はてなキーワード: 製造業とは
アマプラで無料の『世界を変えたテレビゲーム戦争』を観てたら、
No way. We are engineers. We don't know anything about manufacturing.
(とんでもない。僕たちはエンジニアであって、製造業のことなんて何も知らないんだから)
というセリフが出ててきた。
これは、アタリ設立前のノーラン・ブッシュネルが、『Pong』の成功を受けて仲間のエンジニアに
「(Pong を大量生産するため)製造業に乗り出そうよ」と提案したのにたいする返事なんだけど、
「頭脳労働であるエンジニアリングと、手作業としての製造業をハッキリ区別してるんだ」と思ってハッとした。
というのも、日本だとエンジニアは作業服を着て仕事してるイメージがあったから(特に60~80年代は)。
作業服は無意識レベルで「あなたは油汚れや工作機械の操作が想定される現場にいますよ」
というメッセージを伝達するから、そういう価値観・世界観なんですよね?きっと。
一方、英語のマニュファクチャーの「マニュ」は「手の」に由来するから、
雇用主の「手先」となって肉体労働をする工場労働者と(現代日本では社畜と言い換えて差し支えない)
机上で設計作業を行うエンジニアを区別したくなるのかもしれない。無意識的に…
【追記】
余談だけど、リドスコの映画『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』では、
やりたい事が明確にある場合は話は別だけど、増田はそうじゃなくて、ステップアップしたいんだよね?そう言う仮定で話す。違ったらすまん。違うと言ってくれ。
「業界」(IT業界、建設業界、食品小売業とか)であって「職種」(営業、経理とか)ではないので注意してくれ。
未来があるところとは、 IT業界など伸びている業種以外にも、建設業界など安定している所も含む。
一方で、あくまでも未来で考える。今後破壊的なイノベーションに晒されそうなところは今は良くても考えない。例えば、薬剤師や銀行営業などは、今はエリートに位置していても、間違い無く破壊的イノベーションに晒されるので、増田が若ければ若いほど駄目。
その業界にいる増田が俺なんぞよりよく分かっているだろうから、その知識で。そして未来があると判別する基準は、自分が求めるもので考えて良い。例えば介護業界とかだと人によって意見が分かれるが、自分の求める水準で考えること。
例えば、建設業界の下っ端兵隊である、と言うのならば、どういうスキルを持っていれば大手ゼネコンなどに入れるかを考える。管理系の資格を取るとか、究極的には技術士を目指すとかある。
大手ゼネコンではなく、下っ端をまず脱出したいというのならば、重機の資格を取ってみるとか、自分なりにスキルマップを描いてみる。
例えば、建設業の例だと、経理系の資格を取って見積などをやる部門にいくとか、IT系の資格をとって、現場が分かるIT担当のポジを目指すとか、そう言うのでも良い。
注意点としては、転職を前提に考える必要があるのか?と言う事を冷静に見ること。業界に未来があり、会社にも未来があると思うのならば、異動を目指すことも選択肢として排除しないこと。
何故なら、転職はやっぱり大変だから。しなくて済むならしない方が良い。特に地方だと、勢いよく転職しようとしても、そもそも会社がないという場合がある。
もちろん、業界に未来はあるが、会社に未来がないなら転職が第一選択になる。
なんでもやっている大企業以外なら、まず転職が必須になるのでまずは覚悟を決める。
例えば、ガソリンスタンドのスタッフ、とかなら、資格を活かして業界的には伸びしろがあるホームセンター業界のスタッフにする。同じ小売店の店員というスタイルで業界を変える。
あるいは、パチンコ屋の経理スタッフ、とかなら、IT業界の経理スタッフを、レストランの調理員ならば、食品製造業を目指してみる、といったこと。
そして、そうやってターゲットを決めたら、それに対することを考える。
例えば、IT業界なら、既存の経験に加えて、ITパスポートとか、基本情報とか、そう言う資格を取る。資格のような形で示すことが難しい場合もあるが、それでも業界研究をちゃんとやる事で面接対策や、どのようなアピールをすることができるかがわかるし、何より転職後の待遇の伸びが違ってくる。
後は、利用する情報やエージェント、サイトにも注意。増田の状況や目的に合ったところを選ぶ。これを間違えると結構しんどい。
例えば第二新卒がまだ通用するならポテンシャル採用になるし、30歳を超えて第二新卒とも言えなくなってきている場合は実務能力が問われる。さらに増田は対応しないと思うが、管理職経験があるとか、定年退職後とかでも違ってくる。
また、リストラに遭ってすぐに就職しなければならない人向けの就職活動方法と、仕事を持っているがステップアップを目指している人向けの就職活動方法も異なる。
さらに、現職が専門性が高い領域なら、その専門系に強いエージェントにコンタクトすることも重要。その領域がニッチであればあるほどそれが大事。
一度、学校に戻るのも手。具体的なスキルが得られる専門学校など。公共の職業訓練校などに入るのも選択肢。各種の給付金も利用できる。
ただ、この場合は「手に職がつく」状態にはなるが、ステップアップになるかはちゃんと考えること。例えば自動車整備士とか、介護士とかは未来を感じるかどうかとかは人次第。
工学系なら工学修士を目指すとか、文系ならMBAとか、そう言うゴリゴリの方面も。ただし大変なのは覚悟しておくこと。
ただし、こちらの方面のメリットは、そう言う勉強をして在学しています、と言う事が転職のアピールになる場合がある。極論、「放送大学の情報コースでITを勉強しています」とか「心理学を勉強しています」とかは、最近のリスキリングブームで結構ポイントが高いらしい。
今は夜勤の帰り。就職氷河期世代のエントリが話題だったのでリーマンショック世代が思いの丈をぶつけようかなと思って書いた。
当時はお祈りメールなんて言葉が生まれ自虐する同世代が多く、大学を出ても非正規雇用どころかバイトすら採用枠を取り合い奪い合う状況だった。
私の世代ではエントリーシートなんていうものが出来てしまい社会へ対し"エントリー"しなきゃいけなかった。
円高政策で製造業が海外移転してしまい、地元の高卒の後輩は更に厳しい田舎の就職状況で3年間も無職だった。
人材派遣会社ですら選考によって採用するか否かを決めていて、リーマンショック世代は派遣にすらならない人が多数居て品格なんて言葉に出来る状況じゃなかったんだ。
はてなではよく就職氷河期世代の事が話題になる。透明化されていて社会から捨てられていると。
でも就職氷河期世代は私たちリーマンショック世代と同じ気持ちが分かるはずなのに、自分たちよりも更に悪い就職状況だったことを想像できるのに私たちを透明化してしまう。
TVでもネットでも当時の苦境として取り上げられるのは就職氷河期世代でリーマンショック世代はほとんど取り上げられることがない。
声をあげないほうが悪い?まだまだ自分たちよりも若いから大丈夫?高卒の後輩も大学へ進まなかったのが悪い?当時の政府や国は悪くなく採用を絞った企業が悪い?
自己責任論かな?
半ば脅しにと捉えられてしまうかも知れないけれど、就職氷河期世代の老後は私たちが、あなた達よりも若い世代が握っている、
私の言い方に腹が立つかも知れないけど敢えて言う。一緒に協力して就職氷河期世代も含めて働き世代、子育て世代、次世代の若者たちが苦境に立たされないよう政府や国、社会や企業に声を上げていこうよ。
>今の日本はEVのラインが少ないから、日本が拙速にEV化に進むと生産能力の急激な低下と雇用喪失に陥るぞ、って言ってんの
違うよね。たとえば以下で、豊田氏は「エンジンを今否定されてしまうと、100万人の雇用が失われてしまう」と言ってる。「今の日本はEVのラインが少ないから」とも「生産能力の急激な低下」とも言ってない。それはあんたが付け加えただけ。単に、エンジンという技術要素に紐づく製造ラインが、それだけの雇用を維持しているんだ、ということを言っているだけ。
豊田会長は「エンジンを今否定されてしまうと100万人の雇用が失われてしまう。550万人中の100万人です」と語る。エンジン、つまり内燃機関を活かす道を模索し、その中で自社にあった水素エンジン技術に巡り会ったのだろう。
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1326323.html
自動車生産に関わる自動車メーカーやティア1〜ティア3の下請け企業から、エンジン関連の製造に関わる100万人がいらなくなる(本当はもっといらなくなるけどね)。米上院では、自動車部品産業の代表者が「このまま脱炭素政策を進めれば3分の1の人々が職を失う」と主張したけど、これも同じ話。そして、EV独自の要素技術であるバッテリとe-axleの製造には、明らかに100万人は必要ない。それはつまり、EVという技術実装のあり方が、内燃車よりも非労働集約的で高効率なことを示しているわけ。
あなたが言ってることは「EVのラインを着実に増やして、慎重にEV化を進めれば、雇用が喪失しない」という風にも読み替えられるけど、実際はそういうことは起こらない。世の中の自動車が全部EVになったら、自動車産業の雇用はすげえ減る。既存技術よりも少ない労働量で、既存技術よりも安く作れるようになるのがEVだから。つまりEVはディスラプティブ・イノベーションの一種。グリーンだの環境だのSDGsだのは、当面は政府助成金という形で市場拡大を撹乱する要因になってるけど、そのうち関係なくなる。e-axleが量産化で安くなり、バッテリがLFPやNa-ionで安くなる。EVは店頭価格でも内燃車より安くなる。そんでみんなEVを買うようになる。おしまい。
あと、「いまEVを導入したら内燃系企業の労働者が職を失うから反対」というのは「いまDTPを導入したら写植オペレーターが職を失うから反対」とか「写植が導入されたら文選工・植字工が食を失うから反対」みたいな話なんだよね。「職を失う」のは事実としてそうなんだけど、だからといって、これから海外で売れなくなる(人気がなくなるという意味ではなく、そもそも法的規制で逆インセンティブが課されたり販売自体ができなくなる)内燃車を作り続けてても意味はないわけ。ますます先がないんだから。
それにね、職を失っても、実は労働者は大して困らないのよ。どうせこれから日本は恒常的な働き手不足に陥るし。そもそも自動車産業が盛んなエリアって、もとから労働移動が激しい。リスキリングなんて言葉ができる前から動的な労働資源配分が達成されてた業界。EVでいらなくなった雇用は、人手不足に悩むどこかの企業がちゃんと拾う。困るのは内燃という衰退技術に紐づいた製造業企業のオーナーや経営者だけ。ゾンビ企業の撤退を促すことに快哉を叫ぶ人達は、そのうち内燃車というゾンビ技術の淘汰を求めるようになる。あと2〜3年でそういう流れが起きるだろう。
そういう時代の皮切りになるのがBYDだ。バス会社には続々導入が進み、乗用車分野では7/1に第1号ディーラー店ができる。ちなみにBYD国内発売車のボディはすべて、いまやBYDの100%子会社になったTATEBAYASHI MOULDING(旧オギハラ館林工場)が手掛けている。EV化に順応できている下請け企業は、こういう風に生き残っていく。そうでない企業は、どうなるだろうか。大阪技研の例が思い出されるね。
その生地を適当な大きさに切り分け、オーブンで焼くと、パンができる。
これを一晩寝かせる。
生地を練るのも機械だし、生地を分割するのも機械、生地を焼くのも機械が自動的にやってくれる。
人間が行うことは、異なる機械の間をつないだり、機械の世話をしたりすることである。
つまり、機械よりも生地のほうが大きいので、生地があふれてしまう。
それを押し込むのが私の仕事であった。
なぜ機械を買い替えないのか。
なぜ私は賽の河原で石積みをするような、こんな不毛な仕事をしなければならないのか。
私は悩んだ。
そして、あることに気が付いた。
そう、金がないのだ。
こんなことをしていては、生産性の向上など夢のまた夢だ。
政府は財政政策で生産性を向上させようとしているが、まったくの見当はずれである。
考えてみれば、日本経済は30年以上不況が続いているのだから、
ゆえに、この工場と同じような状況が日本中の工場で起きているはずである。
日本中の製造業の生産ラインをいっぺんに新しいものに取り換える。
そのために、政府は金を集めねばならない。
海外の投資家と日本の企業をマッチングするような窓口を用意し、
投資をあっせんするなど、政府主導で製造業の復活を進めねばならない。
製造業は経済の基本であるから、これを活性化させることが急務である。
経済を動かしているのは金ではない。
それでは何も分からないのだ。
与えられた仕事はまじめにやるが、よりよい仕事をしようという向上心がない。
仕事の効率を上げたり、商品の品質を上げれば、売り上げが上がり、給料も上がる。
そのために絶えず工夫を続ける。
だが、いまの日本人はすべてを諦めている。
自分の労働環境は自分で作るのだ、という意識を持たねばならない。
1991年1月の中旬だったかな、ニュースでバブルはじけたって騒いでた気がする。
どうでもいいような土地に価値が有るように見せかけて担保にして、
バブル崩壊とは、1991年から1993年頃にかけて起きた株価や地価(土地の値段)の急落のことです。歴史(近現代)の教科書にも載るほどの大きな現象で、長い不況の入り口になりました。バブル崩壊は、投資家や不動産のオーナーだけでなく、企業経営者から会社員にまで広く影響を与えました。バブル崩壊に至るまでの歴史を振り返ります。
バブル崩壊の「バブル」とは泡のこと。泡のような急速な好景気と一瞬ではじけ飛ぶ様子を「バブル景気」と呼びます。日本がバブル景気に入るのは、1980年代後半のことです。
1985年9月、アメリカの貿易赤字を改正するために、先進国5カ国での「プラザ合意」がされました。合意内容は、アメリカの製造業を守る円高ドル安の路線。これを受けて市場は急激な円高になり、それまで順調だった日本経済は、不況に陥りました。
そこで、日本政府は公共事業拡大と低金利政策を実行することになり、結果としては企業・個人にお金が余る状況を作り出します。余ったお金は株式投資や不動産投資に回され、株価は急激に上昇し、土地の価格も高騰しました。いわゆるバブル景気の状態と言えます。
バブル景気は長く続くことはなく崩壊しました。直接的な原因は、1989年の金融政策転換と1990年の総量規制の実施です。
株価を引き下げる要因になったのは、金融政策の転換です。1989年5月以降、公定歩合が段階的に引き上げられた結果、1989年末に3万8,915円だった日経平均株価は、わずか1年後の1990年末には、2万3,848円にまで下落してしまいました。
不動産価格を下落させたのは、地価の高騰を抑えるために政府が行った総量規制です。銀行の不動産融資を実質的に制限する政策でした。総量規制が実施されると、まもなく地価は下がりそれとともに、バブル景気は終焉を迎えました。
総量規制が出されていたのは、1990年から1991年までの1年3カ月間のみです。しかし、この政策は、政府・大蔵省が予想していた以上の結果を招きました。それが「土地神話」の崩壊と90年代後半以降のデフレ経済です。まさに「失われた20年」の原因となった政策でした。