2021-03-07

集団によるダブルスタンダード

はてなではよく、「お前らはこの間はこう主張したのに、今回の件では矛盾しているじゃないか!」という指摘が発生している。

しかし、ある集団が頭の上から足の先まで統一した意見を持っているという前提が普通は成り立つものではない。

まり上記の指摘はそもそも指摘した側が何らかの幻影を見ているということになる。

これらはそもそも自分コントロールできる属性ではない。

たまたま、そうであるように生まれたというだけだ。意見統一する必要など微塵もない。

あの国人間(※ここでは政府の話ではなくただの国民意味政府の話は後述)は前と言ってることが違う」という指摘を見たことがあるが、

おそらく日本人が多いであろう君たちは、この狭い日本の中ですら意見の分断があることを知っているのでは?

たまたま前の人が何か意見を発したら皆それに準じなければならないとしたら、これほどの理不尽はないだろう。

こういった属性は先程とは違い、少なくとも自分で選びとった属性ではあるし、特定趣味嗜好に基づいているという点で共通性は見られるかもしれない。

しか共通性が見られるということと、内部で意見統一すべきということはイコールではない。

あくまであるサービスに魅力を感じて継続利用することに決めたというだけの関係であって、思想の全てを迎合させることに同意したわけではないし、そうすべきあらゆる理由もない。

よく「はてなダブスタ論」が挙がるたびに疑問に思っているのだが、「自分はてなユーザーである」という事実をどう処理しているのだろう?

自分というはてなユーザー」と「自分以外のはてなー」という属性があって、「自分以外のはてなー」全員が「自分」のために意見統一すべきと思っているのだろうか?(自分はそうしないのに?)

これはその人が会社人間として発信しているのか、一人の人間として発信しているのかで事情が違う。

会社として発信しているのであれば、それはその人個人思想とは完全に分離した「会社という法人言葉」を単に代弁しているに過ぎないので、今論ずる対象ではない(後で論ずる)。

構成員個人の発信である場合は、会社正反対意見を述べようが責められる謂れはない。

法人雇用契約を締結しただけの一人間がその思想まで同化させられたら、労働を遥かに越えた人権侵害だろう。

これは思想によって呼び分けられた集団から、当然思想は同じであるべきと考える人いるかもしれない。

ところがこれらの集団人間別に意見統一する必要はないのだ。

右派とか左派という言葉にはっきりした定義はない。

各人の思想便宜上近しいもので纏められているだけで、詳細まで同じであるとは限らない。

また、ある点(たとえばある政策の是非)でたまたま同じ意見を表明した人間同士が別の点でも同じ意見とは限らない。

同じもの好きな人同士でも、その好きになった理由全然違うかもしれない。アニメだったら、ある人はシナリオ、ある人は絵、ある人は声優みたいに。

政策とか党派だって同じことが言えるだろう。

たまたま好きなアニメが被った見知らぬ誰かが犯罪者からといって、自分まで犯罪者扱いされたら君たちも反論するだろう?極端だがそれと同じことだ。

これは相当程度、一国家の中で意見統一は求められる。

ただ、それは国家間の条約協定を覆さないという意味いであり、ダブスタ云々というよりも「契約を守りましょう」という話に整理される。

その原則が守られている限り、たとえば政府意見見解といったものは、その国の中で過去から未来に渡って常に統一しておく必要というものはない。

なぜなら政権交代に伴って必然的政府意見は変わるものだし、変わるべきだからである

それが許されないのであれば政権交代意味も、ひいては選挙自体意味もなくなってしまう。

アメリカ大統領トランプになった後、米政府としての考え方は180度転換したが、これは当然のことであってそうでなければ変わった意味がない。

これは流石に統一した意見を持て、と言いたい人も多いだろうが、基本的には上記議論が全てそのまま通じる。

組織に属しているからといってあらゆる全ての見解統一しなければならないまでの義務を負っているとは考えにくいし、組織トップが交代すれば見解も変わる。

逆に、組織と異なる意見は常に封殺され、どれだけトップが変わってもいつまでも見解が変わらないような自浄作用のない組織であれば、それこそ恐ろしい組織ではないだろうか?

組織としての契約約束事をその設定期限まできちんと守りきれるのであれば、それ以外の意見見解は変わりうるし、変わるべきなのだ

ここまで考えていけば、究極的には一個人意見見解ですら、変わりうるし変わるべきだという結論にたどり着くだろう。

それは脳内天使と悪魔なり自分会議なりマギシステムなりを開催しているところを思い浮かべてもいいし、単純に十年前の自分が今と同じ考えだったかと自問してもいい。

そもそものところ、主張の妥当性というものは、発言者関係なく、主張そのものから判定すべきというのが大原則のはずだ。

発言者過去発言という外部変数を取り入れなければ成立しない「ダブルスタンダード」という概念自体がその原則に反している。

ダブルスタンダードであることが良くないのは、「一つの議論の中で同時に矛盾した主張を挙げ、その両方を論拠にした何らかの主張をした場合」に限られるのだ。

(そのような場合は、そもそも論理矛盾を含んでいるのだから単にそう指摘すれば良いのだ)

結論として、お前の主張はダブスタだというような指摘は、はっきり言って論理性がない。

少し乱暴な言い方ではあるが、「ダブスタ指摘は愚かな主張」とすら言えると思う。

  • 一つの議論だって数秒前(文章なら数行前)の時点と今の時点で主張が同じである保証はないだろ

    • その変更の経緯経過を示せない奴はバカだよね

    • そのとおりなので、単に矛盾した主張を立て続けにしただけではダメとは言えない。 ダメなのは矛盾する主張を同時に論拠に加えなければ成り立たないような論理展開をすること。

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