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はてなキーワード: ニセ科学とは

2014-05-15

ニセ科学批判クラスタ血液型性格診断とかだけじゃなくて国民性県民性とかも批判してくれないかなあ。

あれはニセ科学領域には入らないのかな。

2014-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20140513114246

他の話題に対して『うわっ』となることはあるから感覚は分からないでもない。

俺の場合ニセ科学の話題が多いかな。

効果をほのめかす個人の感想宣伝→大声で広報するなら根拠出せ→個人の体験まで否定するのか!ひどい!

みたいな流れはもう飽きた。

関わらないのが吉。

2014-02-13

放射能微生物では消せません

っていう馬鹿な話をなんか面倒な話でごちゃごちゃ否定してるんだけど

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20140205/1054957/?ST=life&P=1


内容そのものはそれほど間違ってはいない様に見えるけど、この論法のものはまさに

一般人ニセ科学で騙す時に使う論法に見える…

ま、内容はさておき、ここで指摘されてる、「微生物を用いて放射線排除する」っていうもの、それ、実際に東北ではあるの?

余りに衝撃的だったんだけど。

2014-01-25

菊池誠氏にとっての「ルイセンコ学説

ニセ科学」批判者として、一部の人には依然として高く評価されているらしい菊池誠氏がこんなツイートをした:

なぜ左翼トンデモに弱いのかと残念な気分になるけど、ルイセンコの昔からそうなのよね。日本左翼科学者は軒並みころっとルイセンコに騙された

( https://twitter.com/kikumaco/status/423788159189536768 )

当選、批判を受ける:「なぜ左翼はトンデモに弱いのか」? 「左翼がニセ科学に弱いのが残念なのよ。」? - Interdisciplinaryメタブでヤロビ農法の支持者が広範に及んでいたことも指摘されてる:はてなブックマーク - はてなブックマーク - 「なぜ左翼はトンデモに弱いのか」? 「左翼がニセ科学に弱いのが残念なのよ。」? - Interdisciplinaryリンク先。

ちょうどいい(悪い)タイミング有用微生物利活用推進議員連盟 - Togetterまとめはてなブックマーク - 有用微生物利活用推進議員連盟 - Togetterまとめなんてのも知られてしまった。左翼じゃないよね。

田崎晴明さんが指摘する、原発・反原発の議論に潜むヤンキー思考 - Togetterまとめも、なんか田崎氏らしくない、とブクマはてなブックマーク - 田崎晴明さんが指摘する、原発・反原発の議論に潜むヤンキー思考 - Togetterまとめ)で指摘されてるけど、あれは上掲の菊池誠氏のツイートに対する「強烈なアンチ・テーゼ」として捉えるべきだと思う。「ヤンキー」と「左翼」って対極に近いイメージでしょ。

でも、ここで私が言いたいのはそういうことじゃない。もっと基本的なこと。

『もうダマされないための「科学講義』(光文社新書)冒頭の「1章 科学科学ではないもの」で、菊池誠氏がルイセンコ学説についてどう説明しているか、見てみよう:

 これと似たような話がルイセンコ事件です。ルイセンコというソビエト連邦生物学者が1935年に、小麦の遺伝的性質を人工的に変えられるという主張をしました。これだけなら、奇妙ではあっても「学説」のひとつと言っていいのだろうと思います

(『もうダマされないための「科学講義』p.33

これが学説についての説明のすべて(確かめてみ)。

小麦の遺伝的性質を人工的に変えられるという主張

いや、これなら左翼右翼中道もなびくでしょう。私たち世界では「品種改良」と言うと思いますが。

試験で「ルイセンコ学説を説明しなさい」という問題に、上の答案がでてきたら○をつける人いますか?

『もうダマされないための「科学講義』1章って、ろくに準備しないでしゃべったのが丸分かりで、論旨が支離滅裂に近いけど、これは一番ひどい例。でも、仮に準備不足でしゃべったにしても、活字にするときにチェックしませんかね?

そして、仮にとっさに出た説明だとして、そういうときでも「しっかり理解できていたら」こんな不十分な説明にはならないんじゃないかなあ? 「獲得形質」「ラマルキズム」などがパッと出てこない、ってどういうことなの?

2014-01-16

家電業界ニセ科学も根絶できないニセ科学否定論者ってなんなの?

要はマイナスイオンはやっぱり体にいいってことなんでしょ?

2013-12-30

学会という存在自体が公的で、権威的だとどうしても認められない人々。

http://b.hatena.ne.jp/entry/researchmap.jp/jo74edhxd-1807390/%23_1807390

lastline

権威ある学会」ってのがやっぱりなんか違うなぁと思うのであった。 2013/12/30

opiegro32

から人工知能学会歴史の浅い小規模な学会だつってるのに。もちろん国から金もらったりもしてない。フェミ最後の砦権威ある公的学会からダメ」はもう崩れてるのよ 2013/12/30

hatekun_b

学会を公的とか権威とか言ってるのは学問コンプレックスのある人じゃね。その誤解があるから学会誌の表紙に社会的責任がどうとか言うんじゃね。ただの仲良し会の延長みたいなもんだがな。 2013/12/30

こういう人達にはニセ科学に関して議論に参加してほしくないですね。現実に騙される人っていうのは、「○○省認定」「○○大学教授」「白衣ファサッ メガネクイッ」に騙されるわけで、それらの中にはもちろん「○○学会」っていうのも含まれる。世の中に腐れ学会がたくさんあるのはもちろんだが、それを世間一般の人々が知っている道理もなく、ただただ無知な人に「コンプレックスがある」とまで宣うバカもいる始末なわけで。

2013-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20131212102416

ヒートテックってニセ科学みたいなもんで、最初に水蒸気がある程度吸い込まれて以降意味が無い。

しろ普通シャツよりも飽和した後は蒸発し続けるので一気に温度が下がることすらある。

お前の感じてるのはプラシーボ効果みたいなもん。

幸せなやつだな。

2013-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20130914001702

イグ・ノーベル賞ってそもそもその結果の正確性より、

如何に面白い着眼点でそれを実際にどう面白くやったか、って賞なわけで、

下手な権威もんになりかけてるところがびっくりするところだけど、

本来この手のレベルのものが取っても当たり前の賞だと思うんだけど。

普通にマイナスイオンについて、ふんすい周りに良くいる鳩と山の中で水の近くに居なかった鳩の健康の違い、みたいな、

ニセ科学でも取れるんじゃん?(まあ、マイナスイオンって完全にバカな日本人けが考えてるもんだから研究しても流石に無視されるかもしれんが。)

イグ・ノーベル賞ってトンデモニセ科学にも賞を与えるんだね・・・

また、帝京大学などの研究グループが、心臓移植をしたマウスオペラの「椿姫」を聴かせたところ、モーツァルトなどの音楽を聴かせたマウスよりも拒絶反応が抑えられ生存期間が延びたという研究成果で、「医学賞」を受賞しました。

研究グループマウス着ぐるみを着て授賞式に現れ、「椿姫」の曲を歌うと会場から笑いが沸き起こりました。

うわあ・・・水からの伝言の再来じゃん・・・

2013-09-09

ニセ科学を冗長させる安倍首相の発言にノーを

自分非科学的な発言が大嫌いだ。ホメオパシー放射脳等の非科学的発言を見つければ、その撲滅に取り組んできたし、毎日生活でも、Evidence-based life実践し、生活に気付かないうちに入り込んでしま非科学的な要素を排除するべく、全力を尽くしてきた。

こうした非科学発言撲滅運動重要なのはターゲットの選定」にほかならない。なぜなら、一人の人間非科学発言を叩いてもその力は限られるからだ。ネット上で多くの人が特定のターゲットを叩いてこそ、はじめてその政治的力が発揮されるからだ。

さて、今、私たちニセ科学クラスタが、ターゲットにするべきは安倍首相だろう。

影響は同原発港湾内0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている

1分子も残らなくなるまで希釈しても物質の影響が残るというのがホメオパシーだが、何の仕切りもない港湾で「影響が(中略)完全にブロックされている」というのは、ホメオパシーもびっくりの非科学的発言だろう。これが許されれば、ホメオパシーEM菌蔓延する恐怖の社会になることも間違いない。

2013-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20130906120551

id:locust0138って、化学物質過敏症でNATROMの側に立って患者をさんざん罵倒してたアイツだよな。

結局ニセ科学批判者って、こういう心の通わない馬鹿しかいない。

2013-09-04

「臨床環境医」悪者にされ過ぎワロタwwww

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/NATROM/20130829%23p1

などで「臨床環境医」が一部の人から嘲笑と憎悪の対象となってるwww

ブコメを見てすぐ気づくけど、一部の「臨床環境医」ではなく、「臨床環境医」全般がその対象だ。

でも、「臨床環境医」って本当にそんな存在のん

シックハウス症候群マニュアル―日常診療のガイドブック という本がある。「日本臨床環境医学会」が編集した、この8月に出たばかりの本だ。厚労省科研費の報告書が基になっているという。

学会編集たからといって、即「学会会員一致した見解」とはならない(w)のはそうだけど、まあ現時点での臨床環境医で作る学会代表的な見解が述べられている、とみなして良いだろ。

また、これは「シックハウス症候群」についてのマニュアルであって、「化学物質過敏症」MCSを主対象とした本ではない。しかし、症状的にきわめて似たところもあって(ww)、臨床環境医がこのマニュアルに基づいて行うシックハウス症候群の診断が、化学物質過敏症についての診断と方法・考え方で大きく異なる、と思える人はいないだろう(とくに実際に読んでみれば)。

w 実際読んでみると、シックハウス症候群を「広義」でとらえようとする者と「狭義」に限定しようという者といて、やや不整合がみられる。しかし、強調しておくべきことは、学会編のこの本のトーンは「狭義」路線が採られていることだ。

ww そもそも用語のさす範囲が人、場合によって違うようだ。たとえば、http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130902142408605 でいう「化学物質過敏症」は「狭義のシックハウス症候群」と呼んでも差し支えなさそうに思える。

全体で79ページの薄いマニュアルであるが、たとえば、その51ページには

すなわち、既存の疾患では説明できない患者場合、本症を疑うという側面もあり、除外診断を旨とすべきである

「除外診断を旨とすべきである。」 実際、全体の1/5の分量、「Ⅱ.診断の手順」内では半分以上にあたる16ページが「鑑別疾患」にあてられている。そのうちでもアレルギーは8ページ、中毒は非常に短いが、精神心理は4ページ、それに感染症3ページ。十分であるはいえないかもしれないが、とりあえず「臨床環境医」が、他の疾患との区別を重視していることは明らかだろう。

このように同じ建物の居住者に集団発生することがあるため、シックハウス症候群との鑑別上、肺結核症は常に想起されるべき疾患の1つである

だそうである

69ページ以下がQandAであるが、そのQ10専門医にご相談くださいという言葉をよく聞きますが、何科を受診すればよいですか」に対しては、症状部位によって、眼科、皮膚科内科

初めに受診するのがよい。これらの症状が複合的にある場合は、環境医学専門医受診を勧める。

とはっきり書かれている。

こういうことが「臨床環境医」の学会編集した最新の冊子に書かれている。

ちなみに60ページの「自然天然素材」という項では、スギヒノキなどのテルペン類に触れており、かつては筏で木材を流したりしてるうちに揮発した、昔と今では建物の気密性が違う、など、「天然素材から、昔もそうだったから」という主張を批判している。

くりかえすが、これが「臨床環境医」の団体が編集した記述だ。

こうしてみると、冒頭のブクマのように「臨床環境医」全体をひとからげにして非難する、というのはどう考えても2013年日本の実態に沿うものはいえない。

もちろん、いろいろと突っ込むところはあるだろう。当然だ。それは、1.この本の内容そのもの、2.実際の臨床環境医がここに書かれているような診断とかけ離れてことをしている、に二分される。ただ、2.についていえば、でたらめな診断をくだす医師は臨床環境医以外にもたくさんいるわけであり、「臨床環境医」全体を非難しようというのなら、当然それなりの定量的エビデンスが求められるだろう。 個別の例で非難することはできるが、それがどこまで敷衍できるのか示せるのだろうか。また、患者に向かって「あなた胃潰瘍主治医に言われているようだけど、胃癌ですね」と(とくにネット上で)安易に言うことができないように、主治医でもない人間安易に憶測を述べる危険もある。

ともかく、「現在日本の臨床環境医」についてが中心に論じられるべきなのは言うまでもない。

さて、冒頭のブックマークなどで「臨床環境医」全体を非難嘲笑している者と、「奇跡のリンゴ」という映画などでの「農薬」の扱われ方について批判していた者は、かなり重なるようだ。

農薬」については「40年前と今は違う、日本の基準は安全だ」と言いながら、「臨床環境医」については「昔も今も、外国日本もすべてひとからげにして非難する」wwww 空気を吸うようにダブルスタンダードを用いるニセ科学批判者の特徴がよく現れているwwww

MCS批判者のダブルスタンダードワロタンゴwwww

ニセ科学批判者は、あたか空気を吸うようにダブルスタンダードを使う。

その例をひとつ。あまり馴染みのない人のようだけど、連日のエントリきれいなダブスタになってるから

http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20130818/1376818257

そんなことより、エビデンスです。

そだよね。で、エビデンスといっても一番レベルの低いのは「専門家見解」だけど、ここで言ってるのはそういうのではなくて、もっとレベルの高い、簡単に言えば定量的な、エビデンスを指しているのは自明

いっぽう、その前日のエントリ

http://d.hatena.ne.jp/shinzor/20130817/1376690483

臨床環境医と患者さんの関係詐欺師被害者関係に似たものを私は感じます

それ以前の文のどこをどう読んでも定量的エビデンスなどカケラもない、ただのネット上の揉め事からの「想像」に見えるんですが。

こういうからには、臨床環境医(&以外)とMCSと診断された/されなかった患者についてのコホート研究の例とかもちろん即座に出してくれるんでしょ?

EM批判者がしない2つのことww

自らリスク負う行動を取らないwwww

ニセ科学批判者全般に言えることだけど、安全地帯から嘲笑しているだけ。リスクは取らない。増田と同レベル

(もちろん例外はいるよ。そういう人はマジに尊敬する。でも圧倒的多数は違う。)

まあ電凸くらいはするかもしれない。でもそれはねらーも同じwwww

「カネに換算しない」というのも環境経済学の人たちとコンタクト取ったりするのがある意味リスクになりかねん、ということなんだけど、それよりもっと具体的には以下のようなことだ。

ホメオパシーの例をみても、権威ある学術団体の声明、というのはアカデミック内部の人間想像しているよりずっと大きな力がある。とくに行政が絡んでいるところでは。

(もちろんそれでも押し切られてしまうこともある。でも、それはその行政機関の方針の中軸に関わる場合ほとんど。同じく行政サイドが推進していても、それが機関の方針の枝葉なら、影響は無視できない。)

もし、EMが批判者の言うとおり「典型的ニセ科学」であって、その実害が無視できないレベルに達しているのなら、

全国レベル権威ある学会が(できれば連名で)声明を出せば、かなりインパクトがあると思う。もちろんプレスリリースも出す。マスコミにも取り上げられるだろう。

でもEM批判者が、積極的にこういうことを目指しているようにはとても見えない。

なぜか?

学会声明を出させるように働きかける、という行動は、〈自分研究キャリアにとって〉リスクある行動だからだ。

学会はそういうことをするところではないwww」、当然そのような反論が予想される、それもお偉いさんにそういう人が多そうだ。ふにゃーww、面倒くさいwwww それより、はてブで、口だけは痛快なEM批判エントリ付和雷同ブコメ書いて、同志たちのブコメスターをいっぱい付けるほうが「正義実践」していることになる。リスクも負わないwwwwww

というわけでこういう人たちに心から訊きたいのは

(そもそも反対意見が出るかどうかなんて「やってみなきゃ分からない」んだけど)

学会のお偉いさんを説得できないで、行政や一般の人を説得できると本当に思ってんのwwww?

2013-08-21

http://anond.hatelabo.jp/20130820225326

物理世界でもいくらでも理論は覆っています

コペルニクスが唱えた地動説天動説根本的に覆しています

天動説のものは、それまでの観測に沿ったものでした。

さらに正確に観測をしていった結果、地動説の方が正しく記述できることがわかったわけで、

過去の観測が間違っているわけではないが、地動説天動説拡張であるわけではありません。



特殊相対論についても、その頃まではエーテル仮説が非常によく現象を表し、相対論の様な話が出てきた時には根本的に理論がくつがえるので簡単には受け入れられなかった。

エーテル化説は古典力学の様に特殊相対論の"近似"ではありません。全く別のものです。


ですので、「これまでの理論がくつがした」が疑似科学と言われるとそれは間違い。物理学世界ですら。



ただ、物理しろ医療しろ、「これまでの理論がくつがした」様なレベルのものが、一般に伝わるには長い時間がかかります

物理に関しては相対論近年ようやくGPS等で身近に使える様になってきたレベルなので、例えば物理で新しい理論が考えられても、その検証に数十年、

実際に使えるようになるのに更に数十年かかるような物もあります

医療に関しても長期に渡る臨床実験必要なので、いきなり「これまでの理論をくつがえした」などということはないでしょう。

そもそも、いきなり「くつがえす」様なものが出てくることはまず無いので。

ですので、結果的に、マスコミが騒いだり、企業が「理論」を全面に押し出してきてる時は都合の良い所だけを取り出して、事実とはかけ離れている(悪い部分がすべて無視されてる、良い部分も誇張されている)事が殆どでしょう。

色んなメディアで色んな学者から同じ説を複数回聞いて

これについては難しいでしょう。「メディア」は殆どあてになりません。

学者というのであれば、メディア等に登場する様なよくわからない学者殆ど駄目でしょう。

実際に正しいことをいう学者だとしても、メディア側に要求されることだけを言わされたり、余計な部分はカットされてることが多いので。

後は最近だとTwitterなんかで、本当に権威のある人まで発言してくれてるので、実際その分野に近い人ならその人がどれだけのことを知っていて、

正しいことを言ってるか判断出来ますが、これも一般の人から見れば判断は難しいでしょう。

権威ある教授とかですら、知ったか自分の専門分野で無いことに口出ししてめちゃめちゃなことを言ってることもあるので…


1つ簡単な区別方法をあげれば、海外でも同じ様な製品があるか、売れているか、ということ。

マイナスイオンドライヤーなんて海外に無いわけで(そもそも所謂日本語の"マイナスイオン"そのものが"存在"しないので対応する言葉すらない)

流石に科学的に証明されててこれだけ広く使われるもの日本しか商品化されてない、ということはおかしいことが分かるでしょう。

後は、その様に大きく歌われている物で、自分で明らかに実感出来る様なものでなければ、それはすべて自分にとっては"付加価値"として必要が無いものです。

そこを、言われたまま信じこんでしまって、なんとなくそう感じる、いや、絶対そうだ、ということを止める事が出来さえすればおかしものにはハマりません。

それは、詐欺的な商売や勧誘にも通じるものでもあるので、

結局のところ、詐欺的な商売にひっかからない、と言う感覚で、まともな商品であっても内容について、ひっかからない、と言う姿勢で、きっちり見ることが必要です。

簡単に見分けるのであれば、一般的な商品に比べて、大きな謳い文句でよくわからない裏付けで付加価値が付いて高くなってるものがあり、

他の商品でも実用上問題が無いものであれば、無駄に高く付加価値が付いたものを買わなければ良いだけでしょう。




追記

ブコメであったが、別に海外で信じられてればそれを信じて良い、と言う意味ではありません。。

少なくとも、マイナスイオンドライヤーとか、海外で全く出てないものおかしいと思っても良いでしょう、ということ。一つの目安として。

世界的に広まってるニセ科学なんかも勿論ありますので。

2013-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20130730002314

幸福の科学や他のカルト宗教カルトたる所以は、実害があるからじゃないの。

別にどんな荒唐無稽な話を信じていたとしても、それだけなら内心の自由範疇なんだけど、

たとえば異教徒を殺して回ったり、教団に金を貢いで生活崩壊してたりしたらそれはマズイでしょって話。

そういう意味では、カルト宗教ってニセ科学なんかに近い問題だと思う。

水からの伝言EM菌科学的に間違ってるけど、それを信じること自体はまぁ自由だ。

ただ、そうやって無用危機感を煽って無意味に高い浄水器売りつけたり、河川に生ゴミ撒いたら犯罪になる。

2013-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20130704165709

いや国民の大多数ははてサより馬鹿だよ。それは事実

ただ馬鹿なので啓蒙しても説得できない。(バカの壁がある)

なのに自分たちの主張の正しさの啓蒙しかしないから、はてサ社会を変えることができない。

ニセ科学批判が当事者に受け入れられず自己満足しかなってないのと同じ。

欠如モデルで行動してもダメだということ。

2013-06-19

映画奇跡のリンゴ」を観ずに批評する方々へ

映画奇跡のリンゴ」が好評のようです。私も見てきました。感動しました。

いっぽう、はてなニセ科学批判クラスタ界隈では、この映画を見ずに「奇跡のリンゴ」のモデルになった農法を批判するのが流行っているようです。追従礼賛ブクマもたくさんついています

http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20130609/1370789361

http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20130612/1371052702

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20130618/1371549428

http://d.hatena.ne.jp/doramao/20130619/1371611793

これらは映画に対する評ではないのですが封切りに合わせたエントリーですから映画を観てきた身として、これらの評を読んで???となってしまうところを指摘しておくのも悪くないかと思います

まず、映画は何も農法を学ぶために観るものではありません。「奇跡のリンゴ」でいえば、阿部サダヲ菅野美穂山崎努音楽久石譲といった顔ぶれで観にいく人も多いでしょう。またもちろん、作品に100%のめり込めなくても観にいきますし、感動もできます。この映画はそういう映画です。「海上自衛隊全面協力!」という宣伝文句にあまり良い感情を持てない人間でも「灰原哀が出てるなら」で映画館に足を運ぶことはあるでしょう。

「感動している人間は思考力が落ちて大事なことを色々と見落とし、判断を誤るからです」とわざわざ赤字強調で書いている人もいますが、感動したからといってそうならない人間のほうが圧倒的多数です。アクション映画で感動した人がみな現実と混同するかといえばそんなことはありません。

「実話と銘打ってるから危険」――は? 映画大脱走」は実話に基づいており、観た人は《多少は》本当はどうであったか気にするかもしれませんが、本格的に調べようとはまずしないでしょう。「実話に基づく」は基本的には映画を楽しむ際の参考として機能するだけです。また、シネコンだと関連書籍置いて売る、ということもあまりいかと思います。もちろん本屋では積んでありますが、映画見て出たところに本があるのとでは影響はかなり違うでしょう。

さて、映画奇跡のリンゴ」についてはYahoo!映画の次のようなユーザーレビューが参考になるかと思います(固定URL表示できないので、投稿時間で示します):

http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id344360/

2013/06/15 01:25:41

無農薬リンゴができるまで」のドキュメンタリーだったら、ものすごく感動したと思う。

家族愛夫婦愛のパートのほうが目だってしまって、肝心の「奇跡のリンゴ」のエピソードが薄まっているように感じました。

2013/06/09 20:35:13

とは言え、僕自身鑑賞前は

農薬を使った農法の問題点

無農薬農法の問題点両方に

突っ込んだ内容を想像していましたがさにあらず。

2013/06/14 21:34:35

夢みたいな実話だけど、これを見て「よしっ自分農業を」

と簡単に思わせないところがよかった。農薬を使っている農家の方を

悪者に仕立て上げたら嫌だなとも思って見ていたのですが

農家の方々の微妙な気持ちもじんわりと描かれていたと。

この映画では、既存農薬を使った農法を批判する箇所はほとんど全くと言っていいほどありません。まわりの農民、池内博之笹野高史ベンガルらも実はいい人です。

冒頭のナレーションでは

安全リンゴを作るのと安全リンゴを作るのとは違うのです

とあって、菅野美穂農薬で苦しんでいる場面へと繋がりますしかし、このナレーション、言い換えると、農薬を使って作ったリンゴでも食べるのは安全、ということです(1980年代前半までだとこう言い切ってしまうのは言い過ぎではないか、という気もしますが)。

同様に、無農薬リンゴの利点について何か語られる、ということもありません――さいごの「おいしい」という以外には。

はっきりいって、この映画主人公がなぜそこまで無農薬に固執するのか、という点では弱いと思います。ここまできたからにはもう止められない、というような言葉が何度となく語られますが、それは本人たちの事情です。

これらの点は製作側が、木村農法に対する批判をある程度知った上でつくったからではないか、と私は推測しました。今後、もし木村農法を批判するのであれば、映画のこういう姿勢を知っておかないとズレたものになります――というか上の批判はその典型。

言葉をかけなかった木だけ実らなかったというくだりは本人の書籍にもあるそうですが、映画でこういう「奇跡」だけいくつか押し出して「科学的説明」はほとんど付けないというのもダブルミーニングで、双方に配慮してるからだと思います

映画全体でも、雄大な岩木山リンゴの花の可憐さ、などの風景原田美枝子伊武雅刀らも含む家族愛、隣人愛が一番印象に残りました。人によってかなり違いはあるでしょうが、「無農薬のすばらしさ!」がまず刻印される人はそんなにいないと思います。(もちろん、そういう人もいるでしょう。ただ、映画館でみた客層でいうと、最初からそう思っている人が自らの信念を確認するケースの方が遥かに多そうです。)

ということで、映画を見ずに批評したり、それに追従ブクマを付けたりする人がおそらく想像してないことを述べておきます

この映画見て、「無農薬」という言葉にそれほど影響されずに単純に、津軽りんごいいなぁ、食べたくなったなぁ、という私みたいな人はけっこう存在するのではないでしょうか。つまり、この映画が大ヒットすることで、木村氏だけでなく、(おこぼれとも言えますが)他のりんご農家にとってもプラスに働く可能性もそれなりにありそうです。―――もしそういうことになれば、それは既存の農法に対する批判を抑え、まわりの農家も良い人として描いたスタッフの心遣いのたまものでしょう。

最後は私からのお願いです。「農薬安全」という人は、中国等の農薬TPPについても必ず触れていただけないでしょうか?

良い映画でした。

増田にする必然性全然ないんだけど、ダイアリーの縮小再編成を考えているのでこちらに)

2013-06-09

化学受験参考書ニセ科学

化学の新研究』っていう化学大学受験参考書があって、やたらと分厚くてやたらと詳しいか辞書的に使う大定番の本なんだけど、この本のコラムに「化学物質過敏症」が無批判に掲載されてるんです。えっ、それって疾患概念自体が懐疑的に見られてるやつじゃないですかやだー。英語参考書とかならアレー?って感じの文章が載ってることも結構あるからやれやれと思いながら勉強してたけど理科系参考書でこういうの見るとは思わなかったよ!

この参考書、難関理系とか医学部志望者で使ってる人は特に多いはずなのでニセ科学が入り込んでるんだとするとあんまり良くないんじゃないかと思いましたがどうなんですかね。

化学物質過敏症について参考→ http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/CS.html

2013-06-08

http://anond.hatelabo.jp/20130608132209

慰安婦問題は、日本の一部では勝手に問題を超限定して証拠証拠と鼻息荒げるムキがあるが、政府が認めてる事象だけでも、充分批判には晒され得る。ただ、個人賠償を「日本」がするのか、それぞれの政府がするのかは、また別の問題。

参考:『検証 日韓会談』高崎 宗司(岩波新書

    『戦後和解――日本は〈過去から解き放たれるのか』小菅信子中公新書

    「慰安婦関連歴史資料」アジア女性基金http://www.awf.or.jp/6/document.html)など

尖閣諸島については、双方が「棚上げ」してきたことは事実なわけで、石原茶々入れで国有化に踏み切った民主政権行為が、まんまと介入の口実を与えただけ。現時点で「棚上げ」は、双方にとってのベストオルタナティブで、それを邪魔するのは、日本利益でなく、とにかく日中間に楔を入れることから利を得る人。

参考:『記録と考証 日中国交正常化日中平和友好条約締結交渉』(岩波書店

なお、

国家ぐるみ窃盗」は、単純に韓国不法行為だと思うね。泥棒を泥棒と知りながら、その上前はねるヤツは泥棒の親玉。泥棒を処罰するなら仏像日本に返還すべきだし、仏像日本に返さないなら、自ら泥棒の親玉と認めているのだから泥棒を処罰する理由がない。泥棒は処罰しましたが仏像は返しません、という現状は、あきらかに全く筋が通っていないね

あと、スポーツへの八百長云々は、それこそ「決定的な証拠」無しにいくら騒いでも、それは騒ぐ方がちょっとアレなんじゃないか? と思う。

自分が右か左か?と聞かれれば、迷わず左だけど、右だろうが左だろうが、言論を極端にしてあえて色眼鏡をかけ、それによって自分の歪みや空虚を他者に投影することでストレスを解消するような流行は、なんだかずいぶん危うく感じる。たぶん、それだけみんな、寄って立つ基盤を見失っているということなんだろうね。

※先日、「インターネットからニセ科学を減らすたった一つの簡単な方法http://fm7.hatenablog.com/entry/2013/06/07/140130で、「ソース上げようぜ」という提言があり、なるほどと思ったので実践してみました。

2013-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20130517015611

まり教育で「科学の正しさ」ばかり教えてしまうと、大人になったとき反動ニセ科学にハマりやすくなるってのはある気がする。

歴史修正主義者にも言える話かもしれない。

ニセ科学小考

科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程が、実は全然世間に知られてないってことが(あるいはその認識がないことが)、ニセ科学跋扈する背景にあるんじゃないかと思えてきた

現在日本で観察されるニセ科学が言ってることは、「最先端科学から間違ってるとは言えない」ってことよりもむしろ「ある程度すでに分かっていることから考えてもこれはおかしい」と思われることが多い。

まりニセ科学というのは、ある程度科学者コミュニティ内でのコンセンサスが得られている事柄に反しているのに、それを無視して「科学的」な知識である標榜することだとひとまず僕は理解している。

科学的」であればすべて正しいと考えてしま市民(非専門家)の"性質"を巧みに利用して、「主張」を信じさせようというところに、ニセ科学の罪がある。

後出しですが、ここまで何度か使ってきた「科学的」という言葉を僕は「科学者コミュニティの中での精査の繰り返しによる確かさの増大によって、ある一定の確かさが保証されている」みたいな意味で使っています

科学は正しいことを言っている、という素朴なイメージは間違ってはいない。実際、理科教科書に載っていることは一般的な意味ですべて"正しい(確かだ)"。今日科学文明を見ればなんとなくわかる(ただしこれは価値判断を含んでいる)ように、科学は"信用できない"わけではない。

ただ問題なのは、「科学から正しい」になってしまうことだ。つまりつのまにか、科学的なこと(数式とか専門用語あるいは科学者の肩書など)が言われていればそれは正しいのだと思い込んでしまう。ある意味科学への信頼の表れでもあるのだが。

実際そう考えるのは無理もないことだと思う。学校理科教育は当然"正しい"ことしか教えられないからだ。教科書の中の科学はすべて正しいんだから、"すべての科学(とそれっぽいもの)"は正しいと考えるのはまあ自然である

しかしこれでは見過ごされるポイントがある。教科書の中の科学でさえ、最初からまったく正しかったわけではないということだ。残念ながら普通理科の授業(初等、中等、もしかしたら少なくない数の高等教育でも)では時間の制約上、そういうことに言及されることはない。事実事実として(初めからそうであったように)教えられる。むろんこれは間違ったことではない。学校教育宿命かもしれない。

科学が今のような強固な体系を持っている理由のひとつは、科学が広い意味で積み重ねの産物であることだ。それもただの積み重ねではなくて、数えきれないほど多くの科学者による検討実験による再現性のチェックなどを経たものだ。学術論文をはじめ科学的知識はピアレヴューや引用反証とそれに対する反論なんかの積み重ねで、ある水準の確かさを保っている。

この、科学の正しさが積み重ねられたものであるという認識が、世間には意外とないんじゃないかと思うのです。これはつまり、いわゆる"通常科学"とよばれるもの認識、に近い。

こういう科学の"裏側"みたいなものはあまり世間では語られないような気がする(実際、日本では科学高等教育を受けた人でさえ学部なら4年生になってはじめて(すこしだけ)わかるようなものだろう)。それで科学事実科学事実として生まれる、みたいなイメージ固定化されたら、"科学ベール"をまとった主張をすんなり信じてしまうのは無理もない。相手がそれを逆手にとって、初めから騙す気でいるならなおさらだ

教育の力は大きい。すくなくとも義務教育は全国民が受けるのだから理想論ながら、理科教育科学の多く(ここは大事ですね)は積み重ねの営為によってその確かさ正しさを増してきたのだという認識を育む教育であるべきだと思う。そして"通常科学"におけるその過程もっと積極的に教えるべきだと思います。要するに科学が"正しい(確かな)こと"をつくる過程科学の裏側がもっと世間に知られることが大事なのではないかと。

科学的」だから正しい、という前提が世間にあるために、「科学的」なものの"絶対化"が促進され、その権威に付け込んでニセ科学跋扈する。そしてニセ科学を批判するために科学言葉を使うと、社会科学のなかの対立だと見なして、科学全体に不信感を持つ。さらにこれによってニセ科学に「(ニセ科学を批判している)科学は常に正しいとは限らない」という言い訳を与えている。科学の妄信的権威化の前では、ニセ科学は光に対する影のようなものだ。

まず社会が前提とすべきは、科学の知識の多くは積み重ねによってより正しい(確かな)ものになっていく、さらにいえば、いまこの瞬間もそうなっていっているという認識ではないか。より実践的な意味重要なのはニセ科学は単に科学的な誤りというだけではなくて、現在日本ニセ科学のすべてが、科学者真摯な積み重ねを無視・拒否していることです。しかし、こういった認識はまだ一般的でないような気がします。

もちろん、科学的真理というものがあるとすれば、それは科学者コミュニティの中の多数決で決まるというものでは決してない。単に時間が解決してくれるものでもない。時には、そのとき科学ではまったく説明のできない問題が生じ、"ただの積み上げ"だけでは科学の正しさが保証されない場合もある(というか何度もあった)。しかしながらニセ科学クーンの言う"危機"の発端ではないだろう。むしろ"通常科学"のなかで淘汰されるべきものだ。

ニセ科学という影に対峙するためには、むやみやたらな科学の絶対化は止めるべきだ。しかし、「じゃあ科学の相対化!」という(お決まりの)流れになるのではなくて、まずは世間にある静的な科学観をもうすこし現実にそった動的なものにかえていくべきではないだろうか。科学教育科学コミュニケーションの出番はここにあると僕は思うのです。

そのためには、たとえば理科教育科学史科学哲学科学社会学エッセンスを加えてみるだとか、また理科時間に拘らず、国語社会科時間科学という営みのエッセンスを振り分けてもいい。あるいは実際の研究前線を知っている博士号教員を増やすだとか、そういうやりかたもあるんだろうと思う。

科学の楽しさ素晴らしさを知ってほしい!っていう理科教育はもちろん素敵である。いっぽうで、科学とはどういう営みなのかということを誠実に教えること、あるいはいっしょに考えていくことは、科学のもたらす"正しい"知識を教えることと同じくらい大切なことではないだろうか。"科学という営み"についての観点も含めて、"科学リテラシー"なのではないかなと思うのです。

2013-05-03

一次元を点と答える中学理科数学教師たち

知り合いの中学生から学校数学教師に「一次元は点」と教わったと聞いた。驚いて訂正して「他の先生理科先生にでも聞いてみな。」と言ったので、他の教師にも聞いてみたら、正解は一人のみ。特に理科数学教師が全滅という惨状。(小規模校なのでたいした人数ではないが)

一次元は点。零次元ゼロで何もないから」

一次元は線かなあ、いや線は幅があるから二次元から点だ!」

「点でしょ。なんでそんな事聞くの。」

まあ国語の教師が分らないのは仕方ないかもしれないが、理系の教師がこんなことも知らないなんて信じられない。確かにカリキュラムには次元の話は出てこないが、少しでも本を読むかしていれば当然知っているものだと思っていた。実際、小学生で正しく答える子も珍しくはない。

さらに驚いたのが、間違えた教師がそれを全く気にもかけていなさそうなところだ。私は死ぬほど恥ずかしいと思うが。

特に酷かったのがある理科教師。科学重要さを説いて「理科勉強しないとアフリカ人のようになるぞ」、「フィリピン人は英語が出来るが国は遅れている。だから中途半端英語が出来るより日本語しかできない方がまし」、「発展途上国人間科学を知らないかダメ」。このレイシストはしかニセ科学批判者で生徒に得意げに水伝批判をぶったそうだ。それでいて、

一次元は何って?うーん、点かなあ。えっ、線なの。ふーんそう。」

おまえサバンナでも同じ事言えるの?(AA略

いや、ホントにこれって少なくとも理系には当然の常識、そうでなくたって教養として知ってるのは普通だよね?こんな教師で日本理科教育大丈夫なの?それとも私が高度な知識を要求しすぎなのか?

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