はてなキーワード: 不正解とは
ワイは不正解やったで
タイトルでわかると思うが、男性キャラ同士のカップリングとそこにおけるボトム側にあたるキャラの女体化についての話をするので、苦手な人は気を付けてほしい。
私はリバ大好き腐女子だ。
受け攻めはジャンケンで毎日決めればいいと思うし、なんならジャンケンで決めたのもだんだん盛り上がって関係なくなって両方が両方に入れたり入れられたりしてると大変興奮する、そういうタイプの腐女子だ。
「そんなに左右に頓着しないなら、地雷も少なくてさぞ生きやすいだろう」と思われる人が居るだろう。実際私もそう思っていたし、地雷が多い人は大変だなあとのんべんだらりとTLや支部からありがたくご飯をいただいていた。
が、最近どうにも食べられなくなっているものがあることに気づいた。最初は性癖も寄る年波には勝てないのかと(全く関係ないが、最近油物がきつい。全く消化できないのだ)笑っていたのだが、どうもそうではない。これが所謂地雷らしいと気づいたのは、直近でハマったカップリングで「受けの女体化」を見た時である。
嫌いな人もいるだろうが、私は好きだ。女体化には色々タイプがあると思うが、元のキャラらしさを残しつつ美しく、可愛く、かっこいい女性になっているのを見ると、「わかる〜めっちゃそうなりそう〜」とあかべこのごとく首を振り、デザインセンスに脱帽する。そもそも美女や美少女が大好きなので、女体化自体は嫌いではない。逆も然りで、美少女や美女の男体化も好きだ。顔がいい人間は性別どっちでもいい。
先述したが、私はあるカップリングにハマった。仮にこれをA×Bとする。
この二人は親友同士だ。
Aは美形の男性である。中性的な顔立ちで、色が白く、髪の毛も長い。天才だが、天才キャラに多い少し生活能力がないタイプだ。あまり男らしいキャラではないが、Bよりは高身長だ。
Bはいわゆる兄貴系のキャラだ。A以外にも色々なキャラの世話を焼いている。みんな困ったら一度は彼を頼りにするようなキャラで、健康的な肌色で、顔の作りも整ってはいるが、Aと比べると男らしくあまり華やかさのある顔立ちではない。
私はまずABを検索するが、その直後に同じ回数BAも検索していた。私には二人の関係性が大事で、左右はどちらでも構わないからだ。ABを主に好んでいるのは、グッとくる作品がそちらに多かっただけの事である(思えば、この辺りで既に答えが出ていた)。
ある日、BAを摂取しようとツイッターで検索をしたところ、よくBAについての妄想ツイートをしているらしい人が現れた。検索画面の最新ツイートは、ほとんどその人のツイートで埋まっている。
私は作品を見るのも好きだが人の妄想を見るのも同じくらい好きなので、嬉々としてそのツイートを読んでみた。
……………最初は楽しく読んでいた。だが女体化の話が15個以上並んだ辺りから、違和感を感じた。読んでいくうちに、A♀のビジュアルが彼女の中でハッキリしていることはわかっていたが、そのビジュアルが私の思うものとかけ離れているからであった。
彼女の思うA♀は、巨乳で背が小さく華奢な女性で、身なりに頓着しないからよく際どいことになっている……そういう少年誌のラブコメでよく見るような感じであるらしい。
実はこのタイプのA♀のビジュアルデザインは、支部でも割と見る事が多いタイプだ。そもそも女体化の数が多くないので多いといっても微々たる差であるが、スレンダー美人系よりは数が多いように感じた。そうしてそういう巨乳のA♀は、多くの場合BAの人の手によるものであった。
私はラブコメでよく見るタイプの巨乳キャラは好きだ。メリハリボディ、大変素晴らしいと思う。だがそれがA♀かと問われると、首を傾げたくなった。
身長を巨乳に換算するのはCOC探索者のSIZでもあることだ、理解はできる。だがAは薬物中毒の経験がある(そしておそらく今も服薬している)不健康なキャラである。仮に巨乳であっても、そんなきゃるんとしたような行動をするか?健康的なラッキースケベ展開があるだろうか?
たまにならいいだろう、そういうところも見てみたい。わかる、そういう妄想は私もする。
だが四六時中そんな状態になるか?それはもう、A以外の何かではないか?
……そう思うほど、限界をとどめていないような扱いをされていた。そしてその扱いは、BAにおけるAの扱いとして多いものだった。
BA界隈で声の大きい人々のAは、様々な要素をモリモリに盛られていて、私には転生成り代わり夢小説に見えた。
BAのAがAとして見えるものは私には少なく、徐々に検索する回数が減っていった。
(誤解のないように言っておくが、私は腐女子と夢女子を兼任しており、転生成り代わり夢小説とかも大好きである。決して夢小説を否定する意図はない。)
花京院典明が空条承太郎とカップリングを組まされ、受けになるときによく見受けられる現象である。
絵柄の問題もあるが、過度に華奢に、あるいは可愛らしく、いわゆる「守りたい女の子」のようになっているものだ。
地雷はほぼ無いと言っていた時でも、これだけは受け入れることができなかった。それぐらい苦手である。
これまではキャラ崩壊故に苦手なのだと思っていたが、「受けの女体化」が苦手な原因は、このpixiv院を苦手な理由と合致していることに気付いた。
この「女性」というのは、可愛らしく、小顔で、色白で、華奢で、重いものが持てなくて、甘いものが好きで、髪の毛が長くてふわふわな、2000年代より前の少女漫画では必ず見たようなタイプである。
突然だが、ジェンダーの話をしよう。
私はXジェンダーだ。腐女子だと言ったが、肉体が女性として生まれたからそう呼称しているだけであり、神の作品を読んでいる時などは完全に男性の気持ちであったりするし、普段の生活においても己を男性/女性と固定して考えたことはない。常に男性と女性を行き来するような、或いは己に性別が無いような心持ちで暮らしている。好きになる相手は男性女性あるいはトランスジェンダー関係なく、好きになった相手を好きになる。
なので、実生活でも「女なんだから」と言われると、眉をしかめずにはいられない。痴漢などに遭うと、己を「女性」として固定化された上に性的に搾取されている不快感は耐え難く、殴りかかったら過剰防衛扱いされるような現状に怒りのあまり涙が出る。
「受けの女体化」は、そういうテンプレートな「女性」にされる事が多いのだ。
ABよりもBAで受けの女体化を多く見るのは、おそらくAが「長髪」で「端正な顔立ち」で「色白」だからだろう。
「長髪」で「端正な顔立ち」で「色白」だけが女性の条件ではないというのに!
そうして女体化すると、男性の時よりも力が極端に落ちたり極端に身長が縮んだりするのである。
最悪としか言いようがない。
受けの女体化といっても、バラライカやインテグラや哀川潤や禍燐のようになるのであれば巨乳でも構わなかった。あるいはパリコレのショーモデルのようなスレンダーで性別をあまり感じさせないような、はたまたボディビルダーのような作り込まれた肉体などでもよかっただろう。あるいは食べるのが大好きでふっくらしている子でもよかった。そういうバリエーションに富んだ女体化は大好きなのだ。
だがキャラ全員を女体化するのでなく受けだけを女体化すると、多くの場合判を押したように軒並み「守りたい女の子」になる事が多いのは何故なのか?
挙げ句の果てには「女体化したら結婚して一緒にいられる」?「子供が産める」?
結婚しないと一緒にいられないのか?
同性は結婚出来ないのか?
確かに日本では法としては整備されていないが、近頃はパートナーシップ制を導入している自治体も多いのに?
入籍せずとも、幸せな暮らしをしている事実婚のカップルも世の中にはいるのに?
あなたのその理論は、女体化して結婚しなければ一緒にはいられないという事だ。女性は結婚したら必ず子供を産むという偏見だ。AとBは男性同士では一緒に居られないということだ。長年親友として連れ立ってきたAとBを、まるっきり否定する理論だ。
彼らは男同士では、幸せになれないという事だ。
そこまで深く考えてのツイートではない、といえばそこまでである。だがそういうツイートほど、無意識の考えが透けるものだと思う。
「受けの女体化」やpixiv院化が嫌いなのは、テンプレートのような女性像と、結局のところ男女カプとしてしか男性キャラ同士のカップリングを見ていないように感じるからだ。
例としてBAでの女体化をあげたが、ABでも同様の女体化がこれから出てくる可能性は大いにある。そうなった場合、おそらく地雷の中から好みの女体化を探す手間と、女体化そのものを弾くことを天秤にかけるだろう。
その時、どちらかを選択することになるのだろう。だが、今はまだ私は「受けの女体化」が嫌いで済んでいる。
ここまで長々と読んでくれた上で、少しでも何か感じる事があったならば、是非女体化にはバリエーションを持たせてほしい。
「イイ女」は一人きりではないのだから。
てゆうかどうせやるなら両方にょたにするか攻めをにょたにしてペニバンでケツ掘られてる受けを見せてくれよ!私は膣に入れられる様じゃなく腸に入れられる様を見に成人指定作品を探したんだよ!!粘膜違いです!!
書き忘れていたが私は生産するタイプのオタクなので、今やっている原稿が終われば何かしらのカウンターをしかけようとは思っている。思っているがしかし逆カプの為に労力を割くのか?という気持ちがあるんだよな
それと誤解のないように言っておくが、私は何もテンプレートな女体化をやめろと言っている訳ではない。バリエーションを増やせと言っているのだ。そこは間違えないでほしい。
女体化の解釈違いの話をしてるのに違う話してきたりAもBも異性愛者って言ってないのに勝手に異性愛者だと思い込んでカップリングにしてる時点でキャラ崩壊では?みたいなのは今求めてないです、文章中にないことが含まれてる選択肢は不正解だって国語で習わなかったんですかね?
正解不正解が得意なら、質問する人間はそのことを質問されたい、と考えとくとやりやすい。ダイエット?と聞かれたら、その聞いてきた人はダイエットに悩んでるか、あるいいいダイエット法を教えて悦に入りたいのかもしれない。
聞かれてることに答える、私はこれができない。
例をふたつあげよう。
「・・・ポリポリうるさいですよね、ごめんなさい」
その状況をどうにかしたくて、さらに支離滅裂なことを話してギクシャク。地獄。
解説をいれられるならこうだ。
(ダイエット確かにしてるけど、してると言っていいほどしてない)
(確かに最近おやつもゼリーとかにしてたしダイエットしてる私に気を…)
(あっ食べてる音がうるさいんだ!やってしまった!)
「・・・ポリポリうるさいですよね、ごめんなさい」
これ数秒後に後悔してる。けど時すでに遅し。
とにかく、もう一つ例を。
「何色が好き?」
「あーーー、えっと、青、以外、いや、白とか赤が好きです!」
何色?って聞かれてんだろうが!って思う。答えた張本人、すぐにそう思ったけど時すでに遅し。またまたギクシャク。
どうか解説をさせてほしい。
「何色が好き?」
(白が好き!)
(本当に?白って答えたら印象がいいとか思って選んでない?)
(持ち物は黒が多いよね)
(赤も結構多いよ)
(白って答えて純情そうって思われるのもなんかヤダ)
(そもそも好きな色なんてなんでもよくない?)
(とりあえず青以外好きじゃん)
(白!)(いや赤だって)
「あーーー、えっと、青、以外、いや、白とか赤が好きです!」
声に出してないけど出したつもりでいるかのような返答ぶり。これこそが私のキャッチボールができない原因。気づけていないだけで、四六時中こうなのかもしれない…なんて考えると言葉を発すること自体が怖くなる。
■■■
0.1秒後に押し寄せる後悔、そして始まる脳内反省会。この間にも会話は進んでいる。見事に集中できずにまた失敗する。そして始まる脳内会議。エンドレス悪循環。
例であげた話は、どちらも何気ない、答えで何かが左右されることもない問いかけだった。
適当に「そうなんですよ!やったー!」とか「白が好きです!」とか答えていれば良かった。
私のことに興味があって話しかけてくる人なんていない。なんなら面倒だけど話しておかなきゃいけない義務で無理やり話しかけてくれる。だから適当に、そして早く会話が終わるように努めろ私。わかったな!
って何回も言い聞かせても、ボールを投げかえせないでいる。辛い。
■■■
接客が好きで、お客さんとの会話は上手く、そして楽しくできていた。
高校までは死ぬほどコミュ障だったけど、たくさんの接客系アルバイトで克服したと喜んでたのに社会にでた途端これ。
どうやらマニュアルがあれば、正解不正解に支配されてる頭の私は上手くやれるらしい。
私自身についての正解がないから、会話の間に正解を探して頭の中で会議をしてしまうのかもしれない。
それぞれの正しさを持つたくさんの私が、正しい私にしようとしている。
そうだとしたら、私は私のことが分からないという漠然とした悩みにも納得できる。
■■■
私は誰なのか。っていう答えのない自問を昔からずっとしてる。
何が正しいのか分からなくて、最終的に私の話し方や笑い方も忘れて、私でいることが怖くなり、人を避けて生活してる時期もあった。
そんな時でもアルバイトが楽しかったのは、私の在るべき正解があったからだったんだろう。
最近気づいた。
他にも、考え方は日々変わりゆくものなのに、「この私は私じゃない」と変わった私を否定する私にも苦しめられる。
正解なんてないのに、こんなことに振り回されてるなんて厨二かよ、、とも思うんですけど、それが正にはなってくれない。
■■■
この「好き」という感情は私自身のものだろうか。世間で流行ってるから好いているような気がしているんじゃないか。もしくは好いていれば何かで有利になるとか、そういう利害的な思考の末路なんじゃないか。
とりあえず、私はとてつもなく捻くれていて、自己否定的で、面倒な性格をしているということだけは分かる。こんな私と私は生きていくしかないから、適度に悩みながら適当に生きていこうと思う。
嘘です、適当に生きていけるようになることが夢です。
みなさんもどうか、そつなく適当に生きてってください。
とやらを1日で2度見かけたのだが、
そこはぷおんじゃないのか。IBM的に。
追
hatsquash 説明しよう!IBMの社名は「2001年宇宙の旅」に出てきたコンピュータHAL-9000の名前を1文字進めたものであるというネタがあるのだ!/かぶった…
↑不正解
https://ja.wikipedia.org/wiki/HAL_9000#%E8%AA%9E%E6%BA%90%E3%81%A8%E7%94%B1%E6%9D%A5
x100jp さっき検索したらGoogleさんが「ピエン超えてパオン超えてぷおん」をサジェストしてきた。ただし、IBMで言うなら「ぱうを」かもしれない。
↑こっちが正解のつもりだったけど、HAL側はこの説、否定してんのね。
Windfola ブコメ見てoでもqでもないことに悩み、かな文字と気づいてからも指摘見て元ネタ準拠で前方かいやしかしIBM視点だとやはり後方か…とまた悩んでしまった。我ながら暇人だ。
↑ごめんね
「パンはパンでも食べられないパンはなーんだ?」というめちゃくちゃ有名ななぞなぞがある。
ご存知「フライパン」が答えであるが、「鉄板」「甲板」「ショパン」など、食べられないパンがつく言葉など無数にある。最後にパンがつくことにこだわらなければ、パンダやパンツだって正解になるだろう。
なぞなぞという遊びの性質上、答えは出題者が独裁的に決められる。フライパン以外を不正解にしても構わないわけだが、なぞなぞ遊びをする小学生が「パンツ」を不正解にした場合、一週間は「お前パンツ食うのかよ」といじられること必至である。
つまりこのなぞなぞは単純な出題者と回答者の関係にはならず、出題者にある種のユーモアやコントロール力が試される、読解力どころではないトレーニング教材となるのではないか。
もしこの問題を気軽に出してしまった場合、意外と大変なことになるかもしれない。食べられないパンに気をつけろ、やつは食えねえ奴だ。
その時のハンドルの動きを、初めから終わりまで説明して下さい。
なお質問文にひっかけなどはなく、特定の条件ではどうこうみたいな話ではないので、構えずに素直にハンドルの動きを答えてください。
答えは簡単、まずは右にハンドルを切り、右の車線にきたらまっすぐ戻す……だけじゃないのか、と考えたあなたは不正解。
その場合、車は右に逸れたままなので、そのまま道とズレて直進してガードレールにぶつかるなり歩道に突入するなりします。
正解は、まずは右にハンドルを切り、右の車線に来たら、さっき切ったのと同じ程度だけ左にハンドルを切り、車体が道とまっすぐになったところで戻す……です。
ちなみに私も初見では完全に間違えました。
『このクイズをほとんどの人間が間違えるが、では間違えて車線変更をし損ねる人間はいない。
我々は意識で答えられないような動作を、無意識ではちゃんとしている。
と説明していました。
歳の離れた兄弟がいて、年下の子の扱いには慣れていたから、保育園でも小学校でも小さい子から人気だった。小さい子のお世話が得意な女子ってやつだ。
最初は、ただ小さい子と遊ぶのが好きだから保育士になりたかったんだと思う。大きくなるにつれて、なんとなく「私は将来保育士になるんだろうな」って思っていた。
高校生になってもその夢は変わらなかった。けれど、その頃から希望進路を伝えると、親や先生を含めた周りの担任の反応が微妙なことに気付いた。
私は受験でめちゃくちゃ勉強を頑張って、割と有名な進学校に通っていた。高校は、東大や京大、一橋、東工大などの有名国立大学や医学部、早慶のいずれかに入るのが良いことと考えている人が多かった。
先生もそう考えていて、高校1年生の頃に私が保育士になりたいから資格が取れる地元の大学に行くと伝えたら、やんわりと否定された。親も最初は夢を応援してくれていたけど、「折角良い高校に入ったんだから有名大に行ってほしい。」と思っているのが言葉の節々から伝わってきた。
周りの友人も東大や医学部を目指してる子が多かったし、有名大学に行けなかった先輩のことを軽く見下しているような雰囲気があった。そんな雰囲気に徐々に飲み込まれていって、「良い大学に入らなきゃ!」と思うようになっていった。その頃から「良い高校に入ったんだから、保育士になるのは勿体ない」という謎の思考に侵されて、保育士の夢を諦めた。不快に思う人もいるかもしれないから伝えるが、これは保育士を馬鹿にしているのでは決してない。私がただ馬鹿で、窮屈な価値観を持っていただけだ。
保育士の代わりに自分が何をしたいのか考えて考えて、結論を出した。「有名大学に行って、ある興味のある分野を学んで、企業の開発職に就く」というものだった。高校生の頃の自分は納得していた答えだったけれど、本当に納得していたかはわからない。ただその学問に関わる教科の偏差値が高いから好きなだけで、実のところ興味があるわけではなかったのだと思う。
それでも、いつのまにかその進路に進むことが本当の夢のように感じられて、大学受験をがんばった。
結果、かなり有名な大学に入れた。親も担任も大満足で、たくさん褒められた。あまり話したことのなかった親戚からもめちゃくちゃ褒められて、たくさんお祝いしてもらった。周りの反応が今までにないくらい良いものだったから、「自分は正解の道を歩めた」ってすごく安心したのを覚えている。
でも、「正解の道」を歩めたから、「不正解」になることをすごく恐れるようになった。大学に入ってからは、単位を少しでも落とすことが怖くて勉強をきっちりしたし、体育会かサークルで悩んだ時は体育会が「正解」だと思ったからそちらにした。企業の開発職に就くという「正解の道」に進むため大学院に進学することも決めた。
今、私は大学院の入試試験の勉強をしている。周りの友人は大学院に進む人が多いものの、就職する人もいる。就職する人を横目に学生をすることに少し負い目があり、なぜ私は大学院に行きたいんだろうと考えることが増えた。考えるたび、「本当は保育士になりたかった。別に大学院行かなくて良い人生だって歩めたのにどうしてこんなことしてるんだろう?」という思考が頭を占める。
「不正解の道」を歩んでしまったのではないか?とすごく不安になる。本当は「正解の道」は保育士になることだった?
人生は選択の連続であり、その選択に正解や不正解がないことは重々承知している。今の生活にも満足している。友達がいて恋人がいて学歴も持っている。世間から見たら満足していないのがおかしいと思う。それでも、やはり保育士になるべきだった、なりたかったという気持ちが湧き上がってきてとても辛い。
後悔しても仕方ないから、目の前の院試の勉強を頑張るしかないのはわかっているので、勉強は頑張る。
ただ、とても辛く苦しい。
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の、「俺」というのは具体的に誰を指している、のかという話で。
物語世界のみで答えを出すなら「俺」というのは物語主人公である「比企谷八幡」だろう、で終わってしまう。だからこれは不正解。そんな単純だったら問題にすらならないから。だからこれは不正解。
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」いまでこそラノベのタイトルとしては普通も普通に感じてしまう程度にはなったが、初見のインパクトはけっこうあったように思う。しかし初見で俺は
少なくともこの長いタイトルで「俺」というのは作者つまり渡航であって、これは要するに渡航の「担当編集から『先生にラブコメなんて無理ですよ~だって一度も書いた事無いんでしょ~?悪いことは言いませんから諦めて冒険活劇書きましょうよ~』と
嫌な事を散々言われながらでも何とか頑張って書いたけれども、やっぱりラブコメとしてはかなり間違っていると思われても仕方が無い代物が出来上がったZE!」みたいな自虐というか自嘲をそのままタイトルにしてみました。」というエクスキューズを
ビンビンに感じ取ったわけであり、そこを踏まえないと理解がおぼつかないし手に取りすらされないのでは?みたいな懸念がぶっ飛ぶくらいの大ヒットで、むしろこの視点を繰り出すのが恥ずかしすぎて死んじゃうくらいの勢いだったのでもはや黒歴史である。
家事や育児をまともにする男は、わたしのようなブスを相手にするはずがないと思っていたが
先輩の美人が、家事育児と仕事の両立ができないと退職したのをきっかけに、どうせ男は家事をしないなら、もういっそ適当に顔が好みの男と結婚して子供だけ作って、嫌になったら離婚して1人で育てようと思い立ち、当時友人の紹介であった顔が好みの男と付き合って半年で籍を入れ、小規模な式を挙げ、結婚生活を始めるも共働きの折半の約束の家事を激務のわたしの代わりに6割程度やってくれて、育児に積極的な顔が好みの夫に支えられて育休も半年にバリバリと働けて楽しいなあと思っていたのが6年ちょっと。子供の小学校入学後すぐ、突然仕事を無断で辞めてきて専業主夫になると言い出だし、相談はして欲しかったけどまあよいかと家事や育児の8割程度を任せるようになり、案外円満な家庭を築けるものだななんて思っていたのが2年。だんだん家事や育児のわたしの負担が増え、結婚当初の4:6に戻ったあたりで、[ゆーかちゃんママ]との浮気が発覚するも、仕事がピークに忙しく話し合う気力もなく、「お前が構ってくれないのが寂しかった。お前が悪い。」と責められ「ああそうか申し訳ないことをしたな」と思い、内内のまま再構築を決めたのが 年前。
中学校に馴染めず子供が不登校になり、「他の家はもっとお母さんが構ってくれる」と言われ、「ああそうか申し訳ないことをしたな」と思い仕事をセーブしようとするも上手くいなかったのが4年前。夫の[真希先生]との浮気と貯金の使い込みが発覚したのも3年前の春。午前2時の病院で帰宅が怖くなり家に帰れずネカフェに向かったのは3年前の夏。これではいけないと離婚のため弁護士に相談しに行ったのは、子供が参加しなかった2学期の始業式の翌々日。調停まで持ち込んでやっと離婚できたのがその5ヶ月ちょっと後。奇しくも子供がわたしと来ることを望んでくれ、退職し、夫のいない我が家で学校に行ったりいかなかったりする娘の面倒を見ていたのが一昨年。実家の方に引っ越したのが一年前。こちらの高校に毎朝元気に通う子供を見送れる生活にしみじみと幸せを感じられたのが半年前。2月前に再就職しぼちぼち働き始めた。前よりずっと楽だし、実母と実妹の支えもある。子供がお母さんみたいになりたいと医学部を目指したいと言って予備校に通い始めのが3月の頭。一週間ただずでもう高2になる。複雑ながらも表向きには応援している。
新婚の頃は「結婚してよかった。わたしなんかでも幸せになれるんだ」と思っていたけど、今にしても思えば一瞬の夢見たいな期間だった。0時過ぎに帰宅して、セックスレスじゃ有責だと責める夫に謝りながら相手をした後、泣きながら寝てた期間は悪夢だった気もする。その時はよくわからなかった。モラハラだったんだろうか。いまだによくわからない。幸せだと思った時もあった。
もっと考えて結婚していたら……とは思うけれど、出産のタイムリミットを思うと焦る気持ちもあって、恋愛経験だってたいしてなかったし、見る目がなかった。もし、わたしがきちんと元夫に向き合えていたら違ったのかなーとか、疲れてることを言い訳にしすぎたのかなーとか思うけれど、もう一度やり直せたとしても仕事と家庭を両立出来る気はしない。どうすればよかったんだろう。
きっと医者にも結婚にも向いていなくて、なのに、医者になって結婚したのがよくなかったんだろうなと思う。でも、今この幸せは確実に娘のおかげで、出産は人生で一番してよかったことだと思って。わたしなんかの元に生まれて申し訳ないことをしたなあと思うけれど、それでも許してくれる娘は寛大だ。
どうすればよかったんだろうな。仕事と結婚と出産どれかひとつだけしか選べないとしたら、間違いなく出産を選ぶんだが、仕事と結婚ができなきゃ出産は出来ないのが今の世の中だから厳しいなと思う。絶対浮気されないような美人だったら、仕事も育児も両立するだけのスーパーマンだったら、だとしたらなんとかなってたんだろうなー。女に生まれたら、どう生きるのが正解だったんだろうか。養ってもらえない上に浮気されるようなブスに生まれたのが間違いかな。幸にして夫似の娘なら、正解の人生を歩めるのかな。いいなー羨ましい。
仕事も結婚も出産も全部上手くはできなかったし、離婚しちゃったし、申し訳ない。申し訳ないけど、日本の方針としては、シンママ手当て拡充の方向性で、女の人生の正解から結婚は免除してもらえるのかなーとか予想している。仕事しかできないブスとしては有難い。そう考えれば、ブスでも仕事があって、愛してくれる子供がいるから、部分点ぐらいは貰えるかもしれない。満点を取るのは無理だった。頑張ったんだけどな。言い訳にはならないか。
働いて、子供を2人以上産んで、両親のそろった家庭を築く……のは無理だった。すみません。わたしがもっとマシな顔だったら、出来てたのかもしれないと思うと、顔面フル工事するのが正解だったのかもしれない。ブスに生まれた時点で80点どころじゃない減点があったのではないか、ブスは生まれた時から女の不正解なのではないかと思う。
20数年前のブスは「女はさっさと結婚して出産するのが一番」というのを信じて頑張ったんだがな。ダメだったよ。医者なんかにならなきゃよかったのかな。でも実兄が病死しててさ、実兄みたいな人を救いたいと思って小学生から医者目指して生きてきたんだよ。頭も良くないなりに努力してきたんだよ。あれが全部間違いだったんだろうか。じゃあ褒めないで欲しかった。でも、ブスには養ってくれる人なんか見つからないから自分で稼げる仕事に就くしかなかった。身の丈に合うブスの低収入職につくべきだったのだろうか。正解の男性と結婚していたら正解していただろうか。ブスには男を見る目なんかなかったから、難しかった。ブスなんだから、若さぐらいしか取り柄がないだろうと言われて焦っていた。女の高収入はなんの取り柄にもならないと言われたし、事実ならなかった。ヒモを養うにはいいかもねー(苦笑)ってだけ。離婚前の5年ぐらいは専業主夫なのに全くと言っていいほど家事してくれないから、家政婦さんに来てもらってたし、その人と家でヤってたのも後に知った。元夫は初めはとても優しかったし、結婚する時だって舞い上がってたし、結婚してすぐの頃は本当に幸せだった。こうなるとは思ってなかった。ブスの人生は諦めから始まって諦めに落ち着いた。
どうでもいいだろうけど、長年のコンプレックスだった一重瞼を糸で留めていただいたのが午前中、だ。今更加点がないのは知っているが、せっかく恥も外聞もないブスの出戻りだからと思い切った。こんなブスでも母親と娘には応援されてるんだ。もうどうなったっていい。
新型コロナの検査は重症者しか検査してない。そんな話をネットではよく聞く。
しかし、報道や、そもそも厚生省のサイトですら陽性者の中に軽症者や無症状者もいるという結果があった。
なぜなのか? 重症者しかやってないと言われているではないか?
それを答えてくれる人は、少なくとも私が属しているコミニュティにはいなかった。
だから調べてみた。
そこで国立感染症研究所に意義などや検査対象の大まかな指針のようなのが見て取れた。
簡単にまとめると、今も治療ではなく、封じ込めのための『積極的疫学調査』という方法がとられてるらしい。
そこでの優先度は 濃厚接触者かどうかが大事でそうでない場合はそこまで重要ではないということ。
検査の優先度順をつけると
1.濃厚接触者で重症な人 2.濃厚接触者で症状が現れた人 3.濃厚接触者で無症状な人 4.濃厚接触者ではない重症者の人
このうち1および2が基本的な検査対象で、それ以下は医者の判断で検査をしてもしなくてもいいという感じらしい。
参考
https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/9357-2019-ncov-02.html
https://www.niid.go.jp/niid/ja/others/9441-covid19-15.html
ただ国としては倫理的な問題なのか4をある程度優先してもいいと通達は出していた。
参考
https://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/200302/lif20030200290003-n1.html
そもそも濃厚接触者で重症者は最優先なので、わざわざこういうのであれば、4に対して言っていると考えるのが妥当だと思った。
それと同時に基本的には検査をしろと言っている1と2とは別に、優先すると言い方から3以上2以下(事実上の3番目)になると考えられるだろう。
なるほど、こう順位をつけてから厚生省の結果を見れば、たしかに軽症や無症状の人が検査を受けることもうなづける。
では、なぜこんな風な検査を送っているのだろう。
ネットでは重症者ケアを中心に医療崩壊を防ぐとしているが、本当にそうなのだろうか?
これはある面に対しては正解であり、また他方では不正解である。それが結果であった。
これは今のケアのためにしている検査ではない。将来のための検査である。
これはある程度、陽性反応から集団を割り出し、自重を促すことにより接触を減少させ、封じ込め、もしくは、感染する時期を遅くしようと試みている。そして未来の医療崩壊を防ぐというものだった。
検査の正確さから見ても、偽陰性が結構な確率ででるのなら、ある程度の陽性発生から大まかな感染集団を把握するという意味で有意義だということを理解した。
また厚生省のサイトを見ても今の段階での医療崩壊は想定されておらず、この『積極的疫学調査』が不可能となるような断続的に患者が増えた場合において、重症者を優先するなどして医療崩壊を防ぐとなっていた。
参考
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
少なくとも医療崩壊に関しては今ではないと取れた。
いやいや、もう2月とは状況が変わってるだろと言われるかもしれないが3/6(実はこれを調べる切っ掛けである)でも同じ見解であるとのことだった。
参考
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020030601388&g=soc
間違って理解しているところもあるかもしれないが、以上である。
この調べもので、政府や感染研のやりたいことがなんとなくわかったし、報道や公表される数値やなにやらも一貫性が取れ矛盾がないように思っている。
しかしながら、初めの方にいったようにこんなことを話してる人はまずいなかったし、実はちょっと他のところで言っては見たものの、ひとりふたりは反応するが大半はスルーだった。
それにこの資料だって重症者しか検査しないって言い張る人が、よく読めと出していたものも含まれている。よく読んでいたらそんな間違いは犯さないのでは?と思った。
そもそも検査について批判する方も、擁護する方も、TVに出る専門家も、その専門家を叩くためにネットにいる医者や専門家と自称する人も、個人的な感覚として、ほとんど読んでいないのではないか?そんな疑問がわいた。
結局コロナにかこつけて、自分達の対抗グループを叩きたいだけ。そうとしか考えられなかった。それが気持ち悪かった。
まあだから吐き出すために、どこかネットで長く書ける場所をさがしていたらここを見つけ書いたわけである。
もしこれで、これからはネットでなんか言われてるのをそのまま信じるのではなく、政府やなんかの公式の資料を読んで自分で考えてみたい。そう思う人が増えてもらえたらうれしい。