はてなキーワード: ネット世論とは
私は酒を飲まないから酒に溺れる人間には同情しないが、それとて禁酒法時代のアメリカや、スターリン時代のロシアの様な警察国家になって欲しいとは微塵も思わない。
うっわ……ほんとにこういうこと書く頭の悪い人いるんだ。ネット世論工作員……
まじで頭大丈夫? もしかして普段からしょっちゅうそんなこと考えて生きているの?
って思ってこの人のブックマークページ見に行ったら安心と安全の「tomozoさんのブックマーク」がついてて安心した。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/magnitude99/
はてなの人なら全員ご存じだろうけど、はてなブックマークには狂った人がたくさんいて、
そういう人に対してtomozoさんという人が「こいつキチガイだから相手にするな」とマークを付けてくださってるんだよね。
https://news.livedoor.com/article/detail/17039073/
ヴィーガンの女性が隣家の迷惑行為を訴えたら、ネタで3000人規模のバーベキュー大会が企画された。
隣家の裏庭でバーベキューをして、魚まで焼くためにひどい臭いで自分の庭を楽しめない。
夜中もパティオの明かりをつけっぱなし
どれも日本のネットで叩かれる非常識だが、オーストラリアにおいては、これらは当然の権利で、訴えた方が非常識なのだ。
ネット世論でもそうらしく、嫌がらせをしてやろうと何千人もが面白がっていた。
自分の家の庭で迷惑行為をする権利と、隣家からの迷惑を受けない権利なら前者が強い、よく言えばおおらかな社会だけど、日本人が行ったら発狂しそう。
まあこれぞネット世論って感じもするけど、何でも反対するネラーみたいだな、しかも頭が悪い
これだけを特例にするべきではないっていうのはまあ分かるんだけど
法整備されていないことを攻めるのは「前例がなかったから」で全部棄却できるし
「法整備で対応するべき」は京アニに対しては遡及になるから無効になる、何より時間がかかる
今回の特別対応は法治国家としては怪しいが、新たな論点として注目されたことに価値はあるし、むしろ前進とも言える
あと法整備と言っても確率的に似た事象は起こらないと思うけどな
多くの不特定の人が殺害され、かつ国内外からその人達に多額の寄付が集まるなんて
京アニくらいよっぽどじゃないと起こらないし、起こるべきでもない
オタクが身勝手なのではなくて、もっと広い範囲の人が身勝手だったりダブスタ丸出しの発言を余裕で行なったりするって話だと思うけど。
いや、ネット世論的にはまさに言ってる通りだと思うが、ネットだってオタクだけて形作られてるわけではない。
あいちトリエンナーレの件もそうで、ざまあざまあ言ってるのは当然オタクだけじゃない。
広範に言われてるからそっちが正しいんだ、と言いたいわけではなくて、同じ属性を持っているからと言って同じ意見を持ってるとは限らないし、持たなければならないってわけじゃないでしょうってことね
それを言い始めたら日本人やめますか、人類やめますか、みたいなとこまで行くよ
そんな潔癖に生きる必要ない
>マミーの自称にフェイクを混ぜたがきみは突っ込めずに引用した
(あれ、「MIT卒じゃなかったっけ?」と思った←これも記憶)
貴兄は
と述べてらっしゃいます。恐らくマミー石田本人の実像はそうなのでしょう
ただ、当方が問題視しているのは、正確には「マミー石田個人の意志を離れて広がった(誤解された)マミー石田的な現象」です
俺以外でこう述べた人たちも同じような認識だったのではないかと思います
https://anond.hatelabo.jp/20190812143403
https://anond.hatelabo.jp/20190502092039
逆にいうと貴兄は余りにもマミー石田個人に近すぎて、その後マミーの手を離れて2ちゃんねるで勝手に広がった学歴差別ブームと完全に切り離しているのでしょうか
嫌韓厨は悪漢の自認などしてないとの説も、そういう側面はあると思いますが、先にも述べたように2ちゃんねるを中心としたネット世論は、本気もネタも混然としたところがあります
嫌韓厨の中核は当人の主観では大真面目な「ネットde真実」の人たちでしょうが、ある程度まで嫌韓世論が広まって以降は、無自覚のうちにも差別による優越感を得たくてやっている層、ネタ的に消費している層も混ざっていたと思います
嫌韓ネトウヨの主張のなかには、「弱者に配慮なんかしなくて良い」「被差別者は公然と笑い物にしてよい」という、人権思想や人類みな平等という考え方への嘲笑があります
そういう価値観を最初にカジュアルに広めたのは誰か? さかのぼってみたら、当方の記憶ではマミー石田じゃないかなあ、と思ったわけです
くり返しますが、これはもはやマミー本人が志向していた所とは離れた広がりでしょうけれど
たとえばダーウィンが「生物学としての進化論」を唱えたら、ダーウィン個人の意志を離れて、社会的弱者が淘汰されるのは正しいという俗流解釈の社会ダーウィニズムが広まったような例もあります
それはつまり
という話でしょうか
自分も1998~2000年ごろはリアルタイムで、マミーとその口真似フォロワーのネット上での発言はそこそこ目にしましたよ。というか嫌でも目に入った
今となっては原始人の時代みたいな話だが、マミー石田登場以前の1997年ごろまでのネット世論では、少なくとも当方の観測範囲では「差別はいけない」みたいな感覚の方が主流だった
当時から小林よしのり『戦争論』の影響を受けた右派はいたが、逆に彼らは悪い意味でも真面目で、韓国を政治的に批判はしても、韓国人の文化そのものを笑い物にして優越感を得る方向性ではなかった印象がある
そうした状況下にあって、マミーは初めて「人を差別して優越感を得る楽しさ」をカジュアルに広めたというイメージがあるんですね
当初は頭の良い(つもりの)人がネタで発した物でも、いつの間にやらネット内の大多数には、本気だかネタだか区別がつかなくなる、というのが2ちゃんねるを中心としたネット世論の空気にはあったと思う
確かにマミーの自称した年収1500万のマンハッタンの不動産王とかいう経歴は、当時からネタ扱いしている人がいた
でも、実際ほどなく2ちゃんねるの学歴板などではマミーの口真似フォロワーみたいな学歴差別・ドキュン(←「DQN」ではなくカタカナ書きの「ドキュン」)差別ネタが大流行してましたからねえ
信じてくれないかも知れませんが、俺以外にもこう書いてた人がいます
小林よしのり信者は「コヴァ」と呼ばれ若年右翼の代名詞となる。
各板の住人と摩擦を起こし「嫌韓厨」と呼ばれるようになる。
これに辟易する空気につけ込んだネット右翼が「テレビ局は在日に支配されていて韓流をゴリ押ししている」などと吹き込む。
この頃から「ネット右翼」「ネトウヨ」といった呼称が登場し、「嫌韓厨」に取って代わるようになる。
麻生太郎がローゼンメイデンを読んでいた、とする都市伝説が広まる。
後に否定されるが、当時は「麻生は漫画好き」との評判が先行してオタクからの支持を得た。
2chからレスを転載するいわゆる「まとめブログ」が登場して「嫌韓コピペ」などもまとめられる。
2005年から2007年にかけてVIPPERとの抗争があり、いくつかのまとめブログは閉鎖に追い込まれる。
オタクからも嫌われていた福田に対し、人気の高い麻生はネット上で歓迎された。
その際、(2007年の参院選で大勝しており)次の衆院選で政権奪取の公算が高かった民主党が仮想敵となる。
初期の人気ブログが閉鎖したことで「痛いニュース(ノ∀`)」などの新興勢力が台頭し、ネトウヨのポータルサイト的な役割を果たす。
またゲハ系の「はちま起稿」「オレ的ゲーム速報@刃」、アニメ系の「今日もやられやく(やらおん!)」などが人気を集めはじめる。
ニコ動とまとめブログは2000年代後半において2ch文化をネットユーザーに輸出する最大の拠点であった。
「ネトウヨVSそれ以外」の戦いだったのが「自民党支持者VS民主党支持者」という形になりはじめる。
東方神起・少女時代・KARAなどK-POPを中心として流行する。
俳優・高岡蒼甫の訴えをきっかけに「フジテレビはK-POPを優遇しすぎている」との理由でデモが起きる。
対韓感情の推移を眺めると竹島問題のときだけ急激に悪化するのが分かる。
やらおん・はちま・刃・ハム速・ニュー速VIPブログに対して転載禁止の沙汰が下る。
まとめブログの衰退とともに政治議論の舞台はTwitterへと移っていく。
民主党は壊滅的な打撃を受けて撃沈、反民主が親自民へと流れ込む。
「親自民&反民主(=マジョリティ=ネット世論)VS反自民(マイノリティ)」という図式が完成する。
以下蛇足。
アメリカ大統領選挙におけるドナルド・トランプの勝因に「ポリティカル・コレクトネスへの反発」「ポリコレ疲れ」が挙げられる。
日本の政治議論にもポリコレ・フェミニズム・グローバリズムなどのレイヤーが被さるようになる。
Twitterでも、Facebookでも自分のアカウントを持たなければならないし、そこに自分自身のペルソナが邪魔するじゃない。
でも誰と知られずになにか愚痴ったり書きたいときあるじゃない。
5chとか掲示板だとまとまったものはかけないし、結局その狭いコミュニティでの匿名の会話みたいなのが求められちゃう。
そうじゃなくてブログのように長文を匿名でかけるサービスっていうの良いんじゃない?
こりゃ社会を動かすかもしれない。
5chだと与太話になりがちだけれども、長文で真実味のあるもブログとかも出たりしてさ
これすごいと思わない?
匿名のブログでもやっぱり人に見られたいよね。フィードバックがほしいよね。
Twitterとかで見ているページをシェアするという機能があるけれど、それはあくまでTwitterで自分のTLに書いているだけじゃない。
そうじゃなくてシェアを一元管理したみたいなサービスで、引用リツイートみたいな機能をそのサービスがもっててさ、
匿名の日記と合わせてそれ使えばさ、ネット世論がそこから発信される台風の目になるよね。
そうバズる。
これ自分の造語なんだけれど、バズワードという言葉があるだろ。人口に膾炙した意味のないワードみたいなやつなんだけど、人々が誰も彼もが話題にしちゃう。バズワードみたいになる。
少年革命家ゆたぼんの動画、話題になってるのは知りつつずっと見てなかったからちゃんと見たんだけど、そんなにおかしいこと言ってなくないか?
Twitterとかはてなでもめちゃくちゃ批判の的になってるけど、よくよく解いていくと全部感情的に気に食わないから、でしかない気がする。
の4つかな、と思っているんだけど(他にもあったら教えて)
まずこれから。
まあ、正直義務教育は大人になってから役立つこともあればないこともあるから、学んでおくに越したことはない、というのはわかる。が、ゆたぼんは動画のなかで、義務教育レベルであればネットがあれば学べる、とも言っていて、個人的には中学くらいまでのレベルであればそうだなと思うので学校に行って学ばなければいけない理由にはならないと思う。
Twitterとかだと、物理の●●は理解できるの?とか知識をひけらかす人もいるが、その辺まで行けばもはや義務教育に行くかどうかとは別問題だろう。
そしてこの批判で一番気になるのは、病気とかいじめで学校に行けない人にも同様の批判が刺さるということ。
仮にネットでの教育なんてまだまだレベルが足りない、という主張があったとして、じゃあ入院してて学校に行けない子どもは全員不幸になるのか?という話になってしまった時に困るよね。こっちはこっち、とはいかないでしょ。
そういう流れ弾を考えず言えるのすげーなと思うし、結局置かれた環境とか主張の仕方が気に食わないだけの感情じゃん、と思ってしまう。
これもまあ感覚として言いたくなるのはわかる。わかるよ。
だけど、俺の地元ってかなり田舎で、小学校の全校生徒が5人、みたいなのも珍しくなかった。この批判のとおりだと、学校の人数が著しく少ないところに通っている人は集団で生きていけないのかね?
他にも同様病気やいじめで不登校になった人は集団で生きていく感覚身につかないの?という流れ弾も生むし、何より俺の周りだと元不登校でも社会生活送れる人なんて(逆に学校行ったのにヤバイ人も)山程いるから、これもおかしいと思う。
これは完全に感情論でしかない。アフリカの子どもがかわいそうなんだから給食残すな、と全く同じなので論外。
体感、Twitterとかではこれが一番ドヤ顔とともに言われている気がする。
けど、親の影響を受けない子どもなんていないか?誰でも少なくとも親の方針によって生き方は左右されると思うが。
例えば、親の方針で高校卒業まで勉強より野球で育てられてきた人に対して、「お前の人生親に操られてるだけだな」とは言わないでしょ。
本人が嫌がってるならまだ外から言うのも多少わかるけど、本人も嫌がってる様子はないし。
「物事の判別がつかない子どもに親の方針を押し付けてる」家庭なんて腐るほどあるでしょ。個人主義で生まれる批判だろうけど、別に親の影響を受けることが悪、というのは突飛すぎると思うよ。
言いたいこととしては、流れ弾(≒感情的にゆたぼんだけ叩く)が多すぎるし、例外なんか見ないで自分が育ってきた環境が最善だと信じて疑わない人たちがこぞって批判してるんだろうな、と思う。
個人的にああいう人たちと関わりたいかと言われたら絶対嫌だし、自分の子どももそうさせたいとは思わない。
だけど彼の言うことに明らかに批判すべきところはないし、、将来を心配してる声もあるみたいだけど、一応先駆者として本出したり講演したりすればそっち系の人たちからの一定の支持はあるだろうからなんだかんだやっていけると思うよ。
少なくとも、ネット世論に流されるがまま感情的に子どもを叩く人たちよりは、少しでも自分で物を考えてる子どもだな、とは思うけどなあ。
《仮説の経緯》
・インターネット、SNSの発達で個人がメディアになれるようになった
・常識のある人はネット世論はあてにしない、または知っているが信用はしていないなどの風潮
・インターネットでは、しばしレッテル貼りという行為が行われる。
これは、主観に基づいた一方的な評価・格付である。例:上級国民
・専門家はあえて危険性を考えながら情報を提供するが、素人は危険性を考えずに情報を伝えてしまう。
例:医学に関して、専門家よりも民間医療を信じてしまうなどのケース
・なぜ人は騙されるかという問題に近い、人は都合の良い情報しか受け取らない。
→楽観的な脳の研究。
・レッテル貼りなどは主観的なものであるから、主観から他者への移行する情報。
・実行して結果の母体数が多いほど信用できる。
《考察》
・インターネットの世論は実際に検証した母体数が多いほど信用に値する。
・逆に母体数がすくない専門性の高いものは信用すべきではない。
《結論》
・インターネットの情報は主観に基づくものが多く見受けられるが、実際に検証している情報は信用性が大きくなる。
・SNSの世論は信用すべきかは、母体数の考えから「少なくとも大勢の人はそう思っている」と半信半疑にとどめていた方がリスクは少ない。
《今後》