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2012-02-02

現在若者は最も恵まれているという論調から見る深刻な世代の溝

 某サイトに掲載されたコラムが発端となり、ブログSNSに飛び火し、基本的に若者は恵まれているというスタンスで進んでいる論調。

現在社会インフラが高度で合理化され、過去自分たちが費やした苦労や時間とは比較にならない容易さで、クリック一回で実行できる社会

そこで高い代償を支払わずに、ゆるい連携を持って生活する若者は恵まれている、しかし熱が感じられないので、過去経験から「夢」と「積極性」を持つことをアドバイスする。

私がこれらの論調に生理的嫌悪感を感じてならないのは

過去の苦労(問題)は現在未来の苦労(問題)より大きい

という点、過去は苦労したが未来は明るいという楽観的な先入観はもう通用しない時期に来ているのに、発展した未来インフラや生活様式に気を取られ新たに発生した問題が見えていない。

見えていないというより「更に発展した未来で解決可能」又は「過去の苦労に比べればやさしい問題」と考えているのでしょうか。

社会基盤が発展すれば、価値観生活水準が変わりますと言えば、誰もが同意するでしょうが、負の発展(規模の縮小)は誰も経験していないのです。

例えば90年代まで若者アイテムとして誰もが持っていた車、車離れが叫ばれて久しいですが、都市に住んでいる若者における車の必要性が低下し、代わりに携帯電話PCを持つようになっただけです。

しかし車の購入・維持に比べれば遙かに購入が容易な端末なのに、PCを持っていない人が大勢いる。00年代初頭における我が国のITインフラ整備率は世界一位ですが、現在は目も当てられない状況です。

 PC購入するだけの収入がない若者携帯で何をしたか現在ではスマートフォンでかなり情報収集が便利になりましたが、ガラケーと呼ばれる国産端末におけるネット探索能力は前者と比べると劣悪で、利用者は検索エンジンで何かを調べるというより、遙かに狭い範囲でしか活動できなかった。新聞も購入していない、TVも見ない、社員として収入が確保できる30代以上は例え不慣れでもPC位なら即金で購入する事が出来るので、ある程度のリテラシーを培う事が出来ますが、その機会さえも与えられていない。結果情報を持つ人と持たない人の間の格差が広がる。所得が低くなっても相対的な幸福度は昔より高いという人は、かつての新聞とTVから情報を得ていた経験から言うのでしょうがインターネットで必要な情報を素早く調べて理解するというのが基本となった世の中で、流動的な情報ニュースより固定化されている公的・私的な各制度アクセスにおいて絶望的な差が生まれている。利益が1与えられるか99与えられるかの差でなく、0か100かの差で生きなくてはいけない。この問題に最初に晒されたのが現在の20代後半。

 今の大学生PCを所持することを半ば義務化されていますが、業務で使用できるレベルOfficeを使えると認定される資格を持っている人は、2割居ないでしょう。ですが、職安に出されている求人ほとんどはOfficeを最低限使える人間を求めている、でも資格を取れるレベルで教えてくれる高校や大学ほとんどない。高卒は自力で学ばないとスタートラインにさえ立てない。しか採用基準は厳しくなったのに、現在働いている社員になんら教育を施さない、Excelで文章作成する事の何が悪いかのかさえ分からない。

 収入は、小泉改革以降合理化され、事務職は派遣で構成され収入は捨扶持レベルの15万円程度、それでも仕事があればマシと言えるかもしれませんが、今後は労務環境の国際化によって事務職そのもの国外外注されるのは確実。そして発生する人口減による国内市場の縮小、70年代に隆盛を誇った着物業界の現状の様な事態が各分野で発生するでしょう。

 中年が考える未来は必ず発展し、解決されうるものとして存在していますが、今後の日本が進む道はその真逆しか言いようがない。中流のホワイトワーカーは営業を除いて全滅し、高所得者移民の導入を要求する、対して単純労働者は仕事を取られまいと反対に回る、すでに同じ事が発生している会社もあるでしょうが、これが社会全体で常識となるのに何十年もかからないでしょう。

更に合理化され、余計な費用を払わずに生活できる世の中、しか収入は少ないのに、最低限のインフラをそろえないと就職さえままなならない世の中、企業では仕事を一から教えてくれないので、自費で各種の専門校に通い勉学する日々、収入のすべてをつぎ込んで遊びなんて全くできない20代、当然お金が足りないので脛を齧れる人は脛をかじり、齧れない人は何年もアルバイトをして費用を捻出して、職歴なしというハンデを背負い戦う。大人は新卒ですぐ就職することが全てでないと高説を垂れるが、そんな人間を雇う気は無い。

 昔あった問題と今の問題、問題という意味では等価値で、その大きさは当人には判別できない。過去にとらわれているのはどちらだと。

戦前に生きていた人達は、次の世代に多くの機会を与えましたが、その世代は次の世代に機会を与えない。というのは言いすぎですかね。

2012-01-18

[]失業ほど根源的な反抗は無い。偉い人にはそれがわからんのです

http://twilog.org/tako_ashi

尾崎豊カブれていたのは同時代でも十分にイタい人たちで、とてもじゃないけど朝日新聞入社するタイプじゃなかった」ということを

当時を知らない新成人のみなさんにお知らせしておきます

覚醒剤オーバードーズで死んだ歌手を持ち上げて、若者に怒りと反抗を促す社説って、ただただグロテスクだよ。

同じ事言ってるのが貧乏ロケローラーなら半分ぐらいは耳を傾けてさしあげるけど、新聞屋さんには言われたくないっス。

あの文章にアジテートされて、若い連中が本当に怒り出したのだとすると、真っ先に火あぶりにされるのは社説子さんだと思うのだが。

若者に対して「怒れ」と言う人たちは、自分が怒りの対象になることをまったく意識していないわけだよね。



「オレたちが学生だった時は権力が見えていた」「君たちには闘う相手が見えていない」って、20代半ばの頃、四谷飲み屋で言われたことがある。

言ったのは日立製作所の人事部のオヤジ

温厚なオレもさすがに靴の中で足の指を縮めた。

その時のことを今朝の社説を見て思い出した。

まあ、20代半ばのアマチュアロックバンド座付き作詞家の半失業者に向かって、

一部上場企業正社員が「反抗しろよ」とか言ってたわけですからね。

オヤジ居酒屋若者論にもマトモなお話が無いわけじゃない。

ただ、武勇伝要素横溢だったり、自分語りの垂れ流しだったりするのはダメ今日社説はモロにそれだった。

「で、あんたはい辞表を叩きつけるんだ?」と問い返さないでいるのが困難。

失業ほど根源的な反抗は無い。あの人たちにはそこのところがわからないんですよ

何よりひどいのは最後の「ともあれ、おめでとう」の一文だと思う。「ともあれ」はひどい。範囲を限定した祝福は一種の呪い

ともあれおめでとうとか言われたから、とりあえず黙れって言っといた。ともあれ〆切が迫っている。ともあれやる気がしない。

ヤングジェネレーションに向けたオールメディアからのフェアウェルだったというふうに解釈すればオレのこの気持ちの悪さもクリアされるわけだな。

(※婉曲な表現を実現するため、カタカナを多用しています。ご了承ください。)






ところで、「天声人語書き写しノート」という商品が発売されていますhttp://t.co/HxPT5LFT

店頭で見た時、心底から驚愕しました。写経ですか? 自己肥大もここまで来るともう笑うしかありませんよ。

朝日新聞の1面に毎日掲載されている「天声人語」を、知らない漢字言葉辞書で調べながら書き写し、文章の構成力やリズムを身につけませんか? 毎日続けると、世の中のいろいろな出来事がわかります。》だそうです。うわあぁぁぁ(絶叫)

朝日新聞の1面コラム天声人語」。100年以上も続く名物コラムには、文章を書くために必要なエッセンスが凝縮されています。1カ月ほど書き写していると、自然文章力が見についてきます受験就活の対策、また大人の学び直しに「天声人語」を書き写して見ませんか?》だそうです。う(嘔吐

だいたい「天声人語」っていうタイトルからして、上から目線どころか「天からモノ言ってる感じ」で、もう全然ついていけません。

《大人の学び直しに「天声人語」を書き写して見ませんか?》 って、ものすごいコピーだな。

書いたコピーライターもすごいけど、会議通したヤツ全員が超絶的にすごい。

星の王子様の「やあやあ、またワシに感心しているやつがやってきたぞ」の王様匹敵すると思うな。個人的には。

天声人語書き写しノート」、なくならないうちにひとつゲットしておこう。きっと5年後には伝説の商品になっているはず。

新入社員全員に「天声人語書き写しノート」を配布 

②3ヶ月後に提出を命じる 

③忠実に書き写した社員はその場でクビ 

④「うちもさぁ、コピー機みたいな社員置いとく余裕ないわけだよ。じゃあな」みたいな。

社説」みたいな虚構はそろそろ放棄しても良いと思います

逆に言えば、「社説」を「社の意見」として、毎朝掲げることができるのは、北朝鮮ライクな一枚岩の言論機関だけではなかろうかと…。





個人的に若死にした人間を持ち上げる論調が嫌いなもので。他人に語れるような夢は偽物。

オッサンにならない特権を行使するために早死にを選ぶクリエーターに対しては、全力をあげた忘却で対応することにしている。

努力の介在しない忘却は低能の結果に過ぎない。

盗んだバイク新聞を配達したこともないあんたに何がわかるんだ? と、オザキが生きてたらきっとそう言っただろうな。

あいつは何がわかるんだしか言えないヤツだったから。

なんにもわかっちゃいないくせにというよりもなんにもわかっちゃいないからこそなおのこと。

尾崎社説程度のもの過剰反応しているのは、オレがなにか苛立ちをぶつける対象を探しているからで、

その原因は…たぶん盗んだバイクで走り出した先にある。

何か機嫌の良くなる話題を考えよう。そうだ澤穂希バイクを盗まないで走りだす中盤の宝石ありがとう澤穂希選手





(・o・).。oO(♪盗んだ新聞放火するぅ~)

2012-01-13

おたくのみちはとおい

物事に熱中しやすい気質が、特定の物象に対して執着に近い形で長期に渡る場合おたくマニアと呼ばれるのだろうけど。



個人的に何かにはまればはまるほど、自分の知識なぞ到底おたくには及ばないと思い知る。

例えば漫画にはまったとする。

漫画を全巻そろえて、設定資料集と画集をそろえて、作者インタビュー雑誌をそろえて、

事前予約でサイン会イベントへいったり、作者の過去作品も全部読了し、

金銭があれば漫画派生フィギアを買い、二次創作同人誌に手を伸ばしたり、

コミケで始発から並んで限定資料集買ったりグッズ買ったり。

・・・それでも足りない。

感想考察サイトを覗いたり、2chの専門スレに常駐したり、それでも先人の知識とその知識を引っ張り出してくる早さに驚嘆する。

「何巻の何ページにだれそれのどういった台詞が!」みたいな程度はまだしも、

「どこそこのマイナー雑誌の数行のコラムインタビューでこういう裏設定」とかまでは極められていない。

ど忘れしていたり、設定は覚えていてもソース元まではすらすら出せなかったり。

そういう状況を見せ付けられるたびに、まだまだ自分おたくを名乗るのもおこがましいと常々思う。

たかが十年では全く。ちょびっとモドキになれたかな?ぐらい。

あと何年したらおたくと名乗れるのか、・・・多分何年経っても知識量と迅速な引き出し力の未熟さに叩きのめされそうだが。




周囲はおたくだというけれど、自分自身でおたくだと思える日がいつか来れば幸いで、

まだまだおたくを目指して歩いていく所存です。

2011-12-28

http://anond.hatelabo.jp/20111228120859

いや、お前さあ、それ何を言ったつもりなわけ?

松本人志だって映画に興味あるんだからその監督の受賞歴ぐらい知ってるだろ。




俺はその監督映画も、松本人志監督した映画も、松本人志映画コラムも、全部見た事が無いけど

お前の批判が全然批判になってないことはわかるよ。

2011-12-27

[]3

アカウントにあった残り。神話とかもう読まないんだろうなぁ。子供の頃読んでおけばよかったよ

アーサー王物語 (偕成社文庫) - ジェイムズ ノウルズ

ギルガメシュものがたり (大型絵本) - ルドミラ ゼーマ

インド神話マハーバーラタの神々 (ちくま学芸文庫) - 上村 勝彦

図解 北欧神話 (F-Files No.010) - 池上 良太

ケルト神話―女神と英雄妖精と (ちくま文庫) - 井村 君江

ギルガメシュ叙事詩 (ちくま学芸文庫) - 矢島 文夫

北欧神話 (岩波少年文庫) - パードリック コラム

ギリシアローマ神話―付インド北欧神話 (岩波文庫) - ブルフィンチ

中世騎士物語 (岩波文庫) - ブルフィンチ

斉藤洋の「ギリシア神話」 - 斉藤 洋;

ギリシア神話 - 呉 茂一

2011-12-24

家政婦のミタ』の視聴率40%って、ほんとにこれまでと同じ計測方法なの?

家政婦のミタ』の話題って、

視聴率がすごい!」以外何も聞かなくね?




高視聴率40%も取るような番組って、

もっといろんな話題やネタを生むもんだったと思うんだよね。

「主人公の物真似」とか

「キメ台詞パロディ」とか

「脇キャラ存在感放ってるあの俳優はだれ」とかさ。




例として1994年テレビドラマ家なき子』をあげたい。

これは平均視聴率24.7%・最高視聴率37.2%で、

ミタと同等~ちょっと劣るぐらいの数字なので例にちょうど良いというだけの理由。




家なき子』が放映されてた当時はさー

キメ台詞の「同情するなら金をくれ!」が相当流行ったし、

そのパロディバラエティ番組やら誌やら四コマ漫画やらにゴッチャリ溢れたよ。




主演の安達祐美についてもそれはそれは、あーだこーだと取り沙汰された。

今で言う芦田愛菜ちゃんよりパンチの効いた存在だったよね当時。

松本人志ですらコラムで触れてた。




主人公の父親役やってた内藤剛志もそれで注目されてバリバリ売れ出したよね。




…というような

視聴率40%も取るお化け番組には当然あるはずの社会現象

家政婦のミタ』の周囲にはほとんど観測出来ない気がするんだけど。

2011-12-01

年金問題少子化対策で解決しない

年金問題少子化対策で解決するかのような言説を振りまいているブログを見つけたので、その問題点を指摘します。


世代間の不公平を煽るなかれ - 経済を良くするって、どうすれば

http://blog.goo.ne.jp/keisai-dousureba/e/7fc431fe1a914ef881dc23a173b67539

はてなブックマーク - 世代間の不公平を煽るなかれ - 経済を良くするって、どうすれば

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.goo.ne.jp/keisai-dousureba/e/7fc431fe1a914ef881dc23a173b67539


以上から言えることは、絶滅しないように、きちんと社会を維持していけば、賦課方式からは「得」しか生じず、「損」が表れることはないということだ。ところが、日本では、小黒さんが言うように「損」が出ようとしている。それは、日本では、緩やかな絶滅過程である少子化」が起こっているからだ。つまり、「損」が発生は、少子化を起こしたからなのである

国民年金厚生年金共済年金という公的年金が行き詰っているのは、加速度的に進む少子化けが理由ではありません。それ以上に、盲目的に信じた右肩上がり経済成長率・予測が行き詰っていることが大きな問題です。つまり官僚による経済政策の失敗です


しかも、日本高齢者世代は、過去に、給付に必要な以上の保険料を払って、小黒さんが言うところの「事前積立」を行っている。130兆円に及ぶ公的年金の積立金がそれである

サラリーマンが主に加入する厚生年金保険料率(保険料/所得)は、2010年に約16%でした。これに対して、1960年保険料率はわずか約3%、1970年でも約5%でした。つまり、「日本高齢者世代」は、現役で働いていた時代、今の現役世代よりも相対的にわずかな金額しか保険料を払っていませんでした。

しかも本来であれば、「130兆円に及ぶ公的年金の積立金」よりもはるかに大きな金額の積立金があるはずでしたが、これも官僚が、天下り福利厚生、保養施設といった無駄遣いによって浪費してしまいました。2008年度には670兆円の積立金が残っていてもいいはずなのに、たった「130兆円」しか残っていないのです


団塊ジュニア世代は、自分たちの人数の6割しか子世代を残していない。支える世代を、ここまで細らせてしまったのだから、十分な給付を受けられず、「損」を背負うのは、むしろ、当たり前ではないか

それでは、今現在年金をもらっている高齢者たちへの給付額は半分にしましょう。「支える世代を、ここまで細らせてしまったのだから、十分な給付を受けられず、「損」を背負うのは、むしろ、当たり前」ですから


それでも、今の高齢者世代は、自分らの孫や子である団塊ジュニア世代を不憫に思って、多少は「損」を減らしてあげようと協力してくれるとは思う。

仮に、持ち家や現金資産などを持つ高齢者世代が、自分たちの息子・娘、孫の世代に資産を残すことを選び、世代間の不均を解消するように動いたとしても、その選択と年金制度破綻に追い詰めた官僚責任、および年金制度の見直し(例えば目的消費税財源への切り替え)が喫緊課題であることとは、何の関係もありません。


団塊ジュニア世代が、この窮地から脱するには、小黒さんの主張する、ほとんど現実性のない更なる負担増による積立金の強化より、少しでも少子化を緩和する努力をすべきである。その具体的な方法は、本コラムの基本内容の「雪白の翼」に記したとおりだ。「損」の本質は、高齢者世代の「得」ではなく、少子化にあることを見失ってはならない。少子化の緩和は、「損」を減らすのに、負担増より遥かに効果である

端的にいって、少子化対策は、仮にそれが効果をあげたとしても、それは20年以上先のことであり、その効果わずです

なぜなら、今年生まれたこどもが働き出し、大学卒業し、税金を納めるようになるには、少なくとも20年以上が必要だからですしかも、子どもたちを育てるための育児費用教育費用負担しなければならないことを考えると、現役世代にさらに負担押し付けることになります(だからこそ、国や都道府県による育児支援教育支援の充実が不可欠なのですが)。

また、2010年現在において、高齢者1人あたりを現役世代の3人から4人で支えているとされますが、少子化対策がうまくいったとしても、40年語の2050年高齢者1人を支える現役世代の数は約1.25人で、2010年の今よりもさらに厳しい状況となることには変わりありません。このまま少子化が進行した場合、支える現役世代の数は約1.1人だそうですが、どれほどの違いがあるでしょうか。せいぜいがやらないよりマシという程度のものです

2011-11-28

恐るべきことに米プロ野球界は「マネタリズム」に蝕まれているとのこと。

映画評論家の福本次郎氏による非常に重要コラム

http://www.cinemaonline.jp/review/ken/13167.html

知らなかった。大リーグまでがマネタリズムに染まってしまっているようでは、わが日銀もそう簡単にケインズ政策に舵を切ることはできないであろうなあ。福本氏の名前は初耳だが、覚えておこう。










………っておい。ま、「拝金主義」を英語でかっちょよく言おうとしたんだよね、たぶん。

2011-11-23

コピーコピーコピーで記事の体裁をなしていないJ-CAST

今更言っても無駄だと、それがJ-CAST連中のやり方だと言ってしまえばそれまでかもしれない。Jカス絡みでこんなのはよくある事だ。けどやっぱり今回の仕業にはあまりにも目が余る。

これについてだ。

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース

この記事は、朝日新聞社サイトで連載されている小原篤の連載コラム「アニマゲ丼」を発端として書かれてるもの

こちらがそれ

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

そもそもは11月12日東京芸術大学で開催された、「第2回 映像メディアサミット LOOP-02 マンガアニメ映像メディア学的再考」というセッション押井守が参加し、トークした内容が大本になっている。

その模様はユーストでアーカイブとして見れたが、20日までの限定配信で現在は見れない。


まず「アニマゲ丼」の記事は、見出しが示しているように「若者は夢は持つな」という旨の発言を軸にしている内容である事がわかる

以下引用

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

 「やさしい、というのは、励ますとか慰めるのとは違う。『親身になれた』という意味で、それまでは若者のことはどうでもよかったのが目を向けるようになったということ。で、若い人のことを考えれば、本当のこと、残酷なことを言わざるを得ないと思い、ちょうどそのころ中学生高校生と話す機会がたくさんあったので、こういう話をした。あなたたちは限りなく凡庸で無名で何の個性もないんだ、『一人一人がかけがえのない存在だ』なんて大人のウソを信じるのはやめて、早く幻想を捨てろ、夢を持つな、あなた方の未来にいいことなんて何一つないんだ――というところから始めたらどうでしょうか、と」

 なんて身も蓋(ふた)もない、と思いましたが08年8月11日の本欄で私は「スカイ・クロラ」について「あまりに救いのない、というか身も蓋もない結末ではありませんか」と書いていたのを思い出しました。

ここが「アニマゲ丼」で一番取り上げたい部分なのだろう。

この押井守の主張に関する是非は置いておくとしても、この記事自体はバイアスがかかっている気がする。

実際の講演は第2部「アニメーション日本戦後社会ロボットサイボーグアンドロイド、そして人間」というタイトルが付けられている通り

パトレイバー攻殻機動隊監督した者として押井ロボットアンドロイドのあり方を問い、技術論を語り、さらに原発の話題にも振れていくところが主体の講演だった筈だ

ここのスカイクロラの部分はほとんど寄り道であって、「アニマゲ丼」の記事を書いた小原篤主観として誇張気味に書いている節がある。

いわば押井の講演内容からコピーしてトリミングして、そこに小原自身の主観を交えながら書かれている記事だ。

J-CASTはそこから更に、何故か突然「萌えアニメ」「ハーレムアニメ」などと言った単語を挿入し、押井守が今の萌えハーレムだらけのアニメ業界に苦言しているようにも取れる記事を書いている

それが冒頭のURLなのだが、かなりおかしい。

まずアニマゲ丼から押井が今のアニメに苦言しているという部分を引用する

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

そして現実劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在アニメほとんどはオタク消費財と化し、コピーコピーコピーで「表現」の体をなしていない。

これはどちらかというと、アニメ監督をすることで「誇大妄想の極限を味うことができる」部分に目が行くと思うのだが

前後をぶっちぎって、今のアニメほとんどはコピーのコ(略)の部分に脊椎反射している人間が多いようだ。

しかしこの記事のこの部分は全貌するとこうなっている

asahi.com(朝日新聞社):「若者は夢を持つな」と監督が言った - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

 押井監督は、日本人科学技術の表面的な受容と円滑な運用のみにかまけ、その技術の核たる思想、技術ゼロから立ち上げる思想を持たなかったことが今回の原発事故を生んだと指摘。様々な当事者認識を改めるために今回の事態をヒロシマナガサキに続く「第3の原爆」と呼ぶべきだと訴えました。「技術の思想」の欠如は、ロボットに「かっこよさ」のみを求めるアニメ製作者の思考にもあてはまる、と自作機動警察パトレイバー」をもとに批判を展開し、そして訴えかける核を持たない日本アニメは、その表層を細緻(さいち)に描き込み磨きあげることで「極東の島国の珍なる文化」として世界に地位を獲得したと分析工芸品的に細部を作り込みたがるその日本人的な意識が、細緻(さいち)な映像表現に好適なロボットアンドロイドサイボーグなどへと向けられた結果、肉体や自意識をめぐるテーマへと結びつき、つまりアニメという表現形式が発展過程テーマをはらんでしまったのだと説き明かしました。そして現実劣化コピーに過ぎない実写と違い、「現実に根拠を持たない」アニメは珠玉の工芸品となり得、アニメはその根本から細部までコントロール可能であるがゆえにその力を使ってアニメ監督は、全世界・全歴史に向けて自分の言いたいことを完全な形で言えてしまうという誇大妄想の極限を味わうことができる。これは悪のにおい、危険なにおいがする。ゆえに若い人をひきつける。しかし僕の見る限り現在アニメほとんどはオタク消費財と化し、コピーコピーコピーで「表現」の体をなしていない。あと、ユニコーンガンダムのツノはアイデアとして面白いけど、だからどうなの?

 ってな話を約2時間、相変わらず、とうとうとまくしたてたのでありますが(上のまとめは少々わかりやすくかみ砕いてますメモをとるのが疲れました。私はそれより、新作の話はないの?って聞きたかったんですけど。

ここで「アニマゲ丼」の記事は終わる。

訓練された押井信者(笑)ならば、ここは「ああ、最後はいもの押井で終わりだな」と、顔をほっこり緩めるところだろう。

「アニマゲ丼」としてはこれをオチの部分にしたかったに違いない。

アニメはコ(略)などはほんの極一部分にしか過ぎないし、これだけでは押井真剣に憂いているのかどうかもわからない。

さて、J-CASTの方を見てみよう

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (1/2) : J-CASTニュース

朝日新聞2011年11月21日付けの電子コラム「アニマゲ丼」で、押井さんの東京芸術大学大学院映像研究科での講演(11月12日開催)を紹介した。講演で押井さんは

「僕の見る限り現在アニメほとんどはオタク消費財と化し、コピーコピーコピーで『表現』の体をなしていない」

と語ったという。つまり制作者には新たな創造性や、作品を通じて訴える思想的なものが欠如し、過去にヒットした作品の焼き直しばかり。例えば「萌え」が流行すればそうした作品ばかりになっている。また、今のアニメオタクと呼ばれるファン層に媚びたものが多く、こうしたことから表現」が制作から無くなった、という批判だ。

確かに119月から始まった20本近い新作テレビアニメを見ると、さえない男性主人公の周りに美少女が群がる「ハーレムアニメ」が驚くほど多く、過去にヒットした「ハーレムアニメ」作品と共通する内容がかなり多い。

突然どこからか「萌え」「ハーレムアニメ」という単語が出てきた

それどころかかなり履き違えて解釈しているのではないか

押井が言いたいのは「アニメという現実に縛られない媒体を使うことで、監督自己主張を完全な形で広められる。こりゃたまんねえ(快感)。でもそこまでやる奴ぁもうほとんどいないよね」という事を言いたかったのでは?これも俺の主観ですけど。

どちらにせよ「オタク消費財」や「コピーのコ(略)」が萌えアニメハーレムアニメだけを指しているというのは暴論だろ

その発言の直後に出てくるのはガンダムUCだし

J-CASTはあくまで「ネットでそう反応されてる」と言い訳のように使ってる

「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ (2/2) : J-CASTニュース

今回の押井さんの発言についてネットでは

萌えクソアニメの乱発は誰が見ても異常」

アニメ業界が飽和しすぎで、コピー品を粗製乱造しなきゃ回らなくなってる」

「売らなきゃ食っていけないからな。安定して売れるのがオタク向け萌えエロ

などと納得する人もいるのだが、現在主流となっているアニメのファン達は、自分達の趣味趣向、好きなアニメを批判するのは許せない、と激しく反発。しか理論で立ち向かえないからなのか

押井アニメくそつまんねーんだよ」

押井信者向けの消費財じゃん」

などといった作品批判や、人格批判へと発展し、大混乱となっている。

これでJ-CASTの記事は終わる

J-CASTとしては、「ネットでは押井守萌えアニメを非難していると言ってる」として、そこを拡大解釈しまくってこんな記事を書いたのだろうか

そもそもそのネットってのはどこのネットを指してんの?2ch

ちなみにニュー速+では

【話題】「今のアニメオタク消費財と化し表現の体をなしていない」押井守さんの発言でネット上は騒動に

というスレッドが立ったが、それはJ-CASTの記事を受けてのものだったし、★4まで伸びたがそれ以上の次スレは立っていない。(追記、★6辺りまで伸びたっぽい?)

一体どこで"大混乱"になってるのか全然思い辺りが無いんですけど。

押井守東京芸大での講演が、「アニマゲ丼」がダイジェスト記事にしている時点ですでにコピーだし

それを読んで、どこかのネットでは「押井守萌えアニメ馬鹿にしている!」と憤慨しているならさらに劣化コピーで伝わるべきもの全然伝わってない

その劣化コピーをさらに劣化コピーして記事を作ったJ-CASTはまさに「コピーコピーコピー」だ

こんなのを個人ブログでやるならまだしも、企業ぐるみで金を回しながらやってるんだから狂ってるよJ-CASTは。

2011-11-17

さとうふみやがきらい

急に思い出したので書いておく。

金田一少年の事件簿』が大人気だった頃

俺もコミックスを買ったんだが、合間の作者のコラム意味不明だった。




コラム名も確か

「六根煩悩シアター」(うろおぼえ)みたいなそんな感じで

小学生だった俺はなんだこれ、金田一と関係ある用語なのかな

とかなり迷って内容を含め戸惑いながら読んだ。




後年さとうふみや幸福の科学信者であることを知り

金田一少年のつけるペンダントにも教義のシンボルがあしらわれたりしてると知った。

コラム幸福の科学式の仏教の用語っぽい。




信教の自由はもちろんある。

個人的には幸福の科学も笑えるから新興宗教の中では嫌いじゃない。

しかし、少年漫画原稿単行本

自分宗教ネタを入れんなよ。




一応さとうふみや名誉の為に言えば

子供を狙った布教」みたいな悪辣なニュアンスは感じなかった。

単純に彼女楽屋落ち・内輪ネタとしてやってたんだとは思う。

でも小学生とき俺はあれが意味からなくてかなりひっかかってたし

後年その意味を知ってかなり腹が立った。




ということを突然思い出したので書いておく。

2011-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20111030000741

2005年9月3日に行われた2006 FIFAワールドカップアジア地区予選 5位決定戦のウズベキスタン代表-バーレーン代表戦での誤審(本来、PKの蹴り直しとなるところをルール適用ミスで相手の間接FKとした)により、FIFAAFCから国際審判資格の無期限資格停止処分を受けた。当該試合は後日、再試合となった。 なお、当該試合FIFAが再試合を実行した、唯一の試合となっている。

「プレーに関する事実についての主審の決定は最終である」とするサッカーの競技規則を覆して再試合が行われたことについて、2006年1月17日朝日新聞コラム内で、「今後判定を覆すことを認めるルールができるなら、『トシズ・ルール』と名付けてもらい、歴史に名を残したいぐらいに考えていた。」と語っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%AF%BF%E5%85%89

ちょっと調べてみて、こういう事例を見つけたんだけど

それでも高体連には権限がないの?


ていうか結局主審はそんなに絶対じゃなかった…

たとえ話みたいなことしたら再試合だわ

2011-10-16

その前  http://anond.hatelabo.jp/20111016184604

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ますとか応援するとかプラス方向のものならテキトウでも許されるってのは間違いだと思う

http://b.hatena.ne.jp/zu2/20111016#bookmark-63242746

<信頼は積み重ねるもので、こうやって消費するとなくなる>

これいいなぁ。よく新聞コラムとかで、とりあえず日本元気ないから褒めとけ的なテキトウなやつを読むときにかなりイラッとするので。

過去の栄光を消費するだけで、現状の認識がおやって思うやつとかね。

元気づけようという意図なら丁寧にやってほしい。

このあたりの無責任さが当たり前のように許されてるのと、頑張れ頑張れって言ってうつ病患者殺すのは

直接ではないがちょびっと通じるものを感じて嫌な気分だ。

あーでも、私含めてみんな批判側もテキトウか。

ようするにみんなテキトウなんだな、うん。

2011-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20110925232317

いやいや、ちょい前の男性週刊誌とかビジネス誌(ネットのそれ系コラム含む)読んでなかったの?

オッサン向けの「今時の草食系男子とか言う若者はケシカラン」論が山ほど出てたから。

2011-09-03

自分で出典を検証できない人たち

この人たちのこと:

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1659940.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/5730351.html

以下検証:

CNN-GOはどういうサイトか?

アジア向け「旅行情報サイト」。報道目的とするサイトでもなければ、CNNが自社の見解を載せる場でもない。

CNN-GO日本語版に曰く: 「東京トラベルガイドで本物のTOKYOエンジョイCNNGoが、東京の宿、食、飲、買い物、遊びを紹介」

また、組織・人員的にも別。CNN-Goサイト紹介によれば: 「私たちはCNNから独立した部門で、各地に独自の職員を有しています。」

韓国音楽を批判する記事を書いたのは誰か? その記事はどのような位置付けか?

著者は韓国在住のフリーライターCNN-GOが「ご当地情報」をかかせるために雇っている現地の記者の一人で、間違ってもCNN本体の社員ではない。

そして、当のコラムがかかれたのは、「tell me about it...」という自由コラム的な欄で、雇われ記者たちがフリーに思いの丈を発言できる場。

実際に日本関連のコラムを見てみると:

Roland Kelts「震災後の東京: これからどうなる?」

・Andre Vltchek「なぜ私は日本旅行するのが嫌いか

・David McNeill「誰が福島原発事故真実を伝えたか

要するに、せいぜい記者個人の意見であって、間違ってもCNNを代表する意見ではない。逆に、これがCNNの公式見解だとしたら、炎上するレベル

はてブの反応

最もスターを集めてる3つのコメント:

id:rig これがまともなマスコミ対応だと思う。/別に流行!って煽るのはいいけどさ、批判がタブーだったり、批判書いたら解雇されたりするのは絶対おかしいだろ・・・

id:iijuft 日本でこういう正論言うとクビになるんだっけ?

id:a1101501j 何故日本メディアにはこの視点がないのだろうか?戦中の翼賛体制からなにも変わっていないじゃないか。今回は韓流から可愛いけどこれが政治スローガンに使われたらと思うとゾッとする

米国CNN韓国メディアK-POP流行っているという嘘をつくのは不可解」』というまとめブログ釣りタイトルにかかって、CNN報道だと勘違いしている。そして、このテキトーなトラベルガイドコラムが「まともなマスコミ対応」であり、日本メディアに必要な「視点」らしい。

(参考までに、この記事は海外(例えば日本)での韓流ゴリ押しを批判する記事ですらない。この記者は、世界ではまったく相手にされていないのに、国内向けの報道大騒ぎしている「内弁慶韓国メディア」を批判している)

まとめ

CNN韓流を批判する報道を行った → ウソCNNが運営している「旅行情報サイト」のフリーコラム欄に掲載されただけ。

韓流アメリカでも嫌われている → ウソ。記事を書いたのはご当地記事を担当する「韓国在住のフリーライター」。

それでは、なぜこの記事がCNN報道のように扱われているのか?

答え: 2chまとめサイトがそう言ってるから

2011-08-31

それを言うならバカな奴こそ英語をやれ

http://anond.hatelabo.jp/20110831064251

英語教育だけど国語よりも社会科よりも物理よりも重要だと思う。それは現代を生きるための情報ソースという意味で。

日本メディアも、日本ネット日本語検索しても、ある分野では左、ある分野では右に偏向が激しい。

まり日本人が得られる情報というのは日本の状況、文脈、都合によって情報一定バイアスがかかってる。

それを、google.comで英語検索すれば、そのバイアスから逃れられる時代に幸運なことに僕らは生きている。

もちろん、英語には英語圏バイアス情報にかかっている。しかし、それは日本圏内の情報バイアス重力から脱出するには十分だし

英語圏は日に日に広がりを増していて、圧倒的に情報ソースの量と広がりが違う。



例えばCNNがKPOPの偏向報道を批判したというまとめサイトが話題になってる。もちろん大部分は、その英語の元記事を読まない。

要はそれすらも日本バイアスがかかっていて、そのCNNではなくCNNgoのそのページがどの程度の重要性を持つのか、単なるフリー記者コラムかということも分からないし

KPOPがアジア世界でどのような受け取られ方をしているのかを英語でググればずいぶん違った情報を知ることができるのに英語が読めなきゃできない。

まり日本語で都合のいい言葉でググって、都合のいいバイアスのかかり方をした情報しか受け取らない。だって、それしかできないかしょうがない。

バカな奴は英語なんて学ぶ必要ないというのは、愚民化政策そのものだ。英語を教えないことによってファイアーウォールを設けているようなものだ。

あるいは、フィリピン人は日本に対してどういう感情を持っているのかなとふっと思った時に、日本語ネット上を調べたってバイアスがかかりまくりだけど、

google.com.ph英語でググれば、中国に住むフィリピン人が語る中国フィリピン日本に対して持つ感情の違いについて書かれたこの記事をたまたま読んで

思ってもいない新鮮な発見があったりする。http://propinoy.net/2011/03/20/tohoku-earthquake-and-nipponophobia/

こんな些細なことだけじゃなくて、英語が読めるだけで視野が広がったり日本じゃ信じられない様々なリソースが利用できることがいくらでもある。

から、バカな奴に英語は必要ないじゃなく、バカな奴こそ英語をやれって言いたいし、かつての俺にもそれは正しかったよと言いたい。

英語ができれば金になる仕事になるといった金勘定ではなく、英語もしくは外国語ができるというのはものすごく人間の判断に広がりを持たしてくれるものだと思うし

日本圏の偏向報道偏向教育、偏向情報重力抗う武器として、外国語ネットが発達した現代において重要さをどんどん増しているように感じる。



あと、英語はもちろん外国語ができる人はもっと翻訳ネット上でしてほしいという希望がある。

もちろん、すでに色々と貴重な情報翻訳してくれる人がネット上にはいて、ものすごく感謝している。

翻訳というのは日本バイアスに包まれた人間の頭をぶち破ってくれる非常に重要ものだ。やはり母語で読めるというのは大きい。

いまメジャー翻訳サイトの大部分は「海外の反応」というジャンルにあたるものだが、これは結局「(日本に対する)海外の反応」という意味であり

海外日本のことどう見てるのかなという自意識日本アゲに用いられ、これもバイアスがかかっていることが多い。

純粋バイアスのかかっていない情報など存在しないが、僕らは日本バイアスという強大なものに否応なく囚われていて、破るべきバイアスというのはまずそれであり、

その日本バイアスを破るべくそれとは違ったバイアスがかかったものを持ってくることで盲点を探すしかない。盲点は気づかないが故に盲点なのだから

かつて必死に翻訳を行ったインテリが持っていたような日本バイアスに囚われていることへの危機感というのは、発展した日本に住む僕らには理解できない。

だけど、今でも、あるいはいつの時代でも、母国語バイアス、母国の文脈、都合、常識バイアスというのは存在している。

個人的に、もっと日本に対する反応以外の翻訳サイトが増えることを願っている。

2011-08-28

アフィリエイト初心者を脱して、指示するだけで月30万円を稼ぐ方法

アフィリエイトで月30万円以上稼ぎたい方向けの見せ方テクニック

http://anond.hatelabo.jp/20110828172558



上記の記事、読みましたか

大体月30万円ぐらいを達成できたら、次にあなたがするべきことは、

いかにして、楽をして稼ぐかの段階を模索していくことになります



楽に稼ぐためには、人を雇う必要がある

楽に稼ぐなんて胡散臭いと思うかもしれませんが、要は人を雇うということです



記事であればライターの方に書いてもらう、あなたプログラミング技術がなければ技術のある方に頼むということ。



稼いだお金を溜めこむのではなく、その利益の一部を人に投資することが次の段階になります



雇うのをケチる方は、いつか失敗する日が来る

これをケチる方は、ずっと自分製作していかなくてはならず、仮にアフィリエイトでの利益

下がった際に、一気にやる気を失う危険性があります



想像すると分かるかもしれませんが、働きながらコツコツとアフィリエイトサイトを作って、

月30万円を獲得した方が、ある日、Googleアルゴリズムなどで、月20万円にまで落ちたらどうなるか?



これ、ビックリするぐらい、やる気をなくす方が多いのですね。恐らく、今まで作って来た努力が全部無駄になったか

ような錯覚に陥るからだと思います。この燃え尽き症候群を、甘くみないほうが良いです



やる気を失い、一度アフィリエイト世界から足を洗ったものが、再挑戦するのは相当つらいです

また、1からスタートですからね。このパターン成功した方には、お会いしたことはありません。



外注するためのWebサービスがある

さて、人を雇うとなると、すごく難易度が高いかのように思われるかもしれませんが、

例えば、以下のような外注サイトを活用すると良いですはてなブックマーク数も多いですよね。


@soho

http://www.atsoho.com/



Lancers

http://www.lancers.jp/



例えば、Lancersの「仕事一覧→ネーミング・ライター→記事・コラム」を見てみて下さい。

http://www.lancers.jp/work/search/idea/writing



色々と、頼んでいる方がいるでしょう?

まり、このような外注サービスを駆使して作っていくことが、楽して稼ぐための道になります



人を雇って、自分は楽をするポジションに移動していく

例えば、30万円の内、まずは3万円をライターを雇うことに使ってみる。

人とのやり取り、書いて欲しい記事を伝える技術、その過程で色々なことを学んでいくでしょう。

もちろん失敗もあるかもしれないけれど、全て投資代として考えれば安いものです



そして、なるべく自分は指示するだけで済むようなポジションへと移動していけば良いのです

人を雇った分のお金で、さらなる利益を生めば、そのお金をまた次に投資していく。

あなたに何かのアプリを作る技術がなくても、お金があれば作って頂くことも可能でしょう。



月30万円レベルになったら、そのお金を維持するにしろ伸ばすにしろ、

必ず人を雇ったほうが良いです。あとは、飽いた時間遊んだり次なる戦略を練っていけば良いのです

兵士になるというよりは、指揮官を目指しましょうということ。



外部の方の力を、いかにして借りるかということが大切です



仕組みの力を甘くみないこと

あなたネットショップで服を売っていたとします。



注文を受けてから、せっせと服を作り、メールでやりとりして、しかも車で自宅まで届けに行くなんて

しませんよね。大きく儲けるなら、あなたデザイナーであろうと工場に発注する必要があるし、

また、発送だって業者に頼むことになります



世の中、至るところに仕組みが組み込まれていて、成り立っているわけです

仕組みに投資しないものは、楽して稼ぐことができないと、ハッキリと言っておきましょう。



情報商材の罠にハマらないようにね!

あー、あと、月100万円を稼いでいます!月100万円を稼ぐ方法をお教えします!などの、

情報商材は、買わないようにしましょう。確かに月100万円稼いだかもしれませんが、

そのような方って意外と広告費や人件費やその他雑費で、お金を数十万円使っていたりして、実際の利益スズメの涙ですよ。



まり、実際の利益がないから、そのような商材で儲けようとするのです

そーいう罠には掛からないようにしましょうね。



本屋で売っているアフィリエイト本、ネットで手に入る無料情報

また、色々な方のアフィリエイトサイトネットショップを読み込んでの勉強などを活用すれば、充分です



最後

例えば、あなたが小さな会社の代表だとして、いつか金持ちになりたい楽をしたいと考えているのに、

ずっと自分で営業することにこだわっていたら、お金なんて稼げないし楽な日は来ないです



月1万円からでも良いです。儲けの分は、誰かを雇って、自分は仕組み作りに専念するという成功体験

少しずつ重ねていってみてください。



そこまで来れば、「楽をして稼ぐ」という意味が分かってくるかと思います



楽をして稼ぐと言いましたが、月30万円にいくまでには、地道な努力ですよ。その段階まで、楽なんてありません。

楽をしようとして、胡散臭い情報商材や有料のメルマガとかに、ハマらないようにね。あれ全部、何の役にも立たないから。



ん、役に立つって書き込みを見た?そのリンク自体が、アフィリエイトリンクになっていないっすかね?つまりネズミ講



以上っす。




追記

by ピラニア



あと、以前書いた「アフィリエイトでモノを売るための戦略マーケティング」もおススメ。

http://anond.hatelabo.jp/20110622100140

明日静岡から滋賀までAKB48ライブにいくんだが

興味が無いのでライブ中は滋賀観光するつもりの俺は置いといて友人2人が気合入ってる。

だいぶ入ってる。

どれくらい入ってるかっていうとインテルが入りかけたくらい。

二人分のチケットプレミア付きで落札

これだけでも気合入ってるけどその上俺に運転手代一万くれるって。

ライブ組みの友人ABから五千円づつで一万。

しかも高速代向こう持ち。新幹線よりは安いらしい。

ガソリン代さっぴいて手取り五千円の日当は無職の俺にありがたい。

だいぶありがたい。

人生で初めてAKB感謝した俺。

AKBよりAK47やAKMの方が解るのにありがとう

正直な話AKB知らない。

友人の話でチームドラゴンとか言われてもドラゴン藤波しかイメージが湧かない。

俺の事は置いといて友人二人は気合が入ってる。

コンビニ店長の友人Aはシフト調整してまで休みを確保。

この猛暑の中有能さを発揮。

流石工業高校卒。メガワット底辺の俺とは違う。

友人Bも気合が入ってる。タオルもってくんですってタオル

闘魂タオル

猪木の。

これはもしかしてドラゴン藤波でるのかもしれない。

定番が在庫無しの為代わりに買った二枚で定番より値段が安かったタオル

東日本大震災被災地に配ったため定番の在庫が無くなったと思われる。

流石猪木仕事が速い。

コラム高岡解雇騒動も触れてたけどさらっと力道山名前を出す辺りに文章でも引き込まれる。

ちなみに内容は「迷わず行けよ行けばわかるさ」。炎上のしようもない。

流石猪木

バランス感覚も優れてる。

猪木のようにAKBライブ気合を入れてる二人の為に出来るだけの用意をしようとライブについて調べてみてビビッた。

琵琶湖かい

超でかい

下手な市町村よりでかい

もしかしてだれか住んでるのかも知れない。

湖の下に秘密基地があっても驚かない。

イヤやっぱ驚く。

地図で見てコレだけでかいと実際に見たら俺はどうなるんだろう。

泣くのか?

今年で三十の男が琵琶湖見て泣くのか俺?

ところで二人が気合入れてAKBライブ観てる間おれは滋賀で何を観光しようか。

2011-08-27

面白い」こと

http://career.cobs.jp/level1/yoko/2011/08/vs_6.html

面白ければマッチョイズムでも許されるのかな?

そのあたり関東ではぜんぜん感覚がわからない。(せいぜいオダジマのコラム見て「そうだよなぁやっぱり城東東京モンとしてはそう思うよなぁ」と思うくらい)

2011-08-10

もしドラの作者のコラム 全文

http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20110808

読んで存在を知ったので漫画版もしドラ買ってきたよー。


上の記事だけだといまいちやねうらおさんが何にいらっとしたのかわかりにくいと思うので全文引用しました。

悪文の見本みたいな文章で、写してて辛かった・・・

この文章、悪文なのもあったけどそれ以上の何かがある。

自分の思考経路をいちいちドキュメンタリー風に語る=確定した事実であるかのように扱うってのは常人ではなかなか難しいことを考えると

やはりもしドラ作者は「本物」だと思う。何の、かは知らん。




この作品をコミカライズするにあたって、ぼくが考え、また担当編集者の++さんからもお願いされたのは、

小説版と同じものにはしたくない。何か付加価値を付けたい」ということだった。

なぜなら、マンガ界ではこれまで、けっして少なくない数のヒット小説コミカライズされてきたにもかかわらず、

そのほとんどが、なかなかパッとした結果を残せなかった、ということがあったからだ。

それらのケースにおいては、多くの場合小説の単なる焼き直しに終わってしまっていて、

読者、とりわけ元の小説を読んだ人を満足させることには、なかなか至っていなかった。

から、このプロジェクトにおいては、そうした失敗の轍を踏んではならない、同じ過ちを繰り返さないためにも

単なる焼き直しではない、なにか付加価値を付けなければならないという命題が、初めから存在していたのである

やべー超格好いい。プロジェクトXの人の声で朗読したらアホな視聴者騙せそうな導入ですね。

「僕以外の人はみな能なしすぎてそんなこと考えたことねーだろバーカバーカ。マネジメント読んでる僕勝ち組」とでも言いたそうな感じ。そこにシビれr




そこで今度は、「ではどういう形で付加価値を与えていくか」ということがテーマとなったのだが、

それについては、僕にはあらかじめ一つのアイデアがあった。

それは、「小説では紙幅の関係で描くことが出来なかった、さまざまな設定、キャラクター、エピソードを、

コミカライズにあたって盛り込んでいく、そこで十全に展開し、表現していく」ということだった。

あのスカスカ感は紙幅の関係だったのか、いや早まるな続きが書いてるぞ。




そう考えるに至ったのには、ひとつきっかけがあった。

僕はもともと、これは「もしドラ」だけではないのだが、小説を書く際にはその設定であるとかキャラクターであるとかを、

かなり細かく、また深くまで練りこんでいく。

しかしながら、いざテキストとして表現する段になると、それらのものを必ずしもすべて表そうとはしない。

表すのは氷山の一角、ほんの一部だけで、それ以外はあえて捨てたり、あるいは隠したままにしておくのだ。

それは、そうすることによって物語世界により一層厚みや奥行きを与えられるということもあったし、

あるいは読者に想像する余地を残し、楽しみを提供していくという考えからでもあった。

端的に言うと、そういうふうにすると作品が面白くなるというのを知っていたのだ。

参考記事 つ http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080703/1215052052




例えば、主人公の川島みなみドラッカーの「マネジメント」と出会う、この作品においては最も重要ともいえるシーンがあるのだが、

そこで両者の出会いきっかけを作る書店員について、ぼくはその人物設定から背景、薦める理由までこと細かに考えていたにも関わらず、

小説の中では一切書かず、単にその事実のみを示すにとどめた。

それは、もちろん紙幅の関係もあるのだが、それ以上に、そうした方が小説として面白くなるということがわかっていたからなのである

その通り、大胆に説明を省いたこのシークエンスは、「もしドラ」を象徴する何とも味わい深いシーンとなったのだけれど、

ところがこの小説の発表後、そこで予想外のことが起こった。

なんと、そのシーンを、面白い面白くない以前に、上手に理解出来ない人が、少数ではあるが現れたのである

そのシーンを、何度読んでも「書店員がなぜその本を薦めたのか」を想像できない人が、すくなくはあるが一定数いるという事実が、

読者から反響を得る中で判明したのだ。

これに、ぼくは驚かされた。

彼らがそれを理解できなかったり、想像できなかったりする理由は、単に彼らの本の読み方の浅さ、拙さに起因するものなのだが、そういう人が少数ながらもいるということを、ボクは初めて知ったのである

この人2回繰り返して言うの好きだなー。いや、3回か。

まぁコラムならいいんだけど「エースの系譜」である表現をページ内で5回繰り返してたことがあり、さすがにうんざりするので誰か注意してあげてください。



そうしてぼくは、これをゆゆしき問題であると受け取った。

本を読むのが下手というのは、何よりその人達にとって不利益である。非常にもったいない。あとちょっと上手くなれば、あるいは想像を働かす骨を覚えれば、彼らももっと面白くこのシーンを読むことができたはずなのに。それができないというのは、端的に言って可哀想である

かかる状況は、作者としては何とかしなければならないのではないか。そうした問題が眼前に横たわっているならば、それを解決することこそがぼくの使命ではないか、そんなふうに考えるようになったのだ。

参考記事  http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110708/1310088660 とか http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080709/1215571196



そこでぼくは、小説では表現しなかった人物や設定、背景やプロっトというものを、コミカライズにあたって改めて表現することを決めたのだった。

そうして、小説を読むのが下手な少数の読者に対しては、その正しい読み方やおもしろがり方を伝授していく。

また、それ以外の上手な読み方のできる大多数の読者に対しては、いわばメイクグフィルムをお見せするような意味合いで、舞台裏を開陳していく。

それはそれで、つのサービス付加価値になるのではないか

いうならば、映画DVDメイキングシーンを織り込むような効果が生まれるのではないか、そう考えたのだ。

参考記事 つ http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081130/1228031673

どうでもいいけど、「メイキングフィルムをお見せするような」と前の文で書いておいて、

「いうならばメイキングシーンをお見せするような効果が生まれる」ってどんだけ親切なんですか。




そうしてその手始めとして、まずは冒頭で、前述したみなみに「マネジメント」を紹介するという、この作品では最も重要役割を果たす、

書店員であり、大学生奥沢モモが登場することになったのである。このコミックでは、彼女をはじめ、ボクが小説を書く上で設定したほとんどの人物、設定、背景、プロット順次明らかにされていく予定である

ちなみにマンガを読んだ感想ですが、冒頭のもっと重要なシーンの説明はやっぱりダメだと思いました。

「よくわからない」からダメ」になりました。大事なことなので二回言いました。





8/13  ヤマカンの人の部分を削除。

2011-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20110807095323

でもさ、盛り上がってもないモノを大人気と称し公共の電波でブームを捏造する

あの商法自体の是非は問わないのか?

是非を問うも何も、

そもそも捏造している確たる証拠すらないわけだから

良識あるコラムニストライターが取り上げるわけがないだろ。

チャングンソク800人捏造の話も元ネタサイゾーだったわけだし、

まさかサイゾーの記事を元にコラム書くわけにもいかないよね。

2011-07-27

「脱菅」「脱原発

中日新聞東京新聞は折込広告の量と地方記事以外はほとんど同じで、社説コラムもだいたい同じなんだけど、昨日のコラム東京新聞中日新聞で内容が違った。

東京新聞雑誌版の「ぴあ」が休刊になる話。中日新聞は「脱菅」と「脱原発」がテーマの煮え切らない感じのコラムだった。

「特報」ページを中心にかなり強硬な脱原発路線をとっているのは同じだと思うんだが、何かまずかったのだろうか。

中日春秋

2011年7月26日

 菅直人とは、何者か。今、政治をめぐる議論の多くは、この問いにたどりつく、といってもいいだろう

最近共同通信世論調査結果を見てみよう。菅さんが、停止中の原発の再稼働に待ったをかけたストレステスト(耐性評価)については、過半が肯定的評価をしている。さらに、菅さんが成立に執念を見せる再生エネルギー推進を狙う法案にも、八割近くが賛成だ

▼そして、それらを総括するような菅さんの宣言、「脱原発」の方針も七割が支持している。にもかかわらず、菅内閣支持率過去最低、二割にすら届かない。これほど、首相としての評価と、主張への評価が分裂している人も珍しい

永田町でも似た傾向はあって「主張はいいが、菅さんはいや」という議員が少なくない。いわば、「脱菅直人」と「脱原発」のどちらも望むのが、今の“多数派”の思潮ということになろうか

▼だが「脱菅」、つまり菅さんの退陣が、「脱原発」路線を後退させる可能性はないか。あり得るだろう。実際、反「脱原発」派も「脱菅」を望み、何より、名の挙がるポスト菅候補の中に、菅さんほど「脱原発」を鮮明にしている人はいない

▼どちらも望める状況になれば、それでいい。だが、もしも、「脱菅」を望んで「脱原発」が遠のくとしたら、それは“多数派”の本意ではあるまい。ここは、考え所かもしれない。

中日新聞:中日春秋:コラム(CHUNICHI Web)

最近共同通信世論調査結果」というのはたぶんこれだろう「脱原発」70%賛成、共同通信の世論調査 写真3枚 国際ニュース : AFPBB News

NHKの調査http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/yoron/social/pdf/110709.pdfを見ても、原発を減らすべきと全廃すべきをあわせると65%くらいになる。

ポスト菅候補の人たちも、「脱原発」を唱えて菅直人の「後継者」のように見られるのは本意ではないだろうし、なかなか難しいところなのかもしれない。

脱原発」を唱えれば世論が味方につくという単純な状況じゃなくなってしまっている。

以前から一貫して脱原発河野太郎はいいと思うんだが、政権交代政界再編が起きるような兆しも見えない。

2011-07-25

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

2011-07-22

柴田大輔・映画監督まとめ(3)

第3回。続きになります

それでは早速、本日サイト紹介です。

前回はこちらです。

http://anond.hatelabo.jp/20110708114752

さらば愛しの大統領

http://b2b.jijinjingzhi.net/supply/nova%E3%81%86%E3%81%95%E3%81%8E%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94

YouTube - 『さらば愛しの大統領世界のナベアツ柴田監督インタビュー世界のナベアツが、NOVAうさぎCMなどで知られる柴田大輔と2人で映画監督に挑戦!・・・

柴田大輔 - エキサイトトピック

http://topics.excite.co.jp/keywords/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94/

さらば愛しの大統領」特典満DVDが発売 4月20日、2枚組DVDさらば愛しの大統領」 が発売される。世界のナベアツ柴田大輔とともに共同監督を務め、ケンドーコバヤシ宮川大輔が主演した映画・・・

柴田大輔って?|雨のち晴れ、時々ママ日和

http://ameblo.jp/shigetamiwa/entry-10736653133.html

お嬢が息を切らして、何やら叫びながら帰ってきた。あの%#&*@☆△…落ち着け、まず落ち着け!!はい深呼吸~で?学校帰り近くにいる大人に時間を聞いたら凄い人だったと~!!ママ柴田大輔って知っとうやろ!!・・・

柴田大輔-ピープルサーチ

http://ieyasu2011.seesaa.net/

今年は、いつくになく越えなければならない夏である。皆さん、体調だけには十分に注意して、この夏を乗り切りましょう。柴田大輔氏の言葉より。・・・

ロック柴田大輔V7

http://v7777777v.blog69.fc2.com/

ロック柴田大輔V7、2回目のコラムです。戦後日本企業の成長・急進は目を見張るものがあった。新規事業の台頭で世界に誇る企業が続々と登場した。これは、日本人お勤勉さ、そして何としても日本復興させるのだという・・・


夏も真っ盛りですが、みなさんはいかがお過ごしですが?

今年は海に行こうと思っているんですが、なかなか「よし、行こう!」とはならず、今年も無理なのかなと、半ば諦め気味です。地域によっても変わってくるでしょうが九州地方はいつまで泳げるものなんでしょうか。

太陽をたくさん浴びて、今年こそは日焼けしたいと思っています。海にいけなくても、日焼けを目指して街を歩いたりと、できるだけ日に当たるように心がけるつもりです。柴田監督も海に行ったりするのかな・・・

とうとう2012年になってしまいましたね。

昨年からこの日記を始めましたが、なかなかどうして更新する時間が取れずにさびしい状態となってしまいました。

あれほど更新頑張ると意気込んでいたのに自分がなさけないやら、つらいやら・・・

今年は!といいたいところですが状況があまり変わってないので約束はできそうにありません。しかし、気持ちとしては前進するつもりでいますのでどうかまだお付き合いいただけると嬉しかったりします。柴田監督は今年も突き進むはずです。私も負けずに少しでも追いつけるよう精進したいと思っています。まだまだ若輩者ですが気持ちだけは負けません!(ほんとか・・・

健康にも気をつけて精力的に映画のことや舞台のことを考え、大輔さんの魅力を少しでも伝えることができればと思っています

はてな日記がに慣れてないのでよく分からないのですが、追加して更新していくということでいいのでしょうか・・・

まあ、伝えたいことは架けるので良しとしておきましょう。

しかし、舞台というのは楽しめ、想像して楽しめる数少ないエンターテインメントだとつくづく感じます

岐路に着くときにもそうだし、帰ってから思い出すことで楽しめることも多い。特に一番印象に残った場面などは何回思い出しても飽きることがありません。

また、インタビュー記事などに目を通すといろいろなことを想像してしまいひとりにやけることも多々あります

いまは平清盛をみて楽しんでいます。江がいまいちだったのでどうだろうかと思ったのですが、僕的には最高に面白い大河だと思っています。おそらく平安時代当時の状況をできる限り再現しているところに現実感があり、見ている最中ドラマだとはあまり感じないところではないでしょうか。1話目はきちんと見れたのですが、2話目は録画になってしまいました。しかし、面白さは変わらず。早く続きを見たいとさえ思いました。3話目も録画になりそうですが、今からワクワク感が止まりません。

知っている人もいますが、なぜ見れないかというと、実はいランニングを週に2~3回しているんですね。その1回が日曜日という、なんともタイミングが悪い日に当たってしまった言うわけです。まあ、走ることは悪くないと思うので、気持ちよく走りたいと思います

それでは、また!

柴田大輔のプロフィール

NOVAうさぎなどの記憶に残るコマーシャルメッセージ制作リゲインアジアンカンフージェネレーションプライベートビデオも手掛け多数の賞を縦走している異才。近年まれに見る映像クリエイターの一人である1973年神戸市誕生する。

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