はてなキーワード: 経典とは
法学の基礎は何千年も昔から存在するのに今までそれを学ぼうともせず何十年も中身のないアホ議論を繰り返してきた人たちだよ?日本人は。
政治だって昔はもう少し真面目に報道して一般人は真面目に議論してたけど民度低すぎて結局こうなったんだよ。日本人じみて育つってことは経典のないカルト宗教に入信してるみたいなもんだから
学に興味なくて勉強したくないし難しい話を聞きたくはないが、簡単な話で分かった気にはなりたい。知識を得た気になりたい。できるだけ楽したい。そして偉そうに文句を言いたいだけの奴ばかりだよ
学ぶ意思のない奴の方が多い
じゃなきゃネトウヨとか暇アノンとかが出てくるわけないじゃん?
現実に今起こってる一般日本人の議論のレベルの低さは、素人一般大衆に議論させたらこうならざるを得ないという視点で見るべきと思う
お釈迦様がご生誕の際に発された言葉として知られる「天上天下唯我独尊」は7世紀にインドを旅して多くの経典を中国に持ち帰った玄奘が翻訳したものです。この原語はパーリ中部「アッチャリヤアッブダ経」にあり、「我は世界の最上者なり。我は世界の最年長者なり。これは最後の生まれであり、もはやさらなる生存はない」とのことです。
(略)
天上天下唯我独尊をネットで調べると「お釈迦様は自分1人が尊いと言ったわけではない。本当は、命ある私たちすべてが同じく尊いのだと宣言されたのです」とする記事がたくさん出てきます。この解釈は原語からかけ離れているというべきではないでしょうか。
いずれにせよ生まれたばかりの赤子が大人のように話すはずがないので原典も後代の創作に間違いありませんが、お釈迦様を信奉する人々の敬慕の念があって創作された説話です。
「死んだら無になる」って誰が言いだしたんだろう、と思い調べ始めたが……思ったよりも大変だなこれ
『近代日本人の死生観』という論文……国士舘大学の講演会資料?……に以下のような記述がある
一九〇一年、死を宣告された政治思想家の中江兆民は、間近に迫った自己の死を強く意識しながら、『一年有半』、『続一年有半』を著しました。そこでは身体(駆殻)こそがすべてで、精神などというものの実在を想定する必要はない、死とともに個人の存在は終わるのだというさっぱりとした考えがけれんみなく提示されています。
へぇ~、明治のころにはもう最近の日本人がしばしば言いがちな「死んだら無になる」って考えを持った人がいたんだなあ
じゃあこの「死んだら無になる」って考えはどの時代までさかのぼることが出来るんだ?
「神」の存在は否定しても「霊魂」の存在は否定しない考え方もあるようなのだ
断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ[1]。反対語は常見(じょうけん)。
まさしく「死んだら無」の考え方
しかし、この仏教の断見という考え方が現在日本の「死んだら無」という考え方に直接つながっているわけではおそらくないだろう
こうした考え方が広がっていく背景には、近代科学が前提とする唯物論的な世界観の影響があるのは確かです。しかしまた、現世を尊ぶ儒教や神道、また霊魂の実在ということを否定する仏教の伝統が影響を及ぼしていると見ることもできます。
じゃあ唯物論について調べるか……と思ったがここで調査打ち切り
なんか唯物論の西欧での歴史をざっくり眺めてると、神の存在は否定していないように見えるんだよな……ここらへんキリスト教の知見が足りないのかもしれない
そしてなぜか途中から共産主義の話になる、わけわからんくなってしまった
キリスト教の歴史について書かれた初学者向けの本を先に読むべきかもしれない
もともと私は幕末~明治の日本人の宗教観を調べていたのだが、面白そうなテーマがあってつい脱線してしまった
2002年刊行の『死と唯物論』という本が面白そうなのだがすぐには入手できなさそうだ
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Wikipediaの「無神論の歴史」のページの記述で関係ありそうなところをピックアップしておくか
「チャールヴァーカ」の項
パーリ経典によれば、紀元前6世紀のアジタ・ケーサカンバリンが仏教徒と議論をして「身体が滅びるとともに、賢者も愚者も等しく滅する。彼らが死後も存在するということはない」といったことを既に説いている[3]。
江戸時代の日本の「浮き世」の考え方(=現世利益)ととても相性がいい
「死んだら無」とはすなわち祖先もまた無になったということになるので受け入れ難いか?
これも「死んだら無」の論理だったが先祖を敬うことは推奨する思想になっていたのが上手いところ
流行りはしなかったようだが
エピクロスは「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」という語録も残しているようだ。原子論的(唯物論的だ)な考えから導き出された思想か
西洋の啓蒙時代まではキリスト教の影響が大きすぎて無神論の考え方は全然育たなかったみたいだ
ざっと見た感じ現世利益と唯物論の合わせ技で生まれる発想みたいね
誰が言い出したんだという話からはズレるが、現代日本で「死んだら無」って言ってる人は漫画の影響とかありそうな気もする、知らんけど
「イク、イッちゃう」などの言葉に加えて「だめぇ」などの相手を抑制仕様とする言葉が多用されているが、これは相手の興奮を煽るもので実際に相手が動きなどを中断すると、面食らったりねだったりする場合が多い。
ほとんど声を出さない。申し訳程度に「アンッ」と音のような喘ぎがある。
こちらもあまり声を出さない。「ンーアッンーンーンーアッ」の繰り返し。
イクときは「カンダァ」と言ったり、イキそうなときは「ミチゲッソー」と言う。また、どうしてか疑問系の「やった?」を意味する「サッソ」を使う場合も。
歌うように高音で喘ぐ。「ンアッンアッンアッ、ンエッンエッ、オーエッ、シァウ」など。
イキたいという願望を含む「アク マウ プルギ」と言う。
性の経典*カーマスートラの国。「ムジャ バーフット アーラハ」など、気持ちよさを幸せだと表現して喘ぐ。また、イクときは「こっちに来て」を意味する「イデラ アイエ」を使用する。
「来る」を意味する「ミヤ」を使う。
セックスの回数が多い。低音で空気をスィースィーたくさん出しながら喘ぐ。
「スィースィースィーウーシカジャーイ」など。「ヤーカンチャーユ」という「終わっちゃいます」の意味の言葉を繰り返す人も。
「オーイエス」「ファック」「プッシー」「キルミー」「カモン」などが多めで声も大きい。
スィーと合間に息を吸う。
「スゥースゥースゥーファックミーファックミーファックミー」などアメリカに似ている。
おとなしめ。「フーヤマィヤマィヤマィヤマィっ!」と体をくねらす。
体全体で表現。「アーアースィーブライッディギンッブライッディギンッ!」のように激しく。楽しんでいる、というのを喘ぎで表現し、イクときは「行っている」という意味の現在進行形で「エストオ インドオ」と表現。
低音で「ンーンーンーンンートレビアーン」「ジュジュウィ」など。
性にオープンな国で英語の「come」に近い意味を持つ「ヴェニーレ」「ヴェンゴ」を使う。
英語の「come」と同じ「イク コム」を使いイキそうな場合は「イク コムクラー」。
フリーセックスの国ですが性に対しての自己責任感を幼少期から強く持たせるそうで、性には厳しいんだそうです。「ヤーコンメル」がイクの意味。
「ケ メ コロ」と区切るのがイクの意味。イキそうだと「メ ベンゴ」。
大地が揺れるような重低音で「ウーウーウーマイゲニサー」。
魔女のような顔と声で「イエェーアッハーン、イエエエエェ」。
リズムと大地の叫び。「アッハーン、アハーアハーハーハーアーン!」と昇っていく。
https://anond.hatelabo.jp/20230611115720
これ見てビックリしたんだけどさ、中々面白い言動で、いくつか論点が浮かび上がったから適当に羅列していく。
①
「お天道様が見てる」と「漫画の悪役になっちゃう」と同レベルなんだな。
漫画の社会的地位が高まったんだろうな。「所詮漫画」だの、「漫画なんて子供の読み物」なんて思ってるけど、まあそういうこと共感されないだろうしな。
②
まず、こういう人って、例えば悪人だったけど後で仲間になるジャンプシステムとかどういう目でとらえてるんだろうと思ったりもする。
悪人は成敗されて二度と出て来ません、みたいな単純な漫画しか読めないんじゃないだろうか。
③
そもそも漫画は現実のことではない。リアリティがあろうがなかろうが、リアルではない。
文脈から言うと、「漫画の悪役みたいに他人を不快にさせる存在にはなりたくないなあ」みたいな感じなのだろうが、
「赤毛のアン」を読んで私はアンよ!とか「不思議の国のアリス」を読んで私はアリス!って思ってる女の子と同レベルなんだろうか。
④
②の観点に近いが、お前せめてウシジマ君とか読んだことないんか、と感じた。
世の中には善と悪の2枚のレイヤーしか存在しないと思ってるんか?
⑤
漫画は読者の快感を刺激するための虚構だから、「悪は裁かれる」という気持ちよさが最大公約数として求められる。
公平世界仮説的なアホアホ思考を強化しちゃってんだろうなーと。
⑦
お前もさあ、良い歳して漫画漫画言ってないで大人になって現実と向き合えよ。
妄想と現実を一緒にするな。マルフォイ役の役者に罵倒してる馬鹿と変わんねえぞ?
⑧
ただ、①~⑦のようなことを想いつつ、元増田みたいな低能な人間に社会規範を守らせているのであれば、漫画も役に立っているのではないか。という考え方もある
⑨
漫画の文化価値、文化表現とは、そもそも反社会性を持ち、アナーキーなものであり、一般常識へのアンチテーゼである。
だからこそ面白い。面白いことが漫画の要件だ。道徳的に正しいかではない。
⑩
さらに、漫画の中のような単純な世界観で生きる人が増えることは、いわゆる「正義マン」を醸成させるのではないかという懸念もある。
⑪
一方で、現実はクソなんだから、漫画のような単純な世界観で生きたいという思いも否定できない。
⑫
それはそうと、漫画と現実をごっちゃにするなよ。倫理観を漫画で構築するのはいくらなんでも幼すぎないか?
じゃあ聖書や仏教の経典で倫理構築するならいいのかよ、アレも空想じゃん、というと俺も押し黙るしかないが、
漫画だけじゃなくて、現実世界ももっと見ようというか、色んな体験をして、色んな学びをして構築して欲しいなという思いはあり。