はてなキーワード: 散骨とは
死の定義もだけど、どうなるって"何が"なんだよ? オマエの意識の話か? オマエ以外の現実世界か? オマエの身体か?
検索すりゃ全部出てっけど、テキトーな疑問だからテキトーな知識で書くと心停止にしても脳死にしても時間差があるだけで脳の活動が止まった時点でオマエの意識は消えていく。
つまり何も考えられなくなる。だから無になるってのはある意味で正しい。
それからオマエの身体は腐り始める。オマエ以外の世界がそれにどう関わるかはオマエがどういう人生を歩んできたか、そして直前にどういう行動をしていたかに大きく依存する。
一般的に葬儀の際には業者が防腐処理をするので火葬前に腐臭がするような事はないが、死体は硬くなっていき体内の汚物が自然と流れ出てきたりもするようだ。
この辺りはよく知らんが『おくりびと』とかって映画とかでも見りゃいんじゃねーの?
それから焼き場だな。この時点で意識がある事はまずないから気にしなくていいが、高温で一気に焼き上げるから肉は残らずなくなる。残るのは骨だけだ。
あとは骨壺に入れて遺族に渡され、墓に埋めたり散骨したりロッカー式に押し込んで終わり。
遺族がいなきゃなんか宗教カンケーがテキトーに処理するんだろ、ってので少し調べてみたが、引き取り手がいないと市町村が火葬して担当の寺ってのが決まっててまとめて埋められるみたいだな。
http://life-epilogue.jp/funeral/2138
オマエに金があるとこの辺りでまぁ揉める。何式で葬儀するかとかどこに埋めるかとかぶっちゃけオマエの残した金メの物を誰が受け取るかって話だな。
これはどんなに親戚の仲が良くても必ず揉める。金がなければないで誰が葬儀費用を持つかで揉める。借金なんかあったらマジで大迷惑。情もクソもねぇからw だってオマエ死んでるし。
それから――、
まぁオマエがどうなるかってよりオマエの焼け残った骨がどうなるかの話になるが、何十年とかって単位で少しづつ風化してくみたいな感じらしい。
要は粉だな、粉。骨の粉末になって細かくなってくんだろう。微生物とかでさ。そんでよく知らんけど水分とか吸ったり蒸発したりとか繰り返したらそれも減っていくんじゃね? 土壌に流れたりとかしそうってんで、墓を作ると近所が反対するのはこの辺の話らしいな。
で、まぁそうなる頃にはオマエの事を憶えてる奴も歳を取っていくし、普通の日常をこなさないといけねーからだんだん忘れていく。墓参りとかないと数年で「そういや居たな」って感じだ。
100年で骨がなくなるかどうかは知らねーけどまず大抵の奴は死ぬから、そうなると誰もオマエの事は憶えてないし知りもしない。子孫が居ればそういう人がいたって教わるかもしれないが、会った事もないジーさんバーさんとか興味ないだろ?
だから歴史に残るくらいの偉業をしてない限り、その辺で存在してたって事実も無に近くなる。
別にオマエが無価値だとかそういう話に持っていきたいんじゃなくて、そもそもが価値とか意味なんて生きてる間だけの話なんで元々ないんだよな。
虚しいとか怖いとかすら思わない(ハズだ)から、逆に生きてる間は死んだ後の事って考える意味がないんだよ。
俺が今考えたのはこのくらいだけど、満足したか?
再婚同士。
私的には、夫の信仰は尊重するけど、和して同ぜず。そんな感じ。夫もそれで良いと云っていた。……直前まで。
話は遡るけれど、義母の本葬のとき夫の息子(成人済み。私とは血縁も縁組もない)に、「正宗ですか?」って聞かれた。
普通、成人済みで家も出て行った息子が、父親の再婚相手(の実家)の宗教なんか、いちいち確認しないと思う……。正直ドン引きだったけど、葬儀の忙しさで正直すぐにそんなことはすっかり忘れてた。
それを思い出したのが、姑一周忌の直前。数十分前。
なので、
「お義母さんの形見分けとか、お義姉さん(夫の姉。僧侶の妻)からいろいろお手紙が来てたみたいだけど、私は信徒ではないから、お数珠とかは宗教的なものは受け取れないし、生前の縁も薄かったから、何もいただく気はないよ」
って話した。ついでに、
「私は信徒じゃないし、入信する気もない。お弔いだから参列するし、お経も一緒にあげるけど、信徒さんかって誰かに聞かれたら否定するよ。それは解ってね」
とも話した。
そうしたら夫が、
「ご受戒だけ受けて、戒名は貰ってないって今回は誤魔化す。戒名ないとうちのお墓に入れないから」
とか云う。
ねえ、それおかしくない?
何で宗教とかで、嘘つかなきゃいけないのよ?
別に妻が信徒じゃなくったっていいから、入籍したんじゃないの?
入籍して5年。ずっとそう思われてきたってことか?
なんかもうとにかく許せない。
もし今土下座で許しを請われても。頭蓋骨粉砕して【いとしきみこと】するまで、踵落としするレベル。
姉が僧侶の妻だからって、自分の再婚相手の宗教まで日蓮正宗にしなきゃなんねーのかよ。冗談じゃねーよ。
結婚前にお互い尊重するって約束したのは嘘かこの野郎。騙してやがったのか糞野郎。
だいたい、嘘で受戒だの戒名だのって、本当の信仰心を持って日蓮正宗の信徒やってる方に対し、すっごく失礼だろ。
何の落ち度もない真面目な信徒さん(夫にしてみりゃお仲間さんだ)に対して、私が無礼な振る舞いをすることになると、何故気づかないんだよ!
一人の信徒が(しかも僧侶の身内とか、信心の持ちようがかなりディープな人間)、非信徒に対しそれをやるってことは、日蓮正宗全体として、嘘OKってことと受け取るぞこのド腐れ野郎。例え方便ってやつでもな!
離婚を考える程ではないんだけど、信頼感がマイナスになってしまった。
この1か月、言葉にも態度にも出さないようにしてるけど、本当に辛い。
仏壇ブチ壊したくなる。
母親がもうすぐ70になるんだよね。まだまだ元気で年に数回のペースで友人と旅行に行くぐらい健脚なんだけどそろそろ考えておかないといけないのが母親の墓のこと。
父が亡くなってからもう30年近くたつけど、現在、母は公営住宅に一人暮らししている。
なお私は、独身かつ一人っ子で、結婚の予定もなければ、職業柄引っ越しが多いので定住もできそうにない。
先日、久しぶりに会って、母の墓をどうするかと軽く雑談したんだよね。
「(母方の)実家の墓には入りたくない。あそこの坊さん同級生だったけど大嫌いだし。桜が好きだから桜の名所に散骨してよ」とのこと。
父と父方の実家にはかなり悩まされたので、そちらの墓に入ることはそもそも選択肢にすらない模様。
母は創価学会の信者で、関連で永代供養してくれる合同納骨堂?があるみたいなのでそちらにお願いする方向かなとうっすら考えていたのだけど
骨の粉末化は、厚手のビニール袋に入れてトンカチで叩いて粉にすればいいだけだよ。
これができないというのなら、それはやる気だけの問題。
砂浜で撒くだけなら自分でただでできる。
散骨するにしても金はかかるんだぜ
身近で気軽に海に散骨してって言ってるのが居るけど
まず遺骨を粉末化しなきゃならんし(自分でできるか?)
http://anond.hatelabo.jp/20160331150720
お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話
人によっては非常に役立つ、と言う話の一方で、批判もあるこの記事。
人の生き死にについては宗教観が付いてくるのでそれをどうこう言うつもりはないけれど、ブコメには「すごいけど、できそうにない」という声が多いみたい。
そこで、おじさんを2人看取ることになった田舎の貧乏農家の長男の俺がどうやって費用を抑えたか書こうと思う。
具体的に書かないと意味が無いので具体的に書く。表ブログの読者の方は誰だかわかるかもしれないけど、できたら黙っていてくれるとうれしい。
親父は8人兄弟で、そのうち3人は田舎にいるが、残りは都会に出て行った。
そのうち1人は早々になくなり、もう一人は癌で死亡、その時点で存命は6人、1人のおじさんは生涯独身を貫き、もう1人のおじさんは子どももいないままに早いうちに奥さんを亡くして、独り身だった。
俺の親父は次男だったが長男が都会に出てしまったので跡継ぎである。ただ長男が継ぐつもりだったので結婚が遅く、自分の歳の割には高齢だ。さらに俺はその長男なので、跡継ぎである。と言うことで、小さい頃から「親戚が困ったら、本家のうちが助けてやるんだぞ」と言われて育った。
育ったが、本家と言っても、昔なら山を守ってそこから得られる富で支える事ができたのだろうが、今となってはただのワーキングプアの貧乏農家であって、お金がない。
それで、あまり会葬者がいない葬儀を出費としては38万円ちょっとで上げた話をする。これには振る舞いや精進落としを含み、真夏でエアコンのない我が家で特に必要になったドライアイス代等も含まれるので、そこを省くとたぶん20万円ぐらいでできる。香典を入れると、収支はプラマイゼロでできた。
上の叔父の時は、叔父から突然「病院からどうしても親類の人に一緒に来てくれと言われた。申し訳ないが、来てくれないか」というのが始まりだった。が、すでに70を超えた親だけをいかせるわけにはいかず、同行、距離にして400キロほど運転して駆けつけると、記憶にあるよりずいぶんとやせた叔父がおり、医師の話を聞くと、やはり癌だった。ステージIII。
叔父はだいたい想像が付いていたようで気丈に振る舞っていたが、こちらは正直、当時22歳だった俺は何のことだかわからない状態だった。
叔父の「今まで1人で暮らしてきたんだから大丈夫」という言葉があったが、ほっとけるわけもなく、とりあえず手術をすることに。手術は後、病理検査が出たのだが、家族だけ医師に呼ばれ話を聞きに行くと、医師曰く、非常に悪性が高く、見えるところは取り切ったはずだが、砂のような癌ですぐに戻ってくる可能性が高いという。本人は癌と闘う気があるので、抗がん剤をやるが聞きづらい可能性もあると言うこと。
みてやりたいという意思はあったが、抗がん剤は周りの支えがカギ、と言うことは一番上の叔母が癌になったことがあったので知っていた。
支える事は、400キロも離れていると難しい。叔父の現在の在所に住み込むような金ははっきり言ってない。畜産はやってないにしても仕事はあまりほっとけるわけではない。
持病を持っていた叔父は保険にも加入できてなかった。蓄えはあったが、まとまった金と言うほとではなかった。
幸いにして発覚したのが農閑期ではあったのだが…そこで親父と医師と相談し、ありのままを告知して、その上で、最後は田舎に帰ってこないか、と言う話をした。
このような形で、叔父は人生のほとんどを過ごしてきた街ではなく、子ども時代を過ごしたとはいえ、あまり縁のある人のいない田舎でなくなった。そのため、会葬者などはおそらく家関係の義理しかかないだろうと想定された。
人生の最後で引っ越しをしてもらうなど蓄えもほとんど使ってしまっており、実は叔父からは通帳一式預かったのだが、ほとんどお金はなかった。
そこで、親と相談して、お世話になっている菩提寺に相談をした。
結果
合計37.5万円。
実際には告知することもなく小さくやったので、あまり人が来ないと思っていたら、叔父と幼い頃一緒だった同窓生などが、どこから知ったのか来てくれたりもした。また、葬儀場が当たり前になっていて、お寺で葬儀を行うことがなくなっていた(お寺はそもそもそんなに大きくないので)のだが、やはり雰囲気が非常に良く、お金がないなりにそれなりにできたと思う。
組合の方々は香典を持ってきてくれたし、また叔父叔母もお金を出してくれたので、当家の出費はほとんど無かった…と言うか、実は少しだがプラスになってしまった。
それはこの後の法事に回す事にした
実は病院で死亡宣告を受けた後、最初に相談したのは葬儀社ではなくお寺だった。地元では葬儀社を手配しても、葬儀社からまずお寺のスケジュールを抑えてくれと依頼されるので、先に葬儀社ではなくお寺に連絡をすることが常識だと言われていた。
今まで全部親がやっていたので、自分がかけるのは初めてだった。このときは借金をする覚悟を決めていて値切るつもりはなかったのだが、そのときに率直に「今からお金を借りに行ってくるが、今日は日曜日なんで」と言う話をしたら、お寺の方からアドバイスをいただいて、こういう形になった。
「最近はお困りの方が非常に多い。実は珍しい話ではない。家族葬という形で小規模にやると後で悔いが残ることや大変なことも多い。なにより、現世との区切りが上手くできない。
これは、仏様にとっても大変だが、後になって自宅にお線香を上げに来る方が絶えず来て困るという事になってしまうので、現世に残された者のためにもこういう形を勧めている」という事だった。
これは、ほぼ同じやり方を下の叔父の時にもやったし、そう言うつもりで注意をしていると、あちこちのお寺でこういう小規模な葬儀をやっている事に気づいた。
余所の土地でもできるかどうかはわからないが、宗教家というのは基本的には(あるいは、建前的には、と言ってもいいかもしれないが)困っている人をほっといたりしないので、相談するべきだと思う。
下の叔父は突然死だった。突然病院のコーディネータという人から電話があって、外出先で倒れて運ばれたが死んだと言う。
叔父も300キロぐらい離れた別の所にいる。が、なさけないこと最初に頭をよぎったのは、300キロも搬送したらどれだけ金がかかるのか、と言うことだった。調べたら下手をすると数十万単位でお金がかかるという。当然だがそんな金はない。
とりあえず親を公共交通機関で送り出しつつ、考えた。
実は元増田と同じようにレンタカーを考えたのだが、レンタカー屋になんとなく効いたところ「そのような用途は断っている」とのこと。他にもあるかと聞いたら「まず遺体の搬送を許しているレンタカーは無いでしょう」と言うことだった。曰く、遺体を直接禁止しているものではなくても、輸送に特別な規制があり許可が必要なものは断るという規定になっている場合がほとんどではないかと。
きっと元増田のように選択肢が多い都会ならばもう少しなんとかなったかもしれないけれど、やむを得ない。ただ、レンタカー屋の担当の方は「ただし、知らない場合にはお断りはしません」と暗に黙認してくれるようなフォローをしてくれてはいたのだが。
そこで、どうしたかというと、自前のトラックで迎えに行った。普段農作業に使っているものだ。まず、お寺に連絡をした後、先にお棺を出してもらって、それを荷台に載せ、動かないように詰め物で色々と詰め込んで、緑色のカバーを掛けて、トラックで迎えに行った。おじさん、すいません。
後から相談したところ、最後の手段として、赤帽的な小規模運送業者を手配するという方法もあると言うことだった。組織としてはリスクがあるので断ることがあるが、個人事業主が多いので、受けてくれる業者もあるらしい。ただその場合でも、荷主が診断書をもって同乗するというイレギュラーな対応になる。
故に頼み込むと専門業者の場合は数十万円かかるのが常識の距離でも、数万円で受けてくれることもあるらしい。ただこの場合は必ず心付けを渡すことを忘れないほうがいいと思う。人間として。
ただ、御布施については、前回余ったという事、それからこちらの叔父は病気療養でお金を使っていたわけでもなく多少はあると思われたので(確かめる時間はなかったが)、多めに出すことにした。
ただし、このとき、叔父が長年暮らしていた家の周辺の人々に何も通知していなかったことが失敗だった。
最終的に叔父の家に片付けに行ったとき、近所の方に声をかけていただき、話をしたら、叔父はきちんと近所づきあいなどもしていたようだった。また、引退して気楽な一人暮らしだ、と言っていたのだが、実は在籍していた会社からちょくちょくアルバイト仕事を受けていたらしく、そちらの方もあった。
その後、暮らしていた街で親しくしていた方や、近所の方、元の会社の部下の方などが遠い距離を墓参りに来てくれたりもした。葬式というのは、故人や親戚のためだけにやるものではなく、むしろ周りの人間と現世と区切りをつけるためにやるものだ、と言うことを実感した。
今回は利用しなかったが、自治体には大抵簡易な葬式のやり方を規格化して、「規格葬儀」あるいは「自治体葬儀」という形で定型化し、安価なパッケージにしてあることがある。それを利用すると言う手がある。
この場合、自治体に相談すれば基本的に利用できる。それが利用できる葬儀社の一覧があるので、そこで申し込みをする。どういった場合でも広く利用でき、規格化されているので交渉も必要が無い。檀家になっている寺院が無い場合、ネットでいきなり検索して怪しげな所を選ぶよりは、これの方がいいのではないかと思う。地域性も加味されているし。
ただし多くの場合
地元では遺体搬送が別で28万円。実際には10万円ぐらいでできるさらに簡易なプランもある場合があるらしかった。地元だと、28万のプランは表に出ていたが、10万円のプランについては一般には示していなくて、基本的に生活困窮者のためで葬儀社はほとんどボランティアになる、と言うことだった。
元増田にはエンゼルケア、と言うのが出てくるが、最後が病院で亡くなったため、病院側のターミナルケアに含まれていたので、追加でお金がかかることはなかった。
増田も自分でやったという事なんだけど、介護保険にはターミナルケア加算制度というのがある。これはいわゆる緩和ケアのことではなくて、患者が亡くなった後の遺体のケアと家族のフォロー一式の作業のこと。
おそらく施設の人に任せても施設はターミナルケア加算を受けられることもあって、追加で高額なお金を払うことなくやってくれたのではないだろうか。
これが死亡後に施す特別な化粧のことだったら話は違うけれど。
以上、何かの参考になれば幸いです。
葬式はすごく地域性が強いはずなので、そのまま適用しようとしないでください。普遍的に言えることは、何事もそうだけど立場的に中立的な発言が可能な人に相談すること。
例えば葬儀社に依頼したら、葬儀社の方は立場上、よほどのことが無い限り「うちは高所得者向けの商売だから辞めた方がいい」とか言えないので…。
僧侶や宗教家の人、自治体の担当者や、病院にはコーディネータとか、コミュニケータという患者や患者の家族のフォローを専門にしている人がいるので、そう言う人にお願いするという方法があります。
お寺との関係が肝かな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/aoi-sora
「ポイントは、お寺との関係だと思う。」ここで討ち死にのはてなー多そうだな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/atoh
ご想像の通り、うちではお金がないのはお金がないなりに、お寺様との関係はつないでいるというのはあるとおもいます。総代会には入っていて、負担金は払っているし、施餓鬼など季節によってある行事には必ず参加しているし、何回忌といったものも、和尚様の言われるようにやっています。
これは大変じゃないかと思われるかもしれないけど、まずそれが一つの宗教観だからというのもあります。
ただそれを置いといて言えることは、実はあんまり費用はかかっていません。これは地域ごとの相場があるけれど、施餓鬼料は5000円で、総代会は年間5000円程度。一年で1万点程度。実は毎年必要になるお金はこの程度です。ただし、これは我が家が腐っても本家なので、実際には施餓鬼、総代会の年間負担金は3000円が普通だそうです。これ以外に法事を行う年や、寺院の大規模改装なんかが必要になると色々とありますが…。
ではそれがずいぶん疎遠になっている場合はどうなのか、と言う場合ですが、お寺には過去帳という者があって全部記録があるので疎遠になっていても相談する価値はあるのではないか、と思います。あるいは、うちには菩提寺がない、わからない、と言うケースですが、こういうときはそもそも葬儀などから遠くなっていると思うので、まずは自分だけでやろうとせず誰かに相談した方がいいのではないかな…。ネットでは情報が出てきにくいけど、人は必ず死にますし、逆縁になっていなければ多くの子どもは親を2人見送るから絶対経験談を話してくれる人がいるはずです。
結局寺に負担かけるのな
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/kvx
もうめんどくさいから適当に書くけど、ちゃんと金払わない屑増やすようなことを次々に書くな。寺に負担かけるのは結局他の檀家に負担かけてることに他ならない。http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/dadabreton
これには言い訳のしようがありません。お寺様には大変感謝しています。でも、無い袖は振れないと言うのが正直な所で…。親とかの分はきちんと積み立ててはいるのですが、突発的な事態には借金するぐらいしか手がありませんでした。
そこで手をさしのべてくれたおっさまには本当に感謝しています。ただ、2回目の時は御布施は始めよりはたくさん払っています。相場よりは安いですが…。
葬儀屋が諸悪の根源なんだろうかな。そっちの言い分も聞きた
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hiruhikoando
葬儀社の方がどう動いてくれたかが書いてなかったので追記をします。
葬儀社の方はこんな最小限の動きでも、きちんと葬祭ディレクターの方が付いてくれました。また葬儀当日は、お手伝いとしてお一人女性の方が付いてくれました。また、料理なども葬儀社から依頼しています。
儲からない仕事で申し訳ない、と葬祭屋さんには言いましたが、少なくとも問題は無いと言ってくださいました。まぁ和尚様に紹介してもらったので、断れないというのも、あるとは思うのですが。でも、費用は全部葬儀社に払っているので、赤字ではないのではないかと…。
個人的な感覚では、非常に公共性が高い仕事ですし、最短2日で葬祭道具から返礼品、料理まで全部そろえる態勢にはお金がかかると思うので、それほど暴利とも思ってはいません。
http://anond.hatelabo.jp/20160403011302
主語を自分にだけおいてください。「私はいらない」だけにして「他人も捨てろ」とか言うのはやめましょう。自分がそうだからといって他人も自分と同じだと決めつけるのはやめていただきたいです。多様な価値観があります。
その上で、
死亡→診断書→死体処理→搬送→保管→火葬→散骨
最短距離として、今回私が取れば一番シンプルに済んだのは、病院から連絡があったとき「引き取れません」と断るという方法があります。すると後は行政の無縁仏の処理のラインにそって公金で処理がされるはず。
正直、自分もそう言う選択肢が頭をよぎらなかった、といえば嘘になります。
「最初の記事では行動しない奴らが多くて、日本の寺、仏教(日本人の精神的な拠り所の1つ)を潰せないな。しょうがねー、もっと簡単なのも紹介しておくか」 「日本人の精神を潰すのは楽しいな、生きがいだぜ!」
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hayato1999a
煽りにマジレスするのもなんなのですが、和尚様がこういう安いやり方で葬儀を提案してくださったのは、宗教を壊すとかではなく、全く逆ではないかなと思いますよ…。
私も、葬儀をきっかけに、その後のお寺の集まりのなかで、掃除とか Permalink | 記事への反応(3) | 18:54
平成28年3月14日、特別養護老人ホームに入所していた認知症の叔母さん(父方)が亡くなりました。齢90歳。
叔母さんからみて、兄の子である私がひとりでこの叔母に関する全てを執り行ない、総額42,360円の支出のみで完璧に満足のできる葬儀が出来ました。
本日様々な手続きを含めて全てが終わったので記録として書いておきます。
もしかすると家族葬の費用をかけずに行いたい方には参考となるかも(?)しれません。
隣接した岐阜県に私は現在居住しています(実家には車で高速道を使って約2時間30分の距離)。
老人ホームに居たのは私の父の妹で、結婚はしていましたが旦那は既に他界、子供は居ませんでした。
旦那の両親も兄弟も他界して、その旦那の兄弟には子供が居る模様(不明)。
叔母の兄弟は3人。上から順に姉(他界)、私の父(他界)、叔母。他界した姉さんには女1人と男4人の子供がいます。叔母さんから見て、その5人は私と同じく姪とか甥にあたるわけですが、今も健在。 姪とか甥は全部で6人居てそのうち1人が私というわけです(私が最年少)。
叔母は旦那の他界後に体調を崩して富山県内の老人ホームに入所しましたが、その時に保証人となっていたのが私の父でした。
父の他界後は母が時々面会に行っていましたが、母は高齢で運転免許もないので、私が父の後を引き継ぐ形で叔母の保証人になっていました。
入所後は月に1回くらい母と私で施設に面会に行く程度。従兄弟や友人が面会に来たという話は施設の職員の方に聞いてもほぼ皆無。
そんな叔母さんが「食事を充分に摂れなくなった」と施設から連絡を受けたのが今月の初め。
施設に行くと、「食事が自分で摂れなくなったので"胃ろう"にしますか?それとも"点滴処置"を希望されますか?またはこのまま看取り介護に移行しますか?」と選択を迫られることに。
"胃ろう"なんて造っちゃったらまた数年生存してしまうかもしれません。それで元気になるのであればいいのですけど、既に認知症が悪化していて先はありません。点滴したとしても数週間生存が延びるだけです。施設の順番待ちの方も沢山いますし、これ以上税金が叔母さんに使われるのはかなり躊躇われます。
「看取り介護にしてください」と、迷わず伝えました。この時点で全て自分の責任と判断で進めることにします。
さて、ここで叔母さんの余命はあと2週間程度であろうと推測。そうなると近いうちに葬儀の準備が必要となります。
以前私の父が亡くなったときには普通に葬儀を行いましたので150万円ほどかかりましたが、叔母さんは長く施設に入っていましたし、面会者も私と母以外に全くいませんでしたから家族葬で充分です。なお、叔母さんは認知症でありながらも面会毎に「私が死んでも葬式は要らないからね」といつも言っていたのですけども。
まずはネットで検索してみます。業者を使うと直葬(火葬のみ)で10.8万円とかのプランもありましたが、叔母さんが以前から檀家であるお寺が存在していることを聞いていましたし、せめてそちらのお坊さんにお経だけは読んでもらおうと考えました。
(激安のプランって結局「霊安室別レンタル時間料金」とか、「搬送は10km以内でそれ以上は激割り増し料金」だとか、「エンゼルケアは完全別料金」とかどんどん高額にならざるを得ないシステムなので要注意です)
次にネット検索で棺を購入します。直葬セット6点セット(棺(折りたたみ式)、白布団、仏衣、骨壷6寸、骨箱、顔あて布)というものが送料込み27,600円。早速注文して実家に送ってもらいました。amazonでも18,000円とかで棺が売っていましたが(笑)、実家に大きな棺をそのまま何日も置いておくのも嫌でしたのでそちらの折りたたみ式のものを選択。
その後は私も普通に職場で仕事をしていましたが、「叔母さんが亡くなったら自分が喪主となる予定ですのでその時はすぐに休暇ください!」と職場ではアピールをしておきました。
そして、3月14日17時すぎ、施設から「亡くなられました」と電話がかかってきました。私のスイッチが入ります。
すぐに実家近くのレンタカー屋さんに電話し、ハイエースバンを予約。死亡から24時間は火葬することが出来ないため、その翌日17時ではすでに火葬場は時間外となります。ですので、火葬はさらに次の日になるはずだと判断して48時間借りることにしました。
車で帰宅途中にレンタカー屋さんに直行、実家に帰ったときはすでに21時を廻っていました。
借りたハイエースバンに届いていた棺一式を載せ、母と一緒に老人ホームに向かいます。
ところで、以前父が亡くなったときに家族の前で葬儀屋さんが身体を拭いたり仏衣を着せたりするのを私は見ていたのですが、当時その行為にものすごく違和感を感じていましたので、次に自分が執り行う葬儀の場合は全部自分ひとりでエンゼルケア(死後の処置・湯灌)や納棺を行おうと心に決めていました。
22時頃に施設に到着。職員の方に「私がエンゼルケアをしますので部屋は私一人にしてください!」と宣言し、「葬儀屋さんは呼ばれないのですかっ?!」と職員さんに驚かれつつ、エンゼルケア中は母にも外で待機してもらいます。
叔母さんはずっと食べていなかったので排泄物はほとんどないはず。身体を拭き、準備しておいた紙おむつを履かせました。あとは購入した白装束を着せて手を組み、数珠を持たせます。
お化粧もしてあげました。アイラインを引き、チークを入れてリップも塗ります。
叔母さん、とても可愛くなりました。お化粧なんて施設入所してからしていないもんね。
亡くなってはいますが、ちゃんとお話をしながらお世話出来たことが私にはとても満足でした。
痩せて小さな方なのでなんとかお姫様抱っこで棺に収めます。「終わりました!」施設職員の方々に手伝ってもらい、棺をハイエースバンに載せます。法的には死亡診断書があれば車に載せたままどこに移動してもOK。
荷物は後日取りに行くことを伝えて実家に帰宅。ホントは棺を一時家に入れてあげたいところですが、私一人の力で棺を移動させることは到底無理なので、そのまま毛布を棺に被せてハイエースバンを霊安室の代わりとさせてもらいます(汗)。
寒い時期だからよかったのですが、夏だったらドライアイスの購入が必要ですね。
翌日、朝一で市役所に行って死亡届を提出し、火葬許可証を発行してもらいます。次の日の午前10時に火葬予約が取れました。
早速、叔母さん本人が檀家だというお寺に行って、お坊さんにお経を読んで頂くためのお願いをします。
「叔母さんが昨日亡くなられました。明日10時から火葬します。お骨になったら都合のいい日にこちらのお寺に持ってきますので、その時にお経を読んでいただくことは出来ますか?大変失礼かもしれませんが、お布施の予算は3万円です!」
あらかじめお布施の予算をお坊さんに宣言してしまう私も私だと思いますけども、どこまでやってもらえるのかが全く解りませんし、あとで揉めないためにも仕方がありません。
住職のお坊さん、その唐突なお願いと内容に大変驚き、しばらく唸って考えていましたが、「わかりました。それでは、明日直接火葬場に出向きますので、お葬式としてのお経をそこで読ませて頂きます。お骨になったら、骨壺を持ってもう一度お寺に来てください。」と提案していただきました。
これでお坊さんの手配ができました。本来、枕お経(?)と言って火葬前にお経を読むこともあるようですが、お葬式としてそこで読むのは初めてとのこと。
ここまでで、この日に行う調整は全て終了です。老人ホームに挨拶に行くと、施設長さん(高齢の女性です)が応接室に通してくれました。
昨日からのお話をしたところこれまた大変驚かれ、「私もそうやって家族にやってもらいたいわ!」と感動されました。何でも、今の人達は全部業者(要は他人ってことです)にお金を払ってやってもらうのが普通で、「昔はそういうことは全部家族でやったのよ・・」と全てお金で解決して他人事のように進めてしまう現状を嘆いていらっしゃったのが凄く印象的でした。
帰宅して翌日の葬儀のための喪服を母と準備。ここで叔母さんは亡くなってから2日目ですけども、ハイエースバン霊安室にはあと1晩活躍してもらうことにします(汗)。
翌日、母と一緒に棺を載せたハイエースバンで火葬場に行きます。寒い時期なので、ドライアイスがなくとも車内に全く臭いはしませんでした。
火葬場の玄関に車を横付けし、火葬場の職員さんを見つけて「棺を降ろすのを手伝って頂けますか?」とお願いします。職員さん、承諾はしていただいたものの、何か怪訝な表情。
「葬儀業者の方?」と聞かれて「いいえ。家族です。自分で持ち込みました」と言ったところまた大層驚かれて「経験があるのですか?」「いえ、全くありません。何事も初めてですから教えてください」と答えるとさらに周囲の職員皆驚いている様子(←なぜそこまで毎回毎回皆さん驚くのか未だに全く解っていない私)。
そういうやりとりをしているうちに、お坊さんが15分前に到着。棺の前でお葬式(告別式)としてのお経を読んで頂きました。お経がめちゃ早口です(笑)。内容はわかりませんけど、それなりのお経だったのだと思います。10時ピッタリに読経終了。さすがプロですね。
火葬が終了するのは11時50分とのことだったので、それまでの時間を利用して、棺を降ろして空になったハイエースバンで老人ホームに向かい、残っていた荷物を引き取りに行きました。
お礼やら挨拶をして11時30分に火葬場に戻ると、職員さんが既に玄関先で待っていて「もう終わりましたので収骨に来てください」とのこと。
収骨は別室で行なわれます。通販で購入した6寸の骨壺は全骨収骨にはピッタリの大きさでした。骨箱に壺を収めてお寺に向かいます。
お寺に着くと、そのまま壇上に上げてお経を読んで頂きました。15分くらいでしょうか。檀家ってことで、壺に戒名?を書いて頂き、そのままお骨は預かってもらうことになりました。もしも拒否されたら散骨でもしようかと考えていましたけども。
「これで全部終わりました」とお茶を出されて母と一緒に一安心。(お坊さんが関わったのは車での移動を含めて約1時間程度)
住職に「今までこのような葬式をされたことはありますか?」と聞いてみると、「以前1回だけ、身よりの無い人に対してお経だけというのはしたことがありますが、こういうのは初めてです」とのこと。うん、そうなのですね。よほど珍しいのですね・・、まあいっか。
お約束どおり3万円の入ったお布施の袋を渡し、お礼を言って今度は近くのリサイクルショップに先ほど施設から回収した大量の衣服やキャビネット家具等の荷物を持ち込みます。「全部置いて行きますが、お金要りませんので処分もいいでしょうか?」との条件で交渉成立。
そのまま帰りにレンタカー屋さんに寄ってハイエースバンを返却。母と歩いて実家に帰ります。途中でお昼ご飯。
さて、火葬の手続きで前日に市役所に行ったとき、年金手帳や国民健康保険証等の返却等は除籍謄本が出来る1週間後でないと事務処理は無理だと聞いていましたので、私はここで一旦仕事のために岐阜の自宅に戻ります。
葬儀を執り行った連絡を先の5人の従兄弟に通知します。以下の内容でハガキを送付しました。
……………………………………………………………………………………………
叔母 ○○ ○○儀 かねてから特別養護老人ホームにて療養中でございましたが
ここに謹んでご通知申し上げます
葬儀におきましては 故人の生前の意志により 誠に勝手ながら家族のみにて執り行いました
本来ならば早速申し上げるべき処でございましたが ご通知が遅れましたことを お赦しください
生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げ 失礼ながら 書中をもってお知らせ申しあげます
〒○○ ○○-○○
○○ ○○
喪主 ○○ ○○
……………………………………………………………………………………………
一週間後、休暇をとって実家に戻り、市役所と年金事務所に行きます。この年金の手続きを行うため、あらかじめ私の居住地で自分の住民票(家族全員)、戸籍抄本を取得しておきます(これがないと叔母との関係を証明できない)。
また、生計同一関係に関する申立書(遺族年金・未支給・一時金)※配偶者・子以外が請求するとき っていう書式が必要となります。直系家族ではないので、関係があったということを第3者が証明するためです。理由は「毎月面会して日用品などを援助していました」とかでいいみたい。証明には老人ホームの施設長さんの名前と印が必要だったので、FAXしてあらかじめ返送をお願いしておきました。
市役所で取得するのが叔母の住民票の除票、叔母の除籍謄本、私の父の除籍謄本。返還するのが叔母の後期高齢者医療被保険者証(国民健康保険証)。これを返すと葬儀費用として3万円が支給されますので、棺とレンタカーの領収証を提出します。あとは介護保険の保険証や障害者手帳、印鑑登録証なども返却。自分の預金口座を通知します。
次いで年金事務所に行き、叔母の住民票の除票、叔母の除籍謄本、父の除籍謄本、私の住民票(全員)、私の戸籍抄本と準備しておいた生計同一関係に関する申立書を提出。これだけ揃わないと、叔母との関係を証明できないとのこと(謄本等に祖父母の名前が書いてあることで関係を確認)。ここでも自分の預金口座を通知します。
叔母が亡くなるまでの1ヶ月程度の年金が支給されるのですが、凍結されてしまった叔母の口座では入金できないため、私の預金口座にしないといけないのです。
ちなみに、こんなこともあるだろうと以前叔母の口座はネットから操作できるようにしておいたので、残っていたわずかな預金は凍結前に私の口座に振り替え済みなのでした(笑)。
これで叔母さんの葬儀と様々な手続き全てが終了しました。実際に私が動いたのは亡くなった日の夕方から葬儀終了までの2.5日間の間と、1週間後に市役所等の手続きに使った1日間の計3.5日間のみ。
直葬セット6点セット 27,600円
合計 72,360円、市から葬儀費用30.000円が支給されるので、
葬儀支出総費用は 42,360円 ←後日支払われる日割りの年金支給分で完全に相殺される予定
そして最後に 叔母さんのご冥福を心からお祈りして終了させていただきます。
合掌
昔、強固なまでのアンチエセ科学原理主義者とも言える人と婚約をしていた。
私はそれを否定しなかったが、それでも日々積もる不信感は拭えなかった。
一人おみくじを引かない彼。
ここで、この強固な思想についていくことに限界を感じて別れを決めた。
私も科学者だったことがある。だが、心を病み、それどころでなくなっていた。
エセ科学が人を騙し、お金を吸い上げ、騙された人は何の効果もない「作業」を
することになる。
それを彼は許せなかったようだ。
生活の中で科学的な思考が問われる瞬間など、
実はそれほど多くない。
マイナスイオンドライヤーのうさんくささも、科学的云々の手を離れて
ユーザーからの「効果があるようなないような」という評価に落ちついている。
七五三参りをすること。
これらは、科学を模しているわけではないからエセ科学ではないけど、
科学以外全部撲滅派にとってはこういった「慣習」すら悪になるんだと
あちこちで言いふらして回る。
者をほめる、気に入ることが許されない。
でも、祖母の葬儀にはきちんと参加するという。
「生まれ変わっても君と結婚する」
結局、生まれ変わらなくても私たちは幸せにならなかった。
それでも私は言う。
祈りというものに効果がないことがわかっていても、
http://anond.hatelabo.jp/20100217044201
葬式ってのは、故人と故人と縁のあった人たちの、最後の別れの場だ。葬式出しても、誰一人来るあてがないという場合以外は出すべきだ。何百万とかかかるのは、結局のところ遺族の見栄。遺族が「故人のスタイルはこう」と打ち出せれば問題なし。
墓は落ち着き場所として必要。形見というのは見て思い出すためのアイテムであって、決して故人を偲ぶ場所ではない。じゃあ、散骨じゃまずいかというと、経験上、故人の意志でない限りやめといたほうが無難だろう。なぜなら、風が吹くたびに故人を思い出して涙するのでは、まともな生活が営めないから。月命日に墓に行って泣くくらいでいい。墓参りに行く気も失せるほど、故人と疎遠になのならそれでいい。
坊さんはある日突然呼び出して、長時間読経させるんだから、儲けてもらおうくらいの気持ちで付き合ってちょうどいいと思ってる。
「世間体を整える」というのは、案外重要なことだ。特に死に際しては、故人の最後の行事になる(49日以降は身内しかしないからね)わけだから。遺族のほうで勝手に簡略化出来ない。自分の死に際して、簡略化してもらいたいのなら、遺言でも書いては?
【この間東京で居酒屋に行ったとき、もちろんビールやおつまみをたくさん注文したあとで、友だちがヨーロッパみやげのデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会もかねて いたのだった。
フレンチレストランなどで持込に便宜を図ってくれる(ただし持ち込み料はしっかりとるのだが)店ならいざ知らず、居酒屋にワインの持ち込みができるものだろうかと思ったが、送別会への精一杯のお礼のつもりでワインを出してくれた彼女の気持ちを思うと、どうしても叶えてあげたくなった。
それで、お店の人に店長さんを呼んでくれる?と相談したら、気のいいバイトの女の子が「はい、かしこまりました」と言って奥に引っ込んで行った。
すると、店長というどう考えても年下の若者が出てきたのだが、年齢が上だろうが下だろうが、ルールを曲げてくれとお願いをするのはこちらである。
私たちは「突然で申し訳ありませんが…」と前置きして、ていねいに事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」 そりゃそうだろう、お酒の量販店が幅をきかせる昨今、持込を許そうものなら、つまみだけ注文してお酒は格安で買ってきたもので乾杯という人たちで店があふれかえるのは想像にかたくない。お酒が最大の収入であろう居酒屋はあがったりだ。店の人が大ごとと感じるのもしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出ようとしたが、そのとき店長が続けて言った言葉で立てかけた膝を戻した。
「ですが、私どもではご用意できないワインでもあり、事情もそういうことであれば、グラスをお出ししましょう。お代はいただきません。チェーン店のマニュアルにはない私の一存ですので。
先ほどの気のいいバイトの女の子が店長の指示でビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
それで店長に感謝しつつ盛大に開けてにぎやかに乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。
お客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであったので皆の声が途切れたときに、厨房からバイトの女の子に語りかける店長の声が漏れ聞こえてきた。
「なあ、酒の持ち込みできる店はやっぱり好感度高いかな?」
「そうですねー。でも普通、誰もその店のメニューにあるのと同じお酒持ち込もうとは思わないですよ」
「そうだよな。今のひとたちみたいに、その店になくてしかも特別な意味のあるお酒とかだろうな。だったら、あらかじめ電話をもらってその酒の銘柄を聞いたうえでOkして、持ち込み料もらう…うん、次のブロック会議で提案してみよう」
頭の回る店長である。だが私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を 持っているということがわかるほどの人生経験は積んでいなくてもしかたのない年恰好である。
お会計をして店を出ようとしたとき、店長がこっそりと声をかけてきた。
「チェーン店のルールにはずれたことですので、今回かぎりということで他の方にはご内密にお願いします」
「もちろんです」と答えながら、バッグを探って名刺を出した。
「お心遣い、本当にありがとうございました。また皆で来させていただきます」
彼の頭の中の作家一覧に私の名前も登録されていたのだろう、びっくりした顔でつかえつかえ彼は言った。
「ご本はかねがね読ませていただいています」
どの本を読んだかと聞いてその言葉が本当であるかお世辞であるかを確かめるような無粋なまねはせずに「それは、どうも」とだけ答えて私は店を出た。
ほろ酔いの頬に夜風が涼しかった。】
―こんなのが読みたかったんですがね。
!!実在の人物・出来事とは関係ありません!!
拝啓
平素より格別のお引き立てを賜り誠にありがとうございます。
この度は貴著にありました通り、弊社○○店代表の××より大変失礼な対応があったとお伺いし、また詳細について齟齬もなき事を社内的に確認した上でご迷惑をおかけした事、心よりお詫び申し上げます。
○○店では常日頃よりお客様のお持ちしたお飲み物・お食事の店内での喫食はご遠慮お願い申し上げておりましたが、この度テーブル担当の△△がお客様のご希望について問題ないと申したにも関わらず、弊社○○店代表の××がお客様に対し無礼な態度を取り、尚且つ幣方の事情によりお客様を不愉快にさせるような内輪での話がお客様のお耳に入ったという事実に関して今一度深くお詫びを申し上げたく存じます。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808
私たちはいちおう事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
~中略~
もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。
大変深く参考にさせて頂きました。不快な思いの原因になったにも関わらず、冷静な描写については感謝以外の言葉も出ません。
私どもの対応が不適切だったのは申すまでもございませんが、お客様のご意見を深く理解させて頂いた上でも店内での持ち込み物喫食不可という方針に変わりがない旨、この場をもって確認させて頂ければと存じます。
僭越ながら当方の意見もご理解頂きたく、あえて当方の不手際についてしばし筆をあげたまま以下の文章をしたためる次第です:
おのおのの個人が可能な限り自由に生きるような社会の設計を私も切望してますし、その点についてはお客様・サービス提供者の双方とも、理解を深めた上で「自由」であるべきだと常日頃より感じる次第です。
一部の高級料理店・パブなどにいわゆる「ドレスコード」なるものが存在するように、私どもの店は持ち込み物喫食が不可である旨、確認次第周知させて頂いております。つまり、暗黙的なご了解を頂いております。
もちろんお客様ご自身が持ち込まれたお飲み物などについて「抜栓料」を課す飲食店様についても飲食店としてのあり方について決して否定するものではありません。
多様な飲食店の中より、歳月の審査を経たお店が次代ものれんをかかげているというのは自明の論理かと存じられます。
本件については飲食店の利益確保など様々な理由を想像されますかと思いますが、そのような事は本質にあらず、ご理解頂きたいのは当店の「方針」であるという事です。
その点についてはお客様のような「かなりの人脈をもっている」方たちのご希望を袖にして、「大勢のお客さんを全部失った」というお客様からごらんになれば経済的には不合理な判断からみても本件に関わる金銭的利益一般についての判断ではないとお分かり頂ければと希望する次第です。
テーブル担当の△△はお客様のご期待に添うべく、グラスを提供させて頂いたのですが当方の方針が周知していなかったこと、また事後の説明について○○店の××が礼を失した態度をもってお客様に説明したという事実に関しては改めてお詫び申し上げると共に深く反省させて頂く次第です。
今後、本件のような不愉快かつ無駄なお時間をお客様に提供せぬよう私はもちろん、○○店代表の××・本件のテーブル担当でした△△を含めたすべてのスタッフが一丸となってありうべきサービスについて追求させて頂きます。
今回のように失望される事のないよう、再度お引き立て頂けるよう重ねて用心したくここに記させて頂きます。
このたびは貴重なご意見、本当にありがとうございました。
敬具
株式会社xx 代表 zzzz
著名人の死を目の当たりにして、
今日考えた事を書いてみようと想う。
まず、「死」そのものには尊厳なんて無い。
当たり前の事だが「死ぬ事」と「死」は違う。
ベッドの上で看取られる事も、山で遭難して動物の餌になる事も、
根本的には何も違わない。
精々「生き残った人間の当人に対しての感情」が、違うくらいじゃないかと想う。
どう違うのかを言及できないくらい「生き残った側からみた死」については考えてこなかった。
それが少し悔やまれる所だが、これから死ぬまでに考えればよいか。
病床と言うベッドで死を迎える事は、澁澤翁が何か書いていたな。
勿論未読。僕にとってはまだ読めないものだ。
山で死を迎える事は、当人が望む場合もある。
鳥葬とまでは言わないが、散骨を望む人もいる。
姨捨山を思い出す。おいてけ堀というマンガ日本昔話も同時に思い出す。
どちらも、子供心に嫌なにおいがした。
死の間際に、何を見るのだろう。
死にたいと声をあげる輩の多い。
不遇な死を迎える人間も多い。
死には、死という事しか意味がない。
死にたい奴が生き残り、
生きたい奴は生きて、
それで世界は回っている。
死を迎えた人間は、
そのままその世界から居なくなるだけだ。
たぶんこれは難しいんだと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20081220182504
葬式をやるときってのは、関係者一同、平常心じゃない。だから、人が死んだあと、するするとベルトコンベアーのように流れていくように、今なっている。妙にもめないように。これはむしろ、知恵でしょう(もちろん、ビジネスにも配慮して)。
そこで中途半端に選択肢をつくると、おそらくもめる。僕の経験からいってもそうで、平常心でない人間が集まるとつまらないことでよくもめる。
これは、いまから死ぬだろう人にも言いたい。自分が望む葬式のスタイルがあるなら、それを明確に残しておいてもらわなくちゃ困る。ただ、散骨がいいなあとか、無宗教にしてねってだけでは、葬式する側が本当に困る。というのも、これは死んだ人の遺志だよって側とそうはいっても葬式くらいちゃんとしようって側と、絶対に割れる。実体験でいうと、こういうしこりはあとあと困る(下手すると遺産のことまでからみだす)。こういうの、はっきりいって迷惑。僕の親父は、葬儀会場から通夜葬儀の大体の流れまで手配してから死んだ。ようやるわと笑わせてもらったが、どうせやるなら死ぬ者はここまでやってもらいたい。
それでもベルトコンベアーに乗らない方法でやろうとおもったら、遺族が信頼できる人で、かつわりと冷静にその場をし切れる人がいなきゃいけない。で、批判は一身に受けて強引に押し切る。それだけのことができる人、なかなかいないし、これまたもめごとのもとになったりする。
そうなると、選択肢っていっても、現実にはかなり難しいと思う。葬儀屋との相談の中で選んでいくしか、普通はない。
それがいやなら、葬式のイメージを前々からよく打合せておくことですよ。みんなでイメージを共有する。おじいちゃんはいつもこういってるから、いざというときはこんな感じでお送りしましょうねって。笑い話でいいからそういう話をする。イメージをあたためておけば、いざという時に実現できる可能性が出てくる。中心となる遺族がこうやると腹をくくれば、それでいいんだから。死んでからでは、遅いんですよ。きっと。
俺は昔から散骨希望。地方出身の友達の中には「そういうのは無縁仏みたいで嫌だ」という奴もいる。親父にもお袋にも共同体指向が無いので、墓から距離をおきたいという俺の気分はそこからきていると思う。