2012-01-11

日本人がすごいんじゃなくて、この人がすごいんでしょ?」に見られる、空気の読めなさについて、雑感

http://b.hatena.ne.jp/entry/nylongirls.jp/archives/5068763.html

たとえば、学生ならバイトでもいい、社会人なら上司交えた仕事仲間でもいい、

そういう一回り、二回り歳の離れた人らと飲み会をすると、価値観の違いを始め、ジェネレーションギャップ経験することになると思う。

僕ら(私は20代)より年上の人、特に40以降の人間は驚くほど血液型診断を疑っていないし、不況だろうと頑張ればある程度ならなんでもできると思ってる人も結構多い。

からといってそういう場で相手を責めたり、非難したりというのははっきり言って最低の行為だ。コミュ障とはそういうことを言う。

311後に「妻が言うには、私はB型で~」みたいな発言をした閣僚がいて、ネットでははてな含めB層B層と騒いでいたが、あの年代血液型信仰を思えば、何ら不自然ではないと思う(ああいう場でいうべきかどうかとはまた別として、そういう価値観に支配されているのは否定できない)

常々考えるのだが、なぜ私らの世代で年上の人間に無理解な発言をする人らは、まず自分らの親はどうだったか、同年代の小中高の教員教授らの考えを念頭においてみないのだろう。彼らの話の端々には、ネット糾弾されてもおかしくないような発言がゴロゴロしていたはずだ

私は両親ともども高学歴家系で、私も漏れずに小学校からずっと高学歴に属する学校に通ってきたが、そういうところにいる大人でさえ、トンデモニセ科学的な言説に話が及べば、それに侵されているのだ。それらを矯正するのは教育ではない、時間しか解決できない。言葉誤用が正しくなるように、変化は常に教育の外から起こる。教育は常に後追いなのだから

しかしたら、僕らの世代は今の大人達より幾分そういうもの懐疑的なのかもしれない。僕の周りはそうだ。ただ、彼らがネットにいるような声の大きな層というだけの話かもしれないし、実態は不透明だ。

話を戻すが、僕の言語意識から考えると「日本人」というのは、「国民」という集合を扱うものと、「ある日本人」というような特定個人やサブセットとしての意味、どちらにでも取れる。というのも、これらの意味は話の内容からどちらかに解釈できるものであって、今回の例で言えば特定個人を指すわけだ。

そしてこれは日本人という単語に限らず、だいたいの集合名詞(といっても、日本語では普通名詞とほぼ同等だが)において同じようなふるまいをしているのではないか。それが嫌だ、それが不快だというのは単なる個人的な嫌悪の吐露でしかない。

もちろん、これらが多数を占めるようになれば、用語を限定的にするような使い方が増えるだろう。しかし、私が見る限りにおいては、まだそういう傾向にあるとも思えない。

主語が大きい」というのはそれを解釈する人に委ねられるわけで、その主語がどのような使い方であれ現状は問題に値しないと考える。

もちろん、これは、あるいはこれを指摘している人らは政治的文脈において語られうる、語られるべきものなのだろうし、糾弾してる人もそういう個を見ない使い方、ネトウヨ的使い方(と当人は解釈しているのだろう)に我慢ならないのだから言葉の用法だのに拘ってもしかたないという思いはある。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん