付き合った女の子や嫁がどんどん成長して人生を切り開いていくのでアゲチンだと思っていたが、2股以上はしなかったので好意を寄せてくれたのに付き合えなかった(俺が選択しなかった)娘が人生において複数いるわけで、気付いたらその娘らが漏れなく不幸な人生を歩んでいた。ニートになったり鬱になったり、変な男に引っかかってDVされたり。幸せに結婚できてる娘は一人もいない。
偶然かと思ってたんだが、いい加減そうじゃないと分かってきた。
少量飛び出し系のやつが出た時だけ、便器の中心(水たまり)からかなり左目に着地する。
俺の肛門は左にまがってるのか?普通真下に行くよね。無意識に腰クイッってひねってるのかな。
もし同志がいたら話を聞いてみたい。
自分以外の二人の関係性にもよるんだろうけど、その二人の会話のリズムがあるだろうから、
それを邪魔しないようにしたりするパターンと、会話を任せちゃう時はある。
苦手なんだよなぁ
http://anond.hatelabo.jp/20141030012512
というわけで、私のお勧めの讃美歌を、
https://www.youtube.com/watch?v=JtvDc8wpLo4
https://www.youtube.com/watch?v=LOfLpcVxRv4
https://www.youtube.com/watch?v=N9k2LUtWVYk
https://www.youtube.com/watch?v=1PT2Zb97KXc
https://www.youtube.com/watch?v=wYKQwuSuKBI
https://www.youtube.com/watch?v=bRlsI3iIPdA
https://www.youtube.com/watch?v=l18KIdZ_pDc
https://www.youtube.com/watch?v=Ka0Mt41q9lM
もちろん、オーソドックスな讃美歌も楽しいし、最近は若者向け?な新しい讃美歌も増えた。
そういう楽しみ方もありだと思う。
逆に神を信じないか、憎いのであれば、悪魔崇拝系のバンドもあるし、それを歌えばいい。
音楽と神は似ている。
何の意味もないかもしれないが、どこか、それに、救われて生きている人だっている。
そんな力に頼らなくても余裕で生きられる人もいる。
追記
ImpellitteriのShed Your Bloodも、あれは讃美歌なのか?
https://www.youtube.com/watch?v=raAHmN1lyvA
適当なのがなかった。
託児所付きマンションって、それが必要無くなった時点で売る前提じゃないの?
子育ての為の田舎移住も、小学校高学年くらいになったら引っ越すか、中学生から寮付き私立行かせるのが前提だよね?だってまともな教育出来ないでしょ。
つか別に都会に住んでいても子供が小学生の段階で住み替えってよくある話だと思うんだけど。
何で一生そこに住む前提で考えているのか謎だ。
まあその主張自体は、その通り。
いやとっくに結婚してるけど。
「婚活」なんてしてないし、勿論男にしかメリットが無い自分は搾取されるだけの不毛な結婚もしてないよ。
なので「どう?ボクが結婚しないって言ったらキミタチ女は困るだろ?(チラッチラッ」なんてされても、全然困らないしお呼びじゃないとしか。
そもそも、マゾとか共依存メンヘラとか騙されたってならまだ分かるけど
「老後」の為に我慢して不幸な結婚をする女なんていないわな。
公的扶助にしては透明性に欠き、妙に強制力があるのはおかしくないか?また、ある年齢になったら死ぬまでサポートしてもらえる(しかも一度もらえると受給額の引き下げが死ぬまでほとんどなし)ってところが相当無理ある計画かと。まあ、俺も若造から力の限り搾取しまくって楽したいので、あらゆる手を使って長生き&年金はMAXまでもらえるように工作&貯金しまくりを実行中。
あと自分は長いこと独身やってから結婚してるけど、自分に対してメリット・デメリットを考えると、損得考えるとよくわからんというのが正直なところ。社会をマクロ視点でみた時、結婚する人が居て様々な多様性があることが、社会にとって重要で必要なことということぐらいしか、明確なメリットってないのでは?と思ってます。当人にメリットあるかどうかが重要ではなく、社会として多様性が生まれることでメリットがあるぐらいしか言えないかと思ってます。。
あと、人権の件ですが、優生論は動かしがたい事実ではあります。なので、優生論的考え方もきちんと表明しつつ、一方で優生論だけだと世知辛すぎる事があるので、それでも人権をあわせて守るにはどうすべきかなーという議論を展開するのが一番よいかと思ってます。言わないと議論も改善も出来ないので、表明は重要です。
あー、キリスト教って、頼り過ぎるとろくなことにならんので、宗教以外のいろいろな本読んで、賢くなりつつ(社会スキルを積みつつ)、キリスト教の付き合い方を常に考えて付き合うようにするのがコツだと思います。
何百年も前にすでにあったような教えが、現代でそのまま役に立つという事自体、実際には相当無理ありますし、また、教義には暗喩的表現が多いので、どうとでも取れる事が多いというところに罠があります。自分のおかれた状況により、役に立つ教えと、実はそうじゃないという教えを自律的に取捨選択できるようになって、はじめて正しいキリスト教とのつきあいかたとなると考えてます。結局、自分が主体で、常に賢くなっている事が前提でないと、どんな宗教もうまく付き合えないと考えてます。盲信と依存(キリスト教だけ勉強するとかね)は絶対に避けた方がよいです。
その時に一生懸命言い返そう嘘をつこう見栄を張ろうとする気持ちがある
これで、私の価値観は
よく言われる 友達は数より質 という言葉の前者の価値観であると言える
友達がいないことはカッコ悪くて、なんかはしらんけど漠然と友達がたくさんいるのはカッコいいという価値観なんだ
あとから、あ、でも友達は数より質であった それに出来ないけど楽しければいいじゃない
と必死に思ったところでそれはまた虚栄だ
瞬時に思ったことが、本当の自分だ
だから人は見た目より中身とか、なんとも曖昧で不確定なものを引き合いに出している言葉があるが
不細工なことがコンプレックスになってしまう時点で顔に価値観があるんだ
美しいものが全てなんだ。と思う
ぼろ負けではないか。いっそこういうのにも感じることができるドエムになろうか。
他人が外見に価値観がなければ不細工を罵倒せず人間として平等に認識してくれるわけだし
不細工なことに悩まなくてよくなるのかもしれない
しかしそんなことは絶対にありえないのだ
興奮しない。
最近テレビ出てるおのの◯かみたいな子がおっぱいをプルプル揺らしながら長い髪からいい香りをさせて
ベットの上毛布から白い太ももを悩ましげにのぞかせてる みたいなのがすごく興奮するじゃないか
それが不細工な女だったらどうだ
一気に地獄絵図だ
私みたいなのが生まれるんだろうけどさ
あんまりだよ(シュン)
懸命に、不細工は別の地位を築いてやると意地になってるのはいいが、
かりに私がかわいく生まれてたら、同年代の若い子と同じように自分の男の話をして
facebookで他人のゴシップを調べまくって、服買ってスタバ行ってプリクラ撮って、そのうち馬鹿な若い男の相手するより
金持ちのおじたんのが都合良くなってきて向こうも私かわいいからその気だし、このままゴールインしちゃおっつってニュータウンに住んで
女って悲しい生き物だね。
まあこれを男性が読んで、それは男性の僕もそうさ、という人もいるんだろう
でも女には闇があると思う。
男の目がきになるんだ。
たぶん不細工であればあるほど
私も、中学始まるくらいまで、そうだった。
でもそれは、簡単に壊されてしまう
でもそれも小学六年生まで
それが普通なんだ
でも私は醜い容姿だったから恋愛なんて考えるだけで恥ずかしかった
不細工が人を好きになることに痛々しさを感じるんだ
男の子も、女の子に好かれてる噂をきいて悪い気がしなくなる年頃だったんだ
私は、成長できなかった
無情にも
一人でヒソヒソ描くようになった
女の子の好きなような絵ではなかったから女の子の友達はいなかったし
男の話ばかりする友達なんていらねーって思いながらつよがってた
中学になった。私は不細工に拍車をかけちょっとデブリ始めていた。
両親の離婚を理由に中途半端にぐれ母親も入学写真なんか撮る気なかったと思う。(最後の良心で撮った)
しかしグレるといっても、一人だ。
学校に行けばサボったり絵を描いたり
たまにみたとしても、コアなファンになったりすることがなかったので
オタク風味の輩と好きでもないのに絡んでいる上に、いじめっ子軍団にひとくくりに悪口を言われるのも癪だったから
まあそんなこんなで
高校にもいかず、今時珍しい中卒という肩書きだけをもち社会に出たクズ
本当にゲスくて意地汚くてそれでも生きることに執着する哀れな人間をたった一言で自虐し
だらだら転職して今に至る。今ニートだ。一人暮らしで両親に無心できないのにやばいな。
でも虚弱体質なのと朝に弱いのがあるけどな
メンタルが弱すぎる
あの空気が苦手なんだ
男女の空気が
くだらない話に笑って
他人に興味がある振りをして全部自分に目を向けてほしいという露骨な自己アピール
興味のない人間は徹底的に迫害する中学生のいじめのような習性を持ってること
それに耐えられない
その心理にはやっぱり
どうして私、新しく入ってきたのにだれも連絡先とか聞いてこないんだろう
っていう、自分の醜い部分がある
でもできないんだ、うわ、なんだこの不細工っていう表情が
相手から伝わって来るんだ
でもこの時点で矛盾が生じているんだ
不細工で愛想も良くないってわかってるのにまだ他人に期待をしているきもさが。
しかし、自分より下だ と見た目で認定した 同期には話しかけることができた
クズだ
ごみだ
しんだほうがよろしい。
今思うと心が痛い
自分が醜い
笑うことしかできない
慣れない化粧が崩れていく
やめて、やめてよ
どうして同じ若さをもっているのにわたしは口をきいてもらえないんだろう
話しかけられないんだろう
中学生の話に戻る
笑っても笑っても不細工は叩かれる
同族嫌悪かな?
わたしは男子の思う壺だった
罵られて、あってもしょうがない恥をかかされて
どんどん卑屈になった
いや、もとから卑屈だったね
私は未だに不細工な顔を鏡でじっとみつめて
一生懸命可愛く見える表情をして
いわば毒ガスみたいなもんなんだね。
人が何かを行おうとする時、「これによるメリットは何だろうか」とは基本的に立ち止まっては考えない。
大体の事柄は、何となくそれをした後で、事後的に自分のメリットになるよう調整する。
初めからメリットだらけの事なんてないし、必ずそれに相当しないデメリットやリスクやコストが付く。
そして、そのメリットとデメリットのバランスは、人の価値観によって異なる。
例えば5000円のゲームを買う。8000円のDVDを買う。1500円のCDを買う。
「これからの楽しい時間の為ならこの金額は安いもんだ」と思えるかは人による。
だから「これに何のメリットがあるの?」と、客観的に分析するのは勝手だが、
多分あなたがそれに価値を感じていないのは、メリットの有る無しではない。
重い腰を上げて長期的に計画をしなければ、その機会が手に入らないなら、
そこから遠ざかるのは当たり前だ。
恋愛だって結婚だって、パソコンだってアニメだって音楽だって、多分それを手に取ったのは、
それが「手を伸ばせば届く距離にあったから」に過ぎない。
日常的に偶然それに出逢い、そして簡単に出逢える環境でもあったからだ。
それをしている人はそんな事考えてやっている訳ではないし、していない人だって、
その一つのカテゴリが衰退することによって、そこに属する者の発表の場は無くなる。狭くなっていくにつれとうとう舞台は一つになる。例えるなら練習の場さえ与えられずに本番をやらされるような感じ。そこでいきなり大勢の人の目にさらされ、公認でバンバン叩けば、新しい芽はすぐに死ぬ。暗黙の了解に屈する民族性も問題だが救いが欲しいというのが正直な思い
まずあなたに人生や思想の引き出しが一つ増えたことを祝福(神ではなく私が)したいとおもう。
その上で宗教のみならずよりよく生きたい人間にとって辛く生きづらい時代になったことを指摘したい。
宗教はよいものではあるが、属人的で、ゆっくりとしかかわらない・かわれない部分もある。
非合理なことをさせられるとおもったらいつでも離れられるように心の垣根を少しずつ準備していてほしい。
「悪質バイラルメディアにはどう対処すべき? BUZZNEWSをフルボッコにしてみた」
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→パートナーならAPI使って無断でも自由に使えるという解釈?
こういう使い方はどう?
うわぁ~この給食、食べたいよー!「紅の豚のスパゲッティ」「となりのトトロのサツキのお弁当」を再現した給食がうらやましすぎる…
この人に許可申請してるのはねとらぼだけっぽい。
http://img.togech.jp/wp-content/uploads/2014/10/5451e3a979efe-160x120.jpg
画像をサーバーに直接置くのはあり?一般の考えであればAPIを使用せず画像を直接置くのはこの場合無断転載になるのでは?
Twitter規約では「かかるコンテンツを使用、コピー、複製、処理、改変、修正、公表、送信、表示」とあるが、それは何をさすのか?
規約上クリアになったとしてもニュースサイトとしての道義的責任は?
http://news.livedoor.com/category/vender/togech/
これがたぶん決定的だったんですが、「刑事告訴するか、それとも和解するか」ということをみんなで話し合っていて、WebTechAsiaの代表がまだ若いことや「BUZZNEWSが今どうやって運営しているか」っていう話になった時、確かに以前のBUZZNEWSは盗作盗用なんでもござれで好き放題やっていたのが、問題が発覚してからは改善の意図が見られるかな、という部分。
クリエイターに掲載許可を取ったり、画像を自分たちで作ったりなどの対処をしているようなので
↓自分達は?
https://twitter.com/inago_cha/status/489029370405588992
街中を歩いていて、すれ違いざま、
「すっげーチチ」
と、ぼそっと呟かれることが、たまにある。
見ず知らずの他人の胸部について、往来でそういう評価を声に出して行うことの是非はこの際おいておくとして。
「すっげーチチ」
「でっけーチチ」
と言われることはあるんだけど、
「すっげームネ」
「でっけームネ」
と言われることはほとんどないんだよね。
「ムネが大きい」「ムネが小さい」という表現が多いと思ってるんだけど、
なんで、こういうこと言う人は、みんな“チチ”なの?
疑問に思って書いてみた。
ちなみに、サイズはG80。
カップはでかいけど、アンダーも大きいから、そこまで飛び出してはないと思うんだけど、
わざわざ呟きたくなるほど目立つんだろうか。。。
横だが、「ちゃんとした宗教」は異教徒と夫婦になることを許さないとか、そもそも離婚がNGだったりそれに反発して新しい宗派を作ったりとか、いろいろ私生活に干渉したりされたりするものだと思う。
「ちゃんとした宗教は私生活に干渉する」という主張の対偶をとると、「私生活に干渉しなければ、ちゃんとした宗教でない」ということになります。
人様の宗教に向かって「私生活に干渉してないから、ちゃんとした宗教ではない」などと言うのは大変失礼ですよ。
①「現代の世俗化した宗教を役に立つものとして『宗教一般』と捉える」という命題を立てたのはあなたです。ここまでのツリーでそんなことを主張している人はいません。
昔の私を見ているようです。
「自分と他人のズレに気付いている」から、辛くなってしまうんですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20141030020525
この日記を書かれた方に、何かしらお伝えしたくなりました。
書きたいことをつらつら記しただけの、まとまりのない文章になってしまいましたが…
何かの参考になれたら幸いです。
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「自分の当たり前が世間の常識とずれている」と気付けなかったせいで、
でも、実はそれと同じくらい、私自分も苦しみ、辛く悲しく傷ついてきました。
(そうか、自分の欠点に気づいてから、もう10年近くなるのか…)
今は、「自覚のある当事者」として、おだやかに生きていく方法を模索しています。
自分の欠点をおぎなう努力はもちろん、人に気配り・感謝を忘れず、自分にも無理をさせすぎず…
まだまだ課題は多いですが、生きることが少しずつ楽になってきたと感じます。
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行ったら、なにかしらの診断は出ると思います。
でも、そこから先、「苦手を抱えながら、どう生きていけばいいか?」というお悩みを解消してくれるような先生はなかなか見つからないかも…。
また、下手なお医者にかかってしまうと、精神病と混同されて精神薬を処方されたりします。
お薬を一旦飲み始めて、次の診療で「まだ辛いです」っていうと、処方が増えたりします。
どうしても薬を飲みたいんだ!という時には、漢方薬がよいかもしれません。
こういう時、病院以外に相談できるところって、中々みつからないですよね。
気軽に話ができる環境がみつかれば、いいですね。
(変な壺とか水とかオーラとか、怪しげな商法にも気をつけてくださいね。)
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だったら、フリーランス・個人事業主っていう生き方もありますよ。
職場や通勤での辛いなにかを我慢しすぎて、自殺を考えてしまいそうになったら、
「一人で金を稼いで生きていく」道もあるっていうことを思い出してみてください。
開業するならコミュニケーション能力も磨かないといけません。
そのためには自分で自分を支え成長させる努力が大切になります。
(それができねーから苦しいんだろー!と突っ込まれるかも…^^;)
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作者さんは、どうして準備を前もって出来ないのかとか、物をなくすかとか、「原因を分析」されたことは有りますか?
例えばものの置き場について。
作者さん、たとえば小学生の時に、鉛筆やプリントをなくしたこと、よくありましたか?多分、答はイエスだと思います。
では「上履きを毎回違うところに置いた」って経験はありますか?多分、答はノーだと思います。
定位置をしっかり覚えているからではありませんか。
つまり、(努力次第ですが、)意識を何度も何度も繰り返せば、あなたはなんでも片付けられるようになりますよ。
生活パターン(ルーティン)を分析して、「置き場を設定」しましょう。
自分の生活動線を把握したり、モノの置き場をクセづけるまでが大変なんですが、
「本当に改善したい」と思われるなら、張り紙でもなんでもして覚えましょう(^^)
鍵は玄関のここ、服は(脱ぎっぱなしでもいいから)部屋のここ、というふうに、
「モノの住所」を決めておくだけなんですが、結構部屋がスッキリしてきますし、「アレどこだ?」でイライラすることも減りますよ。
自然と体が覚えてくれて、そのうち無意識に定位置へ戻せるようになります。
(ただ、眼鏡は不意に脱着するから、「メガネメガネ」は私もまだよくやります。笑)
自分が何を持っているのか覚えていないほど、物を多く持ちすぎている時は、整理しましょう。
「断捨離」「ときめく片づけの魔法」などの考え方がある程度参考になります。まとめや解説サイトなどを御覧ください。
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洗濯物をたたむ時間がなが~いっていうのも、すっっっっごくよくわかります。
タイマーを使ってみませんか。
5分でも3分でもいいので、「このタイマーが鳴るまでたたむ」と決めて、たたんでみるんです。
好きな音楽をかけてもいいかもしれません。
タイマーがなったら、一旦休憩してもいいし、やる気があれば続行してもいいです。
私は、やる気がでない作業の時は、タイマーや曲をつかって、「ゴール」を決めてから行動しています。
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片付けや準備のスキルに関しては、育った家庭環境の影響もあるかもしれません。
私の場合は、両親・祖父母共に掃除や整頓がとーーーっっっても下手な環境でした。
(例:冷蔵庫には賞味期限切れのあれこれがどっさり、タンスは常にぎっちぎち、部屋中モノであふれて床が見えない)
まともな「掃除の概念」を持たないまま大人になり、アルバイトや職場でやっと
「へー、掃除ってこうするものなんだー」と常識を知っていったような感じです。
もしも、作者さんに何か心当たりがあれば、それは「障害のせい」ではなく「家庭の影響」なのかもしれませんよ。
ちなみに私は昨年まで汚部屋の住人でしたが、今は掃除大好き人間です。
何歳になっても人は変われると、声を大にしていいたいです。
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人付き合いが苦手とか、ひとつの分野に集中しすぎるとか、得手不得手は色々あると思います。
多くの人が楽しいことでも、私はぐったり辛い…ってこともありますよね。
多くの人を比べた中での「少数派だから」という理由で特別視されやすいだけだと思うんです。
発達障害は、ある意味「作られてしまった障害」なんじゃないかな~と感じてます。
「自分の普通」が、普通に通じるところで暮らせるなら、全然辛くないんですよね。
まぁ それがなかなか、難しいんですけどね(^^;)
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ちなみに、「障害」っていう言葉は、脚を切断したとか失明したとか、不可逆的なものっていうイメージがあるんですよね。個人的に。
でも、ある程度軽度のアスペルガーとかADHDとかは、思考や行動パターンを調整していくことで、徐々に生きやすくなれると思うんです。
可逆的、といっていいのかな。
良くしていけるものだから、「障害」と断言してしまうのは、なんかしっくりきません。
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それと同じように、「多数派との”ずれ”を補正する手段」があれば、生きやすくなる気がしています。
いまの日本では、その「補正ツール」たりうる何かが流通しきれていないから、苦しんでいるだけなのかも。
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「人の目を見つめるのが苦手」な人と「血を見るのが苦手」な人がいたとして、
「その苦手と向き合う機会が多くて」かつ「そのせいで社会的な損をする」リスクが大きいのは、おそらく前者ですよね。
苦手なことには人それぞれ違いがあるっていう、それだけのことなんだけど…
画一的な社会では、そのズレが許容されにくいみたいなんですよね。
誰しもが感覚に違いを持っていて、ある種の過敏性を持っていると思うんです。
「パクチーが食べられない」「強い光が苦手」「テレビを付けないと寝られない」「人混みが嫌い」とかね…いろいろあるでしょう…
その特性が、社会的に損をするかしないかは、ただの運次第じゃないのかな…
いまはコミュニケーションが出来ないと損をする社会だから、対人関係の行為に苦手があるひとが、損をしやすい。
それだけじゃないかと思うんです。
だから、発達障害の疑いや診断がある人は、「へーそうなんだー」くらいで気楽に受けとめていいんじゃないかなぁ。
必要以上に自分を追い詰めて鬱々としたり、劣った人間だと思い込む必要は無いんじゃないかなあ~と思ったりします。
-----
(私自身の体験や特性については、テーマからそれるので割愛します。)
私は小中高と学校生活で苦しんだ末、鬱で登校拒否・引きこもりとなり精神科に駆け込みました。
ある所ではうつ病、ある所では自律神経失調症…と、医師によって変わる診断と処方箋に右往左往。
数件目の病院でやっと「発達障害」の話を切りだされ、ショックと同時になぜか安堵したのを覚えています。
それからは、むさぼるようにネット・書籍・論文などから情報を探しまくりました。
WISC-IV 知能検査を受けて、自分のIQを知ったり、「はー、この分野は得意で、この分野は不得意なんだな」という分析は出来ました。
でも、「それだけ」でした。
私はてっきり、知能検査を受けた後には
「あなたが持つ弱点は、こんなシーンで困り感をまねきやすいです」
「だからこういう風に考えましょうね」という風に、
具体的に解説してもらえるんだと思い込んでいたので、なんだかがっかりしちゃいました。
その間1年ほどは、医師に言われるがまま通院していました。
しかし抗鬱剤をどれだけのんでも、苦しみの原因はなくなりません。
「どうして苦しいのか」、根本から解き明かさないと、一生苦しいままだと分かりました。
自分自身と社会のズレ・偏りはなにか、自力で研究を始めました。
そして気付けば10年近く。
これが早いのか、遅いのかはわかりません。
確かなことは、年々生きやすくなってきた、ということです。
また、曲がりくねった人生の中で、世界に一人だけ心から愛せる人と巡り会えました。
この人さえいてくれたら、もうそれだけで十分に幸せだと感じます。
その人に恥をかかせたくないから、きちんと生活できるようになろうと決めたことが、私を変える大きなきっかけの一つになったのでしょう。
苦手なことも、愛する人のためなら頑張れる、それが私の力強い支えになっていると思います。
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作者さんが私の日記を呼んでくれるかどうかは分かりませんが、
こんなやつもいるんだよってことに気づいてもらえたらいいなと思います。
苦手なことを「発達障害だから」と断言してしまうのは簡単です。
が、光のプリズムのように、その強弱は加減できることもあるんです。
変わりたいと思ったなら、きっと変われます。
でもどうか無理をしすぎずに。
苦しい時もありますよね。
お互いがんばりましょう。
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http://anond.hatelabo.jp/20141031142843
読んでくださった方、コメント下さった方、みなさんありがとうございます。