はてなキーワード: テキーラとは
2年ほど前、近年のウイスキー高騰についていけず、自宅で様々な蒸留酒を試し始めた。
その中で少しお高いテキーラ(一本3.5k〜10kくらい)に手を出し、イメージを改めるに至った。
一口にテキーラといえど多種多様であり、奥が深く、ウイスキーやブランデーと同じゆっくり飲める味わい深い蒸留酒だと知った。
職場の人間に「どのような酒を好んで飲む?」と聞かれ、テキーラの名前も自然と挙げた時は、自分はこのお酒のことを好きになったのだなと感じた。
***
いつものように通販で買ったテキーラが届いた。段ボールを開くと折り込みチラシが入っていた。
通販で使っている酒屋がテキーラのイベントに協賛しているそうだ。
ググってみると、下記のようなことが書かれていた。
「マルガリータ」は世界で最も愛されているクラシックカクテルの一つであり、メキシコが誇る世界的なお酒、テキーラを使用する代表的なカクテルでもあります。
そのマルガリータを皆で楽しみ、祝うべく特別な日として、アメリカで毎年2月22日がNational Margaritadayとして定められ、2018年より日本でも同日を「マルガリータの日」に制定しました。
これまたググる。
日本におけるテキーラを中心としたメキシカンスピリッツの「正しい知識の普及」や「業界の発展」を目指すプロモーションユニット
家の外には私がかつて持っていたテキーラのイメージを払拭しようと奮闘して団体があることをここで知った。
こんなご時世だ。イベントへの参加はかなり悩んだが、感染対策を徹底していると書かれていたのでチケットを購入することにした。
開幕直後だと混雑も考えられたので、少し時間をズラして15時前に到着した。
会場はわが目を疑うほど混雑していた。
満員電車とまでは言わないが、年末のデパ地下、コミケ3日目くらい混んでいた。
そこではマスクを外し、手渡された酒を一気に煽る人々が散見された。
一瞬呆気に取られたあと、ここには居たくないなと考え、踵を返した。
一杯も飲むことはなかったが、チケット代5000円を惜しむ余裕はなかった。
良し悪しで語れる話ではないのでそこをどうこういうつもりはない。繁盛していて何よりだ。
ただ、普及や発展を目指す団体が開催したイベントで、苦手意識を抱いていた絵図を目の当たりにしてしまったことがショックだった。
これが目指す姿なのであれば、今後近づくことは決してない。
しかしイベントに参加することも、人から好きな酒を聞かれ「テキーラ」と答えることも、きっともうない。
***
悲しい出来事だったが、テキーラは素晴らしいお酒だと思います。
ブルーアガベを100%使用したテキーラをストレートで何種類か飲んでいただければ、一人で飲む酒も好きなタイプの酒飲みのQOLが少し上がるのではないでしょうか。
※この店主さんに思うことは無いです
※欄が変な感じなんよね
ワイン、ブランデー、ウイスキー、ビール、焼酎、ウォッカ、テキーラ
それぞれ、個々人からしたら「クソ不味い」となる安酒は普通に売られてる
日本の2017年の日本酒消費量は成人ひとりあたり5.40リットルだが
(https://www.nta.go.jp/about/organization/hiroshima/sake/syouhijoukyou/index3.htm 参考)
ワイン消費量は成人ひとりあたり2.94リットルだ(キリン調べ)
ところが、ワインは成功してて、日本酒はダメダメって感じの語り手が多い
それ、ワインも一緒じゃね?
焼酎は?
人々が普段消費するのは、度数の低いビールや、リキュール(サワー・ハイボール)だ
ウイスキーやワイン、ウォッカや焼酎の銘柄、どの程度知ってる?
知らんだろ?
だけど、日本酒は失敗してる事になってる
話してる奴らが日本酒を嫌いなだけなくせに、日本酒はダメなんだって顔真っ赤にしてな
確かに日本酒の底辺は合成清酒で、昭和の頃は悪酔いする不味い酒だった
昨今は味を調える技術が向上して合成清酒も悪くない酒になってるんだけど、昔の人は未だに飲まないって人も多い
酒屋では二級酒(今でいう火入れの普通酒)を一升瓶で売るってスタイルだった
これはしょうがなかった
ちょっとした温度変化で簡単に味が劣化する日本酒は地産地消されるのが普通で
注文したら翌日には商品が届くとか、きちんと温度管理されるとか、アホみたいなスペックの配送システムがなきゃ飲めない酒なんてごまんとある
ちな、ちょっと前の日本酒界隈では「佐川を使う所は外れ」とか言われてた
吟醸酒を並べ
蔵の新しい酒を飲ませてくれたりする
試飲会やら頒布会、サブスクとかをきちんとやれば好事家のネットワークで広まって
わざわざ交通機関を乗り継いで人が集まる
そういうリピーターは「而今飲ませろ」「十四代あるか?」なんて言わない
「今乗ってる一押しの蔵とかある?キリッと辛口で」みたいに聞く
若い奴?
店のイベントに参加してみろよ
すげぇ一杯いるぞ
なんか※欄の連中と、日本酒界隈の今、みたいな感覚は乖離がある気がする
僕は三年前近くからデパス、マイスリー等の安定剤、睡眠薬を摂取している。
きっかけは大学生時代、コンビニや居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事。
仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。
僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った
真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスとマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤を横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン
半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。
今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。
飛んで今年の三月、僕は大学を卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。
これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京で精神を患った。
パワハラや嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分の無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。
コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。
精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。
以前デパスやマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。
そこからは毎日楽しかった。自分の病名に酔い、自分の無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームやドラマアニメ鑑賞、寝たいときにデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。
システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代の貯金を削りながら毎日「治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。
6月から8月に休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。
9月末、これが僕の人生最後の夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。
9月中旬僕の家に遊びに来た彼女がシャワーを浴びてる間にLINEを確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った
もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識を飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。
結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。
僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。
彼女は言った「眠剤はバカになるから辞めて、わたしもコカイン辞める」
二つ返事で快諾、眠剤がバカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事の時系列や、記憶の因果関係がめちゃくちゃになっていた。
次の日、行きつけのバーでバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラやコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン
完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに
でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間、疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分の身体が眠剤に依存していることに自覚した。
そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠
こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた
僕は三年前近くからデパス、マイスリー等の安定剤、睡眠薬を摂取している。
きっかけは大学生時代、コンビニや居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事。
仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。
僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った
真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスとマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤を横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン
半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。
今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。
飛んで今年の三月、僕は大学を卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。
これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京で精神を患った。
パワハラや嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分の無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。
コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。
精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。
以前デパスやマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。
そこからは毎日楽しかった。自分の病名に酔い、自分の無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームやドラマアニメ鑑賞、寝たいときにデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。
システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代の貯金を削りながら毎日「治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。
6月から8月に休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。
9月末、これが僕の人生最後の夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。
9月中旬僕の家に遊びに来た彼女がシャワーを浴びてる間にLINEを確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った
もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識を飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。
結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。
僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。
彼女は言った「眠剤はバカになるから辞めて、わたしもコカイン辞める」
二つ返事で快諾、眠剤がバカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事の時系列や、記憶の因果関係がめちゃくちゃになっていた。
次の日、行きつけのバーでバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラやコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン
完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに
でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間、疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分の身体が眠剤に依存していることに自覚した。
そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠
こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた
コンビニで5%と3%の缶チューハイを買って家で飲んだら元々酒に弱いので頭がクラクラして頭痛まで味わった
もう自主的に酒を飲むのやめよう。飲み会に誘われたときだけ飲もうと決めた。
酒って飲み方間違えたら簡単に死ぬんだよね。なのに世の中酒にはまって飲みまくってる人がたくさんいるんだよね。
酒を飲んだら頭がフワフワしていやなこと忘れられるしすぐに寝付けるけど
自分にとっては合法的な麻薬としか思えなかった。怖いわ。なんか20代のときより酒に弱くなってる気もするし
高くて旨い酒があることも知ってるけど……ひさしぶりに飲んだらとにかく体に悪いなぁっていう感想が全面にでたわ。友達とわいわい酒飲んだら楽しいのでしょうけども。酒、こわいわー
自宅で早速お持ち帰りの餃子を焼いたら
大失敗で結果から言うと丸焦げ!
しおしおのぱーよ。
しおしおというより焦げ焦げってところかしら、
大失敗はないんだけど、
今回の餃子に限ってはちゃんと箱の裏に書いてあるレシィピ通りに調理して焼いたつもりだったのに、
焼いた面が地獄かのごとく
あの地獄絵図の絵の炎で焼いたみたいに真っ黒焦げ。
結構ショックだったわ。
ちゃんと食べたけど。
お店での餃子フェスでアゲアゲな方が良いかもしれないってことに気付いたわ。
たぶん今度家で餃子フェスをやるときは絶対上手く焼けんだからね!
焼き餃子と言うよりは
水餃子での水餃子フェスに切り替えた方があとあと掃除も楽だしなーって思ったわ。
上手に焼けなかったから水餃子にする!ってヤケのヤンパチで言ってるわけじゃないのよ。
私だって初回は失敗大黒焦げ大魔神餃子を爆誕させてしまったけれども、
敗因は強火だったってこと、
レシィピ通りの水が蒸発するまで強気の強火でって言われてそのままにやってみたけど、
それが失敗の原因だったようよ。
そんで、
弱めの強火と強めの中火とではどちらが火加減がファイヤーなのか、
アイニードファイヤーなのよね。
曖昧などちらとも取れる微妙な火加減で火入れする焼き入れる餃子って
案外ちゃんとまともに作って焼くとなると難しいのねーって思ったわ。
私は冷凍餃子をサクサクっとパリッと焼く方がお似合いなのかも知れないわね。
私だって言いキッチンがあって掃除しやすいキッチンがあればいつだって餃子が焼けるのに、
いわゆる、
わたしがかんがえるさいきょうのきっちんを
想像したら町中華屋さんの厨房みたいな感じになっちゃうのよね。
でもあれってよくない?
床もタイルにして水流せるようにしたら
カメラを天井とかに付けて動画とかどうでもいい動画を録ってみたいなーって思うのよ。
まあそんなの無理だから
大人しく私は初心者用のマーケットの冷凍食品売り場で若葉マークが付いている餃子を焼き続けることにするわ。
焼くのが嫌だとかじゃなくて、
焼き物揚げ物をするとキッチンの後片付け掃除が大変なのよねーって
それが億劫で臆病になるのよ。
焼き餃子焼きを特訓するのに。
餃子の餡や皮を作るようになったら真の餃子フェスって言ってたから、
まあ
ベストキッドみたいに映画の中でお師匠さんが全然稽古を付けてくれなくて
延々と洗濯物をさせているうちにいつの間にその洗濯を干す動作が全ての技になっていた!って
洗濯物を私も延々とさせられるのかなーって思ったし
きっと洗濯とあわせて万里の長城の縁の手すりに餃子を1列に並べるのだ!って言われかねないわ。
だから
私はやっぱりお手軽冷凍餃子を焼く餃子フェスの方が性に合ってるのかなーって思ったのよね。
そんで、
本当に笑っちゃったわ!
うふふ。
なんかもう今は大丈夫みたいだけど。
焦げた餃子が原因ではないことは確かね。
まるまるのスイカを買って食べることが多いので、
久しぶりにカッツスイカを買ってみて
カッツする手間を考えると
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
見てる世界違うよね。
異様だって言うのは多分これみたいな事いってるんやろなぁ・・・
単純に白熱電球で木くずに火が付くことも、サラダ油が着火しにくいことも常識だというだけ。
増田みたいなそんなこともわからない人間は少ないというそれだけの話なのに、なぜ本当はわからない人間が黙っているんだと思うのか不思議。
こいつは常識っていうとるけど、うちらからすれば全然常識じゃない。
例えば熱源でLED電球・白熱電球・投光器・ライター4つ用意して、色んな物体を多数用意しましょ。
木くず・サラダ油・ガソリン・重油・軽油・灯油・エンジンオイル・テキーラ・ヒノキ・スギ・焼き杉・ガラス・石膏ボード・絨毯・ココア・砂糖・個体石鹸・液体せっけん・塩ビ管・ストロー・トレイ・ペットボトル・タイヤ・新聞・広辞苑・鉛筆・消しゴム・定規・ノートパソコン・・・etc
LED電球でどの物体が燃えるか勿論わかるよね?LED電球って一般に使われてるからそりゃ常識っしょ?
※一応補足でLED電球でも発火事故あるので条件によっては燃えるんよ。
白熱電球なら熱量多いからもっとわかるのかな?木くずは燃えたよね。でも重油は?エンジンオイルは?テキーラは?液体せっけんいけるかな?
投光器は白熱電球より熱を発するけど鉄製のガードがあって、物体との距離が離れてしまうから燃焼までもってけるかな?
ライターはわかりやすいね。何せよく燃焼してるところ見てるからね。でも重油はすぐ引火するのか?石膏ボードはライターの火力で燃焼できるか?
そういえばガソリンってどれで燃焼するんかな?常温で気化はするだろうけど引火まで持ってける?
ライターはさすがに燃えるね。でもLED電球は?白熱電球は?投光器は?
はっきりいって世の中わからんことだらけよ。
これに環境条件追加して、屋外でやったら風通しや気温や湿度も考慮せりゃならん。
なのに平気でこいつらは常識って言ってるわけ。
サラダ油にライターつけても引火しないっていつから常識になったのよ?
事件後からでしょ。事件前だったらほとんどの人が「知らねーよ」だよ。
反論したけりゃLED電球で世の中にある物体で燃焼できるものを何も調べずに全部当てて見せろや。
異様っしょ。この世界。
んでもって。大勢の人がさも当然のごとく「常識」っていうんだぜ。
こわー。ナニコレ。世にも奇妙な物語の中に入り込んじゃってるの?
名前が抹消されてあのクソダサ開会式が「小林賢太郎の代表作」って扱われなくて済んだだけでも解任された価値はある。
私みたいな痛い信者はあの開会式で唯一面白かった、どう見てもポツネンと小林賢太郎TVの焼き直しの「箱を並べ替えて模様→ドローンでロゴからの地球→ピクトグラム仮想大賞」は小林案だって判るからそこが褒められてりゃ溜飲も下がるってもんだし、責任者じゃなくなってるから、心底恥ずかしかった「なんか大工の格好した烏合の衆が木の上でうろうろしてるくだり」「北朝鮮を見習えと言いたくなる散漫で閑散とした実写版『はたらく細胞』のマスゲーム」「態度の悪い各国の体育会系がぞろぞろ歩いてくだけの1時間半」「ジャルジャルのコントみたいな白空間で各大陸のあんまり知らない人が令和3年にもなって『イマジン』歌ってメッセージ語った気になってるさむさむゾーン」「唐突な灰皿テキーラダンス」「松井に介護されるよぼよぼの長嶋茂雄だったもの」「なんか富士山が割れて階段出てきて、上の太陽だか月だかしらん玉が中途半端に割れるだけのクソ地味動きなしコンセプトなし聖火台」が公的には小林のせいにならないのは心底儲けもの。
友達とみんなで悪口言おうって集まって見始めたのに最終的に全員げんなりして私しか見てなかったからね。劇ピン含む狂言回しのテレビクルーは、本当ならもっとしっかりした縦軸があってそれに関わる予定だったんだろうね。岡山の県北のテーマ曲が流れたところしか盛り上がらなかった。