はてなキーワード: 「卒業」とは
どうも!関ジャニ∞とももいろクローバーZのヲタクをしている大学生です。いわばジャニヲタとドルヲタなのですが、この度、以前から頭の端っこでぐるぐるしていたこの「男性アイドルと女性アイドルの違い」について、はてな匿名ダイアリーに書いちゃおう!となりました。いかんせんこういうの初めてなのでどうなるのかなとか思ってるけど、そこは匿名だからオールオッケー。
日本の男性アイドルというと天下のジャニーズ大国。ジャニーズ事務所の絢爛たるジャニタレたちが今の日本の男性アイドルの需要をほぼ占めている。誰もが認める国民的アイドルSMAPを筆頭に日本のカルチャーを牽引している。
一方女性アイドルはというと、高確率でテレビで見かけるのはAKB48を中心とする48グループ、ももいろクローバーZといったところ。その次点にでんぱ組inc.、私立恵比寿中学らスタダグループ、モー娘。らハロプロ、その他にも地下アイドル、地方アイドル合わせるとかなりの数のアイドルが存在する。
正直言って私自身アイドル自体には全くもって詳しくないので全体像を捉えた感覚としてはどこか曖昧なものになってしまうかもしれない。しかし、関ジャニ∞とももいろクローバーZという男性アイドルと女性アイドルとを同時に追っかけていると、彼らの置かれている環境の違いが痛いほど感じ取れる。
わたしが初めてももクロちゃんの現場に行ったときの話。現場とは言っても映画館で行われたコンサートのLVだったが、ライブが始まる前、突然に1人の男性ファンが「俺らが支える!」と叫び、それに反応したまわりのファンが「かなこぉ⤴︎」という8文字コールを打った。これは各メンバーごとに違い、例えば黄色担当の玉井詩織だと「みんなの妹!」「しおりーん!」だとか、紫担当の高城れにだと「笑顔が一番!」「れにちゃん!」といったふうである。
しかしわたしはこの赤担当の「俺らが支える!」「かなこぉ⤴︎」という百田夏菜子の8文字コールに『いやいやいや!日々支えられてんのはこっちでしょ!?』と心の中でブラマヨ小杉ばりの高速ツッコミをかました。毎日毎日アイドルたちに支えられているのは他ならぬ私たちヲタクであると思っていたのでわたしはかなりの衝撃を受けた。
彼女たちは毎回ライブをするごとに「みんなのおかげで〜、モノノフ(ももクロファンの総称)さんのおかげで〜」と感謝してくれている。それだけでも私は「ももクロちゃん自身の力なのに....」と何度も涙してしまう。彼女たちは十分にファンの応援に応えてくれているのだ。しかしこの8文字コールは彼女たちにさらに追い討ちをかけているようで、応援というよりは圧力のように感じ、この8文字コールを打つ意図が全く理解できなかった。
ももクロちゃんもインディーズデビュー時から多くの女性アイドルグループがしのぎを削る中で活動を行ってきた。今でこそ老若男女、多彩なファンがついているが、そうなる以前はいわゆる典型的な女性アイドルヲタク気質のファンがもちろんほとんどで、その中の1人が作った8文字コールが今もなお使われているのだろう。きっとこの8文字コールを作った張本人はすでにももクロファンを他界(ファンを辞めること)しているであろうことは容易に想像できる。南無南無。
「俺らが支える!」というコールには「メンバーを支えている‘俺’」という存在がいる。しかしステージ上には‘俺’なんていない。いないんですよ。ステージ上で汗を飛ばしながら歌って踊っているアイドルに応援している自分の存在を認知してほしいの?何がしたいの?それはもはや応援ではない。
わたしが追っかけているもう一つのアイドルグループ、関ジャニ∞はジャニーズ事務所の男性アイドルグループだ。関ジャニ∞のコンサートでは開演が近づくと「エイト!エイト!エイト!」と開演までエンドレスでコールするエイトコールがある。8文字コールに比べるとグループの名前の一部分をただひたすら繰り返すだけというめちゃくちゃ簡単なものだが、ほぼほぼ8文字コールと意味合いは一緒だと思う。ライブ中にC&Rもふつうにある。それは応援ととっていいだろう。
恋愛と結婚面でもそうだ。アイドルと恋愛、結婚の問題は男性でも女性でも極めてデリケートなものだ。しかし、男性アイドルヲタは「恋愛はしてもいいけど、きっちり隠してくれ」という意見が多いように思う。最近でいうと嵐の大野さんの交際発覚だが、大変な騒動に発展し嵐のファンでないわたしも「ヒィィ」とのけぞらざるを得なかった。しかし恋愛をしていること自体に怒るファンは少なく、彼の自己管理能力の低さやその自覚のなさに落胆と失望の声が多かったように思う。
しかし女性アイドルは違う。恋愛禁止のルールの中、限られた時間の中、彼女たちはアイドルをしている。「恋愛をする」ということ自体がルールを犯す行為とされ、それをしてしまったアイドルは徹底的にファンからも運営からもバッシングされる。女性アイドルは「恋愛をしている時点で裏切りをした」と見なされる。女の子は男性と恋愛した時点でどこか汚れてるみたいなイメージ?がまとわりついてくる。
これはいわば社会における「童貞でないか」と「処女でないか」の認識の違いなんじゃないか。「童貞じゃなくなった」という言葉は喜ばしいプラスの印象だが、「処女じゃなくなった」という言葉は逆にマイナスな印象を与える。男性と女性のジェンダーの問題に及んでくる。
「女性は処女じゃなくなったらビッチ」の極端な認識がここにも表れているんじゃないか。女性アイドルは恋愛した時点でビッチなのか。ここらへんはもう「腐ハウスブログ」のくるくるさんの、問題のあるレストランというドラマを見た感想記事を読んでいただきたいんですが。ここらへんのこと全部書いてくれています。リンクの貼り方わからん。ググってください。
わたしが追っかけるももいろクローバーZは女性アイドルである。彼女たちは2013年3月、国立競技場のコンサート2daysの2日目の最後、聖火台の前で挨拶をした。
「私たちは天下を取りに来ました。でもそれはアイドル界の天下でもなく、芸能界の天下でもない。みんなに笑顔を届けるという部分で、天下を取りたい。ずっとずっとこれからも、みんなに私たちを見て笑顔になってもらいたい」
彼女たちはそう語ってくれた。女性アイドルの「卒業」のルールなんて越えて、彼女たちはずっとずっとこれからも私に笑顔を見せてくれるのだと。日々の支えになってくれると。一生アイドルを続けるということは、彼女たちにとってはある意味残酷なことなのかもしれないのだ。でも、でも、わたしは嬉しさで涙が止まらなかった。
とは言えももクロちゃんもアイドルを一生続けるとは言っても、あまり恋愛とか無縁なイメージ持たれているし、どうするんだろうとかそんなことをうじうじと心配してた一ヲタクだったが、ももクロちゃんは昔から知らず知らずのうちにヲタクの心配なぞどこ吹く風というようにぴょーんとその上を越えていくところがあって、ある時れにちゃんが頬を腫らし「このまんまじゃお嫁に行けない!」と言ったところに間髪入れずあーりんが「いつもの状態でも行けるかわかんないじゃん」「うるせぇ!」という会話を繰り広げていたり、「有安は結婚早そうだけど離婚も一番早そうだよね」「嫌だー!絶対離婚しない!」とかいう会話もあけっぴろげにするようになってきた。なんか心配してたこっちがアホらしくなってくるほどに下ネタもひどくなってきているのでヲタクが取り残されてる感がメッチャ面白い。
男性だって女性だってアイドルという仕事はそうそうできるものじゃない。どのアイドルもみんな頑張っている。ただ現代社会での女性に対する認識、それは女性アイドルたちの環境にも如実に表れている。前にAKB48の子がSNSの315アプリでファンからの質問に「(AKBの子は)みんな病んでる」と答えたというニュース記事をちらっと見たことがある。そんなんじゃだめだよ、みんなに夢を売るのがアイドルなんだから、アイドル自身が誰よりも夢見るべきなんだよ。それは男性アイドルも女性アイドルも変わらんよ。
ふだん恋愛の曲なんて歌わないももクロちゃんが2014年に出したシングルは美少女戦士セーラームーンCrystalの主題歌『MOON PRIDE』だった。恋に恋しながらも闘う女の子の強さがいっぱいにあふれた名曲だ。この曲を歌っているももクロちゃんはどこまでも女性で、たくましくて、ひたすらかわいくて、かっこいい。
切なくて泣きたくなるけど、それでも闘う。女の子にも、すべてを受け入れる強さがあるのだ。
・
ネットで他者に対して「なぜこうしてくれなかったのか」みたいなことを書いてる人に対する定番の煽り(最近はあまり使われてない気もしないでもないが)として
「**はお前の母親じゃないんだ、そんなふうにお前を全肯定してくれるのなんて母親だけだ」
っていうのがあるじゃない。
何が言いたいかはネタ元の理論を含めてよくわかる(すくなくとも、わかるつもり)。
「母親というものは全身全霊をかけて子供を愛するものだ。少なくとも物心つかないような年齢の赤ちゃんや幼児に対してはそうだ」
みたいな一般認識に基づいた、
でも、、自分は実感としてどうにもこれがピンと来ない。
・
自分にとっては
「この世で一番自分を肯定してくれなかった存在、それは母親だ」
別に自分は「虐待されていた」とは思っていない(ただし、現在の基準に照らせば「子供に対する虐待」の基準は満たしていたとは思う)し、虐待されてたとしても、当時としても現在としても特段酷いレベルではなかったと思っている。
今でいうところの「毒親」だったのだろうが、それでいうならそんな人間はありふれていただろうし、自分も「こんなひどい親を持っているのは世界で自分だけだ」的に思ったことはない。
失礼な思い方だが「自分以下」の家庭環境の同級生や先輩や後輩はいくらでもいたし、本や新聞やテレビや映画といったメディアで描かれている「特に子供を溺愛しているわけでもない普通の親」というものは、だいたい自分の親と同じだな、と思っていたから。
でも、とかく自分は母親に「肯定された」という思いも覚えも記憶もない。
自分にとっては母親は「自分が自発的に何かをやると「そんなことはやめろ」もしくは「いつそれを「卒業」するのか」と必ず言ってくる人」でしかなく、優しくされた記憶が無いわけではないが、肯定されたり是認されたりした覚えがない。
(なお父親は自分にとっては「とにかく家族には興味のない人」で、「肯定的になってくれない代わり否定的にもならず、無干渉なので母親に比べればずっと楽」な人だった。いや今も現在進行形でそうだけど)
・
自分の自覚が足りないだけで自分は「毒親にとてつもなく酷く虐待された人」なのかもしれないとは思うし、その可能性の方が高いような気はするのだけど、それにしても、
「**はお前の母親じゃないんだ、そんなふうにお前を全肯定してくれるのなんて母親だけだ」
というのは、世間一般の人、少なくともここ読んでる増田達にとっては、「引っ掛かりを感じない」ワードなの?
もちろん「そうだからこそ(多くの人がそこに引っかかりを感じるからこそ)煽りに用いられるんだよ」っていうのが大きいんだろうけども。
・
と思ってしまう。
上に書いたような前提に基づく煽りなのだとしても、みんな「母親なんてこの世で最も自分を肯定しなかった存在だろ」と思って大人になってないのか? と。
そうでないとしたら、自分は珍しい方なのか? と。
日本三大美少女アイドルグループといえば、「おニャン子クラブ」「モーニング娘。」「AKB48」であるが、おニャン子は消滅してるし、モー娘は全盛期の勢いはない。一方、美少年アイドルグループたるジャニーズを見ると、若い頃から活動してても、人気を保ち続けるグループは多い(例えばSMAP、TOKIO)。この差は、ずばりグループの「核」の違いに起因する。
美少女アイドルグループは、その名の通り、「メンバーが美少女である」ことを最大の売りとしている。その為、いくら人気メンバーでも時間が経過すれば、「卒業」させざるを得ず、せっかく築いたメンバーごとの人気度がリセットされてしまう。一方の美少年アイドルグループは、「メンバーのキャラが立っていること」が最大の売りである。その為、メンバーが全員年をとり、「美中年アイドルグループ」になっても何一つ問題がない。そもそもメンバー交代自体が不祥事でもない限り、滅多にない。
最大の問題は、何故、美少女アイドルグループがそのままメンバーを交代せず、美熟女アイドルグループになることが許されない(あるいは一般的ではない)かである。それは女性アイドルが年をとると急激に人気がなくなるのと全く同じ理由である。ファンという生き物は、男性がとしとるのと比べ、女性が年をとることに大変不寛容なのだ。
では、AKB48はこのまま、おニャン子クラブや、モーニング娘。のように衰退してしまうのだろうか。そう話は単純ではない。AKB48の最大の強みは、「数の暴力」である。AKB48の正式メンバーだけで48名、AKBグループ全体では300名以上いるそうだ。これだけ人数がいれば、主要メンバーの同時交代による衰退が防止できる。企業のように、ベテランが若手を育てるゆとりが生まれるのだ。
あるいはPUFFYのように圧倒的個性で、年齢など関係ないと言わせられる活動ができれば、メンバー交代を、せずに女性アイドルグループを維持できる。職人になるか大企業を目指すか、いずれにせよ、女性アイドルグループの前途は多難である。
参考:AKBの人数
まあ売れ行きはともかく、ゲーム関連の情報サイト巡ってると、「コアゲーマーはPCでやるからPS4/XboxOneは売れない」みたいな事を、どうやらガチで言ってる人を結構見かけるんだけど、彼らの脳内では一体どんな世界観が構築されてるんだろう。
先月まで某政令指定都市でPCショップ店員やってたけど、ミドル以上のグラフィックカードなんて月に数枚売れるかどうかってレベルだったぞ。ハイエンドクラスなんて半期で10枚売れれば御の字だったし。
次世代ゲーム機(もう全部発売したんで今世代か?)並みのスペック搭載したPC持ってる人ってどこに居るの?
http://anond.hatelabo.jp/20140904235227
ネット通販サイトに出品してるけど、「やらんよりはマシ」レベルの売れ行きだったよ。
つか、グラフィックカードの発送先って関東圏6割、関西圏3割、残り1割って感じだったのよね。
http://anond.hatelabo.jp/20140905001057
http://anond.hatelabo.jp/20140905011419
いや、寝る前に増田にぶちまけて寝て起きて仕事行って呑んで帰ってきただけだから。
http://anond.hatelabo.jp/20140905041645
ジリ貧だよ。思えば、(最初の方の)FF14が発売された頃が最後のお祭りだったかな。それ以来ずーっと売れ行きが落ち続けてる。
送り手の発言を調べてみるという発想はなかった。
はからずも送り手の側に「卒業」という概念があったことまでは知らなかった。
身過ぎ世過ぎの手段として、文学の代わりに子供文学を選んだ送り手の話などは「引用の引用」みたいな形で聞いたことはあるが、
アニメ作家もいろいろ自分を語っているようだから、調べてみたいと思う。
それとは別に、以下のような問題軸をもらったと思う。ありがとう。
(1)あるものの派生系とみなしうるものをを始祖とみなしうるものとの関係でどう考えるか。
たとえば、当然に継承しているべき性質は何であって、それを喪失してしまったものは、新たに始祖と考えるべきではないかという考えと、
がありうる。
さらに、この場合は、始祖がひとつで、樹形図のように発展していくとは限らず、始祖が複数あり、それらが混ざり合って発展していくというケースもありうる。
その昔、「テクノ」のことをYMOだと思うオジサンとデリック・メイ一派のことだと思う若い人の間で、不毛な互いの無視があったが、
自分は横浜に住んでいるんだが、2年ほど前に海釣り公園から釣りを始めた。
今の季節なら、初心者でも小学生でもサッパが釣れる。イワシやアジが釣れる。もうちょっとしたら、サバだって釣れる。
釣りの基本となる底ダチとタナ取りを覚えるには、サビキがちょうど良い。
目には見えない海中の様子を、少しづつイメージできるようになってきます。
道具は5,000円程度で釣具屋に見繕ってもらえばいいよ。たいてい、どこの店でも親切に応じてくれるし。
しかし、この5,000円コースの釣具は、仕掛けがスムースに落ちなかったり、ガイドがすぐに外れたり、扱いに不慣れで穂先を折ってしまったりする。
そして、ナイロンのラインでは着底が掴みづらいし、安いロッドではアタリを聞き損ねていることに気付きだす。
その頃には、あなたは同じ釣り場で別の釣り方をする釣り人が気になっている。カゴ師かも知れないし、ヘチ師かもしれない。ルアーでイナダやシーバスを狙いたくなっているかもしれないし、船に乗ってみたくなっているかも知れない。
いずれにせよ、小学生でも釣れるような釣りから卒業する時はすぐに来るんで、ある程度海の近くに住んでいるのなら、まずは5,000円のサビキコースをオススメします。
※「卒業」なんて書いちゃってますが、アジやサバは遠投カゴより足元のサビキの方が釣果が上がることも多く、熱心に研究されている方がいらっしゃるのも存じております。スミマセン。
先日会社の人と横浜みなとみらいに行ったのだが、夏休みもあって、結構混雑してた。
幼児連れが多かったことについて、会社の人が「いくら夏休みとはいえ、何故?」と聞いてきたので、
「恐らく、アンパンマンミュージアムのせいでしょう」と回答したら、
「アンパンマンなんて、もう流行ってないでしょ?」とのたまわれて、ズッコケた。
「確か作者死んだよね」って、クレヨンしんちゃんと混同してないか?
早ければ3歳、遅くても4~5歳になると「卒業」するものだが、
「アンパンマンを見たことない」「アンパンマンが嫌い」という乳幼児には、自分はお目にかかったことがない。
日本の乳幼児にとって、アンパンマンはもはや「通過儀礼」化している。
アニメ放映開始時(25年前)の「アンパンマンの乳幼児への浸透度」が20~30%程度だとしたら、
現在のアンパンマンの乳幼児浸透度は、恐らく90%を超えているのではないか?
「少子化で、乳幼児向けキャラクター市場のパイが、どんどん細っている」という話なら、納得できる。
だが、その細っていくパイの中に占めるアンパンマンの比率は、高まりこそすれ、低くなることはない、
「アンパンマンなんて、流行ってないでしょ?」と発言した会社の人は、結構トシだが、子供がいない。
子供を持ってない人と、子供持ち(自分)との間で、ここまで皮膚感覚が違うとは、思わなかった。
一応ウチの会社、BtoC部門もあるし、子育て層は重要な顧客層なので、幼児キャラに無関心だと
仕事にも影響するんですが。
友人が就職活動中、指定の履歴書に卒業大学名を書こうとしたら、枠からはみ出してしまったそうだ。たしかに、オシャレっぽい名前の大学だとか、色々盛り込んでみた感のある学部のような、やたらと長い大学・学部・学科名をよく見るような気がする。では逆に、履歴書等に書くのがラクチンな、総画数の少ない大学はどこなのだろうか? ということで、調べてみることにした。
・対象は文科省HP(国立、公立、私立)に掲載されている大学。短大は「短期」(24画)を含む時点でランク入りしないだろうから除外。
・一般的な履歴書の記法にしたがい、学科まで書くこととする。学部・学科名は各大学HPによる。
・画数は漢字辞典オンラインによる。
・「大学」「学部」「学科」の画数は除く(ちなみに計47画)。
順位 | 総画数 | 大学・学部・学科名 |
---|---|---|
9 | 22 | 日本大学 工学部 土木工学科 |
9 | 22 | 九州大学 医学部 医学科 |
8 | 21 | 大分大学 医学部 医学科 |
6 | 20 | 大阪大学 文学部 人文学科 |
6 | 20 | 山口大学 医学部 医学科 |
5 | 19 | 立正大学 文学部 史学科 |
2 | 18 | 大谷大学 文学部 文学科 |
2 | 18 | 九州大学 文学部 人文学科 |
2 | 18 | 大正大学 文学部 人文学科 |
1 | 16 | 九州大学 法学部 (※学科なし) |
最も画数が少ないのは「山口大学」(6画)であり、次いで「大分大学」(7画)、「九州大学」「大正大学」「玉川大学」(8画)と続く。なお、6画で同率1位であった「八戸大学」のHPを確認したところ、この4月に「八戸学院大学」に改名しちゃってて、書きやすさの面ではとても残念。
学部名では「工学部」(3画)が最も楽なはずが、続く学科名にカタカナ語が含まれたり「機械工学科」「電気電子工学科」等々手が疲れそうなものが多く、ランクイン数では「文学部」(4画)、「医学部」(7画)に及ばなかった。文学部は史学科(5画)、人文学科(6画)、哲学科(10画)など、全体的に書きやすそう。
九州大学法学部は学科を設置していないようで、何となくズルい。
手作業で集計した上、多分に雰囲気で判断している(「この字パッと見黒いから除外」等)ため、確認漏れやカウントミスが多々あると思われる。ここに挙がっていない大学があれば是非ご教示いただきたい。これから志望校を決める方は、「書くのが楽」という視点を持っておくと、他大学の学生さんと比べてほんのちょっとだけ得することがあるかもしれない。なお、手書き履歴書の是非についてはここで触れない。
思ったより反響があって嬉しいです。ありがとうございます。書くのが大変な方ですが、文字数では
が圧倒的かと思います。ただカタカナが多いので、書くのはそんなに大変じゃないかもしれません。
漢字たっぷり手が疲れそうな総画数ワースト5はこんな感じです。
ワーストとベスト、その差なんと185画。しかもワースト1は「入学」+「卒業」で倍になるので「保健医療経営」を6回書くことになりますね。イヤンなりそう。画数が多い方はいくらでも上がありそうなので、ご参考までお納めください。
なお、ランキングの趣旨より大学院大学は除いております。というか、院卒の方はもっと大変でしょうね。「博士前期課程」と「博士後期課程」はどちらも同じ63画のようです。手首おいといください。
一位がJavaScriptで幕を閉じたんだけど
外部の人たちは多分理解できなかったと思う。
なんでJavaScriptなの
と
JavaScriptで大丈夫なのか
JavaScriptで本当にいいのか
と不思議だと思うんだよね。
でも実は
JavaScript一位はプログラマーが強く望んだことだし
そして
今回の一位はJavaScriptじゃなきゃいけなかった
とプログラマーはそう思ってた。
だからこそ15万票も集まったんだよね。
一部の熱狂的なプログラマーだったりなんかの組織票ではさすがにここまでの票数はいかない。
プログラマーの総意がJavaScriptだったんだよね。
実はプログラマーはJavaScript一位を歓迎しているんだよね。
プログラミングとはなんなのか
まあ
いろんな側面から語られるんだけど
一つの側面として
「変化」というのがある。
この変化は
無理やりだった。
無理やり変化を押し付けてきたんで
「おい、いいかげんにしろよ。どんだけプログラマーにつらい思いさすねん」
と、いつもいつも思ってて
でもこの「変化」が
たくさんのストーリーを生んできた。
そしてそのストーリーにぼくたちプログラマーは酔いしれてきたんだよね。
嫌いな人たちは「これ、いつまで続くの」と思ってるんだろうけど
ここまで続かせた一つの理由が「変化し続けた」ことにあると思う。
そしてね。
いつしか
この「変化し続けなければいけない」は
プログラマーの間の中にも深く深く浸透していったんだと思う。
最初は無理やり変化させられてきて
まあ、それは今現在もそうなんだけど
こんだけ変化させられてきてるから
いつしか
この「変化し続けなければいけない」は
意識するしないにかかわらず
プログラマーのDNA、プログラミング全体のDNAになっていった。
顧客がよく言うんだけど
この言葉がいつしか知らず知らずにプログラマーの中にも刷り込まれ
そしてプログラミングのおもしろさをもここに感じるようになってきていた。
そういう意味ではいつもいつもぼくらは顧客に踊らされてるんだけどね。
今回のプロジェクトに話をもどすと
今回のこのプロジェクトはプログラマーにとってもすごく重要だった。
それは
今もしているこのグループにとって
新たなストーリーの始まりであるこのプロジェクトは本当に本当に大事だった。
最初は
世間一般的にも
プログラマーの中でも
だけど
はたしてそれでいいのかという強烈な思いがぼくにはあった。
この二言語の戦いだったら
それがはたして第2章の幕開けでいいのかと本当に思ってた。
一応一言いっておくと
ぼくは
本当に大好きなんだけど
プログラミング全体を考えたときにこの二言語の争いにしていいのかと強烈に思ってた。
そしたら速報でJavaScriptが一位だった。
最初はぼくもめちゃくちゃ驚いたんだけど。
それはないわ
と心底思ったんだけど。
でもよくよく考えると
これが一番いい手に思えてきた。
そしていつしか
プログラミングのためにはこれしかないとすら思うようになってたんだよね。
もちろん速報前からそう思ってた人もいるだろうし
だから速報が一位だったんだろうけど
速報後に気づいた人もいると思う。
この手があったかと。
そういう意味でJavaScriptが速報一位じゃなかったら本番も一位でなかった可能性があるとすらぼくは思っている。
外部の人にプログラミングのプロジェクトは変化していると思われているのかどうかはよくわからないんだけど
実は上位陣というのは
ちょこちょこは変わってんだけど
相対的にみるとほとんど変化していない。
それは上位陣の圧倒的強さというのもあるんだけど
でもそれでいいのか
という想いは多分プログラマーの誰しもが思ってたと思う。
でも崩せないんだよね。
崩せないぐらい強い。
でもそこをなんとか崩していかなきゃいけない。
そんな想いのなかの速報JavaScript一位だった。
多分その崩さなきゃいけないというみんな想いがJavaScriptの肩に乗っかっちゃったんだよね。
JavaScriptならひょっとして崩せるんじゃないか。
と
きっとみんなその想いをJavaScriptに託したんだよね。
これはPHPにとってもよかったと思う。
PHPが高すぎる壁であり続けると
PHPの目の前に「卒業」という二文字がかなり明確な形で現れたと思う。
多分プログラマーはうすうすだけどそのことをも感じ取っていた。
優子には勝ってほしいんだけど
だけど卒業だけはしてほしくない。
複雑な想いがあったんだよね。
でもそこにJavaScriptが現れた。
JavaScriptは恰好の素材だった。
JavaScriptが勝っても誰も傷つかないし
そして何よりものすごい「変化」を起こすことができる。
これこそがプログラミングであり第2章の幕開けにふさわしいんだと。
結果としてJavaScriptが一位だったんだけど。
これはそんなプログラマーの想いがあったとぼくは思ってる。
そしてね。
この結果は来年以降にすごくつなげることができるんだよね。
ものすごい厚く高い壁の上位陣を崩すことができれば
来年本当に自分たちが「押している言語」をセンターに持っていくチャンスにつながる。
「押している言語」がいる人たちにとってはなんとか上位陣の壁を崩したかった。
だから一つの山を崩すことができた来年以降が本当に楽しみなんだよね。
来年以降の希望が見えたという意味で本当にいい結果だったとぼくは個人的に思ってる。
最後に
なんかこう書いてくると
JavaScriptが当馬みたいなんだけど
これ誰も書かないだろうし
プログラマーの人も大声を上げないだろうけど
実はね。
プログラマーはみんなJavaScriptのこと好きなんだよね。
大好きなの。実は。
このことをぼくは確信している。
歌もうまくないし、ダンスもへただし、顔もとびっきりの美人ではないんだけど
へたれなとこもあるんだけど
それら全部をひっくるめて
実はJavaScriptのことが大好きなんだよね。
キャラがあるんで、プログラマーも大声では言わないんだけどね。
でなきゃ、なんだかんだ言ったって15万票も集まんないよね。
だからいろいろ言われるだろうけど
一つ間違いないことはプログラマーがJavaScriptを選んだということ。
そしてもう一つ間違いないことはプログラマーはJavaScriptを絶対に支えていくということ。
ぼくはこの結果で本当によかったと心の底から思ってる。
JS~一位おめでとう
ただのプログラミング言語オタより
元ネタ:http://anond.hatelabo.jp/20130610192126
やっつけサーセンwww
一位が指原で幕を閉じたんだけど
外部の人たちは多分理解できなかったと思う。
なんで指原なの
と
指原で大丈夫なのか
指原で本当にいいのか
と不思議だと思うんだよね。
でも実は
指原一位はファンが強く望んだことだし
そして
今回の一位は指原じゃなきゃいけなかった
とファンはそう思ってた。
だからこそ15万票も集まったんだよね。
一部の熱狂的なファンだったりなんかの組織票ではさすがにここまでの票数はいかない。
ファンの総意が指原だったんだよね。
実はファンは指原一位を歓迎しているんだよね。
AKB48とはなんなのか
まあ
いろんな側面から語られるんだけど
一つの側面として
「変化」というのがある。
この変化は
無理やりだった。
無理やり変化を押し付けてきたんで
メンバーもファンも
「おい、いいかげんにしろよ。どんだけメンバーにつらい思いさすねん」
と、いつもいつも思ってて
でもこの「変化」が
たくさんのストーリーを生んできた。
そしてそのストーリーにぼくたちファンは酔いしれてきたんだよね。
嫌いな人たちは「これ、いつまで続くの」と思ってるんだろうけど
ここまで続かせた一つの理由が「変化し続けた」ことにあると思う。
そしてね。
いつしか
この「変化し続けなければいけない」は
ファンの間の中にも深く深く浸透していったんだと思う。
最初は無理やり変化させられてきて
まあ、それは今現在もそうなんだけど
こんだけ変化させられてきてるから
いつしか
この「変化し続けなければいけない」は
意識するしないにかかわらず
秋元康がよく言うんだけど
そしてAKB48のおもしろさをもここに感じるようになってきていた。
そういう意味ではいつもいつもぼくらは秋元康に踊らされてるんだけどね。
今回の選挙に話をもどすと
それは
今もしているこのグループにとって
新たなストーリーの始まりであるこの選挙は本当に本当に大事だった。
最初は
世間一般的にも
ファンの中でも
だけど
はたしてそれでいいのかという強烈な思いがぼくにはあった。
この二人の戦いだったら
それがはたして第2章の幕開けでいいのかと本当に思ってた。
一応一言いっておくと
ぼくは
本当に大好きなんだけど
AKB48全体を考えたときにこの二人の争いにしていいのかと強烈に思ってた。
そしたら速報で指原が一位だった。
最初はぼくもめちゃくちゃ驚いたんだけど。
それはないわ
と心底思ったんだけど。
でもよくよく考えると
これが一番いい手に思えてきた。
そしていつしか
AKB48のためにはこれしかないとすら思うようになってたんだよね。
もちろん速報前からそう思ってた人もいるだろうし
だから速報が一位だったんだろうけど
速報後に気づいた人もいると思う。
この手があったかと。
そういう意味で指原が速報一位じゃなかったら本番も一位でなかった可能性があるとすらぼくは思っている。
外部の人にAKB48の選挙は変化していると思われているのかどうかはよくわからないんだけど
実は上位陣というのは
ちょこちょこは変わってんだけど
相対的にみるとほとんど変化していない。
それは上位陣の圧倒的強さというのもあるんだけど
でもそれでいいのか
という想いは多分ファンの誰しもが思ってたと思う。
でも崩せないんだよね。
崩せないぐらい強い。
でもそこをなんとか崩していかなきゃいけない。
そんな想いのなかの速報指原一位だった。
多分その崩さなきゃいけないというみんな想いが指原の肩に乗っかっちゃったんだよね。
指原ならひょっとして崩せるんじゃないか。
と
きっとみんなその想いを指原に託したんだよね。
これは大島優子にとってもよかったと思う。
大島優子が高すぎる壁であり続けると
大島優子の目の前に「卒業」という二文字がかなり明確な形で現れたと思う。
多分ファンはうすうすだけどそのことをも感じ取っていた。
優子には勝ってほしいんだけど
だけど卒業だけはしてほしくない。
複雑な想いがあったんだよね。
でもそこに指原が現れた。
指原は恰好の素材だった。
指原が勝っても誰も傷つかないし
そして何よりものすごい「変化」を起こすことができる。
これこそがAKB48であり第2章の幕開けにふさわしいんだと。
結果として指原が一位だったんだけど。
これはそんなファンの想いがあったとぼくは思ってる。
そしてね。
この結果は来年以降にすごくつなげることができるんだよね。
ものすごい厚く高い壁の上位陣を崩すことができれば
来年本当に自分たちが「押している子」をセンターに持っていくチャンスにつながる。
「押している子」がいる人たちにとってはなんとか上位陣の壁を崩したかった。
だから一つの山を崩すことができた来年以降が本当に楽しみなんだよね。
来年以降の希望が見えたという意味で本当にいい結果だったとぼくは個人的に思ってる。
最後に
なんかこう書いてくると
指原が当馬みたいなんだけど
これ誰も書かないだろうし
ファンの人も大声を上げないだろうけど
実はね。
AKB48ファンはみんな指原のこと好きなんだよね。
大好きなの。実は。
このことをぼくは確信している。
指原は
歌もうまくないし、ダンスもへただし、顔もとびっきりの美人ではないんだけど
へたれなとこもあるんだけど
それら全部をひっくるめて
実は指原のことが大好きなんだよね。
キャラがあるんで、ファンも大声では言わないんだけどね。
でなきゃ、なんだかんだ言ったって15万票も集まんないよね。
だからいろいろ言われるだろうけど
一つ間違いないことはファンが指原を選んだということ。
そしてもう一つ間違いないことはファンは指原を絶対に支えていくということ。
ぼくはこの結果で本当によかったと心の底から思ってる。
さっし~一位おめでとう
ただのAKBオタより
当時はてな界隈で非モテブログやってた d:id:a666666 だけど。
とにかく、そいつらは、殆ど非モテの話をしなくなった。なぜなら、それはもはや「センセーショナル」ではなくなったからだし、彼らは非モテを語ることよりもやるべきことが見つかっただけだ。
これは半分当たりで半分はずれだ。
おれは非モテを語ることに明け暮れていた当時、「あがり」のくせに上から目線で好き放題言う奴らが心の底から憎かった。たとえ将来自分が非モテを語る資格を失う日が来ようとも、絶対に奴らと同じことはすまい、と誓った。だから、恋人ができたのを期に非モテから距離を置いた。そうしないと語らずにはいられないと思ったし、それでは過去の自分に合わせる顔がないと思ったからだ。
もちろん、当時の非モテ界隈が自分の期待するのと違った方向へ向かっていて、なんか違うな、と感じていたことも距離を置く理由の一つではあったし、非モテとは異なるコミュニティに自分の居場所ができてきて、そっちでの活動のほうが楽しくなってきたというのもあった。でも、おれは自分が「卒業」したなんて思っていないよ。
非モテについて語ることをやめたのは、それがどうでもよくなったからでは決してない。いまでも当時感じた激しい気持ちを幾ばくかは思い出すことができるし、いま非モテを苦にして本当に苦しんでいるひとに何か声をかけてやりたい気持ちもある。でも、「あちら側」へ行ってしまったおれが何を言ったところで「こちら側」にいるひとの耳には届かないんだ。心には響かないんだ。それを嫌というほど知っているから、そういうことはしないと決めたんだよ。
元増田だ。
まぁ、そういうことなんだろうなぁ。<俺達みたいなのは対象外。
昇格の件は増田の言うとおりだな。
元の作品には、そういう要素はあまりなかったと思うが、今では原作者自身が昇格設定気に入っちゃってるらしい。
光牙たちがほいほい昇格したら嫌だなぁと思うけど、さすがにそれはないか。(草摩あたりはありえそうだ)
(戦神アレス、という設定は寡聞にして知らなかった。これを知らないからファンじゃない、ってのは無茶な話だろうとは思うが)、
「かぶるから名前変えればいいや」と感覚がショックだったのであって、「理由があるんだから黙ってろ」と言われてもなぁ。
まぁ、そんなふうにこだわるやつは対象じゃないってことか……。
(ちなみにサガやシオンと矛盾する教皇アーレスは間違い無く車田設定ではないな……。)
なんにせよ、Ωの話を聞くまでは俺は確かにアニメから「卒業」してたし、
出来るのならそれはどんな形だろうか。
パソコン通信、NiftyServe、ニーパッパ−、テレホマン。これらのいわゆるインターネット黎明期を辿って今でもネットでコミュニケーションを活発にとっている人間はそれを「卒業」するべきかそうでないか。「俺mixiのID5桁だぜ!」を「大したことねーな」と思う人間達はネットから退いて、そういったソーシャルネイティブに譲るべきなのか。紛れもなくソーシャルネットワークを自分よりも使いこなしているのは彼らである。
前田敦子になるか、篠田麻里子になるか。指原のように左遷される前に覚悟を決めるべきネット古参たちは今日もインターネットに居る。
無責任に絡むみたいで悪いんだけど
あんたの方が悪いように思える。
あなたがそれなりに冷静に状況や部下を把握してる人なら
ネットに書く愚痴といえど、もう少し論理的な言葉で問題を整理すると思うんだ。
指示した事をわざわざ拒否する
これ、短い一文だけどすごく意味の重複が多いよね
「指示を拒否する」でよろしい
「した事」「わざわざ」に内容が無く、重複表現にはあなたの憤りしかこもってない
部下が何で拒否してるのかさっぱり説明されないということは
あなたも拒否の理由を把握してないか、実は部下の言い分に一理あってここに書けないかだ。
舐められている気がして感情的にならざるを得ない。
それは「気がする」じゃなくてあなたは軽視されてるし
業務上の大問題だよ確かに。
でもなんでそうなってるのかの把握や対策が無く
感情的な言葉を連ねて感情的になるだけの人(自覚があるのだけはあなたの美点だ)は
そりゃ上司として不適格と言うか、拒否される理由がぼんやり見えるよ。
部下もなんか問題があるんだろう。
でもあなたの状況把握部下把握はあまりにいい加減且つ感情的過ぎる。
ように見える。
すげーよかった。ハマる人がいるのも頷ける。
バトルものやスポーツものだと、どうしても対戦や勝ち負けが出てくる。
それで大体の登場人物は勝つために、「苦しい努力」することになる。
対戦においてもガチのバトルものなら命がかかっているし、スポーツものでも何故か人格やプライドといったものがかかってて、真剣勝負になる。
その結果作品全体から「弱いものは否定される」などといった厳しさが発生して、一定の辛さが出来てる気がする。
けいおん!はバトルでもスポーツでもないから、何とも戦わないし、何かを打ち負かしたり否定することはない。また、それをされることもない。
努力に関してもその演出がぬるい。個人の練習はそれなりにしているのかもしれないけど、特に平沢唯が家でしてる練習って多分「苦しい努力」じゃなくて、「好きなことを好きにやる楽しい努力」だよね。
そこからは、「戦わなくても何かを得ることはできる。そのために必要な努力も苦しいものとは限らない」というメッセージを受け取れた。
おそらくここら辺が、俺が今まで見てきたアニメや漫画と違うところなんだと思う。
ただ、二期は「卒業」「進路」「受験」「取り残される梓」などと割と辛い要素も出てきて、緩さと幸福感という意味ではちょっと違う方向だったかな。
http://blog.livedoor.jp/taitiro/archives/1194001.html
なんだかなぁって感じ。
この人は自分の言いたいことを言うために旬なものを引き合いに出すから、いつも言うことが破綻する。
結論ありきの論立てだから。
ところが、このABにおいては、実際は復讐がなされたり、何か世界が変わったわけでもないのに、「成仏」が極めて喜ばしい物として描かれ、そしてそれにより、本来未練がいっぱいあったはずの現世も、当人たちにとってとても喜ばしいものであるかのように描かれる。これは一体何なのか?
とかバカか。
ABの学園は現実に復讐するための場所ではないんだよ。
「耳すば」で死にたくなるような人向けの場所なんだよ。
誰だって一度は思ったろ、世界を救う英雄な自分とか、何でも出来る完璧超人な自分とか、大金持ちの自分とか。
そういう願望を実現する場所なんだよ。
そして、それに満足したら消えていく。
遺族が満足するための靖国じゃない。
だから、あそこは本来の意味的にも、現実なんかより全然楽しくなくちゃいけないんだ。
探検も出来るし、戦争も出来る、世界経済を操ったり、夢の新技術を編み出したり、幽霊と交信したり、なんでも出来なきゃいけない。
うつ病の人にガンバレと言ってはいけないように、そういうものが救いになる人がいる。
これはこれであっても良いとは思う。
視聴者にすればこれをメタ視点で見せられているからで、遠まわしに「お前ら卒業しろ」と提示されているからなんだよ。
でも、現実で「卒業」するためには、現実の自分が承認される必要がある。
天才でも、英雄でも、人気者でもない自分が承認される必要がある。
だから、あれはチグハグなんだ。
エヴァと一緒。
エヴァにも乗れないし、周りにはアスカもレイも居ない、誰もオメデトウなんて言ってくれない。
そういう意味で、あの世界で最後「音無」が醜くあがくのは、凄く効果的なんだがね。
誰だって、あの音無には嫌悪感を抱くだろうし、ゆりかごに留まる事を醜く思うだろ?
でもさ。
もう、いいじゃんかさ。
「天使ちゃんマジ天使」で。
その何が悪いんだよと。λ....