はてなキーワード: あの世とは
有名メーカーkeyのドンである麻枝准は、どうやら記憶というものを〈死〉に重ねて考えているようだ
彼の書いた曲である〈夏影〉の歌詞に、実在する物体は変わっていき、あるいは滅びて消えていくが、それらの物事に関する記憶だけはそのままで残り続ける旨が書いてある
物体が消滅しても、その不在に代わるかのごとく、記憶が残り続ける
このような場合において、記憶とは不在の象徴であり、あるいは死を象徴するものでもあるのかもしれない
アニメ〈Angel Beats!〉にて、死後の世界というものがえがかれていたのであるが、あの世界は一体何を表しているかと言えば明らかで、メインテーマ曲である〈一番の宝物〉においても語られているように、あれは記憶・思い出の世界でもある
これから書こうとしているのは、お寺に搾取される貧乏な檀家のお話だ。
秋田の片田舎に母の生家がある。元教員だった和尚さんのいるお寺は曹洞宗で、生家はそこの檀家だった。というかその周辺部落のほとんどの家が檀家だった。命日にはハガキで通知をしてくれるなど、聞いていると役所的役割を果たしているように思った。つまり、檀家と各檀家の仏様の命日がデータベース化されているのだった。
人望が厚く信心深かった叔母が婿を取って後を継いでいたが、数年前に病死した。信心深い人(あの世でより仏に近くに行ける人?)や長生きした人は、それなりの大そうな戒名を頂けるというのが慣わしだそうで、大そうな戒名を頂いたことを生家では誇りにしていた。
若くしてなくなった人やあまりお寺に縁のなかった人には位の低い戒名しか頂けない。55歳で亡くなった私の母もごく経済的な戒名で済んだ。
そしてココが問題なのだが、よい戒名にはそれに見合うお布施をお寺に納めるのが慣わしなんだそうだ。それも金額を聞いて驚いた。戒名料の相場で見るとまだお寺も気を遣ってくれたようだが、各宗派とも信じられないお値段だ。
数年後、癌で叔父が亡くなった。このとき問題が起きた。叔父は叔母と違ってごく普通の信者だったし、何より生家にはもう現金がなかった。まだ社会に巣立っていない子供にも学費や仕送りが必要だった。
しかし、叔母と同じ位の戒名を頂かないと、あの世で叔父と叔母は会えないとお寺に言われたそうだ。そしてそれは檀家の常識でもあり、同じ位の戒名を「買わないと」部落で親不幸者として扱われるようだ。
叔母亡き後を継いだ従姉もお婿さんをもらっていたのだが、お婿さんは遠慮して「お金がないから、そんな戒名は買えない」という一言が言えなかったそうだ。従姉にしてみれば、そう言って欲しかった、そうしないと家計が立ち行かなくなると思ったようだが、結果的にはお寺に押し切られてしまったそうだ。
だって、誰だってあの世で両親が会えないなんて言われたら、お金出すしかないと思う。信心深ければ深いほど…。
何故お金がないのに、これから子供たちにお金が必要なのに、そんな大金をお寺に納める必要があるのだろうか?
そして、私は従姉夫婦の窮地に上記の馬鹿げたことを知らされずに何度か現金を無心され、その度に若い子供達の将来を思って叔母としてできることをしたつもりになっていた。
実はもっと混みいった事情がある。土地をなかなか相続できていなかったために、それを担保にJAからお金を借りることができずにいた。その手続きのための(司法書士などに支払う)お金すらないほど困窮していたのだ。相続できてお金が借りれたら真っ先に返してくれるという約束で幾ばくかを送金した。直後にまだ相続手続きが終わらないうちに、娘の年払い保険の期限が来てしまい、病気の娘(◯◯ちゃんは精神系の病気)にとっては(解約するわけにいかない最後の保険なので月曜締め切りのところを2日前の土曜日に何とか都合してくれと電話があった。◯◯ちゃんのためならと、これが最後と自分に言い聞かせて殺伐とした気分で送金した。
ほどなく相続&借金ができたようだが、連絡がない。◯◯ちゃんに聞いて初めて上記のような顛末を知ったのだった。
もう一つ納得行かないのが、よい戒名をもらうとそれなりのお葬式をしなければならず、それなりのお葬式にはそれなりの御霊前を持って行かねばならないという、これも慣わしなんだそうだ。そこいらは都会と違う。ご近所に数万円の御霊前を持って行くなんて聞いたこともない。
そして、いただいた御霊前の額はそのまま、その家のご不幸のときに返すのもしきたりなんだそうだ。それは理屈として通るが、困るのは3月の季節替わりにはご老人が亡くなる家が多いので、その分出費がかさむことになる。驚いたのは、この3月の近所のお葬式で15万円ほど消えたそうだ。
普通は頂いた御霊前をそのまま取っておけば済むだろうと思うが、それは葬式代を確保していた家の場合。昨年夏の叔父の葬式代は叔母に釣り合うよう100万円ほどかかったそうだ。御霊前はその他諸々の経費に消えてしまったというわけだ。無計画な従姉夫婦は、何の備えもしていなかった。なのに宗教の名の下に言われるがままに、お金を払ってしまった。
しかし、困窮したと駆け込んでもお寺が面倒を見てくれるなんてありえなさそうだし、明らかに何か矛盾している。
私がこの記事を記しておこうと思った訳は、この記事を読んだからだ。
Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET
この記事の趣旨とあまり関係ない部分だけれど、以下の箇所に疑問を持った。
オウム真理教では、麻原教祖が行う「イニシエーション=秘儀」により「ステージ=段階」が上がり、「悟り」への道が促進される重要な儀礼として位置づけられていました。
:
:
一方では、そのために多くの「布施」を強要し、それに答えないと高い「ステージ」には上がれないとされていたのです。これは、一つの集金システムとして機能していたもので、極めて詐欺性が強いといわれています。
以上のようにオウムで言うイニシエーションは、段階的であり、布施の高低により不平等であり、なによりも仏教の教えからかけ離れたものであり、とても認められるものではありません。
:
:
またこうした「加入儀礼」としては、曹洞宗では「入檀式」や「受戒会」、僧侶の儀礼としては、「得度式」「立職」「伝法」などが広い意味で該当するでしょう。
しかし、これらの儀礼がオウムのそれと大きく異なるのは、檀信徒に平等であり、また仏様との縁を結ぶ自発的なもので、強制を伴ったり、ましてや何度も行うような性格のものではありません。
真っ当な宗派である曹洞宗でもそれは明らかにウソだ。理想は上記引用かもしれないが、田舎では狭い世間の目に逆らえず、お寺の言うがままになっている貧乏人が現に存在する。
言い過ぎを覚悟して言えば、結局間接的に私が若い子供たちのために送ったお金もお寺に吸い上げられてしまったようなものだ。
しきたりを知らない核家族&都会で育った私の戯言かもしれないが、宗教というものに、信心というものの具現化の在り方に矛盾を感じぜずにはいられない。
http://anond.hatelabo.jp/20120313001659
ソーシャルゲームはまだ歴史が短いから焼畑商業方式で儲けられるからね
ネット上で焼かれるのは土地ではなく無知で金のあるユーザーだよ
同じゲームでもまだソーシャルゲームに比べて歴史が長いネトゲはその時代を過ぎ
儲けのみに走ったタイトルは以前の強さを失ってる
ある新しいサービスが生まれると、より無知なユーザー向けの焼畑商業方式のメソッドが儲かる
早いサイクルでサービスをリリースして新しい森を焼いた方が効率がいい
ただし森がなくなるまでは
だんだんとユーザーのリテラシーが上がったりして焼けるユーザーがいなくなると次第に顧客満足度の高いサービスが生き残る
作れなければその業界自体が滅びる
家庭用ゲームはとっくにその時期も過ぎてて滅びそうだ
グリーが本当に生き残れる企業なら、焼けるユーザーがいなくなった先のことももう考えてるんじゃないかな
でもそれまでは出来るだけ早い速度で焼けるだけ焼くだろうね
もう焼く森がない!となる前に、自らポストソーシャルゲームにあたるサービスを作って
既存のソーシャルゲームをぶち壊して肥料にするくらいの事はやると思う
別の打開策は次の森がどこにあるかってことなんだけども
毎日ぼーっとテレビを見るしか空いた時間の使い方がない現代の50代以上がターゲットにされるんじゃないかなぁ
あの世代って信じられないくらいテレビに依存してて一向にリテラシーが上がらないし操作されやすい
あれほど炎上しやすい世代も無い
ただあまりにもテレビ以外のメディアに触れる機会がないから、どうやってネットにつれてくるかが問題だけど
ここまで書いて思ったけど、どうやってテレビからネットにつれてくるかじゃなくて
おばちゃんたちが、テレビでドラマ見ながらテレビの画面でソーシャルゲームをテレビのリモコンでできるようになったらたいへんだ
まず前提として
「凄い絵を描く個人」に対して、海外の人間が「日本人すげえ」とコメントしている記事がある
http://b.hatena.ne.jp/entry/nylongirls.jp/archives/5068763.html
そしてこの記事へのコメントとして
「日本人全員がスゴいという文脈にもとれるけれど、そうじゃなくてこの人個人が凄いんだろ」というコメントがついていたのを見て
私は「この人は空気の読めない人だな」と腹が立った。
(ここは超意訳)
たとえば松本龍が震災後発言をとがめられた時に私はB型で短絡的な~というような発言をしていたが
彼はB型全員が失言体質なのではなく、自分がB型でそういうタイプにあるという主観論を述べたかっただけである
私はあの世代の人間はそういった言葉の選び方をするものだと理解している
話をもどすが、海外の人間はなんとなく日本人は手先が器用で細かい事が得意だというイメージがあるようだ。
彼らが「日本人すげえ」と発言したのはもちろん日本人全てが手先が器用で細かいという発言ではなく
松本龍が自らをB型と称したように、「凄い絵を描く個人」を「日本人」と呼称していたに過ぎないのだ。
読んでるよ。
ものすげぇ話がぶれてるぞ。
魔人の特殊能力と、剣の性能は別だが、福本剣を一刀両が持つと能力を補完して、原作のゲームや派生のゲームでもかなりチートになるのは確か。
(あの世界は中二全開の世界観だから、その手の無敵っぽい記述された能力は沢山あるがね)
オリジナルのゲームでは、発動率とかあって無敵じゃないわけだが、そういうのは「小説には」関係ないって話なんだろ?
んで、単純に説明書き優先での能力解決だと、車田正美の世界になるんだよ。
技の名前を叫ぶと見開きで「BAGOOOOOOOON!!」とかの効果音がついて、相手が吹っ飛ぶような撃ったもん勝ちな感じになる。
ゲームでのようなデメリットを考えないなら、単純に「相手に勝てるような能力が定義されたら勝てる」世界になる。
だから、どちらにせよ無敵なんてありえない。
その失敗に係るリスクは「必ず当たり必ず殺す」っていう魔剣がきれいにフォローしてくれて完璧に無敵じゃん。
刀の届く接近戦である限り無敵だ。
あの世界に限って言えば、「発動すれば(普通に殴るのも含む)」当たるし殺すって能力自体は、そんなに怖くない。
「カウンター先手」の能力で行動不能とかできるんだから。(こちらも発動条件やら、発動確立、成功確率等あるけれどね)
それだけで「異能」と呼んでいい位。
作品的にはH×Hやジョジョのノリに近いんだが、なにしろ中二の割合が濃いから、どうしたってあぁなる。
あれは中二のノリを楽しめるかどうかって作品なんだ。
一刀両の能力は無敵じゃない。
失敗したら自分が切腹しなければならない(ロールプレイ的には自責の念で死ぬ)能力。
その他諸々、強力な能力は発動条件か、発動確立か、成功確率か、何かが犠牲になっている。
番長に関しては。
「攻撃力-防御力」がダメージで、ライフが一桁であることが多い世界だから、攻撃力の初期値が15の番長は、「殴れば相手が死ぬ」能力を持ってるともいえる。
自身が2発も喰らえば、常時「即死」能力持ちだ。(発動条件も糞もない)
そもそもが、あの世界は「ぼくのかんがえたさいきょうの魔人」を暴れさせるゲームなんで、「エターナルフォースブリザード」があってもおかしくない世界。
<ただし、自分も死ぬ>みたいな。
飼い主「あぁ、眠るよ」
犬 「うん!でも15年も生きたんだ!そうなんだぁ!じゃぁ眠っていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。いいんだよ」
犬 「よかったぁ!じゃぁ眠ろうね!穏やかに眠ろう!」
飼い主「うん、眠ろうね」
飼い主「うん。静かに眠っていいよ」
犬 「あぁーご主人様は今ぼろぼろ泣いているよー!笑って見送って欲しいよー!今までありがとねぇー!」
飼い主「あぁ、久しぶり」
犬 「そうかぁ!僕犬だから!犬だからあの世とかわかんないから!」
犬 「うん!でも天国なんだ!そうなんだぁ!じゃぁもう待たなくていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。待たなくていいんだよ」
犬 「よかったぁ!じゃぁ歩こうね!一緒に歩こう!」
飼い主「うん、歩こう」
犬 「あぁ!これからずっと一緒にいられるね!ね、ご主人様!」
飼い主「うん。ずっと一緒だよ」
犬 「あぁーご主人様と僕はずっと一緒だよー!幸せだねぇー!」
妻は、悲しんだり喜んだりする感情が薄い。ほぼ無いといっても言いぐらいだ。
結婚してから10年以上になるが、涙を流しているのを見たのは1回だけ。
おいらが結婚して仙台から静岡まで嫁を連れていくときに、途中の福島のホテルで夜に「帰りたい」と言って泣いた。
それだけ。しかもそれもほんの10秒程度で、すぐにいつもの嫁に戻っていた。
喜んでいる所さえもほとんど見たことがない。
-----
妻は実は苦労人だ。
小さいころ両親が離婚し、父親側についたが、父親も飲んだ暮れで女遊びや博打がひどく
多額の借金を抱えている。
おいらの会社がだんだんと大きくなってくると、何度も無心をしてくるような輩だ。
そんな状況だから嫁は学生時分から兄弟3人を半ば養っていたに近い。
-----
いつ寝てるんだ、という生活を8年近く続けていた。
-----
嫁は飲んだ暮れのおやじと二人で滅入っていた。
嫁はおいらが何とかしなきゃと思い、結婚を申し込んだ。
ろくすっぽ付き合ってもいなかった。
嫁はうんともすんともいわなかった。
しかし一緒に来てくれた。
-----
その後だって、好きとも嫌いとも言われたこともない。
嫁に言わせりゃ、自分を取り巻く環境が変わり、生活のために結婚した、というが
-----
昨晩、嫁のおかあが無くなった。
癌だった。
嫁は二人の小さい子供をつれて、木曜日におかあのところに新幹線で行った。
基本的に連絡もほとんど取り合わないおいらたちの間だが、
-----
おいらは体調が優れずかつ仕事に追われていたので、特に返事をしなかった。
-----
そしてその日の夜、突然亡くなった。
夜中の2時56分ごろに電話がなり、不眠症もちで寝れずにもたもたしていたおいらはすぐにピンと来た。
「おかあ、亡くなったから。それだけ」
-----
嫁はおかあのことだけは、この世で慕っていた。
おかあおかあといつも言っていた。
おかあの面倒を見たいと、柄にも無いことを言っていたことさえある。
-----
おいらは今、新幹線に乗り、嫁の亡くなったおかあのところに向かっている。
おいらは感情のない嫁を何とかしてあげたいと思い続けている。
おかあもそれをおいらに言いたかったんだと思う。
-----
2ヶ月前に癌が宣告され、最後の旅行と言うことでおかあをつれて嫁含めて旅行に行った。
おかあは、おいらがそこそこの会社で働き、家も購入し、安定していることに深く感謝していた。
ただただ泣きながら嫁をお願いされた。
嫁は何でこうなってしまったんだろう、と後悔の念も口にしていた。
-----
でもそれは本心で、いつか嫁が心から笑ったり心から感動して泣いたりしてくれるよう
おいらは妻が安心できる状況を作りだすんだ。
-----
おいらはおかあにそれを約束しに行く。
-----
ありがとう、おかあ。
ーーーーー
ーーーーー
おかあは冷たくなっていた。
おかあは本当に亡くなってしまっていた。
おいら、おかあに謝りたいことがあるんだ・・・
-----
おかあは貧乏だった。
おかあは離婚後、よせばいいのに飲み屋で知り合った男性と一緒に暮らしていた。
いい人だったが、お金は全く稼いでこなかった。
おかあは毎日、せこせこせこせこと新聞配達や清掃のパートで働いていた。
-----
おいらも嫁もおかあが人と仲良く話しているのを見たことがなかった。
どちらかと言うと気が強く、
平気で近所の人と喧嘩するぐらいの威勢の良さだった。
それはそれで格好良かった。
-----
おいらはおかあのことが好きだった。
しかしおいらは正直、おかあの家に泊まるのが嫌だった。
おいらは全く心が休まらなかった。
言葉は悪いけど、おかあの家で出された食事も気が進まなかった。
嫁がおかあの家に泊まりたい、というと
おいらは何かしら理由をつけて遠ざけた。
嫁はそんな気を察して、おいらに不満をストレートにぶつけてきた。
-----
2DKの広めのアパートだったが、やはりおいらは泊まるのがいやだった。
広さの割りに家賃がべらぼうに安く、住んでいる住民たちもおかしな感じで、
遊びに来ているおいらたち家族に、聞こえるようにいやみを言ってきたりした。
壁もヒビだらけで、お風呂は今にも崩れんばかりであった。
-----
おいらはおかあを心のどこかで遠ざけていた。
それは、貧乏だったり、家がぼろかったり、汚かったりという理由だった。
-----
しかしおかあのもとには、80名以上の方がいらっしゃってくれた。
おかあは孤独ではなかった。
-----
嫁の弟が大きな声で呼んできた。
「おかあにお別れの言葉を読んでくれる人が来たよ!」
そんな人いたんだ、と皆驚いた。
物静かで清楚な感じの女性だった。
-----
「私によくお孫さんの話をしてくださいました。」
「二人目のお孫さんが生まれたあと、少しでも孫が来やすい様にと、広めの家に越されたんです」
・・・・・。
おいらは号泣した。人目をはばからず大きな嗚咽を出して泣いた。
おいらは雷に打たれたような気分になり、自分の気持ちと態度を恥じた。
おいらはどれだけバカなんだ。。
おかあはおいらたち家族が来てくれることを、何よりも楽しみにしていたんだ。
それなのになぜ、相手の気持ちも汲み取れず、自分の気分で判断をしていたんだ。
人間としてクズだ。本当に情けない。自分が許せない。。。ばかだ!ばかだ!ばかだ!!!
-----
そしてお葬式が終わった。
とにかく一からやり直さないといけない。
人として、おかあのように立派な人間にならないといけない。
こんなんで妻のことをきちんと養っていけるのだろうか?
小さな子供を立派に育てることができるのだろうか?
-----
そのなことを考えているうちに、ふと現実に戻った。
-----
おいらは嫁に聞いた。
嫁は抑揚のない声で淡々と言った。
「おかあは、葬式代もお墓も住んでいた家の整理も、その他すべて自分で整理して死んでいった。
おいらは再び号泣した。
だっておかあはお金もないのに、日雇いのお酒好きを養っていたんだよ。
なぜできたの?
おいらだったら延命したいとしがみついて、自分の亡き後のことなんて考えられないよ。
-----
おいらはもう一度やりなおす。
おいらは会社で若くしてそれなりの立場となり有頂天になっていたのだ。
おいらは新しいマンションを手に入れて、身の丈以上のモノや環境を手に入れていただけなのだ。
おいらは変わる。
おいらはおかあの前に自信を持って出れる人間になる。
-----
おかあ、ごめんなさい。
そして本当にありがとう。
アニメ、電脳コイルがBD-BOX発売記念で無料公開をしていると聞いて見てみた。
なかなかはまって、あの世界についていろいろ思いを馳せたりしたので整理してみる。
ネタバレ前提なので嫌な人は帰るか今なら間に合うから本編を見るのがオヌヌメ。
※1-13話が5日の正午まで
14話以降が11日正午まで
以下ネタバレ含む長文
今回本編を見るまで電脳コイルで知ってることといえばメガネの子供たちが出るアニメで、
なにやら近未来っぽい雰囲気というくらい。面白そうという印象はあるにはあったが、
金を払ってまで見ようという程の興味はなかった。無料だし見てみるかってレベル。
メガネをかけた子供たちが現実と仮想の入り混じった世界で日常を派手に暴れまわる。
話が進むにつれ伏線らしきものがいくつも出てくるのが次の話を見る気を起こさせて
くれるものの「早く次が見たい!」という気分には全くなれず。
登場人物は個性的なのだが、こちらがワクワクするような強烈なキャラクターが見当たらない。
ヤサコはもちろん、一匹狼イサコは厨二病持ちにしか見えないし、地元っ子たちは馬鹿ばかり。
不思議な電脳世界の描写は面白いが、けっこう危なそうなのに大人は無関心なのに違和感。
メガネの修理代をお年玉換算したり、ごっこ遊びを仕事と呼んだりするのは子供らしさが出ていて好印象。
何話か見たあとで、どうして気分が乗らないのか考えてみて、
登場人物の行動やその動機が抜けていて、そのくせ失敗にまるで懲りず、真面目にバカを続ける様子が滑稽だからか?
という一応の結論を出した。
怪しげで危険そうな道具を買っては、不毛な争いや、探偵ごっこを繰り返す。
メタバグ、メタタグ、イリーガル。説明でどういうものかは理解できても子供がなぜそれに並々ならぬ情熱を注ぐのか?という動機がいまいちはっきりしない
そのため、どうも彼らのテンションに乗り切れない。
心が動かされた回数は片手で数えられるほど(世知辛ぇ…!)。
物語は夏休みが始まり、合宿の肝試しを舞台にした戦いが繰り広げられた。
イサコがイリーガルを捕獲吸収!ハラケンの過去!謎の数字4423!
だからぁ!得体のしれないものに熱上げ過ぎだぞお前ら!…置いてきぼりな僕を尻目に物語は加速するっっ!!?
イリーガルの魚…( ´_ゝ`)フーン(テクスチャ食って巨大化したら何なの…)
ここまで11話、日を跨いでいるとはいえ5時間以上…僕の頭は悶々とした気分に満ち満ちていた。
そして12話。予想外の形で、その悶々ダムが決壊した!それは放流という秩序めいた開放ではなく、事故的で唐突な決壊だった。
懲りないイリーガル探し…(ダイチ/ウンチには笑えるようになった)。
ダイチ父「ボッサボッサだったぞおおwwがははwww」( ´_ゝ`)
登校日『髭エエエエェェェェ!!!!』( ´_`)ソウイウ ハナシネ
全員感染( ^ー^)デスヨネー
ΩΩΩΩ<よ、余計なもん作ってんじゃねぇええ!!( ^∀^)ワロタwww ← テンポの良さに押されつつある
※ここで初めて経過時間をチェックした…内容濃すぎだろ!
ヤサコ「私はもう宇宙計画よ!」「あとちょっとでロケット-」ダム決壊(゜∀。)ウヒャヒャヒャヒャ
子供のセリフは今までにないくらい重いのに髭で台無しなのが可笑しい。
今まで蓄えた笑いを解放するかのように笑った!と同時に笑いとは別の充実感があった。
締めはまぁ普通だったが、この話のお陰でようやく視聴態度を体が理解した。
間違いなく神回。
12話の髭騒動でようやく初めて満足感が得られた。
リズムよく斜め上に展開するストーリーは間違いなくここまでで随一だ。
しかしそれとは別に子供の成長がわかりやすく描かれていることが、今までの話で蓄えた僕の苛立ちを解放してくれたようだ。
それを見ていてスカッとした側の気持ちとしては
「おぅ、ようやく賢くなってくれたじゃないか!」といった感じ。
頼りなくて何も出来ないと思っていた子供が見せた成長への喜びとでもいうか…。
続く13話を不思議と楽しく見終えた時、再び似たような気分になり、現実の親心ってこういう感じかもしれないなんてことを思った。
子供は大層に「仕事」なんて言いながら、てんで価値のないことに熱を上げている。
それを見て大人は馬鹿らしいと感じて、はじめのうち叱ったのかもしれない。
しかし冷める気配を見せない熱意を目の当たりにして、勝手にすれば?と
黙認という名の降参をし、以後は最小限のおせっかいをのぞき、無関心に転じる。
そんな毎日のなかで子供は自分の世界を必死に駆けまわり、大人が無駄と信じて疑わない仕事のなかで知らず知らず賢くなる。
同時に大人の気づかないレベルで心も豊かになっていく(僕の中での1-11話)。そしてある日突然、大人の目にも分かる形で驚くような成長を見せつけるのだ(12話)!
僕は今まで大人の目線で子供の世界を見せられ続けていたのだ。そりゃ面白くなくて当然だ。
大人はあまりメガネを使っていないか(作中の描写や、フミエが花屋を見てメガネ持ちだわというセリフ)、
電脳空間には無関心のようだ(関わるシーンがない)。
メガネで見える電脳空間でいきいきと走りまわる子供は一見とても危なっかしく見えるのに
先生や親、周りの大人はほとんど感心を払わない違和感は終始ついてまわっていた。
この関係が現実を生きる大人と子供の距離感によく似ていると感じるのは僕だけではなかろう。
そこまで考えると、この作品の「メガネ」やそれを通すことで見える世界は「色眼鏡」という言葉と似た意味の
子供と大人の見える世界の違いを示しているのではないか。という考えに至った。
メガネの役割がわかった所で、そこから見える世界と一般的な子供時代らしいネタを試しにヒモ付けしてみよう。
電脳霧 | 空き地や廃墟は好奇心を刺激する |
メガシ屋 | 言わずもがな |
メタバグ | 子供たちの流行アイテム。大人にはガラクタのようにしかみえない |
メタタグ、電脳ツール | 子供の遊び道具や遊び方 |
サッチー、キュウチャン | 怖い近所の大人 |
イリーガル | 野生の小さな生き物 |
などなど
そんな見方でストーリーを思い返すと、ヤサコが引越し先の遊びの文化を全く知らなかったのを、
最初はネットワークも発達してそうなのに独自の文化が形成できるんか?と思ったことも間違いだったとわかったり、
オバチャンなんて近所にいる面倒見のいい年上のお姉さんまんまじゃないか!とか、
大好きだった空き地が突然工事で入れなくなった時の気持ちとか、
近未来っぽいあれやこれにノスタルジーな要素をいくつも見出すことが出来る。
序盤に不満としてあげた要素もけっこう説明がつくんじゃないかな?
13話見終わってようやく本質に気付いた…遅すぎの部類だろうな。
最初のナニコレツマンネという大馬鹿な勘違いへの戒めで書いた。ホントどんくさくてすんません。
電脳コイル、かなり味わい深い作品でした。子供と大人とじゃ楽しみ方がてんで違う作品だ!
後半はどうなるんだろう?10話までに様々な謎が生まれ11-13話でイリーガルが
取るに足らないバグではないという流れになった。後半でどのようなドラマが
繰り広げられるのか全く想像はつかないが、楽しみ方を理解した上でみることができる残りの話がただ純粋に楽しみだ。
時間をかけて一話ずつじっくり楽しめたらいいな!
だいぶ長くなった。思いつくままなので冗長になるのは仕方ないにしても長い。
見て過ごしてしまった増田さん!いるかなぁ?少しはお役に立てていれば幸いです。
後半を見ても、今回のようなビックリはたぶん起きない気がするので
こんな長文はこれっきりでしょう。おしまーい。
http://b.hatena.ne.jp/articles/201109/5658
ももクロってのがいて、ももクロ・ゼットになって人気を集めてるらしい。
青のかわいい子が辞めても、人気は落ちるどころかウナギのぼり。
なんか、すげーことになってきてる気がする。
だけど、これって純粋に「あの世界」が好きな人にとっては複雑なんじゃね?
意味わかる人だけわかればいい。
ももクロ気持ち悪ぃ。うげー。表に出てくんなって輩が増えればいい。
それが俺の意見。
だから今年の12月25日、さいたまスーパーアリーナも埋まらなきゃ良いなって思ってる。
「盛大にやったけどお客さんはいつもの連中しか来ませんでした」っていうオチに
なって欲しいと思うわけ。
ももクロの大衆化は陳腐化だって、PFドラッガーなら言うんじゃないのか?
ともかく、まあ、アレだ。
あんなのロクなもんじゃねーし、AKBの方がずっと気持ち良いから。
まあ、俺にはその理由、わかるけど。
結局、ももクロ嫌いな奴も、好きな奴も、みんな屑なんだよ。
俺もお前も、ももクロも。
ジェームズ・ブラウンがあの世で泣いてらぁ。
これ。
「みなさん(視聴者を指すと見られる)の周辺でも、知らないうちにそういう(闇社会の)人が解決してくれるってことは起こるはずなんです」「ダメなことはわかってても、それしか解決方法がなかったって人はいると思うのね」。
コメントでは「ヤクザが何の下心も無しに一般人に手をさしのべるわきゃねえだろアホか」みたいなのが大勢を占めてる。
それは概ね正しいんだけれども、相手が芸能人やタレントの場合ちょっと違うんだよね。
基本的にヤクザはカネに困ってない。むしろ使い道に苦労してる(マルサ的な意味で)。
カネに不自由しなくなると、次に求めるのが周囲の尊敬や羨望なのはヤクザも同じ。
なので、テレビに出てるような有名人を「おう、○○か?俺の奢りで今から呑もうや!」と電話一本で誘ったりして「アニキ、あの○○とダチなんですね!ぱねえっす!」と手下からチヤホヤされるのが彼らの一種の「たしなみ」みたいな感じになってたりする。
そんな彼らの薄汚いカネで普通では体験できないような事をやらかしたりして自分の芸を磨く、というのはあの世界ではそんなに珍しい話じゃない。