はてなキーワード: イコールとは
増田は冒頭のツイートの言いたいことをちょっと勘違いしてると思うよ。
「このイラストの何がエロいのかわからない、明確なラインを示せ」
『キャラクターならびにモチーフとなる競走馬のイメージを著しく損なう表現』
「こちらが明確なラインなんて示さなくたって、何がエロいのか本当はわかっているんじゃないか」
「何がエロいのか定量的に示されなければわからないなんて嘘だったんじゃないか」
って言ってるわけ。
まあこのツッコミは(そもそも宇崎ちゃんetcへの抗議に反発した人たちとウマ娘の二次創作をしている人たちがイコールではないというのを横に置いてしまえば)妥当に見えますよね。
宇崎ちゃん献血ポスターの構図がウマ娘二次創作界隈でNGとされていればの話ですけど。
宇崎ちゃんくらい胸を強調したウマ娘の二次創作イラスト、普通に描かれてますからね。
ウマ娘の二次創作を描くにあたって、「馬主を不快にさせない表現」を考えた結果
宇崎ちゃんポスターに対して「このイラストの何がエロいのかわからない」って反応をしたとしてもダブスタではないですよね。
そもそも宇崎ちゃんポスター擁護派が言っていた「何がエロいのか」という部分、
「献血ポスターになるのがNGなレベルでエロいとは思えないので説明してくれ」って話だったわけですよ。
私の判断ではこのポスターの絵柄を献血ポスターにするのはOKなんだけれど、NGだと言うならその根拠を示してくれる?と。
自分の頭で判断してOKだと思ったものにNGを出して不適だ、取り下げるべきという人が居たら
ここがNGなんだという明確なラインを示してくれと言うのはおかしくないでしょう。
シン・エヴァのラストで大人シンジは真希波マリさんと仲良く結ばれて幸せになる訳じゃないですか。
で、シンジ=庵野監督、マリ=安野モヨコ(嫁)ってのはもうこれでもかってなくらい定説となった訳なので、
これは庵野監督からの「お前らもさっさと結婚して真人間になれ」みたいなメッセージとして捉えてる連中がわんさかいる訳よ。
あんなの単に「私は愛する人を見つけて幸せになりました、以上!」程度のものなんだよ。
お前の事なんて眼中にないんだよ。
そもそもシン・エヴァンゲリオンは「大人になる」が一つの大きなテーマだ。
Qの頃からアスカがシンジの事をしつこく「ガキシンジ」と呼んでいたあの流れと地続きなんだよ。
映画の中で色んなものに触れて影響されて、最終的には親父のやらかした事に自分が「ケジメを付ける」って言い張る程度に成長してみせた。
ゼロと言っていい。
マリが最後に登場したのは、シンジがゲンドウと色んな意味で決着を付け、自己犠牲で世界を救おうとした所を母親に救われた後だ(多分。記憶曖昧)。
マリがシンジを救ったんじゃなく、救われたシンジを迎えに来ただけ。まぁそれだけでも極めて重要だと思うけど。
まぁ何が言いたいのかと言うと、「結婚して真人間になれ」ではなく「真人間(成人)になった結果結婚した」的な流れという事だ。
なので大事なのは「新劇場版エヴァンゲリオンが提示する『子供から大人への成長』とは何か?」を考察してく事なんじゃないか?
多分ゲンドウに関しては「大人になりきれなかったままユイと出会いシンジという子供ができてしまった」って事なんだろう。
って事は「セックスして子供を作る」イコール大人になるという訳じゃないと、作品そのものが物凄い勢いで訴えてる訳だ。
じゃあ大人になるって何なんだろうな?それはみんなで全力で考察してくれ。
庵野のノロケに目を眩ませられて本質が見えてない人たちにちょっと苛立ってしまったので書き殴った。上記考察の異論は認めるというかむしろ歓迎する。
はてなではよく、「お前らはこの間はこう主張したのに、今回の件では矛盾しているじゃないか!」という指摘が発生している。
しかし、ある集団が頭の上から足の先まで統一した意見を持っているという前提が普通は成り立つものではない。
つまり、上記の指摘はそもそも指摘した側が何らかの幻影を見ているということになる。
たまたま、そうであるように生まれたというだけだ。意見を統一する必要など微塵もない。
「あの国の人間(※ここでは政府の話ではなくただの国民の意味。政府の話は後述)は前と言ってることが違う」という指摘を見たことがあるが、
おそらく日本人が多いであろう君たちは、この狭い日本の中ですら意見の分断があることを知っているのでは?
たまたま前の人が何か意見を発したら皆それに準じなければならないとしたら、これほどの理不尽はないだろう。
こういった属性は先程とは違い、少なくとも自分で選びとった属性ではあるし、特定の趣味嗜好に基づいているという点で共通性は見られるかもしれない。
しかし共通性が見られるということと、内部で意見を統一すべきということはイコールではない。
あくまであるサービスに魅力を感じて継続利用することに決めたというだけの関係であって、思想の全てを迎合させることに同意したわけではないし、そうすべきあらゆる理由もない。
よく「はてなーダブスタ論」が挙がるたびに疑問に思っているのだが、「自分もはてなユーザーである」という事実をどう処理しているのだろう?
「自分というはてなユーザー」と「自分以外のはてなー」という属性があって、「自分以外のはてなー」全員が「自分」のために意見を統一すべきと思っているのだろうか?(自分はそうしないのに?)
これはその人が会社の人間として発信しているのか、一人の人間として発信しているのかで事情が違う。
会社として発信しているのであれば、それはその人個人の思想とは完全に分離した「会社という法人の言葉」を単に代弁しているに過ぎないので、今論ずる対象ではない(後で論ずる)。
構成員個人の発信である場合は、会社と正反対の意見を述べようが責められる謂れはない。
法人と雇用契約を締結しただけの一人間がその思想まで同化させられたら、労働を遥かに越えた人権侵害だろう。
これは思想によって呼び分けられた集団だから、当然思想は同じであるべきと考える人もいるかもしれない。
ところがこれらの集団の人間も別に意見を統一する必要はないのだ。
各人の思想が便宜上近しいもので纏められているだけで、詳細まで同じであるとは限らない。
また、ある点(たとえばある政策の是非)でたまたま同じ意見を表明した人間同士が別の点でも同じ意見とは限らない。
同じものが好きな人同士でも、その好きになった理由は全然違うかもしれない。アニメだったら、ある人はシナリオ、ある人は絵、ある人は声優みたいに。
たまたま好きなアニメが被った見知らぬ誰かが犯罪者だからといって、自分まで犯罪者扱いされたら君たちも反論するだろう?極端だがそれと同じことだ。
ただ、それは国家間の条約や協定を覆さないという意味合いであり、ダブスタ云々というよりも「契約を守りましょう」という話に整理される。
その原則が守られている限り、たとえば政府の意見や見解といったものは、その国の中で過去から未来に渡って常に統一しておく必要というものはない。
なぜなら政権交代に伴って必然的に政府の意見は変わるものだし、変わるべきだからである。
それが許されないのであれば政権交代の意味も、ひいては選挙自体の意味もなくなってしまう。
アメリカの大統領がトランプになった後、米政府としての考え方は180度転換したが、これは当然のことであってそうでなければ変わった意味がない。
これは流石に統一した意見を持て、と言いたい人も多いだろうが、基本的には上記の議論が全てそのまま通じる。
一組織に属しているからといってあらゆる全ての見解を統一しなければならないまでの義務を負っているとは考えにくいし、組織トップが交代すれば見解も変わる。
逆に、組織と異なる意見は常に封殺され、どれだけトップが変わってもいつまでも見解が変わらないような自浄作用のない組織であれば、それこそ恐ろしい組織ではないだろうか?
組織としての契約や約束事をその設定期限まできちんと守りきれるのであれば、それ以外の意見や見解は変わりうるし、変わるべきなのだ。
ここまで考えていけば、究極的には一個人の意見や見解ですら、変わりうるし変わるべきだという結論にたどり着くだろう。
それは脳内で天使と悪魔なり自分会議なりマギシステムなりを開催しているところを思い浮かべてもいいし、単純に十年前の自分が今と同じ考えだったかと自問してもいい。
そもそものところ、主張の妥当性というものは、発言者に関係なく、主張そのものから判定すべきというのが大原則のはずだ。
発言者の過去の発言という外部変数を取り入れなければ成立しない「ダブルスタンダード」という概念自体がその原則に反している。
ダブルスタンダードであることが良くないのは、「一つの議論の中で同時に矛盾した主張を挙げ、その両方を論拠にした何らかの主張をした場合」に限られるのだ。
(そのような場合は、そもそも論理が矛盾を含んでいるのだから単にそう指摘すれば良いのだ)
なかなか心に刺さる記事雑な仕事が嫌い。を発見したので、それに対して感じたことを書いてみる。
自分は元増田が大嫌いなタイプの人間だと思う。大雑把なので、細かいことに気が付かないし、昔からケアレスミスが多い。
職場にも、元増田みたいに仕事を完璧にこなすタイプの人がいるし、そういう人からしたら「テキトーなことばっかりしやがって」と思われていると思う。(実際、そう言われた)
記事を読んで思ったのは、元増田は「雑な仕事に腹が立つ」っていうよりも「間違ったこと(=雑な仕事)をしているのに、それを反省せずにヘラヘラしている」態度に腹がたっている様に感じる。
あとは、何度も注意しているのに、反省も努力もしてないことにも。
そりゃ腹もたつわ。自分も失敗ばかりしている人間だけれど、目の前にそんなやついたら、イライラが止まらんだろう。
ただそのイライラって、根っこは「自分はミスがないように努力しているのに!!」っていう、自分の努力が否定されたような、「なんで自分は頑張っているのに、こいつは改善しようと努力しないのだ!」っていう感情があるのではなかろうか。それって、要は自分の問題だよねっていう。いや、仕事に支障がでているなら、会社として問題なんだけど。
これは何にでも言えることだけど、自分が感じていることって、結局自分のフィルターを通してしか見ていないんだよね。だから増田が部下を「反省しない、改善の努力もしない」って思っていても、部下は部下なりに何かしら感じることや、行動をとっているのでは?ただそれが、増田基準だと努力の範疇ではないレベルだってだけなのでは?とちょっと思った。
まあ、自分は増田の部下なんぞ知らんから、想像でしかないけどさ。
自分の話をすると、自分も「注意されても何も響いていない、なんの努力もしていない」と思われている(上司にそうはっきり言われた)。それを聞いたときは衝撃が走ったよね。こっちからすれば全くの見当違いのことを言われたんだから。
まあ、その上司に見る目がないってのは、他の同僚たちも同意しているので、そういう人なんだとは思うんだけど、思うに反省の色の見せ方や、努力の量がその人の基準と違うっていうのが原因なんだと思う。その人からすれば、なんでもないことでも、注意力欠如障害レベルの自分からすれば、何倍下手したら何十倍の注意力を要することなんだよね。他の人が言ってたけど、もうこれは本人の意志でどうこうなるレベルじゃないんだよ。だから例えば、「おめー3つもミスしてるじゃねえか!」って言われても、普段の自分なら5つはやらかすから、努力の結果2つミスを減らせたんだよ。
あと、注意されても平然としている様に見えるのは、あえてそうしてるだけであって、なにもヘコんでいないってわけじゃない。何度も帰りの途中で泣いたこともあるし、ストレスで突発性難聴になったこともある。注意と人格否定は違うでしょ?だから別に傷つけようとして言ってるわけじゃない(はず)なんだから、指導してくれた人に傷ついた態度をとったら失礼でしょうが!と思うようにしているので、なるべく注意されてもその後は普段どおりに接するよう心がけている。それ見て何も響いていないと思われているのか?違うか。
備品の最後の1個を使っておいて総務課に「注文お願いします」って言うだけのことをしないとか、
ホワイトボードに翌日の予定を書いておいて日付は直さないとか、
自分からすれば「なんでしないの!?」って逆に不思議に思ってしまう。
全部誰かがやってくれると思ってるの?
もし元増田の部下が、自分と同じタイプの人間なら、誰かがやってくれるなんて思っていない。それは元増田の勘違いだ。
単純に、気がついてないだけなのである。注意力散漫人間というのは、往々にしてこういうもんなのだ。
備品が最後の一つと気がついていない、そもそも備品がもう残っていないことに気がついていない。
日付を直さないのではなく、日付が書いてあることに気がついていない、もしくは予定を書くことに頭を取られて、日付のことまで考えが至っていない。
キャパシティの低い人間は、他のところまで頭がまわる余裕が他の人より無いんだよ。だから、絶対ミスできないこと、この場合備品を持っていく・予定を書く、ってことに集中力を全振りしているので、それ以外のことは頭に入ってこない。それはもう努力とか気をつけるとかでどうこうなる問題じゃない。
あとは単純に、元増田が気になるポイントと、部下が気になるポイントが違うってだけなのでは。
いやいや、キャパシティ低いの自覚してんだったら、それをどうにかするように、なにか努力しろよって言われると思う。いや違うんだよ、元増田レベルの努力には足りないだろうけど、自分なりに色々考えたり、反省したり、策をこうじてみたりしてんのよ。ただそれがミジンコの移動レベルの変化だったり、それでもいつもの癖で抜けちゃったりしてるだけなのよ。
言いたいことは、元増田の部下に対する評価は、結局自分基準のものであって、見えているものが全てではないってことを、頭のどこかにおいていてほしいんだ。
それぞれがそれぞれの評価基準や価値観に従って、人を評価するしかないんだから、所詮は正しい評価なんてありはしないのは分かっている。矛盾しているが。
ただそれを自覚しながらなのとそうじゃないのとでは、大きく違うと信じている。
鉄が足りないのが原因と言われ、
鉄不足をどうにかする薬と、よくわからない薬と、精神をどうにかする薬と、眠りやすい薬と、頭痛薬をもらった。
眠りやすい薬は自分に合わなかったので、早々に別の薬に変わった。
少しずつ整った生活習慣に戻って行き、
希死念慮は薄くなっていった。
鉄不足をどうにかする薬と、精神をどうにかする薬と、眠りやすい薬と、頭痛薬は徐々に減って一部なくなるのに、
よくわからない薬はずっとあった。
受付の人が噂話をして笑っていた。
怖かったのでそのクリニックには行かなくなった。
行かなくなってしばらくして、
人に暴力を振るった。
(と、自分は思っていたけど実際には近くの壁を殴っていただけだった。平手で)
希死念慮がずっとこっちを見てくるようになった。
さすがに前のように「父」が死んだら楽になると神託を下すことはなかった。
けれども危ないと思った。
発達障害を持っているわけではなかった。
ADHDの薬、精神を和らげる薬、眠りやすくする薬、頭痛薬をもらった。
ADHDの診断を受けるように言われ、初診の数ヶ月後に受けることになった。
受けた。
結果は平均。
色々な感情がせめぎ合った。
ただの怠け者とか、努力が足りないとか、無能とか、そういう言葉ばかりがよぎった。
発達障害ではなさそうなのに、
その時に「どうして発達障害ではなさそうなのに薬は出るんですか」
とはなぜだか口が重くて聞けなかった。
行くのをやめた。
もちろん、鉄不足や発達障害が原因ではなかったと言うことが、
わかってるけれども、
理由なく、怠けて、努力をせず、他に苦しい人もいるだろうにめそめそ泣き、
眠れないからを理由に起き上がらず、生活と学びと仕事をおそそかにし続ける自分が許せない。
一番最初、色々あってクリニックにかかる前に、
頭痛とか、文字が読めないとか、頭が回らないとか、言い訳せずに。
そのまま努力を続けるべきだった。
そしてそのまま果てるべきだった。
努力不足な今の自分がもっとも許せない。希死念慮がずっと見ている。
その思考には脈略がないのに(理由がないイコールうつ病ではない、にはならんやろ)
さっぱり消えない。
どしたらいいんや。
って思うとやっぱり希死念慮が見てる。多分、そのうち囁いてくる。
「バカにしてはいけない」と「差別してはいけない」がイコールになってる人、増田に結構多い印象。
とか言うと「は?他人を差別してもいけないのと同じくらい他人をバカにしてもいけないに決まってるだろ」って怒られそうだけど…
マジレスすると「オタクはキモい」「おじさんはキモい」も主語がでかすぎる。
実際に使われている例を見るに「キモい」が先行し、その後に属性が足されている。
ではなく、
これ、テストに出るよ
因子ガチャはクソ。
普通のガチャはそれなりに。今の所配布多いしどうせサイゲのことだから無料10連するんだろ。
お嬢様口調で食いしん坊。しかもレース中にいきなり茶をシバく。
全体のウマ娘にいえるところは耳をピコピコするのがあざとすぎる。
犬を飼っていたので「耳」や「しっぽ」で感情表現されるともう気が狂う。
ケモミミってそういうところずるいよな。顔では「全然嬉しくないですけど」みたいな人間の表情をして、耳はピコピコしてる。サイゲはそういうことするよ。
パワプロとかシャニマスとか言われてるけど個人的にはパワプロのほうが近い。シャニマスはどっちかというと同じレッスン・仕事をこすり続けるのが最適解でそこにサポがどうきてくれるかが重要すぎる。最終的にほとんどをオーディションに費やしてファン人数増やしたり、レール(ノート)に沿ってレッスンしたりでレッスンできるかどうかに運要素が絡んでくる感じ。
パワプロはスマホのやったことないが9とか10とかやってた感じにちかく、サポや友情発生を見つつ自分がやりたいレッスンをコントロールできる。
バクシンオーやサイレンススズカのようにスピードをこすり続けるのが良いウマもいるが大体のウマは必要ステータスを定めてそこに向けて練習していくので良い。
これに「今日は筋トレしたい気分です」とかつかないから良い。俺も「お昼寝いっぱいしたいから」と有給申請したい。
レースは操作が一切ない。だがそれが良い。完全に応援側として見れる。
特殊スキルの演出も熱い。走ってる時のウマ娘の表情も必死で良い。
でもG1レース以外で自分のウマが勝負服来てるのに他のウマが運動服なの勘弁してほしい。なんか恥ずかしいじゃん。
微妙。
序盤で述べてる因子ガチャのせい。
「とにかくプレイを積み重ねれば積み重ねるほど強くなれる」ゲームではない。
モンハンでいうと発掘武器やお守りや装飾品ガチャのようなもので育成が終わった後に次の育成ウマ娘に能力を継承させることができる因子というのが完全ランダムでつく。
完全ランダムかはわからないが、スピードSS スタミナD パワーE 根性F 学力Bみたいなバクシンオーにパワーがついたのでたぶんランダム。
責めて「スピードSSならスピード因子☆2以上確定」とかほしかった。このせいで因子ガチャするときは無闇矢鱈にスキルをつけないことが安定してしまっている。
強い育成ウマを作る、親馬(便宜上こう呼ぶ)を作るが完全にイコールではないので運に頼る部分が大きい。
強スキルをとことん詰め込めば一回り劣っていようと余裕で勝てるぐらいにスキルが重要。
特に中距離以上のウマにとってスタミナ回復ができるスキルがあるかどうかはかなり重要。素のスタミナが800ぐらいあっても「スタミナが足りないですね」と煽られることがある。
その代わりに500ぐらいのスタミナに回復スキルが2個ぐらい付けば疲れることがほぼない。
これが何を意味するかと言うとサイゲが「フェスです 最強スキルです」とかいってなにか実装してきた日にはウマ娘育て直しも十分ある。
それを見越して今のところ自分は因子ガチャしてるのはあるが、とにかくスキルが勝負を支配する部分が多い。
まぁでもイベント次第でしょ。今の所ほかプレイヤーと争うコンテンツが趣味程度のものなんでいいが。
サイゲのことだから実質対人戦のサークル合同レースとかやってくるからそれに向けてって話であれば親馬今のうちに作っといたほうがいいかもしれない。
怖いのがその親馬ですら作り直しになる可能性がある。なぜなら☆3以上のウマ娘の固有スキルは遺伝ができるからだ。
面白い。
面白いが今のうちだけかと思う。なにより拘束される時間が長い。
今の所他に強いコンシューマーゲームもでていないからみんな余裕があるからやってるだけだと思うところはある。
それでもまだまだ先のスケジュールに大移動が発生するようなタイトルがないこととガチでやっていこうと腹を決める人がその間に増えていくと思うのでしばらくはみんなウマ娘ウマ娘いってるんじゃないんですかね。
スキルゲーのところでかいたが回復スキルがあるかどうかでだいぶ違う。
「頭の良さ」に並々ならぬこだわりがあるということはわかった。そこがコンプレックスの根源で、ヴィーガンにこだわることともおそらく繋がっているんだろうな。人生で色々つらいことがあったんだろうことも窺い知れる。
しかしそれにこだわるのなら、その喋り方はどうにも地の頭の悪さが滲み出てしまっているから気をつけたほうがいい。どう頭が悪く見えるか?ロジックがいちいち短絡的で結論ありきでそれをサポートするストーリーを一つ見つけたらそれに飛びついている思考態度がありありと見て取れるからだな。
例えば
そういうロジックも一応は成り立つだろうが、「大手チェーン」は別に一番美味しいものを出すインセンティブがあるわけではない。一番儲かるものを出すんだよね。儲かるというのは単価からコストを引いたものだな。単価を上げるかコストを下げるかという選択肢があり、また万人にウケやすく客数が増えるものを選ぶ。キワモノは数が出ないし原価も上がりやすいから例え美味くても出すメリットはあまりないというロジックもやはり成り立つわけだ。
キワモノでちゃんと調和を考えて作られたものがどういうものかはまともなレストランに行けば分かるだろう。ミシュランで星がつくくらいの店ね。グランメゾンとかでなくてもいいけど。
「工業化のフードプロセス社会」というのがまず意味不明だけど、肉食でなければそれに巻き込まれないという根拠はなんだ?野菜が工業的に生産されてないと思っているのか?