はてなキーワード: Rtとは
インターネット鬼退治しようとしていたら過去に童貞を差別・侮辱する過去の発言を重ねていたことから普通に叩かれているはあちゅうさんですが、ものごとを良く理解できていないようで、よくわからない反省(外から見ると後悔と区別がつかない)をしてしまっています。なんか可哀想になってきたので物事を簡単に整理しました。
はあちゅう曰:
その自称する「童貞っぽさ」に関して、私が言及するのもNG、童貞を自虐として言わせている社会も、童貞の自虐を受け入れる私も悪い、というのが今の流れだと認識しています。
傷つけてしまった方に深くお詫びするとともに
今後は個々人が持つ言葉のニュアンスの違いに気を付けて発言するよう、
https://note.mu/ha_chu/n/n9f000c7bb226?creator_urlname=ha_chu
この人は「傷つく人がいるからダメ」だと思ってるようですが、本件の本質は「特定の集団に対する差別表現であった」ことだけです。
「傷つき易い人もいるのね、ごめんね★」という認識をもっている彼女は、どうやったら自分が「差別的な表現をした」と気付けるのでしょうか?たぶん、彼女が知っている「頻繁に差別の対象となっている集団」への置き換え例をたくさん考えてみるのが一番簡単ですね!やってみましょう。
童貞が「html...エッチtmlってなんかエロいですね」と言った時、私は、童貞というのは救う方法のない病気なのだと悟った。すごいね...ほんとにすごいね。
童貞を、ブスに置き換えて読んでみましょう。生理前の女とかでもOKです。
黒人に置き換えて読んでみましょう。
童貞の人って、女子に相手にされないのを基本として生きているから「あのレベルより二次元のほうがいいもんね」とか言って普通の女子を好きにならないのだけど、逆にスーパー美人が優しくしてくれると「俺に女神降臨!」っつってコロっと好きになっちゃってでも高根の花だから落とせなくて結果童貞だ。
童貞の飲み物って私統計ではダイエットコーラか午後ティーで、たまにダイエットとかいって黒烏龍茶飲んでるんですよ。シュワシュワと優しい甘味が好きなのだと推察。RT @GAIAnoHIKARU: @ha_chu
黒人に置き換えてみましょう。USっぽいリアリティを出すために、飲み物の名前を「ダイエットコーラか午後ティー」→「ファンタかコーラ」に、「黒烏龍茶」を「ダイエットコーラ」にしてみましょうか。
一般論として、特定の性質から不必要な決めつけをすることは差別です。それは特定の性質を描写することを阻むものではありません。芸術作品で童貞を描写したり、芸術作品に登場する童貞が「ステレオタイプ的な」振る舞いをすること自体は差別表現ではありません。これは、米国の映画に黒人が登場し、例えば黒人が抱える経済的苦悩や音楽的センスという「ステレオタイプ的なイメージ」が描写される「だけ」では差別とされないのと同じことです。社会で広く「差別されている」と認識されている集団に対しても、そうでない集団に対しても集団に対して不必要な決めつけをすることは差別なのです。
はあちゅうさんの過去のツイートは「童貞を描写している」のではなく「童貞に対する決めつけ」を行っており、それゆえ差別的なのです。はあちゅうさん、この理屈がわかったらぜひ、童貞の件で自分を擁護している人のリツイートをしまくるのをやめて、岸さんの件に注力してください。童貞の件の話を続けるかぎり、味方は増えませんよ。
「差別的であった」ことが問題である事に気づけずに「人を傷つけた」という謎の気持ちで解釈してしまうと
被害者叩き(victim blaming)をする人の心理は「悪いことが起きる人には悪いところがあるに違いない」となっているそう。
との発言に見られるように、自分が被害者として叩かれていたという謎の自認を産んでしまうようですね。ちがうよ!加害者として、叩かれているんだよ!
最近twiiterでよく目にする、「〇〇RT以上で××配布」だの「RT&フォローで抽選で〇名様にプレゼント」といった企業のPRの方式が最高に気に食わない。
広告とはコンテンツの利用や視聴に大して利用者が支払うある種の費用の一種であり、広告を目にした時点で企業には利用者に何らかの対価や特典を与えるのが筋であるべき筈だ。
このPRの場合は配布されるデータに対する対価、もしくは抽選に参加する権利への対価として広告を拡散するという形でPRに参加し、対価を支払っている。無論ここまでは企業側にも利用者側にも相互的に利益が発生しているので取引として正当に成立している。
だがRT拡散された広告がタイムラインに流れてきて、それを目にする人間はどうか?流れてきた広告を目にした人間に対して、企業は一切の利益をもたらさず、広告を見せられた人間が一方的に対価を企業に対して支払っていることになる。
これはとても理不尽な話だ。貧弱なデータ配布や、当選確率が限りなく低い抽選に参加したいという自己中心的で強欲な他人に勝手につき合わされて、企業に費用を搾取されているも同然ではないか。
そういった一方的な搾取を回避するには目にした人間も拡散に協力して、参加する権利を得るしかない。だがそれは半分強制的で酷く傲慢な話だし、限りなく薄い目的の為に自分のフォロワーに対して同じ選択を迫ることになる。更に自分がまったく興味がないコンテンツ、物品だった場合はそういった選択肢すら選べない。
このPR方式を考案し、実行している企業。及び余りにも小さな利益を求め群がる参加者を自分は心の底から軽蔑している。遠ざけても問題のない相手なら出来る限り迅速に自分の目の前から見えないようにしてしまう。
彼らは広告や情報という物が、他の形のある物と同じように消費、及び生産されるリソースだということを意識的にあるいは無意識的に考えず、こういった醜く下らない形で発信し続けている。
他にもネット上には下品で粗暴な、もしくは有害な広告が氾濫している。そういった質の低い広告を淘汰する為の自浄作用を働かせ、本当に周知させるべき情報を伝える為の広告が増えて欲しいという投げかけである。
1年間やっていたtwitterを辞めて4ヶ月が経った。これは自分への戒めという意味でも文章に残しておく。
自分は長期休暇にtwitterというものに出会った。暇だったし良い機会なので始めようと思いアカウント作成。初めて1ヶ月、楽しさがわかった。その時、作っていたのはとあるソシャゲのゲーム垢なるものであった。運営のガチャ更新やコンテンツ追加のたびに共感しあえる人達がいてとても楽しかったのだ。自分の推しキャラをお迎えしてフォロワーが祝ってくれた時なんかは特に。とある日に、運営のガチャ更新の絵をコラージュ化してtwitterに投稿したところ2000RTを超えた。ここから地獄が始まる。俗に言う「バズる」ことの快感を知った日から、1日中考えることはtwitterのことばかり。何かやろうと思っても行動の判断基準が「twitterで如何に多数の人にRTしてもらえるかどうか」になった。完全に脳が犯されていた。不特定多数の人々からの承認欲求とtwitterのリアルタイム性にまんまとハマってしまったのだ。そして数ヶ月にわたりそういった「ネタ」を投稿した、フォロワーも増えた。あぁ、RTを貰えるのが楽しい…その反面、懸命に考えたネタが振るわない時は勝手に落ち込んでいた。
そろそろTLが色々な人のツイートで見にくくなってきた。そして次に決行したのが「フォロー整理」、これもまた新たな地獄を呼ぶ。定期的に相互フォローしていたからか、いざやってみるとFF比が1対20という極端な数字になってしまった。このことにより、ただフォロワー人数が多いだけなのに「自分はフォロー数が少ないのにこんなにも多くの人にフォローされてる、凄い!」と思ってしまうようになる。とんだ勘違い馬鹿なのだが。そしてそのような状態でTwitterを続け、時が経つにつれ仲良しの人も大体固定化してきた。いつもファボをくれたり空リプで会話したりしている人達だ。いつでも「あの人はいつもファボしてくれる、自分もしなきゃ」という強迫観念と「絡むために相手が浮上してる時間に浮上しなきゃ」という義務感でがんじ絡めにされるようになる。またTLが更新しないと落ち着かないところまで精神が腐敗していた。botでも無いのに、酷い時は1ヶ月に5000ツイートを超えていた。ツイ廃と化していた。そんな状態で性懲りも無く続け、最後にはフォロワー同士の不仲という壁にぶち当たって行き場を失くした。いつもリプを送りあっているあの人達は見せかけの関係性を築いているんだ。そう思うと気持ち悪かった。わざわざ裏垢まで作っていて愚痴るとは抜かりないようで。
ちょうど一年が立つという頃にアカウントを削除した。サブ垢メイン垢含めて。
最初はとても空虚だった、twitterに費やしすぎて時間の使い方を忘れていたのだ。しかし今は断言出来る。Twitterを辞めて正解だったと。ここから別に成功譚に繋がる訳では無い。恋人ができた訳でもないし、仕事能率が上がった訳でもない。しかし普通の生活には戻ることができた。とても精神的に安定した生活が遅れるようになったと思う。
・フォロワーの数字は「あなたが凄い」ということを示す指標にはならない。
・ふぁぼ・RTなんて画面に対するタダのプッシュ動作、貴方の呟きに共感したなんて誰も言ってない。
ここまでこんな駄文を読んでいただいた方は自分と同程度、もしくはそれ以上の悩みを抱えているでしょう。悩んでる暇があればアカウント削除、これがモットーです。早く締め付けられた心を、解放しましょう。あなたのそのTLを見ている時間、何か他の有意義な事に使えると思いますよ。
あのマンガ書いた人さ、かの有名な「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」を書いた人なんだよな。
続編を有料で出して、批判がたくさんあったことを『自分が人気になったんだ』と勘違いした、所謂痛い女枠の奴。
頭のいい人悪い人、シリーズ化してまた書いてたけど、結局バズっててたくさんいいねとRTがついていた。
・あの時にあんなにたくさん批判した人たちが、「ばなな」の付け加えられた絵を見て喜んでネタにしている。
・「また漫画にしてるよ痛いなこいつ」と言いながらきっちりRTして奴の自尊心を満たす手助けをしている。
行動原理が分からない。痛くて相手にしたくないならRTしなければいいのに。
世間知らずの都会ツイッターインテリがRTしてるみたいだが、中小零細や農家の車を今すぐAT車に更新する補助金を出してくれるんですかね。軽トラや農業トラクターはAT車への更新はぼちぼちされてますけど、各種トラック・社用車はボロボロのMT車を使い続けるしかないんですね。限定解除すらも自前でできない、MT乗れない使い者にならない人をダサいと馬鹿にする風潮くらい一体何の問題があるんですか。AT車更新への金を出そうとしない都会在住ツイ廃の自称インテリにとってMT免許は趣味に見えるのでしょうね。下の階級を見ようとしない、闘争に発展する想像することもできない、こういう無自覚に地方の中小零細企業や農家を見下すクズが日本社会を分断しているのだなあ。
旧帝大の情報系の研究室を可もなく不可もない業績で出て、今年の4月からまあまあ大手のIT企業で働いている。
来年あたりから採用面接で学生と話すことになるかもしれないんだけど、表題の件についてインターネットの人達に聞いてみたい。
研究室でも、あるいはTwitterでも優秀(ここでは、たとえばトップカンファレンスにほぼ毎年論文を採択される程度の能力を指す)で口が悪い人はそれなりにいる気がする。そういう人ともし面接で話すことになったら、どう評価すればいいんだろうか。技術的に色々知っていて、日夜最新のトレンドに追いつくどころか更に先を行くために勉強/開発/研究に取り組んでいるが、自分がよくないと思ったものに対して「それゴミでしょ」などとバッサリ否定するような人を。
たとえば研究室にいる優秀な後輩は(その人が認めている)優秀な人とは普通に会話しているが、自分のような冴えない人間には冷淡で、Twitterで「研究室で〜〜する奴がいる、クソ」とその日あったことを書き込んでいる(指摘自体は正しいので業界の人からは共感のふぁぼやRTを貰っている)。業界内の知り合いに対しても、論文や何かの発言が気に入らなければ「こいつ何言ってんの?」と公言し、ツイートする(指摘自体は正しい、以下略)。それでも、業界内の極めて優秀な人からは能力が買われているので、あちこちからオファーがあったらしいし来年からは超エリートコースに進む。
今のところ、会社でよく接触する範囲ではこのような人間はいない。違う部署にはいるかもしれないが十分に観察していない。
個人的には、正直言って隣の席にはあまりいて欲しくない。コミュニケーションを取るたびに「そんなん使っているの? ありえないんだけど」とか人格ごと否定されるとQOLに大きく影響するからだ。ただ、優秀な人であれば多分話していて楽しいんだろう。
会社としてはこのようなエンジニアを採用した方が総合的な技術力は上がる気がする。潜在的な炎上リスクを抱え込むかもしれないけど。
「会社の風土による」「先輩に聞け」「優秀なら合わなきゃさっさと内定辞退なり転職なりするだろうし、とりあえず採用しておけ」などと言われるのは目に見えているが、まずはインターネットの人達が一般的にこういう人達をどう評価しているか(自分なら採用したいと思うか)聞いてみたく投稿しました。
よろしくお願いします。
追記:20180124
多くのコメント頂きありがとうございます。ちょっと昔に書いて忘れていたので、気がついたらホッテントリ入りしていてかなりびっくりしました。
「口が悪い」=「遠慮せずにコメントする」という解釈をしている方が何人かいたのですが、今回の定義からは少し外れています。
今回の増田では、「口が悪い」=「同じ内容でも言葉のチョイスが悪い」を指しています。
たとえば、「〜〜するやつはクソ」という後輩のコメントも「〜〜はしない方がいいと思う」ならまだ受け止められました。
「そんなん使っているの? ありえないんだけど」も「それ使うなら、これ使った方がいいんじゃない?」と人格否定をされなければ、ごく普通のまっとうなコメントだったと思います。
職業が編集者,ライターで「オタクカルチャーのご意見番」ポジだったはずが,ソノケンの同人誌名の由来や家業を知らなかったという.ヌルいを通り越して使えねえバカの一言.「なんか思想的なアレでもあるのかと思っちゃう」って,もう周りがネトウヨにしか見えない病気だろ.
Twitterで賛否両論な意見を攻撃的に発言したツイートがRTされて来ることがある。
今思ったらTwitterの仕様上、「攻撃的」なツイートはやり得なのだ。
そういった賛否両論のツイートの中身を見ると最初は「確かに!」「わかる!」みたいになってそれをちょっとツイート主がリプライしたやりとりみたいになる。
その後は広まったお陰で「ちょっと違うんじゃないか?」「おかしくないか?」というツイートが入る。そこにツイート主のリプはない。
何故こうなるのかというと、RTはあくまでもリツイートであり「Good/Bad」じゃないというのがある。
広まり方はまずは賛同ありきである。賛同できないツイートでもRTがなかったりしたら別にどうにも思わないけど、3000ぐらいRTされてたらちょっと文句を言いたくなる。
その方法もRTしてその後のツイートで「これちょっと違うよね」みたいな話になる。そして、炎上芸人の炎上ツイートが爆RTされるように晒し上げによってもRT数は上がっていく。
RT+言及という方法。これはかなりやらされている。そもそも、そのツイートに文句をリプライすればいいのだ。但し、3000RTもいってるツイートだとすでに誰かが文句を言ってる。そしてツイート主はリプしてないことで言っても無駄な状態になる。そこでとるのが自分のフォロワーに「これ違うよね」とツイートして賛同をもらうことになる。なのでRT+言及をしてしまう。
結果的に、なんでRTされているのかがわからない人が見れば、数字の大きいRT+最初の方の同意でコロッとツイート主サイドになりがちである。
ジェンダーフリーとかフェミニストとかtwitterで主張してくる奴って、なんでああも自分の嫌なツイートをわざわざ自分から探して晒し上げるのだろう。
https://twitter.com/gorosukeho_ho_/status/934040644317614080
2つ目のリプで晒し上げられている「主張が意味不明」っていうのも、これだけわざわざ抜き出して晒すようなことする?きたねえなって思ったら案の定そういう方だった。
https://twitter.com/sculmuse/status/934342863617368064
このリプがその通りだと思うけど、結局自分の嫌いなものと起きた出来事を結び付けて主語大きく主張してるだけじゃんって思う。
自称17の男の言い分が正しいとは思わんが、twitterなんていうコミュニケーションツールに書いている以上どんな誹謗中傷が来てもおかしくないと思うし
そのあたりのニュースもメディアで散々された上でやってんだろって思うわ。
この手の話を見るたびに思うのが、傷つきましたくらい誰でも言えるしネットじゃ色んな人に構ってもらえるんだろうけど構われ方も多種多様だということにそろそろ気が付いてほしい。
話はずれたけど。
難癖つけてる割には自分から探してきて晒し上げてるパターンがよく見受けられて、結局嫌なもの叩きたいだけじゃねえかって感じるよ。
ああ、これはバズってたから誰かがRTしてTLに流れてきたものを見ただけなので、自分から探すようなことはしていません。悪しからず。
この間Twitterをやめた。かれこれ4年くらいはやっていたがやめることにした。
(とは言えTwitterでしか連絡が取れない人もいるかもしれないので、アカウント自体は残してある)
Tweetもふぁぼも全部消した。
自分の日常やらニュースの感想やらを書くにはちょうど良かったし、旬の話題をキャッチするのにも具合が良かった。
普段会えない知人がどうしてるのかわかるのも便利だった。
しかし、次第に疲れて来た。いわゆる「SNS疲れ」なんだろうか?
それほど親しくもないけどフォローを切ったりミュートするのも憚られる程度の微妙な知人が増え、彼ら彼女らのどうでも良い日常が流れてくるのに飽きて来た。
エキセントリックな政治的主張や、不快な、あるいは少し調べればわかる程度のフェイクニュースや美談がRTで流れて来るのにもうんざりして来た。
だんだんとフォローを減らしていったけど、結局耐えられなくなってやめることにした。
遡ればInstagramもやめてしまった。出先で見たちょっと面白いものや風景をポストするのは楽しかったし、検索して同じ趣味の人の写真を見るのも面白かった。
でもこれも疲れてしまった。別にキラキラしたポストをし続けるのに義務感を感じたわけではなくて、やはりどうでもいい情報の流れを処理し続けることに疲れたんだと思う。
Facebookも早めに離脱した。知り合いじゃありませんか?を押し付けて来るのも気持ち悪かったし、そうして繋がった人たちの美しく漂白された日常を見せられるのにも飽きた。2ちゃんねるが便所の落書きなら、Facebookはピカピカに磨かれたトイレだ。清潔で悪臭もしない、空虚な空間で空虚な日常を排泄するトイレ。
TVも全く見なくなって一年以上が経つ。何年もニュースくらいしか見ないくらい視聴時間は減っていたのだけど、完全にゼロになってしまった。これも不快な情報、興味の無い情報を流し込まれて来るのを処理するのに疲れたんだと思う。
Tumblrもやめた。ネットで見かけた興味深い話や、きれいな写真をクリッピングしておくのは楽しかったが、面倒になってきた。
では今は何をしているかと言うと、好きなゲームのMastodonに入っている。気が向いた時だけ同じ趣味の人と話すのは気が楽だし、お互いにプライベートはほとんど口にしないし、興味も持たない。
あとは本を読んでいる。青空文庫で古い小説を読むのに凝っている。
さて、ここまで長々と書いてきたのは、最後に増田もやめようと思ったからだ。色々とこじらせてる人たちが議論してるのを見物するのも面白かったが、同じ話題がループしてて食傷気味になってきた。妙な選民意識も鼻につくしね。