられなくなると、一気に気分が良くなった。
吐き気も嘘のように消えて、もってきたお雑煮をあっという間に食べてしまった。
あの美味しそうな煮物ももらってくればよかったと思ったけれど、分けてもらいに居間へ戻る気にはどうしてもなれなかったので、
目が覚めると復調していたので詫びに行ったところ、みんな笑って許してくれた。