はてなキーワード: ネット世論とは
「俺たちがモテないのは○○のせいだ!」つっててもただミジメなだけなので、ネット世論と自我を曲げてセックスへの執着をなくす方に行くべき
交際=セックスってのはかなり雑だが、じっさい世間を見渡すとそういう風潮はある
交際してる人間はエライ≒セックスしてる人間はエライっていうのをセックスの方から壊すことで、非モテであることはむしろオシャレということになってくる
・キモい生殖器を必死にすり合わせるって行為がまずもう終わってる
・互いに臭くて汚い汁まで出す
・無駄に疲れる
・生殖行為に付随する快感だけを得るためにわざわざゴムの薄膜を作るっていうのが死ぬほど卑しい
・ビョーキの温床になってて不潔
なんかもういいとこなしっすよ
やめましょうよ
21世紀にもなってまだセックスで消耗してる原始猿がいるらしい うわ、キモ…… 臭いんで寄らないでくれます?
童貞うんぬんで自虐するのもやめるべき あんなキモい行為やって人間の何が成長するんだよ むしろやってない方が良いまである どうでもいいけどな 「チンポで太鼓を叩く」程度のどうでもよさの行為なのに、「チンポで太鼓を叩いたことがない奴特有のダメさ」みたいな概念が広く通じてるのはガチで意味不明
それでいいじゃん
どうせ金ないから子供作んないんだし、少子化なんてもう無理なんだから気にしなくていいよ
モテないのをなんとかしようとするのはどう考えても無駄 本能に支配された男女が本能のままやるのが恋愛なんだから、理屈こねたって虚しいだけ
追記する。
「オタクやネット世論が自民党を勝たせた」みたいな考え方は本当に馬鹿だなーと思う。
奴らにそんな力があるわけがない。
実際には、野党を支持してる、支持母体の団体がガタガタになってしまったんだよね。
与党がどうのというよりは、野党勢力が見苦しい分裂をして、支持母体も呆れてしまい、どうして良いのかわからないし、言ってることもやってることも支離滅裂だった。
希望の党とかの顛末の際には、本当にひでえなあという感想しかない。
なぜ自民党が勝ち続けるのかといえば、野党の弱体化が一番の要因なんだよな。
安倍自民が失点を重ねるよりも、野党の出血のほうが多すぎて、相対的に自民が盤石になってしまったんだよな。
野党勢力が分裂を繰り返したことが一番の問題で、とても選挙を盤石な体制で戦ったことがないんだよね。
2013年以降の選挙だけれど、一回も分裂せずに、きちんと論点を設定して支持母体をまとめて選挙に臨んだことがないんだよ。
ネット世論だの華やかなところばかり観て、「ネット論客が自民党を勝たせた」「ネットサポーターが安倍晋三を勝たせた」って言うのはとんでもない間違いだよ。
くっそ寂れた地方にも自民党議員は地方議員はじめ草の根のように活動して、場合によっては福祉だったり命綱だったりをめっちゃ頑張ってるんだよね。
だから、都市型政党みたいにテレビのワイドショーで取り上げられることばかりやってたり、都会でネットのハッシュタグまつりばかりやってる人たちには、なぜ自民党が勝つのかわからないんだよね。
「困ったことがあった。どうしたら良い」と困ってる人間がお願いしたら、「よし。県のここに電話かけろ、中央官庁のここに電話かけろ。もしよければ私が代わりに聞いてやる。お願いしてやる。声を届けてやる」って、今の政党で他にできるところがあるかって話で。
なんで自民党が勝つんだって、そういう事ができるところがでかすぎる。
原発事故後、リベラル左派政党が都市型政党に特化してネットでの祭りを選挙に持ち込もうとしたのは間違いだったと思う。
なぜなら、結局ネットの祭りの寿命は2~3日、テレビでも1週間しか持たない。
テレビとネット世論ばかり観ている立民系は、何度も同じ間違いを繰り返してる。
そこのところ、きちんとネット戦略もやりつつ、現実でもきちんと福祉の窓口になって支持を集めている共産党はかなりすごいとは思う。
ネットで不満を騒いでそれがバズれば
たとえば、ブラック企業告発、保育園に入れない(子育て問題全般)、セクハラ告発、パワハラ告発、飲酒運転などアルコールによる諸問題への規制、増税への反発、増税への反発、増税への反発、などなど(政権の人気に関わる)
2020年のwithコロナ以降も、国民がネットでごねたらお肉券は現金10万円に化け、水商売関係者(水商売で大儲けしてる奴なんて一部、他の仕事に就けない奴が多数)への給付金支給排除も撤回された
生活保護バッシング(弱者への嫉妬)だって、ネットから火がついて片山さつきみたいな議員が動いた結果広がって、いつの間にか国政の一大テーマみたいになってる
右派・保守系だって表現規制エロ規制しまくりだろ、むしろ元々の保守主義はエロに厳しいだろなんてツッコミがあるかもしれんが、こういう場合にネット世論をリードしてるのは左派論陣なのはちょっと見てりゃわかる。
世論調査を見ると、ネットもリアルも中道右派~右派で自民系消極支持がめちゃ多くて、左派色の濃いはてなーは肩身狭いっぽいじゃん。
でも、左派やはてなーが「エロはけしからん」って言い出すような問題では、一般世論も左派的な立場に共感する人が多くなるのってなんだろうね。
右派・保守系だって表現規制エロ規制しまくりだろ、むしろ元々の保守主義はエロに厳しいだろなんてツッコミがあるかもしれんが、こういう場合にネット世論をリードしてるのが左派論陣なのはちょっと見てりゃわかる。
そりゃさ、右とか左とかで分類せずにトピックによって是々非々だと考えれば悪いことじゃねえんだろうけど、他の分野では多くの人間は是々非々態度なんか取れないじゃん。メインの立ち位置から自由になれない。
でもエロ分野は違う。普段の立ち位置関係なく、エロはあかんってことをみんな言い出す。
俺は、政党では左派消極支持だけど、エロや禁忌表現は配慮せずどんどんオープンにやれってスタンスで、全てが世間様と逆だからつれえわ。
世の中の不安や苦痛を減らすことよりも快楽を増やすことに重点を置いた方が世界の幸せに繋がる、少なくとも俺の幸せに繋がるし、そこが衝突する時はガクガク不安に震えながらでも快楽増大を選んだ方がいいと思ってるんだけどなあ。場合にもよるが大体の事案ではね。
2009年の騒乱は、7月5日のウイグル族の騒乱が、7日になって漢族による反ウイグル族デモを誘発しており、民族対立の構図が極めて鮮明だった。
(中略)
つまり新疆ウイグル自治区全体の地域情勢を安定させようとすれば、都市部でマジョリティ集団となった漢族の不満を抑制することが何よりも重要な政治課題なのだ。言いかえれば、少数民族が政治的、経済的、文化的な不満をいくら訴えたとしても、中国政府は少数民族の優遇策を拡大することで、こうした不満に対処するのは難しくなっている。
「ウイグル特権は許せない!」中国ネット世論から読む“日常”の民族問題
孫向文くんなり私の他の友人なりの対ウイグル人感情の根っこには、ある共通した主張が存在する。それは「あいつら、特権を持っている」「警察がスルーするのをいいことに、犯罪をやりたい放題だ」といったもの。
これが田舎民の本性です。田舎暮らしが昨今のトレンド(にしようとしている)だが、なにか起こると田舎はよそ者に対してかなり排他的になります。
人が温かいなんて真っ赤なウソです、田舎暮らしを推奨するインフルエンサー(笑)に騙されてはいけません。
俺は人口100万人しかいない宮崎県に住んでますが、県民にとってコロナは
「東京のせいで宮崎まで経済も生活もめちゃくちゃになった!東京民死ね!!」
というのが実情です。
そんな中地方田舎に旅行なんて推奨できないです。自動車での来県は絶対オススメしません(東京民は来ないと思うが福岡県民あたりは要注意)
里帰りされる方も要注意です、宮崎県はコロナ患者数が18人しかいなく、その多くは東京帰りで感染した人とその家族です。村八分されたようなことは聞きませんが近所にバレたらあまりいい顔されないでしょう(人口が少ない分すぐバレる)
なにせコロナは大都会でしか流行ってない風土病という認識ですからね。家族に伝染させたら山の中にあるような集落だと部落意識がかなりあるので「○○の部楽の○○さん家でコロナだって」「あそこはとんでもない愚か者だ!」と村八分されるかもしれません。
宮崎県は観光業はあまり発達してませんが九州でも大分の別府あたりなんかだと経済的に結構オワコンになるかもしれませんね、関東圏のお客さんが多いので
東京から近い場所で有名な観光地といえば熱海とか軽井沢がありますけどなおさらオワコンになるでしょう
観光業はオワコンになる時代が来るとはまさか思いもしなかった。
個人的にはGO TOトラベルキャンペーンは賛成です、観光業は国内消費だけで20兆円もありますし何十万人とも働いている大きな産業です。
こうしたでかい産業がダメージを受けて失業者が続出しているのを見て「自己責任論」で片付けてよいのでしょうか?ネットの過激な世論では「観光業なんかについてるスキルもないゴミ人種は終わって結構」みたいな意見がありますけどね。
排他的になってる田舎者(自分も田舎者ですが)よ、東京都民をバイキンマン扱いするのはよくない、東京ナシでは経済が回らない県がほとんどです。もう少し冷静的になろうか?
おまけに、そもそもなぜこんなに田舎移住がトレンド(ステマ)なのに東京は人口1400万人突破したのか、それはこういう生きづらい、卑屈、退屈、魅力のない田舎はオワコン見切りをつける人が多いという証です。
田舎に残る人は単純に私みたいに頭が良くなく県外の大学なんかに進学できる機会がなかった人ばっかりです、そういう人材しかいないから地方はオワコンだと思います。
今この状況で、東京において、知り合いを少人数のご飯(夜、合計2~3人程度)に誘うっていうのは非常識なのかな?
もともと職場の飲み会なんて好きじゃないし、仕事上のやり取りがメールなりSlackなりで済むようになって気持ち的にはずいぶん楽に日々過ごせるなぁと思ってた。結婚しているので、日常の話し相手、互いのケアをする人はいる。
だから4月頭くらいからの数か月は、個人的にはあまりメンタルへの影響もなく平穏に過ごせていると思っていた。
でも、ここ数週間、けっこうグラグラ来てる。
感情的になってしまう時間と、どうにもやる気の出ない時間が交互に、気持ち激しめの傾きでくる感じがあって、自分でもやや躁鬱っぽいなと思っている。
それで思い当たったのは、仕事に無関係の知り合いと、なんとなく酒を飲みながらなんとなく話をする時間っていうのが、意外と大事だったのかもしれない、ということ。まさに不要不急なんですけどね。
なんとなく、今のネット世論の趨勢としては「GOTOキャンペーンやる政府クソバカすぎる」「緊急事態宣言早くしろ」的なところが多数派のような印象があり、なにせニュースソース、世論ソースがネットしかない(テレビないです)人間としてはやっぱりそういう感じなのかな~と思っていたのだが、東浩紀なんかはわりと逆の意見みたいね。
多数派がどっちかという認識がもしかすると間違っている(バイアスがかかっている)可能性もあるが、とにかく世の中混沌としてて何が何だかここ数週間で一気にわけわかんなくなってきているので、冒頭に書いたご飯の誘いが、それ自体もう異常者扱いされる行為なのか、わりといける感じなのか、わからないんだ。
頭悪い美人は、男尊女卑社会が続けば一番恩恵を受ける層なんだから。
頭のいいブスは、その逆。
頭のいい美人はどっちに転んでもポジション取れるし(まぁ頭があるならそういう発想しないだろうけど)、頭の悪いブスはどっちに転ぼうがおそらく彼女たちの生き方はあまり変わらない。
わたしはバカも杓子も大声あげられるネット世論界隈が苦手で疎いからあなたの思い描く「頭の悪い美人」たちがどんな文脈でフェミニズムを語ってるかわからないけど、その意味をわかっていてやってるのでも、わかってないけどカッコイイからとやってるのでも、どちらでも構わないと思う。
頭の悪い人にまで届いてるのなら、それは限られた人だけの空論ではなくなってる証でもあるので。
個人的には、生物学的性別は男と女の二種類でそれが半数ずついるのだから宗教のくびきがない限り男女のパワーバランスは総合的にみると釣り合いとれているはずという考えなんだけど、それでも昨今のフェミニズム界は活発で悪くないと思ってる。
あなたが頭悪いと決めつけてる人たちが何故その考えに至ったか何故そう振る舞うのかを、一旦あなたの思いこみを捨ててリスペクトを持って想像してみるのもいいと思うよ。
文春オンラインの”オリラジ中田敦彦を「フェイク問題に警鐘を鳴らす芸能人」扱いしたNHKの罪 「YouTube大学」問題の核心は、内容の誤りではない”という石動竜仁の記事を読んだのだが、江戸の仇を長崎で討とうとしてる感じが否めない。
それは世の中に責任ある立場でフェイクやデマを垂れ流してきた人があまりにも多く、Youtuberとして教養バラエティやってるだけの中田の間違いを殊更にあげつらうことの正当性を主張することの難しさにようやく気づいたからだと思われる。
NHKはマスメディアそのものであるので誤報に対する責任はただの芸能人やYoutuberとは比較にならないほど重い。
中田敦彦自身をダイレクトに批判することはためらわれても中田敦彦を発言に責任を持つ人であるかのように報じたNHKに対してならば堂々と批判を展開することができる。
あわよくば今後中田敦彦をNHKに出演させないことで自分にとって腹立たしい誤りを垂れ流した中田敦彦に対する意趣返しとしたいという意図が透けて見える。
2018年の関空孤立時の悪意なきフェイクの拡散が一人の外交官の命を奪ったというようなことを石動は書いているが、ネット世論の暴走や中国側の情報操作の可能性などさまざまな要因がからみあうこの事件自体を教養バラエティでの誤りをフェイクは人命に関わる問題だと短絡させるのはかなり無理があるし、誰であってもそういうニュースに対してコメントを求められればそういうしかない無難なコメントをあげつらって、あのときに「責任をもって発信することが大事」といったのに発信に責任をもっていないというのも少々大人げない。
大人げないからといってNHKに対しておまえがあの番組で中田を持ち上げた責任を取れというのも筋の違う話だろう。
多数の中田敦彦ファンからの(理不尽な)批判を浴びてついかっとなって勢いで書いてしまったのかもしれないが、進んで誤りを訂正する気にすらならない人命に関わるでもない問題に他人の金儲けに対するやっかみから中途半端に首を突っ込んだ自身の不明こそ反省してもらいたいと私は思う。
もうひとついえば発信の責任には発信者の身元を明らかにするというものがある。
増田の私は発信者としての責任を放棄している(責任を追求することも可能だろうが)、筆名だけで顔も出さない自称”ヴァーチャルネット売文業者”の石動竜仁(dragoner)はリスタートできる退路を残している点でやや無責任、低品質な教養バラエティも自分の顔と名前で発信している中田敦彦は自身のブランド毀損についてそれなりの責任とリスクを負ってやっているということもできるだろう。