はてなキーワード: あまりにも有名とは
https://anond.hatelabo.jp/20180503192028
出遅れてしまったが、野球の話題がはてなで伸びることはあまりないので真面目に答えてみる。
ブコメでも大量に指摘されているが、広大なフィールドを必要とする競技は中心となる競技エリア以外の規定はアバウトに設定されていることが多い。サッカー・競馬・クリケット、ウインタースポーツ等の自然環境を利用した競技など。これらのスポーツが厳密に設定されたフィールドでしか行えないのであれば、プレイする場所が限られすぎてしまうために現実的でない。
言うまでもないことだが、敵も味方も同じ環境で行っているのであれば場所の違いによる標準化の問題は多少は許容されるのが大抵のスポーツで普通である。環境の標準化の問題でいえば、標高差・湿度・風速・道具の問題など枚挙に暇がなく、野球に限った問題ではない。
プレイが洗練されているかどうかは個人の主観に拠るところが大きいが、サッカーのシミュレーションや柔道のレスリング化等、野球に限った問題ではない。
某マンガであまりにも有名になってしまったが、個人的にはあまり問題に思ったことはない。現実に殆ど起こらないので。というか、分かりづらいこととはいえルールブックに明白に書いてあり、適用事例も示されていることを「曖昧」というのはどうか。問題にするとすれば厳密に適用されていないルール(例:バント時のバッターボックスからの足のはみだし)やチェックスイングの判定じゃないのか?
これもブコメで指摘されているが、サイン盗みが横行するとサインが複雑になり、試合時間の無駄な延長に繋がるため。
これはブコメになかったので解説する。通常バッターは打った直後、打つ方向に向けて頭(目線)が自然と向く。右打者なら打球を引っ張れば目線はレフト方向に行くし、流せばライト方向に向く。(たまに打球方向と目線の向きが異なってしまった場合が"あっち向いてホイ"状態である。)
打球をフェアゾーンに飛ばそうとしている打者はフェアゾーン方向に自然と目線が向いているのが普通なので、打球を放った直後にフェアゾーンに目線が向いておらず、打ったファール方向に目線が向いている場合、故意にファールを打っていると見なすことが出来る。日本ハムにファール打ちを故意に行っているとされる中島卓也という選手がいるが、是非動画サイト等で彼がファールを打っている時の頭(目線)の向きに着目して欲しい。センターカメラから見て三塁ベンチ方向(つまり打球がファールしていく方向)に目線が向いていることが殆どである。
しかし、故意にファールを打つ行為は打球をフェアゾーンに飛ばすことが目的であるはずのバッティングと相反する行為であるので、ルール上反則ではないものの、それに反感を覚える人が多いのは理解できなくはない。個人的には、故意のファールそのものを認定するのは線引きが難しいので、12球連続でファールを打ったらアウトぐらいのルールを設けてもいいようには思う。
なお、ファールの方向に頭が向かずにファールで粘れる選手はかなりミート技術が高いと評価でき、プロの一流打者のなかにはしっかりとしたスイングをかけながらファールで粘れる変態的打撃技術を持つ選手もいる(元日ハム阪神の片岡篤史など)。
サッカーの終了間際のボール回し、競馬で勝利が確実なときに鞭を使わない、陸上短距離で決勝進出が確実な選手は準決勝まで流す、カーリングのコンシード等、その試合のみで全てが終わるわけではない大会においては体力温存などのために最後までプレーしない行為は広く行われている。
130km/hのボールが投手から打者まで到達するのにおよそ0.45秒、115km/hではおよそ0.51秒である(リリースポイントが投球板から2m打者方向、球速が一定と仮定した場合。計算が間違っていたらスマン)。その差はわずか0.06秒だが、距離にして約1mの差。バットとボールの大きさは10cmもないので、130キロのボールと115キロのボールを同じタイミングで振っていたら全くかすりもしない。
プロの打者は数種ある投手の球種に0コンマ0何秒のタイミングでバットを数cmレベルで、さらにコースによってバットの出る角度を調整し、ただ当てるだけではなくそれなりの強度を持ったスイングで、前方45度の野手の居ない方向にボールを飛ばさなければならない。しかもこの作業は、職人が静謐でクリーンな集中できる作業場で行えるのではなく、砂埃舞うグラウンドで数万人の歓声と衆目の中で行わなくてはならないのである。誰にでも出来るようなことではなく、プレッシャーで潰れていく選手が出るのも不思議なことではない。
現在MLBでは広く行われるようになっている「極端な守備シフト」の出現は、伝統的な野手の守備位置を崩す大きな野球の変革といえる。かつての王シフトのような極端な守備シフトは、一部の選手に対して行われるいわば"奇策"に近いような戦術であったが、近年は非常に多くの打者に対して行われるようになった、という点で大きな変革が起こったといえる。一方で極端な守備シフトによって野球の醍醐味の一つである野手のファインプレーが減ってきているという指摘もあり、極端な守備シフトを制限するための措置が行われるのでは?という噂もある。
喫煙や肥満を推奨するわけではないが、一見アスリートとは思えないような見てくれの悪い人間が活躍するのも、ある種野球の面白さだと思う。松坂大輔や攝津正のように若い頃の面影がなくなってくるとそれはそれで悲しいのだが、バートロ・コロンのように体型を維持しながらピッチングスタイルを変えて生き残っていく選手を見るのも楽しい。
野球の不文律については、特に野球ファンでないと思われる人々から「野球の嫌なところ」として指摘されることが多いように思う。しかし、実際のところ暗黙の了解によって行われるプレーはそれほど多くはなく、それを破ることによって問題になる場面も多くはない(というか、頻繁に問題になるのであれば確実に成文化される)。"不文律"という仰々しい表現が使われているが、いくつかは慣習的に行われているマナーのようなもので、電車で騒いではいけませんとか他人の顔をジロジロ見てはいけないとかそういった類のものである。例えばwikipediaの「野球の不文律」の項で取り上げられている"投手の集中を妨害するために相手に話しかけたりしてはいけない"とか、"投手は野手に文句を言ってはいけない"などは、野球独特の暗黙のルールとして特筆するようなことでもないだろう。将棋で対局中に相手に話しかける棋士はいないだろうし(いたらスミマセン)、仕事で別部署の人がやってしまったミスをわざわざ咎めに行く人はいないだろうが、成文化されていないとしてももしそれらをやれば確実に顰蹙を買うはずだ。
wikipediaの「野球の不文律」で書かれている項目は特筆するべきことでもないことかなにかしらの説明が必要な項目ばかりで、野球を全く知らない人が参考にして見てもらいたくないことばかりである(もちろん全ての項目が気にするなというわけではなく、引退試合の忖度などは無くすべき慣習のように思う)。
つまるところ、これらの問題はささいなことであって、外の人が「これが野球の嫌なところである」と声高に主張することがある種偏狂で、野球ファンからすれば不快だと言わざるを得ない。
あまり知られていないことだが、実は野球のルールは毎年細かい変更が行われている。「野球規則改正」で検索してほしい。
MLBでは機械的な投球の測定システムの導入によって審判のストライクゾーンの精度がかなり向上したらしい。将来的にゾーンの判定が機械的に行われるようになることも非現実的ではないと思われる。
少し理屈をこねた回答をする。団体スポーツで一人の選手のスタンドプレーによってゲームが決まってしまうことは、特にアマチュアレベルにおいては決して野球に限ったことではないように思う。子供の遊びレベルのサッカーやバスケットボールで、一人の運動神経のいい子供がボールを多く扱って何得点も決めてしまう場面を見たことがないだろうか。
野球においては投手が多くボールを扱っているから投手が全てを支配しているように見えてしまうが、ただボールを投げただけでは得点は入らないのが野球の面白いところで、投手の負担だけで野球というゲームの全てが決まってしまうわけではない。もちろん1試合のみでは絶対的な投手によって試合の体勢が決まってしまうこともあるが、プロ野球においてはその点他のプロスポーツに比べて非常に多くの試合が組まれることによって、一人の投手のみによってシーズンが決まらないような体勢が整えられているのである。また投手の分業制は最早当然の戦略となっており、多くのイニングを投げる先発投手のイニング数も年々減少傾向にある。プロのみならず、最近は高校野球でも複数の投手を擁するチームが非常に多くなってきた。これは単に投手の負担を減らす意味合いだけではなく、一人の投手の能力だけではゲームをdominate出来ないことが多くなっているといえるからだと思う。逆説的にいえば、一人の選手でゲームを支配することもあるし、戦略的には複数投手制をとるチームが増えている点で、独特の興味深いゲームバランスになっているといえないだろうか。
ちなみにアメリカのbaseball_referenceとfangraphsというサイトがそれぞれに公表している「WAR」というMLB選手の貢献度を測る投手野手共通の指標が存在するが、2008年から2017年までのMLB両リーグのトップWAR20人中、reference版でトップになった投手は6人、fangraphs版ではわずか1人である。少なくとも長いシーズン戦うプロ野球においては、図抜けた投手一人より図抜けた野手一人のほうが貢献度が高いと見なされているのである。
ドラえもん最終回同人なんかは、あまりにも有名になり過ぎた故に原作側が動かざるを得なかった例だしね
あれも普通の同人の範囲内で終わっていれば原作側は放置しただろうけど
かと言ってあれを認めたら、似たような「他人が勝手に書いたドラえもん」も認めざるを得なくなるし
その中には原作者(は亡くなってるけど遺族とか)が到底認めたくないような内容も含まれるだろう
かといってあれはいいけどあれは駄目、としたら反発を食らう
エログロ反社会的とかの傍から見てもあれは駄目だろと思われるような内容なら不許可でも許容されるかもしれないが
(例えばドラえもんとのび太のBLだけど性描写等は一切ないほのぼのした作品があったとして
それを禁止したら同性愛者差別とか言われるだろうし、かと言って認めたらそれはそれで叩かれるだろう)
その面倒臭さは原作側に端金が入る程度では帳消しにはならない
(そもそもドラえもんはそれで動く金額など誤差ですらないくらいの大規模な商業コンテンツだしな)
最近いいなと思っている人がなんとなくモラハラっぽくて、好きになるのを辞めたんだけど、モラハラっぽい具体的な行動って意外と共有されていない気がする。
「店員さんに横柄な態度を取る」というのはあまりにも有名な特徴だけど、それ以外にも「これやってたら危ないよ」という例を知りたい。
その人の気になった行動。
・銀行員なのだが、銀行員でいる自分が誇らしいのか他の職業をバカにしがち(証券マンとか不動産屋とかの批判をしていた)
・同業他社も批判(「あそこに入っても面白い仕事はできない」云々)
・当方SEなのだが「○○(私)の会社って小規模だよね?社長って何歳?社長が辞めたらどうなるだろうね。息子さんはいるの?」と小馬鹿にしたような査定をする
・同じ社会人のスポーツチームに入っているのだが「このチーム上手い奴いないから」と発言(皆をバカにしてるというか・・・)
・正解のない理論(活躍しそうな選手が誰とかトレードがどうとか)をしている時に「それは絶対ない」「本当にそう思ってるの?ちゃんとわかってない」とこちらの意見を否定
・家に初めて来てもらった時「生活感が半端ない」と発言(要はおしゃれじゃないとかいう意味?部屋はちゃんと片付いてた。ちなみに彼は寮暮らし)
・家でご飯を用意したとき全く手伝うそぶりがない(亭主関白タイプかと思っていたけど、普通他人の家に初めて来たら多少気遣うかと・・・)
かと思うと「私の仕事、そんなに難しくないから」と謙遜した時に「そんなことないでしょう」と言ってきたり、ちょっとしたプレゼント(旅行土産のお菓子やキーホルダー)を買ってくれたりと優しい。
どうなのかな、これ。
どちらにせよこういう言動をする男子はやめた方がいいかなと思った。
※ちなみに彼は24歳。
ここで細かいプロフィールを書いても釣りっぽさが増すだけだけだが。
私は東大卒なんだよ(学部卒、就活に失敗した負け組)。で、中2の娘がいる。めっちゃかわいい。くそかわいいぞ。うらやましいだろ。反抗期だけどな。
さて、この前、娘に「なんで勉強するのか」と問われて、答えに窮してしまった。
院進しなかったから「学問そのものの価値」について説明する資格もないし、そんなもん分からない。
就活に失敗して自殺未遂までした身だから、「勉強すれば良いトコに就職してお金持ちになれる」と言うこともできない(余談だが、自殺未遂のときに救急車を呼んでくれた人がいまの妻)。
かろうじて「勉強すれば、くだらない嘘に騙されなくなる。水素水とか、EM菌とか、怪しい新興宗教とか」と言うと、「水素水の何が嘘なの」と返された。「健康に効果があるって言ってるけど嘘だよ」「健康に効果があるって具体的にどういうことを言ってるかちゃんと調べたことある?それに、嘘だってパパがちゃんと立証したの?論文かなにか読んだの?」と言われてしまった。「みんなが嘘って言ってるから嘘って思ってるだけじゃないの?そんなの水素水を信じてる人と変わんないよ」「いまちゃんと調べて反論しようか」「そういう話じゃない。パパが勉強して得たものは、知識や自分の頭で考える能力じゃなくて、信頼のおける情報元とそうでない情報元を識別する能力だけなんじゃないの?学問って権威に服従することなの?」
言ってから気付いたが、オウム真理教の幹部に高学歴が多かったのはあまりにも有名な話であって、「怪しい新興宗教に騙されない」って例示はあかんかったなぁ。
そりゃあ、私にも、東大を受験するために毎日勉強していた時期もある。毎日毎日英単語帳を捲り、世界史の教科書を隅から隅まで読み、文系なのに手が痛くなるほど計算していた。でも、「勉強していた自分」が遠い遠い過去になってしまったいま、なぜ子どもは勉強するのか、なぜ私は勉強していたのか本当に分からなくなってしまった。
追記1:娘に読まれてもバレない程度にはフェイクを入れている(妻に読まれたらおそらくバレる)。ただ会話や内容の本質は損なっていないはずだ。
追記2:結構伸びてて嬉しい。娘の頭が良いというコメントがいくつかあるけれど、少なくとも勉強に関しては、数学が異常にできるのを除いて、これといって優秀なわけではないよ。最低限のことはやっているみたいだけど、そもそも勉強が全く好きではないっぽい。「勉強しないと社会で普通に生きていくことができないから勉強するのだとしても、ではなぜ社会は私たちに勉強を要求するのか」あたりが質問の真意だったと思う。
つーか今気づいたけど、娘も私も「勉強」と「学問」という言葉をほとんど区別せずに使ってた。これが問題だったのかもしれない。
追記3:娘は、私が答えに窮しているのを察するや否やさっさと消えてしまったので娘の本当の気持ちは分からない。私の推測でしかないが、「一応東大卒の父親」を試したんだろう。娘よ、期待に応えられなくてごめん。
自分が東大を目指して勉強したきっかけを考えてみると、何かやりたいことがあったとかではなくて、「周囲の人間に尊敬されたい」「親を喜ばせたい」「モテたい」あたりの気持ちしかなかったと思う。もちろん勉強自体きらいではなかったし、だから続いたのは確かだけどね。
追記4:親が言うのも変だが娘は多分文化系のリア充グループに所属している。先生に怒られるような問題をおこしたことが皆無で、成績も中の上、似たような同級生たちと楽しく生活している中学2年生の女の子に、「将来の選択肢が増える」とか言っても実感が湧かないのかもしれない。娘は教員に怒られるようなことはしないけれど、内心では先生や学校を酷く軽蔑しているようで、「中学のシステムはぜんぶクソ、教員は馬鹿ばかり、数学の教員が数学を分かっていない」などとよく言っている(娘はいつも先生のことを教員と呼ぶけれどこれも中二病かな)。勉強を強制されているという感覚がある一方で、(勉強が好きではないけれども)学問に対する憧れはあるのかもしれない。というのはこの前、娘の部屋で中島義道「哲学の教科書」を見つけたから。自分の利益不利益からもっと勉強しておけばよかったなんて思ったことはないけれど、娘に適切な助言をできないのは本当にかなしい。大学に入ってからも誠実に勉強しておけばよかったと心から思う。
追記5:当たり前だが追記にもフェイクを入れてある。
映画ってさ、やっぱり不朽の名作とかあって、見たらオモシロいんだけど、逆に有力駄作みたいなやつもある。
単に湿気った駄作なら人の口に上らないんだけど、あまりにも有名な駄作は一周回って教養になっちゃうんだよね。
そうすると、映画評とか見てるときに有名駄作の名前が挙がって芯から理解できないことがある。
人生は有限だから、駄作なんて見ておく必要はないんだけど、そうなっちゃうと引き合いに出される駄作のことを見てないと本来楽しみたいことを十分に楽しめない。
特に大きく振りかぶって全力で投げられたビッグバジェットクソ映画が教養になりやすい。
と言うわけで今から見るのを悩んでいるのが「REX 恐竜物語」と「アンドロメディア」の二つ。
今度の連休に黒沢作品の「乱」とどちらかを見ようかと思っているんだけど・・・
ううん。
他に見といた方がいい駄作ってある?
とても面白く、アメトーーク!の中でも所謂“当たり回”に入ると思う。
先に説明をさせてもらうと、芸能人の中でも芸人はファンとの距離が近い方に入ると思う。
それなりに名前の知られた芸人でも、ライブで出待ちをするのはそう難しいことではないし、
送ったファンレターの返事が届いた、出待ちやツイッターのリプライを繰り返すうちに名前を覚えてもらった…なんて話は珍しくない。
随分昔のことだけど、主に舞台で活躍していた某芸人(以下A)のツイッターは痛いことで有名だった。
Aがエゴサーチをしていることはあまりにも有名だったものの、実害はない(そのあまりの痛さにAの相方が辟易していたらしいことを除けば)のでお笑いファンも特に気にしてはいなかった。
ただある日、Aは弾けた。
俺の思う主義主張をツイッターで掲げ、飛んでくるリプライに反論。
次にAのツイートについて引き気味の感想を呟いた人たちに、Aは軒並み絡み始めた。
そして最終的には、名前を伏せていた(見ればだれか分かるが検索にはかからないように配慮されていた)ツイートにまで絡み始めた。
ツイッターを使用したことのある人であれば理解できると思うが、非公式RTはツイートの加工ができてしまうので
一部のツイートは本来のツイートとは違った意味合いで、Aのタイムラインに流れてしまった。
Aをフォローしているファン全員が非公式RTされた人のホームまで見に行くとは思えない。
未だその人のことをろくでもないファンだと思ったままの人もいるだろう。
それから私のタイムラインでは、誰もAの名前を挙げてツイートすることはなくなった。
あの人が、とか、いつもの、のような、明らかに濁した表現が多くなった。
ツイート数を大幅に減らし、当たり障りのないことをつぶやくばかりになった人もいた。
鍵垢にしたり、そのままいなくなってしまう人もいた。
“名前を呼んではいけないあの人”“恐怖政治”という単語が思い浮かんだことを覚えている。
今となっては遠い昔の話で、Aはツイッターをやめてしまったし、Aの名前を普通に出してツイートする人も増えてきた。
Aが未だにエゴサを続けているのかは分からないが、個人的には性格上まだ見ているのではないか?と思ってしまっている。
とはいえ絡まなくなった今となっては、もうどちらでもいいのだけれど。
古参のAファンは未だに鍵垢や名前を呟かない人が多いのが、なんとなく事件が尾を引いていることを感じさせる。
久々にこんなことを思い出してブログを書いてみた。
私はあれ以降エゴサを公言する人たちは嫌いだし、Aのことも好きにはなれないままだ。
Aがいつか当時の痛さをネタとして昇華してくれて、エゴサーチ芸人に名を連ねてくれるのを待ちわびるばかりだ。
どうでもいい追記をすると
一度だけウーマン村本氏の炎上がタイムラインで話題になったことがあったけれども
同僚が研究室に小保方さんの本を持ってきたので、昼休みに流し読みした。つまるところ小保方さんは、研究そのものではなく、研究している自分が好きな人間だったのだと、妙に納得がいった。
そうゆう類いの人は 実は結構居る。学部四年、教わったばかりのエタ沈を嬉々として連呼していた同級生や、 修論で一丁前に能弁を垂れる後輩、 ラボ生活もベテランとなり後輩に対して ペダンチックになる同期など。しかしそうゆう人間は、基本的にはアカデミアには残らない。ポスドクを何年もやるまで自分がそうゆう人間であることに気付かなかった例はあまりにも有名だが (http://biomedcircus.com/research_02_13.html)、若くして見出されてしまい、気付くチャンスすらないまま世に出てしまった小保方さんの方が悲惨であり、少しばかり同情の気持ちが涌いた。
しかし一方で、STAP論文の発表会見の時の発言―うろ覚えだが、実験がうまくいかず夜通し泣いたというような内容―には、強い違和感があった。そんなことは生命科学の研究者にとって常であり、わざわざ世にアピールすることか、と。今更ながら、小保方晴子という女性理系研究者の強かさがよく現れた発言だったと思う。
学生時代にTop journalを出しても ポスドク先では良い結果が出ない、というのはよく聞く。うだつの上がらないポスドク生活を何年も続けていて、論文が出ずに苦しんでいる同業者もたくさん見てきた。研究は、概して困難を伴う時間がおおい。面白い研究テーマを見つけ、ポジティブデータを出し続け、仮説を証明する。仮説に裏切られることもよくあることで、実験に実験を重ね、時に才能や運と対峙しながら、ようやく一つの小さな真実に辿り着く。 研究している自分が好きなだけの人間には、コスパが悪すぎて到底耐えられない、楽しめないだろう。だからそうゆう人間は遅かれ早かれアカデミアを去って行くのだ。
小保方さんと言えば、してもいない実験のグラフを勝手にプロットしたり、顕微鏡写真を他所から拝借したりと、良識から逸脱していることを次々とやってのけた。だいたい、博士号の集大成と言える博士論文や、ましてNatureへの投稿論文ともなれば、実験の生データ画像・数値や、そのデータを取った日の出来事やその瞬間など、よりよく覚えているものだ。論文の推敲段階では目が腐るほどそのデータを見ることになるので、顕微鏡写真など細胞の配置具合まで自然と記憶に残る。足りない点を自分で描き足したり他所のデータを使い回したりしたことを、ケアレスミスでしたと言うにはとてもじゃないが説明が浅短だ。そしてこの言い訳こそ、データや実験には全く愛着がないことを証明している。
小保方さんが愛していたのはSTAP細胞ではなく、STAP細胞はありまぁすと言った彼女自身だ。そうゆう人間は決して珍しくはなくて、しかし大抵どこかの段階でしれっとフェードアウトしたり潔くコンサルにでも転職して経済的に大逆転したりするが、小保方さんはそのチャンスに出会わぬまま、まだ研究者としてはずいぶん若いうちに引っ張りだされてしまった。 寧ろ、派手な捏造をしたからこそ引っ張りだされたのだとすれば、 科学者を辞める契機を作ったのは彼女自身であり、必然であったと言えるのかもしれないが。
意味:
日本でもそうだが、普通のマッサージ屋なのか性感マッサージ屋なのか解らない店があり、
友人の話を聞いて来て見たが良いが、違ったらどうしようという時にハッピー・エンディングがあるか聞けば良い。
あるようであれば、マッサージの最後にフェラをしてイかせてくれる。(場所によってはセックスさせてくれる)
ただし、この単語はあまりにも有名になった為、普通の店で使うと「何だコイツ」みたいな目で見られるよ!
例文:
Is there a Happy Ending for this massage?
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1444173718/31
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
連休なので、過去のツイート編集を投稿して、3以上のブクマが付くかチャレンジ。
(今日は既に3つ投稿して、2勝1敗。『CMに見る日本人の女児嗜好の強さ』はメガヒットだな。)
今回は、一応自信作なんだが。
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お客さんとの契約書類とか、社内の決裁・伺、はては「個人交通費の建替払」のような書類ですら、記載漏れや添付書類不足を起こすような人。
いわゆる経理部とか総務部とかの人間からしたら、「なんでこんなカンタンな書類一枚も、作れないのか?」な低レベルだったりする。
でも、そういう人が「営業スキル」はピカイチで、契約を取ってきたりするから不思議だ。
『書類作成能力がある人』と『ない人』では、たぶん人間の種類が違っているんだろう。
★役所というのは『書類作成スキルがマトモな人』ばかりが集まっている場所。
役所の人間は、世の中に『書類作成能力が欠如している市民が、少なからず存在している』という事実を、全く想像すらしていない。
役所担当者は、『99%の市民は、書類作成スキルを持っているだろう』な前提で、各種行政を組み立てる。
マトモに対行政の書類を作れない市民が割といるということを、行政は意識せずに、行政サービスの手続きに書類作成を組み込んでしまう
★皮肉なことに「行政による弱者向けサービス」ほど、不正受給対策のために書類が煩瑣になる。
で、弱者向けサービスを必要としている層ほど、書類作成スキルが低い。
★世の中には「行政書士」という職業があるが、行政書士も相手にしないレベルのカンタンな書類、例えば「児童手当の申請手続き書類」なんかですら、
マトモに書けない市民なんてのもいたりする。
★「なにが言いたいか?」と言えば、
1.行政は市民とくに弱者市民の『書類作成スキルの低さ』を正しく計測把握すべきである
2.行政は可能な限りにおいて、要求書類数を減らすように行政サービス手続きを設計すべきである
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「行政書士はなんでも対処するが、むしろ行政書士の存在そのものが弱者に認知されてない。」とのRTを受けた。
★だから、弱者福祉って、「役所に来てください」「書類書いてください」な待ちの姿勢の行政じゃなく、
「何かありませんか?」とこちらから出向いていく「攻めの福祉行政」に転換すべきなんだろうな
★例えば「民生委員」とか「ケアマネージャー」とか、弱者のための各種スタッフ制度は、
「必要としている弱者」が「どれだけ彼らの存在を認知している」のか、疑問。
冗談抜きで、世帯年収200万円未満の人に「民生委員って、知ってますか?」と聞き取りアンケートすべき
★実際、ウチの妻なんか、
「民生委員って、そんな職業(?)があるんだ、知らなかった」と言ってるもんな。
一般人でも、実は民生委員制度の存在知らない人が3~4割いそうな気がする。
義務教育の過程で、『生活保護の仕組み』『民生委員の役割』『行政書士について』など、
『弱者に転落した際の、生存ライフハック教育』をすべきじゃないかと思う。
★生活保護なんかだと、一説には「行政は極力、制度を使わせないようにブロックしている」と揶揄されているが、
「行政が用意した弱者向け制度が、アピール不足等で全く弱者に周知されてなく」て、
「行政が利用率向上に躍起」という弱者向け制度は、実は結構多い。
行政が用意した弱者向け制度の利用率が低迷していると、ぶっちゃけ、「次年度以降、予算打ち切り」になっちゃうから、
役所側もメンツにかけて利用率向上のために啓発にいそしむんだよな。
なんか倒錯した話。
★で、有識者会議なんかが
「なぜ、●●という弱者救済制度の利用率は低いのか?」と雁首揃えて議論するんだが、
「手続きがややこしくて、申請を挫折する」みたいなプリミティブなハードルが高いということに、有識者は気づいてない
いちいち教育するより「共産党に聞きなさい」「公明党に聞きなさい」と教えた方が一発だったりする
共産党や公明党の地方議員は、その意味では下手な行政書士よりは機能している訳だ。
民主党がダメダメなのはこの辺だろうな。弱者が困った際の相談窓口の機能を、まるで果たしていない。
★変な話だが、共産党と公明党(の地方議員)同士で、『弱者救済競争』になって切磋琢磨してるんだな。
もし公明党が出現せず、弱者救済が『共産党の独占状態』だったら、共産党も胡坐をかいてしまって、弱者救済がおざなりになってただろうな。
『競争が好結果を生みだした』訳で、そう考えると、『創共協定』で両者を和解させようとした松本清張は、
『競争原理を、わかっていなかった』ということになるのか。
生活保護制度以外の支援政策って、自分も含めたほとんどの人は認知していないんじゃないかな?
人によっては、生活保護よりも最適な支援政策がある筈だったりするが、それが弱者にアプローチしていない。
「生活保護の一強状態」は、いろんな意味で日本の福祉行政を不幸にしている。
生活保護制度は、あまりにも有名になりすぎたが故に、給付を意図的に抑制するなどのイレギュラーな運用を強いられる。
「知名度がないから利用率が低い」
⇒「利用率が低いのは問題だとして打ち切られ、新しい制度が出来る」
⇒「新しい制度だから、なお一層知名度が低くなってしまい利用率が低下・・・」のデフレスパイラルに陥っている気がする。
本気で「弱者への福祉制度の効果的周知メソッド」を研究すべきなんじゃないか?
★この辺の構図は、「(本来は知の弱者のための施設である)図書館の活用法を、肝心の知の弱者が知らない」な話に似ている。
自分は「景品で弱者を釣る禁じ手を使ってでも、知の弱者の図書館利用率を上げろ」と考えてるが、「知名度低い弱者支援政策」も、景品で釣るべし
これは詰まる所、アイドルがウンコするとか、処女じゃないとかっていうのと同じな気がしてならない。
愛する彼女がイスラム教だったら別れますというような物にも近いかも知れない。
そう考えたら誰かが好きでも宗教上の理由とかタブーを犯してたら嫌いになるって人は
そもそもその誰かの事を好きじゃなかったんだと思われる。
彼女が今まで自ら学会員である事を発表する事に抵抗があったのは、
創価タレントというのが極めて下劣な存在だという見方が根強いためでもあり、
これまで築き上げてきたイメージが損なわれる危険性も孕んでいるからだろう。
井上真央の場合、そのような状況が酷く苦しいものだったに違いない。
それを察した実母が週刊新潮の取材にあくまで身内の第三者として答えるという
訳の分からない事態になってしまったのは、井上真央のイメージ低下を恐れたためだろうし、
記事にも書かれている広告塔としての選挙や大河でヒロインを射止めた事の相乗効果を期待してのものだろうと予想される。
但し、今度の発表は井上真央にとってはいい迷惑だったのではないかと考える。
そもそもこれまで本人が発表しなかったのは、件のイメージ低下を危惧してのことだったし
それなのに実母が、勝手に週刊誌にタレ込んだのは心外だったのではないだろうか。
筆者の家族で彼女の熱心なファンがいたが、この報告を見て彼女のファンである事を辞めると言った。
友達の友達がアルカイダと言った元大臣に嫌悪感を抱いたのと同じである。
創価学会というのはステータスにはならず、寧ろ現在ではネット上における嫌悪対象の一つとしてはあまりにも有名である。
そのような中でのこの報告はかなり負のイメージに捉えられる可能性がある。
現に同じく学会員の松山ケンイチ主演の大河ドラマ「平清盛」では脚本や演出の昏さのせいもあるが、かなりの低評価だった。
筆者も正直キッズウォーの時代から彼女のファンであったが、創価学会については嫌悪感甚だしい。
筆者のようなライトユーザー(最初に書いた事を前提とすればファンですらなかった可能性もあるが)ですらそうなのだから、ヘビーなファンが多い井上真央信者は今度の件が原因で遠ざかるのではないか。
そう思えてならないし、悲しい話である。
あのキリスト教のカトリック系ですらも仏教ですらもヒンズーは・・・元々だけどイスラム教は・・・その最たるものだけど
基本的に18歳未満の少女をレイプしたり無理やり結婚したり子供産ませたりを宗教的拘束によって為されているのは純然たる事実で
昔ニュージーランドのある孤島では14歳までの少女が父親かそれ以上の世代の男性たちにレイプされて孕まされるというのが慣習的に行われていた、
という歴史的事実があった。これはその社会での宗教観念であった。
しかし、後にイギリス人の女性警官によって暴かれたという事件。
近年ではローマ教皇だったベネディクト16世による司祭のロリコン事件のもみ消しがあまりにも有名。
宗教に属する年端もいかない女の子が何で教祖に身を捧げるのか(家庭の事情や環境もあるだろうが中世ではないはずなので)不思議でならない。
教祖もまた本来彼らの信じる正しい道に彼女たちを導いてやらなくてはならないのに、
宗教的にはセックスを神との交わりだとか断じている宗教者も多い。
それなのに実際事件になり問題になり、という事が割と日常的に発生しているのを見ると、
宗教者のくせに少女性愛、ないし少女趣味な性質を持つ人間が多すぎる。
これは言わずもがな、宗教者は元来ロリコンにしか成り立たない職業なのではないか?
と最近はこう思うようになっている。
斉の宰相妟子(妟嬰。春秋史上最高の名宰相妟管子の片方)に「コイツの理屈は王侯貴族にしか通じない」と称される程、
それなのに弟子の顔回があまりにも有名でその師匠曰くという所に魯の孔子が出て来るだけで、
加えてこの孔子と言う人物は中国曰く聖人君子の代表格とされるが、
呉の季札同様さして何かを成し遂げたでもないのにやたら持ち上げられる。
伝え聞いた所では……という塩梅で多少誇張された表現がこの孔子の周囲には多い。
更に孔子は当時仕官を断った妟子に対して、後に大した事がない奴だと扱き下ろしてる。
このように自分で何かを成し遂げていない上に傲慢な人間にも拘らずやたら名声だけが付いて回っている人物が
三国時代に目を向けると、劉備玄徳や関羽雲長、諸葛亮孔明が「三国志演義」の影響から史実以上に聖人君子の扱いを受けており
これまた中国では尊ばれている。
逆に孫子の兵法書を編纂し、中国大陸の三分の二を掌握して漢王朝を永らえさせた曹操孟徳に対しては近年こそ
再評価されつつあるが、それまでは悪逆非道の代名詞とまで貶されていたのだ。
そう考えると中国では創作や民話伝承の類が信じられやすい、言い換えれば単純な人間が多いために、このような誤解が
筆者が大好きな猛将魏延などの忠臣は演義のせいで墓まで荒らされて現在は鉄道が作られている始末である。
このように、中国は史実に全く目を向けず自分たちにとって都合の良い虚構にばかり信奉しているのだ。
そう思えてならない。
貴方は瀬名さんですか?www